パネラーのみなさん(筆者撮影)
≪岩崎政孝弁護士・日教組代理人の話≫
岩崎弁護士は、仮処分の決定が下されたのに、集会が開けなかったことは組合として大きなマイナスであるとの認識を示したうえで、プリンスホテルに対し、民事訴訟を提起した経緯について、次のように語りました。
まず最初に、今回の事件について、報道各社がホテル側のやり方に問題があると指摘したことや、支える会ができたり、弁護士会会長が声明を出すなど、反響の大きさに驚いている。それだけ、この事件が重大な問題を含んでいる証左、と話しました。
日教組主催の教研集会は、1951年に第1回の全国教研が開催され、昨年まで56回に渡って連綿と続いてきたそうです。全国教研は年に1回開催され、基調報告、記念講演などの行事からなる全体会と、各教科や教育課題を分野別に討論する分科会で構成されており、そこで得た研究成果を現場に持ち帰って教育現場で活かす取り組みがなされているそうです。全国教研については、各方面から高い評価を得ている、と語りました。
前日にレセプションがあり、初日の午前中に全体会、次いで、午後から3日間に渡って分科会が行われるそうです。今回の全体会の参加者は約2000人。それだけの人数を収容できるのは、ホテルの大宴会場など限られており、大手旅行会社系列の代理店を通し、1年前(去年の3月)に予約し、口頭でOKをとったのち、5月に正式に書面での申し込みをした、と語りました。また、宿泊のために190室予約したそうです。
ホテル側には、日教組主催の全体集会であること、参会者は2000人から3000人ぐらいであること、昨年、大分で開いたときも右翼の街宣があり、警察に警備を頼んだことなどを伝えたそうです。日教組の説明を受け、ホテル側は2ヵ月の検討を経て予約を受け付けており、11月に入ってから突然、代理店を通して予約を解消したいと言ってきたのは、「理解に苦しむ」と岩崎弁護士は語りました。
ホテル側は、日教組との話し合いの場に録音機を用意するなど法的手続きを起こされることを準備していたとのことですが、なぜ11月になってから一方的に解約すると言ってきたのか、素朴に考えても「おかしい」と語りました。その間、大手代理店と打ち合わせが何度も繰返されていることを指摘し、「不可解極まりない」と、ホテル側の対応に疑問を呈しました。
ホテル側の言い分には、まったく理由がないことから、理を尽くして話せば撤回してもらえると当初は思っていたそうです。その一方で、急遽、都内の代替会場を10ヵ所ほど当たったそうですが、開催の2ヶ月前とあってムリだったと語りました。ちなみに、田場さん(コーディネーター)が調べたところ、1000人以上収容の施設では、その多くが予約は1年前からとなっており、2ヵ月前の予約が可能とするホテル側の言い分は説得力がないことを指摘しました。
岩崎さんは、ホテル側の対応に対し、何度も「理不尽」「不可解」といった言葉を繰り返し、ホテル側の対応がきわめて不誠実なものであったことを強く訴えました。ホテル側は、警察当局との警備の打ち合わせも一切行っておらず、また、まわりに迷惑が及ぶと言ってはいても、本当にそうなのか、検証されていない、と述べ、一方的な主張であり、違和感の強い解約であるとの認識を示しました。
話し合いすらしないホテル側に対し、日教組は12月4日に東京地裁に仮処分の申立を行い、1月16日に地裁が認める決定をしました。また、警視庁に改めて警備を要請し、万全の警備体制を行うとの回答を得ましたが、同25日、ホテル側は抗告を申立て、30日、東京高裁は抗告棄却の決定を下しました。しかし、ホテル側は裁判所の決定に従わず、会場使用を拒否。2月1日、日教組はやむ無く、全体会中止を決定した、とのことです。
また、岩崎さんは、教研集会が問題を起こすのではなく、右翼団体に問題を起こす可能性があるのであり、ホテル側が主張する利用契約書の解約の判断にはならない、と述べ、裁判所も日教組の主張を認めていることを強調しました。さらに、一流ホテルの社会的責任に言及したうえで、全体会を中止にしたことについて、「ゆるがせにできない」として東京地裁に提訴した理由を明らかにしました。
