(12/31)2004年最後のニュースは?B2水疱瘡でダウン

 


水疱瘡で薬まみれになったB2

熱があったってヘッチャラ!
雪にゴキゲンのB2

年末年始はこの所恒例の「イクスピアリでカウントダウン!」 の後、1/1に車で愛知県に帰る予定が・・・突如B1に水疱瘡発症!・・・昨日からニキビ面だなぁ!なんて思ってましたらしっかり水疱瘡でした。
浦安市の誇る診療所へつれていくと5日間安静だそうでズバリ正月休みは自宅待機となりました・・・。
「オズの魔法使い」に曰く
「お家が一番!」です。
昼頃からは雪が降り出し19時現在、東京に通ずる高速道路はほぼ閉鎖だとか・・結果的に自宅待機で正解?!。

ともあれ今年もバタバタの一年でした。
はてさて来年は何が起こることヤラ。

そんわけで2004年アラマントニュースは
コレにてデス。

 
(12/28)バラレ探検隊に早くも危機?!

 
そろそろチケットや宿泊所の手配など具体化せねばなりませんが、場所が場所だけに普通の旅行会社では手配できません。知り合いの南洋通の方からさらに現地に詳しく政府の特殊任務まで受けているスーパー南洋通の方を紹介してもらい、本日連絡を取ってみました。
そうしたら、ナナナント!。元々今回の旅行のキッカケとなったニューギニア航空のブカ>バラレ線がわずか数ヶ月で廃止となった事を聞きました。そうすると、成田>ポートモレスビー>ガダルカナル>島伝いにバラレ・・・と言う飛行機を乗り継ぐコースとなりこれまた週数便でしかも運行も不確かと言う事もあって「地球上で最も遠いところ」に逆戻りです。
ほかの方法がこれまた書けないほどヤバイ・・・・・です。
それにつけても政府の特命を受けるようなすごい方が普通の旅行代理店で「日本航空で行くホノルル5日間64000円」とかと一緒に仕事をされていると言う事自体、かなり刺激的なお話でした。
詳しく書けないのが残念ですが〜・・・・・・・・・・スゴイ世界です。
 
(12/25)さらばG4!!!

 

内蔵ハードディスク移植手術・・のハズが使えないことが発覚。
Macの買い換えネタと言えば1999年3/14号のアラマントニュースに「結局買ってしまったブットビG3」なんて記事がありますが〜しかるべくして本日G3/400Mhz>G4/Dual800Mhz を経てG5/Dual2.5Ghzと進化しました。
同じく1999年7/17号に当時憧れであったシリコングラフィックスの320(Pentium 2/450Mhz)とG3を戦わせたりしてます。条件はライトウエーブ3Dに入ってるベンチマークテスト用の「レイトレース.lws」のレンダリングとゴリラロボが爆走する141コマからなるアニメーションのプレビュー作成です。

