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2008/03/29

江州音頭・河内音頭・モーラムシン

コメント欄で教えて貰ったんだが、桜川唯丸という人がいるわけだ。江州音頭の音頭取りだというんだが、そもそも音頭取りなんてのは
一年を三日で暮らすいい男という言葉があって、逆に言えば一年間に三日しか仕事がないわけだ。河内音頭の音頭取りで河内屋菊水丸という人がいるんだが、ロッキード事件の頃から、大事件が起きるとマスコミ呼んで現場で河内音頭やって騒いだりしたんだが、アレは暇だからやっているんで、盆踊りの季節になると1日のうちに10ステージくらい掛け持ちで稼ぎまくるらしい。なんかねぇ、日本の重要な演芸なんだが、こればかりは知らない人が多いんだけどね。おいらも関西人ではないので、ナマで見た事はない。で、コレなんだが。



こういう河内音頭とか江州音頭とかいうのは、そもそも祭文語りの系譜を引いているわけだ。祭文語りというと、チョンガレ節とかあるんだが、それが明治時代に浪花節となり、浪曲になり、現在の演歌まで系譜は続くんだが、日本の庶民の口承文芸だ。関西方面ではまだ生き残っているみたいなんだけどね。


で、暇だし、そもそも三日では食えないので、このオジサンは啖呵売やっていたわけだ。よく秋葉原の駅前でやってるアレなんだが、
宣伝販売(啖呵売)・・私なりに男らしい商売と思っています。人を言葉で楽しませて当たり前の実用品を、売りさばいて行く、言葉巧みに説明するので、ある評論家は言葉の芸術とまで評価した人もある。
啖呵売といったら「男はつらいよ」の寅さんを思い出すが、今の時代はあれではお客はお金を出さないし、百貨店と言う一流小売店で売るので言葉やマナーに制限がある。
で、いい年の爺さんがブログで思い出話を語るという、まぁ、いい時代になったもんだ。ついでにYoutobeで映像も見られる。で、実演販売のついでに江州音頭をサービスでやったそうだが、やはり関西圏の人しか「掛け声」を付けられなかった、とも語っている。これで、この種の音頭の分布というのが判る。
「江州音頭と言うものは、掛け声無くては取れはせぬ、掛け声しっかり頼みます」この掛け声は(掛け肥やし)の事で、野菜等に掛ける肥料の事をもじった文句です。 昔は人糞を使いました。
私が多方面に商売に行って、実演販売を終えてサービスに江州音頭を取り婦人会のおばちゃんが踊って、掛け声を掛けてくれますが、掛け声を掛けて貰えるところは、さすが滋賀か大阪、兵庫位しか、掛け声は頂けませんでした。岡山や広島島根なんかは駄目で、島根なんかは安来節を歌えと言われて、歌えないので、土地の人に歌って貰って私が安来節で、踊った事がありますね。懐かしい過去が思い出されます。
で、下のToutobeなんだが、こちらは河内家保丸という人です。河内家というから河内音頭かと思いきや、江州音頭のタグもついている。微妙に近い存在らしい。ちなみに江州というのは近江の事のようだ。



こちらのサイトに江州音頭の発祥が書かれているんだが、
 祭文とは、もともと山伏や修験者が神社・仏閣の祭りの中で神仏に告げる文のことです。それが室町から江戸時代にかけて祭文語りとして芸人たちの間に広がるようになりました。祭文語りは村々を訪れ、伝承物語や他国の事情を語りました。娯楽も少なくまた情報にも乏しかった時代に、祭文語りは村々でもてはやされたのです。

