【沖縄基地強化の陰で利権を貪る政治家たち】
先ほど下地島の三〇〇〇メートルの滑走路について、「自衛隊使用が望ましい」と久間防衛大臣が発言したことに触れました。久間大臣が宮古で発言した同じ日に、与那国島にはアメリカの艦艇が寄港していて、これに抗議する集会が開かれていました。久間大臣がなぜ米軍艦の与那国島寄港に併せるように宮古島に来て、そういう発言をしたのか。これはたんなる偶然とは思えないのです。
下地幹郎という宮古島出身の国会議員がいます。この人が最近、下地島空港に自衛隊を誘致したいと言い始めています。また、現在普天間基地の辺野古への「移設」が問題になっていますが、それが行き詰まったら下地島に持ってきたいということも言っています。 守屋前防衛省事務次官が衆議院で証人喚問を受けたときに、実は山田洋行の問題だけでなく、沖縄利権の問題も問われていたんですね。沖縄選出で社民党の照屋寛徳という議員がいて、持ち時間が少ないので少ししか質問できませんでしたが、彼がこういう質問をしていたんです。守屋が今年(二〇〇七年)の五月に宮古島に来て、下地幹郎議員と、儀間光男浦添市長とゴルフをした、という問題を質問しました。そうやって守屋氏との関係を公にされたものだから、下地幹郎は居直っているんです。
下地議員は下地島空港に普天間基地か自衛隊基地を誘致することと引き替えに、宮古にカジノを持ってきたいという腹づもりではないか、そう私は読んでいます。儀間光男氏に関しても、浦添市にあるキャンプ・キンザー基地が今回の在日米軍再編で返還される予定になっています。58号線を那覇から北部に向かうときに、左手にずっと金網が続いているあの広大な基地です。米軍の兵站基地として、ベトナム戦争のときには大きな役割を果たしましたが、最近は遊休施設となっています。それが返還されたときの跡地利用としてカジノを誘致したい、儀間浦添市長はそういう構想を持っています。
下地議員と儀間市長、そして守屋という三名の顔触れがそろってどのような話をしたのか、興味深い限りです。ちなみに、下地議員は昨年(二〇〇六年)の名護市長選挙で、現市長の島袋吉和氏と対立する候補を推して精力的に運動していました。保守系議員のその候補者を共産党や社民党も推したことから、名護の市民運動が二つに割れる混乱も生じました。また、県知事選挙では民主党の喜納昌吉議員と一緒になって、儀間市長を候補者に擁立しようとしていました。下地議員からすれば、普天間基地の「移設」先として挙がっている辺野古への新基地建設が頓挫することは、下地島への誘致のための前提条件なのです。彼が名護市長選挙や県知事選挙に熱心に取り組んだのは、そのような思惑がらみだったのではないかと思います。
沖縄には基地関連の予算として、毎年何十億円という金が下りてきます。北部振興策は十年で一千億円という巨額の金が流れています。また、IT関連や金融関連でも沖縄の経済振興ということで巨額の予算が下りてくるわけです。これまで沖縄利権を牛耳ってきたのは、田中派、旧経世会という流れで、彼ららは「沖縄族」と言われてきました。橋本龍太郎や小渕恵三、山中貞則、梶山静六といった大物議員が沖縄利権のボスと言われていたのですが、彼らが亡くなり、野中広務も政界を引退した。そのあとに久間章生とか森派の尾身幸次といった連中が「新沖縄族」として県内でいろんな団体を作って沖縄利権を貪っていると言われています。
今年の五月に名護市内で「怪文書」がまかれました。名護の中心街に産業支援センターというビルができたのですが、そこで談合が行われていたということが、資金の流れをはじめとして詳細に書かれています。現職の副市長や元市長、「北部のドン」といわれている開発企業の社長などが実名で登場して、彼らの自宅の写真まで載っています。そこら辺も暴いていけば、いろんな闇の部分が出てくるのです。
台頭する中国と東アジアの政治的流動、それに対応した在日米軍再編、中ロと日米の軍事的覇権争い、辺野古への新基地建設、沖縄における自衛隊の強化、沖縄利権の問題などを背景とし、それと絡みながら教科書検定問題も出てきているということを押さえてほしいと思います。この問題の根は深いのです。
【記述の復活だけで幕引きさせてはならない】