ちなみに「レイトレース.lws」はSGI>9分39秒。G3>8分55秒で、ゴリラロボがSGI>13秒、G3>32秒とレンダリングではほぼ互角ながらG3のビデオボードの非力さが露呈しました。...して、G5はいかほどか???と言うと
「レイトレース.lws>1分42秒、ゴリラロボ>0秒(マッピング込みでもリアルタイム)と言う結果でした。ちなみに「レイトレース.lws」が10秒のアニメーションだとするとSGI>48時間15分、G5>8時間30分です。
プレビューについてはどのシーンファイルを開いてもほぼリアルタイムですので良いですが、レンダリングについてはやはりこんなものでしょうか。欲を言えば100倍くらい早いと良いですね〜。
それはさておき、パソコンの買い換えで大変なのがデータの引っ越しです。
特にメールはどこに入っているのか良くわからないので以前ごっそり消えたりした事もあります。
OS-Xには引っ越しように便利機能があると聞いた事がありますが...結局良くわからないのでライブラリ>メールからファイルをコピーして開いた後手動で移し替えました。
あと、買ってから気づいたのですが
G4で使っていた内蔵ハードディスクやメモリが使えない事が発覚...
G4にはHDを2台増設していたのでUSBのハードディスクケースを買ってきて入れてみました。
そうしたら遅いのなんの..とてもビデオの取込み/再生には使えません。フト気づいたのが以前不具合で連続して壊れたファイアワイアのHDがあるのでドライブだけ交換したらどうじゃろう??..と言う事。
早速、埃に埋もれていた80G、40GのHDを掘り起こし内蔵HDを入れてみました。
すると〜問題なく動くじゃないですか!。あまり詳しくないのですが同じなのですね。
そうなると朝方買いに行ってきたHDケース2個1万円が無駄になってしまいます。
試しに壊れているはずの80Gと40Gをケースに入れてみました。
すると、とりあえず動く事を確認。勿体ないのでダマシダマシ使う事としました。
そんな訳で、接続されたHDは11台.....ファイアワイア&USBならではで以前のSCSI接続では考えられない接続です。
ちなみにUSBをRAIDにして1台でも台数を減らそうと思ったのですが〜何が問題なのかエラーで中断されてしまうので諦めました。
そんなこんなでデータの移し替えは終了。
次は、お世話になったG4の嫁ぎ先を探すべくソフマップの買い取りにアクセス。
買い取り価格を見ると
ナント最高で115000円!。〜そんなに高く買い取ってくれるのでしょうか???。
引き取り依頼の申し込みページを送信しようとしたときメールが入り増した。     
なんと結婚のため米国に帰国していたジェームズ氏からで日本に帰ってきたとの事。
早速G4いらない??...と打診。
タイミング良いです。
 

隠れミッキー・・・じゃなくてG5の「レイトレース.lws」レンダリング結果
 
(12/20)ローレライはいかほどか?

 
今日は会社帰りにローレライの試写会へ行って来ました。日本の潜水艦映画と言えば・・「ロ号潜水艦浮上せず!」「嗚呼!人間魚雷回天」「キスカ」(一応私の中では潜水艦映画)〜ぶりですから期待は大!イ400潜級です!。ところがイ号潜水艦じゃないのですね。フランス生まれのドイツ潜水艦と言う設定・・・。な〜んかいらん設定のような・・と訝しく思ったのですが・・結局の所設定が生かし切れてないようで消化不良でした。ローレライを一言で言うと「消化不良」です。映画の善し悪しはいかに登場人物とモチベーションを共有できるかにあると思いますが・・残念ながらこの部分のバランスは非常に悪く面白い設定ながらすべて生かしきれなかった..と言う構成でした。加えて映像は最近はやりの「ほぼ全部CG作品」で全体的な仕上がりをかなり下げてしまいました・・スターウオーズ新シリーズ以降の悪しき風習です。先日のスカイキャプテンもそうでしたがチャチなCGはゲームで見飽きてますからもうウンザリです。ゲームはハードのスペック上「チャチく作らざるを得ない」訳ですが映画でゲームレベルはダメダメです。テレビドラマならまだ良いですが劇場映画となるとかなり厳しいです。
書き割りの前で演技をすることになった役者もかわいそうです。
エピソード的にはイイ所ついてる面もあったのですが・・・ダメダメな面がかなり足を引っ張っています。やはり映画はバランスだな〜とつくずく思います。・・反面、艦内セットの重厚さは特筆に値します。狭さや質感が良く出ており旧潜水艦映画の「ベニヤ潜水艦」のチャチさは微塵もありません。
美術監督には諸手をあげて拍手です。
ただデザインは今ひとつでした。ウソでも「フランス製を改造したドイツ製&部分的に日本で改造」..ぽい感じが出ると良かったのですが残念です。...もっともドイツの潜水艦という設定も不利に働きました。日本の潜水艦なら他の外国製潜水艦映画に見られない生かし方もあったと思いますが〜どうしてもUボートと比較してしまいます。ゾンビ以降にゾンビは無し!ブレードランナー以降ブレードランナー無し!・・そしてUボート以降にUボート無し!・・です。どんなにマネしてもUボートを初めて見た時の衝撃を越えることは出来ません。それに加えて背景の海までバレバレのCGですから・・・もうダメダメすぎて我泣き濡れて岩とたわむる心境デス。エンディングの現代のシーンも余計でした。入れるならもっと巧妙な伏線があるべきです・・ともかく最後にガツ〜ンと感動シーンを入れてくれればすべて事は無しだったと思われますが〜最後までダメダメでした。
 
