昨日(3月25日付)の北海道新聞の夕刊一面に、
一昔前には、「友引」に葬儀などはしないと言う事が多かったけど、今は気にしない人が増えた・・・実際に札幌で冬季間限定で「友引」の葬儀を受けつけ、結果、友引でも葬儀をした人が多かった・・・
という記事。私が、こういうテーマでいつも気になるのは、そもそも「暦」というものの中味が吟味されないままになっていることです。
この「友引」とか「仏滅」とかは、中国の「小六壬(しょうろくじん)」という日の吉凶を占う暦から発展した「六曜(ろくよう)」に基づいているそうです。暦とは、「支配者」が「時間を支配する」という自身の権威を見せつけたもの。そんな中国の暦は、本来、日本とは関係ないし、しかも、本家の中国では、その「六曜」は現在もう廃れているといいます。
それでは、なぜ「友引」が気になるのか?それは、読んで字の如く、「死者が友を死へと引っぱっていくから」。だから、その日には葬儀をしちゃいけない・・・、というわけです。
ジャンケンを想像していただくと分かるのですけど、「友引」も、もともとは、「友人を引っぱる」という意味ではなく、 共に引き合う、つまり、ジャンケンでいうと、「引き分け・あいこ」という意味だったのに、 なぜか、「友を引っぱる」という文字があてられました。
つまり、そんな「当て字」、「ゴロ合わせ」、根拠のないものに振り回されているに過ぎないのが真実です。
だから、日そのものに、良し悪しはありません。「仏滅」に生まれる赤ちゃんもいれば、「大安」に死ぬ人もいる。
だから、「友引」に葬儀という流れは、全然問題ないと僕は思うのです。
亡き人が教えてくれた「人は生まれた以上、必ず死ななくてはならない真実」をまっすぐに学ぶのが葬儀の大切な意味の一つなのですから。
※ただ、仏教学者・ひろさちや先生の本を「立ち読み」(あくまでも立ち読み)したとき書いてあったのですが、 友引が根拠のないことはもちろん分かっているが、それを「気にする人」がいる以上、やはり、その慣例に従わなければならない。結婚式を「仏滅」に挙げても不幸になるのは当事者2人だが、葬儀を「友引」にというのは、本人・遺族だけですまない参列した人にも降りかかる問題だから、慣例に従ったほうが良い、、、という趣旨のことが書いてありました(参考までに)。 ひろ先生ラシイ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・で、さらに、
今日(3月26日)のみのや師匠のラジオ「午後もトコトン」の募集テーマも、
「友引に葬儀??気にしない人は増えたとは言うものの、やっぱり気になる昔からの言い伝え、今もこれだけは守る昔の人の言い伝えを教えてください・・」
だったのでした!!
夜中にツメを切ると親の死に目にあえない、、霊柩車とすれ違うと親指を隠す、、妊娠中に葬儀に出るときは腹に「鏡」を入れる、、タンポポの汁をスネに塗ると足が速くなる??などなど・・・・。
リスナーの皆さんから色んな「言い伝え」が紹介されて、結構面白かったけど・・・。
僕は、お坊さん=「訳のわからん迷信を吹聴し、支持し、助長する人」というレッテルは貼られたくない。むしろ、迷信によって隠されたり誤魔化されたりしていることを正しく見つめる、そんな自分のココロの構造を確認する、、っていう方向でありたいと思っています。
以上のようにですね、私KONOは、「迷信」に対してつい単純に「批判的」になってしまう傾向があるんですけど、 今日、ラジオのみのや師匠が、「妊娠中に葬儀に出るときは、お腹に鏡を入れる」という言い伝えに対して、
「(そういう言い伝えをしてきた)昔の人は優しいなぁ・・・・」
とおっしゃったのを聴きながら、またそういう師匠が好きになったのでした。人が人を大切に思うからこそ伝わってきた「言い伝え」「迷信」もあるんだなぁ、、と気づかされました。
でも、「迷信」の中には、人が人を排除したり、「差別」につながる危険性も孕んでいること、物事をありのままに正しく見る視点を曇らせる内容に繋がる場合もある。例えば・・・・・
「 うわ!!朝からお坊さんに会っちゃった!!縁起わるぅぅぅぅ」
・・・もしあなたが、突然、街角ですれ違った見知らぬ人からこんな感じのセリフを浴びせられたらどう思いますか??お坊さん=葬式=死に関わる=縁起悪い!!という図式なのだろうと推察いたしますけど・・・。でも、僕は以上のセリフを言われてもまったく気にしませんけど、でも、これは「差別」です。
みのや雅彦師匠の、「喜び哀しみ込みで人生を噛み締める」や、「回り道こそ感動への近道」 というメッセージを大切に考えている私は、 もちろん、イヤなこと、辛いこと、都合の悪いことは起こって欲しくない「弱い人間」ではありますが、迷信・慣習で隠されてきたり、誤魔化したりしてきた自分を見つめながら、 どんな「人生の場面」も大事にしたいと思っています。
結局、自分自身が人生に対してどう向き合うか、っていうテーマなのですから。
もちろん、迷信や言い伝えをどう思うか個人の自由だし、その言い伝えを守り、大切に生きている方もいる。それでうまくいっている関係もあるかもしれない。あるいは、根拠のないって事は言われなくても十分わかっているよ!慣例に従っているだけで、本気で信じちゃいないさ!!という方もいる。 各自の自由でありますし、それぞれの考えです。自分自身が人生に対してどう向き合うか、っていうテーマなのですから。
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