7世紀前半に権勢を振るった蘇我(そがの)蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子の邸宅があったとされる甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡(奈良県明日香村)で、蘇我氏が滅亡した「大化の改新」(645年)ごろに廃絶したとみられる建物跡が見つかった。27日、発表した奈良文化財研究所は「蘇我氏の滅亡と建物の廃絶時期がほぼ一致することが初めて考古学的に裏付けられた」としている。
現場は、地形的な特徴などから、日本書紀が城柵(きかき)や武器庫を備えたと記す入鹿の邸宅「谷(はさま)の宮門(みかど)」の一部との可能性が指摘されている。同研究所が昨年11月から950平方メートルを調査し、大型の倉庫とみられる建物跡2棟(床面積約40平方メートル)や管理施設風の掘っ立て柱建物跡1棟(東西10・5メートル、南北3・6メートル)を検出。建物の残がいを片付けた際に掘られたとみられる穴の中から、641~660年ごろの土器を確認したため、建物はこのころ廃絶したと確定した。【林由紀子】
毎日新聞 2008年3月28日 東京朝刊