大相撲千秋楽を7勝7敗で迎えた力士の勝率が異常に高かった時期がある。デスク時代、相撲担当記者に「7勝7敗の力士同士を当てる取組を作れ、という記事を書いたら」と言ったが、書かない。協会ににらまれたくないからという。日本社会は閉鎖的な「界」に分かれ、掟破りは難しい。「界」に送り込まれた記者まで同じになってしまっている。
目 次
(P.1)
◆千秋楽の取り組み
◆改革提案のコラム
◆出て来なかった「記者の目」原稿
(P.2)
◆誰もが「書かないのが普通」
◆マイナスの評
◆閉ざされた「界」に分かれる日本社会
◆千秋楽の取り組み
大相撲大阪場所は間もなく千秋楽だが、いま千秋楽の取り組みだけ特別扱いで、前日14日目の幕内取り組み前半が終わったころに発表されていることをご存じだろうか?
14日目までの取り組みは、前日の正午ごろ発表される。以前は千秋楽の取り組みも同じことだった。相撲協会に問い合わせると1999(平成11)年初場所から、変更したのだという。変更後、十両や幕内下位力士の取り組みを14日目の勝ち負けが判明した後につくることができるようになった。その結果7勝7敗同士の取り組みがぐんと増えたのである。
◆改革提案のコラム
じつは私はこの改革を提案したことがある。95年11月27日付・毎日新聞夕刊に掲載されたコラム「直視曲語」(当時私が書いていた週1回掲載のコラム)で、「大相撲の千秋楽で、7勝7敗の力士の勝率はあまりに高い。7勝7敗同士の取り組みを増やすよう工夫できないか」という趣旨の文章を書いたのである。
この記事が載ったとき、95年の大相撲は6場所すべて終わっていたのだが、7勝7敗で千秋楽となった幕内・十両力士の勝敗は、
初場所=7勝4敗▼春場所=4勝2敗▼夏場所=8勝5敗▼名古屋場所=12勝1敗▼秋場所=10勝3敗▼九州場所=11勝3敗だった。このデータは自分で調べたのだが、そのままコラムに使った。核心部分だけ紹介しておけば、
<7勝7敗の力士にとって千秋楽の星1つの意味はあまりにも重い。前頭5、6枚目なら、勝てば三役、負ければ前頭2ケタで翌場所は十両陥落の危機というケースさえある。幕じりなら十両へ、十両下位なら幕下へ、陥落か否かの分かれ目となる。
8勝の力士が9勝へ、あるいは5勝の力士が6勝へと星を伸ばすことの意味は小さい。
「片八百長」では人聞きが悪いというのなら、意気込みの差と言い直してもいい。7勝7敗の力士は必死で、相手はその立場に同情的ですらある。それが広い意味で片八百長となる。いちばん盛り上がるはずの千秋楽の土俵に水を差す。
このつまらない取組をなくすのは簡単だ。千秋楽で7勝7敗の力士同士を当てる取組を作ればいい。双方とも「貴重な星」を落とすまいと、ファイトあふれる力戦が期待できる。> という部分である。
私の提案は95年11月。協会の変更は99年1月場所から。その間4年もあるのだから、「私の提案が受け入れられた」と誇るつもりは、あまりない。
◆出て来なかった「記者の目」原稿
じつはこのコラムは、「やむなく自分で書いた」のである。
さらに4〜5年前ということになるが、90年4月から2年間にわたって、私は「記者の目デスク」というポジションにいた。「記者の目」はいまでも毎日新聞朝刊にあるコラムだが、全国どのポジションにいる記者でも、自分の意見を書けるスペースである。76年にスタートし、菊池寛賞も受けた。
記者の目デスクとして私は、この「7勝7敗同士を千秋楽に当てる工夫をせよ」という原稿を担当者に書かせたかったのである。運動部の相撲担当デスクに「相撲担当の誰かに書かせてくれ」と依頼を繰り返した。「分かりました」とは言うのだが、原稿は出て来ない。運動部長が同期生だから「何とかしろ」と言ってみたが、同じことである。面従腹背にしてやられたまま、結局「記者の目」原稿にはできなかった。
自分でコラムを執筆する立場になってからその敵討ちをするというのだから、我ながらしつこい。組織内では嫌われるはずだ、と分かっていても、「一言多い」性格は隠せない。