11月2日、筑前町のいじめ事件に関する自民党調査団として県教委や両親から聞き取り調査を行いました。県や町の教育委員会、両親と相次いで面会し、元担任教諭がいじめを誘発したことについて、鳩山邦夫は「学校や町教委が深刻な問題として取り上げていない。特に、学校の体質改善が必要ではないか」と厳しく批判しました。
全国に広がるいじめ問題については政策提言で引き続き掲載させていただきます。
11月2日、筑前町のいじめ事件に関する自民党調査団として県教委や両親から聞き取り調査を行いました。県や町の教育委員会、両親と相次いで面会し、元担任教諭がいじめを誘発したことについて、鳩山邦夫は「学校や町教委が深刻な問題として取り上げていない。特に、学校の体質改善が必要ではないか」と厳しく批判しました。
全国に広がるいじめ問題については政策提言で引き続き掲載させていただきます。
カテゴリ:政治活動
はじめまして。教職暦(定時制高校勤務)を通して感じことを何点か申し上げます。何かの参考になれば幸い存じます。
1、現行の学校教育とくに教師が槍玉にあげられているのは決して場はずれではありません。一般社会との間に生まれる社会常識との格差は教師世界では常識です。大卒後すぐ教壇に立つ人間は親からも子供からも一応先生と特別視されそれが当たり前になって教師が出来上がっていくのです。つまり社会常識が身についていない未熟者が教えの立場に立つのです。したがって教科を教えることが出来ても人格形成に一番必要な常識を教えいることが出来ない。
必然的に生徒には教科の指導しか出来ない。管理職とて基本的には同じこと。教科は勿論のこと、教育にとって重要なことは人格形成です」。
2、私が人格形成という中身は、社会に出たときに人間として最低限度のルール(道徳という言葉の代わりに使います)を身に着けて、学校人から社会人になることをきちんと教えていくことが不可欠です。このためには社会生活上の基本ルールつくり(戦前はこの部分を道徳といった)を重視する教育環境(学校教育、社会教育、家庭教育)を作り上げることが求められます。学校教育を現状よりよくするための改善を怠っては成らないが、同時に地域社会教育いわゆる子供のコミュニテイ(たとえば昔の青年団、名前は忘れたが鹿児島県にはいまなお昔の組織の名残があり、地域社会教育として効果があったように思う。社会生活上のマナーやルールをこの集団の中で教えるのも現実的だ。家庭崩壊の現状を見れば、家庭教育に求めてもほとんど効果はないだろう。
教育再生は学校の問題というよりは、日本を支えていく人間にどのように自己活躍の場を与え、健全な社会を作りその健全な構成員を作るかにあるわけで、教科内容の高程度化でもなければ、詰め込み教育をすることでもない。教育の根幹は人格形成にあり、それをもって個人も社会も健全化するのである。それを学校教育にのみ求めていいものだろうか。教育といえば、学校をイメージするのはやむを得ないが、人格教育を現今の学校教育に求めても無理。したがって教育現場だけに目を向けるのではなくて教育以前の「しつけ」をどこで行うのか検討する必要がある。家庭教育とすれば、親は子供に教育する力があるかどうか疑わしい。それでは「しつけ教育」を受け持つのはどこか。それは社会に求めざるを得ないだろう。たとえば校区ごとに地域の大人が参加して子供のしつけに直接かかわる時間を設定するのもよいし、課外授業もよい。同時に教師をどのように世間常識を身につけさせるかだが、教育現場を離れて、企業や、国家機関の職務に従事して(2年間くらいが研修としては必要か)、いわゆる社会常識を身につけて教育現場に戻すことを考えれば教師としての人格向上にもつなげられるし、保護者会での両者の常識の埋め合わせが出来るだろう。
生半可な教育論になったが、大学(東大教育学部学校教育学科卒)で学んだこと、現場で教壇に20年間たった経験にもとずいて、今見ている教育現状と政府が考えていることに何か1事でも参考になればと思って書いてみました。
名前:武田圭史 2007/09/28 17:55
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