二式大艇
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二式大艇(にしきだいてい, にしきたいてい, Kawanishi H8K2 "Emily")は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年。レシプロエンジン装備の飛行艇としては世界最高の性能を誇った。正式名称は二式飛行艇。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。 先発の九七式大艇と共に川西航空機で生産された。
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要求性能
二式大艇の前の制式機である97式飛行艇は当時の列強の飛行艇の水準を越えた優秀機だった。長い翼を持った4発飛行艇で、最大速度は385km/時・魚雷2発を搭載した攻撃ミッションでの航続距離は約5000kmだった。二式大艇は、97式飛行艇の後継として当時の飛行艇の水準をはるかに上回る性能が要求された。海軍の要求性能の一部を列記する。
- 最高速度 時速444km/時以上 当時の主力戦闘機96式艦上戦闘機と同等。同時期の英国4発飛行艇サンダーランドの最高速度336km/時と比べると100km/時以上速い。
- 航続距離 偵察時7400km以上、攻撃時6500km以上、何れも一式陸攻やB-17の5割増。
- 20mm機関砲多数を装備した強力な防御砲火
- 良好な操縦性
誕生まで
飛行艇はそもそも荒れる海面からの離水を想定したハンディキャップを持った機体であった。海軍の要求は、当時の飛行艇にとって無いものねだりに近い過酷なものであった。製作担当の川西飛行機は、97式飛行艇を設計した菊原静男技師を設計主務者に任命し、設計制作を行った。2式大艇の技術的特徴を列記する。
- エンジンは当時最強だった三菱の火星シリーズを選定
- 細長い主翼と狭い胴体。主翼のアスペクト比(主翼の付け根から先端までの長さを翼弦平均値で割った値、主翼の縦と横の比率・細長さを示す指標)は9に達し航続力と速度の調和を図った。一般の飛行艇の胴体は、着水時の安定性を考慮し幅広に作られていたが、本機では空気抵抗を減らすためスマートになった。
- 零式艦上戦闘機と同じ超々ジュラルミンの採用
- 操縦性を良くする親子フラップの採用
- 胴体前部下面の波消し装置(通称かつおぶし)の採用
活躍
大型高速で充分な防御火器を装備した本機は連合国パイロットからフォー-ミダブル(恐るべき)機体と呼ばれた(英国航空評論家ウィリアム・グリーン)。開戦直後の1942年3月には、大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲した。その後も高速と航続力を生かして太平洋の各地を偵察・爆撃した。
現在の二式大艇
全タイプ合計167機以上生産されたうち、終戦まで生き残ったのは4機。その中の 詫間31号機 がアメリカに引き取られ性能確認試験が行われた。その後日本に返却され、長らく東京の船の科学館に展示されていたが、2004年4月末からは鹿児島県にある海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に収容されている。
データ
二式飛行艇22型
- 全幅 37.98m
- 全長 28.12m
- 発動機 三菱火星22型 1850馬力 4基
- 最高速度 454km/時
- 航続距離 偵察ミッションで 7153km
- 武装 20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃3門、魚雷または爆弾 2t
余談
菊原静男技師は、その後海軍局地戦闘機紫電改の設計を担当。終戦後 川西航空機の後身新明和工業で、再度国産飛行艇PS-1の制作に携わり世界最良のターボプロップ飛行艇を完成させた。
二式大艇に関する本
- 長峯五郎 『二式大艇空戦記—海軍八〇一空搭乗員の死闘』
- 碇義朗 『最後の二式大艇』
- 木下悦郎ほか 『炎の翼「二式大艇」に生きる』
関連項目
- K作戦(二式大艇による真珠湾攻撃)
外部リンク