「フィリピンは日本の救世主になる」と言ったら、どれだけの人が賛成してくれるだろう。テロと犯罪、汚職天国--さまざまなマイナスイメージを背負い込んだフィリピンだが、そこには日本の将来を支えてくれる可能性のある人たちが住んでいる。「少子高齢化で労働者不足。将来どうすれば」と身内だけで深刻に論議をしているより、海を挟んだ南の隣国に「助けてください」と声をかければ、たちまち駆けつけてくれる人々がいるのだ。
06年に合意した日比経済連携協定は、日本がフィリピン人の看護師や介護福祉士を受け入れる内容が盛り込まれ注目された。しかしフィリピンでは大きな話題にならなかった。2年間で1000人という枠組みがある上、難しい日本語を学んで日本の看護師や介護福祉士の国家試験に合格しなければ、3~4年で日本から追い出されるシステムだからだ。
その一方、日本行きを熱望する数万人のフィリピン人女性がいる。かつて日本政府はフィリピンで、年間8万件もの「興行ビザ」を発給してきた。対象者のほとんどは、歌も歌えず、ダンスもできない若い女性たちだった。
「芸能人」の肩書で訪日した彼女たちは、日本各地のナイトクラブで接客に明け暮れる日々を過ごした。米政府の「興行ビザ発給は人身売買の温床」という指摘を受けた日本政府は05年、ビザ審査を厳格化した。年間8万件だった興行ビザ発給は、8000件に激減した。
かつて日本で「芸能人」として働いた女性たちの中に日本人男性と恋に落ち、子供を産んだ人がいた。今も幸せに暮らす女性がいる一方、日本人男性が子供の認知・養育を拒否したため、子供を抱えてフィリピンに戻る女性が相次いだ。働き口のない母子は、母の故郷で極貧の生活を強いられた。「新日系人」と呼ばれる子供たちの多くは、貧困や母親が帰国後に子供のフィリピン国籍申請をしなかったことなどが原因で、学校に通えなかった。成人しても安定した就職先を見つけることはできない。そんな子供たちの未来を切り開こうと、06年2月、フィリピン在住の日本人らが非営利組織・新日系人ネットワーク(本部・セブ島)を作り、父親の行方捜しや子供を育てるため「どんな厳しい仕事にも耐える」という覚悟を示す母親たちの日本での職探しを始めた。
日本政府は当初、元エンターテイナーの母親たちの日本再渡航を渋った。支援団体は、そんな政府のしりをたたき続け、活動開始から2年たった今日28日、母親たちが、日本に旅立つ。
新日系人の母親たちが、「子供のために働く」と覚悟を示しているのに、日本政府は、彼女たちが再び夜の世界に戻り、違法就労に走るのではないかと警戒している。しかし明らかに需要を上回る、年間8万件もの興行ビザを発給しておきながら、日本人の血を引く子供の未来を自らの手で切り開きたいという母親たちの希望を聞き入れないのは筋が通らない。かえって、日本語を話し、日本の生活習慣を身につけた元エンターテイナーの女性たちは、どの国の外国人労働者より、日本社会に上手に溶け込むのではないか。
私は、日本で反発の強い外国人家政婦や家庭内介護を担当する外国人介護助手についても、まずはフィリピンから、早急に受け入れるべきだと考えている。看護師や介護福祉士の不足も心配だが、もっと深刻なのは、日本から伝わってくる家庭介護の様子がお寒い状況だからだ。家に寝たきりのお年寄りがいれば、日本では一般的に、介護の重荷は家事に忙しい主婦など女性の肩にのしかかる。もし老人夫婦だけの家庭なら介護の困難さは、より深刻だ。そこに大家族の中で育ち、幼い時からお年寄りや子供の世話を身につけ、ナイトクラブで接客術を学んだフィリピン人女性が入っていったらどうなるだろう。暗く沈んだ日本の家庭が一気に明るくなるはずだ。
何より、今まで介護と家事でへとへとだった日本の女性たちが元気と余裕を取り戻し、社会に出て行く意欲を取り戻すきっかけとなるのではないか。その女性たちが、今、深刻な不足が指摘される小児科や産婦人科の医師・看護師だったら、日本の産業界をけん引するIT産業のエキスパートだったら、日本の人材不足のかなりの部分は緩和するのではないか。
そんな夢のような日比関係が実現する日が来ることを願いながら、4月から日本に戻り、新日系人と母親たちの日本での奮闘を取材しようと思っている。(マニラ支局)
毎日新聞 2008年3月28日 0時11分