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2008年3月25日 (火)

第76回:「表現の自由」とポルノグラフィ

 架空の表現に関する規制は、憲法で保障されている「表現の自由」を真っ向から否定するものであり、違憲以外の何物でもなく絶対に許されない。架空の児童被害に基づいて、架空の表現が規制されるなど、ブラックジョークにもならない。

 架空の表現を規制したいばかりに「架空の表現で影響を受けた人間は実際の犯罪を犯し易くなるので規制すべき」とするトンデモ超論理を持ち出し、さらに、その明白かつ危険な論理の飛躍を指摘してこれに反対する者をロリコンのレッテル貼りで言論封殺する規制強化派は、民主主義の最重要の基礎たる「表現の自由」、「言論の自由」、「思想の自由」等々の憲法で保障された精神的自由の明らかな敵である。

 大体、このようにポルノと犯罪を結びつけて規制を正当化しようとするロジックは、児童ポルノではない通常のポルノ規制において世界的に見てもももはや一顧だにされていない論拠であり、全く取り上げるに値しないものである。

 念のために憲法の話をもう少ししておくと、表現の自由を中心とする精神的自由は全ての自由一般の基礎であり、これを規制する立法の合憲性は特に厳しい基準によって審査されなくてはならないとされているのである。特に「検閲」となる事前抑制型の規制が絶対に許されないのは勿論のこと、表現の自由に関する規制に関しては、規制目的が正当かつ重大であり、規制を正当化するに足る根拠が十分に明確であることに加え、表現に対する萎縮が発生しないよう規制範囲も明確でなければならない。(憲法の教科書を読むと、大体ここで、さらに細かなことがいろいろ書かれているが、ここではざっくりとまとめた。さらに詳しいことが知りたい方には、前回紹介した憲法学の教科書を読むことをお勧めする。それにしても、これらの憲法の教科書を読んでも、表現の自由に関する議論は、日本においては、法学会・司法界ですら実に不十分であるように思う。)

 表現の自由に関しては特に厳格に違憲性が審査されなくてはならないことに照らして考えれば、規制強化派の主張する架空の表現規制は、児童保護という規制目的と関係なく、規制を正当化するに足る根拠も無論なく、架空の表現において年齢が意味を持たないことを思えば、その規制は無意味に表現を萎縮させるほど広汎かつ漠然としたものにならざるを得ず、2重か3重くらいに違憲であり、全くお話にならない

 このような規制が入る余地は全くないと思うが、規制強化派に対しては、このような表現規制は「表現の自由」を侵害するもので明らかに違憲であるとはっきり言って全く差し支えない。これほど正当な主張に恥じるところなど何一つない

(さらに念のために書いておくと、今の児童ポルノ規制法(「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の児童ポルノの定義のうち、特に第2条の第3項第3号は不明確であり、より明確に限定するように改正が検討されて良い。私自身欲しいとも思わないが、17歳の女子高生の水着のDVDを規制・摘発することに何の意味があるのか私には良く分からない。

第2条  この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
(中略)
3  この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一  児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二  他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三  衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの)

 大体、言いたいことは以上で尽きているのだが、さらに関連する話としてポルノ一般に関する政策論についても書いておこう。

 わいせつ物一般に関する規制は、刑法の第175条で、

第175条  わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

と規定されているところである。

 さらにその基準は、「チャタレー夫人の恋人」事件に対する最高裁判決「悪徳の栄え」事件に対する最高裁判決の2大わいせつ裁判を経て、「四畳半襖の下張」事件に対する最高裁判決で、

文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決参照)といえるか否かを決すべきである。

と示されたもの(要するに、性器・性交などの直接描写は基本的にダメだが、それが他の描写によって相対的に薄まり、主として好色的興味をそそらなくなっていればOKという、私には良く分からない基準である)が今も通用している。この基準は、最近の「メイプルソープ写真集」事件に対する最高裁判決でも維持されたが、このような曖昧な基準を、最高裁がこのインターネット時代にそのまま維持しようとしていること自体問題だろう。