(12/18)恒例!アラマント社忘年会2004

 

本日は18時より恒例!アラマント社忘年会と言うことでアラマント社スタッフ及びサポーターの皆様が来社しました。CGアーチストにして古くからのスタッフ(..兼怪優)の荒井さんは数年ぶりの参加。花火大会でも来てくれたプロキックボクサーの鳥巣氏と零戦計器板修復の第一人者中村氏が多くの零戦残骸を持って来社しヒジョ〜にアカデミックな忘年会1?となりました。

開会から遡ること24時間前・・・・奥さんは料理の仕込み、私はと言うと・・・足の踏み場もなくなった自分の部屋をかたしました・・・最近ホント忙しくてゴミを取り除く暇もなく、次々やってくる古本とガラクタにアラマント社中枢の屋根裏部屋は瓦礫の山。物が無いのはパソコンデスクのイスの上だけなんて状態でした。机の上なんかもキーボードとタブレットの上が空いているだけでそれらの横は資料と古本のアイガーがそびえ立ち、たまに崩落してめちゃめちゃなキーを叩いたくと言った状態でとても人を招く状況ではありませんでした。そして朝5時までかかって何とか復旧・・・ゴミ袋3袋分のゴミを廃棄しました。
少し仮眠を取り、「紺碧の怪物現状報告」として行徳スタジオの様子を撮りに行ってきました。

中にはいると当然の事ながら先週作業したまんまの作りかけ操縦桿ヘッドが転がっています・・・夜中に不気味なコビトが出てきてサンディングの続きをしてくれたらなぁ・・とか考えながら室内を撮影。
帰りに足りない食材を買って帰宅しました。

アラマント社に集う怪しき面々
16時頃から奥さんのお友達が料理の手伝いに来てくれて19時までにはほぼ全員集合。先日、満を持して独立したスヤさんの前途を祝し乾杯としました。そして盛り上がって来たところで丁度1週間前後楽園ホールで行われた鳥巣選手の試合をプロジェクターで観戦。実は格闘技とは今まで縁がなく殆ど観た事が無かったのですが〜大いに手に汗を握りました。今回は代7戦目で判定勝ち、戦績は6勝1敗(2KO)次回は5回戦昇格だそうで次回はぜひ応援に行かねば!!!!・・・です。そしてそしてもう一人のビッグなゲストが中村氏です。
氏は近年国内で行われた多くの零戦修復作業に参加されており、現在日本で最も「実機零戦」に関わった方でしょう。

氏からは貴重な「大型&かなりの重量物」の零戦部品をお持ちいただき危うく我が社のリビングで修復作業が始まるのかと思ってしまいました!!!(笑)
氏の経験に基づく部品ごとの細かな解説を聞きホント「物は語る」と思い知らされました。誠に貴重なお話でした。そして20時すぎにフォーワンのM本氏がPowerMac G5の納品がてら来社。・・・・・と言う訳で男性陣は午前3時頃解散。女性陣は午前6時頃解散となりました。

いや〜毎年アラマント社の忘年会が終わると年内の予定は終了!・・と言った気分です。

 
(12/11)10年ぶり?ほおずき公演撮影

 

