今年も最後 投稿者:GO 投稿日:12月31日(金)17時59分5秒 >Samponさん #魚雷 そうですか、45cmと出ましたか!?でも、実寸が知りたいなぁ。(汗) 酸素魚雷かどうかは、エンジンを見れば一目で分かります。2気筒型ですからね。 では、皆さん良いお年を 年の瀬にあわただしくレスなどを 投稿者:hush 投稿日:12月31日(金)16時25分9秒 Samponさま 本年はいろいろと御世話になりました。 個人的都合により年頭の挨拶は略させて戴きますが、来年が良い年あることを切に祈ってお ります。 また、お風邪を召されたとの事でありますが、どうかゆっくり御養生下さいませ。 >大和の砲弾を積んだ船 お手数をお掛けいたしました。 山霧丸については一度調べたいと思っております。 何でもトラック空襲時には乗員の中に赤痢が蔓延しており大変な状況だったとか聞くのです が、被雷後長らく同環礁内に留まっていたようで、荷揚げされなかったのだろうかと言う疑問は あります。 ただ、搭載中の火薬類に引火して沈没とありますので、弾薬類も搭載していた可能性は強い ですね。 GO船長 >明らかに寸法が小さく そうかなと思ってメジャーを正横の写真に当てて計算してみたところ、ほぼ45cmと言う結果が 出ました。 やはり模型を造られる方は違うなと思いつつ、謝する次第であります。 >本当に酸素魚雷なのか どうなのでしょうね。 あまりにも専門外の事ですので、コメントは難しいです。 http://hush.gooside.com/ 良いお年を 投稿者:tuka 投稿日:12月31日(金)10時29分47秒 Samponさん、今年は色々とありがとうございました。風邪をひいて体調が優れないようです が、良いお年をお迎えください。 メールしました。 投稿者:おいどん 投稿日:12月30日(木)08時28分11秒 samoponさん、鴨池空港跡なら元私の住居近くでしたので、手持ち画像ありました。 添付画像でメールしましたので、もし利用可能なら御利用ください。 私は空港跡地横の三和町に居住していました。 鴨池海軍航空隊時代の名残は史跡碑と格納庫のみとなりましたが、 格納庫は鹿屋基地の格納庫とほぼ同じで、今もガッチリと建っています。 戦前の格納庫は頑丈ですね。(^_^;) 良いお年を! 編集済 また記憶ちがいでしょうか 投稿者:Sampon 投稿日:12月30日(木)04時15分5秒 hush様、GO様、 確かにパラオには大和型の主砲弾を積んだ船が沈んでいる、と記憶していたのですが。どうも 怪しくなってきました。実家にある"DESECRATE 1"という本がパラオの沈船のバイブルみたい な(というより多分唯一の)本なのですが、何処にもその記述がありません。ダイビング雑誌で 読んだのかと思っても、やはり該当する記事なし。パラオでなくて、トラックだったのかな?トラ ックでしたら「山霧丸」に戦艦の主砲弾が積まれているのが見られます(私は行ってません)。 やっと回復(途上?) 投稿者:Sampon 投稿日:12月30日(木)03時33分5秒 日曜に帰宅してから丸三日間ずっと家で寝ていた効果あってか、やっと体温36度台まで下がり ました。それでもまだ喉がいがらっぽく、どうも今回の感冒は治りにくいようです。 上保様:先日はお招きありがとうございました。こちらこそ、風邪をひきながら訪ねたりして申し 訳ございません。初詣は、まだ考え中です。新年も、どうかよろしくお願い申し上げます。 おいどん様:ありがたいお言葉をいただき、嬉しい限りです。今年はおいどんさんにゆかりの鹿 児島や鹿屋に何度か行けたのも大きな収穫でした。南国交通のバス庫に使われている旧鹿 児島航空隊格納庫を見にいけなかったのが心残りですが。おいどん様も、どうぞ良いお年をお 迎えください。 強烈なHPでした。 投稿者:おいどん 投稿日:12月28日(火)21時47分34秒 samponさん、今年一番強烈なHPだと思ったのが、コチラのHPでした。 今まで色々な戦跡のHP検索しましたが、samponさんのHPほどインパクトのあったのは 初めてでした。>零戦モノでは彩雲指令のHPです。^^; 今後も健康と仕事の余暇を縫って秘蔵の写真を是非アップしてください。 良いお年をお迎えください。<(_ _)> おいどん@ すみませんでした。 投稿者:上保 投稿日:12月27日(月)16時52分40秒 体調不良にも拘らず夜戦基地に来隊頂き、大変申し分け御座いませんでした。 初詣は、無理をなさらずに・・・早く治るように願っております。 またダウンです 投稿者:Sampon 投稿日:12月27日(月)02時00分27秒 いま東京の実家に来ているのですが、土曜日ちょっと会合に出たら風邪が悪化して38度台の 発熱、今日も無理して友人の結婚披露宴二次会に出たら力尽きてダウンです。ちゃんと薬も 飲んでいるのですが、熱がなかなか下がりません。あと2、3日はこんな調子かも知れません。 大変ですね 投稿者:GO 投稿日:12月24日(金)22時23分3秒 >Samponさん それは大変でしたね。もう、大丈夫ですか? なにより子供のことが第一ですからね(笑)お大事に! 私は治ったのですが... 投稿者:Sampon 投稿日:12月24日(金)04時50分21秒 先週末ゆっくりできて風邪はだいたい治りましたが、今度は娘(1歳4ヶ月)が発熱、てんやわん やでおりました。病院では肺炎一歩手前と言われて焦りましたが、どうやら熱は下がりました。 そんな訳で広瀬神社への旅には行かれず、いただいた書き込みのご返事も遅れてしまって大 変恐縮です。 魚雷 投稿者:GO 投稿日:12月23日(木)22時00分42秒 >hushさん #直径 そうなんですか?明らかに寸法が小さく見えたので、45cmかなと思ったんです。 #ちゃんと説明できる人が常駐するか、正確な解説板を設置されること 戦争体験じゃなくて、魚雷のことです。本当に酸素魚雷なのか気になります。 #水軍水雷史 持ってます。でも、実物を見るのと、図面を見るのでは理解度が全く違います。両方見るのが ベストですけどね。 >Samponさん #46cm主砲弾を積んだ輸送船 確かに私も気になります。写真の公開を心待ちにしてます。 魚雷 投稿者:hush 投稿日:12月23日(木)13時46分35秒 船長 >小さい方が45cm どうでしょう。 計測したわけではありませんし、写真2を見ていても、若干、後方の魚雷の方が細いかなとは 思いますが、8cmも違うかなと言う気もするのです。 ただ、推進部付近の形状は若干異なるように思えます。 もっとも、これだけ朽ちていると確かな事とは申しかねますが。 したがいまして、私としては判断しかねます。 >ちゃんと説明できる人が常駐するか、正確な解説板を設置されること 以前、沖縄に参りました時、修学旅行団に現地の方が説明されておられるのを横で聞いてお りましたが、戦争の悲惨さが充分に伝わってきました。 普段はやんちゃな生徒さんだろうと思うのですが、神妙な顔をして聞いているのを見て、この 国も捨てたものじゃないと思いましたね。 >普段見えないところが 「海軍水雷史」はお持ちでしょうか。 結構、いろんな説明図が入っておりますが。 Samponさま 私も拝見させて戴くわけにはいかないでしょうか。 御願いばかりで申し訳ありません。 なお、あの魚雷の写真は御自由にお使い下さってよいと思いますが、一応、聞いておきま す。 >46cm主砲弾を積んだ輸送船 それって何と言う船ですか。 http://hush.gooside.com/ 沖縄の魚雷 投稿者:GO 投稿日:12月21日(火)20時20分15秒 >hushさん 魚雷の写真、拝見しました。 大きい方が53cm、小さい方が45cmでいいんでしょうか? 私も風邪引きました 投稿者:GO 投稿日:12月21日(火)19時48分25秒 >Samponさん #風邪 前シーズンは風邪知らずでしたが、今シーズンはやられてしまいた。 でも、早めに処方したので、もうほとんど治っています。 #魚雷の写真 メールで添付されてもいいですし、hushさんのようにサイトに掲載して頂いても結構です。Sa mponさんが簡単な方法でお願いします。 >hushさん #魚雷の写真 ありがとうございます。お手数かけました。さっそく拝見させて頂きます。 #修学旅行のコース 確かに多くの学生さんが訪れるのはいいことですが、ちゃんと説明できる人が常駐するか、正 確な解説板を設置されることが必要ですね。 求めよされば… 投稿者:hush 投稿日:12月21日(火)17時42分34秒 GO船長 魚雷の写真ですが、私の趣味の写真のページの方へ掲載させてもらいました。 http://www.geocities.jp/hushphot/Photos/Torpedo/Torpedo.html トリミングと人物の削除は行っておりますが、原版通りのサイズですので非常に重たい点、お 許し下さい。 なお、「沖縄祈念公園 魚雷」でGoogle検索をしてみますと、この魚雷の画像がいろんな所に 掲載されているのが分かり、非常に興味深いものがあります。 特に、最近は修学旅行で行かれる所が多いようで、その関係が結構あります。 中にはこれを回天と間違う人などもおられますが、多感な学生さんが沖縄と言う場所に実際 に足を運んでもらうと言う事は非常によいことだなと思っております。 Samponさま お大事にしてください。 私の方は周囲が引いているのに、なぜか大丈夫です。 なぜだろう(笑)。 >黄金 私も意外でした。 http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/wakuya/wakuya.html >広瀬神社 ありがとうございます。 大変、御迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い申し上げます。 >メール 最近、メイラーの調子がよくないので届かない可能性があります。 差しさわりがないようでしたら、こちらにお書き戴ければ幸いです。 http://hush.gooside.com/ 週末ダウンしていました 投稿者:Sampon 投稿日:12月20日(月)22時52分21秒 先週は風邪を引きながら、水曜日から連日久留米、大分、熊本と出張していてついにダウン、 土曜日も長崎出張の予定でしたがキャンセルして土日の2日間をひたすら寝て過ごしました。 掲示板に書き込みくださった方々、ご返事が遅くなって申し訳ありませんでした。 H.S様 陸奥の写真、少しはお役に立てたようで何より嬉しく存じます。ストロボの当たり方が不均等 で、影の部分が出来てしまっているのが不満なのですが、再度挑戦するチャンスがなかなか無 いのです。もっと良い写真と差し替えたいのですが。 hush様 あれ、金が採れたのは宮城でしたか。黄金というと中尊寺のイメージから岩手県のあのあたり だと思っていました。 パラオ沈船の情報、お知らせくださって本当にありがとうございました。パラオもトラックに負け じと沈船が多いのですが、トラックと違うのはダイビングの環境がそれ程良くないようなのです ね。わたしは1度だけパラオの沈船に潜ったことがありますが、視界が2、3メートルしかなくて (瀬戸内より悪い!)すぐに切り上げたものでした。大和型の46cm主砲弾を積んだ輸送船と か、貴重な歴史遺産も多く沈んでいますが、パラオといえばダイバーたちはダイナミックな地形 と魚群の濃さを求めて行くので、沈船に興味を示すのは極くわずかなのでしょうね。 風邪はどうやら治ったようですので、木曜に竹田市に行ってみるつもりです。写真、撮っておき ますね。hushさんの写真も、是非当ページでご紹介したいので後でメール差し上げます。 GO様 沖縄の魚雷でしたら、わたしも同じものを5、6枚撮ったのがあります。画像をお送りしますか ら、プリントを欲しいかどうかお知らせください。hushさんのと大差ないと思いますが。 OK 投稿者:GO 投稿日:12月18日(土)23時05分56秒 >hushさん ボロボロだから普段見えないところが見えるんですよ(笑) 火曜日以降でいいので、よろしくお願い致します。 魚雷の写真 投稿者:hush 投稿日:12月18日(土)00時09分41秒 あの掲示板に載せた2枚ともう1枚ありますが、原版は仕事場なので、火曜日以降になりま す。 しかし、あんなボロボロの魚雷の写真でいいのですか? http://hush.gooside.com/ プリーズ 投稿者:GO 投稿日:12月17日(金)21時03分34秒 >hushさん 魚雷の写真欲しいー! 何枚あるんですか?送って頂けませんか、お願いします。 みちのく 投稿者:hush 投稿日:12月17日(金)19時28分54秒 GO船長 >情報提供 ええ、この間の仕返しにと思って(これこれ) 一次大戦って意外と資料がありませんが、何かあったらまた連絡します。 Samponさま >南部鉄瓶も奥州 そうだ、明治以前の陸奥は広いんでしたね。 (金が採れたのも宮城県) >陸奥の鉄 陸奥地域の鉄を調べておりましたら、次のようなページを見つけました。 (そちらのページの陸奥の鉄で作られたヒューマン・カウンターもヒットしました) http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/beta-counting.html http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/renew/information/interna_heal_j/a8.html http://www.sanin-chuo.co.jp/column/meisou/2002/05/19.html これで参りますと、アイオワ級でもいいようにも思えますね。 うーむ。 >石廊 ようこそ寒鰤屋倶楽部へ! (最近、一人だけ浮いているような気がする) ま、私など体を動かすなんて事は一切考えない人でありますが、アクティヴな方にとってはじ れったくなるのでしょうね。 ま、私としては遺族が生き残っているうちにとは思います。 ただ、こちらの掲示板にお書きになられている方々のように戦争と言うものを御自身の身近 な問題として捉えて下さる若い方が出て来られるのは素敵だなと思います。 >広瀬神社 その際には、可能であれば、是非。 (これこれ) 他所様の掲示板ですが、魚雷とクルップ砲をアップさせて戴きました。 http://sus3041.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/imgboard/imgboard.cgi 画像、要りますか? http://hush.gooside.com/ お持ちでしたか 投稿者:GO 投稿日:12月17日(金)17時45分58秒 >H.Sさん 「陸奥爆沈」はお持ちでしたか。 あの本にこの事件の一部始終が書かれていますので、読めば疑問も解消すると思いますが、 逆に疑問も増えるかも(汗) 陸奥の写真ありがとうございました 投稿者:H.S 投稿日:12月16日(木)16時45分35秒 Samponさま 昨日、陸奥の写真を受け取りました。 お忙しい中、ありがとうございました。 とてもきれいにプリントされたもので感激いたしました。 改めて写真を見ておりますと、当日は、海面からだけ眺めて、 穏やかで美しい海にただ感傷的になっていた自分が恥ずかしくなりました。 あのはるか下は、何の音も聞こえない暗く閉ざされた世界で、そこに61年前に沈んだきり、 ただひたすら待っているしかなかったんだと思うと、 不平不満をこぼしながらも今こうして生きている自分は、たいへん幸せな存在なのだと 実感できました。 Samponさんのような志しを持った方に近くまで来てもらえて、海底に眠る英霊たちも 喜んでいたのではないかと思います。 インターネットをしていなければ、こうした活動をされている方がいることや 写真の存在も知らずにいたでしょう。めぐり合えたことに感謝しております。 叔父にとってはただひとりの兄妹になってしまった私の叔母に、 さっそく見せてあげたいと思っております。 GOさま 吉村昭著「爆沈陸奥」も「海市のかなた」同様、柱島に行く前に買い求めておりますが、 恥ずかしながら、まだじっくりとは読んでいませんでした。 陸奥の存在を世に語り継いでくれる貴重な一冊だと思っております。 ご指南ありがとうございました。 お! 投稿者:GO 投稿日:12月14日(火)23時03分38秒 >hushさん 水上機母艦に関する情報ありがとうございました。 >Samponさん #水上機母艦 ほんと腕の見せ場ですが、資料が集まらないと・・・・。(汗) #陸奥 三式弾が白、装薬が茶色の煙と私も記憶しています。 N.K様 投稿者:Sampon 投稿日:12月14日(火)21時48分16秒 陸奥のテープ貸してくださるとのこと、ありがとうございます!受け渡し方法については後ほど メールでご相談いたします。ご多忙のご様子ですがご無理なさらないように、お元気で年の瀬 をお迎えください。 ところで、N.K様が別の掲示板で言及されていた「絵のない絵本」を取り寄せました。「絵の無 い」といいながらいわさきちひろの挿絵付きですが...まだ一話しか読んでいませんが、とても 幻想的で美しい物語です。娘がもう少し大きくなったら読んで聞かせます。情操教育にはうって つけの本とお見受けしました。 Mutsu=Au≠Fe? 投稿者:Sampon 投稿日:12月14日(火)21時31分9秒 hush様 陸奥といえば「鉄」より「金」、でしたか。そういえば来年の大河ドラマは義経でしたっけ、黄金の 平泉文化が出てきますね。でも、南部鉄瓶も奥州ですよ。 陸奥の鋼鈑は戦前製というだけでなく、放射線を浴びてないことが大事なのですか。ちょっと納 得いかない気もしますが、まぁhushさんもおっしゃっているとおりここでは突っ込まず、そのうち 調べてみることにいたします。 千鳥ケ淵で叔父様のご冥福を祈られたとのこと、大変貴重な時を過ごされたものと思います。 あそこは花見の名所ですが、最近は人出が多すぎてその季節だけは行く気になりません。ま た、パラオについての書き込みを興味深く拝見いたしました。遺骨収集されるのはプロの作業 ダイバーでしょうから私など出る幕は無いでしょうが、何かお手伝いできることはないかと、じれ ったい気分です。 「軍神」広瀬中佐に関する考察も大変貴重なお話しをありがとうございました。広瀬神社には、 早ければ23日に行こうと思っております(駄目なら来年)。三重には先日お会いしたキリバスの 会代表を筆頭にお会いしたい方が何人かおられますので、そのうち訪ねるつもりです。もちろ ん、hushさんにも是非。 編集済 国鉄型列車砲様、ようこそいらっしゃいました 投稿者:Sampon 投稿日:12月14日(火)20 時59分36秒 当掲示板へのご来訪ありがとうございます。 HPをちょっとだけ拝見しました。国鉄が無くなった前年といえば、わたしがそろそろ高校を卒業 しようという頃ですが、その頃のお生まれとはお若いですね。ちょうどその頃のわたし位の年と いう訳ですか。 少年の憧れるものだからか、鉄道ファンと飛行機や兵器に興味を持つ層というのは結構重な っているようですね。しかし、鉄道ファンのサイトなら掃いて捨てるほどあるでしょうから、差別 化して独自の味を出すのは中々難しいのでしょう。戦跡探訪にしても最近は一種のブームです から、これもやはり目立つのは難しいのではないでしょうか。でも、まだ若いのですからHPで人 と競うよりも、先に色々な経験を(趣味の世界だけでなく)積むことに力を注いだら如何でしょ う。と、すみません、頼まれもしないのに説教めいたことを偉そうに述べてしまいました。中年に 向かう男の悔し紛れの発言と思ってください。 これからのご活躍、ホームページの充実を心からお祈りしております。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:12月14日(火)20時57分34秒 水上機母艦の地道な活躍、日の当たり難い分野だけにご研究の甲斐もあるものと思います。 搭載機の水偵や水観がそもそも地味な存在であり、また輸送任務が多く華々しい海戦と縁が 無いとくれば、それこそマイナー艦船専門家の腕の振るいどころではないでしょうか。大作が出 来上がるのを、首を長くして待っております。 ご紹介されていた「陸奥爆沈」の三式弾を発火させて生存者に検分させるくだりは、読後四半 世紀経ってもありありと憶えております。確か、三式弾の煙が白色で、主砲装薬の煙が茶色な のではなかったですか? DVDでなくVHSでしたが・・・ 投稿者:N.K 投稿日:12月14日(火)02時12分30秒 陸奥爆沈のNHKスペシャルをちゃんと録画したVHSテープが出てきました。 Sampon様、テープでも差し支えなければお貸しいたしますが、如何ですか? 今週は多忙にてちょっと無理そうですが、来週にもお送りできると思います。 軍神 投稿者:hush 投稿日:12月13日(月)17時19分44秒 訂正があります 被爆→被曝 ついでに書き込もう(コラコラ) >軍神 「日露戦争 その百年目の真実」と言う単行本の中に次のような記述があります。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594048374/qid%3D1102915831/249-1576605 -7333950 (前略)この「軍神」という言葉は、連合艦隊幕僚で広瀬の海軍兵学校の同期、永田泰次郎 が大本営幕僚に宛てた電報の中にあった。「人呼んで軍神と唱ふ。是敢へて過言にあらざる べきこと…」。これが三月三十日の各新聞長官に掲載された。(後略) この電報が海軍軍令部参謀だった小笠原長生(ながなり)によって新聞にリークされたので はないかと考えたのは、田中宏巳防衛大学教授だったそうです。 田中教授は名著「東郷平八郎」で東郷神話の形成に小笠原中将が果たした役割を解明した 人ですので、なるほどなと思います。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480058087/amasincom-22/249-1576605- 7333950 小笠原参謀は自己の裁量で「大本営海軍幕僚広報」にこの電文を掲載し、これが本来は軍 の機密である戦死の概要、それも1少佐と言う顕官にあらざる人物のそれを国民の目に触れさ せる事をしたと言う事になるのですが、その理由について、教授は旅順閉塞戦の失敗を国民 の目から逸らすためにしたとしています。 「明治三十七・八年海戦史」と言う日露戦争の公刊戦史は、その記述通りに航跡図を作ると 辻褄が合わないと言われますが、彼はその戦史の編纂の中心人物であったと言われます。 そう言う事も出来る人物であるならば、可能性としてはありえる話かなと思います。 広瀬神社は大正時代から計画されていたようですが、出来上がったのは1935(昭和10)年だ そうです。 多分、没後30年にあわせたのと、前年に死去した東郷平八郎を顕彰する東郷神社創建の議 が進んでいた事、当時の大分県知事が警察官僚の出身で、このような事が好きだったからな のだろうなと思うのですが、時代がそう言う時代だったからなのでしょうね。 しかし、ま、それがクラス・トップであった財部彪をして「人が神を強いて作る」と言わしめたも のなのですが。 ところで広瀬神社にお参りになられるかも知れないとの事。 あそこには戦艦比叡の後檣があるとのこと、もしも行かれるようでしたら写真が欲しいな(こら こら)。 http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki2/hirose/hirose.html 杉野孫七は三重県人ですが、実はもうひとり三重県出身の軍神がおります。 稲垣清と言う人物で、真珠湾に特殊潜航艇に乗って突っ込んで行った人物ですが、この人の 相方が捕虜第1号として有名になった酒巻和男少尉だったりします。 この稲垣と言う人の親戚が近所にありまして、戦争中は随分持て囃されたとか聞いておりま すが、2人乗りの特殊潜航艇5隻でなぜ9軍神だとか疑問にも思うことが許されなかったのだろ うと思います。 ま、人の死に往くのに数々の物語はありますが、ジェシカ・リンチのように利用される場合も 多々あって、なかなかに難しいものがありますね。 http://hush.gooside.com/ 陸奥の鉄 投稿者:hush 投稿日:12月13日(月)12時42分32秒 陸奥は金の産地なのですが… Sampon様 三笠、 >アイオワ級4隻を解体すればOK なぜ、陸奥の船体やスカパ・フローのドイツ艦隊の船体が重宝されているかと申しますと、放 射線に汚染されていないからです。 詳しい事は下記を御参照戴くとして、放射線の定量調査を行う上で、アラモ以前に海中にあ って被爆を免れていると言う事が重要なのだそうです。 http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001004.html もっとも、どう言う事か詳しく存じてはおりませんので、この件に関する突っ込みは御遠慮戴 ければ幸いですが(笑)、アイオワ級の鋼材では意味をなさないのだそうです。 >千鳥ヶ淵 本年8月15日、初めてお参りをする事ができました。 私事ではありますが、ビルマ・インド国境に眠る伯父を含め、多数の戦死者の御霊の安寧を 祈る事ができました。 私のホーム・ページの掲示板にも書かれてありますが、パラオでの遺骨収集が来年行われ るそうです。 経済の問題や生活、文化の違いから理解されない部分もあろうかと思いますが、南瞑の海 に沈まれた方々の戦争が早く終わる事を祈っております。 GO船長 若宮丸の画像が http://www.hazegray.org/navhist/carriers/images/japan/wakamiya.jpg に掲載されていますので、どこかで探せば出てくると思います。 なお、この画像は http://www.hazegray.org/navhist/carriers/ijn_sea.htm - waka が、親ページです。 あと、英文ですが参考サイトとして、次のようなページをあげる事ができると思われます。 http://www.gwpda.org/naval/wtsing.htm http://www.gwpda.org/naval/tsingtao.htm http://www.earlyaviators.com/etokugaw.htm また、特設水上機母艦に関しては http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/index.html の、特設艦船の部の中に船歴等が収められております。 御著作の参考の一助となれば幸いです。 なお、「陸奥爆沈」は文庫本が出ておりますので、入手は簡単かと思われます。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101117071/249-1576605-7333950 >私は食べません 実は私も…(汗) >水母をクラゲと読むのを 海月とも書くようです。 国鉄型列車砲様 管理人様が御挨拶もされていないうちに書き込むのも何なのですが、以前、駆逐艦柳の項を 作成する際に拝見させて戴きました。 なかなか要領よくまとめられたページですね。 今後の御発展をお祈り致しております。 http://hush.gooside.com/ 初めまして 投稿者:国鉄型列車砲 投稿日:12月12日(日)22時56分57秒 初めまして国鉄型列車砲と申します。今回このHPをリンクさせて頂きました。 当HPは国鉄型車両と戦争遺跡を中心に構成されており開設から一年経ちますが、お恥ずか しながらまだまだ内容が充実しておりません。 しかし最低でも月に一回の更新を目指しておりますので今後とも宜しくお願い致します。 http://www12.plala.or.jp/kokuretu/ クラゲ 投稿者:GO 投稿日:12月12日(日)17時48分25秒 >Samponさん #水母史 海軍艦隊航空のもう一つの翼ですからね。 空母機動部隊のように華やかではなかったものの、地道な活躍はこれらに匹敵するものでは ないかと考えています。特に南進作戦は水母がなければ難しかったでしょう。 #陸奥 陸奥乗員生き残りを集め、3式弾を爆発させたところを見せたところ、煙の色が違うということ で3式弾自然発火容疑はシロと判断されたそうです。<陸奥爆沈より やっぱり、装薬爆発が原因でしょう。しかし、自然発火は考えにくく誰かが意図的に着火したも のと思います。主砲弾の信管は安全装置がかかっている限り、主砲弾はただの鉄のかたまり と同様で、爆沈後の3番/4番からも未爆発の主砲弾が多数発見されています。 >H.Sさん 「陸奥爆沈」という本はお持ちでしょうか? 古本屋でよく見かけますので、入手も容易かと思います。 陸奥爆沈の全容に迫った内容ですので、一読の価値はあります。 H.S様 投稿者:Sampon 投稿日:12月12日(日)17時45分45秒 2週間前にメールくださっていたのですか、当方には届いておりませんでした。そろそろメール 来るはずなのにおかしい、と思いながら待っておったのですが、いい加減に何か変だと気付く べきでした。申し訳ございません。迷惑メールのフォルダにも入っておりませんでしたので、何 があったのか判りませんが、下記のアドレスに改めてメールいただけませんでしょうか。直ぐに 写真をプリントしてお送りいたします。NHK番組も、何とか見られるようにお手伝いしたいと思っ ております(録画された方、ご協力いただけませんでしょうか?)。 わたしも、陸奥についてこんなに関心ある方がおられたとは正直驚きました。引揚げ当時わた しは幼児だったので全く記憶はありませんが。この下で書き込んでくださったうちの、ある方は 同じ時期の大阪万博をはっきりと憶えておられるのに、3つ違いのわたしは記憶ゼロなので す。社会的出来事が記憶に残る最低年齢は、やはり小学校に入るくらいということでしょうか。 e-mail:IslasPacificas@aol.com 陸奥について 投稿者:Sampon 投稿日:12月12日(日)17時32分32秒 どうも、陸奥の話題になると盛り上がりますね。書き込みくださった方々、ありがとうございまし た。金曜日は一日出張、土曜日も出勤と忙しくしていたもので、御返事が遅くなって申し訳ござ いません。「陸奥」について、ちょっと毛色の変わった写真を追加しましたので、トップページか ら陸奥のページに移動して是非ご覧ください。ご紹介するのは陸奥の転生した姿なのですが、 今なお人の役に立っていることに感動をおぼえます。 おいどん様 陸奥の引揚げを、小学生にまで関心持って見ていたとは驚きです。なるほど、ポケモンのキャ ラクターを憶えるのと同じ情熱で「長門、陸奥、金剛...」と暗記していたのですね。昭和40年 代までは確かにそんな雰囲気があったと思います。「ヤマト」、「ガンダム」が流行ったあたりか ら変わっていったのでしょうか。戦前は日本は貧しかったので誇るものといえばまず第一に世 界一の戦艦であったのは当然でしょうね。長門型までの戦艦の艦尾はほっそりしていますが、 それをプラモで実証されるおいどんさんには脱帽です。 上保様 お久しぶりです、書き込みありがとうございます。上保さんも多大な関心を持っていらしたので すね。スクラップブックまで作っておられたとは流石!ぜひ、今度拝見させてください。4番主砲 塔で見つかった御遺骨の主が、例の放火の嫌疑を掛けられた窃盗常習の兵曹ですね。3番で なく4番砲塔で見つかったことから「海市のかなた」では「シロ」ではないかと書いていますが、果 たしてどうでしょう。火縄でも使って時限装置を作った可能性もあるのでは、と思いますが真相 は永久に闇の中ですね。 ところで先週行った鹿屋航空隊史料館で、海軍の全特攻戦没者の名が記されたプレートにお じ様のお名前を拝見しました。何しろ人数が多いもので見つかったときは感激でした。 GO様 「くらげ史」、上梓される日を楽しみにお待ちしております。空母や戦艦に比べると明らかに地 味な存在であり、「軍艦」でありながら「艦艇」である駆逐艦よりも注目度は低いようであり、そ のため資料も少ないのでしょうか。脱線ですが、クラゲはわたしが一番好きな中華の前菜で す。あの歯ごたえがたまりません。 hush様 「杉野はいずこ」、入手できなければ図書館ででも読みます。「軍神」の件だいたい分かりまし た。意図せず使った言葉が独り歩きする、ありがちな話です。現在でもこういったケースは一 向に減りませんね。 スカパ・フローのドイツ艦が陸奥と同じように引揚げられ鋼材が再利用されているとは初めて知 りました。そのストックも底をついたら、アイオワ級4隻を解体すればOKですね。 N.K様 去年、そんな再放送があったとは全く知りませんでした。お願いなのですが、DVDが出てきた ら、お借りできませんでしょうか。「ご遺族の慟哭」ですが、戦後まだ20数年の頃ですからご遺 族にとってはついこの前の感覚ではないでしょうか。わたしもソロモンでの遺骨収集に従事した ときは戦後45年近く経過していましたが、御遺骨を迎えるご遺族の慟哭を見て胸を打たれまし た。どんなに年月が経っても癒されない痛みがあるというのを知ったのがこのときです。16年 前に千鳥が淵の遺骨引渡式で聞いたあの慟哭が、その後のわたしの慰霊活動の原点です。 写真の送付よろしくお願いいたします。 投稿者:H.S 投稿日:12月12日(日)13時46分23 秒 Samponさま 陸奥の写真を送っていただく旨のお願いをしておりますH.Sです。 2週間ほど前に掲示板経由で住所を記したメールを出しましたが、届いておりますでしょうか。 少々不安になって、ご迷惑かと思いましたが、またこちらに書き込みさせていただきました。 お忙しいなか、お手数おかけしますが、どうかよろしくお願いいたします。 陸奥の話は、一般的には風化しているせいか、周囲に話しても「?」という 反応しかなく、淋しい思いをしていたのですが、 こちらの掲示板で陸奥のことを書き込んでくださっているのを読むにつけ、 あの事実を知っている人がいるというだけで、感激するほど嬉しく思っております。 爆沈の原因や、叔父の最期はどうだったのか、追及したい気持ちは 正直なところ今でも強くあります。 とはいえ、遅れてきた遺族なので、件のNHKアーカイブスも2度とも見逃しており、 情けないかぎりです。 では、どうぞよろしくお願いいたします。 くらげ 投稿者:GO 投稿日:12月10日(金)22時18分3秒 >hushさん #クラゲ 私は食べません。(汗) それと水母をクラゲと読むのを、ここで初めて知りました(笑) >N.Kさん 確かにNHKアーカイブスでやりましたね。私も見ました。 陸奥引き上げの・・・ 投稿者:N.K 投稿日:12月10日(金)21時40分48秒 陸奥引き上げの時のNHKスペシャル、去年でしたか、NHKアーカイブスとして再放送していまし た。 