日本におけるサッカーは、日本代表の大きな試合があると国じゅうがお祭り騒ぎになり、Jリーグでは地域に密着し、大勢の家族連れなどが試合を観に訪れて応援する、といった平和的な光景が目に浮かびます。一方で、世界には違う状況の国もあります。
アルゼンチンでは今、フットボール(サッカー)の世界で多くの人が亡くなるという事態に陥っています。「フットボールで人が亡くなる」というのは、例えば07年8月、スペインのセビリアでの試合中に突然倒れ、その後亡くなったアントニオ・プエルタ(セビージャFC)や03年6月、フランスで行われていたコンフェデレーションズカップ準決勝の試合中に、心臓発作で倒れ亡くなったカメルーン代表のマルク・ヴィヴィアン・フォエのような、病気やけがが原因のものではなく、「殺される」というより恐ろしい事件が起こっているのです。 「殺される」といえば、94年に暗殺されたコロンビア代表のアンドレス・エスコバルを思い出します。エスコバルの事件では、その年のワールドカップで、彼が挙げてしまったオウンゴールが理由だとされています。このような事件は非常にまれではありますが……。 しかし現在、アルゼンチンで起こっている出来事は、「一般の人々が」「理由なく無差別に」殺されているという状態です。アルゼンチンではフットボールが公式に行われるようになってから合計で225人、ここ10年では50人の死者が出ている、ということです。 私はアルゼンチンの代表チームやクラブチームが大好きで、アルゼンチンのフットボールが大好きです。技術の高さだけでなく、荒っぽいプレーも、ある部分での大ざっぱなところ、選手・サポーターの熱さ、フットボール文化の国における位置、フットボールと人との付き合い方など、どれも大好きで、日本の代表やクラブよりも注目し、応援しています。 「仲間」の青年が銃撃され、興奮してフェンスを突き破るベレス・サルスフィエルドのサポーター=3月15日、ブエノスアイレス(ロイター) 3月15日、ブエノスアイレスのクラブ、ベレス・サルスフィエルドのファンの青年や、幼い少女が、スタジアムに向かう途中に銃で撃たれ亡くなりました。このような事件は、決して起きてはいけない事件なのですが、一向になくなりません。 通り魔的な事件のほか、一部の凶暴なサポーターによる暴力事件も日常的に起きていると聞きます。数年前、アルゼンチンは経済が破たんし、人々は非常に貧しい生活をせざるを得ない状況に陥りました。そんな中で唯一に希望であったのがフットボールです。フットボールを観るだけで殺されたり暴力を振るわれたりするということは、人々のわずかな光が閉ざされるということなのです。 フットボールに対して熱くなり騒いだりすることと暴力行為は似ていますが、まったくの別物。多少騒いで暴れても、人に危害を加えてはいけないのですが、一部の人間は冷静に判断できないのです。中には暴れるのが目的で、フットボールを利用している者もいます。これは決して人ごとではありません。日本でもありうることなのです。 07年のクラブワールドカップの会場で、興奮して警備員に暴力行為を働いている日本人を目撃しました。おそらく自分が熱くなっていて「かっこいい」とか「フットボールに熱い」という気持ちがあったのだと思います。日本人でも、一部の人間が暴力行為を起こす可能性は十分あるのです。 ヨーロッパや国際試合の舞台では、以前に比べて年々ラフプレーに対して厳しくなっており、さらに暴力行為などは、06年ワールドカップのジダンの頭突き事件を見てもわかるように、非常に厳しく、また敏感になっています。 一方のアルゼンチンでは、一向に暴力がなくならず、対策も十分に行えていない状況です。世界にはアルゼンチンのような状況の国もあるのです。これは、少なくともフットボールファンは知っておくべきことだと思いますし、一般の方にも知っておいていただきたいことです。
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