蘇我氏の邸宅跡の可能性強まる──奈良・明日香村の甘樫丘2008/03/28配信
飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)が邸宅を構えたとの記録が日本書紀に残る奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)を調べている奈良文化財研究所は27日、これまでに見つかった建物跡の年代が7世紀前半と特定できたと発表した。新たに出土した土器などを分析した結果で、同研究所は「蘇我氏の邸宅跡である可能性が、より高まった」としている。
同研究所は、丘陵の東のふもとを発掘し、大型倉庫とみられる建物跡などを発見。付近の穴から7世紀中ごろの皿状の坏(つき)や平瓶などが出土した。穴は建物を取り壊した直後の時期にできたものとみられ、同研究所は「建物は7世紀中ごろに取り壊された」と判断した。 同研究所は2006年までに、周辺で斜面を大掛かりに造成した痕跡や倉庫とみられる建物群、石垣跡など7世紀の遺構を発見したが、細かい年代を特定する手掛かりが少なく、7世紀のいつごろか絞り込めなかった。居館などの主要部は見つかっておらず、同研究所は発掘を続ける方針。 日本書紀によると、蘇我蝦夷・入鹿親子は644年、甘樫丘に柵を巡らせて武器庫を備えた邸宅を建設。武装兵に警護させ、都の中枢ににらみをきかせたという。645年に入鹿が中大兄皇子らに暗殺されると、蝦夷は邸宅に火を放ち、自害したとされる。 滋賀大の小笠原好彦名誉教授(考古学)は「建物跡の年代が特定でき、蘇我氏の邸宅跡の可能性が一層高まった。倉庫は当時としては大規模で、何か重要なものを収納したのでは。主要施設の発見に向けた今後の発掘に期待したい」と話す。
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