DVDに録画したと思うのですが、さて、どこへ行ったか。 ご遺族の慟哭が印象的でした。 すいません、レスを戴いていたのに気づいていませんでした。 投稿者:hush 投稿日:12 月10日(金)19時40分55秒 Samponさま >杉野はいずこ はい、その本です。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9971796317 では、在庫僅少となっていますね。 >軍神 永田はそのような意図を持って言ったのではないと思います。 ただ、報告書の中にそのような言葉を使った、それを小笠原長生が見つけて大げさにしたと 言う道順のようです。 >放射線同位体を含まない陸奥の鉄 同じような理由で、第1次世界大戦時にスカパ・フローで自沈したドイツ艦隊が引揚げられて いますね。 >陸奥の引揚げ 小学生か中学生だったように思います。 もちろん、記憶に残っております。 あと吉村昭の「陸奥爆沈」やこちらでも話題になっている「海市のかなた」を読んだ程度です。 GO船長 >くらげ 美味しいのをお願いします。 http://hush.gooside.com/ 水母史 投稿者:GO 投稿日:12月 9日(木)23時03分46秒 >Samponさん 水上機母艦史です。なかなか厳しい道のりです。 軍艦陸奥 投稿者:上保 投稿日:12月 9日(木)17時03分33秒 ご無沙汰しています。 陸奥の話題で盛り上がっていますね。私も当時13歳で、連日TVニュース・新聞で話題に成っ て いたのを覚えております。中々作業が進まず思考錯誤のサルベージでしたが、昭和45年7月 23日(木)午後零時20分右の砲身から後部4番砲塔が引き揚げられ27年ぶりに浮上しまし た。 砲身には蠣殻、海草類、白いヒトデなどがぎっしり密着していたが黒い鋼鉄の部分もかなりあ り 世界最強を誇った40a主砲の面影を偲ばせていたそうです。4番砲塔はただちにそのまま海 上を 江田島小用港解体ヤード(深田サルベージ)に向け曳航されたが、直接陸揚げは困難なため クレーン船「第23吉田号」は、砲塔を水面上まで吊り上げた後いったん波打ち際から70m離 れた水深 3mの浅瀬に降ろし24日午後6時40分解体ヤードに陸揚げされた。砲塔後部は爆沈のさい の爆風で19〜50o鋼鈑がめくれていた。 25日、ガス切断機で鋼鈑を開いたところ砲塔内で火花が何度も散ったことから多量の火薬が 残っている可能性があり慎重にポンプで砲搭内を水洗いした。 27日午後内部から、頭蓋骨1個、実印、みとめ印が見つかる、頭蓋骨は砲弾そうてん室付近 のヘドロの中から見つかり同町西円寺に安置された。 当時の読売新聞記事をスクラップしていた13歳の私でした・・・。 艦尾 投稿者:おいどん 投稿日:12月 9日(木)13時38分20秒 思い出しました。 確か当時の新聞やテレビで引き上げシーンで鮮烈な思い出に残ってるシーンです。>艦尾引 き上げ。 当時小学生の低学年でしたが、当時子供は戦争モノが憧れの時代でしたので、そりゃもう凄い 研究しまくりでした。 今の子供のポケモ○以上か? で、テレビで見てたら、艦尾の引き上げ見てて、何か船首に見えてしまい、不思議に思いまし た。 後日陸奥のプラモ(50円のです。^^;)を購入して、組み立てて見たら、艦尾が同じ形してて感 動しましたです。 アレが本当の戦艦なのだな?とね。 アア言う船が現実に日本の海を守ってた時代もあったと実感した幼少時代でした。 戦前の日本人がプライドを持ってたはずです。(^_^;) 水母とは!? 投稿者:Sampon 投稿日:12月 8日(水)21時09分55秒 GO様 流石はGO船長、マイナー艦艇の権威である一方で水母(くらげ)の研究までなさっていたと は!それはクラゲの進化の歴史でしょうか、それとも中華料理におけるクラゲ利用史? と、すみません駄洒落の悪乗りはこれくらいにしておきます。水母とは水上機母艦のことなんで しょうね?あるいは水雷艇母艦でしょうか。ご研究の実り多からんことを確信いたします。 なぬ!? 投稿者:GO 投稿日:12月 8日(水)19時04分43秒 >Samponさん #陸奥の本 え〜今は水母史で手一杯です。(汗) #開戦記念日 そうですね。私は第1次神亀隊に思いをはせています。 #写真集ラバウル 残念!!古本で探しますか。 GOさん、残念! 投稿者:Sampon 投稿日:12月 8日(水)18時14分5秒 写真集「ラバウル」の件確認したのですが、もう在庫は無いそうです。図書館にも無いし、あと は持っている人に見せてもらうしかありませんね。残念! 今日は... 投稿者:Sampon 投稿日:12月 8日(水)09時06分37秒 今日は16年12月8日ですね。歴史の重みを噛み締める一日にしたいと思います。 GO様 「写真集ラバウル」の在庫はいま確認中です。陸奥の本、GOさんが執筆してくださるんです ね? おいどん様 昭和46年までに引揚げられたのは艦首、第三砲塔以後の艦尾と第四砲塔のはずです。その 後の作業で艦体中央部が解体・引揚げされたものと理解しています。 引揚げシーンを記憶されているというのは貴重ですね。当時は戦中派の方々が社会の現役 で、しかも陸奥といえば軍艦マニアでなくても普通に知られていたので、多くの人々が感慨もっ て映像をご覧になったことでしょう。 陸奥引き上げ 投稿者:おいどん 投稿日:12月 8日(水)02時03分2秒 確か陸奥の引き上げはS44年か6年だったと記憶しています。>曖昧ですいません。 引き上げのシーンをモノクロテレビで興奮して見ていました。 ウチのお袋は戦中派でしたので、ウルウルしていたモノです。 長門、陸奥と言えば大和誕生以前は世界のBIG7として名高い戦艦でしたし。 直販ですか 投稿者:GO 投稿日:12月 7日(火)20時55分58秒 >Samponさん #写真集 「写真集ラバウル」は直販ですか、まだ在庫があるんでしょうかね。 #陸奥 光人社に言って「写真集 陸奥引き揚げ」という本を作ってもらいましょうか(笑) GO様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 7日(火)20時08分24秒 >60年近く経っている割に、腐食していないんですね。 ええ、船体前部に腐食で穴が空いている外は原型を保っています。しかし、あれを撮ったのは 今から16年も前ですから、終戦から40年とちょっとです。 >書名を教えて下さい。 写真集のタイトルはそのものずばり、「写真集ラバウル」です。自費出版本で通常の販売ルー トには載っていないようで、国会図書館の目録にもありません。詳しくはこちらのページに出て います。大発のトンネルも、小牧丸も出ていますね。しかし、小牧丸といえば台南空の勇士た ちがラバウルまで乗った船ではありませんか!今も残っているというのは貴重ですね。 >あの図からすると、海底を境目に切り取っているようですね。前部主砲弾薬庫は危ないんで 手を付けなかったんでしょう。 昭和46年以降の引揚げ記録が見たいですね。やはり深田サルベージが行ったのか、あるい は他の会社が手掛けたのか、気になります。どうやって分厚い装甲鈑を切断したのか、と思い ましたが、考えてみればアーマーの繋ぎ目で切るという手もありますね。 編集済 見ました 投稿者:GO 投稿日:12月 7日(火)17時49分55秒 >Samponさん #大発 大発の写真拝見しました。 60年近く経っている割に、腐食していないんですね。屋根があるから違うんでしょうか? #ラバウル写真集 書名を教えて下さい。 #陸奥 あの図からすると、海底を境目に切り取っているようですね。前部主砲弾薬庫は危ないんで手 を付けなかったんでしょう。爆発すれば、それこそ陸奥がバラバラになってしまいますし、近くに いる作業船は全滅するでしょうし。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 6日(月)22時20分26秒 ラバウルの大発ですが、わたしのページにも余り写りの良くないのが2枚載っています。「行き 先一覧」から「パプアニューギニア」→「ラバウル」と進んでいただければ見られます。このペー ジでご紹介した写真家の板倉さんという方はラバウルの写真集を出されていますので、そちら には間違いなくもっと良い写真が出ているでしょうし、小牧丸の写真もあるのではないでしょう か。もしかしたら、GOさんお探しの特型運貨筒のもあるかも?とりあえず私が入手を試みま す。 また、「陸奥」についての分析ありがとうございました。昭和46年以降にも引揚は続いていたよ うですね。放射線同位体を含まない陸奥の鉄が貴重だというので、そのために引き揚げられ たものでしょうか。すると、75%は残っていませんね。それでも、水中で実感した巨大さは忘れ られません。 hush様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 6日(月)22時19分28秒 そうでしたか、やはり、杉野大佐は着任せずですか。当時の交通事情では確かに旅順から短 期間での赴任は無理ですね。仰っていた本は「日露戦争秘話杉野はいずこ」という題名でしょ うか。面白そうですが、ネット古本屋では扱っていないようです。 ところで、広瀬中佐を初めて「軍神」と呼んだのが同期の方だったとは、私の持っていた海軍 のイメージからは少々意外です。小笠原さんが噛んでいたというのは、さもありなんという感じ ですが。 タラワの20cm砲は今も当時のまま残っているようですが、先日「キリバスの会」の時に拝見し た写真では土台が造り替えられていますね。 鹿児島に行ってました 投稿者:Sampon 投稿日:12月 6日(月)22時18分4秒 週末、また鹿児島に行っておりました。今度は会社の出張です。日曜日が仕事本番でしたが、 土曜の朝から行って鹿屋基地史料館を見てきました(8時に家を出て着いたのは午後2時)。 先月行った際は地震のため熊本で2時間足止めを食らい、今回は凄い風雨の中での訪問にな りました。わたしが九州にいるのも多分そんなに長くはないと思いますので、次に鹿児島を訪 れるのはずいぶん先になるかも知れません。 土砂降りの雨で市内から桜島も見えない中、鴨池港から垂水まで感傷にひたりながらフェリー に乗ってきたところです。それにしても12月なのに、まだ鹿児島は暖かでした!地元の人も驚く ほどですが、日中はまだ半そでで外を歩けます。北九州に戻ると寒さが身にしみます。 シンガポール砲 投稿者:hush 投稿日:12月 3日(金)12時04分58秒 GO船長 >シンガポール砲 これですね。 http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Tarawa/ の中にある http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Tarawa/img/USMC-C-Tarawa-p14.jpg と http://cb1100f-web.hp.infoseek.co.jp/requiem8.htm 大変、お手数をおかけいたしました。 http://hush.gooside.com/ 違った 投稿者:GO 投稿日:12月 2日(木)21時08分53秒 >hushさん 古鷹の主砲じゃなかった(汗) シンガポールで捕獲したイギリス製20cm要塞砲だそうです。すいません。 陸奥の現状 投稿者:GO 投稿日:12月 2日(木)19時24分18秒 >Samponさん #陸奥 送って頂いた図で大体の現状がつかめました。 船体は砂に埋まっている左舷側と1番2番主砲弾薬庫を残し解体されているようです。 上部構造物は艦橋は砂の上のようですが、煙突と後檣は砂に埋まっているようです。これは沈 没直後の調査の際、半分埋まっていたことを考えると、たぶん今は砂の中でしょう。 #島になった沈没船 以前、ソロモン諸島のどこかにある沈没船を利用した島ですけど、その船名は小牧丸、あるの はラバウルでした。「歴史群像太平洋戦史シリーズvpl.28日vs米 徹底分析陸海軍基地」に写 真が出てました。 ところで、大発がトンネルに残っているんですけど、写真を写してないですか? >hushさん #古鷹の主砲 タラワだと思います。あそこには4門配備されていましたから。 どこかの本に写真が出てたんですけど、ちょっと思い出せません(汗)すいません。 日露百年 投稿者:hush 投稿日:12月 2日(木)12時35分12秒 Samponさま >杉野兵曹長生存伝説 「杉野はいずこ」と言う本は否定していますね。 >杉野修一大佐着任 多分、その日は発令日ですね。 >広瀬中佐 実は今調べている永田泰治郎大佐と言う人は彼を軍神にした人物なのです。 正確には連合艦隊の副官だった彼は同期の広瀬の死を悲しんで軍神と言う言葉を使ったの ですが、これを軍令部参謀だった小笠原長生が新聞にリークしちゃったのです。 GO船長 >落書きだらけの20cm砲 知らない。 教えて、どこにあるの。 http://hush.gooside.com/ N.K様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 2日(木)04時55分19秒 御来訪ありがとうございます。こちらこそ、いつも大変お世話になっております。 「陸奥」と共に沈んだ予科練生の人数について、実はわたしも真っ先に「空と海の涯で」を参照 して見たのですがこちらは「百五十名ほど」とのやや漠然とした記述でしたので引用しませんで した。そういえば、この本の出だしは門司さんが「陸奥」から「瑞鶴」へ異動になるシーンでした ね。「陸奥」と「瑞鶴」のガンルームの雰囲気の違いについて述べられていたのは印象に残って います。また陸奥に比較して瑞鶴は「隔壁の鉄板もビームも、薄くて細かった」と書かれてい て、その観察の細かく、また精密に記憶されていることに驚きます。戦記本をそれほど多く読ん でいる訳ではありませんが、このような記述を他に知りません。かといって細かい事実の羅列 ばかりでなく、また中々に詩的な部分もあり、それが名著といわれるゆえんではないかと思い ます。 来週は長崎出張で門司さんのご子息にお会いできそうで、今から楽しみにしております。 hush様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 2日(木)04時22分13秒 いつも貴重な情報をお寄せくださってありがとうございます。杉野兵曹長の御子息が最後の長 門艦長になられたとのお話し、何年か前に読んだ記憶があって、本棚を調べてみましたら阿川 弘之「日本海軍に捧ぐ」という本に出ていました。杉野兵曹長生存伝説と絡めた、面白い記述 でした。 しかし、手元にある丸スペシャルNo.1「戦艦長門・陸奥」に記載の「戦艦長門行動年表」には20 年7月24日に艦長杉野修一大佐着任と書かれています。30年前の本なので間違った情報を基 にしてしまったものでしょうか。 杉野大佐の奥さんとも縁がおありだそうで、調べ甲斐がありますね。わたしは九州にいる間に 広瀬中佐の故郷の大分県竹田市に行ってみようと思います。 H.S様 投稿者:Sampon 投稿日:12月 2日(木)04時03分40秒 再度の書き込み、ありがとうございます。 下に書きました、艦内に眠る御遺骨の数については飽くまで「海市のかなた」の記述から推定 しただけですので、御承知置きください。もしかしたら、厚生労働省援護局、あるいは陸奥記念 館ではちゃんとした数字を把握しているかもしれませんので、問い合わせてみようかと思いま す。 このサイトの姿勢についても、ご理解くださってありがとうございます。御遺族も一般の方も百 人おられれば百様の考えがおありでしょうし、ことさらに声高に自分の考えを主張するつもりは ありません。それよりも、色々な考えの方々に数多く訪れていただければ、それが供養になる と思ってページ作りをしております。御遺族に共感していただけたのが何よりも嬉しく、幸せに 存じます。 叔父様の追悼のため、是非写真を送らせていただきたく、メールをお待ち申し上げておりま す。 そんなこと言わないで 投稿者:Sampon 投稿日:12月 1日(水)23時32分53秒 GO様 それは厳しいとおっしゃいますが、素潜りやっている人だったら一度スキューバで呼吸すれば 何て楽なんだと思うことでしょう。息ごらえも息継ぎも必要ないのは。しかし、うっかり「資格」と いう言葉を使ってしまいましたが、そもそも民間団体が発行するカードは国家資格でも何でもな い、受けたトレーニングの証明に過ぎないのです。 わたしがたとえいつの日かビキニに行けるとしても、相当先のことになりますから、それまでに GOさんも是非トライしておいてください。ただし、以前ビキニのダイビングショップに問い合わせ たときに聞いたのですが、ビキニの沈船はどれも深度が大きいので(長門の場合で60mでし たか)、ダイビング経験200本以上の場数を踏んでいる必要があるとのことです。 マキンで見てみたいのは二式大艇の残骸です。今も珊瑚礁の浅瀬にその姿が見られるのです が、年々侵食されて小さくなっていくのだとか。消えてなくなる前に見ておかねば、と焦っており ます。その前に慰霊碑にお参りせねばならないのはもちろんですが。 届きました 投稿者:GO 投稿日:12月 1日(水)19時28分34秒 >Samponさん 今日、コピーが届きました。ありがとうございました。 >hushさん あれ?古鷹の奴じゃなかったっけ、落書きだらけの20cm砲。 陸奥爆沈時の・・・ 投稿者:N.K 投稿日:11月30日(火)20時25分48秒 Sampon様、いつもお世話になります。鹿児島行き、お疲れさまでした。 「陸奥」爆沈当時、不思議なご縁でSampon様も親子二代にわたってご存知の、門司親徳氏 (当時主計大尉)が、土浦航空隊主計科分隊長を務めておられました。「陸奥」と運命を共にさ れた予科練生は、土浦航空隊甲飛十一期生(偵察)で、門司氏の名著「空と海の涯で」に、そ のへんの記述があります。 門司氏は、ご本人も「陸奥」に乗組経験がおありです。 お久し振りです 投稿者:hush 投稿日:11月30日(火)19時52分14秒 どうもお久し振りです。 この間から、杉野はいずこの杉野孫七兵曹長の事を調べておりましたら(同じ三重県人なの で)、彼の長男が長門の最後の艦長杉野修一大佐と分かって驚いております。 (もっとも、敗戦直前のことだったので旅順から戻って来れず、着任は出来なかったそうです) また、奥さんは義母の通った女学校の先生だったようで、なかなか奇遇でありました。 GO船長 何、その古鷹の主砲って? タイへ売った残り? 日進か春日の主砲が残っているのは知っているけれど… http://hush.gooside.com/ ありがとうございました。 投稿者:H.S 投稿日:11月29日(月)22時31分46秒 Samponさま ご丁寧な返信をいただき、感激しております。ありがとうございました。 私も柱島へ行く前に、「海市のかなた」を読みました。 恥ずかしいことですが、遺族なのに本を読んで初めて知ることが多かったんです。 犠牲者の大半はまだ艦内にいるということですが、やっぱりそうなんですね。 英霊の墓が立っている柱島の海岸に行った時は、こんなきれいな海だったら、 暗い墓石の下で眠るより、自然に帰るという意味でももうむしろいいのかも しれないと思いました。 叔父の兄にあたる私の父は昨年84歳で亡くなりましたが、 太平洋戦争中、マレー・シンガポール攻略戦に参加し、 マラッカ海峡に浮かぶ孤島で終戦を迎えました。 父にとっては心に残る場所になっており、 来年はマラッカ海峡にも散骨に行く予定でおります。 反戦や戦争体験を声高に語るのではないこちらのサイトのポリシーには とても共感を覚えますし、巡り合えたことをとても感謝しております。 写真を送っていただけるというお話、お言葉に甘えてお願いすることにします。 後ほどメールを送らせていただきます。どうかよろしくお願いいたします。 それは厳しいなぁ 投稿者:GO 投稿日:11月29日(月)17時41分14秒 >Samponさん #GOさんもスキューバの資格取って一緒に行きましょうよ。 それは厳しいですなぁ(笑) #マキン・タラワ いい物ありそうですね。そういえば古鷹の新造時の主砲もあるとか。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日:11月28日(日)22時25分43秒 ひさびさの書き込み、ありがとうございます。 わたしが潜ったときには陸奥の周辺で特に魚影が濃いという訳ではありませんでした。というよ り、あまり魚を見ませんでした。でも一般に、平坦な海底に船が沈めば良い漁礁になります ね。そのために廃船をわざと沈めたりするくらいですから。魚の隠れ家を提供するという面だ けでなく、鉄分が餌になる植物プランクトンの発生を促すので余計に良いという話を聞きまし た。 今度は長門? 投稿者:Sampon 投稿日:11月28日(日)22時15分5秒 GO様 陸奥の見取り図は明日コピーをお送りするようにいたします。ビキニには勿論いずれ行きたい とは思っていますが、最低一週間は滞在せねばならず、往復の日数を入れると2週間近く掛か ってしまいます。費用も無論安いものではありません。それよりも、今の行きたい病の対象は マキン・タラワですかね。でも、いつか行きますよ、ビキニ。GOさんもスキューバの資格取って 一緒に行きましょうよ。 ようこそいらっしゃいました 投稿者:Sampon 投稿日:11月28日(日)22時02分12秒 H.S様、ようこそお越しくださいました。「陸奥」のご遺族の方にご覧いただけて何よりも嬉しく存 じます。このHPが少しでも鎮魂の役に立つのであればこれ程幸せなことはありません。 「陸奥」の引揚げについて書かれた「海市のかなた」によれば、陸奥で乗艦実習のため乗り込 んだのは甲種予科練11期生の112名だそうです。本来この分隊は「扶桑」に行くはずだったの が濃霧のため行き先を変更して難に遭ったとのこと。一方、周防大島東和町の「甲飛11期生 戦没者慰霊碑」の説明文には乗艦者135名124名が亡くなられたと記載されています。どちらの 数字が正しいにせよ、百数十名中の生存者が十数人しかなかったことは間違いないことで、御 霊やすかれと祈らずにおれません。 10月23日に陸奥の沈む海面に行かれたとのこと、実はちょうどこの翌日の24日に陸奥に行か ないか、とのダイブショップからのお誘いを受けていたのです。たまたま阿蘇に旅行中で行か れず悔しい思いをしたのですが、まだ海は濁っていたのですか。陸奥の艦体の一番浅い部分 は12mの水深ですから、海が澄んでいれば見られるでしょう。ただし、瀬戸内ではそんな日は あまり多くないのではないでしょうか。 陸奥の犠牲者のうち、大半はまだ艦内に眠っておられるはずです。以前この掲示板に書いた ことを再記しますが、「海市のかなた」によれば昭和26年以前に引き揚げられ火葬された御遺 体が165柱、艦体サルベージの際に改修された3,898個の骨片が55柱分で、その後厚生省に より昭和50年に引き揚げられた御遺骨(骨片)が3,671個とのことです。これが50柱前後とすれ ば残り850柱ほどの御遺骨がまだ眠っている計算になりましょうか。 残念ながら、陸奥に潜ったのは一日のみで、写真はお見せしたものが全てです。ご希望でした らプリントしたものをお送りしますので、メールでご連絡いただけますでしょうか。なお、写ってい るイソギンチャクのようなものは「イボヤギ」というサンゴの一種です。もっとも、イソギンチャク もサンゴも同じ刺胞動物の仲間で石灰質の骨格があるか無いかの違いですから同じようなも のです。イボヤギは夜になるとオレンジ色の触手を広げ、なかなか美しいものです。 潜っているときには、正直に申し上げてガイドダイバーにはぐれないようについて行くのが精一 杯で、あまり乗組員の慰霊に思いを馳せる余裕がありませんでした。その代わりに翌日周防 大島の陸奥記念館の慰霊碑にて、ゆっくり手を合わせて参りました。 今回は本当にご訪問ありがとうございました。もしよろしければ、他のご遺族の方にも見ていた だきたいと思っております。今後も、ぜひこのページをご覧いただきたいと思います。 最後になってしまい申し訳ございませんが、叔父様、そして61年ぶりに兄弟再会を果たされた お父様の御冥福を、謹んでお祈り申し上げます。 陸奥 投稿者:絵塗師 投稿日:11月28日(日)20時20分45秒 吉村昭著『陸奥爆沈』には、陸奥の沈んだあたりは魚が良く捕れるようになったという漁師の 証言がありますね。 初めまして 投稿者:H.S 投稿日:11月28日(日)17時44分15秒 東京都のH.Sと申します。 つい数日前にこちらのサイトを偶然見つけ、海底に眠る戦艦陸奥の写真に感慨を覚えました。 叔父が予科練生として陸奥に乗船しておりました。 10月23日に初めて柱島を訪れ、島のかたに沈没地点まで船を出していただき、 献花と私の父(叔父の兄)の散骨をしてまいりました。 当日は台風23号が過ぎ去った直後で海がにごっていたのですが、 澄んでいれば、船上からでも陸奥の姿が見えると伺いました。 沈没当時は、柱島や周防大島の海岸にたくさんの遺体が流れ着いたそうですが、 沈んでいる中央部分にもまだ遺骨はあるのでしょうか? 写真を拝見すると、イソギンチャク(?)が付着しているようですが、 漁礁のようになっているのでしょうか? 船が沈没地点に近づくにつれ、重苦しい気持ちになったものですが、 潜っているときの感じはどのようなものなんでしょうか? 他にも写真があれば、ぜひ見せていただけると幸いです。 遺族としては、沈んでいる陸奥の状態がとても気になっていましたので、 貴重なものを見せていただき、たいへんありがたく思っています。 待ってまーす 投稿者:GO 投稿日:11月28日(日)17時14分19秒 >Samponさん #陸奥の図 首を長ーくして待っています(笑) #カウンター やっぱりみんな興味があるんですよ。 今度は長門ですな(汗) いつの間に 投稿者:Sampon 投稿日:11月27日(土)23時40分34秒 気づいたらアクセスカウンターが8000を突破しておりました。8000番目の方、名乗り出てくださ いますか? 以下、GO様へ ギルバートの慰霊祭は鹿児島でした。今回は駆け足で鹿屋、知覧、指宿も周ってまいりまし た。それと、陸奥の見取り図、探してコピーしてお送りしますね。少々、お待ちください。 おおー! 投稿者:GO 投稿日:11月27日(土)22時57分27秒 >Samponさん #慰霊祭 それはまた濃い2週間ですね。 しかし、ギルバート方面戦没者慰霊ってどこであったんですか? #陸奥 前からリンクを張っているんですけど、どんなものがあるのか知らない人が多かったんでしょう ね。そうそう、お願いなんですがダイバーショップでもらったという「陸奥の現状図」をコピーして 頂けませんか? #大津島 別に同じものがあっても大丈夫ですよ。両方見ないと気づかないでしょう(笑) GO様 投稿者:Sampon 投稿日:11月26日(金)20時04分50秒 大津島の回天慰霊祭があった翌週末にはギルバート方面戦没者慰霊の行事があって、2週連 続でとても濃密な時間を過ごせました。 陸奥の写真と共にわたしのHPの紹介もしてくださってありがとうございます。お陰様でまた来訪 者数が伸びているようです。もしかしたら、今週末にも8,000ヒットに達するかも? 大津島の写真、わたしも頑張ってページ作ります。幾らかはバッティングするでしょうが、違う切 り口を目指しますので暖かく見守ってください。 陸奥 投稿者:GO 投稿日:11月24日(水)17時33分17秒 >Samponさん 大津島でいただいた陸奥の写真を5枚ほど掲載させて頂きました。 又、詳細が知りたいときは、こちらに来るようにとリンクを張っておきました。 違うカットを 投稿者:GO 投稿日:11月22日(月)22時57分43秒 >Samponさん 私より詳細に撮影されていたようなので、違うカットを掲載して下さい。 私の方は戦跡紹介ですから、あまり詳しい写真は載せていませんし・・・・。(笑) 鹿児島にきています 投稿者:Sampon 投稿日:11月21日(日)23時33分9秒 今日は鹿児島に来ています。九州の南端だけあって北九州とは随分気温が違い、ちょっと歩く と半そでが丁度良いくらいの暖かさです。 richard様:大変興味深い本を紹介くださってありがとうございます。さっそく取り寄せて読んでみ ようと思います。アメリアの機は"TIGHAR"というグループが大々的に捜索活動をしており、そ れらしい機体の残骸を見つけているのですね。もちろん、旧南洋委任統治領ではありません が。 GO様:おかげさまで得がたい体験をすることができ、感謝申し上げます。早速、写真ページを 拝見しました。わたしも写真を公開したいのですが、今からだと二番煎じになってしまいますの で、頭を悩ませるところです。 お疲れ様でした 投稿者:GO 投稿日:11月19日(金)17時49分13秒 >Samponさん 遅れながら大津島お疲れでした。 本日、大津島回天訓練基地跡と柱島泊地の写真をアップしましたので、見てやって下さい。 「アメリアを探せ」再び。 投稿者:richard 投稿日:11月18日(木)14時58分47秒 Amelia Earhartについては 膨大な参考資料をもとに1983年に文藝春秋社から発行された青 木冨貴子著「アメリアを探せ」に全て尽くされてゐると思います。 日本では既に忘れ去られた過去の事件が未だに海の向こうで話題になるのは、根本的には Samponさんの鋭い洞察でご指摘のとおり 日本人にたいする偏見に根ざすものでしょう。今回 あらためて 青木女史も引用されてゐる 秦 郁彦「太平洋戰争航空史話」(1980年 冬樹社) を読み直してみました。 秦氏がdocumentaryなら 女史のはnon-fiction。 細部の違いは 後出しの女史の方が より多くの資料を参照しているということでしょうか。 どうも この話 ルーズベルトを含めて アメリカ側に胡散臭い「裏」があるんじゃーないでしょう かねー? アメリアは見つからず 投稿者:Sampon 投稿日:11月15日(月)23時34分54秒 今回のアメリアの遺骨探しは、当然ながら徒労に終わったそうです。今日のグアムの新聞で確 認しました。しかし、今も日本の謀略説を信じる人間がこんなに多いことに驚かされます。 richard様の仰るとおり、昭和12年の段階では掛け声は別として対米戦争など誰も考えていな かった筈ですのに、日本軍なら世界的に高名な飛行家を闇雲に処刑するくらいやりかねないと の偏見に凝り固まっているのですね。 これが当時の偏見だというならともかく、これだけ情報が満ち溢れている時代に、アメリカ人の 持つ戦前の日本についての認識はほとんど変わらない程度のままなのではないでしょうか。 今、グアムで出版された、戦中のグアム島民の受難について書かれた本を読んでいるのです が、「田中上奏文」が日本の意図を説明する歴史的事実として書かれているのです。米国では 田中上奏文そのものが知られていないのか、あるいはメモランダムが本物だと今も信じられて いるのか、ちょっとアメリカ人に訊いてみたくなりました。 ゆうぞう様、tuka様 投稿者:Sampon 投稿日:11月14日(日)23時21分54秒 いただいた写真、「到来物」コーナーにアップしました。いつも貴重な写真をありがとうございま す。これからも興味深いお写真を期待しております。 ところで、いただき物写真のページ以外に更新したものがあります。いま迄作ったものとはちょ っと毛色の変わったページを新設したのですが、何処だか分かりますでしょうか?最初に見つ けた方に徳山土産をお送りします。実は今日、回天慰霊祭があって大津島に行ったのです が、島ではほとんど何も売っていなかったので、新幹線の駅で買いました。 どーもです 投稿者:ゆうぞう 投稿日:11月13日(土)11時20分46秒 色々と忙しいようですね。お仕事頑張ってください。 私はHPを見る側だからよいですが、公開する側は大変ですよね。 ではまた。 ゆうぞう様 投稿者:Sampon 投稿日:11月13日(土)01時13分19秒 ご無沙汰してしまってすみません、いつも写真をくださってありがとうございます!メール、確か に届いております。例によって「頂き物」として公開したいと思いますが少々お待ちください。 リンクページなども更新してなくては、と思っているのに最近サボってばかりで申し訳ないことば かりしております。 メール 投稿者:ゆうぞう 投稿日:11月12日(金)22時13分32秒 こんばんわ、お久し振りです!霞ケ浦の予科練跡地の写真をメールで送りましたが届いたか な?届いてなかったらまた送りますね。 richard様 投稿者:Sampon 投稿日:11月12日(金)00時02分10秒 下のrichard様の書き込み、一度消えてしまったものをわたしが復活させたもので、投稿時間 が異なっています。ご了承ください。以前にも、川崎まなぶ様の投稿がいつの間に消えていた こともありましたっけ。今日は掲示板の調子がおかしいようだったので、念のためバックアップ を取っておいたのが役に立ちました。 編集済 アメリアを探せ。 投稿者:richard 投稿日:11月11日(木)23時55分52秒 なに、Amelia Earhartがテニヤンに現れたって? それは面白い。 アメリアがロッキード・エレクトラを駆って2,600浬離れた米領ホーランド島へ 向けてニューギニアのラエを発ったのが昭和十二年七月二日。 廬溝橋事件の五日前です。 当時の帝國海軍としては、もし航路を大きく外れて委任統治領を侵犯されたとしても 引っ捕 らえて処刑する事はなかっただらうと思いますけど。 ちょうど今の中共のように 原潜で領海侵犯されても 怖くって抗議も出来ないような間柄だっ たと思います。 一説では 水上機母艦「神威」が救助してサイパン島へ連行、処刑したと謂う俗説があるようで すが。 ともかく See what happen! グアムの新聞から 投稿者:Sampon 投稿日:11月11日(木)23時54分45秒 グアムで発行されている新聞、Pacific Daily Newsのウェッブページからの情報だと、今テニア ン島で一大発掘プロジェクトが進行中なのだそうです。お宝として捜索されているのはアメリア・ イヤハートの遺骨。イヤハートがラエを発った後で南洋委任統治領で日本軍に捕らわれ殺害さ れた、という噂を信じる人がまだまだいるのですね。それで、大戦中テニアンに駐留した米軍 人が耳にした、テニアン島民がイヤハートの遺骸を埋葬したという話を実証するのだとか。都 市伝説を信じて無駄金を投じるのは勝手ですが、玉砕の島に眠れる遺骨を損ねるような冒涜 行為だけはして欲しくないですね。フィリピンでは山下財宝の存在を信じる人々や宝の証拠を 捏造する詐欺師たちによって、慰霊碑や軍の遺構が荒らされるという悲しい事態が今も進行 中です。 今日は一体... 