最後になります。「課題の克服」ということですが、9.29沖縄県民大会で決議されたのは「教科書検定意見の撤回」であり、「集団自決」の軍による「強制記述の復活」です。それが実現しないかぎり、仮に訂正申請が通ったとしても、いずれ問題は再燃します。部分的な記述の復活だけで幕引きさせてはいけない。加えて、教科書検定審議会への沖縄戦研究者の参加や、沖縄条項の確立、検定制度自体の改善や廃止などが、もっと議論され、運動として取り組まれねばなりません。
さらに、以下の取り組みとのつながりを作って、運動の質を高めていくことが重要であると思います。一つは教科書検定だけではなくして、改定教育基本法にも反対し、これから教育現場で推進されるであろう愛国心教育とか、日の丸・君が代の強制、こういった問題に反対していく運動とつなげていく必要があります。また、こういった問題を取り組み、平和教育を進めている教師を現場から選別・排除していくような動きに対しても、それを許さない取り組みを同時に進めていかなければならない。実際に教科書や自主教材を使って現場で平和教育ができないようであれば、どうしようもないわけです。いくら記述が復活したとしてもですね。
いかに現場で平和教育を充実した形で進められるかが重要なんです。市民がPTAの一員としてそういう教師を支え、また市民団体が教師たちの活動を支援していくということも大切です。
【反安保なき平和憲法擁護運動の問題】
それと、大江氏や岩波書店を訴えた原告側の狙いが、憲法九条の改悪を視野に入れているとすれば、当然それを許さない取り組みが問われてきます。これは、現在においては在日米軍の再編強化に反対する運動をいかに作っていくかということと結びついています。自衛隊が米軍と一体化して、集団的自衛権を行使して海外で戦闘を行うというのが目的なわけですから、憲法九条を守れというだけで終わらずに、在日米軍再編にも反対する必要があるのです。そこをきちんと反対しないで、「憲法を守れ」というだけでいいのか、ということになるわけです。
沖縄から言わせれば、日本復帰後三五年間、真の意味で沖縄に平和憲法はなかったわけですよ。沖縄の現状を見ればですね、これだけ巨大な米軍基地があって日々の生活が脅かされ、平和とは呼べない状況が続いているわけです。それなのに米軍基地の法的根拠である日米安保条約に反対しないような平和憲法擁護運動なんていうのは、沖縄からすればナンセンスなんです。
もっと掘り下げて言えば、憲法九条はどのような経緯でできたのか、ということです。獨協大学教授の古関彰一氏は『「平和国家」日本の再検討』(岩波書店)という本の中で次のように述べています。古関氏によれば、憲法九条は第一条から八条までの天皇条項とセットでできたといいます。敗戦後の日本の占領政策を進める上で、マッカーサーは昭和天皇を極東軍事裁判にかけさせていはいけないと考えた。昭和天皇を戦争犯罪人として裁くよりも、象徴天皇という形で天皇制を維持した方が、日本人を占領政策に従わせる上でいい、と判断したということです。
しかし、それだけでは侵略されたアジア諸国がおさまりません。少なくても、日本が再びアジア諸国に侵略しないという担保が必要である。そのために日本の永続的な非武装化を約束するものとして憲法九条が作られた。一方で、日本を非武装化した場合に、これから台頭して来るであろう極東ソ連軍とどう対抗していくかが課題となります。そこでマッカーサーは、沖縄に巨大な米軍基地があればソ連の脅威は防げるということを言っているわけです。ですから、天皇条項と憲法九条と沖縄の米軍基地集中による軍事要塞化、それは三点セットとして戦後占領政策の初期の段階で作られたというのです。それが戦後一貫して六二年間も続いているわけです。
