チベットは1947年まで独立国でありインドやイギリスと国交を持っていました。
歴史上において1947年までチベットが中国の一部となった事実はありません。(元はモンゴル、清は満州族の国です。中国ではありません)
1949年、中国チベットに侵攻。
中国はチベットを外国の帝国主義から解放するためだと述べましたが、チベットを脅かす外国勢力など存在しなかったのです。
1950年、通商代表団団長W・D・シャカッパ氏が国連へ中国の侵略行為を打電する。
打電の一部を転載させていただきます
。「 チベットを共産中国に編入するために、強大な武力を用いてチベットに軍事侵攻したことは、明らかな侵略事件である。チベット人民が自らの意志と希望に反し、無理矢理中国の1部に組みこまれるというこの事態がこのまま進行するならば、この侵略行為は強者による弱者征服の最悪の実例となるであろう。それゆえ、我々はチベットのために介入し、中国の武力侵略を阻止するよう、国連を通して世界各国に訴えるものである 。」
しかし、この打電はインド代表の主張により延期されました。
イギリスはチベットの状況を知っていましたが、チベットの法的地位は不明瞭であると述べました。
ダライラマに合うためにインドに亡命しようとしている難民に対しても中国国境警備兵は無情にも発砲をしています。例えそれが幼い子供でも。
中国はチベットから仏教を消し去ろうと様々な圧力を加えています。
何万という民衆が殺されました。
生きながら焼かれ、鞭打たれ、生き埋めにされ・・・。
幼子に両親を射殺させ・・・。
両目に釘を打ち込まれ・・・。
五万ボルトの電流が流れる警防を女性は膣に突っ込まれ・・・。
独房監禁、ゴム管を使ってロヘの放尿、血液・体液の強制抽出、雪の中への裸での放置、中国人たちによる強姦を拷問と呼ばずになんと呼べばいいのですか?
平和的なデモに参加しただけで尼僧や子供までもが投獄され拷問され殺されています。
それは今も続けられています。
(余談ですが、これらの拷問はチベットだけではなくウイグル自治区でも行われています)
ダライラマはこう語っています。
中国人を憎んではいけない。彼らもきっとどこかで罪の意識を感じているはずだから。