投稿者:Sampon 投稿日:11月11日(木)22時02分40秒 どうも、このteacup BBSの大本のサーバーが不調のようで、書き込みが消えてしまっていま す。最初はtukaさん、GOさん、おいどんさんの書き込みとそれらへのわたしの返信と、今月2日 から9日までの分の書き込みが消えました。その後、消えた書き込みが復活した一方でわたし とrichardさんの新たな書き込みが消えました。どうも今日は滅茶苦茶ですね。richard様、せっ かく書いていただいたものが消えてしまって恐縮です。安定するまで、書き込まれる場合はお 手元にコピーを保存するようにしてください。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:11月11日(木)09時20分27秒 「特攻の島」立ち読みで見ました。感想は...まぁ、お会いしたときにお話ししましょう。 14日の大津島にはフェリー乗り場集合ですね。了解です。よろしくお願いいたします。 大津島 投稿者:GO 投稿日:11月 9日(火)22時24分5秒 >おいどんさん そんなマンガがあるんですか、それは知らなかった。 この前、エイジという雑誌で97ドライブという97式中戦車のマンガを見ました。内容はソ連の 満州侵攻ですけど。 >Samponさん #大津島 大津島には9:50徳山発のフェリーで渡ります。 慰霊祭は13:00からなんですけど、それまでにいろいろな人と話をします(笑)こんな時にしか 会えない人もいますからね。 おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日:11月 7日(日)23時54分9秒 お久しぶりです。また戻ってきてくださってありがとうございます。 そうですか、漫画雑誌に回天を扱った作品が出ているのですか。近年漫画雑誌も全く見なくな りましたが、どんなものか読んでみましょう。 そういえば、一つ思い出したことがありました。ずっと昔に読んだ「ゴルゴ13」の一話で、主人公 ゴルゴが敵地に水中から侵入するのに使ったのが、何と回天なのです。武器商人を通じてどこ かの博物館だかにあった回天を手に入れるのですが、ちょっと待ってくれ、と思いました。回天 の動力は酸素魚雷ですよ、発射前の調整に大変な設備が必要な筈の回天をレストアして使う より、レシプロ動力の小型潜水艇を作った方が余程楽で安上がりだと思うんですがねぇ(実 際、コロンビアの麻薬組織が密輸用に作った潜水艇が発見されたことがあります)。それに、 魚雷のエンジンは一度始動したら止められないんじゃなかったでしたっけ? 娯楽作品に考証を期待するだけ馬鹿だとは思いますが、「特攻の島」の方は史実を尊重した 作品になっていることを祈ります。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:11月 7日(日)23時32分32秒 >7000HITおめでとうございます。 ありがとうございます。GOさんにもいつも掲示板を盛り上げていただいていて何よりありがたく 思っております。 平生でのお仕事、お疲れさまでした。大津島へは行く方向で調整中ですので、当日の日程など 後でメールで打ち合わせたいと思います。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日:11月 7日(日)23時28分17秒 >7000HITおめでとうございます。 ありがとうございます。Tuka様にはいつもご支援いただき、何と感謝申し上げたらよろしいので しょうか。これからもよろしくお願いいたします。 >40mを超えると窒素酔いに わたしは比較的に窒素酔いにはかかりにくい体質のようで、明確に窒素酔いという状態になっ た記憶はありません。ただ、そのときの海況、体調にもよるので何ともいえませんし、自分が気 づいていないだけかもしれません。寒いのが苦手なので40mなんて滅多に行きませんし。8月 に陸奥に潜ったときに自分の位置を全く見失って深度も分からなくなってしまったのが、もしか したら窒素酔いだったのかもしれません。 また、40m以深だと酸素分圧が1気圧を超えるので、酸素中毒の恐れもありますね。窒素酔い は後遺症などありませんので、酸素中毒の方が怖いのではないでしょうか。これ以上の深度だ と当然、酸素の混合比率を下げるのでしょうが、深度を上げると共に混合も変えなければなら ず、大変な準備と設備が必要ですね。わたしには想像もつかない世界です。 潜水に興味の無い方には何のことやら、というところでしょうが、tukaさんが紹介くださったサイ ト(海上自衛隊の潜水医学専門医官の作られたもの)に大変興味深い記事にて説明されてい ます。よろしかったら、覘いてみては如何でしょうか。 特攻の島 投稿者:おいどん 投稿日:11月 6日(土)02時20分39秒 今日発売のある週間漫画雑誌に「特攻の島」と言う連載が始まりました。 他でも無い「回天」を主題とした連載です。 今後の展開が楽しみです。>お涙頂戴でなく、現実の戦史に沿った事実からの話になるといい のですが。 日本の映画「戦争モノ」がHITしないのは、やたらと陳腐な恋愛挿入、お涙頂戴ばかりですから ね。 祝!7000HIT 投稿者:GO 投稿日:11月 5日(金)22時45分41秒 >Samponさん 7000HITおめでとうございます。 私は、明日から平生回天資料室へ泊まり込みで行ってきます。日曜が慰霊祭で、前日に特眼 鏡を納品してきます。そういえば大津島回天慰霊祭は来られそうですか? 興味があれば 投稿者:tuka 投稿日:11月 5日(金)21時31分8秒 潜水医学に関するサイトです。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/diving/index.htm おめでとうございます 投稿者:tuka 投稿日:11月 5日(金)18時05分21秒 7000HITおめでとうございます。 ところで、スクーバ潜水は空気潜水(普通の圧縮空気を吸う)なので40mを超えると窒素酔い (窒素麻酔)にかかります。まあ、それ机上潜るのは職業ダイバーでしょうが。 セキュリタリアンと言う自衛隊を紹介する雑誌の今月号には深海潜水を研究している、潜水医 学実験隊を紹介しています。 いつの間に... 投稿者:Sampon 投稿日:11月 5日(金)02時26分54秒 いつの間にか、このHPのアクセスも7000を超えておりました。皆様の御支援に感謝申し上げま す。ここで、1万アクセスが何時になるか、皆様に予想していただきたいと思います。1番正解に 近かった方に記念品を贈呈いたします。もちろん、1万ヒットを記録された方にもです。 richard様 SCUBAとはSelf Contained Underwater Breathing Apparatus、自給式水中呼吸装置の略です から、タンクを背負っていくタイプの潜水です。水深300mまで達するずっと前にタンクの空気が 無くなってしまいますから、とても考えられませんね。 tuka さま 投稿者:richard 投稿日:11月 4日(木)17時22分30秒 ご教示ありがとうぎざいました。 伊號潜水艦の安全潜行深度が75-110米だと謂われてますから 300米でのscubaは考えられな いですよね。 1ヶ月! 投稿者:Sampon 投稿日:11月 2日(火)20時39分16秒 tuka様、お久しぶりです。 300mの潜水の後は減圧に1ヶ月ですか!その間ずっとケイソンみたいなのに入っている訳で すか。病気になっても医者にもかかれない、着替えはどうするんだろう?最低ダイバーは2人で 行動するでしょうし、サポートスタッフが大勢必要なことを考えれば、それは何千万か費用が掛 かってもおかしくないかもしれません。 飽和潜水 投稿者:tuka 投稿日:11月 2日(火)20時19分32秒 ご無沙汰しております。 >ridhard様 300mの潜水は飽和潜水になるので減圧に約1ヶ月かかるはずです。民間にその様な企業 があるかは存じませんが、もし有ったとしても一回300m迄潜ってもらったら一般サラリーマン の2〜4年の年収が必要かもしれません。 夜戦基地様 投稿者:Sampon 投稿日:10月29日(金)21時04分38秒 ボリビアの人形、あの可愛い娘さんが気に入ってくださったとは、嬉しい限りです。太平洋がひ と段落ついたらボリビアの民俗を紹介するページも作りたいな、と思っているのですが、まだま だ先のことになりそうです。うちの娘は今一歳2ヶ月ですが、いつかお嬢さんと何処かの島で一 緒に遊んでいただけたら、と夢想しております。 発射管ガード 投稿者:Sampon 投稿日:10月29日(金)19時29分14秒 GO様 以下は全くの想像です。以前の甲標的の写真を見ると両発射管の間に酷く腐食して艇体に孔 が空いている部分があるので、その腐食孔の補修のためにガードを取り外し、このときにボル トを切断したが、再度設置する際には溶接し、ナットは再現しなかった...あるいはガード自 体の腐食または移動の際の破損などによりガード自体を作り直したものでしょうか。修復を行 った(であろう)博物館が今はもう無いので、真相を知るのは難しいかも知れません。 ボリビアの人形 投稿者:夜戦基地 投稿日:10月28日(木)20時14分26秒 ボリビアの工芸品は初めてです。娘が気に入っています。 どうもありがとう御座いました。 日の丸 投稿者:GO 投稿日:10月27日(水)22時10分58秒 >Samponさん #シンクロ ホント、よくシンクロしますね(笑) #日の丸 夜間に浮上していると、日の丸で一発でばれることもあるんじゃないでしょうか? #ガード いったいどうしたんでしょうね。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:10月26日(火)23時35分23秒 GO船長の掲示板でも甲標的が話題になっていますね。またしてもシンクロですか。 それはさておき、甲標的の発射管ガードですが修復以前の状態の写真を見ますと、ちゃんとボ ルト留めしてあります。腐食が激しくて交換したものでしょうか、その写真だと(何年前のものか 尋ねてみます)別に酷く錆びてはいないのですが。 ガ島の甲標的には日の丸が!そうでしたか、しかし軍艦旗ではなかったでしょう。もっとも、赤 は少なくとも水中では目立つ色ではありませんから、隠密性にはそれほど影響なかったもので しょうか。 いやそれが・・・・ 投稿者:GO 投稿日:10月26日(火)22時45分26秒 >Samponさん #丙型の補修 どうも、艇首のガードの付け根も違っているのに気づきました。 あのガード(防潜網カッターじゃないでしょう)の付け根はボルト取り付けで、溶接取り付けでは ありません。ボルトの頭を飛ばしたんでしょうか? #番号 51号は乙型(48〜53号までの5隻)になりますので、適当に書いたんでしょう。 #日の丸 それが書いているんですよ! ガダルカナルで使われた甲型には日の丸と艇番号がデカデカと書かれています。 国内で実験中の丙型には艇番号が書かれていますし、意外と隠密性を考えていないようで す。 richard様 投稿者:Sampon 投稿日:10月26日(火)19時10分0秒 さっそくご覧くださいましてありがとうございました。昨夜、3時頃まで掛かって写真を貼り付けて いたのですが眠気に負けて途中で放棄してしまいました。あのページにもう何枚か載せる予定 です。あのナンバリングや灰色の塗装はまったく考証していないもののようですね。司令塔に 派手な旭日旗など描くはずもありませんし。 ダイビングクラブの件は今となっては謎ですね。300mの深度に物見遊山に行く筈はなし、写真 をどうやって撮ったのか、外国の民間人が軍港の入り口で勝手な調査も出来ない筈ですし、真 相はいずこに。 (無題) 投稿者:richard 投稿日:10月26日(火)11時53分40秒 Guamの写真 早速拝見。 軍港内の甲標的丙型、「51」とmarkされてますが、十年前の写真 には「302」となってゐました。一生懸命「302」の意味を調べてゐたのですが、勝手に書いた数 字で意味はないようですね。 スキューバ倶楽部が写真を掲載してゐた真珠湾の甲標的、せめて湾内なのか湾外なのか知 りたいところ。URLも倶楽部の名前も記録しておかなかったのが残念です。 写真、少しだけ公開しました 投稿者:Sampon 投稿日:10月26日(火)03時03分12秒 グアムの写真、その第一弾を公開いたしました。結構大量に撮ってきたもので、取り込んで整 理の終わったものからばらばらと五月雨式にアップすることになりそうです。表紙のページから 進んでください。 週末留守にしておりました 投稿者:Sampon 投稿日:10月25日(月)20時36分55秒 金曜日から出張と私用とで大分、別府、阿蘇に行っておりまして、いただいた書き込みにご返 事が遅れてしまいました。皆様には台風や地震の被害はなかったと思いますが、今年の相次 ぐ災害を教訓に防災の準備はしておきたいものです。 夜戦隊長様 いつも拙HPをご覧くださってありがとうございます。9月以来、なかなか上京の機会が無くて年 末まで九州にいるかと思いますが、わたしも次回お目に掛かるのをとても楽しみにしています。 ボリビアの工芸品、ほのぼのした感じがわたしは結構好きなのですが、如何だったでしょう か?隊長のところには世界中のお土産や名産品が集まるでしょうが、ボリビアのは無かったろ うと思います。 >台風 ほんとに、今年は何度ネット上を「台風見舞い」が飛び交ったことでしょう。台風シーズンがやっ と終わったと思えば今度は地震ですか。小千谷市では「SOSメシタノム」との悲痛なメッセージ が発せられたとか、とにかく一刻も早い被災者救援を望むばかりです。 richard様 真珠湾における甲標的の行方についてのご研究、大変興味深く拝見いたしました。もう10年近 く前ですが、甲標的の一隻が敵戦艦に魚雷発射していたことが判明した、とのニュースが流れ 興奮したものですが、その後続報が無くて、どうなっていたのかと思いました。やはり誤報だっ たのですね。 酒巻艇はどういう流転をしたものか、フロリダ半島から島々をつなぐ海上道路の突端、キーウ ェストの公園に放置同然に展示されていたそうですが、その後テキサス州フレデリックスバー グのニミッツ提督記念館に落ち着きました。わたしがニミッツ記念館を訪ねた平成8年12月に は、酒巻艇が同博物館に移された直後だったらしく、甲標的の収納館が完成して公開直前で した。遠くからガラス越しに見るだけだったのがとても残念です。 駆逐艦ウォードに敢え無く撃沈されてしまった艇の深度は300mもあるのですか!スキューバダ イビングの限界深度は、通常のレジャーダイビングでは40mですから、これをはるかに超えて しまいます。これ以上の深度になると特別な機材と訓練とを要する、テクニカルダイビングとい うジャンルになりますが、わたしはその技術を持っておりません。サイパンの近藤さんは確かお 持ちだったのではないでしょうか(確認しようと思ったら氏のHPに現在アクセスできず)。この深 度まで行かれるのは多分、ヘルメットをかぶった作業ダイバーたちのみでしょう。もちろん、エ ンジョイできるダイビングとは程遠いものでしょうね。 余談ですが、日米戦争における第一発を発射した駆逐艦ウォードの主砲はこの艦に乗り組ん でいたミネソタ出身の水兵たちの健闘をたたえて、海の無いミネソタ州々都セントポール市の 公園に展示されています。一昨年、この砲の写真を撮ってきましたので、写真をお見せしたい と思います。 GO様 グアムの甲標的について色々と情報をありがとうございました。GOさん御指摘の点が分かるよ うに、いま取り込んだ写真をあれこれ並べ替えるパズルをやっているところです。特潜のことに ついて、今度とも情報提供いただければ幸いです。グアムの甲標的の戦歴について分かる資 料があったらありがたいのですが... 特型格納筒 投稿者:GO 投稿日:10月23日(土)22時26分11秒 >Samponさん #台風 ホント、凄かったです。左半円であれだけ吹くとは・・・・。 #地震 今度は地震です。新潟は凄いことになっています。 >richardさん はじめまして、希少資料艦艇研究所のGOと申します。 歴史群像太平洋戦史シリーズvol.35甲標的と蛟龍を書いた者です。 お問い合わせの件ですが、1つ間違いがあります。 魚雷が未発射の艇はB,C,Dの3隻です。 それ以外の情報として(すでにご承知かもしれませんが) Cは、1.架台に密着した艇体が離れず、4時間発進が遅れた。 2.操縦室下に爆雷による破口があり。 3.ハッチは開放状態となっていたが、爆雷の被害を考えると艇長または艇付のどちらか が、また両方が死亡したものと思われる。 Dは、1.主砲団命中箇所の適合により、間違いなくDDワードが撃沈したものと断言できる。 2.ワードによる爆雷攻撃の被害は見あたらない。 Eと思われるものは、艇尾のみ発見されている。しかし、現在は発見位置になく底引き網漁船 が引っ張っていったものと思われる。 ※1セントルイスを攻撃したものは、現在も不明。セントルイスの反撃により撃沈されたと言わ れているが、もしそうなら残骸がすでに発見されていてもおかしくない。 ※2航空写真に写っているものは、明らかに甲標的のセイルにしては小さすぎる。これは近く を航行するランチと比べたものだが、ランチの乾舷が1m弱と思われるのに、写っている物体 はそれと同等か、それより小さいように見える。 以上、お役に立てればいいのですが。 真珠湾の甲標的 投稿者:richard 投稿日:10月23日(土)13時27分56秒 どなたか教えて下さい。 真珠湾攻撃に参加した五隻のうち 現在確実に 所在が確認されてゐるのは; Midget-A 潜水艦基地に埋め込まれたもの(岩佐艇) Midget-B テキサス州ニミッツ記念館にあるハ-19(酒巻艇) Midget-C 昭和三十五年に港外で引き揚げられ江田島に返還されたもの。 Midget-D USS Wardに撃沈され布哇大学海洋研究所で所在が確認されたもの。 CandDはいずれも魚雷が装填されてをり古野中尉、広尾少尉艇である蓋然性が高い。 横山少尉は日本時間八日18:11に「トラ・トラ」(我レ奇襲ニ成功セリ。)を発信してをり、一時 ウエスト・ヴァージニアならびにオクラホマに九七式45糎魚雷を命中させたものだと信じられて ゐました。National Geographicsが一時期 戦艦繋留域の対岸をくまなく捜索したようですが、 結局 手掛かりは得られなかったようです。 その後 飛龍雷撃隊松村平太分隊長撮影の連続写真を詳細分析の結果、湾内での雷撃は 誤認であり、横山艇は10:04 港外でUSS St.Louisに向けて発射したがリーフに当たって爆発と 謂う説が有力になってをります。 一方、日本のあるスキューバ倶楽部が「真珠湾のダイビング・スポット」として甲標的の写真を ホーム・ページに掲載してをりました。 早速位置を問い合わせたのですが、応分の寄付金を 要求され あきらめた経緯があります。 布哇大学がMidget-D発見を公表するとともに この ホーム・ページも見あたらなくなりました。 もしかして これがMidget-Dなら 情報を出し惜しん で「功」を布哇大学に横取りされた事になりますし、Midget-Eなら 横山艇である蓋然性が非常 に高い事になります。 どなたか情報をお持ちの方 ご教示下さい。 Sampon さま。 Midget-Dの水深は1,000ft。 僕はスキューバの事は知識皆無ですが、水深300米でスキュー バをenjoy出來るのでしょうか? 受け取りました 投稿者:夜戦基地 投稿日:10月22日(金)18時04分37秒 ご無沙汰しております、いつも楽しく拝見しています。 5000ヒット記念品有難う御座いました。これからも1万、二万ヒットを目指して見まくります・・・ (笑)。 次回お会いできる日を楽しみにしております。 追伸 台風はもう飽きましたね・・・。 松原夜戦基地より 大変でしたね 投稿者:Sampon 投稿日:10月21日(木)21時14分41秒 GO船長にはまたも台風との格闘、お疲れ様でした。 今朝のニュースではこの台風による死者24名となっていましたが、夕刊では一気に増えて54 名とか。謹んでご冥福をお祈りします。 それにしても、今回の台風の威力は一味違いました。あの高知での堤防決壊といい、海王丸 の座礁といい、大変ショッキングな映像ばかり目にしました。まだ24号が控えていますが、まさ か11月になって台風襲来なんてことにはならないでしょうね。 甲標的の映像はこれから取り込んでアップしますので、GOさん以外の方はしばらくお待ちくだ さい。 凄かった 投稿者:GO 投稿日:10月20日(水)21時36分47秒 >Samponさん #台風 凄かったです。丸1日やられました。 #甲標的丙型 右舷側面中央にある3カ所の給排水口も、な〜んか形状が怪しいです。特に前の丸い奴で す。あんなに薄いのが原形を保つのは無理じゃないかと思います。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日:10月20日(水)09時22分6秒 グアムの甲標的、以前の状態と見比べると、それらしく修復されているのが分かりますね。横 舵が分厚いのは、私もすぐに気付きましたし、潜望鏡もたぶんオリジナルとは形が違うのだろ うな、と想像していました。その他の点のご指摘はさすがGO船長です!いい加減な修復をする ぐらいならそのままの方が良かったかもしれません。向こうにしてみれば、そんなこと言うなら 金出してくれ、と言うかもしれませんが。 今朝の北九州は結構強い風雨です。お気をつけください。 甲標的丙型 投稿者:GO 投稿日:10月19日(火)22時14分0秒 >Samponさん グアムの甲標的丙型ですが、写真を分析したところセイルカバー、特眼鏡、ラジオアンテナ、 ハッチ上部のハンドル、横舵が作り替えられています。 横舵なんてあんな分厚く、しかも箱組みな訳ないし、ハッチの上にハンドルもない。 セイルカバー側面の足かけ孔もなくなっている・・・・・。無念。 ひさびさ更新しました 投稿者:Sampon 投稿日:10月19日(火)00時54分27秒 今晩は久しぶりにページ更新作業をしました。「とっておきの一枚」のコーナーは当初は週替わ りに次々と書くつもりでしたが、何と前回から4ヶ月も経ってしまっていました。われながら呆れ 返るばかりです。まったく恥ずかしい限りです。それから、tuka様にいただいた横須賀の写真を 追加いたしました。興味をそそるような写真をお持ちの方は、是非お寄せください。 すっかり秋ですね 投稿者:Sampon 投稿日:10月17日(日)14時54分13秒 グアムから帰ってあっという間に1週間が過ぎてしまいました。ページの更新はおろか、この掲 示板への書き込みさえする暇がなかったのですが、ようやっと溜め込んだ仕事も落ち着き、い つものペースに戻ってまいりました。頑張って内容充実させてゆく所存ですので、皆様よろしく お願いいたします。 ところで、マリアナ諸島のことをネットで調べていて、すごいホームページを見つけました。この 掲示板に来られるような方だったら御存知でしょうが、サイパン島の北にパガン島というほとん ど無人の島があり、戦時中日本軍の守備隊が駐屯していました。上陸戦闘などはなかったた め余り一般には知られていませんが、そのパガン島の関係者(御本人がパガン島を御経験さ れた訳ではない)がまとめられた「遥かなるパガン島よ...」というページ(下記URL参照)で す。さっそくリンクを申し込むつもりですが、このような殆ど名も無い島のことを研究されている 方がおられるなど、ネット社会とは本当に広いものとつくづくお思います。私も頑張らねば、と発 奮することしきりです。 http://www.dd.iij4u.or.jp/~pagan/index.shtml/index.shtml お帰りなさい 投稿者:GO 投稿日:10月12日(火)22時29分0秒 >Samponさん 無事帰国お帰りなさい。 写真がアップされるのを首を長くして待ってます(笑) とにかく、お疲れ様でした。 帰ってきました 投稿者:Sampon 投稿日:10月12日(火)08時48分2秒 グアムの旅から帰還いたしました。やはり家族と一緒なので戦跡ばかり行く訳に行かず、買い 物やビーチでの家族サービス(それはそれなりに楽しかったのですが)の合間を縫って慰霊碑 や戦跡、展示兵器を訪ね、一人でささやかな慰霊祭を行い写真を撮ってまいりました。 今までグアム、サイパンは何度か訪れてましたが行ったことのなかったテニアンに行かれ、ロ タにも少しだけ足跡を印すことができて大変印象深い旅ができました。調子に乗ってフィルムを 消費し過ぎ(53本)、現像代を考えると少々頭が痛いものがありますが。幸い帰ってきてから3 連休があってゆっくり旅の疲れを落とすことができて、フレッシュな気分で仕事に戻れます(とい いつつかなり憂鬱です)。 また仕事に追いまくられる日々なのでページの更新が遅れると思いますが、暫定的にでも公開 したいと思っております。 richard様 「帝国海軍」掲示板の件の書き込みご覧になられたのですね。門司親徳さんのご子息には仕 事上で大変お世話になっておりまして、いつも親身に相談に乗っていただいています。 ロタへは行く予定が無かったので下調べをほとんどせず、空港脇の機銃座を見たときは25mm 機銃だと思ったのですが、帰国後貴HPを拝見して13mmだと知った次第です。阿部少佐のお 話し、貴重なエピソードをご紹介ありがとうございます。海兵六十四期だと現在八十七、八位に なられる筈ですが、今も真珠湾への行脚を続けておられるのでしょうか。ロタ島へは改めてゆ っくり訪ねたいものですが、richard様のページは大変参考になります。あの、砲身を貫通した 機銃弾の写真はインパクトが強いですね。マリアナのページ作りについて、色々ご指導を仰げ れば誠に幸いに存じます。 編集済 ロタ空港駐機三十分。 投稿者:richard 投稿日:10月11日(月)10時24分29秒 Samponさん。 一番手前に聯裝十三粍があって 二番目に 倒立V-12 が上下逆さまに展示してあったでしょ う。 ロタ島海軍先任指揮官は兵科六十四期の阿部善次少佐。毎年十二月八日前後になると「赤 城艦爆分隊長」として布哇に出没される方です。 マリアナ海戦には彗星九機の指揮官として隼鷹を発艦。 ワプスまたはバンカーヒルに投弾。 四機のグラマンに執拗に追尾されて一時間、燃料切れ直前にロタ飛行場に着陸と同時に背 後から機銃掃射。 貴重な艦爆操縦指揮官なので救出には手を尽くしたらしいが 結局ロタ島海軍部隊指揮官とし て終戦まで駐留。 もしかして、いや多分 あのエンジンは阿部機のものかも知れません。 ご本人に知らせてあげたいが、ご自分でしょっちゅう布哇に行かれるくらいだから、ロタ島へも 行かれて 先刻ご承知かも。 Sampon さま 投稿者:richard 投稿日:10月10日(日)15時54分56秒 ロタ、テニヤン、サイパン、グアムだって。 うらやましきかぎり。 満喫して来てください。 最新の寫眞をWeb上で早く見たいものです。 と ころで 門司親徳さんのご長男にお会いになられたって? よかったですね 投稿者:GO 投稿日:10月 8日(金)18時50分13秒 >Samponさん 天気がよくて良かったですね。 写真、楽しみにしてます。 川崎まなぶ様 投稿者:Sampon 投稿日:10月 7日(木)21時56分39秒 いつも貴重な情報をありがとうございます。やはり、富士川丸の飛行機は還納機の可能性大 ですか。これからマリアナ、ヤップの飛行機についても調べたいので、またお世話になるかも 知れませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。 テニアンに行ってきました 投稿者:Sampon 投稿日:10月 7日(木)21時52分53秒 今日は日帰りでグアムからテニアンに行ってきました。ロタで30分の駐機時間中、入国審査 後に空港脇に展示されている飛行機エンジンを大忙しで撮影、サイパンでの乗り継ぎの際は やはり40分間に空港周辺の旧軍施設を撮影して走り回りとテニアンに着く前にフィルム5本は 消費しておりました。 テニアンではレンタカーを借りて走り回り、6時間ほどかけて第一航空艦隊司令部やら南洋興 発事務所跡やら原爆搭載地点などを駆け抜けてきました。サイパンで一泊しなければならない かと思ったら、コンチネンタルの夜便でグアムに帰れることになって先ほどグアムに帰還したと ころです。サイパンに泊まって、近藤さんのお店で食事しようかと思っていたので少し残念。 GO様 今日はテニアンではずっと好天でした。グアムでも天気は上々だったとのこと(姑談)。こちらに 来て雨ばっかりだったのですが、一日晴れていたのは初めてです。台風は来ていませんよ。甲 標的、ちゃんとGOさんの分の写真撮ってありますので楽しみにお待ち下さい。運貨筒は本当 に残念です。埋まっている地点の写真を代わりにお送りしましょう。 richard様、 御返事遅くなってしまって済みません。お褒めの言葉、ありがとうございます。わたしは兵器マ ニアではない(少なくとも自分ではそう思っていますが、世間の人から見たらマニアかも知れま せん)のでオタッキーなページにはしたくないのですが、研究家の方にも見ていただけるような ものを目指したいとは思っております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 う〜ん、どうして消えたのかな? 投稿者:川崎まなぶ 投稿日:10月 7日(木)21時40分35秒 18年8月上旬 「最上川丸」が撃沈され、その代わりに「富士川丸」が五五二空の基地物件を 各地に輸送するためにマーシャル方面各地をまわり、それが終わって「知床」などとトラック経 由内地へ帰途についたところで被雷したということでした。 同じ頃零戦二一型がマーシャル方面へ送られてきていますが、これは空輸でした。ということ で、「富士川丸」が抱えている零戦は、その後のマーシャル方面かトラックからの還納機となる のでしょう。 こんな感じだったかな? なんと 投稿者:GO 投稿日:10月 7日(木)19時33分46秒 >Samponさん グアムの天気はどうですか、台風は大丈夫でしょうか? #甲標的 写真を楽しみにしています。(笑) #特型運貨筒 え〜埋まっちゃったんですかぁ。 >河崎まなぶさん たしか最上川丸が沈んで・・・・すいません覚えてません。(汗) Guamに来ています。 投稿者:Sampon 投稿日:10月 6日(水)21時24分30秒 今日、グアムの海軍基地で甲標的を見てきました。広報担当の少尉さんが案内してくれて、余 り待たせては悪いと思って急いで写真を取りまくって、ゆっくり見られなかったのですが一大目 的は達したかな、と思います。 運貨筒は残念ながら砂に埋もれてしまったとのことで見つけられませんでした。その他、大砲 などを置いていたグアムの博物館やホテルなどもずいぶん閉めてしまったところもあり、情報 も更新が必要です。 川崎まなぶさん、確かに富士川丸の件で書き込みされていたのを一昨日ホテルのパソコンで 拝見しました。どうして消えてしまったのか分かりませんが、もう一度書き込んでいただいてよ ろしいでしょうか? なんと 投稿者:GO 投稿日:10月 6日(水)19時16分16秒 >近藤さん どうも、情報ありがとうございます。 #甲標的 なんと勿体ない事を・・・・。その残骸はどこにいったんでしょうね。 サイパンに沈んでいた甲標的は、トラック隊の一部で商船に曳航され、サイパンに立ち寄った 際にサイパン攻撃に巻き込まれ全滅したそうです。 Re:特潜 投稿者:近藤 投稿日:10月 6日(水)08時31分32秒 GOさん 返信が遅くなってスミマセン! samponさんが留守中だと思って、ここはしばらく訪れていませんでした。(汗) 甲標的ですが、"GUAM/PACIFIC"誌 MAY31,1988(ふ、古い!)サイパン島タナパグハーバー 内で大戦中に沈んだ飛行機や船に関する記事中に"Japanese mini-sub"とあります。(写真な し) これが甲標的なのかは定かではありませんが、航路上近くにあったため、その後、航路を掘り 下げる工事の際に撤去されたそうで、今となっては確かめるすべもありません。とほほ http://net.saipan.com/personal/spn1239/nin-niku/remnantsindex.htm あれ 投稿者:川崎まなぶ 投稿日:10月 5日(火)21時45分42秒 「富士川丸」のことを書き込んだつもりが・・・・。 特潜 投稿者:GO 投稿日:10月 3日(日)19時08分4秒 >近藤さん サイパンには甲標的は沈んでいませんか? もし、沈んでいたら写真をお願いします。 光栄です。 投稿者:richard 投稿日:10月 1日(金)21時41分2秒 私のページを見ていただいてゐたとは 光栄しごくです。 有難度く厚く御禮申し上げます。 それにしてもSamponさんのページは凄い。 零戦二十一型と三十二型のコクピットの見分け方 とか、チハ長四十七粍と短五十七粍の違だとか、玄人はだし。それでいてオタク頁でもなく内 容の濃い盛りだくさんの読ませるページです。 ピエズ島の話なぞ ほとんど一般には知られてゐない 貴重な情報です。 よく勉強されてますねー。 一行の文章を書くのに どれほどの準備が必要か判っているだけ に 労作には感服しました。 未完の部分 是非 完成させて下さい。 期待してゐます。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~taro/ ご来訪ありがとうございます 投稿者:Sampon 投稿日: 9月30日(木)21時39分14秒 Richard様 ご来訪ならびに過分なお言葉、誠にありがとうございます!まだ未完成部分が多くお恥ずかし いのですが、ご期待に背かぬようなページ作りを心がけてゆきます。お気づきの点などありま したら、ご指導をお願いいたします。 貴HPも度々訪問していました。特にロタ、テニアンのページに、それと「我が闘病記」も興味深 く拝見しました。読んでいるこちらも痛くなる気がいたします。どうぞご自愛ください。アンデスの ピンクの塩を愛用されているとか、我が家でも使っております(昨年までボリビアに住んでおり ましたもので)。 ソロモンご訪問の際はぜひご相談ください。きっと一生ものの良い旅になることと思います。こ れからも本HPをご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 ソロモンの戦跡 投稿者:richard 投稿日: 9月29日(水)19時38分53秒 立派なページに行き当たり、感激です。 「ブーゲンビル島脱出記」大変興味深く読ませてもらいました。 あまりにも盛りだくさんで これ から一つ一つゆっくり読ませてもらいます。 