2008年3月26日 (水曜日)

診断結果(伝言形式で)発表。

   先月から「不整脈」になったりして調子が悪かったので、近所の内科病院の先生の指示で、24時間「心電図計」を胸に貼り付けて様子を見たのが2週間前・・・。

 でも、その後、「診断結果」の知らせが病院から来なかった。 いや、「異常なし」と診断されて結果が来ないのだろう・・・と思っていた。

 

 そして、ついに、昨日、その結果が分かった。

 しかも、風邪で通院しているワタシの母に、先生が、

 「あ、そう言えば、息子さんの心電図の結果だけどね・・・」

 という「ついでに」「伝言」という形で分かったのだった(笑)。

 

 

 それでは

 発表します。(♪ドラムロール・・・・・・)

 

 心電図計による私、KONOの診断結果は・・・・・

  

 異常ありませんでした!!(♪ファンファーレ) 

 

 やった~~~~~shine

 皆さん、ご心配おかけしました。KONO、異常ナシでございます。ありがとうございます、ありがとうございます。KONO、異常ナシとの検査結果でございます。ありがとうございます。明日から、また精進して参ります。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

 ・・・じゃ、ちょっと待てよ・・・。

 それなら、この胸の苦しさ、一定しない脈拍は何???

 

 先生からの診断結果(母への伝言)には、その後がありました。

 「まぁ、、、太りすぎだね・・」(♪チャラ~~~リ~~)

  

 そんなぁ~~~~~crying

 た、たしかに、ワタシは太っておりますけれども、心臓を圧迫するほどの巨漢ではございませんpout

 ですから、

 その所見に関しては、私なりに異論・反論が多々ございますけれども、ま、「心電図」は異常ナシとの事ですので、とりあえずは安心させていただきます。ね。gawk

| | コメント (0)

新聞記事と師匠のラジオから。

 昨日(3月25日付)の北海道新聞の夕刊一面に、

 一昔前には、「友引」に葬儀などはしないと言う事が多かったけど、今は気にしない人が増えた・・・実際に札幌で冬季間限定で「友引」の葬儀を受けつけ、結果、友引でも葬儀をした人が多かった・・・

 という記事。私が、こういうテーマでいつも気になるのは、そもそも「暦」というものの中味が吟味されないままになっていることです。

 この「友引」とか「仏滅」とかは、中国の「小六壬(しょうろくじん)」という日の吉凶を占う暦から発展した「六曜(ろくよう)」に基づいているそうです。暦とは、「支配者」が「時間を支配する」という自身の権威を見せつけたもの。そんな中国の暦は、本来、日本とは関係ないし、しかも、本家の中国では、その「六曜」は現在もう廃れているといいます。

 それでは、なぜ「友引」が気になるのか?それは、読んで字の如く、「死者が友を死へと引っぱっていくから」。だから、その日には葬儀をしちゃいけない・・・、というわけです。

  ジャンケンを想像していただくと分かるのですけど、「友引」も、もともとは、「友人を引っぱる」という意味ではなく、 共に引き合う、つまり、ジャンケンでいうと、「引き分け・あいこ」という意味だったのに、 なぜか、「友を引っぱる」という文字があてられました。

 つまり、そんな「当て字」、「ゴロ合わせ」、根拠のないものに振り回されているに過ぎないのが真実です。

 だから、日そのものに、良し悪しはありません。「仏滅」に生まれる赤ちゃんもいれば、「大安」に死ぬ人もいる。

 だから、「友引」に葬儀という流れは、全然問題ないと僕は思うのです。

 亡き人が教えてくれた「人は生まれた以上、必ず死ななくてはならない真実」をまっすぐに学ぶのが葬儀の大切な意味の一つなのですから。

 ※ただ、仏教学者・ひろさちや先生の本を「立ち読み」(あくまでも立ち読み)したとき書いてあったのですが、 友引が根拠のないことはもちろん分かっているが、それを「気にする人」がいる以上、やはり、その慣例に従わなければならない。結婚式を「仏滅」に挙げても不幸になるのは当事者2人だが、葬儀を「友引」にというのは、本人・遺族だけですまない参列した人にも降りかかる問題だから、慣例に従ったほうが良い、、、という趣旨のことが書いてありました(参考までに)。 ひろ先生ラシイ・・・。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・で、さらに、

 今日(3月26日)のみのや師匠のラジオ「午後もトコトン」の募集テーマも、

 「友引に葬儀??気にしない人は増えたとは言うものの、やっぱり気になる昔からの言い伝え、今もこれだけは守る昔の人の言い伝えを教えてください・・」

 だったのでした!!