先日、すご〜く久しぶりにロボット開発師のマツバラ氏からメールをもらい、すご〜く久しぶりに氏の関係している劇団の撮影に行く事になりました。こちらも〜15年ぶりくらい???。劇団員の方も高校生もいましたからかなり変わっている事でしょう。撮影を担当した私とて当時はvideo-8のSONYハンディカムPro V-200で撮影して〜ハイバンドベータ名機SLHF-3000で編集してました・・・これまた懐かしくて涙が出てきます。イイ機械だったよなぁ〜。
それはさておき、今回の公演は「11ぴきのねこ」です。「11ぴきのねこ」と言えばすぐにホノボノとした猫の絵と原作者馬場のぼるさんを思い出しますが〜残念ながら2001年に亡くなられました。ちなみにお墓のある多摩霊園の石碑には「11ぴきのねこ」のレリーフが彫られています。
それもさておき、今回の公演は7作ある「11ぴき」シリーズの第一作目、巨大魚を捕まえに行く話です。
広い会場はチビッコ達でほぼ満席。印象的な歌、キャッツ風衣装、大きな魚のぬいぐるみ、ラジコン操作のネズミと見所満載で特に「おおきな魚」にはチビッコ大受けでした。
そして印象に残ったのが挿入歌です。劇団ほおずきさんの曲はヒジョ〜に印象的で15年以上前聞いた「三匹のこぶた」の歌が未だ頭に中で鳴ったりしています。〜今回の挿入歌もかなりキました。今も頭の中でエンドレスに鳴ってます。
かくして公演は大好評の内に終了。用意していただいた弁当を食べた後帰宅しました。

 「劇団ほおずき」の皆さん
公式ホームページはコチラ


午後からは作業場の予定でしたが、今週のアラマント社クリスマス会&忘年会の準備も全く出来ていない状態だったので撮影終了後家の飾り付けなど行いました。

ちと絵本ネタです、「11ぴきのねこ」も思い出に残る名作ですが未だ入手は簡単です。しかし多くの名作児童書はオーナーが「児童」なだけに現存は極めて稀で入手は困難です。以前書いた"トラウマ必至の名作の宝庫"「創作子どもSF全集」(全20巻/国土社)もそうですが谷川俊太郎&和田誠の「ワッハワッハハイの冒険」(1971)や「ケンはへっちゃら」(1965)そしてこれまた入手は殆ど望めないブリタニカの子供向け英語教材「もくもく村のケンちゃん」ナドナド・・・もう一度再会したい本がたくさんあります。
・・・んが、フト気づいたのですがいずれも私の人格形成に重大な影を落とした本ばかり。
子供には読ませない方が良い"危険図書"なのかも?????。

 
(12/5)予想通り徹夜3日目にてとりあえず一段落?

 
今日は12月としては観測史上初の猛暑だそうでかなり暖かかったですね〜。
結局昨日は一睡もすることなく朝を迎え検定に向かう事となりました。一応1時間前には会場に着くよう考えていたのですが・・昨夜の強風(これまた関東では観測史上最高の40Mを記録したとか)で京葉線は止まっている様子・・結局奥さんに会場の船橋まで送ってもらいました。そんでもって10時検定スタート・・・結果は〜まぁ五分五分でしょうか・・・やはり公式テキストを見てないので聞いたこともない設問もあり・・ソレラは文章解析(?)にて対応しました。選択問題では文章の内容は正しいが微妙に単語を変えるトラップも見られゲーム性の高い(??)設問も見られました。
そんなわけで一字一句専門用語をしっかり覚えていかないと文章解析では対応できない設問も多く最終的に解答のバランス(マル・バツのバランスね)を考えるとやや不安を残す結果となりました・・まぁともあれ後の祭り・・・・すなわち結果待ちです。
帰ろうとしたら案の定JRのダイヤは乱れまくりで船橋>西船橋間、西船橋>新浦安間はいずれも一編成による往復運行と言うことでエラク待たされた末、何とか浦安に帰りました。
ともあれ、これで予定終了。
久々に寝られます。
 
(12/4)予想通り徹夜2日目&ホームページ打合せにお出かけ

 
そんなわけで朝を迎えてしまいました。テキストのまとめの進捗はと言うと70%程度。
イカンです!!!。しかし今日は午後からホームページの打合せで渋谷まで行かねばなりません。
大変マズイ事には本職の仕事に加えチビッコ発熱事件と試験勉強と強度のバタバタで肝心の打合せ資料までもまとまっていない状態です!!!とりあえず試験勉強は9時で中断し資料作成にかかりました。出発まで5時間弱・・・なんとか資料の体裁を整えると家を出ました。
浦安から渋谷と言うと今までは乗り継ぎ乗り継ぎで不便だったのですが、最近は「りんかい線」の埼京線乗り入れのおかげで新木場乗り換えで1本です。運賃は高いのですがラクチンラクチン。
渋谷で井の頭線に乗り換えて駒場東大前で下車。約束の5分前に到着。
いつも5分前の精神・・が私の方針ですが不思議と5分前ギリギリにつきます。
もうちょっと余裕があっても良いのですが・・何故か5分前になってしまうのでした。