バラレとショートランドには是非一度行ってみたいと思ってをります。 その時は相談にのって下さい。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~taro/ ありがとうございます!! 投稿者:Sampon 投稿日: 9月28日(火)23時11分18秒 望月様、ご来訪ありがとうございます。下に書き込みました情報の一部は「戦捜録」から得たも のです。お断りもしませんで失礼しました。 望月様は確か、以前北九州に住んでおられたのですね。私は昨年から八幡に住んでおりま す。軍艦防波堤や高塔山公園を見に行くときなど、貴HPをずいぶん参考にさせていただきまし た。 わたしのページは写真紀行と題しておりますとおり、視覚的なものがメインなので文章のみ見 ていただいても余り面白くないのではないでしょうか。よろしかったらインターネットカフェなどで ご覧になってください。 グアムの戦跡情報は6年前に現地で買った「Best tracks on Guam」という本で場所など確かめ ております。ご指摘の本はぜひ探してみようと思いますが、万一絶版や品切れでは困るので、 お言葉に甘えたいと思います。望月様のHP(新装開店を心待ちにしております)にメールアドレ スが見当たりませんので、恐れ入りますがこちらにメールいただけませんでしょうか。 嬉しいお申し出、何よりありがたく存じます。これからも、何卒よろしくお願いいたします。 はじめまして 投稿者:望月 創一 投稿日: 9月28日(火)21時57分8秒 Samponさん、はじめまして。 一ヶ月ほど前に、「戦捜録・掲示板」に書き込み頂きありがとうございました。 あの後、こちらを何度か見させて頂いておりますが、ネット環境が貧弱なため、 未だ文章のみしか読んでおりません。 さて、今週末にグアムに行かれるとのことですが、現地の博物館で販売している 「WORLD WAR 2 REMNANTS Guam Northen Mariana islands」なるガイド ブックはご存じでしょうか。 沈船や、他の遺構・遺物などについて、地図を使ってかなり詳細に解説しており ます。私としてはとても重宝しました。 もしも未入手でしたら、郵送なりFAXなり致しますが、如何でしょう。 まったくです 投稿者:GO 投稿日: 9月28日(火)20時02分52秒 >Samponさん #写真 よろしくお願い致します。 甲標的に上れればいいんですけど、それをやると捕まるでしょうね。 #台風 まったくいやになります。これが最後ならいいんですが・・・・。 承知しました 投稿者:Sampon 投稿日: 9月28日(火)19時33分32秒 GO船長、 撮影依頼の件、承知しました。詳細はあとでメールで打ち合わせましょう。 明日、また台風が九州に上陸します。今年はこれで何度目になるのか、もはや記憶にありま せん。船長様もお気をつけください。 うひょ 投稿者:GO 投稿日: 9月28日(火)19時10分56秒 >Samponさん #ウルシー ヤップから船で行くようですが、パラオでチャーターし直行した方が交通の便がいいかも。 #特型運貨筒 特型運貨筒は水際に半分埋まった状態であります。 丸スペシャルでグアムの海岸で銃撃を受ける写真が、この特型運貨筒に当たります。 #甲標的丙型 お金を払いますから、詳細に36枚取りフィルム1本分撮して頂けませんか?特型運貨筒と合 わせて2本分お願いしたいんですが・・・・。 #子供づれ 子供づれで行くんですか、それは難しいですね。 ウルシー&グアム 投稿者:Sampon 投稿日: 9月28日(火)18時51分25秒 GO様 >ナショナルジオグラフィックは潜ってましたけど。 すみません、どうやらわたしの勘違いでした。しかし、この件で検索かけて驚いたのですが、ウ ルシーにもダイブショップがあります。(http://www.diveulithi.com/)しかし、ウルシーまでどうや って行くんでしょう?やはりヤップから船なんでしょうか。 >ウガヤ湾ではなくウマタック湾でした。 >特型運貨筒は海面より10〜20cmほど出ている状態で、2つに折れています。 ウマタックに何やら潜水艇のようなものが沈んでいるとは幼い日に確かに読んだ記憶がありま す。実物を見たような気もするのですが、定かでありません。今度行って確かめてきます。同じ 湾に零戦も一機沈んでいますが、これは度重なる台風でバラバラになって原型を留めていま せん。昭和50年頃の雑誌ではキャノピー枠も残っていたのですが。 >ところで、甲標的丙型は行かないんでしょうか? もちろん、参ります。グアム行きを決めてからどうやって特潜の展示されている基地の中に入 れるか考え、とりあえず海軍基地の広報担当にメール出したのですが梨のつぶて。考えあぐね てj-aircraft.comの掲示板に助けを求める書き込みをしたら、NZの人が基地の渉外担当の少 尉を紹介してくれました。これでどうやら行けそうです。それが駄目なら横須賀の米軍司令部に メールしてみようと思っておりました。 >それがよく分からないんです。特潜、特運情報は入手できていますが・・・・。 >戦車や火器はあるんじゃないかと思います。 わたしが把握しているのは船が東海丸と木津川丸、飛行機がウマタックの零戦とアプラ湾の九 九艦爆、戦車は九五式軽が2台(1台が土産物屋の店先、1台が山の中、シャーマン数台(ただ し戦闘で破壊されたのでなく戦後標的にされたもの)、火砲は47mm速射砲、海軍の12.7c m、14cm、短20cm砲などです。子供づれで、このうちどれだけ見られますやら。 リンク完了 投稿者:GO 投稿日: 9月28日(火)17時31分53秒 >近藤さん 本日リンク工事を完了しました。 >Samponさん #ウルシー そうなんですか? ナショナルジオグラフィックは潜ってましたけど。 #グアム 失礼、ウガヤ湾ではなくウマタック湾でした。 特型運貨筒は海面より10〜20cmほど出ている状態で、2つに折れています。 写真をお願いします。 ところで、甲標的丙型は行かないんでしょうか? #戦跡情報 それがよく分からないんです。特潜、特運情報は入手できていますが・・・・。 戦車や火器はあるんじゃないかと思います。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月28日(火)05時31分17秒 ウルシー環礁、魅力的ですね。行くとしたらヤップから船をチャーターしないと駄目でしょう。「ミ シシネア」は確か、聖域とされていて潜れないと何かで読んだように思います。 今週末、実はグアムに行くのですが、運荷筒の場所が分かる資料はありませんか?ウガヤ湾 というのはグアムの地図に見当たりません。他にも戦跡情報あれば、是非お願いします! 零水偵 投稿者:Sampon 投稿日: 9月28日(火)05時26分2秒 近藤様 零水偵の美しい写真、ありがとうございます。プロペラが曲がっていないところを見ると、繋留 中に銃撃されて沈んだのでしょうね。松安丸と二式大艇は行きましたが、零水偵はまだ潜って いないもので次回サイパンを訪れる際はは必ず行くつもりです。近藤様のご威光で、そのうち 「ゼロ戦ポイント」も「零水偵ポイント」と改名されるのでしょうか。 サイパンの写真事情、良く分かりました。大変なご苦労をされているのですね。いまどき、大概 ダイビング船(Livaboard)でもE6現像できるというのに。 絵塗師様 お久しぶりです。最近絵塗師さんのお名前をお見かけしないので寂しく思っておりましたが、掲 示板みてくださっていたのですね。引き揚げ保存も良いのですが、ジャングルや珊瑚礁の海と いう舞台装置に囲まれた残骸には廃墟の美に通じるものがあって、わたしはもしかしたら員綺 麗な飛行機より残骸の方が好きなのではないかと思うことも時々あります。先日、河口湖で零 戦の残骸を見たとき、これら舞台装置を欠いていたためか今ひとつ感動が起こりませんでし た。 もう一つ 投稿者:GO 投稿日: 9月27日(月)22時49分2秒>近藤さん 忘れてた。 グアムのウガヤ湾の海岸に特型運貨筒の残骸があるんですが、もしグアムに行かれる際には 写真を撮影し、HPにアップして下さい。 了解!! 投稿者:GO 投稿日: 9月27日(月)22時47分40秒 >近藤さん #リンク 了解です。明日さっそくリンク工事を実施します。 ページのアップは少しづつしないと、ネタ切れになってしまいますよ(笑) ところで、ウルシー環礁は潜りに行かないんですか? 零式水偵 投稿者:絵塗師 投稿日: 9月27日(月)09時20分31秒 画像拝見しました。 状態は良さそうですね。こういう残骸を見るとすぐに引き揚げて保存してくれないかなと思ってし まうのが哀しい性です。 ダイバーが一緒に写っているので大きさが比較できます。3座なので、やはり機体は大きめで すね。 零式水偵 投稿者:近藤 投稿日: 9月26日(日)21時25分7秒 samponさん 愛知「零式水上偵察機11型」の画像をアップしました。 ここ です。お時間があるときにでもご笑覧ください 水中ハウジングメーカーのサイトを見たら、すでにDXニッコール10.5mm用のポートも発売にな っているんですね〜。(ぜんぜん知りませんでした) サイパンのような小さな島に住んでいるとそうった最新情報に疎くなるので困ったモノです。 いつも出しているグァムの現像所は日本のプロラボ等とは大違いで、増感ひとつ出来ないし (増感を頼むと、責任が持てないからと断られる(苦笑))、斜め切りや傷なんてしょっちゅうです よ。アハハハ、、、(って、笑えないっちゅーの!) 日本だったら大騒ぎになるところでしょうけど、私はプロじゃないですし、サイパンで代理店をや ってる人も私の長くからの友達なんで、あまり強くいえないんです。 南の島に長く住んでると、そういったことにもあまり腹を立てなくなりますし。というか、いちいち 腹を立ててるとキリが無い?(笑) それから、こちらにポジの現像所が無い理由ですが、ご存知のようにポジの場合、現像液の状 態を保つには常にある程度まとまった数のフィルムをコンスタントに流す必要がありますが、サ イパンのように需要がほとんど見込めない地域では現像機自体、置いておく意味が無いんで す。(ポジフィルムもこちらでは手に入りませんから、いつも日本から取り寄せです) 現像にはいつも2-3週間かかりますから、届く頃には何を撮ったのか忘れてしまうこともしばし ばです。(笑) GOさん リンクの件、ありがとうございます。 戦跡に関してはまだまだ未完成なサイトですが、それでもいいのでしょうか?(冷汗) リンクしていただけるのでしたら、大発のページも早くアップしないと〜!(焦) ですよねぇ 投稿者:GO 投稿日: 9月26日(日)21時18分55秒 >Samponさん やっぱりSamponさんもそう思いますか(笑) サイパンの海 投稿者:Sampon 投稿日: 9月25日(土)22時34分17秒 GO様 サイパンの二式大艇、本当に触雷で沈んだかどうか分かりません。話としては面白いですが、 信憑性は「?」ですね。そりゃ、機雷の威力はすさまじいでしょう。あっという間に戦艦2隻を葬 ってしまったこともある位ですから。もちろん、100年前の「八島」「初瀬」のことです。 サイパンは本当にいつも透明度が良くて羨ましいですね。わたしも陸奥に行ったとき、「透明度 が良ければ」とつくづく思いました。最浅部が12mですから、サイパン並みの透明度なら海面か ら十分見られますからね。「長門」の沈むビキニならサイパンに負けない透明度なのですが、ア クセスが... リンク 投稿者:GO 投稿日: 9月24日(金)22時50分6秒 >Samponさん #二式大艇 機雷ですか、機雷であそこまでバラバラになるとは、かなりの威力ですね。 陸奥もあんなに透明度のいい海に沈んでいればと思うのは私だけでしょうか? >近藤さん こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。 #リンク 近藤さんのサイトをリンクさせて頂きたいんですが、よろしいでしょうか? #大発未公開カット 楽しみにしてます。 #「検証 回天菊水隊ウルシー突撃」 私のサイトをご覧頂ありがとうございます。 回天ウルシー突撃は、公式資料を基に書いてみましたが、まだまだ真相に迫れていません。 そろそろ、回天進入時間予想を書き加えてみます。 近藤様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月24日(金)06時44分37秒 タイガーシャークというとイタチザメのことですね。気性が荒いと言われますが、出会ったことが ないので見てみたいものです(サイパン周辺では襲撃例などは無いと思いますので)。 ニコンのデジタル一眼用ならば、DXニッコール10.5mmというのがありますので、これで35mm 判の16mm魚眼と同じ画角が得られます。デジタル一眼では水中ストロボのTTL調光が利かな いという欠点があって、わたしレベルだと少々問題になるのですが近藤様ならノープロブレムで すね。 デジタルはその場で映像を確認できて何度でも撮り直しが利くし、確かに便利この上ないの で、わたしも多用するようになりました(主力はいまでも銀塩ですが)。ポジのスキャンに時間が 掛かると書いておられましたが、わたしの場合デジカメにマクロレンズで接写して済ませていま す。スキャナーの画質には及ばないでしょうが、HPに使うには十分だと思います。これなら取り 込み時間一枚数秒で済んでしまいます。 サイパンではスライド現像ができないとはちょっと信じられないのですが、プロラボレベルの現 像ができないということでしょうか。もしかして、水が悪いからですか?グアムまで送っておられ るとは大変な手間と時間を費やすのですね。サイパンで好きなだけ写真が撮れることを羨まし い限りと思っておりましたが、こんな大変な苦労があるとは驚きです。手元に返ってくるまでは 心配ではありませんか?今まで紛失など一度もなかったのでしょうか。 (無題) 投稿者:近藤 投稿日: 9月24日(金)00時11分13秒 samponさん 「ダイバーズバイブル」はその昔私も読みましたが、当時はまだ日航ホテルがありませんでした から、「タナバグ沖合」といった曖昧な表現になったのでしょう。実際にはホテルニッコーサイパ ン沖合いです。 文中に登場する巨大ザメはその大きさから、たぶん「タイガーシャーク」と思われます。(タイガ ーシャークはサイパンでは普通に見られますが、個人的にはあまり水中で会いたくないサメの 一つです。(苦笑)) タイガーシャークは別格としても、LVTが沈んでる辺りは本に書かれているように昔からサメが 多い場所で、「シャークポイント」と呼ばれダイビングポイントしてごく稀に使われていました。 「いました」というのは、現在はサメも減ってポイントとして使われなくなって久しいからです。 ですので、最近の若い現地ガイドさんではその存在も知らない人がほとんどでしょうから、ダイ ビングショップのサイトにもまったく登場しないのでしょう。 PS 写真について過分なお言葉、恐縮です。(大汗) サイパンにはポジの現像所が無いため、撮影済みのフィルムはいつもグァム島まで送って現 像しています。(船便なので現像まで軽く2,3週間かかるんです。とほほ) そのため、最近はフィルムが要らないデジタル一眼レフに興味津々です。 手頃な価格の水中ハウジングも発売になったことですし、あとは画角の問題だけ解決すれば 「買い」なんですが・・。(CCDの関係で画角が1.5倍になるため広角は画角が多少狭くなる) ちなみに、水中撮影はRS(13mm)の他に、ニコンF3(16mm)とニコノス5型(20mm)も多用して おります。 GOさん、はじめまして。 以前、hashさんのリンク集から「希少資料艦艇研究所」は拝見させていただきました。 特に「検証 回天菊水隊ウルシー突撃」は大変興味深く拝見しました。(こちらのディスカバリー チャンネルで回天特攻を観てから興味があったもので) 大発は他のカットもたくさんありますので、いずれアップしたいと思っています。 今後とも宜しくお願いします。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月23日(木)20時16分49秒 >海女さん 了解です。広島湾以外には、もしかしたらいるかも知れないということで。 サイパンの二式大艇、もう15年前ですがわたしも一度だけここに潜りました。近藤様の写真に 見るように本当にバラバラで全く原型を留めていません。でも、機首の銃座など特徴ある部分 も残っていて、見る人が見れば一発でそれと分かります。アメリカの戦跡探索家、Justin Tylan 氏のHP(www.pacificwrecks.com)の記載では、機雷に触れたためとの情報もあり、それが事 実だとしたらあれだけ破壊されているのも納得です。いま近藤さんがこの大艇の来歴を調査さ れているようですので、結果に期待しましょう。 大発、LVTの写真も資料としての貴重さももちろん、写真としても大変素晴らしいものです。こ れらの写真は、多分ニコノスRS+13mm水中レンズという、バブル期に開発されて今は生産され ていない、いわば幻の名機で撮影されていると思いますが、プレミアム付で売買されるマニア 垂涎のカメラで、わたしに手が出る値段ではありません。ただし魚眼レンズの画角を使いこな すのもプロフェッショナルな腕前があってのことであり、なかなか真似できるものではありませ ん。願わくばわたしも少しはあやかりたいものです。 バラバラだ 投稿者:GO 投稿日: 9月21日(火)17時26分1秒 >近藤さん はじめまして、希少資料艦艇研究所んpGOと申します。 二式大艇は判る人が見ないと判らないくらいバラバラですね。 大発は外板が腐食によりなくなっているため、普段では見られないフレームが見え非常に興味 深い状態ですね。 いいものを見せていただいきました。 近藤様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月21日(火)06時46分23秒 二式大艇の美しい写真をご紹介くださってありがとうございます。サイパンの海はいつも透明 度が高いですね。 ところで、先日ここに書きました、サイパン海底の戦車の件、先日実家の本棚にある「ダイバー ズバイブルPart3」のCASE231「沈戦車ポイントで巨大ザメに遭遇」に出ているのを確認しまし た。 この本の中で、マニャガハ島から北へ進んだ、タナパグの沖合いに戦車が沈んでいると書か れています。その記述は「おれなぁ、このあたりをシュノーケリングしながら流したことがある。 そのとき、太平洋戦争当時の戦車が十数台連なるように沈んでいるのを見た。ぞくぞくして戦 車の群れに見惚れたよ。たいへんなポイントを発見したっていう気持ちだったからな。」と著者 に語りかけるというものでした。同じものを近藤様が再び見つけられたとは、大変貴重な発見 でしょう。こちらもダイビングスポットとして公開されるのでしょうか。 新発見の飛行機もわくわくしますね。正体が判明することを祈っております。サイパンの戦跡情 報、これからもとても楽しみにお待ちしております。 おっと 投稿者:GO 投稿日: 9月20日(月)21時19分46秒 >Samponさん 私が見た事がないだけです。 まぁ、広島湾にはいませんけど。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月19日(日)21時26分1秒 何ですと、瀬戸内海に海女さんはいない?凄い情報をありがとうございました。 海の濁りも少しづつ回復しているとのこと、次回陸奥に潜れる日をひたすらに待つことにいたし ます。GOさんも早く趣味と実益の素潜り再開できるといいですね。 川西二式飛行艇 投稿者:近藤 投稿日: 9月19日(日)11時48分19秒 ス、スミマセン! URLを間違えました。(滝汗) 正しくは ここ です。 川西二式飛行艇 投稿者:近藤 投稿日: 9月19日(日)11時42分8秒 samponさん 松安丸の近くに沈む川西二式飛行艇のページをひとまず ここ にアップしました。 写真はまだ19点ほどしかありませんが、今後さらに増やす予定です。(ポジはたくさんあるんで すが、それをスキャンしている時間が無いんです〜) サイパン編をアップされるときの参考にしていただければ幸いです。 ところで、先日サイパン港内で他の沈没船の船体探しをしていたところ、偶然、飛行機の一部 と思われる残骸を見つけました。無線機らしい部品に英語が書かれていたことから、たぶん米 軍機の残骸だと思いますが、まだ未発見の機体です。(PVYかも?) かなりの部分が砂に埋まっているため、次回は何人かと一緒にスコップを持って行って砂を掘 ろうと考えています。本業のほうもこれくらい一生懸命やれば良いのですけど・・(苦笑) 取り急ぎ、ご報告まで。 そうりゃぁもう 投稿者:GO 投稿日: 9月18日(土)22時10分40秒 >Samponさん #濁り 海の濁りは半端じゃありませんが、だんだん青色に戻りつつあります。 #海は誰のもの? スキューバを付けたら即逮捕ですよ(笑) 海女さんは確かに素潜りですが、瀬戸内には海女さんはいませんから・・・・。 海の色はうつりにけりな 投稿者:Sampon 投稿日: 9月17日(金)20時12分27秒 GO様、 職場だからというのはごもっとも。上から見て濁っていると分かるのなら中は相当酷いですね。 厳密に言えば、漁業権が設定されている場所で漁業権者以外が魚介類を採取したら全て密 漁に当たるはずです。素潜りだと(量にもよりますが)捕まっても漁師さんにぶん殴られる位で 済むかも知れませんが、スキューバをつけて密漁してたらただでは済まずに警察沙汰でしょう ね。でも、海女さんだって多くは素潜りですから、言い訳にならないかも。特にサザエ、アワビ 等の高級品の場合。 本来誰のものでもない海を漁師さんが独占するのも変な話かもしれませんが、それで生計立 てておられるというのは矢張り尊重しないといけませんね。陸奥のサルベージの際も、漁礁に なっている陸奥に手をつけるのに反対する漁協を説得するのが何より大変だったようです。 仕事上 投稿者:GO 投稿日: 9月17日(金)18時57分8秒 >Samponさん 海は職場なので、潜りに行かなくてもいつでも見れます。 あの色を見ると、さすがに潜りに行こうという気が失せてしまいます。 密漁禁止って、素潜りで遊びながら採るのは密漁に当たるのかな? だいたい、私たち素人が素潜りで採ったからといって、漁師の生活が困るほどの事はないと思 いますが。 ゆうぞう様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月16日(木)22時17分3秒 せっかくお会いしながらゆっくりお話しできなくて残念でした。ゆうぞうさんもお疲れでしたでしょ う。すみません、いただいたDVDまだ見ていないのです。今晩確かめてお知らせします。気を 使ってくださってありがとうございました。 hush様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月16日(木)22時16分3秒 リンクに引き続き、「ブーゲンヴィユ」ページを贈ってくださいましてありがとうございました。こち らの方は猛烈に忙しい日々が続いておりまして、hushさんのページへのリンク工事が遅れてお りまして大変申し訳ない次第です。件のページを見て「植民地通報艦」という艦種があったこと を初めて知ったのですが、軽巡とは違うのでしょうか。 それと、シデ神社の写真は頂き物としてご紹介したいので、送っていだたいてもよろしいでしょ うか。よろしく、お願いいたします(御鞭撻の「撻」の方はどういう意味の字でしょう?)。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月16日(木)22時15分14秒 瀬戸内の濁りを確認されたということは海に潜られたのですか?だとしたら何か収穫はありま したでしょうか。そんなに泥水状に濁っているのでしたら、当分はダイビングなんてできません ね。九州にいるうちに果たして陸奥再訪が叶いますでしょうか。 そういえば、陸奥で潜ったとき、ポイントに行く途中、能美島の浜で楽しそうにバーベキューして いる人たちを見かけましたが、浜で採れた貝やら釣った魚なんかその場で焼いて食べたら旨 いでしょうね。うちの近くの海岸では密漁注意の立て札がそこかしこにあって、とてもできそうに ありません。 DVD 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 9月16日(木)15時45分25秒 零戦の会定例会ではお世話になりました、ビデオ撮影お疲れ様でした。 ところでDVD見れました?もしかしてファイナライズかけずに差し上げてしまったかも知れませ ん。もしダメだったらまた渡しますので。 いや濁っていた 投稿者:GO 投稿日: 9月14日(火)22時47分0秒 >Samponさん さほどでもないと思っていたら、海は泥水状態でした(汗) アップププ完了 投稿者:hush 投稿日: 9月13日(月)23時10分13秒 ブーゲンヴィユ竣工、ついでのおりにでも御確認いただければ幸いであります。 >扶桑でも良いですよ 欲しい? >シデ神社 そう言えばあそこの写真を撮った時に不思議な丸いものが… 崖の向こうのお寺の軒瓦が林越しに写ったものと拡大した結果分かりましたが、ここはデジタ ルなものを嫌うのかな。 えーっと、直接リンクしてもらっても写真だけ持っていってもらってもいいです。 >御鞭撻 鞭ねぇ… http://hush.gooside.com/ 9ではなく15 投稿者:GO 投稿日: 9月13日(月)19時15分45秒 >Samponさん 9棟ではなく、15棟でした(汗) 今日のニュースで言ってました。 宮島 投稿者:GO 投稿日: 9月13日(月)17時52分31秒 >Samponさん #宮島 宮島は大変な事になっています。 国宝の能舞台は倒壊、その他国宝の建物9棟が損傷。 それ以外に桟橋の一部も損傷。 桟橋から厳島神社までの岸壁は倒壊、そこに並べられていた灯籠も倒壊。 完全復旧まで2年ほどかかるでしょう。 #陸奥 海はそんなに濁っていませんが・・・・。 hush様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月13日(月)00時20分55秒 さっそくのリンク工事ありがとうございました。錚々たる研究家のお歴々のページに混じって紹 介していただくのは大変緊張いたします。ご期待に恥じないページ作りを心掛けたく思っていま す。この週末は東京の実家に来ており、こちら側のリンク工事が遅くなってしまうこと、何卒ご 容赦ください。 記念ページの件、もちろんブーゲンビルで結構です。とても思い出深い場所であり、ある意味 今の自分を形作るきっかけにもなった島ですので、有難くお受けいたします。あるいは、ハイビ スカスにちなんで戦艦扶桑でも良いですよ、というのは冗談ですが。 そういえば、今年ブーゲンビルに行って、私も見られなかった山元長官機を訪ねてきた方に今 日お会いしてきました。それも、ただ行ったのではなく、自主制作映画のロケをラバウル、ブー ゲンビル、ブカ島で行って来られたという凄い行動家です。これらの場所に眠る飛行機残骸の 貴重な写真を拝見して、いま重症の「行きたい病」に掛かってしまっております。この病気を和 らげるには実際に「行く」しかないのですが、しばらくして更に重度の病気となって再発するのが 非常にやっかいです。 陸奥についてですが、船の科学館は何度か行っていますので、シデ神社の写真を使わせてい ただきたいと思います。陸奥のページからリンクさせようと思いますが、それとも到来物コーナ ーでご紹介させていただいてもよろしいでしょうか。 Hushさんの艦船データベースはよく利用させていただいておりますが、これからもお世話になり ます。どうか、よろしくご鞭撻をお願いいたします。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月13日(月)00時00分54秒 厳島神社の損害は思ったより相当深刻、復旧の目処も立たないらしいですね。8月に高速の パーキングエリアから遥かに眺めただけでしたが、こうなると判っていたら被災の前に見てお けば良かったのに、と思えてなりません。 瀬戸内海北岸がこんな被害ですから、海の中も当然ひどい事になっていて昨日行くはずだっ た陸奥ダイブ第二段は無期限延期です。なにしろ、海中の透明度1mだそうですから。行った らきっと帰ってこられないでしょう。 御報告申し上げます 投稿者:hush 投稿日: 9月10日(金)19時11分25秒 リンクさせて戴きました。 http://hush.gooside.com/index/Link/Johou.html 今までのお付き合いの都合上最下部になっておりますが、御了解戴ければ幸いに存じます。 なお、リンクさせて戴いた方には記念ページをもらって戴く事になっておりますが、 Sampon様にはこちらのページを考えております。 http://hush.gooside.com/name/b/Bo/Bougainville.html 南太平洋各地の多くの島々を訪ねた人であり、現在、そちらのページのこの一枚に使われて いるブーゲンヴィリア(…ハイビスカスじゃん、これ…えーっと)の名前の由来になる人物で、い いじゃないかなと思ったわけであります。 ただ、マラリアに罹ったり、暴動に遭遇された場所であり、山本五十六の撃墜された場所で ありますし、ちょっと迷う部分があります。 御希望を聞かせていただければ幸いです。 最近、戦艦陸奥関連の場所に二つ参りました。 船の科学館と四日市市の神社です。 陸奥の水中写真を拝見してふと思い出したのですが、その時に撮った写真があります。 http://hush.gooside.com/name/m/Mutsu/Mutsu.html http://hush.gooside.com/name/m/Mutsu/ShideJinja.html 上記ページにあります、主砲と神社です。 多分、必要はないと思うのですが、もしよろしければお使い下さい。 >いつも情報を はい、その程度でしたら分かる限り協力させて戴きます。 次は何を調べましょう(これこれ)。 http://hush.gooside.com/ 風 投稿者:GO 投稿日: 9月 9日(木)17時41分54秒 >Samponさん あの風ですから、波の相当なもので、南風の当たった北面沿岸は大変です。 台風去って 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 8日(水)21時37分22秒 本当に凄い風雨でした。真横に雨粒が飛んでいく様を見ていると、風洞実験のように気流が判 って科学者になったような気分でした。しかし面白いどころではなく、この台風で23名もの人名 が失われたとのことで胸が痛みます。台風の中、書き込みくださった皆様、ありがとうございま した。 上保様 今回もキリ番取得、おめでとうございます。今度こそは記念品を差し上げなくてはいけません ね。次回お会いするのを楽しみにしております。 hush様 サイパンの松安丸にひきつづきトラックの富士川丸と、hushさんのくださる情報が大変参考に なります。いつも情報をお寄せくださってありがとうございます。また、リンクの件まことにありが とうございます。こちらからも是非リンクさせていただきたいのですが、このところ時間がいくら あっても足りないので少々工事が済むまで時間が掛かるかもしれませんが。今後とも、どうぞ よろしくお願いいたします。 tuka様 お見舞いありがとうございます。お陰様で、今回もうちは何の被害もなく済みました。妻によると 生後1歳の娘も全然怖がらずに雨を見てはしゃいでいたそうで、父親の呑気さを受け継いでい るようです。 GO様 早めに帰れたとのことで何よりでした。フェリーのブリッジやドックで夜明かしではたまりません ね。今回の風の強さには本当に驚きました。瀬戸内でも荒れると大変なことになるのですね。 19号は大したことないようですが、一応ご用心ください。 最大最強台風 投稿者:GO 投稿日: 9月 7日(火)19時25分24秒 >Samponさん 今回は昼間に来たため、もう家に帰れました。 しかし、ものすごい風で前も見えないくらいでした。こんなに凄いのは初めてです。 ただ、ドック作業中で造船所待機だっただめ、建物の中にいたのですが目の前の津久茂瀬戸 (江田内湾の出入り口、造船所から約500m)が見えなくなりましたから。 凄いですね! 投稿者:tuka 投稿日: 9月 7日(火)19時10分33秒 Sampon様、台風は大丈夫でしょうか? GO様、広島は最大瞬間風速が120ktですか!! 皆様もお気を付け下さい。 5001でした 投稿者:hush 投稿日: 9月 7日(火)18時55分34秒 5000本安打達成おめでとうございます。 九州のほうは大変なようでありますが、大丈夫でありましょうか。 ところで、リンクさせて戴いてよろしいでしょうか。 http://hush.gooside.com/ 5.000いただき 投稿者:上保 投稿日: 9月 7日(火)18時51分18秒 ご無沙汰致しております。こちらも朝からスコールと強風で台風の進路とは、外れていますがデ カイ台風を実感しております。九州・四国方面の方々の無事を祈ております.また被害に遭わ れた方々に、心よりお見舞申し上げます。近じかお会いできると思いますが、5000番のご利 益はその時の楽しみにしておきます。(笑) もう強風圏内 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 6日(月)21時23分55秒 今日の夕方から激しい降り方だった雨が少し弱まっていますが、もう強風圏内に入っていて油 断がなりません。北九州ももうすぐ暴風圏内にも入るようで、明日は北九州市内の学校など軒 並みお休みです。 GO船長、また眠れぬ夜を過ごされるのでしょうか。船の番お疲れ様です。 ところで、このサイトももうすぐ5千人の訪問者を迎えようとしています。5千番のキリ番を踏まれ た方、ご連絡ください。 また台風だ(うんざり) 投稿者:GO 投稿日: 9月 6日(月)19時37分32秒 >川崎まなぶさん なかなか資料がないものですね。 近所に防研があればなぁ(笑) >tukaさん ただいま定期検査のためドック入りしている予備船に派遣されています。 明日は造船所待機です。 >Samponさん よく似た船名で富士山丸というのがあって、間違えてそっちを調べそうになしました(笑) tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 6日(月)07時26分41秒 お探しの多聞丸の情報が手に入って良かったですね。 