 夜中にツメを切ると親の死に目にあえない、、霊柩車とすれ違うと親指を隠す、、妊娠中に葬儀に出るときは腹に「鏡」を入れる、、タンポポの汁をスネに塗ると足が速くなる??などなど・・・・。

 リスナーの皆さんから色んな「言い伝え」が紹介されて、結構面白かったけど・・・。

 僕は、お坊さん=「訳のわからん迷信を吹聴し、支持し、助長する人」というレッテルは貼られたくない。むしろ、迷信によって隠されたり誤魔化されたりしていることを正しく見つめる、そんな自分のココロの構造を確認する、、っていう方向でありたいと思っています。

 

 以上のようにですね、私KONOは、「迷信」に対してつい単純に「批判的」になってしまう傾向があるんですけど、 今日、ラジオのみのや師匠が、「妊娠中に葬儀に出るときは、お腹に鏡を入れる」という言い伝えに対して、

 (そういう言い伝えをしてきた)昔の人は優しいなぁ・・・・」

 とおっしゃったのを聴きながら、またそういう師匠が好きになったのでしたhappy01。人が人を大切に思うからこそ伝わってきた「言い伝え」「迷信」もあるんだなぁ、、と気づかされました。

  

 

 でも、「迷信」の中には、人が人を排除したり、「差別」につながる危険性も孕んでいること、物事をありのままに正しく見る視点を曇らせる内容に繋がる場合もある。例えば・・・・・

 「 うわ!!朝からお坊さんに会っちゃった!!縁起わるぅぅぅぅcoldsweats02

 ・・・もしあなたが、突然、街角ですれ違った見知らぬ人からこんな感じのセリフを浴びせられたらどう思いますか??お坊さん=葬式=死に関わる=縁起悪い!!という図式なのだろうと推察いたしますけど・・・。でも、僕は以上のセリフを言われてもまったく気にしませんけど、でも、これは「差別」です。

  みのや雅彦師匠の、「喜び哀しみ込みで人生を噛み締める」や、「回り道こそ感動への近道」 というメッセージを大切に考えている私は、 もちろん、イヤなこと、辛いこと、都合の悪いことは起こって欲しくない「弱い人間」ではありますが、迷信・慣習で隠されてきたり、誤魔化したりしてきた自分を見つめながら、 どんな「人生の場面」も大事にしたいと思っています。

 結局、自分自身が人生に対してどう向き合うか、っていうテーマなのですから。

  

 もちろん、迷信や言い伝えをどう思うか個人の自由だし、その言い伝えを守り、大切に生きている方もいる。それでうまくいっている関係もあるかもしれない。あるいは、根拠のないって事は言われなくても十分わかっているよ!慣例に従っているだけで、本気で信じちゃいないさ!!という方もいる。 各自の自由でありますし、それぞれの考えです。自分自身が人生に対してどう向き合うか、っていうテーマなのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月曜日)

スカウト辞退

今日の昼下がり、某・私立高校の校長先生から電話がきた。

てっきり「ライブ(講演)依頼」かと思ったのだが、違った。

なんとsign01

「我が校の先生になっていただきたいsign03

つまり、「非常勤講師」を探してるとのことだった。 

チャンスだshineshineshine

かつて僕は、地元の看護専門学校で10年くらい非常勤講師をしたが、とても自分の為になったし、何より学生さん達との触れ合いは刺激になった。
「坊さん」として、お寺の範囲でしか動かないのではなく、違う「土俵」が持てることは、実際ものすごく大変だが、とても張り合いがあり、自身の学びを「外」で確かめるまたとない機会をいただけるからスバラシイ。

 

……でもね、辞退したんです・・・。

申し訳なかったけど、丁重にお断りさせていただいた。

  