古関氏の理論は沖縄の戦後史と現在の状況を見るとき、とても納得できます。政治学者のダグラス・ラミス氏や新崎盛暉氏も同じような主張をしています。沖縄からみれば平和憲法が実現されたことは未だないし、むしろ日本「本土」が憲法九条で「平和」を享受する引き替えに、沖縄は米軍基地の負担を担わされてきたのです。そして日本がサンフランシスコ条約で独立を果たしたあとは、日米安保体制の軍事的負担を沖縄に集中させたうえで米軍占領下に切り捨て、日本「本土」は高度経済成長を歩んでいったわけです。反安保なき護憲運動というのは、そのような沖縄の犠牲の上に成り立ってきた日本「本土」の平和が守られればいい、沖縄の犠牲は継続してもかまわないという、虫の良い物でしかないのです。憲法九条を絶対平和主義として本来の形で守ろうというのであれば、日米安保条約を廃棄して、沖縄からも日本各地からも米軍基地を叩き出して、他国を軍事的に脅かさないようにするのが筋なのです。
戦後、沖縄からは朝鮮戦争にもベトナム戦争にも米軍が出撃していきました。ブッシュが行ったアフガニスタンやイラクへの侵略戦争にも在沖米軍が参加しています。日本「本土」だって朝鮮戦争やベトナム戦争で大きな役割を果たしています。戦後日本は戦争をしてこなかった、という歴史認識が本当に正しいかどうか、問い返すべきです。戦争について素人は戦術を語り、玄人は兵站を語る、という言葉があるそうですが、兵站機能をになうことも戦争への参加なのです。ましてや米軍のイラク侵略の片棒を担いで、小泉政権は自衛隊を戦地イラクに派兵したわけです。沖縄から派兵された海兵隊部隊は、ファルージャの市民虐殺の中心となったと言われています。そのようなことを黙って見ておいて、憲法九条を守って自分たちだけは平和を享受できればいい、ということではいけないんじゃないかと思います。
【反基地・反安保の運動を広げよう】
一番最後の資料をご覧になって下さい。二〇〇五年の七月に嘉手納中学校で、米軍ヘリの墜落を想定した避難訓練が行われました。九月五日付琉球新報の記事を読んでみます。「嘉手納町立嘉手納中学校で、米軍ヘリが墜落したことを想定した避難訓練を、同校としては初めて実施した。同様の訓練は、町内の教育機関では屋良小が毎年実施しているほか、嘉手納小も十一月に予定している。昨年、宜野湾市で起きた米軍ヘリ墜落事故以降、町内のすべての小中学校で実施されることとなった」というものです。
日本中をさがして沖縄以外のどこの地域に、米軍ヘリが墜落することを想定した避難訓練をする学校があるか、ということなわけですよ。防災訓練として地震とか火事とか、最近では暴漢が学校に来るとか、そういった訓練はあるでしょうが、米軍ヘリが墜落することを考えて訓練する、これが今の沖縄の教育現場の状況なのです。子どもたちが安心して学校にも通えないような現状がある。
嘉手納町では嘉手納基地から飛び立つ米軍の戦闘機の爆音にも悩まされています。防衛省・沖縄防衛局は爆音を防ぐために学校や民家に対して、ガラスが二重になった防音アルミサッシの工事をやります。ところが電気代は出しません。クーラーの電気代が高くて一日中つけっぱなしにできませんから、窓を開けざるを得ないんです。冬場は閉めきることができるかもしれませんけど、定期的に空気を換気しないといけません。また、体育の時間は外に出ますし、子どもたちは休み時間に外で遊びます。だから、嘉手納の子どもたちは声が大きいとか、難聴の子どもたちが多いと指摘されるのです。
最近は深夜や早朝にF15戦闘機が発進して、眠ることもできないとか、地域住民は日常的にストレスを味わっています。沖縄が抱えている問題は教科書検定問題だけではありません。いや、教科書検定問題も、先ほど言いましたように、このような基地問題とつながっているのです。沖縄県民が国防意識に目覚め、日米両軍のもたらす基地被害や負担も積極的に受け入れること。沖縄戦の時と同じように日本国のために進んで犠牲になることを厭わない県民になること。それを願っている連中がいるのです。
しかし、そんな連中の思い通りにはさせません。教科書検定意見を撤回させ、「集団自決」は日本軍の強制であったことを教科書に明記させること。そして、今回の問題の背景にある米軍再編や沖縄における自衛隊強化に反対すること。また、憲法九条を守る護憲運動とともに反安保の運動を行うこと。それらを沖縄でもヤマトゥでも進めていきたいと思います。
最後は駆け足になりましたけども、以上で問題提起に返させていただきます。
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