九州では地震は全然感じませんでしたが、関東でも揺れたのですか。台風が接近している最 中に地震というのは、しかし初めて経験しました。いよいよ18号台風が近づいてきましたね。今 年はこれで打ち止めにして欲しいものです。 近藤様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 6日(月)07時22分6秒 サイパン沖水陸両用車の情報ありがとうございました。サイパンのダイビング情報にはまったく 現れないので、戦車が連なって沈んでいるという本の記載を半信半疑に思っておりましたが本 当だったのですね。15年ぶりにすっきりいたしました。本当にありがとうございました。写真も素 晴らしいものですね。わたしも何とかして見習いたいものです。これらの写真がもっと公開され るのを楽しみにお待ちしております。 今年は遅めの夏休みを取ってマリアナ4島巡りを考えていましたが、1歳の娘を連れてはやは り無理、グアム滞在に切り替わりました。一人で1日抜け出して、まだ見ぬテニアンには行って みようと思っておりますが。いつの日か近藤様とマリアナの戦跡をじっくり探索したいもので す。 情報ありがとうございました 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 6日(月)07時12分13秒 GO様、hush様、川崎まなぶ様 大変貴重な情報をお寄せくださってありがとうございました。次回更新の際にこれらの情報を 盛り込ませていただきます。この掲示板もこんなに盛り上がったのは初めてではないでしょう か。これからも、よろしくお願い申し上げます。 富士川の読みは「ふじかわ」が正しいのではないかとわたしも思っておりましたが、やはりそち らで登録されていたのですね。 揺れてます 投稿者:tuka 投稿日: 9月 6日(月)00時00分38秒 只今、揺れています。震度3ぐらいでしょうか 感謝いたします 投稿者:tuka 投稿日: 9月 5日(日)23時57分15秒 hush様 ありがとうございます。知人のご祖父の日記に、多聞丸に物資を積み込んだ、と書いてあった ので気になりました。ありがとうございました。 多聞丸追加 投稿者:hush 投稿日: 9月 5日(日)23時34分21秒 tuka様 http://hush.gooside.com/Text/3T/31Ta/T108mTama_.html#anchor14211 よろしければ御高覧下さいませ。 川崎様 >かしこまらないでください えっ、してませんが(笑) http://hush.gooside.com/ そんなにかしこまらないでください 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 9月 5日(日)22時39分36秒 GOさん、hushさん そんなにかしこまらないでください。これからもよろしくお願いします。 みなさんのお陰で有益な情報が集まったと思います。あとはSamponさんに丸投げ、じゃなかっ た、うまく纏めて頂ければ、と勝手に期待しています! ありがとうございます 投稿者:tuka 投稿日: 9月 5日(日)22時02分24秒 GO様 ありがとうございます。これから検索してみます。 台風が立て続けに来てますのでお気を付けて下さい。 追記 投稿者:GO 投稿日: 9月 5日(日)18時50分17秒 >tukaさん 追記ですが、戦時輸送船団史は16年12月からしか出ていません。 (無題) 投稿者:GO 投稿日: 9月 5日(日)18時48分58秒 >川崎まなぶさん いえいえ、お役に立てずに申し訳ありません。 「徴用船行動慨見表」を見ればあるかもしれません。 >tukaさん 戦時船舶史によると 多聞丸 8156総トン 八馬汽船 昭和18年4月30日0900澎湖島馬公発、うすりい丸と船団を組み朝風護衛で門司に向け航 行中、1日0230南岐島東南東75km付近においてうすりい丸被雷するもそのまま続航、その 夜多聞丸は機関故障により2100頃落伍漂流、2日には入りN27・18−E121・38(南岐島 南東58km付近)において最悪の事態に陥り被雷沈没、船員61名戦死。 お尋ねします 投稿者:tuka 投稿日: 9月 5日(日)18時06分58秒 太平洋戦争直前の昭和16年11月12日広東から仏印に向かった「多聞丸」を調べています が HITしません。何か知っている方はご教授ください。 富士川丸追加情報 投稿者:hush 投稿日: 9月 5日(日)01時13分38秒 川崎まなぶ様 はじめまして マリアナ沖のページをはじめて拝見して以来、素晴らしいページであるとずっと思っておりま す。 これを奇縁として、お付き合い戴ければ幸いに存じます。 さて、もう少し戦史叢書を読んでいくと9月2日内南洋方面部隊に編入と言う記述がありました ので、被雷の時点では第22航空戦隊から第4艦隊に配備が戻っていた事になります。 ただし、P449にある11月15日現在の第4艦隊の兵力部署には同船の名はありません。 あとP508に記載されている12月5日のアメリカ第50任務部隊搭載機によるマーシャル諸島空 襲による損傷船舶の中に富士川丸の名があります。 第11航空艦隊運雑船と言う記述はあるのですが、爆撃を受けた場所がルオットでだったの かクェゼリンでだったのか、それ以外でだったのかと言う点は分かりません。 今の所、同船がトラックにいつ到達したか確認できる資料が日本側にはないのですが、 http://www.shanecurrie.id.au/Fujikawa_Maru.htm には、On 12 September 1943 on a trip from Kwajalein to Chuuk, the Fujikawa Maru was torpedoed by the submarine USS Permit. Despite extensive damage, she arrived in Chuuk three days later. By January 1944 the vessel had been repaired in Japan and these repairs can be seen today on the port side waterline near the funnel. とあり、チューク(トラック)に被雷後3日で到達した事になっています。 この文章は http://www.michaelmcfadyenscuba.info/articles/fujikawa.htm と、ほぼ同一の文章ですので、同じソースに由来するものと思われます。 もしかすると、アメリカ側には富士川丸について何らかの調査が行われているのかも知れま せん。 なお、御存知だと思いますが1944年1月1日同船は舞鶴鎮守府所管特設航空機母艦(航空母 艦ではなく航空機の母艦です)から同鎮守府所管特設運送船(雑用船)となっており、沈没に至 っております(私のページの記述は間違い…汗)。 この変更が12月5日の空襲により損傷した結果かどうかは不明です。 あと、英文ではFujikawaとなっておりますが、「本邦建造船要目表」のローマ字表記は Fujigawaとなっており、川崎汽船藤川丸をFujikawaとしております(http://www.ibiblio.org/ hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1944.htmlの1945年3が30日の項にあるJapanese army cargo ship Fujikawa Maruが多分そうでしょう)。 お騒がせしました。 お休みなさい。 http://hush.gooside.com/ ご苦労さまです 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 9月 4日(土)21時43分26秒 hushさん ご調査ご苦労様でした。損傷後、いったんルオットに入港していたのですね。そうな ると富士川丸が本当にマーシャル発トラックへむかっていたところなのか、またいつトラックに 着いたのかが興味が出てきます。 一応、私の勝手な考えとしては、零戦二一型は新造機じゃないかな、と思っていました。 ストーリーとしては、マーシャルへ梱包機材を輸送中雷撃で損傷、積んでいた機材なども海水 に浸かるか損傷しおろせなくなった。仕方なくそれを積んだまま内地へ向かうべく準備中、攻撃 を受け沈没した、というようなものです。 富士川丸 投稿者:hush 投稿日: 9月 4日(土)12時31分48秒 はじめまして いつも御世話になっております(上と繋がりませんが、気にせず) 富士川丸の被雷ですが、 http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1943.html の1943年9月12日の項に Submarine Permit (SS-178) damages Japanese aircraft transport Fujikawa Maru, 08°23' N, 165°12'E. と、あります. ただし、Dictionary of American Naval Fighting Shipsのパーミットの項 http://www.subnet.com/fleet/ss178.htm には船舶を攻撃してダメージを与えたと記されているだけです. 一方、日本側の記録では「戦時叢書、中部太平洋方面海軍作戦<2>」P398に「(那珂等は)第 14戦隊司令官の指揮下に同日(12日)クェゼリン西方約150浬にて被雷航行不能となった知床 及び中破の富士川丸の救難に従事した.13日、香取丸は知床の曳航を開始<中略>富士川丸 は自力にてルオットに入港した」(第14戦隊戦時日誌) と、あります. なお、同書P382によりますと 「第14魚雷調整班及び富士川丸が第11航空艦隊附属のままで作戦指揮下に編入されてい ないため、内南洋方面部隊航空部隊指揮官は、(1943年8月)17日、両者を従来通り編入され たい<中略>(と、上申した結果)、22日、富士川丸は、8月15日付第1基地航空部隊附属に編入 を下令<下略>」と、あります. 以上、御参考までに(割り込んで御免ね) http://hush.gooside.com/ LTV 投稿者:近藤 投稿日: 9月 4日(土)01時14分11秒 Samponさん 「戦車が数珠繋ぎになって沈んでいる」場所ですが、たぶんニッコー沖のことを言ってるのだと 思います。 リーフに沿って数百メートルの間にかなりの数が沈んでいます。(水深は30-50m) 戦車といっても、実際にはアメリカ軍の水陸両用装甲車LTVです。(サイパンでよく見るM4シャ ーマンではありません) 実はその場所は数年前にすでに調査済みでして、その時撮影した画像の一部を ここ に置い ておいてありますので、もしよろしければご覧ください。 (この掲示板はタグが使えていいですね!) 写真にあるように、車体の真ん中をシャフトが通っていることから、LTVシリーズの中でも初期 型のLTV2(ウォーター・バッファロー)でないかと思っています。 サイパン戦からはエンジンが前に移り車体後部にジープなどが積載しやすい大型ランプの付 いたLTV4型登場し主力となったのですが、それがこのLTVがまとまって沈んでいる理由ではな いかと考えています。 といいますのも、米軍の上陸地点がこの場所ではなかったことと、周辺に小銃の弾やライフル などが落ちていないことから、沈んだのは戦闘によるものではなく、旧型になって要らなくなっ たLTV2を投棄したか、または自走させて射撃の的にしたのでは、と思っているからです。 (松安丸と同じように、戦後CIAが訓練で標的にしたのかも知れません) それから、サイパン港内で沈んでいる船についてですが、神戸の「戦没した船と海員の資料 館」のお話では、小型船まで入れると相当な数にのぼるようです。 しかし、ほとんどが度重なる港湾工事で撤去されていて、松安丸のように少しでも面影を残して いる船体はほとんど残ってないようです。 ですから、まずは船体探しからはじめなくてはなりませんので、かなりの長期戦を覚悟していま す。(笑) 以下は「戦没した船と海員の資料館」のサイトで、サイパン港内で沈んだ船のリストがあるペー ジのURLです。 http://www.jsu.or.jp/siryo/map/allmariana/mariana/masaipan/saipan/saipan.html それでは、長文失礼いたしました。 調査ご苦労様です 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 9月 4日(土)00時02分23秒 k.miekoさん、GOさん、調べて頂きありがとうございます。 18年9月12日被雷という日付が正しいとすると、積荷はその時のものではないかもしれませ んね。マーシャルから九六艦戦が一機ぐらい還納されるということはあるやもしれませんが、零 戦二一型もほとんどないはず(マーシャルに展開していたのはほとんど二二型)でむしろ補給 機として二一型の新造機が送られてきていたころですから。 こんど機会が有れば一八年九月頃の史料に富士川丸が出てこないか注意してみます。 船舶砲兵 投稿者:GO 投稿日: 9月 3日(金)19時16分21秒 >Samponさん そうです。船舶砲兵は陸軍徴用船に乗船しています。 もしかしてと思って見ただけです。(笑) 近藤様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 3日(金)02時18分9秒 いらっしゃいませ、書き込みありがとうございます。 近藤様の熱意あふれる調査には本当に頭が下がります。こちらは日本におりながらも「資料 が手に入らない」言い訳ばかりしておりますのに。ダイビング界も観光業界も二式大艇を「B- 29」と呼んで恥じない、歴史に、そして戦没者にも冷淡なところがあるように感じておりますが、 近藤様の誠意により変化が生じることを願ってやみません。 サイパン港内の他の沈船とは、あとどんな船がありますでしょう?手元の資料ですと、「睦洋 丸」、「松山丸」、「門司丸」、「富国丸」あたりが該当もしくはニアミスかと思うのですが。 それと、確か小出康太郎「ダイビングドキュメンタリー」だったと思うのですが、サイパンに「戦 車が数珠繋ぎになって沈んでいる」場所があるとの記載がありました。ちょっと眉唾と言う気が しないでもないのですが、そんなポイントを御存知ありませんでしょうか? GO船長様 投稿者:Sampon 投稿日: 9月 3日(金)02時06分55秒 また次の台風が来ていて大変ですね。 わざわざ資料を見てくださってありがとうございました。富士川丸の記載が無かったのは残念 でしたが。「船舶砲兵」という本に出ているのは陸軍の徴用船だけではないのですか? 戦時徴用船「松安丸」 投稿者:近藤 投稿日: 9月 3日(金)00時40分10秒 Samponさん サイパン島在住の近藤です。 サイパン港内に沈む「松安丸」についての調査結果を、ひとまず下記URLにアップしましたので お知らせいたします。 http://net.saipan.com/personal/spn1239/nin-niku/diary8-29-04.htm マリアナ諸島(サイパン島)の戦跡調査にお役に立てていただければ幸いです。 今回、沈船の名前が「松安丸」と判明したことで、サイパンのダイビングショップ間ではポイント 名を従来の「沈船」から「松安丸」に変えようとする動きが出ています。 お亡くなりになった海員の方たちもきっと喜んでいることと思います。 私は今後はサイパン港内で沈没した他の船について調査を開始する予定です。 また何かわかりましたらお知らせいたします。 では、取り急ぎ。 残念 投稿者:GO 投稿日: 9月 2日(木)19時45分7秒 >Samponさん 残念ながら「戦時輸送船団史T・U」「船舶砲兵正・続」には富士川丸の記事はありませんでし た。また、前に買っておいた「トッラク島海軍戦記」でも探してみましたが、菊川丸はあるものの 富士川丸はありませんでした。 失礼しました。 投稿者:k.mieko 投稿日: 9月 1日(水)00時25分8秒 ゆうぞう様 大変失礼しました。 またお会いできる事があると思います。 和田さんとは、あの場所で活動している戦友会掲示板で やり取りがありました。 k.mieko様 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 8月31日(火)23時10分25秒 そうです零戦の会に入れて頂いているゆうぞうです。 こちらこそお世話におります。 靖国神社の時も一行の中におりましたが和田君メインだったので後ろの方にいました。 和田君とも掲示板でお知り合いだったようですね。 またお会いした際には宜しくお願いいたします。 k.mieko様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月31日(火)21時40分6秒 富士川丸についての貴重な情報をお寄せくださいましてありがとうございます。クエゼリンから 内地への帰路にあったとすると、船倉内の飛行機は還納機だったということで説明が付きま す。しかし被雷から5ヶ月もずっとトラックに置かれていたとすると、今度は船内の大量のドラム 缶と武器弾薬類が謎になってしまいます。矢張り、しばらくは楽しくミステリーと付き合いたいと 思います。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月31日(火)21時39分5秒 どうもご心配くださいましてありがとうございます。何の被害も無く過ぎたと思いきや、もう次の1 8号ですか。実は今度の週末、陸奥へのダイビングがあったかも知れなかったのですが、今週 末はとても無理なようです。 しかし、本当に今年は台風の当たり年ですね。丁寧なご説明ありがとうございます!やっと峠 を越したとはいえ、この暑さといい、本当に地球規模で気象が変動しつつあるのを実感しま す。 ゆうぞう様 投稿者:k.mieko 投稿日: 8月31日(火)18時03分44秒 ゆうぞうさんは、あの零戦の会のゆうぞうさんでしょうか? そうでしたら、その節はお世話になりました。 先日の靖国神社でのご一行様の中にいらっしゃいましたっけ? 富士川丸について 投稿者:k.mieko 投稿日: 8月31日(火)17時56分54秒 管理人様、台風が無事過ぎ去り良かったですね。 川崎まなぶ様、お久しぶりです。 tuka様、先日この掲示板で、テレビ「うるるん・・」を知り、見る事が 出来ました。とてもよい番組でした。 日ごろは「日本軍が悪い」の切り口しか知らない私の主人があの番組見て、 「うれしいなぁ・・・」と言っておりました。 富士川丸のお話が出ているので、資料を見て見ました。 駒宮さんの「戦時船舶史」には次の簡単な記述しかありません。 富士川丸 6938総トン 東洋海運 トラック島在泊中、昭和19年2月17日、空襲を受け被弾沈没 因みに本船は、前年9月11日クエゼリンを出港し、トラック向け航行中、 12日0230頃N08・33−E165・12(クエゼリン環礁西方280粁 付近)において被雷大破、そのまま航行を続けトラックに到着。 以降錨地で修理中であった。 船団史の方は、船団が組まれた日付順になっているのですが 前年9月11日付近に富士川丸が参加した船団がみつかりません。 この二つの史料は、東京都中央図書館資料室から借りました. 私のところには船の消息の問い合わせが結構ありますので 主なところを少しコピーを取らせて頂いています。 たった上の程度の消息でも知らせてあげるとすごく喜ばれます。 これらの史料をまとめられた駒宮さんはすごいと思います。 駒宮さんにはいろいろお世話になり、その後ずっと年賀状の交換 させて頂いております。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8885/index.html 無事で何より 投稿者:tuka 投稿日: 8月31日(火)12時00分52秒 Sampon様 台風が九州上陸とのことで心配していましたが、ご無事の様で安心しました。 しかし、次の非常に強い台風18号が接近しています。予想では16号とほぼ同じコースを取っ ている様なので引き続き警戒ください。 今年は記録的猛暑でしたが、小笠原高気圧の勢力が弱く、また、東に位置していた為に7月 の始めから台風が上陸していました。これも異常気象のひとつですね。今後、高気圧の勢力 が弱まると勢力を保ったままの台風が関東上陸となる可能性もあり、東北や北海道にも被害 が出る可能性もありますね。 GO様の所は大丈夫だったのでしょうか? 台風が去りました 投稿者:Sampon 投稿日: 8月30日(月)22時59分16秒 昨夜から風が強くなり、今日は一日暴風が吹き荒れていましたが、夕方には北東に去ったよう で今は何事もなかったかのように虫が鳴いています。夜風が段々秋を感じさせるようになりま した。 川崎まなぶ様、GO様 富士川丸の行動について引き続いてのコメントありがとうございます。福岡県立図書館まで行 けば仰った資料もあると思いますが、休日は基本的に家族サービスのため一人で博多まで行 くこともままなりません。まぁ、それはそれで楽しいのですが。先日は「到津の森公園」という名 の動物園に行ってきました。ちなみに、何と読むかどなたか分かりますか(地元の方除く)? ゆうぞう様 すみません、茂原だとばかり思っておりました。すぐに直しておきます。ご指摘ありがとうござい ました。 掩体壕の写真 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 8月30日(月)17時09分20秒 これはですね香取基地の掩体壕なんです。 香取基地は3基残っています。 もしかして以前送ったときに茂原ってタイプミスしたのかなあ? もしそうならすみません。 とにかくこの写真全て香取基地です。 いつかわかるといいですね 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 8月29日(日)21時55分7秒 GOさん 航空機運搬船は、単独の行動が多い印象を持っています。(陸軍の「あきつ丸」のような感 じ?)けど、最後の前の行動が載っているかもしれませんね。 まぁ 投稿者:GO 投稿日: 8月29日(日)21時13分44秒 >Samponさん うちに全て揃っているんですが、調べる時間がありません。 もう少し待て下さい。 >川崎まなぶさん 戦時船舶史は各船舶の最後を、輸送船団史は船団単位ですので、単独航行はちょっとむりで すね。ところで、富士川丸は単独輸送ですか? 富士川丸 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 8月29日(日)10時26分53秒 GOさん あの本も頭によぎりましたが、極端にいえば単独でふらふらしているような船まで網羅されてい るのかな?と思ったものでして。 Samponさん 「大鷹」などでも零戦だけとか小型機であれば50機を超えて輸送に当たっていたようです。一 部梱包のものを含んでいたようですが、基本は完成機ですね。 富士川丸について 投稿者:Sampon 投稿日: 8月28日(土)23時39分10秒 川崎まなぶ様 再度ありがとうございます。改装空母の「千代田」「瑞鳳」に合わせて90機も良く載せたもので すね。分解してのことだったと想像しますが、あるいは露天繋留で多く載せたものでしょうか。 輸送船での運送はトラックから先が多いとすると、トラックは富士川丸には中継地点だったの かも知れません。その場合、最終目的地がどこだったのか興味が湧きます。 GO様 資料本の紹介ありがとうございます。国会図書館にでも行かないと調べられなさそうですが、 機会が来るのを気長に待ちます。 >郵船か三井所属なら 残念!徴用前の富士川丸の船主は東洋汽船だったのです。徴用した海軍に何らかの記録が あったでしょうから、防衛研究所には資料があるのではと期待します。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月28日(土)23時25分36秒 いつも貴重な情報をありがとうございます。お知らせくださったサイトをさっそく拝見しましたが、 米国在住の方が遺品の返還に尽力されているとのこと、それを支援するサイトを立ち上げられ た西羽さんも同様、奇特な方がおられるものだと頭が下がります。 それで思い出したのですが、15年前ペリリュー島を訪れたときに「津田」と読める印鑑を壕の中 で拾い、遺品の返還を手伝っておられた方に託したことがありました。渡したのはソロモンの遺 骨収集に同行した戦友会の方で、新聞に情報を流しておられたのは確認したのですがしばらく して亡くなられてしまい、印鑑が御遺族の手に渡ったかどうか確認できませんでした。件のサイ トを通じて情報を探してみようかと思います。 駒宮さんの本かな 投稿者:GO 投稿日: 8月28日(土)22時11分51秒 >Samponさん、川崎まなぶさん 駒宮真七郎さんの著書、戦時輸送船団史T・U、戦史船舶史が参考になるかもしれません。 ただ、積み荷まで書かれているかは判りませんが。 あと、郵船か三井所属なら戦時船史があります。 飛行機輸送 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 8月28日(土)18時45分12秒 >直前の「富士川丸」の行動 正直な話ですが、どこでどのように調べればよいのかわからないので、アドバイス?出来ずす みません。 内地〜トラックの飛行機輸送は空母が主体となっていたようで、輸送船を使うとなるとトラック から先が多いようです。19年2月には「千代田」「瑞鳳」が各機種合計90機ぐらいを運んでき ています。 朝日新聞で 投稿者:tuka 投稿日: 8月26日(木)23時55分18秒 この様なサイトが紹介されていました「旧日本軍人の遺留品」 http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/iryuhin/です。ご協力お願いします。 川崎まなぶ様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月25日(水)02時04分25秒 再度の書き込みありがとうございます。 >直前の「富士川丸」の行動 調べて見たいと思います。川崎さんのように調査慣れしていないので時間が掛かるでしょうが。 零戦については、有名な19年1月17日のラバウル邀撃戦の記録映画では発進するのは五二 型ばかりで、二一型は翼下に三号爆弾をぶら下げたものくらい、という印象が残っていたので すが、そうでもなかったんですね。意図的に新鋭機ばかり写したのかも知れません。ちなみ に、19年2月にトラックに運ばれた零戦とは、富士川丸以外にはどのような手段で運ばれたも のでしょうか? ゆうぞう様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月25日(水)01時58分25秒 おひさしぶりです。それにしても、毎日のように見てくださっているとはありがたい限りです。こ の温情を裏切らないようにせねば、と身の引き締まる思いでおります。 陸奥の海中の姿は、ダイビングのガイドさんが作った見取り図がありますので、今度お会いす るときにでもお目に掛けますよ。サルベージ会社にはきっと精密な図があるでしょうね。 確かに弾薬庫の爆発で無残に破壊されてはいますが、それでもかつての威容をしのばせるも のがまだ残っています。流石に戦艦の迫力は違うと言えましょうか。世界中でも、戦艦をダイビ ングで見られるのは柱島の陸奥の他はビキニと、イギリスのScapa Flowぐらいではないでしょ うか。 富士川丸 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 8月25日(水)00時40分15秒 私は存じ上げませんが、直前の「富士川丸」の行動がわかれば何のために積んでいたのかわ かるやも知れませんね。 零戦二一型は南東方面ではかなり遅くまで主力の機材でした。昭和18年12月になってようや くその割合の減少が見られます。供給が減ったからだと思います。、 19年2月にトラック島へ着いた新造機は、引き渡す前に空襲で地上撃破されているようです。 陸奥 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 8月25日(水)00時02分35秒 最近顔を出さずスミマセン、しかしほぼ毎日ROMさせていただいております。 陸奥の写真拝見しました、本当に行動的な方ですねー、私は軍艦は詳しくありませんが写真を 見る限りでは残存部75%に感じてしまいますね。 部分的ではわからないのですが、本で大和の現状を絵で書かれているように陸奥も図のよう なもので説明してくれるとわかりやすいのですが、あからさまにそこまで調査された方はいない のかな?それとも濁っていてそれどころではないのかも知れませんね。 まあ爆沈ですから船体の損傷は激しそうですね。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月24日(火)19時22分24秒 そうでしたか、靖国のそばの実家で過ごされた訳ではないのですね。でも、まぁすれ違ったこと 位はありそうじゃありませんか?もっとも、わたしもこの10何年か実家にあまり居ませんでした が。 「就遊舘」の彗星の操縦席をご覧になったとはうらやましい限りです。あの復元のときはテレビ で特集番組をやりましたね。当時まだ家にビデオデッキがなくて、カセットテープに録音しては 何度も聞きなおしたのでしたっけ。 「ウルルン」は演出も良かったのか、中々感動的でしたね。あの番組ではいつも日本のタレント も現地の人も最後の別れの場ではぼろぼろ涙を流します。日本の占領地行政については研 究書が幾冊もあり、旨くいかなかった事例も随分目にしますが、ラバウルは成功した方でしょう ね。敵の上陸が無く、絶望的な戦いではなかったこと、自活に成功しつつあったこと、現地の文 化や組織を尊重する態度を取ったことなどが大きかったのでしょう。また、仁将と呼ばれた今 村均大将の人徳も関係したのではないでしょうか。また、少なくない人命を奪うことになり、多 大な迷惑を掛けたことは間違いないのに日本を悪く思わず、逆に慕ってくれたパプアの人々へ の感謝を忘れてはならないと思います。 陸奥のサルベージ 投稿者:Sampon 投稿日: 8月24日(火)18時56分47秒 GOさんの仰るとおり、残存部分が75%なのではないかという気がいたします。どこかで数字 が逆転してしまったと。「海市のかなた」の記述からは、引揚が如何に大変な事業であったか、 この本を読むまで考えたこともなかった漁業権者への補償まで絡んでくるものであり、4万トン の巨艦の大部分を引き揚げることなどできるものでないと分かります。引揚は国家事業でな く、民間業者が採算の取れる範囲で行うものだった訳ですから。サルベージ会社(昭和46年当 時作業に当たった「深田サルベージ」は他の会社に吸収されたそうですが)に問い合わせれば 引き揚げられた部材の正確な重量が判るかもしれません。 富士川丸の積荷 投稿者:Sampon 投稿日: 8月24日(火)18時47分40秒 川崎まなぶ様 情報ありがとうございます。確か、こちらへの書き込みは初めてですよね。 零戦二一型についての記述は勇み足でした。近々訂正します。確かに、この時点では中島製 二一型の生産が続いてもいますので、旧式化したとはいえ前線に送られてもおかしくはないの ですね。また、この時期ではまだトラックが前線になるという意識が無かったのでしょう。19年2 月にトラックに送られた二一型についての情報、どの航空隊に送られたものか、支障なければ どんなものか教えていただけませんでしょうか。 天山については、引用したリンデマン氏の間違いでしょうね。氏は飛行機には詳しくなく、誤記 が散見されます。九六艦戦はやはり相当に場違いですね。どの部隊に送られるところだったの か、時間があるときに調べてみようと思います。 これからも、よろしくお願いします。他にも変だと思う記述があればご指摘ください。特に、これ からマリアナ編を作るときはご指導をお願いいたします。 実家 投稿者:tuka 投稿日: 8月22日(日)23時23分59秒 靖国神社は、私の生まれた病院が近くにあったのと、私が就職で家を出てから近くに実家が 移っただけで、近くの学校には通っていません。(紛らわしくてすみません)今、就遊舘に展示さ れている彗星が未だ公開される前、特別に見せてもらい操縦席まで見せてもらった事がありま す。 ウルルンを見ると、日本の占領地での政策は間違っていなかったんだと思いました。多くの人 がいまだに日本人を尊敬していてもらえるなんて、同じ日本人として嬉しい限りです。 たしかに 投稿者:GO 投稿日: 8月22日(日)16時52分5秒 >Samponさん たしかに私もそう思います。 引き揚げられたのが艦首、艦尾、第3/4主砲、副砲数門で、船体中央部がほぼまるまる残っ ているのなら、残っている方が75%ではないでしょうか? 富士川丸 投稿者:川崎まなぶ 投稿日: 8月22日(日)09時39分15秒 富士川丸の積み荷ですが、零戦二一型は昭和19年2月の段階でもトラック島へ補給されてお りますので、不自然とは感じられません。天山は五五一空の機体が「海鷹」にて直前に送られ てきていますから、それとごっちゃになっているのだろうと思います。 が、九六艦戦はわかりません・・・。 おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月22日(日)00時56分42秒 陸奥の一件ではとんだ「どたばた」を演じてしまい冷や汗ものでした。思ったよりもマシな写真 が撮れはしましたが、まだまだ満足いくものではなかったので、来月再挑戦するつもりです。 海底の陸奥ですが、艦体中央部、1、2番砲塔に前檣楼が残っているということは、引き揚げら れた部分は75%より少ないのではないか、という気がしてきました。一般に言われるこの数字は どう算出されたのか、調べてみたくなってきました。 陸奥に眠る御遺骨ですが、「海市のかなた」によれば昭和26年以前に引き揚げられ火葬され た御遺体が165柱、艦体サルベージの際に改修された3,898個の骨片が55柱分で、その後厚 生省により昭和50年に引き揚げられた御遺骨が3,671個とのことです。これが50柱前後とすれ ば残り850柱の御遺骨がまだ眠っている計算になりましょうか。もっともこの本に出てこない回 収分も間違いありませんが、数百の骸がまだ艦と共に柱島沖に沈んでいると言って良いので はないでしょうか。合掌し、御冥福をお祈りします。 陸奥 投稿者:おいどん 投稿日: 8月21日(土)23時38分15秒 Samponさん。