K氏愛用の丸航印入り双眼鏡

本日お会いしたのはこれから協力してホームページ作りを行うK氏(83歳)。K氏はものすごい方で昭和16年に空母翔鶴上艦し真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦に参加、昭和20年には日本初のジェット機「橘花」の開発に従事。広島への原爆投下のさなか「橘花」初飛行に立ち会うと言う歴史の動く瞬間を体験されました。戦後はコンピューター黎明の頃、戦闘機のFCSや日本全土のレーダーをネットワークでつなぎ防空システム構築に携わり大学では「システム工学」「データ通信」の教鞭をとるなどコンピューターネットワークの父とも呼べる方です。
昨年までネットワーク関連の会社を経営されていましたが現在はリタイアし、なんとパソコン教室の講師をされているそうです。
こんなスゴイ先生に習うのでは「わしゃもう60歳だからパソコンなんぞようワカラン!」なんて言えませんね。
罰直モノです。

打ち合わせは、無事終了。来年からは忙しくなりそうです。打ち合わせの後、「翔鶴」「橘花」そして戦後のコンピューターネットワークの発展について大変面白いお話を聞く事ができました。
打ち合わせ以外にも大収穫でした。

さて、17時頃K氏宅を後にしまして帰宅しました。
試験前に3時間は寝たいところですが無理かなぁ無理だなぁ・・せめてテキストくらい前部読んで一巡くらい試験問題やっとかないとなぁ・・今日も寝れないなぁ。

 
(12/3)予想通り徹夜1日目

 
ひょっとして早く終わるかも??終わったら1時間くらい仮眠して試験勉強出来るかも???なんて思っていたのですが結局22時から始まった仕事は機器の不良が続発して作業に入れず・・結局7時の段階次の現場に行かねばならなかったので途中退場・・。7時から11時まで次の仕事をしてコチラはとりあえず終了・・・思い返せば2年の長丁場の内容だったのでとりあえず一安心。帰れるかと思ったらまたお呼びがかかり別の作業に出頭・・結局12:30頃終わり「さあ!1時間ほど仮眠して試験勉強シヨウ!!!」なんて再起動モードに持っていったところで・・・携帯電話に保育園より着信「B2が40度近い熱でダウン中。至急迎えに来られたし」ガ〜ン・・・・タイミング良すぎです。
フラフラと原チャリで自宅に戻り、車に乗り換えて保育園へ行くと・・・B2は職員室でグッタリモード。家につれて変えると38度の熱。とりあえず座薬を入れる事もなさそうなので自宅で様子を見ることとしました。奥さんは出張中で帰宅はたぶん21時頃の見込み・・6時間ダッコして37度台に下がったのでB1とイトーヨーカドーに出動。Mr,インクレディブルのオマケをせしめにハッピーセットを買いに行きました。
・・・試験勉強が・・・。結局8時間ダッコしてやっと解放されました。
テキストのまとめはまだ50%・・・何とか朝までに終わらせて1日は暗記と問題集に取り組みたいところですが〜どうかな〜。
 
(12/2)久々猛勉強っす!

 
突如として東京商工会議所の主催するカラーコーディネーター検定を受験する事になった訳ですが〜勉強する時間どころか公式テキストも無い状態・・・。今週になってやっと時間が取れたので知人から借りた問題集を見て驚愕!!!!!!・・・全然分かりません。これは相当ヤバイ事に気づきすかさずAmazon.comで検索し再短時間で勉強できるテキストを購入。届いたのが検定4日前・・すなわち昨日です。テキストに曰く「1ヶ月で把握できる!!カラーコーディネーター検定3級」もうメチャメチャダメダメです。ともあれ、1ページ目からまとめ始めました。
「色なんて感覚的なモノだから大した内容じゃないでしょ??」なんて舐めてかかっていましたらトンデモナイ。歴代のカラーシステムの特色と色名、光と色と感覚器の仕組み、美術史等々、全て暗記モノばかりです。ともかく1つでも暗記せねばそれこそ問題外・・・・徹夜で突撃あるのみです。
しかし明日は15時から翌朝まで仕事の予定があり、その後試験勉強に復帰です。
これは寝られるのは数日後・・・と言う私によくある徹夜パターンの兆しです。
 
