2008-03-26 ダサイ人はごまかしの服をいつも着る。
「胸にワンポイントのヌル目なキャラクター」や「ひたすらに無意味な英文」が入った服を着ている人は大抵ダサイ。
そしてあの人たちは無地の服を絶対に着ない。何故なら「服と向き合う」のが怖いから。
ポピュラリティーのある雑誌の装丁は大抵ヒドい、文字や写真が極彩色でひたすらゴチャゴチャしている。
追い切れない程に大量の情報をそうやって洪水させて「無駄なお得感を演出」しつつ、「シリアスさ」からも同時に観る者を逃している。「意味の読み取り」を強要しない。
例えばスタジオボイスの装丁等には緊張感がある。観る者に挑んでくる、攻撃的なデザイン。
「そのデザインの意図を読み取れるかどうか?」その事を必ず確認させられる。ソレが苦痛なのだ。「自分のセンスの無さ」を突きつけられてしまうから。あの手の雑誌を「自分の視界に入れる事」さえ、もう辛いのだ。
そしてファッションについても、やはり同じ事が言える。
センスが無いから本当は服を着たくはない。でも裸で表に出る訳にもいかない。
だから服をさり気なく殺そうとする。「服ではあって服ではない服」を無意識のうちに着ようとする。
つまりソレが「アレ等」の服なのだ。