陸奥探検ご苦労様でした。 ガキの頃、陸奥の引き上げを新聞で読んで凄い興奮しました。 でもまだ沢山のパーツが瀬戸内の海底に眠ってるのですね? 遺骨は引き上げられたと思いますが、それでも沢山の人間の永遠の墓標ですから。 いつまでも眠らせてあげたいですね。 来年の夏は鹿児島に帰る予定です。今年はキツかつたです。。(T_T) そういえば 投稿者:Sampon 投稿日: 8月19日(木)12時45分8秒 M.T様 まだこの掲示板見ていらっしゃいますか?せっかくソロモン諸島訪問を考えておられたのに、 わたしが脅かすようなことを言ったために断念されたりということはないでしょうか。 どんな旅行でも、特に開発途上国ではリスクがつきものですが、事前に情報収集して対策を立 てておけばそんなに恐れることもないと思います。ソロモンなどはまだ安全な方ですよ。 情報ありがとうございました 投稿者:Sampon 投稿日: 8月17日(火)22時53分10秒 GO様 貴重な情報ありがとうございました。引き続き何かあればお願いいたします。 >透明度 そうですね、最初のダイビングでは透明度最悪で伸ばした腕の先も見えないような状態でし たが、2本目ではまあまあで、夏の伊豆半島程度と同じ程度のものはありました。 おっしゃるとおり、(8)と(20)は同じものですね。これは前檣楼の支柱(確か6本あったので したか)でしょうか。 (9)などについては、写真と見比べるため、今「丸スペシャル別冊 日本の軍艦メカ(1)」を 取り寄せ中です。実家の本棚にはあるのですが、ちょっと取りにいけないため、次なる陸奥ダ イブの前にどうしても欲しいので買うことにしました。 「海市のかなた」は出版されたのが3年前、わたしがボリビアにいた頃です。2日遅れで届く日 本の新聞で書評を見、帰国したら買おうと思っていながら忘れておりました。陸奥記念館でこ の本を見て、そういえばあの本か、と思い出した次第です。陸奥の写真はそれほど多くなく、引 き揚げ関連ではクレーンに吊るされる第4砲塔と、クレーンに吊るされ海面に浮ぶ艦尾部分の 2枚だけです。「陸奥爆沈」は八幡の本屋にはありませんでした。「戦艦武蔵」はあったのです が... 写真見ました 投稿者:GO 投稿日: 8月17日(火)18時53分21秒 >Samponさん 陸奥の写真拝見しました。 なかなか、透明度がいいのには驚きました。 (9)は艦橋測距儀甲板後部のヤードではないでしょうか? (8)と(20)は同じもののアングル違いのような・・・・。 (27)のフェアリーダーは、第2主砲脇にあるものと思われます。 ちなみに、船体バルジに開いている穴は、油を向いた時に空けられた穴です。 #陸奥爆沈 ちゃんとしたものではないのですが、概要図が表紙裏に載っています。 #海市のかなた−戦艦陸奥引揚げ この本は初めて聞きました。 引き揚げ中、引き揚げ後の写真はどのくらい掲載されているのでしょうか? GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月16日(月)23時45分18秒 「陸奥爆沈」に沈没状態図が載ってましたっけ?明日にでも本屋で再確認します。わたしが言 っておりましたのは、ダイブショップの方が現在の状態を描いた見取り図ですので、ちょっと違 っているかもしれません。 今日は古本屋から取り寄せた「海市のかなた−戦艦陸奥引揚げ」を読みました。御遺族の想 い、引揚げにこぎ着けるまでのご苦労が良く分かる秀作で、陸奥に潜る前に読まなかったこと が悔やまれます。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月16日(月)23時35分4秒 14日の靖国参拝、そして翌日は日曜日にもお仕事とお疲れ様でした。東京は15日肌寒かった そうですね。九州から出張に行った者が風邪引いて帰ってきました。 御実家が靖国神社のすぐ近くだったとのこと、わたしが通った千代田区立の小中学校も靖国 の直ぐそばでした。絶対どこかですれ違っていますね。そちらには何歳までいらしたのです か? 「ウルルン」の件は、情報本当にありがとうございました。「海行かば」の歌詞を、「海行かば草 むすかばね」とラバウルの老人が歌っていたのを、(水漬くかばね)と正しい歌詞をキャプション でいれていましたが、最後が「顧みませじ」になってしまって、やっぱり「なんじゃこりゃ」でした ね。 あい 投稿者:GO 投稿日: 8月16日(月)22時53分39秒 >Samponさん #沈没状態図 たぶん「陸奥爆沈−吉村昭著−」に出ているものと同じだと思います。 #沈船マーク そのとおりです。 #10m40cm はい、水深です。 Re:昨日は 投稿者:tuka 投稿日: 8月16日(月)22時06分28秒 私は仕事だったため、前日(14日)に参拝しました。 実は私の生まれた病院は靖国神社から徒歩数分の所にあるので(実家も数分の所にありまし たが、今は違います)何か原点に帰ったような気がします。 先日のウルルン滞在記で同世代の相田翔子さんや山瀬まみさんがラバウル小唄を初めて聞 いた様な事を言っていましたが、私は小学生の頃から歌ってました(笑) 昨日は 投稿者:Sampon 投稿日: 8月16日(月)06時51分53秒 8月15日のことを書きながら、送信する前にうとうとと眠りに落ちてしまい、早朝はっと気づいて 慌てて送信いたしました。誠に情けなく、戦没者に申し訳ないことです。 GO様 沈没状態を記した図はダイブショップでいただきましたが、許可をいただいてないので公開で きません。この場で発表して構わないか、お店に尋ねてみます。少々お待ちください。 沈没船のマークは、もしかして海戦の本によく出てくる、三角形に船首をつきだし、マストが十 文字で描いてあるやつですか?10m40cmとは深度のことでしょうな? 今日は8月15日 投稿者:Sampon 投稿日: 8月16日(月)05時59分19秒 皆様は今日一日如何お過ごしだったでしょうか。 私は今日は実家に帰っていた妻と娘を迎えに福岡空港に行き、その後職場に行っていたもの で慰霊碑にお参りもできませんでしたので、一人で黙祷を捧げるのみに終わりました。 昨日は「しらべる戦争遺跡の事典」に出ていた大分県豊後森機関庫を見てきました。「弾痕の 生々しい爪痕が残る」と書かれていたのですが、見たところ機銃掃射の弾痕と明らかに分かる ものはなく、ちょっとがっかりでした。廃墟(今もトラックの車庫としては現役ですが)としての見 ごたえはありましたが、ほとんど1日掛けて見に行く価値があったかというと疑問を呈せざるを 得ませんでした。 そのままです 投稿者:GO 投稿日: 8月15日(日)21時13分17秒 >Samponさん #場所の特定 なるほど、そっちでしたか(笑) 沈没状態図はお持ちではないですか? #沈船マーク そのまんま船が沈見かけている図です。 ただ、陸奥はWK104(10m40cmの意味)と書かれています。沈船マークじゃないッスね。 説明不足で 投稿者:Sampon 投稿日: 8月14日(土)22時22分24秒 GO様 撮影場所を知りたい、と書きましたのは艦が沈んだ場所という意味ではなくて、「この写真は陸 奥のこの場所」と特定できるかどうかという意味でした。言葉足らずでしたね。 海図にも、陸奥の沈没地点がちゃんと出ているのですね。なるほど、水中の障害物として避け なければなりませんからですね。沈船のマークと言うのはどんな形なのでしょう。 なるほど 投稿者:GO 投稿日: 8月14日(土)22時03分40秒 >Samponさん #沈没位置 海図に載っていますよ。 沈船マークがばっちり載っています。 #ビキニの語源 そうなんですか?それはトレビアの泉に送らなければ(笑) #写真 次の休みに拝見させて頂きます。 まだ、2日ほど地獄のロードが残っています。盆の切符取りは体力勝負なんです。と言っても、 今日はもう限界ですが・・・・。 お待たせしました 投稿者:Sampon 投稿日: 8月14日(土)09時29分20秒 GO様 >垂直よりひっくり返っているのですか? 陸奥の状態について、急いで写真をアップしましたのでご確認ください。 撮影場所が特定できるものがありましたらお知らせいただけたら幸いです。 >長門と同じ やはり同型艦だけあって、沈み方まで同じなのですね。仲の良い姉妹です。いつかはビキニ環 礁にも潜ってみたいものですが、いつになりますやら。 ところで、水着の「ビキニ」の語源となった実験とは「ブラボー」のことだと思っておりましたら、 最近読んだ新聞記事で「クロスロード」だったことを知りました。思っていたより随分早く登場し たのですね。日本が飢えに苦しんでいる頃にこんなものが開発されていたとは、ある意味感銘 を受けます。 >左舷船体は無解体状態なんですか? GOさんが「左舷側船体」と書いたのをそのまま載せたのですが、右舷側も残っていると考えた 方が自然ですね。左舷側の方が上にありますし。 >ちなみに10m測距儀は引き揚げられそうですか? それは物理的には可能でしょうが、実際にサルベージするかどうかは別問題ですね。海中の 墓標としてこのままそっとしておく方が良いのかもしれません。 おおー! 投稿者:GO 投稿日: 8月12日(木)22時15分21秒 >Samponさん #船体 垂直よりひっくり返っているのですか? まぁ、そうでないと、艦橋が折れませんね。長門と同じ状態と言う事ですね。 左舷のビルジキールの前端にロープを縛ったとの事ですが、左舷船体は無解体状態なんです か? もう興味津々です。早く写真を公開して下さい。 ちなみに10m測距儀は引き揚げられそうですか? 写ってました! 投稿者:Sampon 投稿日: 8月12日(木)20時19分47秒 今日、陸奥の写真を受け取りに行ってきました。家に帰るまで待ちきれず、写真屋さんのカウ ンターでルーペを借りて見たところ、思ったよりちゃんと写っていました。というより、肉眼で見 た印象よりはるかに鮮明です。10m測距儀も、艦橋のブルワークも写っており、思わず顔がほ ころんでしまいました。今や絶版となってしまった水中カメラのニコノスですが、流石に期待を裏 切りません。写真を公開するまで、今しばらくお待ちください。 続けてGO様 投稿者:Sampon 投稿日: 8月12日(木)00時56分14秒 大津島のお誘い、ありがとうございます。第2日曜というと14日ですね。是非、ご一緒させてく ださい。今度の土曜日、14日に行こうと思っていたのですが11月まで待つことにいたします。 陸奥ダイビングについて 投稿者:Sampon 投稿日: 8月12日(木)00時52分29秒 GO様 >どうでした?どのくらいヘドロに埋まっているんでしょう? 陸奥に行った状況は、下の書き込みでのご報告が簡単に過ぎましたのでもう少々説明いたし ます。GOさんが以前書かれたとおり、「1番主砲、2番主砲、艦橋、煙突、後部艦橋、1番主砲 から3番主砲直前までの最上甲板、左舷船体(1番主砲から3番主砲直前まで)が残っている」 という状態のようです。艦体は完全に転覆しており、前檣楼は艦体の自重で左舷側に折れてし まって、水深40mの海底に水平に横たわっています。2番主砲塔は埋没してしまって見られず、 1番主砲塔の両41cm砲が見られる状態です。やはり年月とともに段々と埋没しつつあるそうで す。 1本目のダイブでは左舷側ビルジキールの前端部分に穿った穴に通したロープ(このラインに ボートが舫ってあります)に沿って潜行、水深12m地点で船体に到達して呼吸を整え、1番主 砲塔近くの艦体切断面に沿って潜行して海底近くの主砲の砲口を見にいったのですが、下降 し始めたところで、前述のとおりほとんど一瞬にしてガイドさんを見失ってしまいました。という のもこのあたりでの透明度が急に悪くなっていて、やっと1m先が見える位だったのです。同じ ガイドさんに案内していただいていたバディ(ペアを組む相棒のこと)を見失うまいと必死で視界 に留めていたのですが気付いたらバディと2人で40mの海底に足をつけて呆然としている自分 がありました。12mから一気に40mまで潜行した感覚は全く無くて、真っ暗な海中で完全に自 分の位置を見失っていたのは初めての体験です。自分が40mの深さにいるとは思えず、艦体 のどこかに足が着いたと思っていたので、ほんの少しのフィンキックで水面に届くと思って浮力 調整具(BCD)にエアーを入れて中性浮力を取ることをしなかったのですが、蹴れども蹴れども 水面に到達しないのでやっと海底に達していたことに気付く有様でした。浮上したときにはタン クのエアーがほとんど残っていなかったのは、マイナス浮力の状態でキックを続けたからでしょ う。ほとんどパニックになりながら深度の確認もできなかったという屈辱を味わいました。 2本目では最初と同じくビルジキールのところで一旦集合し、前檣楼を見に行きましたが今度 は透明度が5、6m程度はあって迷子になる心配なく付け根から先端部分まで見て回れまし た。とはいえ精神的余裕がそれ程あったとはいえず、ガイドさんが10m測距儀を示しているの に、ただのパイプかと思っておりました。前檣楼の支柱が折れて横に突き出しているところが あると聞いていたので、てっきりその部分だと思ったのです。その他、4.5m測距儀、艦橋の 伝声管などを見、前部艦体に沿って舷窓などをあちこちで見てから浮上しました。1本目のダ イブでは1枚しか写真を取れなかったのですが今度は36枚を撮り切ったものの、浮上直前に ふとレンズを見るとペイントのようなものがこびりついていて、潜る前にチェックしなかった自分 を呪いました。 今度のダイビングでは色々と反省点があるのですが、出発時の心の余裕がなかったのが一番 です。それというのも1時間ほど出発まで時間があったので広島平和公園まで行っていたとこ ろ帰りの道を間違えて集合時間に遅れ、船と他のお客さんを待たせるという醜態を演じてしま ったもので。お陰で車の中に水中ライトの電池を忘れてきてガイドさんとはぐれる原因をつくり、 これで主砲を見る機会をフイにしてしまいました。さらに恥ずかしいことにダイバーの命ともいう べきレギュレーター(スキューバ機材の心臓部)をダイブショップに置き忘れて九州に帰ってし まったことを告白します。出発時のつまづきから始まり、どれほど慌てていた分かりますね。本 当に赤っ恥連続の一日でした。忘れ物の件でお店に電話したところ9月の5日か11日に再度 陸奥に行く予定だとのことで、今から「リベンジ」計画を立案いたします。今度こそ、余裕を持っ て潜れるように。 大津島 投稿者:GO 投稿日: 8月10日(火)07時57分3秒 >Samponさん #陸奥 どうでした?どのくらいヘドロに埋まっているんでしょう? 10m測距儀は確認できましたか? #大津島 11月の第2日曜に慰霊祭があるんですけどどうですか? 参加は自由ですし、もちろん私は必ず参加してます。 情報ありがとうございました。 投稿者:Sampon 投稿日: 8月 8日(日)21時15分33秒 tuka様 どうも、貴重な情報をありがとうございました。全然知りませんで、tuka様が教えてくださらなけ れば見逃すところでした。tuka様にはいつも本当にお世話になります。これからも、よろしくお 願いいたします。 帰ってきました。 投稿者:Sampon 投稿日: 8月 8日(日)21時09分36秒 k.mieko様 お久しぶりです、書き込みどうもありがとうございました。たった今家に着いたところです。 海底の陸奥に行って参りました。瀬戸内海はやはり透明度が悪く、陸奥で2回潜ったうちの第 一回目はガイドと水中ではぐれてしまってほとんど何も見えず。2度目はコンディションが良くな っていて艦橋部分を見られました。ところが、フィルムを撮り終えてからレンズが汚れているの に気づき、落ち込んでいるところです。 今日は錦帯橋、東和町の陸奥記念館を見て帰ってきました。大津島の回天記念館も行くつも りでしたが、時間切れで徳山港まで行きながら引き返しました。 本日の 投稿者:tuka 投稿日: 8月 8日(日)17時43分30秒 世界ウルルン滞在記はラバウルに行ったようです。今から楽しみです。 管理人様、ご無沙汰しています 投稿者:k.mieko 投稿日: 8月 8日(日)14時07分2秒 この夏の暑さはどうしたものでしょう。 九州の方もそうでしょうか? その節はお世話になりました。 下の掲示板により、昨日、瀬戸内海に眠る戦艦陸奥を訪ねる ダイビングをなさった事知りました。 その前に広島の式典に参列されるところが、単なる探検ではなく、 常に戦死者の視点で心を込めて行動される管理人さんらしい ところですね。 実は偶然ですが、陸奥乗組員だった方と近くお合いする事に なっているのです。 管理人さんの事少しお話するかもわかりません。 その方は、爆沈直前に艦を降りられたのです。 このたび、私のHPにリンクさせて頂きました。 よろしくお願い致します。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8885/index.html 明日は 投稿者:Sampon 投稿日: 8月 5日(木)18時09分0秒 原爆忌の広島に行ってきます。仕事が終わってから出るので、到着は夜ずいぶん遅い時間に なってしまいますが、6日中に平和公園に行って黙祷して参ります。そして、土曜日はいよいよ 陸奥ダイビング決行です。台風で海が荒れて行かれないのでは、と心配しましたが大丈夫なよ うです。 GOさんへ 運貨筒の写真は丸スペでしたか。バックナンバーを探してみます。 失礼 投稿者:GO 投稿日: 8月 3日(火)22時26分42秒 >Samponさん すいません、丸スペシャルでした。bS3日本の潜水艦Vです。 運貨筒 投稿者:Sampon 投稿日: 8月 2日(月)20時06分24秒 GOさま 載っていたのは「丸」のどの号ですか? 年々あちこち持ち去られているのですか、悲しい事実です。今のうちに写真に残しておかない と、本当に消滅してしまいますね。 どこなんでしょう? 投稿者:GO 投稿日: 7月30日(金)22時42分48秒 >Samponさん ラバウルのどこにあるのかは判りませんが、丸に写真が出てました。 年々、あちこちなくなっているようですが。 残念! 投稿者:Sampon 投稿日: 7月30日(金)02時54分31秒 GO様 >大型運貨筒 ラバウルのページで書きましたように、半日しかラバウルにはおらず、ほとんど追悼式に出て いただけですので、ご紹介した大発と防空壕と軽装甲車しか見ていないのです。運貨筒はどの 辺にあるんでしょうね。見に行きたいものです。 ラバウルの今 投稿者:Sampon 投稿日: 7月30日(金)02時52分16秒 おいどん様 >南方の国は財政が苦しいでしょうから、復活は難しいでしょうね。 まったく、おっしゃるとおり。火山の噴出物の堆積は大変な厚さなようです。PNGの財政も、最 近地震や津波の被害もあって火の車でしょうから。 >ラバウルの海底には多くの機体が眠ってると思いますが たしかに、B-17その他の機体がダイビングスポットになっているようです。わたしは詳しくない のですが。まだ知られていないものも相当あるのは間違いありません。 ラバウルと言えば 投稿者:GO 投稿日: 7月28日(水)22時42分31秒 >Samponさん ラバウルには大型運貨筒が残っているのですが、写真を写しましたか? できれば、プリントをお願いしたいです。 楽しみに待ってます。 投稿者:おいどん 投稿日: 7月28日(水)07時28分54秒 私も老後でいいから、一度はラバウルなどを訪問したいとは考えています。 現在は正直生活が苦しくて、WEBで眺めるのみですが。。(T_T) ラバウル基地跡は、花吹山噴火後は放置されたままなのですね。 早く復活できればいいのですが、南方の国は財政が苦しいでしょうから、復活は難しいでしょう ね。 ラバウルの海底には多くの機体が眠ってると思いますが、そこらはどうなのでしようか? バトルオブブリテンと並ぶ世界最大の航空撃滅戦の跡ですから。>ラバウル。 今後のHPの展開、楽しみにしております。 まったく 投稿者:Sampon 投稿日: 7月28日(水)00時39分35秒 GO様、よくわかります。南洋好きのわたしもこのところの熱さにはお手上げです。夕方以降な ら南洋の方がよっぽど風があって涼しいですよ。 絵塗師様、せっかくフォローされたのに...そう、厚いといえば、日銀本店の地下金庫が公開 されるそうな。その扉(ステンレス製?)の厚さが90cm、25tだそうです。大和、武蔵の倍くらい ありますね。防弾鋼鈑ではないとはいえ、これだけ厚ければアイオワの16インチ弾くらい弾き 返せるのでは? ぐったりです 投稿者:GO 投稿日: 7月27日(火)21時59分31秒 >Samponさん #厚い 気にしないで下さい、暑さで参っているだけです(笑) おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月27日(火)21時54分43秒 戦争遺跡の風化は本当に気をつけていないと早いですね。このHPに載せたガ島の零戦なども 良い例でしょう。写真に残せるのも今のうち、と思って行けるときに行っておきませんと後悔す ることになります。わたしの最大の後悔は、数々の歴史の舞台になった市ヶ谷台の旧陸軍省 の建物を解体前に見ておかなかったこと。いつでも行けると思っていたのが命取りでした。 HP更新を楽しみにしておられるとのこと、涙が出るほどありがたいお言葉です。でも、ただ写 真を並べるだけでなく説明の文も付けようとして資料を調べ始めると、読むだけで時間が掛か ってしまうのです。ソロモン編もあと3つ位企画を考えているのですが、終わらせないうちにトラ ック編に手を出していたり、計画性がありませんね。60回目の終戦の日までには何とか形ある ものに仕上げたいと思っております。どうか温かい目で見てやってください。 厚い! 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月27日(火)20時40分38秒 戦艦武蔵の装甲板は分厚いという意味でしょう(^^) 終戦の日 投稿者:おいどん 投稿日: 7月27日(火)08時08分31秒 もう戦後はすっかり過去の遺物となりましたね?>日本では。 未だに敗戦責任ウンヌンと言ってるのは某隣国二カ国くらいです。 戦争の遺跡も気をつけてれば発見する場合もありますが、国内に関しては自衛隊基地とか、 国有の場所以外は開発が進み、どんどん無くなっています。 南洋に残ってる遺物にしても、腐食や持ち去りで無くなっています。 記録と記憶だけはしておかないといけませんね? samponさんのHPはその意味でも凄い貴重です。 HP更新を楽しみにしてますので、どうかサイパンとかその他の地域の更新お願いします。 早く見たいです。。(T_T) 今日は何の日? 投稿者:Sampon 投稿日: 7月26日(月)23時09分35秒 GOさま 「厚い」はもしかして「暑い」では?このところ地球温暖化を実感することが多いと感じます。 そんなことはさておき、今日はポツダム宣言が出た日ですね。最近は終戦の日が近づいても テレビや新聞で特集を見ることも少なくなりました。皆様は8月15日はどのように過ごされるご 予定でしょうか。 厚〜い 投稿者:GO 投稿日: 7月25日(日)14時15分43秒 >Samponさん そのとおりです。 ただし、爆発が海中でなかったため泳いでいる乗員にはあまり影響はなかったようです。 M.T様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月22日(木)23時08分37秒 そうですか、ソロモンドルフィンセンターからこちらにたどり着かれたと。こちらに書き込みされ るのは飛行機や艦船のページから来られる方が大半なので、貴重な存在です。これからも是 非、ちょくちょく来てくださいね。 現地ガイドですが、ソロモン政府観光局で手配してもらいました。2度目のソロモン行きの際は ガイドなしだったので、行動は専ら道路沿いに限られました。そして、3度目の旅行でもガイドを 付けずにマタニカウ川上流に滝を見にいったら大失敗、私有地に入り込んでのトラブルは無か ったものの見事に道に迷って滝は見つからず、日が暮れてきて仕方なく、腰まで水に浸かりな がらじゃぶじゃぶと川の中を歩いて帰りました。ガイドはけちらずにつけた方が良いですね。 シブヤン海、水の深さは幾尺ぞ 投稿者:Sampon 投稿日: 7月22日(木)22時41分42秒 GO様 あれ。また不正確なことを書いてしまいましたね、大爆発はあったと。ただし、大和のように巨 大火柱を吹き上げきのこ雲を何千メートルも立ち上らせるものではなかったのですね。 おいどん様 遺品はやはりそのまま触れずに置くのでしょう。ただ、遺族や戦友の方がどうしても形見が欲し いと言われた場合、悩むところです。宝探しなどはもっての他ですが、艦体の一部が欲しいと いうマニアもいることでしょう。 ところで、今日地図帳をみたらシブヤン海の最大水深は1700mと出ていました。内海にしては 深いですね。で、沈没地点は800から1000mですか。バラード博士というのは、以前GOさんが 話題にしておられた、ナショ・ジオのチームの方でしたか。ソロモンで霧島などを発見したとい う。 Sampon様 投稿者:M.T 投稿日: 7月22日(木)22時35分19秒 さっそくのお返事ありがとうございなした。大変参考になりました。 ご質問の件ですが、ソロモンドルフィンセンターの掲示板で知りました。 あと、たびたび申し訳ありません!もう1つお聞きしたいのですが、ガ島のガイドさんはどのよう に手配されたのでしょうか?(いろいろなホームページを覗いてみると、ガ島は土地所有制度 が強く地元の人の案内がないと入れない所が多いと書いてあったので)宜しければ教えて頂け ないでしょうか? ガ島訪問について 投稿者:Sampon 投稿日: 7月22日(木)22時22分36秒 M.Tさま 大事なことながら前回書き忘れた点が少々あります。まず、ソロモン諸島では平成10年(1998 年)以来ガダルカナル島のもともとの住民とマライタ島からガ島に移り住んだ人々との対立が 先鋭化して12年にクーデターが発生して首相を監禁する、またマライタとガ島双方の民兵組織 が無差別に住民を虐殺する事件が発生してから極端に治安が悪化していました。最近は停戦 監視団が駐留して武力行使は収まっているものの、下記のような安全情報が外務省から出て います。 ●首都ホニアラ市(含む郊外):「十分注意して下さい」(継続) ●首都ホニアラ市(含む郊外)を除くガダルカナル島、マライタ島:「渡航の是非を検討して下さ い」(継続) ●ガダルカナル島及びマライタ島を除くソロモン全域:「十分注意して下さい」(継続) これらは渡航延期勧告や退避勧告よりは緩い警報であり、まず大丈夫とは思いますが、一 方何かあってもおかしくないという危機感は持っている必要があります。近々渡航されるのであ れば、治安情報を十分に入手してください。かく言うわたしはかつて暴動真っ只中のブーゲン ビル島に出掛けていって散々な目にあったことがありますので、この経験を反面教師としてい ただければ幸いです。 もうひとつ注意すべきは、ソロモンはマラリア汚染地だということ。マラリアの恐ろしさについて はピエズ島について書いたページを参照してください。これを防ぐには予防薬を汚染地への渡 航の少し前から飲み、また汚染地を離れても暫く飲み続ける必要があります。ただし予防薬も 100%確実ではなく、かつ副作用もありますので、その効果とリスクを勘案して飲まない人もいま す。日本ではマラリア予防薬は手に入れるのが難しいので実際には現地についてから飲むこ とになると思います。 少々脅かすようなことを書きましたが、用心するに越したことはありません。マラリアについてな どご相談あれば直メールでもください。 大爆発 投稿者:GO 投稿日: 7月22日(木)22時18分45秒 >Samponさん 武蔵は左に転覆後、大爆発を起こし艦首から沈んでいます。 ただ、大和ほどひどくなく周りの海面にいた乗員は、爆発を見て急いで泳いで逃げたと書いて います。 >おいどんさん タイタニックは宝荒らしに目的に潜る輩のおかげで、無惨な事になってしまいました。これは非 常に残念な事です。 できれば、沈船は元所有国の許可なしに引き上げできないように条約を作るべきです。 鎮魂 投稿者:おいどん 投稿日: 7月21日(水)23時58分19秒 確かに興味本位でなく、鎮魂の気持ちを持って訪れるなら英霊も歓迎してくれると思います。 遺品はそのままにして、静かに見るのみなら問題はありませんしね。 奮戦して亡くなった英霊は永遠に勇士のままですから。例え国の方針は変わっても。 水深は1000m級なのですか?>シブヤン海。 M.T様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月21日(水)22時41分25秒 はじめまして、ようこそいらっしゃいました。 M.T.様のような御質問が来ることも想定して、行き方ガイドなども書こうと思っていながら行き届 かずに申し訳ありません。ゆくゆくは旅行ガイドとして使えるページにしたいと思っております。 さて、ガ島への行き方で一番簡単なのはオーストラリアのブリスベンへ行き、ブリスベンからソ ロモンの首都ホニアラに飛ぶ方法です。HISやマップツアーのような格安航空券を扱っていると ころでもホニアラまで通しで買えるでしょう。ブリスベンまではピーク時でなければ5万円くらいで あるそうですが(わたしが学生のころはこんなに安くなかったのですが)、ブリスベン−ホニアラ 間は格安券がなくて4万円くらいと聞いています。 わたしが利用した旅行社ですが、最初のソロモン行きのときは遺骨収集団に参加していたの で自己負担なし、利用エージェントは三井航空でした。次のソロモン行きは格安券でサイパン まで行き、そこでグアム経由ポートモレスビー行きの便を地元旅行社で手配。ボートもレスビー からホニアラ往復のチケットは日本を出る前に三井航空で買っておきました。料金は全部で25 万くらいだったかと思います。最後の、三度目のソロモン行きではオーストラリア在住の従兄に 「呼び寄せチケット」を手配してもらってブリスベンへ、これがピーク時だったので確か10万円く らい、ブリスベンからホニアラへの便はソロモンのダイビングクルーズ会社に予約してもらって おいて4万円弱くらいだったかと思います。昔のことだったりするので正確な金額が分からない のがもどかしいのですが、参考になりますでしょうか。 これからも、ちょくちょくのぞいて、書き込んで行って下さい。差し支えなければ、どこでこのペ ージの存在を知られたかも、教えてください。これからもどうぞよろしくお願いします。 鎮魂戦艦武蔵 投稿者:Sampon 投稿日: 7月21日(水)22時15分19秒 tuka様、おいどん様、GO様、武蔵について書き込みくださってありがとうございます。 武蔵については、大和と違い大爆発していないため、水密区画が生きていて水中をずっと漂っ ているという都市伝説があるそうなのですが聞いたことはありますでしょうか。もちろん絶対に あり得ない話ですが。 おいどんさんの仰るようにダイバーに見つかることなくそっと眠らせておきたい気もしますし、 GOさんの仰る沈没した武蔵の姿を見たい気持ちも良く分かります。興味本位でなく、奮戦して 艦と運命を共にした将兵への鎮魂の誠があれば眠りを妨げることも許されるのではないかと、 勝手に思っています。 tukaさんはすぐ近くの海域まで行かれたとのこと、お羨ましい限りです。陸地はすぐ近くという感 じだったのしょうか。比島はマニラしか行ったことがなく、レイテやミンダナオ、セブなどもいつか 巡拝したいところです。 200m? 投稿者:GO 投稿日: 7月21日(水)19時21分28秒 >おいどんさん 武蔵野沈没地点の水深は800〜1000mと言われています。 バラード博士なら見つけてくれると思います。(期待) ガダルカナル島訪問について 投稿者:M.T 投稿日: 7月21日(水)13時44分6秒 初めて、ホームページを訪問させて頂きましたM.Tと申します。 私は以前からガダルカナル島を訪問したいと思っておりましたが、なにぶん英語が話せません し、旅行社もどこへ頼めばいいかまったく分かりません。もし宜しければ、訪問されるときどこ の旅行社をお使いになっておられるか。また費用はだいたいいくらくらい掛かっておられるか 教えて頂けないでしょうか?大変失礼な質問ですが教えていただけるとありがたいです。 武蔵 投稿者:おいどん 投稿日: 7月21日(水)06時38分22秒 tuka様、シブヤン海に行った事あるのですか?私は武蔵撃沈の時の古い画像以外では シブヤン海を知りませんから、どのような場所かも想像できません。 確か水深2000m級の深い海と聞きます。 これだけ深い海ならダイバーに見つかる事もなく、静かに永遠に眠れると思います。 亡くなった戦士の願いとただひとつ、静かに眠る事ですからね。 武蔵 投稿者:tuka 投稿日: 7月18日(日)21時38分28秒 陸奥が瀬戸内海に沈んでいるのは誰でも知っていますが、以前、フィリピンに行った時、武蔵 の沈没点付近を通った時もやはり内海でした。大海原で奮闘して沈んだイメージがあったの で、何か不思議な(驚いた)気がしました。世界に誇る大戦艦も内海で飛行機にやられてしまっ たのですね。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月16日(金)21時29分17秒 吉村昭氏の著作、読んだのは中学生のときでしたが、繰り返し何度も読んだものでした。砲 塔の模型を作って三式弾の炸薬を燃焼させ、発生した煙の色が爆沈事故のときのものと違 う、との生き残り兵の証言を取ったりするあたりの記述、今でも鮮明に覚えております。他にも 「零式戦闘機」、「深海の使者」や「総員起こし」などとともにあの頃の私のバイブルでした。そ の後、氏が戦記を書かなくなってもファンでありつづけ、江戸時代の漂流記などずいぶん読み ましたっけ。 戦闘に出ることも無く、何の準備も覚悟もなく事故に遭われた将兵の無念は如何ばかりだった か。わたしも深くご冥福をお祈りします。陸奥記念館にも近いうちに行っておきたいものです。 明日から家族旅行に出ますもので、次の書き込みは20日以降になりますが、皆様にはご存分 にこの掲示板を使ってください。 陸奥爆沈 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月15日(木)23時34分41秒 事故の原因は、いまだ持って謎ですからね。 吉村昭著『陸奥爆沈』では放火説に傾いているようですし、『[歴史群像]長門型戦艦』は、三式 弾の自然発火を有力視しているようですが、いずれも結論を下すまでには至っていない歯切 れの悪い書き方です。 