 幕末の頃、祭文語りの名人、桜川雛山に弟子入りし本格的に祭文語りの修行した八日市の西沢寅吉は、念仏踊り、歌念仏も採り入れ人気を博していました。(八日市祭文音頭)そして、明治初年豊郷の千樹寺観音堂の再建の折、西沢寅吉が招かれ、当日は彼の音頭に乗って村人たちも踊り明かしたと言われています。この音頭は豊郷・八日市を中心に近江路一帯に広がり、美濃や伊勢などにも評判が伝わていきました。そして江州音頭として定着したのです。
で、Wikipediaによると、河内音頭は江州音頭を元に作られたものだ。
元々明治中期から大正末期頃まで大阪地域で歌われ踊られていたのは滋賀の東近江発祥の音頭、江洲音頭が寄席や祭事で行なわれていた。特に寄席では落語や音曲と並んで人気の演目となっていた。 昭和に入り寄席の閉鎖、祭事では経費の削減などで行なわれなくなり衰退した。戦後代わって登場したのが河内音頭であった。 「ああ、えんやこらせーどっこいせー」の節回しを使用した、アルバイト情報誌のCMで全国にも知られる。

昭和中期頃までは衰退していたが、1961年にテイチクから発売された鉄砲光三郎の『鉄砲節河内音頭』が100万枚を超える大ヒットとなり、再び多く踊られるようになった。

昭和40年代頃には、初音家賢次、三音家浅丸といった音頭取りが活躍し、初音節、浅丸節という独特のリズムの河内音頭が生まれた。
で、下のYoutobeは井筒家小石丸という人です。まぁ、江州音頭もそうなんだが、見て判るように、浪曲に近いんだが決定的に違うのは、太鼓や鳴り物が多くてリズミカルだという部分だな。浪曲は一般的に三味線だけだ。

で、こちらが河内音頭なんだが、ご覧のように、アレです、河内ですw 
鉄砲節の神髄を歌う 河内音頭 鉄砲節

鉄砲節の神髄を歌う 河内音頭 鉄砲節
価格:¥ 2,300(税込)
発売日:2006-08-02

こういうのはTVで見るような演芸ではないわけで、子供の頃から年に一回は聞きながら、そのリズムで踊りながら育たないと理解できないものなんだと思う。



ところで、音頭取りは暇なのでウロウロしているという話をしたんだが、だからというわけでもないんだろうが、江州音頭の初代桜川唯丸師匠は最近になって易者なんぞやってるわけだ。本人が啖呵売を自称しているんだから、まぁ、ロクマやっても不思議ではないんだけどね。

で、ここで話はタイランドなんだが。



タイというか、タイ東北部イサーン地方の演芸でモーラムというのがあるわけだ。もとは仏教の説教を語るものだったんだが、今では娯楽になっていて、歌詞も「男はせんずり、女はまんずり」とか、下品なモノが多いらしい。最近のモノはテンポが速くなって、ラムシンとか呼ぶ。ラムシンというのはモーラム・シンであって、シンというのは「レーシング」のシンだ。農閑期には、こうしたローカルバンドが巡業して歩く。



こちらはココナツの殻で作った胡弓をバックに歌っているね。PVなので綺麗なんだが、実際にはベニヤ板でゆらゆら揺れるようなステージで、ひと晩中演じられる。田舎では暗くて危ないので、夜が明けるまでがお祭りなのだ。見ている方も酒飲みながら、酔っぱらいながら、寝ながらダラダラと見物している。



ラムシンのステージというと、やたら登場人物が多いんだが、フロントは男女一名ずつの歌手が交互に音頭を取り、他方が踊り、もう一人、重要なのが笙吹きだ。労働服を身につけた笙吹きがフロントラインを構成するというのがいかにもアレなんだが、まぁ、アレです、アジアです。で、通常、司会兼コメディアンというのが控えていて、ヘラヘラ踊っていたりするんだが、このコメディアンには大事な仕事がある。酔っぱらった若者が、ステージでエロい踊りを見せているネーチャンに興奮して襲いかかろうとするんだが、それを押し返すのが大事な仕事であって、こういうコメディアンというと、下世話なエロネタで笑わせていても、目が笑ってなかったりして怖いです。

で、最後にオマケです。ナマのステージというのは、まぁ、こんな感じです。リアルプレイヤーがないと見られないのでアレなんだが、まぁ、レアモノという事でw

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