高まる批判に押されホテルの対応に変化
≪プリンスホテルの集会使用拒否問題を考える会代表・毛利正道弁護士の話≫
毛利さんは、今回の事件について、「波及効果は甚大なものがある」との認識を示し、2月4日にインターネットでプリンスホテル側に対する要請行動の賛同者を募ったところ、3月6日までの賛同者が502名あり、3月24日にこの要請書をホテル側に届けたことを明らかにしました。
メールの賛同者の多くが、ひと言欄にたくさんの書き込みをしており、この問題に危惧を抱いていることが分かる、としたうえで、社会的責任をもったプリンスホテルがこういうことをすることでマイナスの影響が出ていることが、怒りの文面から伝わってくると語りました。たとえば、プリンスホテルに泊まったことがある人は、いい思い出があったが、このようなことは法治国家で許されることではない、と書いていた人もいた、と語りました。
毛利さんは、これまで4回の要請行動をしたそうです。ホテル側は4回とも、受け取ったあとは帰ってください、といったそっけないものだったのが、今回は(事情をよく知っている)責任ある立場の人が応対してくれたと語りました。毛利さんは、500人もの人たちが要請行動に賛同してくれたことが今日のホテル側の対応の変化につながったとの見方を示して、声を結集することの重要さを実感したと語りました。
ホテル側は大分へ調査に行っているものの、警備について警察との打ち合わせは一切行っておらず、受験生や近所に迷惑をかけると言っていることについても、そのことで学校に問い合わせをしていないなど、段階を踏んでおらず、日教組とも相談をしていないばかりか、仮処分の申請が届く1週間前に別口の予約をとっているといった、きわめて独断的なやり方をしていることを明らかにしました。
毛利さんは、このような独りよがりの考え方はとうてい納得できず、だれとも検討せず、社内だけで判断するのは、「とんでもない」と断じました。今回のホテル側の対応によって、右翼が目的を達するという結果をつくったことは、社会正義を掲げる西武グループの企業理念にも反すると、厳しく批判しました。
プリンスホテルは全国に62のホテルを持ち、年商2000億円、従業員8600人の企業です。こうした一流企業が、契約を守らなくてもいい、裁判所の決定を守らなくてもいい、ということを公言し続けていることに対しても、毛利さんは厳しく批判し、ホテル側は、この問題の波及効果について充分な考慮がないままに判断を下した、との印象を持ったと語りました。
≪元・朝日新聞社阪神支局襲撃事件取材班キャップ・樋田毅さんの話≫
1987年5月3日の憲法記念日の日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者2名が殺傷された事件で、時効になるまで取材班のキャップを務めた樋田さんは、新人研修のとき、言論を守る覚悟が新聞記者には必要である、ということを説くそうです。また、朝日の記者になるということは、場合によっては命をかける場合があるということについても話をすると語りました。
老朽化によって建て替えられた阪神支局の3階は事件の資料室になっており、言論テロの犠牲となった小尻知博記者のジャケットや、散弾銃の破片が体内に入った、残酷で悲惨なレントゲン写真、赤報隊を名乗る犯人からの声明文、脅迫状などが展示されているそうです。一連の事件については、同じ種類の散弾銃、同じ種類のワープロ、同じ種類の紙、折り方、封筒などから、同一の犯人だと思われること、また、右翼的な思想の持ち主で、1人ないしごく少数の仲間が起こしたとみている、と語りました。
樋田さんは、日教組の教研集会を何度か取材したことがあるそうですが、取材価値が高く、大変レベルの高い集会であるとの感想を持っている、と語りました。右翼は毎回、街宣をかけてくるが、右翼が市民から支持されていることは絶対にありえないことから、ホテル側が右翼に屈し、会場使用を拒否したことは、「信じられない」と驚きの声を上げました。
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