いずれにしても戦闘地域でない泊地で、自分に直ちに死が訪れるなどとは思っていなかっただ ろう多くの将兵が、おそらく何が起こったかもわからないまま一瞬にして散ってしまったことだけ は確かで、冥福を祈るばかりです。 続・陸奥 投稿者:Sampon 投稿日: 7月15日(木)22時33分37秒 絵塗師様 引き揚げられた陸奥の鋼鈑が放射線観測機器のケースに使われているという話はわたしも聞 いたことがあります。 ところで、陸奥爆沈の原因が言われているような軍法会議に掛けられるのを悲観した下士官 による放火ではなく、弾火薬庫の温度管理の杜撰さによるものだ、という説を最近何かの本か 雑誌で読んだのですが、どんな本だったか全く思い出せません。そうやすやすと装薬が自然発 火するとも思えませんけれど、あれは何処で読んだものだったのでしょう。 陸奥 投稿者:Sampon 投稿日: 7月15日(木)22時17分57秒 GO様 今から興奮しておりますが、台風でも来ないか、娘が急病にでもならないか、心配ばかりしてお ります。まぁ、陸奥は逃げやしませんけどね。やはり見たいのは四十糎砲塔と艦橋ですね。多 少ぼやけていたとしても、陸奥だと分かる写真が撮れたら最高です。ただ、透明度が3〜5mで は、あまり期待できないかも。 陸奥 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月15日(木)10時39分17秒 陸奥の船体はかなりの部分が引き揚げられました。装甲板が貴重なんだそうですね。 現代の製鉄は、品質管理のために微量の放射性物質を混入してあるし、厚みも必要なので、 放射線測定装置の格納箱に使えないんだとか。 それにしても陸奥の破壊状況はすさまじく、船体は第三砲塔のあたりを境にして90度に折れ曲 がり、前部は転覆しているそうです。主砲弾薬の爆発がいかに強力かがわかります。 いいなぁ 投稿者:GO 投稿日: 7月14日(水)19時52分33秒 >Samponさん 今の陸奥は、1番主砲、2番主砲、艦橋、煙突、後部艦橋、1番主砲から3番主砲直前までの 最上甲板、左舷船体(1番主砲から3番主砲直前まで)が残っていると思います。 写真期待してます。 大ニュース 投稿者:Sampon 投稿日: 7月12日(月)18時57分41秒 今日は嬉しいニュースで興奮しております。以前、広島のダイビングショップで戦艦「陸奥」をポ イントとしているところがあると聞き、次に陸奥に行くときは教えて欲しい、と言っておいたので す。そうしたら今日連絡があって、明日決行とのこと。平日なので、今日言われて明日は難し いというと、8月7日にセッティングしてくださるとの返事。一も二も無く是非是非、とお願いしてお きました。透明度の良くない瀬戸内海なので写真は余り期待できそうにありませんが、運良く 撮影に成功したらこのHPでアップします。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月11日(日)22時40分51秒 映画情報ありがとうございました。 浜松の零戦は本当に良く活躍したものですね。今から20年位前は零戦といえば科学博物館の 複座零戦と浜松のあの機しかなくて、自衛隊の基地際や飛行機ショーの度に駆り出されてい たのでした。今年のゴールデンウィークに浜松に行き、20数年ぶりに対面したものですが、自 衛隊機の中にあって存在がずいぶん小さく感じられ、ぞんざいな扱いをうけているもんだ、と 少々憤りを感じたものです。散々こき使っておいて、という気がしてなりません。 映画の撮影には、本物を使うのはもったいないかもしれません。映画用に作ったレプリカが岩 国にありますから、撮影にはあれでいいんじゃないでしょうか。 名優・浜松零 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月10日(土)18時04分29秒 嵐山零戦は、本当によく撮影に使ったものだと思います。コックピットに座って演技した俳優も 驚いたでしょうね。 浜松零戦は、けっこういろんな映画やTVドラマに出演しています。その一つ一つのタイトルは ちょっと思い出せませんが、例えば特攻隊員となって散っていった六大学野球部員を描いた 『英雄たちの応援歌』などがあります。 それからコメディですが『日本一の裏切り男』というのがありまして、植木等が赤トンボで特攻出 撃するのですが、背景に零戦が1機だけ小さく映っていますが、どうもあれもそうなんじゃない かという気がします。 TVドラマでは、タイトルは忘れましたが、戦艦大和の建造に従事した造船技術者を主人公とし たもので、その息子が零戦パイロットで、操縦シーンに浜松零戦が使われました。 このように、日本の映画やTVドラマで、視覚的リアリティを高めるのに非常に功績があり重宝 な存在であった浜松零戦が吊り下げ展示となって二度と撮影に使えなくなってしまったのは、 非常に残念なことです。 今後は、本物を使おうと思ったら海外に行くか、河口湖自動車博物館を頼るしかないでしょう ね。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月10日(土)14時02分17秒 富士川丸ですが、十分海面から見えますね。ブリッジが水深16mだそうなので、素潜りでも何と か到達できるレベルです。他の沈船情報もアップしていきますので、しばらくお待ちください。 映画情報ありがとうございました 投稿者:Sampon 投稿日: 7月10日(土)13時56分41秒 絵塗師様 そうでしたか、随分贅沢な作り方をしたものですね。本物の零戦とテキサン改造機では並んで 飛んだら一目瞭然で違いが分かってしまう、と心配するのは飛行機ファンだけなのでしょう。一 般人にはテキサンも十分「ゼロ戦」に見えますかね。 嵐山の零戦も出演していたとは驚きです。傷みの激しかったといわれるあの機をよく撮影で動 かしたりしましたね。浜松の零戦が「数々の映画に出演した」というのは、ところでどんな映画 がありますか? 富士川丸 投稿者:GO 投稿日: 7月 9日(金)22時02分38秒 >Samponさん 富士川丸見ました。 この深さなら、スノーケリングで海面から見えますね。 きけ、わだつみの声 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月 9日(金)22時00分9秒 零戦は、飛行シーンはアメリカで、地上シーンは日本で別々に撮られました。 飛行シーンは61-120がダミーの爆弾を積んで特攻機に扮しています。2機編隊で飛んでいまし たが、もう1機はAT-6改造の模造機です。 日本で撮られたシーンでは、琵琶湖から引き揚げられた零戦が使われました。嵐山美術館が 閉鎖されて南紀白浜に移されるまでの間の期間を利用したので、時期的にラッキーでした。エ ンジンを降ろしてモーターを積み、プロペラを回したりしています。 浜松の零戦と並んで登場するシーンもあります。この機体は、このあと自衛隊の広報館に吊り 下げ展示になったので、数々の映画に出演した同機も、この映画が最後の出演になりまし た。 ひさびさ更新しました 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 9日(金)01時36分16秒 やっと新しいページを追加しました。トラック環礁に沈む富士川丸です。あそこに行ったのも12 年前になってしまいましたが、船倉に眠る飛行機を見たときの興奮はいまも忘れられません。 12年経って解けない謎もあるのですが、どなたか解答をお持ちじゃありませんでしょうか? 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 9日(金)01時33分8秒 そうですか、白菊の出来はあまり良くないのですか。ストーリーが上手いことを祈ります。「危険 な道」ともども、ビデオで見る日を待つとしましょう。 「きけ、わだつみの声」に使われた本物の零戦とはどの機体でしょう。浜松基地の機ですか? おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 9日(金)01時26分59秒 >鹿屋はいい街 そうですね、わたしは鹿屋体育大と自衛隊史料館しか知りませんが。垂水港から鹿屋にいくバ スからの海沿いの展望が大好きです。でも、鹿屋の中心街が寂れてしまっていたのは痛々し いものでした。日中から商店街のシャッターが閉まっていて絶句しましたっけ。景気回復を切に 祈りますが、大隈半島まで波及するには時間が掛かりそうですね。 映画 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月 4日(日)15時32分36秒 『危険な道』は、8月末にDVDが出ます。白黒でけっこう長いです。 白菊特攻隊の映画というと、最近のウルトラマンで主役デビューした若手俳優が主演のやつで すね。 観てはいませんが、白菊はCGで、あまりリアルな出来ではないようです。 日本で本物の飛行機を使った戦争映画を作るのは、本当に難しいですね。その点、『きけ、わ だつみの声』は、よくぞ本物の零戦を使えたものです。 戦争映画じゃないし飛行機も出てきませんけど、私の好きな映画は身代金誘拐を描いた黒沢 明の『天国と地獄』です。 鹿屋 投稿者:おいどん 投稿日: 7月 4日(日)11時43分26秒 私の故郷では最大の都市?です。でも大都会と比較すると街レベルですが。 でも鹿屋はいい街ですよ。空気は綺麗だし自衛隊はある。>資料館は現在の自衛隊では 最大級になりましたね。太平洋航空作戦は子供の頃見た映画を記憶してて別の板(彩雲指令 の板) にて教えて頂き探せました。どうしても題名が想い出せなくて。 内容は本当にアメリカのプロパガンダ色満点ですが、とにかく本物のグラマンを贅沢に 使ってるトコが凄いです。近年のCG映画もいい出来ですが、本物には勝てません。 撮影が戦後間もない時期でグラマンがゴミみたいに扱われていたのもこの映画の面白い要点 の ヒトツです。でも私が面白いから、誰でも面白いとは限りません。>ウチの子供なんか、 何で飛行機が飛ぶ映画見てるの?と呆れています。(T_T) おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 4日(日)01時10分56秒 日本の場合、何しろ敗戦国ですし邦画全体のパイ自体が小さいので戦争映画に金を掛けるな んて期待できませんね。それこそ、キムタクの威力でも借りないと。飛燕や雷電の登場する映 画、実現したら素晴らしいですが、張りぼてででも出して欲しいものです。そういえば、最近「白 菊」特攻をテーマにした映画ができましたね。ビデオが出たら見たいと思っております。 おいどんさんが「太平洋航空作戦」をそこまで推薦されるからには、一度見てみないといけない かな。気長に探してみます。 HP拝見しましたが、やっぱり「おいどん」を名乗られるからには、鹿児島のご出身だったのです ね。このところ鹿児島に行く機会が少ないのが残念ですが、近いうちにまたおいどんさんゆか りの鹿屋に「二式大艇」を見に行くつもりです。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 4日(日)00時57分33秒 「トラ!トラ!トラ!」は今からでは絶対に作れない凄いスケールの映画でしたね。他の掲示板 でも話題になっていましたとおり「長門」の実物大セットや「赤城」の飛行甲板をを作ってしまっ たり。 「1941」、実は結構好きだったりします。といっても封切の時に見たきりですが。初めて一人で 映画館に足を運んだ思い出深い映画です。「太陽の帝国」は、うーん、期待が大きすぎたの か、ちょっと「?」でした。写真の一枚も公表されてない新鋭機の模型がどうして出回ってるの か、というのが最大の突っ込みなのですが。 戦艦大和が登場するアメリカ映画があるとは知りませんでした。「危険な道」ですか、ビデオは 出回っていないでしょうね。機会があったら見てみたいものです。 映画の話題 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 4日(日)00時50分7秒 このところ出張続きで忙しく(明日は久々に東京です)、中々HP更新もできませんが、皆様には サイト訪問&書き込み本当にありがとうございます。映画の話題になると盛り上がりますね。や はり皆様思い入れのある映画が少なからずあるようで。わたしの場合、一番繰り返し(ビデオ で)見たのは岡本喜八監督「英霊達の応援歌」でしょうか。役者も演出も、大道具小道具もそし て音楽もなかなか良かったです。 更新が遅れておりますが、来週には新しいページを公開する予定です。あまり期待するとがっ かりされるかも知れませんが、皆様に興味深い写真をお目にかけたいと思います。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 4日(日)00時28分32秒 お久しぶりです、書き込みありがとうございます。 「潜水艦1号」のビデオを譲ってくださるとのこと、涙が出るほどありがたいお言葉です。受け渡 し方法など打ち合わせたいのですが、直メールいただいてもよろしいでしょうか? GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 7月 4日(日)00時25分56秒 まぁ、日本も日露戦争での勝利の栄光をそれから40年間延々と思い出しては本やら舞台やら 作っていたのですから似たようなものかもしれませんね。米映画で繰り返し敵役を演じるのは、 それだけ強敵と目されている、ということで誇りに思っても良いかも?でも、しかし、だったらもう 少しまともに描いてくれよ。 映画 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月 4日(日)00時06分40秒 アメリカの映画に、珍しく戦艦大和が登場するのがあります。 ジョン・ウエイン、カーク・ダグラス出演の『危険な道』というので、接近する日本海軍に強力な 大和が混じっているのを知ったアメリカ側が非常な脅威に感じて動揺する描写があります。 最後は日米艦隊の決戦になるのですが、大和の攻撃力はすさまじく、アメリカ側がぼこぼこに なってしまうのも、ハリウッド映画としては珍しいです。 映画 投稿者:おいどん 投稿日: 7月 3日(土)21時36分17秒 どこの国の映画でも戦争映画だけは自国に有利に見せるプロパガンダ色が出ますね。 日本の映画では零戦か戦艦大和オンリーですし。他にもあるのに、出るのはコレだけ。 例えば飛燕戦闘機隊とか、雷電迎撃戦闘隊など玄人ウケすると思いますが。^^; アメリカの映画では終戦直後の時代に大戦航空機をふんだんに使った「太平洋航空作戦」 コレは良かったです♪ 先日某オクで入札して入手しましたが、ゼロ戦までF6Fを流用してるのを除けば 見ごたえ十分です。ネットでも入手可能ですので一度見てください。主役はジョンウェインです 私のHPのリンクに紹介してありますので見てください。↓ http://www5f.biglobe.ne.jp/~oidon/g.htm 編集済 ハリウッド 投稿者:絵塗師 投稿日: 7月 3日(土)10時23分35秒 それやこれやを考えると、『トラ!トラ!トラ!』はよくぞ日本に撮影を任せたものです。 スピルバーグはユダヤ系ですから、ナチスを悪役に仕立てたがる傾向にあるみたいですね。 反面、黒澤明のファンのせいか、『太陽の帝国』のように、日本はわりと好意的に描いていま す。『1941』では日本軍をおちょくっていますが、同時にアメリカ軍をもおちょくっていますから (笑)。 ビデオ 投稿者:tuka 投稿日: 7月 3日(土)10時19分23秒 お久しぶりです。以前話が出ていた「潜水艦1号」のビデオを所有しています。(ダビングです が)もし興味があるのなら差し上げますが。 まったくアメちゃんは 投稿者:GO 投稿日: 6月30日(水)19時30分13秒 >Samponさん アメちゃんはどんな手段を使っても、あの戦争を正当化したいんでしょう。 インディージョーンズの悪役・・・・それはちょっと見てみたいかも。 まったくその通り 投稿者:Sampon 投稿日: 6月30日(水)02時34分27秒 GO様 「パールハーバー」は別格としても、米製映画に出てくる日本軍の描写は酷いものですね。わ たしが言及した映画でも、艦長が潜水を命ずる指示が「メインタンク注水」でも「急速潜行」でも なくて「もぐれ〜!」ですよ。同じ敵でもドイツ軍を描くときは一応考証らしきものがあるのに(ド イツ語の分かる人が聞いたら酷いこと言ってるのかも)。でも、インディジョーンズのシリーズな どで悪役にされるよりはマシなのでしょうか? そんな映画が・・・・ 投稿者:GO 投稿日: 6月23日(水)22時59分18秒 >Samponさん そんな映画があったんですね。 アメちゃんの作った太平洋戦争関係映画はあまり見る気がしないのは、やっぱ内容のせいで しょう。(笑) 九州限定ニュース?滑走路発見! 投稿者:Sampon 投稿日: 6月21日(月)23時34分56秒 今日の「毎日」夕刊にこんな記事がありました。もしかしたら、九州版限定でしょうか。 「雁の巣飛行場『記録に残したい』保存活動が始動 かつて東洋一の規模と言われた国際空港『雁の巣飛行場』(福岡県東区)。この滑走路の一部 が雁の巣レクリエーションセンター敷地内に残っていることが分かり、同飛行場で働いていた 航空関係者や愛好家らが、記念碑の建立や記録集の出版に向けて動き始めた。-中略- 米軍は同飛行場を接収後、丸い穴の開いたコの字形の鉄板を滑走路上に敷き詰めて使って いたことが分かった。-後略-」 滑走路に米軍が敷いた鉄板といえば例の穴あきでロールになったやつに決まっている、そう思 っていたのですが、それ以外のものもあったかのようです。それにしても、「コの字形の鉄板」っ て何でしょう?気になります。 回天と伊58 投稿者:Sampon 投稿日: 6月21日(月)20時58分39秒 GO様 そう、伊58潜といえば反射的に「インディアナポリス」への魚雷攻撃を思い浮かべますが、回天 搭載艦でもあったのですよね。以前見た、インディアナポリスの沈没劇を描いた米映画で、橋 本艦長に回天乗員が発進させてくれと詰め寄って、「チャンスはまたある」と艦長に慰められる シーンがあったのを思い出しました。日本軍人が非常に粗野で安っぽく描写されていて腹を立 てたものでしたっけ。機会があったらビデオでもお見せしましょうか。 たぶん・・・ 投稿者:GO 投稿日: 6月17日(木)22時53分30秒 >Samponさん たぶん2年前だったような。 亡くなったのを聞いたのが、2年前ぐらいの大津島回天慰霊祭でした。 あれ? 投稿者:Sampon 投稿日: 6月17日(木)20時23分23秒 GO様 海難審判の件はちょっとしたトリビアでしたね。しかし、故人の名誉を損ねかねないのでこれ以 上は触れずにおきましょう(自分で持ち出しておいてなんですが)。しかし、亡くなったのは2年前 ですか、平成12年じゃなくて。ともかく、ご冥福をお祈りします。 潜水艦の映画といえば 投稿者:Sampon 投稿日: 6月17日(木)20時22分49秒 上保様 どうも、書き込みありがとうございます。お久しぶりですね。中々お会いできる機会がなくて残念 です。しかし、どれか一隻ならず全艦サルベージさせて映画出演とは、さすが上保さんはスケ ールが違いますね。夢がふくらみます。 ところで潜水艦の映画といえば、先日Yahooのオークションにレンタル屋流れのビデオで、確か 「潜水艦一号」というタイトルの「激レア物」(出品者談)が出ていました。日米戦直前の作で本 物の伊号潜水艦を使って撮影したものだそうです。私は、同じ出品者の「雷撃隊出動」を狙っ て初めて応札したのですが悔しい結果に終わりました。誰も応札していないので安心していた ところ、終了間際に急に1.5倍に値がつり上がり、最高値が上がったのを確認する間もなく競り 落とされてしまいました。どうやら、ライバルを警戒させないように鳴りを潜めていて、ぎりぎり 終了直前にポンと高い値をぶつけるのがレア物落札のテクニックなようです。勉強にはなりま したが、悔しいなぁ。どなたかお持ちじゃありませんか、「雷撃隊出動」のビデオ? 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月17日(木)12時41分9秒 どうも、お久しぶりです。日進、春日の情報ありがとうございました。 >日進または春日の主砲がトラック島に遺されているとは意外で、とても驚きでした。 本当に、わたしも砲の刻印をもとに検索したところ思ってもみない展開に驚きました。設計がイ ギリスでイタリアで生産され、アルゼンチンに売られるところを日本に買われロシアとの戦争に 使われ、日本で余生を送ると思いきやアメリカとの戦争に再度駆り出されて、いまミクロネシア に残されているとは、正に数奇な運命ですね。トラックに搬送されるまでの履歴について何か 手掛かりがないものか、今度大砲の研究家に伺ってみようとおもいます。 「日本に持ち帰っての展示」というのは魅力ですね。ただ、わたしは最近、歴史的な大砲がこの ままトラックで朽ち果てるのも悪くないかも知れないと思っているのです。トラック大空襲やその 後の爆撃、または飢餓などで亡くなった方々の墓標として、あるいは墓守として余生を過ごす 方が(砲に人格があるならば)幸せなのではないかと。その方がロシア人にいらぬ屈辱を与え ることにもなりませんしね。先日、ノルマンディー上陸60周年式典でブッシュ大統領がはしゃい で演説をぶつのに対し、ドイツ政府も「ナチスから解放してくれたことに感謝する」とのコメントを していましたが、内心は「くそったれ」と思っていたのではないかと想像しておりました。 へぇ〜 投稿者:GO 投稿日: 6月16日(水)17時14分30秒 >Samponさん #事故 そうなんですか、それは初耳です。 #潜水艦 そうなんです、イー58も含まれます。 橋本艦長が亡くなったのはつい2年前ですね。その2年ぐらい前にはテレビに出てました。イー 58の処分映像を見て、グッと目をつむっていました。 お礼 投稿者:上保 投稿日: 6月16日(水)15時40分16秒 Samponさんご無沙汰しております。吉野さんの「囲む会」でお会いできると思いましたがお会 いできず残念でした。「れいのブツ」のお礼遅くなりまして済みませんでした。改めて、ありがとう 御座いました。 海底に眠る潜水艦を「クルスク」の様に全艦サルベージして海上自衛隊広報部所属「なつかし の潜水艦隊」としてハリウッドあたりに貸してやって、大海洋スぺクタクル映画(当然日本が勝 つ)を作って欲しいのですが・・・無理かなァ・・・。 それではまたお会いできる日を楽しみにしております。 日進・春日の主砲 投稿者:絵塗師 投稿日: 6月16日(水)15時15分51秒 ご無沙汰しています。 追加されたページを拝見しました。 日進または春日の主砲がトラック島に遺されているとは意外で、とても驚きでした。 手持ちの資料で調べてみると、日進は8インチ(20サンチ)砲4門、春日は2門を搭載していま した(春日は砲塔の1基が25サンチ砲)。 日進は昭和10年に除籍。春日は昭和17年に特務艦に類別変更されたあと、終戦近くまで運用 されています。 トラック島に遺されている砲は、早くに廃艦になった日進の主砲の公算が高いですね。春日が 類別変更されたときに主砲が陸揚げされ要塞砲に転用されたとも考えられますが。 いずれにしても、日本に持ち帰って、靖国か記念艦三笠の傍らにでも展示したいものです。 続・潜水艦 投稿者:Sampon 投稿日: 6月16日(水)00時06分21秒 情報を求めてj-aircraft.comの掲示板を見たところ、どうやらこの秋Discovery Channelで映像 が放映されるようです。日本でも見られることを祈るばかりですね。 潜水艦の写真は発表されるのでしょうか 投稿者:Sampon 投稿日: 6月15日(火)22時57分5 秒 GO船長様 日本潜水艦24隻発見の記事は各紙夕刊に出ていましたね。読売、日経には24隻に伊58潜が 含まれていると書かれていました。橋本以行艦長、10年ほど前にはお元気でテレビのインタビ ューに出ておられましたが、いつ亡くなられたのかと思ってネット検索したら平成12年だそうで すね。ところで、検索中にとんでもない記事を目にしてしまいました。橋本さんが船長をしておら れた貨物船菊光丸が、昭和49年7月29日「水子島灯台海面」でパナマ船籍貨物船Western Star号と衝突するという事故があったようです。海難審判専門の弁護士のサイトの、中国語と 韓国語の判例集に記載がありましたが、日本語版はありませんでした。 トラックにもですか 投稿者:GO 投稿日: 6月15日(火)17時25分59秒 >Samponさん #島名 トラックにもそんな島があるんですか知らなかったなぁ。 #潜水艦発見 五島列島沖で処分された日本潜水艦の内、24隻が発見されたそうです。 江田島と能美島 投稿者:Sampon 投稿日: 6月13日(日)23時39分31秒 GO様、情報ありがとうございました。 二つの島の接続部分、結構幅が広いので人工的にくっつけたようには見えませんね。それか ら、ひとつの島なのに別々の名前がついている例、見つけましたよ。トラック環礁の中に、四季 諸島と共に浮ぶ七曜諸島のひとつです。日曜島、月曜島とあって火曜までは別々の島です が、水曜、木曜、金曜島はひとつの島なのです。江田島と違って島をつなげた訳ではない筈で す。 おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月13日(日)23時27分30秒 さっそく、仰った住所を調べて納得しました。了解です。 江田島、本当に昔の雰囲気のまま残っているのですね。わたしは昨年初めて行きました。 白亜の大講堂、生徒館、そして教育参考館。記念館三笠を辱めた連合軍も「聖地」江田島に は手出しができなかったようですね。米軍でなく英連邦軍が進駐したのが良かったのでしょう か。構内にちりひとつ落ちていなかったこと、それから「○○5分前」というアナウンスが流れて いたところに伝統の息遣いを感じて感動しました。 実は 投稿者:GO 投稿日: 6月10日(木)22時15分10秒 >Samponさん 昔々は別々の島だったそうで、地殻変動でくっついたというのは冗談で、島と島の間がすぐそ こで、船も通れないし陸上交通も不便だから埋め立てて1つにしたそうです。 呉市幸町無番地 投稿者:おいどん 投稿日: 6月10日(木)03時36分29秒 ここに住んでました。>これでバレバレですよね。 江田島は防火実習や教育で行きましたが、いいトコです。今でも懐かしい場所です。 七不思議? 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 9日(水)22時54分9秒 GO様 江田島と能美島、実際にはひとつの島なのに別々の名前がついている。こういうことって珍し いのでは?「江田島の七不思議」なんてものがあれば、きっとその一つには入るでしょう。 Tシャツは、うーん、何だったのでしょう。「龍譲」で検索したら何件かヒットしました。ゲームのキ ャラクターか何かであるみたいですね。空母のことじゃないかもしれません。 なるほど 投稿者:GO 投稿日: 6月 9日(水)20時42分55秒 >Samponさん #柱島 大竹と岩国の間の川が県境ですからね、近くても隣の県なんです。 ちなみに、江田島からは柱島は見えません。能美島からなら見えますが。陸続きでも江田内湾 を挟んで、2つの島が存在する不思議な島でもある江田島です。 #Tシャツ いろんなTシャツがあるんですね。もしかして自作!? 今朝、八幡駅前を歩いていたら 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 9日(水)01時06分19秒 すれ違った青年のTシャツに、「龍驤」と書かれていました。赤い布地に白い文字で。一瞬だっ たので、もしかしたら「驤」ではなくて「譲」の字だったかもしれませんが。職場に急ぐところでな かったら、呼び止めてじっくり見せてもらっていたかも知れません。これから夏の間、道行く人 のTシャツを吟味するのが癖になりそうです。 おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 9日(水)01時00分23秒 お久しぶりです、書き込みありがとうございます。 おいどんさんも以前呉に住んでいらしたのですか。もしかして自衛隊?柱島は呉軍港に近いの で広島県かと思っていたら山口だったので驚いたことを思い出しました(随分前のことです が)。 白状しますと、わたしは西日本の地理には本当に疎かったのです。それでも九州に越して来て 随分ましになりましたが。去年9月に呉、江田島に行ったのですが、このとき瀬戸内海を見るの が生まれて初めてだった次第です。 花嶋様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 9日(水)00時50分58秒 どうも、お久しぶりです。あれから、もう一ヶ月ですか。 長野の合宿は良かったらしいですね。それが最後というのが寂しい限りですが。今度はいつ上 京できるか、状況(注:だじゃれ)次第です。6月末に沖縄に行くことにしたので、しばらくお預け になるかもしれませんが。それでも、早いうちにまたお会いできるのを楽しみにしております。 時計のお話は最近何か収穫がありましたか? GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 9日(水)00時43分57秒 やっぱり、柱島には何もないのですね。あったら、GO船長のレーダーに引っ掛かるはず? 陸奥史料館、観光地化しているといっても、知覧のようなことはないでしょう。特攻まんじゅうと いうのが冗談でなく本当にあって幻滅しましたもの。ゆっくり感傷や追憶に浸れる環境じゃなか ったですね。鹿屋は人が適当に少なくて良かったです。あと、加世田も。 柱島 投稿者:おいどん 投稿日: 6月 8日(火)22時30分35秒 sampomさん、御無沙汰してます。おいどんです。 昔は呉のある場所にいたもんで、柱島の場所が気になり調べたら。。 江田島の沖近くなのですね?知らなかったです。^^; 呉は本当に静かな良港です。ここに入りきれない巨艦は柱島に。 良く考えてあります。トラックも似た環境だったと想像できますが、今後、あの島を泊地に 使う艦隊は現れないのでしょうね。 また呉に遊びに行きたくなりました。(^◇^) 呉は何も無いけど、あの護衛艦を見るだけで元気になれます。 ブツ頂きました。 投稿者:花嶋裕孝(221b) 投稿日: 6月 8日(火)22時05分31秒 Samponさんへ お久しぶりです。お元気でしたか。 私は6月2日、3日の零戦搭乗員会・海空麦飯会合同解散会に行ってきました。 私は原田さんをはじめ、岩下会長、その他各搭乗員の方々と初めてお会いしましたが、 皆さん、誠実でお優しいお人柄に大変感激しました。とても充実した2日間でした。 13日は、吉野さんにお会いする予定です。Samponとは、今度いつ頃お会いできますかね? あと、例のブツ、頂きました。どうも有り難う御座いました。それでは、また。 どうなんでしょう? 投稿者:GO 投稿日: 6月 8日(火)19時33分20秒 >Samponさん #柱島 どうなんでしょうね。 柱島に海軍の宿泊施設があったのなら、その後も残っているでしょうが、そのような話は聞い た事はないです。 #陸奥記念館 いい資料館でしたが、観光化されずぎた感じがあって、あんまりきれいすぎなような・・・・。 昨日の夕方のこと 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 8日(火)00時22分33秒 JR黒崎駅前を、見事な夕焼けに染まった空を見上げながら歩いていて、すれ違う女性が着て いたTシャツの図柄に目がとまりました。硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てる兵士たちの絵だっ たのです。一瞬のことでしたが、他に読み取れたのはその絵の下に書かれていた"Glory Days "という文字でした。恐らく、と言うより間違いなく、その女性は図柄の由来も「栄光の日々」の 意味も知らずに着ていたのでしょう。アメリカに観光に行った先で買って来たと想像しますが、 そんなTシャツ作るアメリカ人も、かっこいいと思って着ている若いおねえちゃんも、寂しい人た ちだと思った夕でした。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 7日(月)22時10分31秒 そうでしたか。岩国からの定期船はJR時刻表には出ていませんね。柱島は 近くに連合艦隊泊地があっただけで島自体には遺構などはないのでしょうか。 泊地があった以外に、奇兵隊総督の赤根武人の出身地ということで幕末史 好きの私にはいつか訪れてみたい地です。 陸奥記念館、行ってみたいですね。それより水中の陸奥を見たいものですが。 柱島 投稿者:GO 投稿日: 6月 5日(土)07時23分57秒 >Samponさん 柱島は見た事はありますが、行った事はありません。岩国から定期船が出ていますけど・・・・。 屋代島の陸奥記念館からは、すぐそこだったんですのを覚えてます。 なるほど 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 5日(土)07時07分16秒 GOさん、情報ありがとうございました。 ところで、柱島は行かれたことはありますか? 狭いんですよ 投稿者:GO 投稿日: 6月 4日(金)19時21分23秒 >Samponさん 島の道は狭くクネクネしているんですよ。広いところは普通に広いんですけどね、狭いところは 対抗者が来ると困るところもあるんです。 しかも、倉橋島の道は海沿いに1週繋がっていないため、数回島を横断しなくてはいけませ ん。 hush様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 3日(木)23時08分23秒 いらっしゃいませ、ご訪問ありがとうございます。 まだまだ大した内容のものではありませんが、これから少しづつ充実させて行きたいと思って おりますので、よろしくお願いいたします。仰るとおり、写真中心のページなものですから、どう しても重たくなってしまいます。皆が皆ブロードバンドを使っている訳ではないので、何とか対策 を立てたいと思います。 トラックの大砲、来歴を知ったときはわたしも興奮しました。いつ内地から持ち込まれたのか、 それまで何処で保管されていたのか等が調べられれば面白いものになるのですが、現状では こんなものです。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 3日(木)23時00分33秒 ええ?