父親の陰に隠れ、時間にも余裕があり、自由気まま・お気楽な「副住職」だった頃なら…うーん、あと3年くらい前だったらなぁ……bearing

残念ながら、昨年住職になってからの自分は、色んな意味でアップアップ状態。もちろんヒマもあるけど、ほとんど「一枚板」で寺のスケジュールをこなす自分が、一週間に何度もずーっと高校に通い続け、「時間割」通りに授業を受け持つ事は、今は不可能だ。

寺オンリーの日々から抜け出したかったけど…、ムリwobblywobbly

 

「KONO先生誕生!」幻に終わるsweat02

 

ただ、
こんな私に声をかけていただいた事が本当に光栄でした。
しみじみと嬉しかったhappy01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ランドセル

お彼岸に、札幌の兄貴一家がニギヤカに来て行った。

兄貴の下の子(甥っ子)が4月から小学校に入学するので、今回は、新しいランドセルを持参して、見せてくれた。

もう小学校1年か・・・早いなぁ。楽しい学校生活になるといいな。将来はオジチャンの後を継いで「お坊さん」になるか?(笑)←冷たく却下されたcoldsweats01

そんな甥っ子の姿を見ながら、僕の記憶の向こうから、小学校入学前の日々の中で、ランドセルを背負ったり、また箱に入れて片付けたり・・・そんなことを繰り返しながら、ワクワク学校が始まるのを心待ちにしていた自分のことを思い出した。

今は、ランドセルの色はバラエティに富んでいて、色々選べてしまう。男だから黒、女の子は赤!という「決め付け」がなくなり「自由」だ。

甥っ子の真新しいランドセルは、「紺色」だった。

もしも、今の時代、僕が小学生に戻れたなら、選ぶなら・・・、

「赤」かな・・・smile

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月22日 (土曜日)

熱唱グセで日々ライブ(法要)・・・

昨日と今日、セレモニーホール(葬儀場)での葬儀に行ってきた。

私は声がデカいので、「マイクなんていらない」とよく言われる。もちろんノーマイクでも十分対応できる「歌唱力?」と「ノド(声帯)」があるshine

「本山指定マニュアルフェチ同業者」以外の方から「お経」をホメられる事も多い。(ま、ホメてもらえても、ワタシが「坊さん」として正しく仏教を伝えているかどうかとは別問題なので、お経の「声」だけホメられても得意になるほどの事ではない…catface)

でも「広い」会場の場合、やはりマイクは欲しい。ノーマイクでは声の出し方が変わり、その後の「法話」の流れまでも大きく変わる。ノドのストレスに気を取られてしまうからだ。おまけに「熱唱グセ」のあるワタシ・・・coldsweats01
本山マニュアルでは「お経を熱唱せよ!」という指定はないんだけど…(苦笑)

で、
今日は葬儀の他に法事も3件あり、その他のスケジュールも絡まって、ヘロヘロ状態の私wobbly

なのに、セレモニーホールでの葬儀では、マイクが使えなかったのだsweat01  

マイクの「電池切れ」ではない。マイクのスイッチをONにするとキーンsign01thunderと「ハウリング」を起こしてしまうので、ONにしたくてもできなかったのだ。会場スタッフが察知してメイン機器のレベルを下げてくれるのを待ったが、動いてくれない。声が大きいからわざとマイクのスイッチをOFFにしているとでも勘違いしたのかなぁ(苦笑) マイクがONにできないから大声になっちゃってたんだけど…。(アイツら、ライブならPA失格じゃangry!)

だから、「お経」をノーマイクで熱唱?? やはり今日も「熱唱グセ」が出た私……(^^;)  歌い切ってヘトヘト…。←アホですわ。。。

 

  

ライブでも法要でも共通してるのは、始まったら中断するわけにはいかないこと。そして、ライブも法要もライブ(ナマモノ)であるということ。

僕は、「法要」という名の「ライブ」を毎日やっている。
まぁ、そこで歌う曲目(お経)はだいたい決まっているsmile
その後にあるMC(法話)で何についてお伝えしようか… いつも考える。

良くも悪くも「反応」が返ってくると有り難いのもライブと法要の共通点だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金曜日)