(大体、法学者の見解も、このようなわいせつ文書規制の根拠として、性道徳・性秩序の維持といった旧来の根拠に基づいた最高裁判決の合憲論をそれなりに認め、その定義の明確化の努力を評価する立場から、表現の自由の制限の根拠を第3者の権利に対する害のみに認め、刑法第175条の規制はそもそも広汎に過ぎ違憲とする立場まで様々であるが、私はほぼ後者の立場を取る。)

  このように曖昧な基準でポルノを規制し、さらに、ネット上のサーバーへ蓄積もわいせつ物の公然陳列に当たるという仰天判例(京都アルファネット事件)が最高裁で出されていたりするという状況では、そもそもアングラなポルノ業界が海外に拠点を移しているという話が聞こえてくるのも無理はない。規制をコントロールする自主規制団体と癒着することで、ポルノ産業から警察が天下りコストを得られたような牧歌的時代はもう既に終わっているのであり、無駄な社会的コストを削減し、通常のポルノ産業の空洞化を防ぐため、かえってポルノに関しても政策的に規制緩和を行うことが真剣に検討されなくてはならない

 要するに、インターネットという情報の自由市場が成立したことによって、通常のポルノ・架空のポルノ表現をわいせつ物として止めるべきとしていた根拠が実に薄弱なものであったことが誰の目にも明らかになってしまったのである。これらのポルノ表現に関する今の曖昧かつ広汎な規制はもはやその根拠のほぼ全てを失っているのであり、これらのポルノ表現はかえって完全に解禁することが今求められていると私は考える。このような実際の被害を何らともなわないポルノ表現については、第3者の「見たくない自由」を守るためや本当の青少年保護のためのゾーニングや年齢確認等の緩やかな規制で十分であろう。

(既に、インターネットによって成立した情報の自由市場によって、もはやポルノは実質解禁されているに等しく、この事実の追認こそが司法と行政と立法に今求められていることであるにも関わらず、官僚裁判官と官僚警察と政治家が、ネットの特性を全く理解せず、リアルでしか通用しない前例の踏襲と利権の維持を図るばかりに、今の現実に全くついて行けていないのは本当に情けない。)

 少し話がずれたが、最後に繰り返しておこう。清潔な文化など文化ではない。人間自身、恥部は隠せても、切り取ることはできない。これを切り取ろうとすることは人間性の否定に他ならない。文化はその一部だけを取り出して否定することは絶対にできない。今の表現に関する自由度の中、その下でアダルトコミック、アダルトゲーム、アダルトアニメ、同人文化などが支えているからこそ、日本のオタク文化は世界に類を見ないほどの高みに今屹立しているのである。無意味な規制は必ず、今の日本の文化と産業に有害無益な大ダメージを与えることになるだろう。

 児童ポルノ法の適用範囲を架空の表現まで拡大しようとすることは、日本の今の文化と産業全体に対する挑戦であり、面罵である。今の日本文化を愛する全ての人に、そして、今の日本文化の最先端を行くオタク文化に連なる、マンガ業界、アニメ業界、ゲーム業界、フィギュア業界、新本・古本・各種ショップ業界等々全ての業界に、私は是非反対の声をあげてもらいたいと思う。このように表現の自由を明らかに侵害する規制強化への反対に恥じることなど何一つないのだ。

(3月25日夜の追記:上のまとめは、あくまで私なりのまとめであることを、念のためにお断りしておく。憲法の教科書には、アメリカの違憲審査基準である「明白かつ現在の危険」の基準が出てきたり、細かな分類が出てきたりして、結局何を言いたいのだか良く分からないものが多い。教科書はあまりにも分かりにくいので、「表現の自由」一般の話もまた近いうちに自分なりのまとめを書きたいと思う。なお、アメリカでも2002年に、架空の表現に対するバーチャル児童ポルノ規制は、架空の表現が違法な行為を誘発することなどの理由は規制の正当化根拠たり得ず、規制は過度広汎にすぎるとして違憲判決を受けており、この判決がひっくり返ったという話も聞かない。また、当然のことながら、前回紹介した人権規約にも違反するので、架空の表現規制に関する国際的な取り決めもあり得ない。虚構と現実の区別がつかない国内の自称良識派が単独でわめいている、身勝手かつ一方的で何一つ根拠のない主張によって、表現そのものが規制されることなど絶対にあってはならないことである。)

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