(11/27)今日もイロイロ〜ありました

 
「高洲小発表会におでかけ」
10時に高洲小学園祭(?)に出かけ、B1のダンスを観てきました。今時は小学校も一般に公開して各クラスごとに趣向を凝らしたイベントを開催します。参加型のイベントも多く時間があればじっくり見たかったのですが〜・・・ダンスの途中で時間切れ・・・10:30に原チャリをぶっとばし舞浜で開催されている元、東宝特撮デザイナーの豊島氏個展を再訪。村尾ゴジラ氏と合流し、当時の様子など根掘り葉掘り聞く予定でしたが〜来訪者多数につき断念。奥様からは当時の特撮仲間とのお話などたくさん聞く事ができました。


山口氏と
「山口多聞資料室を訪問」
そして13:00に舞浜を出て早稲田にある山口宗敏氏の「山口多聞資料室」を訪問。またも貴重な資料をたくさん見せていただきました。
特に、今回は多聞中将がつけていた手帳をじっくりと見せていただきましたが当時の各国情勢、艦艇のスペック、戦史研究から相対性理論に至までメモがびっしりと書き込まれておりそれなりの人が見れば新発見もあるのではないかと言う内容でした。残念な事に「山口多聞資料室」は来年2月で閉館し資料は公共の博物館に寄贈すると言う事です。そうなれば今後手に取って見る機会は少なくなるでしょう。資料の保存を考えれば理想的ですが・・・ちょっと残念です。

山口氏より、希望があれば資料を見せていただけるそうですので私の方までご連絡ください。
「資料室」は一般公開ではなく山口氏の事務所となりますので予約が必要です。

※資料の拡大写真はこちら
「スカイキャプテンを観る」
山口氏に晩ご飯をおよばれして帰宅の途につきましいた。舞浜に帰ったのが21:30・・・そういえば「スカイキャプテン」の最終会が21:30頃だったはず!。携帯で調べるとズバリ21:30からです。すかさず映画館に走ってなんとかオープニングに間に合いました。この「スカイキャプテン」・・・ですが予告編からして1940年代のニューヨーク。謎の巨大ロボット軍団とP-41戦闘機が戦う話・・・らしく今年最大の期待を寄せた映画でした。・・・・・・んが!しかし!前半の10分ほどはなかなか掴みも良くワクワク見ていたのですが〜〜なんとオールCGのお手軽構成。しかも肝心の世界観やメカ設定はなんともご都合主義にしてストーリーもメリハリ無し・・・迂闊にも後半盛り上がって来たところで寝てしまいました。目が覚めたらエンドロールが・・・・。途中何度か頑張って目を凝らしたのですが〜どこもかしこもモヤモヤして退屈な映像で結局ダメでした。まあ最終回は千円だからイイカ・・・・・。
「ブリティッシュ303入手」
家に帰ると荷物が届いていました。シカゴレジメンタルスに注文していた”ブリティッシュ303”です。ナニカ??と言うと機関銃の弾なのですが、「紺碧〜」に登場する92式旋回機銃の元となったルイス機銃の弾です。劇中、撃空がたくさん出てきますが独特な形をしているため簡単に入手できる7.62弾とかは使えません(・・・当初は止むなく使うつもりでしたが)。かといって92式のオリジナル薬包は希少で1発1万円近くしますのでとても数を揃えられません。そこで登場したのが同じ形状を持つ”ブリティッシュ303”です。92式と並べてみましたがズバリ一緒です。しかも激安。(但し、プライマーが外されているので作らねばなりません)とりあえず一安心。
 
