二式大艇

Keywords: 二式大艇, K作戦, 九七式大艇, 川西航空機, 新明和工業, 第二次世界大戦, 紫電改, 船の科学館, 飛行艇

画像:KawanishiH8K.jpg

二式大艇(にしきだいてい, にしきたいてい, Kawanishi H8K2 "Emily")は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年。レシプロエンジン装備の飛行艇としては世界最高の性能を誇った。正式名称は二式飛行艇二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。 先発の九七式大艇と共に川西航空機で生産された。

目次

要求性能

二式大艇の前の制式機である97式飛行艇は当時の列強の飛行艇の水準を越えた優秀機だった。長い翼を持った4発飛行艇で、最大速度は385km/時・魚雷2発を搭載した攻撃ミッションでの航続距離は約5000kmだった。二式大艇は、97式飛行艇の後継として当時の飛行艇の水準をはるかに上回る性能が要求された。海軍の要求性能の一部を列記する。

誕生まで

飛行艇はそもそも荒れる海面からの離水を想定したハンディキャップを持った機体であった。海軍の要求は、当時の飛行艇にとって無いものねだりに近い過酷なものであった。製作担当の川西飛行機は、97式飛行艇を設計した菊原静男技師を設計主務者に任命し、設計制作を行った。2式大艇の技術的特徴を列記する。

活躍

大型高速で充分な防御火器を装備した本機は連合国パイロットからフォー-ミダブル(恐るべき)機体と呼ばれた(英国航空評論家ウィリアム・グリーン)。開戦直後の1942年3月には、大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲した。その後も高速と航続力を生かして太平洋の各地を偵察・爆撃した。

現在の二式大艇

全タイプ合計167機以上生産されたうち、終戦まで生き残ったのは4機。その中の 詫間31号機 がアメリカに引き取られ性能確認試験が行われた。その後日本に返却され、長らく東京の船の科学館に展示されていたが、2004年4月末からは鹿児島県にある海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に収容されている。

 データ 

二式飛行艇22型

余談

菊原静男技師は、その後海軍局地戦闘機紫電改の設計を担当。終戦後 川西航空機の後身新明和工業で、再度国産飛行艇PS-1の制作に携わり世界最良のターボプロップ飛行艇を完成させた。

二式大艇に関する本

関連項目

外部リンク


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