車で1時間30分〜2時間!?九州自動車道を飛ばせば北九州から熊本まで行けてし まうじゃありませんか。そんな大きな島じゃありませんが、よっぽど道が悪いんですか? はじめまして 投稿者:hush 投稿日: 6月 3日(木)00時06分46秒 はじめまして、The Naval Data Baseのhushです。 この度は、当方の質問箱に書き込みを戴きありがとうございました。 また、御返答が遅れましたことを謹んでお詫び申し上げます。 こちらでも書き込んでおられる希少艦艇研究所の GO船長の掲示板からホーム・ページを拝見しに行ったことがあります。 ただ、電話回線ですのでページを開けるのに時間がかかり、あまりゆっくり出来ませんでした (実は自分のページもそうだったりするのですが)。 今回、再訪させて戴き、特に「トラックの大砲」には非常な関心を持って拝見させて戴きまし た。 日進、春日の大砲と致しますと100年も前のものであり、8インチ(203mm)砲でしたら、日露戦 争時、最大射程を誇った砲です。 この長射程ゆえに、その薄い装甲にもかかわらず初瀬、八島の沈没後戦艦列に伍して戦っ たのは御存知の通りかと思いますが、その大砲がこのような土地に残っているというのは驚き 以外の何物でもありません。 まだまだ緒に就いたばかりと言う事で、いろいろと興味深い事が出てくるのではと楽しみに致 しております。 今後ともよろしくお付き合い戴ければ幸甚に存じます。 http://hush.gooside.com/ 近いのかな 投稿者:GO 投稿日: 6月 2日(水)22時13分51秒 >Samponさん 江田島から亀ヶ首まで島の端から端まで行くんですが、車で1時間30分〜2時間かかります。 しかし、陸から行くとトンネルが難点で、膝ぐらいの深さまで水が溜まっているそうです。 高橋希輔様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 2日(水)01時24分36秒 いらっしゃいませ、お待ちしておりました。 脱出記のコメントありがとうございます。しかし、「冷静なる判断力」とは、また恐れ入ります。と てもそんなものではなく、紛争の最中にも呑気に構えていただけです。それでも無事に帰れた のはタイミング良く助けが入ったからなのですが、自分の運が良かったというよりも、あるいは 英霊のご加護だったのかも知れません カミンボの件、また振り出しに戻ってしまいました。わたしは、エスペランス岬からはサボ島が 正面に見え、カミンボからは視界の右端に見えるものと思っておりました。機会を見て、あの写 真の場所がどこだったのか、改めて調べてみたいと思います。 仕事に追われる毎日は相変わらずですが、頂きました過分なる励ましのお言葉を糧に細々と でもページ更新作業を進めていきますので、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 6月 2日(水)01時14分40秒 いつも書き込みくださってありがとうございます。なるほど、地図にもない、道なき道があるので すか。それでバイクと言われた、と。アップされた地図をみると亀ケ首は大迫の先にあるので すね。江田島ともこんなに近いとは。 これからも広島周辺の戦跡情報を楽しみにお待ちしておりますので、よろしくお願いします。 はじめまして 投稿者:高橋 希輔 投稿日: 6月 1日(火)01時59分20秒 この掲示板でははじめまして。今後とも宜敷願います。 『墓島脱出記』拝読。軽挙妄動(?・・・)は丈夫の美風と言いますが、随分とまたエライ思いをさ れましたね〜・・・ しかしその後の、期に応じての冷静なる判断力、そして行動力には、心から敬服致します。 ところで、以前「ここはカミンボか否か」という写真が話題になっていた様ですが、私もサボ島を 背景とした、全くと言って良い程の同じ位置、同じアングルで撮った写真を私のアルバム内に 持っており、一瞬「なんであの写真がここに・・・」と思うほど驚きました。 先日の「ラバウル方面会慰霊祭」にもいらしていた、〇垣さんをツアコンとする慰霊の旅に同行 させて頂いた際、撮影したものですが、〇垣さんからはその際、その地がエスペランス岬であ るとの説明を受けました。 当然ながら同行の方々はお年寄りが中心でしたし、日没も近づき、カミンボまでは行く事が叶 わず、残念であった・・・という思い出が残っています。 でも実際、あそこって此処から此処までがエスペランスで、此処からがカミンボ、などという明 確な線引きなんてあるんでしょうかね〜?・・・ 数々のお写真、大変懐かしく拝見致しました。更新を楽しみにしております。お忙しいでしょう が、引き続き頑張ってください。期待しております。 地図 投稿者:GO 投稿日: 5月31日(月)21時35分7秒 >Samponさん 強者達の夢のあとに地図を入れてみました。 実は 投稿者:GO 投稿日: 5月31日(月)19時02分11秒 >Samponさん 実は大迫から地図に載っていない細い道があります。 地元の人曰く2tし車でも行くそうなのですが、我々が見たところ軽でも難しいようです。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月31日(月)01時32分12秒 亀ケ首の位置をYahooマップで確認しました。半島の突端なのですね。道路の終点からは5k mくらいでしょうか。徒歩で行けなくもないように思いますが、海からのアクセスも捨てがたいで すね。 ゆうぞう様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月31日(月)01時30分37秒 どうもご心配ありがとうございます。 メールは届いておりました。すみません、ご返事が遅れまして。ADSLといえどもそんなに早くな い場合も多いのですね。うちは8Mで申し込んで2Mに落とされたので腹を立てているのです が。 古本探し、楽しいですよね。いつも時間が経つのを忘れてしまいます。探し物が見つかることを お祈りします。 亀ヶ首 投稿者:GO 投稿日: 5月29日(土)22時16分59秒 >Samponさん 亀ヶ首は難問です。海から行くか、狭い道をバイクで行くか・・・・。 でも、大迫の海はきれいですよ。 大変でしたね 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 5月29日(土)18時45分27秒 最近どうしたかと思っていました。 もしかしたら写真と名産物のお礼のメールも届いて無かったですか? どうもありがとうございました。 我が家はADSLの1.5M回線なので600KBぐらいしか出てませんので2Mでも羨ましい次第 です。 今日は神田神保町に古本を見に行ったのですが私が欲しがっている物が丁度なかったので やむなく帰りましたが、家に帰ってから「やっぱり買えばよかったかなあ」と後悔しているものも あります。 ひどい話 投稿者:Sampon 投稿日: 5月27日(木)23時45分3秒 しばらく、わが家のパソコンがネットに繋がらず、ページ更新も掲示板書き込みも出来ませんで した。書き込みくださった方、ご返事遅れて申し訳ありませんでした。プロバイダに苦情を言っ たところ、回線が不安定なので通信速度を落として対処するしかないとのこと。ADSLなのに2 MBで我慢せよと、でも値段は安くならないのですから酷い話です。 GO様: 亀ケ首の不発弾は勿論冗談です。でもかけら位残っていて欲しいですね。私もいつか訪れた いです。 飛龍疾風様: いらっしゃいませ!ようこそこのページへ。それにしてもお若い、15歳とは!私がブーゲンビル あたりをうろついていた頃に生まれたのか...バブルの頃に生まれた子がもう1人前にホーム ページ作ったりするのだから驚きです。リンクの件、まずページを拝見してからご返事します ね。GOさんの掲示板で見ましたが、高校生とは思えない知識に読書量ですね。これからの活 躍が期待されます。これからも度々来てください。 tuka様: 秋水の飛行を目撃というのも凄いご体験ですね。追浜で試験することになった経緯など、この 前渡部洋二氏の本で読んだもので感慨深いです。 回天乗員 投稿者:tuka 投稿日: 5月23日(日)17時58分25秒 こんにちは。 伯父は回天乗員と言っても、実際に乗ったかは不明です。もともと、予科練でしたが、回天乗 員に代わったようです。終戦は山口県の光で迎えたようですが、追浜で秋水の飛行(20年7月 7日)を見たと言っていますので、回天乗員としての訓練は一月に満たないものと思います。 初めまして 投稿者:飛龍疾風 投稿日: 5月19日(水)23時20分12秒 初めまして。GOさんのサイトに最近現れた輩の飛龍疾風、高1です。 よろしく御願い致します。 大変興味深い戦地写真等は、素晴らしいと思います。 これからも頑張って続けてください。 まだまだ未完な私のサイトですが、よろしければリンクを結んでいただけないでしょうか?管理 人様、検討をお願いいたします。 http://toyama.cool.ne.jp/sinpu2649/ 亀ヶ首 投稿者:GO 投稿日: 5月19日(水)20時47分49秒 >Samponさん 亀ヶ首の弾薬類は終戦後、連合軍によって弾薬庫に集められ爆破されたそうです。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月19日(水)03時05分29秒 天気が悪かったので、直前まで行こうか行くまいか迷ったのですが、行って正解でした。せっか くの風光明媚な地を満喫できなかったのは残念でしたが、お陰で誰にも邪魔されず紫電改に 集中できました。 北海道まで零戦のフライトを見に行かれたとのこと、そっちの方が羨ましいです。まだ、飛んで いる零戦を一度も見たことないものですから。いつか、見てやろうとは思っておりますが。61- 120機がそれまでもちますかどうか、心配です。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月19日(水)02時59分7秒 いらっしゃいませ、書き込みありがとうございます。 伯父様は元回天搭乗員でいらっしゃるのですか。大変な体験をされたご親族をお持ちですね。 慰霊碑にお参りできて、感慨如何ばかりだったかと思います。 ところで、わたしの携帯電話はTU-KAです...すみません、全然関係なくて。 コメントありがとうございました 投稿者:Sampon 投稿日: 5月19日(水)00時10分39秒 м.上保様 >軍歌はイメージ狂うナァ・・ むむ、わたしに軍歌は似合わないと仰るのですか?!こう見えても、少年時代は靖国神社を 遊び場に、軍歌を子守唄に(家の前の道が街宣車の通り道でした)育ったのですぞ。でも、もち ろん上保さんには到底敵いません。お会いしたときには、(わたしにとって)マイナーな曲も良く ご存知なので驚きました。今度、本当に対抗戦やりたいですね。演芸会でも良いですよ。。。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月18日(火)23時35分56秒 毎度の書き込みありがとうございます。 >ハイテクな機器を・・・・ いまどき、携帯電話もGPS付きになろうという時代ですからね。今やこれなくして船を動かすと いうのも考えられないのではないでしょうか。漁師さんが海の上で場所を特定するにはこれま で「山立て」という手法を使っていたものですが今はどうなんでしょう、GPSが取って代わったの では、という気もするのですが。 P基地、Q基地の写真、興味深く拝見しました。亀ケ首は行かれなくて残念でしたね。今も何か 試験場の遺構があるのでしょうか?20インチ砲の不発弾でも出てきたりして... 紫電改 投稿者:絵塗師 投稿日: 5月18日(火)23時16分46秒 紫電改を見てきたのですか、うらやましいです。私も機会があれば見に行きたいです。 零戦が里帰り飛行したとき、北海道まで見に行きました。日程の都合で零戦だけ見てのとんぼ 帰りで、函館の夜景等、普通の名所はまったく見ませんでした。はたから見れば、ばかな行動 に見えるでしょうね。 みなさま 投稿者:Sampon 投稿日: 5月18日(火)23時11分2秒 土曜日は出勤してボリビアに関するプレゼンテーションを行い、その夜に小倉からフェリーに乗 って松山に移動。日曜日愛媛県内を走り回って「紫電改」を見て夕方のフェリーで別府へ、JR で別府から北九州のわが家に帰着というハードスケジュールな週末を過ごしておりました。道 後温泉と別府と2つの温泉町を横目に風呂浸かることもなく(夜行フェリーでは入浴しましたが) 駆け足で雨の中を移動ばかりしていましたが、思い出深い旅になりました。こんなお陰で、書き 込みくださった方々へのご返事が遅れて申し訳ありません。 公開 投稿者:GO 投稿日: 5月18日(火)21時55分50秒 >Samponさん P基地とQ基地の現在の写真を公開しました。 残念 投稿者:GO 投稿日: 5月16日(日)22時22分35秒 >Samponさん P基地とQ基地は行けたんですが、亀ヶ首は行けませんでした。 詳細は、またうちのサイトで書きます。 ちなみに、波多見と大浦崎は別ですよ。並んでいるんです。 GO様 投稿者:tuka 投稿日: 5月15日(土)13時00分21秒 大浦崎でしたっけ?波多見にあるのは。その前に特殊潜航艇乗員の慰霊碑のある神社があ りますよね。(名前失念)以前、回天乗員だった、伯父を連れて行ったところ、涙を流さんばか りの喜びようでした。 搭乗員でした 投稿者:м.上保 投稿日: 5月14日(金)22時35分24秒 搭上員は、搭乗員でした。すみません。 軍歌演習よりも。 投稿者:м.上保 投稿日: 5月14日(金)15時55分5秒 Samponさんの容姿から、軍歌はイメージ狂うナァ・・と言うよりそのギャップを、楽しみたいなと 思いリクエストした次第です。それより軍歌東西対抗戦いかがです・・審査員は搭上員の方々 なんて何か演芸会になっちゃたりして・・・これジヨウダンです。 GPSですか 投稿者:GO 投稿日: 5月13日(木)22時47分3秒 >Samponさん GPSですか、ずいぶんハイテクな機器を・・・・。(笑) 私は明日、大浦崎P基地跡、大迫Q基地跡、亀ヶ首射撃実験場跡を回ってきます。 絵塗師様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月13日(木)22時13分6秒 777番に続いて1515番取得おめでとうございます!早く絵塗師さまのお眼鏡にかなう写真をア ップしたいのですが、ハードルが高そうですね。 しかし、思ったより早いペースでカウンターが上がっていくので(最初の頃のように毎日100人位 訪れてくださることはなくなりましたが)驚いております。このところ更新する暇も無いので心苦 しい限りです。 м.上保様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月13日(木)22時07分19秒 キリ番取得、おめでとうございます。「六甲おろしの歌」では勘弁していただけそうもないので、 音痴のわたしですが「ラバウル航空隊」を練習しておきます。また、上保さんの歌も、ぜひ聴い てみたいです。一度、軍歌演習をしませんか? GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月13日(木)22時03分27秒 「見えるようです」と伺ってほっとしております。しかし、実はあの写真の説明に重大なウソがあ ることに気付きました。先日実家に帰った折、私が協力隊を受けたときの試験問題冊子が出 てきたのですが、そこにE6プロセス云々の問題は無かったのです。過去問題を取り寄せて受 験対策をした記憶と混同していたようで、赤面の至りです。 ところで、先日戦跡巡りの大先輩ともいうべきお方にお会いしましたが、最近の撮影行では行 かれた場所のGPSデータを全て記録されたそうです。わたしも地質調査の方の話を聞いて同じ 事を考えていたのですが、既に実践されている方がおられました。GPSがあれば、はたしてカミ ンボに行ったのかどうか、なんて疑問もなくなりますね。 1515番 投稿者:絵塗師 投稿日: 5月11日(火)21時55分53秒 ……を、私はGETしました(^^;) 1500番は私です 投稿者:м.上保 投稿日: 5月11日(火)12時30分54秒 カウント1500ゲットしました・・・・。 先日は、途中退席しまして失礼致しました。記念品は、次回お会いした時に、「闘魂こめて」か 『ラバウル海軍航空隊」を、熱唱していただければと思うのですが・・・・なにとぞよしなに・・ どうも見えるようです 投稿者:GO 投稿日: 5月 9日(日)19時12分1秒 >Samponさん 地図を見るとカミンボからサボ島は見えるようです。 まだ東京です 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 9日(日)04時48分51秒 GO様 まだ、日曜の晩まで東京におります。靖国神社に参拝してから九州に帰ります。 カミンボですが、わたしの手元の地図だとサボ島が視界の端に見える位置なのです。家にある 「残像」という写真集ではカミンボ海岸とサボ島が1枚に収まっております。この写真にある砂浜 のはずれ位だとサボ島が見えるようです。カミンボの撤収が行われた場所は今後調査するこ とにします(結果が出るのはいつになりますやら)。 お帰りですね 投稿者:GO 投稿日: 5月 7日(金)19時01分35秒 >Samponさん 東京からお帰りなさいませ。 #カミンボ カミンボからはサボ島は見える?地図を見たら見えないような・・・・。 しかし、貴重な写真ありがとうございます。 上保様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 5日(水)15時20分51秒 いらっしゃいませ、書き込みありがとうございました。先日は奥様の美味しい手料理での歓待、 本当にありがとうございます。おしゃれなお店、綺麗な奥様に可愛いお嬢さんと三拍子揃って いましたね。大変貴重なものも見せていただき、夢のような一日になりました。また、是非伺い たいと思っております。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。 お疲れ様でした。 投稿者:м.上保 投稿日: 5月 5日(水)14時59分20秒 sampon様 こんなに早くお会いできるとは思いませんでしたが、これからも宜しく御願いします。 上京する折は遊びに来てくださいね。 花嶋裕孝様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 5日(水)01時10分45秒 >今度、お時間がある時に色々お話したいですね。 ええ、まったくです。あのときは舞い上がっていてまともな会話が余りできず、次回お目に掛か る際は軍用時計のことなど、ゆっくりお話を伺いたいと存じます。こちらこそ、どうぞよろしくお 願いいたします。 月、火曜は妻の祖父母宅に曾孫を披露しに静岡の田舎に行き、ついでに一人で浜松基地の 零戦を見に行ってきました。小学生の頃入間基地航空祭で見て以来30年ぶりに近い対面でし た。今でこそ国内で見られる零戦は余り珍しくもなくなりましたが、当時は五二型がこれ一機、 あと上野の複座改造二一型があっただけなのを懐かしく思い出しました。 昨日は、お疲れ様でした。 投稿者:221b(花嶋裕孝) 投稿日: 5月 3日(月)14時11分28 秒 Sampomさんへ 昨日の小町さん表敬訪問、そして二次会では、お疲れ様でした。 昨日は、ゆっくりとお話が出来ませんでしたが、今度、お時間がある時に色々お話したいです ね。 同年代とあって、お会いできまして、嬉しかったです。これからも宜しくお願いします。 ゆうぞう様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 3日(月)10時22分41秒 こちらこそ、お会いできて光栄でした。あの場所にいられたのもゆうぞうさんのお陰だと思って います。(他の方はわからないでしょうが、昨日ちょっとしたオフ会があったのです) もっとゆっくりお話できたらよかったのですが、また機会がありますね。これからも、どうぞよろ しくお願いします。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 3日(月)10時19分39秒 あくまで、見当です。サボ島の見える位置から、大体あの辺がカミンボであろうと。写真集を見 ても基本的には撤退の行われた海岸にはほとんど何も残っていないようです。 おいどん様 投稿者:Sampon 投稿日: 5月 3日(月)10時16分13秒 書き込みありがとうございます。何度も訪問してくださっていたのですね。これからも、どうぞち ょくちょくいらしてください。おっしゃった英語のページはわたしも時々覗いています。 写真屋さんをされていたとのこと、あの液の匂いを毎日かいでいらしたのですね。わたしも写 真とはあくまで銀塩で撮るもの、デジタルなぞ画像であっても写真ではない、と思っていたので すが、いざデジタルを導入してみると便利さに負けてフィルムの消費量が随分減りました。それ でもまだ銀塩が主力だとの思いは変わっておりません。 お目にかかれて光栄でした 投稿者:ゆうぞう 投稿日: 5月 3日(月)00時19分44秒 本日はお目にかかれて本当に嬉しかったです、めちゃくちゃよい方でびっくりしました。 なんてソフトで笑顔が素敵な方だろう!そしてボランティア精神旺盛な!! 今日は早くに切り上げてしまいすみませんでした、今日はとても勉強になりました、お互い住ん でいるところは遠いですがまたお会いしましょう、これからもお世話になることが多いかと思い ますがよろしくお願いします。また9日は出席できませんが私の分までよろしくお願いします。 なるほど 投稿者:GO 投稿日: 4月30日(金)17時38分7秒 >Samponさん #カミンボ 写真は意見しました。今は何もないんですね。 まぁ、あの頃何があったのかもよく分かりませんが(汗) #グアム 前にグアムに出版社から取材に行こうという話があったとき、横須賀で許可を取って行くと言っ てましたから取れると思います。(ただ、この話は中止になりました。) BBS 投稿者:おいどん 投稿日: 4月30日(金)16時47分24秒 samponさん、BBS設置おめでとうございます。>今頃遅いとは思いますが。(^_^.) 更新の進捗も素晴らしく、訪れるのが楽しみです。 http://www.pacificghosts.com/ も良く行くのですか、大半が英文で英語が分からない当方には画像以外は まったく分かりません。 今はガダルカナルも普通に行ける島となってるのですね。 機会があれば訪れて見たい土地ですが、中々踏み切れません。 時間とお金と熱意が作れないものですから。。。 今後の発展を楽しみにしています。 追伸、今はデヂカメの普及で35mm写真の現像を頼む人も減りましたが、 プロ写真はやはり35mm等のネガ写真にかないません。 大事な画像はネガも必要ですね。 デヂカメだと簡単に消してしまいますから。。 私も昔はカラープリントを生業としていました。 再度GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 4月30日(金)12時09分6秒 カミンボについては「今週の一枚」をご参照ください。この辺りとおぼしき地には確かに行ってい ました。甲標的とグアムの運貨筒は見ておりません。グアムの米軍基地には横須賀の米軍で 許可をもらえるのですか。情報ありがとうございました。次回グアム行きを検討するときにはご 相談します。 今晩から一週間東京に行ってきますので、ホームページ更新はお休みです。その前にガ島戦 争博物館の写真をアップしておきました。展示物の写真はまだ他にありますので、ご期待くださ い。 なるほど 投稿者:GO 投稿日: 4月30日(金)07時37分53秒 >Samponさん #ガダルカナル エンペランス岬は、岬と言ってもはっきり分かるほど出てませんから分かりにくいと思います が、北端(?)になるのかな?カミンボはエンペランス岬から西回りに徒歩1時間ぐらいとだそう です。 ちなみに、この中間あたりの海岸沿いに甲標的11号艇の残骸が沈んでいます。 #グアム ウガヤ湾の海岸に特型運貨筒の残骸が転がっているんですが行きましたか? 米軍基地内には甲標的丙型もありますが、こちらは横須賀米軍基地で許可を貰わないと入れ ないそうです。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 4月29日(木)21時33分29秒 零戦の残骸があったタンベアという地、あの近辺がエスペランス岬だと思うのです。カミンボは 手元の地図に出ていないので、今度上京するときに調べてみましょう。少なくとも両地点とも通 過はしているのは間違いないのですが、「ここがエスペランス岬」という標識が出ている訳でな いので、ガイドを連れていないと分かりません。 tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 4月29日(木)21時30分19秒 再度の書き込みありがとうございます。そうでしたか、これは調査の必要がありますね。グアム へは最後に行ったのがもう5年前、次は何時行けますやら... ガダルカナル 投稿者:GO 投稿日: 4月28日(水)22時21分33秒 >Samponさん ガダルカナルに行かれたときに、エンペランス岬、カミンボに足を伸ばしたんですか? 曖昧な記憶ですので 投稿者:tuka 投稿日: 4月28日(水)16時38分21秒 1942と言うのも、10年前の記憶ですので絶対とはいえません。ただ、サンムリンだけは強烈 に覚えています。場所は洗濯の途中で見つけたので、ランドリーのすぐ横だったはずです。CP Oクラブも近かったように記憶しています。いいかげんですみません。 思いがけない発見 投稿者:Sampon 投稿日: 4月28日(水)00時36分54秒 つい先日、ヤップ島の写真を探していたら、思いがけない写真が出てきました。HPのソロモン 諸島ピエズ島について書いたページの最後尾に靖国神社遊就館でピエズ島産のシャコ貝を見 た、と記したのですが、その貝の写真だったのです。撮影したことも全く憶えていなかったもの で、自分で撮っておきながら驚いていました。「ピエーヅ島大シャコ貝」という説明書だけ付され ていたと記憶していたのですが、写真では「ピエーヅ」でなく「ピエース」でしたし、この島がブー ゲンビル島の南に位置し終戦後捕虜収容所となって多数の戦病死者を出したことをちゃんと 書かれていました。自分では目に焼き付けたつもりだったのですが、何年も前に見たものの記 憶などこんなものです。記憶を掘り起こして戦史や歴史を記すことの難しさをつくづく感じます。 ピエズ島の記述は修正しておきました。こんな細かい更新ばかりしていて、中々HP作りが前に 進みません。 再度の書き込みありがとうございます。 投稿者:Sampon 投稿日: 4月28日(水)00時34分 25秒 GO様:ええ、国本さんにはGOさんと同じ飛曹長の階級を頂いておりますが、昔の名前で出て いますので、お分かりにならなかったのでしょうね。 絵塗師様:そうですか、メールが来たら満足頂いた印なのですね。早くいただけるように頑張り ます。しかし、自分で書いといて何ですが、世界中回った訳でもないのに「世界の博物館を訪 ねて」はおこがましかったかなぁ、と今更ながら赤面しております。 ラッキーナンバー記念 投稿者:絵塗師 投稿日: 4月27日(火)22時36分50秒 >>ラッキーナンバーを獲得された記念にどれかご希望の生写真もしくはボリビアのお土産でも 差し上げます。よろしければ直メールください! お気遣いありがとうございます。(^-^) 私としては、現存機の生写真が欲しいので、「世界の博物館を訪ねて」に写真が掲載されるの を気長に待ちます。気に入った写真が載ったら、メールさせていただきます。 ありがとうございます 投稿者:GO 投稿日: 4月27日(火)22時04分15秒 >Samponさん 相互リンクの件、ありがとうございます。 30日にリンク工事を行います。 また、私のサイト"希少資料艦艇研究所"をご覧になった事があるとの事、誠にありがとうござ います。しかも、国本戦車塾の直掩隊仲間だったとはビックリです。全然気づいてませんでした (汗) では、こちらこそこれからもよろしくお願い致します。 GO様 投稿者:Sampon 投稿日: 4月26日(月)22時02分56秒 はじめまして、GOさん!ご来訪ありがとうございます。 メールしたこともありませんでしたが、国本大将の直掩隊仲間ということで親近感を持っており ました。ホームページは時々拝見しておりますし、呉の大和砲塔模型には大変感服いたしまし た。去年江田島に行ったときは、フェリーに乗りながら、もしかしたらこれがGOさんの船かな ぁ?と考えていたのですよ。 相互リンクの件、もちろん大歓迎です。こちらからも早速リンクを張らせていただきます。これ から、どうぞよろしくお願いいたします! tuka様 投稿者:Sampon 投稿日: 4月26日(月)21時57分3秒 再度の書き込みありがとうございます。tuka様は自衛官でいらっしゃいましたか。練習艦隊で はグアムの慰霊碑への黙祷などは行われたのでしょうか。甲標的はグアムではアプラ港の他 にウマタック湾(マゼラン上陸記念碑があるところ)というところにも打ち上げられた残骸があっ たかと記憶しております。しかし、1942年に座礁したとされる甲標的とはどんな経緯で打ち上げ られたのでしょう?特潜研究家のGOさんならご存知なのではないでしょうか。 はじめまして 投稿者:GO 投稿日: 4月26日(月)08時16分4秒 >Samponさん はじめまして、希少資料艦艇研究所のGOと申します。 すばらしい写真の数々に興味津々で見入ってしまいました。 また、これから公開される写真も楽しみにしています。がんばって下さい。 もしよろしければ、相互リンクをお願いできませんか? http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/ そうです 投稿者:tuka 投稿日: 4月25日(日)23時50分9秒 Sampon様がグァムに住んでいらっしゃたと知って書かせて頂きました。 私は、おっしゃるように、練習艦隊で入りました。 また、オーストラリアのポート・ダーウィンの骨董品屋には日本海軍の巡洋艦の双眼鏡も売っ ていました。 書き込み大歓迎!! 投稿者:Sampon 投稿日: 4月25日(日)23時04分55秒 みなさま、掲示板設置から数日の間に、こんなに書き込んでくださってありがとうございま す!! A6M232様:ええ、おっしゃるとおり同世代です。貴HPにお書きになっている誕生日とわたしの を比べれば、その違いなど誤差の範囲です。同年代の誼みで、今後ともよろしくお付き合い願 います。リンクの件、ありがとうございます。さっそく、こちらからもリンクさせていただきます! 絵塗師様:「零戦談話室」に続き、こちらにも書き込みありがとうございます。ラッキーナンバー を獲得された記念にどれかご希望の生写真もしくはボリビアのお土産でも差し上げます。よろ しければ直メールください! いちろく様:偶然見つけられたとは、また嬉しい限りです。これからもどうぞご贔屓にお願いしま す。「行動力のある」と言われると赤面ものなのですが、このHPも構想は3年くらい前からあり ながらやっと公開にこぎつけた次第です。更新はスローペースになりますが、たまにチェックし てください。 杉山様:コメントありがとうございます。いったん公開したページも細かい部分が気になって手 直ししていると本当に時間が掛かりますね。何とかねた切れにならないように頑張りますので、 よろしくお願いします。 tuka様:はじめまして、ご来訪ありがとうございます!グアムの甲標的は、子供のころグアムに 住んでいて自衛隊の練習艦隊が入港したときに見ただけなのです。今度グアムに行ったら必 ず見るつもりですが、最近基地のセキュリティーが極端に厳しくなったそうなので、本当に行け ますかどうか。tukaさんの場合はすんなりゲートを入れてもらえたのでしょうが、どなたかの紹 介があったのですか?それにしても、「サンムリン」とはSubmarineのことでしょうか、分かりにく い日本語ですね。 はじめまして 投稿者:tuka 投稿日: 4月25日(日)21時50分40秒 Samponさんもご存知でしょうが、グァムの海軍基地内に、特殊潜航艇(甲標的)が展示され ています。これに、英語と日本語で説明が有るのですが、日本語の方はと言うと(10年前の記 憶なので曖昧ですが)「このサンムリン、岡走る1942に」のような物でした。きっと、この潜航 艇は1942年に座礁(打ち揚げられていた)と言いたかったのでしょう。 掲示板開設おめでとうございます。 投稿者:栃木の杉山です。 投稿日: 4月25日(日)21 時07分48秒 Samponさん おめでとうございます。 HPの更新、結構たいへんでしょう。(^^) 私も、結構がんばっています。 始めは、持ちネタがたくさんあって、ああしようこうしようとやっていましたが、ネタが無くなって からがさあ大変です。 小出しに、のんびりやりましょう。(^^) 大変興味深いです 投稿者:いちろく 投稿日: 4月25日(日)12時22分49秒 偶然見つけたホームページでしたが、大変興味深く全部読みました。 自分がやりたくてもできなかったことなので、貴方のような行動力のある人がホームページをた ちあげられたことを嬉しく思います。今後の内容更新をとても楽しみにしております。 写真もたくさん載せてください。 バラレの一式陸攻の写真にはびっくりです。今でも残っているんですね。 【祝】掲示板開設 投稿者:絵塗師 投稿日: 4月24日(土)22時58分7秒 ついに掲示板を置きましたね。これからもよろしくお願いします。 さっき、偶然にもカウント777をゲットしました。幸先が良さそうです。 いらっしゃいました 投稿者:A6M232 投稿日: 4月24日(土)02時14分18秒 もしかして同年代ぐらいかもですね? 今後も宜しくお願いします。 リンクさせてください。 ようこそいらっしゃいました! 投稿者:Sampon 投稿日: 4月24日(土)01時22分29秒 このページの作成者/管理人のSamponです。ようこそいらっしゃいました! 未完成部分が多くてお見苦しいのですが、毎日少しずつ更新作業をしております。どうか、気 長に、ご寛容にお待ちくださいませ。 今後のホームページ作成、運営の参考になりますので、ご覧になっての御意見、御感想をい ただければ幸いです。 どうか、よろしくお願いいたします! |