(11/23)豊島氏個展におでかけ

 
本日は祭日と言うことで1日作業と思ったのですが、家で作業場にしていた部屋の片づけがまだ終わっていないので朝から片づけ作業です。午後から、東宝特撮で黒鮫号、ムーンライトSY-3号、メーサー殺獣光線車の伝説的デザインを手がけ日本特撮史の忘れられない一端を築いた豊島睦氏の個展を見に行きました。午後には行くつもりがB2熟睡にて到着は17時過ぎ・・タイミングが良いのか悪いのか(狙ったワケじゃないのですが・・)オープニングパーティーに間に合うような感じで到着。意図せずして東宝映画OBを含む関係者の皆さんと乾杯に参加することが出来ました。恐縮です。
展示作品の方は、東宝以降手がけられた様々なプロジェクトに関する物で、外観だけでなく機能を求められるデザインとそれを可能とする技術的な知識やテクニックを満喫できる作品群でした。当の豊島氏は接客で多忙につきあまりお話を伺うことが出来ませんでしたので、改めて村尾ゴジラ氏と訪問予定です。
 
(11/20)閉じこめられた!

 
さて、今週は土日フルで作業場勤務!とばかりに資材を満載した車で出かけようとしたら・・家の前に深さ2M、最大幅5Mの大穴が空いていて車どころかバイクすら出ることが出来ません!!!!。一晩のウチに何があったのか!?地底基地の陥没かはたまた地底人の来襲か!?。
しばしその場に立ちつくしたのですが・・・・ただの水道工事です。
ウチの前の道を順繰りに掘り返していた工程がウチの前に達しただけの話です。
そう言えば昨日、ポストに「あなたの家の前は明日竣工します」・・と言うチラシが入っていたのですがマサカこんな状況になるとは想像も付きませんでした。「竣工します」って事は完成するって事だから程なく復旧するのであらうか?!・・とも思ったのですがそんな簡単に埋まりそうな穴ではありません。しょうがないので午前中は出かけるのを諦め(と言うか出られない)待っていたのですが〜そのまま午後に突入。他の作業もあったのでそちらをやっていると15時ごろ玄関の呼び鈴が・・・やっと作業終了かと思いきや「これから水道管の接続を行いますので3時間水道が止まります」との事。「ハア、お願いします」・・と答えたモノのこれまた「水道が止まる」という情報に対して結果が読めず。
外には出られないはトイレは使えないは、ホント「閉じこめられた!」・・感じ。
思い起こせば一昨日夕刻のこと・・浦安上空は見たこともない奇怪なクラゲ型の雲で覆われました。そしてクラゲを分断するように伸びるのは地震雲・・・・不吉な空を見上げつつ同僚と「フロに水を張っといた方が良いね」なんて話し合っていたのですが・・普段の防災意識なんてこんなものですね。
 
(11/10)今日もバタバタ

 

今日は突如夜間の仕事ととなったのですがすでに14時からは打合せを約束していたので一旦、出社・・30分程度かと思いきや、すっかりはまって3時間もかかってしまいました・・次の仕事が21時なのですが・・本日は奥さんの誕生日と言うことで19時にホテルミラコスタのディナー(・・は予算が厳しいのでブッフェの方ですが)を予約していたので急いで家に帰り車でミラコスタへ・・・ささっ食べてレストランのベランダからクリスマスのショーを見て、奥さんと子供をレストランに残しトボトボ仕事場へ向かいました。
職場へはギリギリセーフ・・・4時まで仕事して電車が動いたら帰ろうかとまたもトボトボ歩いていたらモーレツに気分が悪くなり、新浦安からの徒歩20分も自信が無くなったのでタクシーで帰ってしまいました(勿論自腹)・・。

ホント、今日もバタバタでした・・・と言いつつ今晩も徹夜なのだなぁ・・・。

 
(10/31)中攻会最後の総会に出席

 

今日は朝から中攻会の慰霊祭/総会に行ってきました。残念な事に中攻会慰霊祭/総会も今回で最後となり、2月の「中攻」誌発行を持って中攻会は解散となります。今回の参加者は98名。10:30軍艦旗掲揚に続き慰霊祭が行われ、壹岐春記世話人代表より祭文が奏上されました。総会、記念写真の後懇親会となり751空でお世話になっている元一式陸攻操縦員の結城さんや中攻関係の出版物を多く手がけている有名な小林昇氏とお話しする事ができました。そして、今回知り合った謎の(?)ポーランド人中攻マニアのT氏や中攻研究家のK氏は今後の中攻会ホームページ作成で強力な助っ人となってくれそうです。