プラーおばさんのクッキー

コンビニには時々思いがけないモノがありビックリさせられてしまう。
近所のセブンイレブンのお菓子コーナーに、フランスのノルマンディー地方に浮かぶ島、世界遺産「モン・サンミシェル」で売っている「プラーおばさんのクッキー」があったのだ!!
いや、今なら外国雑貨や食品を扱う店には当たり前に置いてあるクッキーなんだけど、ワタシの住む田舎街では普通には手に入りませんからね。
「モン・サンミシェル」と言えば、ワタシが19歳の夏に語学留学した学校の遠足で初めて訪れて虜になり「再訪」を誓い、29歳の時二度目の旅で訪れ、島内のホテルにも宿泊しその景色や雰囲気、名物のオムレツやプレサレ(牛)を堪能した。10年周期でモンサンミシェルに行く?
あ、今年39歳になるからまた行かなきゃ……!
ムリだなぁ……って思ってたら、近所のセブンイレブンでこのクッキーを発見。
クッキーを食べながら、行ったつもりになるか。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

早朝、春彼岸を考える…

彼岸は「アッチ側の岸」。
此岸は「コッチ側の岸」。

コッチ側の岸にいる私は、自分自身の都合オンリーを基盤とし、他人と比べたり、思うがママにならない現実にぶち当たったりして、悩み苦しみ生きている。

アッチ側の岸とは、仏が覚られた世界。差別・対立・○×という二極の世界を超えて、物事をありのままに正しく受け止め、自分を受け取り、碍(さまた)げなき「一つ道」を歩む世界。

「お彼岸」という行事はインド・中国にはなく日本独自のものらしいが、この春と秋の過ごしやすい季節の変わり目に、「お彼岸ウイーク」がある意味を考えてみる。

「彼岸」とは、単に「墓参り」をして終わるイベントではない。

此岸にいる私に、彼岸から「もうひとつ」の生き方がありますよ、「もうひとつ」の歩みに出遇ってくださいっていう仏からの催促であり、その催促に対して私自身が自覚的に応えていく事だと思う。

 

だから、
「彼岸ウィーク」を、また仏教を学んでいこうとする「もうひとつ」のキッカケ、仕切り直しの期間、として受け止めたい。

  

………と思う3月21日早朝の私。トシをとると朝早く目が覚めてしまいやしてねぇ…… 朝刊はまだかいな(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月19日 (水曜日)

うわ!!春彼岸!

今週は、春のお彼岸ウィーク。

そして、今日と明日は、お寺で「春彼岸法要」が勤まります。

その中で、「法話(お話)」をしなくちゃならないのに、話す内容がまだまとまらないのでちゅわ!!!!

また、ブッツケ本番になりそうな気配・・・。

「人前でお話しなきゃならない」っていうプレッシャー?は、過ぎ去ったと思ったら、またすぐ次の「機会」がやってくるので、ホント、勉強させていただいています、僕が現状に座り込んでしまわないようにね・・・。

それと、

お陰様で、BOSANソングライターKONOへのライブ依頼を、いくつかいただいております。今の自分にどんな「表現」ができるのか、

でも、

やるしかないっす。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月曜日)

師匠がまたお忙しくなる。

春改編からSTVラジオ「みのや雅彦のときめきワイド」が始まるflairなんと!月曜〜金曜午後12時から3時間の帯番組になるのだnote


僕が高校生の頃は京都のラジオの深夜放送3時間番組のパーソナリティーで師匠を知り、この春からは昼間3時間のメインパーソナリティーの師匠と会える(聴ける)訳だ。
(ただ、昼間3時間聞き続けるのは難しいけど(^^;))


またしばらく忙し過ぎる師匠だ。ライブ活動も減っていくのかもしれない。

実は、前に師匠にお会いしたとき、僕は
「今まで2回ウチのお寺で師匠のコンサートを実現させていただきましたが、またいつか、僕の住む街(ウチのお寺)で師匠のコンサートを開くのは可能でしょうか?」
と尋ねた。
「もちろん。今はラジオが忙しくてアチコチからの出演オファーを断っている状態なんだ。俺とお前には"ドラマ"があるから、もし企画とスケジュールが合致したら、決して不可能ではないよ。(趣意)」


………だから、

僕KONOの人生上の「夢」のひとつに、

「いつか師匠を地元に招いて3度目のコンサートを企画する」

って目標がシッカリと輝いているshineshine

それまで、シッカリ積み上げていこう。僕の人生の日々を…。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

«一言の不思議