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2008年03月26日付・夕刊
(3)麻酔科“崩壊の夏”高知医療センターの麻酔科ナンバー2、難波健利医師(51)を見つけたのは午後七時すぎだった。目をしょぼしょぼさせて医局のソファで新聞を見ていた。 「待機なのに、三回目の徹夜ですからねえ。この二週間で」 前日は院内ICUの当直。この日は自宅待機だったが、また脳神経外科の手術で呼び出されていた。 「本当は夕方で終わりだったんだけど。五時半ごろ脳外科から連絡があって、帰るに帰れずです」 横になると余計に疲れるので、眠気払いに新聞を読んで待っているのだという。 連続勤務は既に三十五時間。間もなく始まる脳動脈瘤(りゅう)の開頭手術は六時間ほどかかる。せっかくの休憩中に申し訳なかったが、整形外科で聞いた話を切り出した。 ―十八年の夏、麻酔科が“崩壊”したそうですね。 すると、ムッとした口調で言った。 「別に崩壊したわけじゃない。僕は『今日をもって、夜間の麻酔科の業務を停止します』と言ったのよ。今まで頑張ってきたけど、部下の命を縮めるような業務は強制できませんと。七月だったかなあ」 その時、初代の瀬戸山元一病院長は既に辞職。現在の堀見忠司病院長に代わっていた。 「病院に『救急の麻酔から手を引かせてほしい。体が持ちません』と言ったけど、返事はなかったなあ。三人で昼も夜も乗り切った。五十日間ぐらいきつかったですよ。一カ月間のうちの半分が当直と待機。そういう時に限って緊急手術が多いのよ」 当時、激務に耐えかねた麻酔科医が各地で集団辞職をして社会問題化していた。高知医療センターも例外ではなかったのだ。開院時、八人いたうちの三人が次々と辞めた(現在は十一人に回復)。 「人手が足りない上に時間外手術が多く、きつかったというのが大きな原因でしょうねえ」 その結果、残された麻酔科医の負担がさらに増える悪循環。時間外労働は百時間を軽く超え、トップの武田明雄部長(58)=現医療局長=は網膜剥離(はくり)で入院。女性医師も体調を崩して出てこられなくなった。 難波医師は母校の岡山大にSOSを送った。「人を送ってバックアップしてくれるなら頑張れます」と。 岡山大から麻酔科医が二泊三日のローテーションで一人ずつ応援に入り、県立安芸病院にいた岡山大派遣の杉本清治医師(52)も週に二日駆け付けた。院内ICUの当直業務も一部、他科の応援を仰ぎ、昼間の定期手術も麻酔業務を他科に途中交代してもらうことで乗り切ったという。 当時の睡眠時間を尋ねると「よく覚えとらんなあ。朝までやったことも多かったけど…。岡山大が秋から常勤医師を一人派遣する支援を確約してくれたんで、気持ちがつながりました。それと、武田先生の人徳。堀見病院長が岡山大の医局まで直接あいさつに行ってくれたのも助かりました」。 そして、「崩壊なんてしとらんで。崩壊せんために僕らは頑張ったんやから」と強調した。 「それにしても、これだけの数の夜中の手術を、高知医療センターができる前はどこでやってたのかと思いますね。供給が新たな需要を引き起こしてしまったんでしょうかね」 そうつぶやきながら手術室へ入っていった。そして、終了は午前三時を回った。 【写真】血圧、脈拍、心電図、酸素飽和度、呼吸回数、体温などのモニターを見ながら、患者の全身状態を管理する麻酔科医(高知市池、高知医療センター) |
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