今回も会の記録を担当。勿論ハイビジョンで撮影しました。
 
(10/25)定例?那須旅行

 

奥さんの新車も納車されたしカメラもハイビジョンになった事だしどっか行きますか!・・・と言う事で一泊二日の那須旅行へ出かけました。
那須・・・と言えば忘れもしない
1998年8月、豪雨により壊滅状態である事を知らずに出かけひどい目にあった事を思い出します
今回泊まるのはその名も「ペンション那須のくまさん」http://www.nasukuma.co.jp/index.html売りは、テーマとなっている英国風インテリアとアンティーク。すべて異なる個性的な部屋、全て貸し切りにできる4カ所の風呂(客室専用露天風呂もあり)そして「ココに決めた!」決定打となったのがウオーターベットです。
いや〜高くて買えないだけに家具屋で寝た感触が忘れられず密かに憧れていました。

那須についたらば知人のお勧めで深山ダムへ、紅葉は始まったばかりでしたが中々の景観でした。
そして定番「那須どうぶつ王国」に移動。さすがに新車は玉砕必至なのでレンタカーを借り園内に入りました。
後続の車両はなんとベンツ・・・どうもサファリパークは初めてのようです。
那須は餌付け可だけに動物の攻撃は激しいく自分の車で入るのは絶対お勧めできません。
案の定メチャメチャに攻撃を受けていました・・・合掌。
それはさておき、動物園マニアにはヌーが見られるのでお勧めです。3年前にも来ていますが・・・ヌーが増えてます。ウジャウジャいました!最高です!。
つぎに観光地名物脱力系テーマパークも外せません。なるべく凶悪そうな
「3Dホラー館」
http://www.nasu-jouki.co.jp/sl/index.htmを見学。
ものすごく脱力しました。
もうカナリ魘(うな)されそうです。


伝説の栗原館長と記念写真

しかし3D映像などは貸し切りで見るには勿体ない出来でソフト開発や運営コストはかなりかかってるはずです。
そう考えると入場料1000円は安いかも???。
ともかく謎が謎を呼ぶ摩訶不思議な施設でお勧め致します。

16時過ぎに「ペンション那須のくまさん」にチェックイン。食事はコース料理にケーキバイキング・・風呂は24時間営業で3カ所入り・・ウオーターベットでバタンキューと行った感じで宿泊費的に満足度の高い施設では無いでしょうか。

そして翌日。
お約束と言うかなんと言うか〜
B2が40度の発熱!
B2は2-3週おきに40度近い熱を出すのでそろそろヤバイと思っていたのですが〜やっぱり来ました。
手順に従い座薬を挿入。熱が引くと元気に走り出します。
今日は那須旅行もう一つの目的
「那須戦争博物館」へ行かねばなりません。座薬が効いているうちに戦争博物館を訪問。
資料写真を撮影後館長を見かけたので記念写真を撮らせていただきました。
その後近所の釣り堀で昼食をとり帰宅しました。

B2の熱は小康状態。
明日は看病休みになりそうです。


今回の旅行で最大の収穫「トラバス」壁画。どうみても人間が入っているように見えるドラえもん風キャラクターに初期型と思われるの「野原しんのすけ」と「ミサエ」など観る者を選ぶ知的な作品。
この作品の良さが分かる方のみココをクリック。
 
(10/16)あたらしいともだち展に行ったよ

 

毎週土曜日は朝一でB1-2を耳鼻科に連れて行き・・いつも垂らしている鼻水を残らず吸引します。
私は花粉症なのですが耳鼻科へはせいぜい年1回です。
それほど混雑するとも思えないのですがアマイアマイ・・・朝9時の診療科開始時点ですでに30分待ちという盛況ぶりです。

そのあと修理に出してあった伝説の名機 "ED ベータデッキ「EDV-9000」"を引き取りに行ってきました。ビデオデッキにありがちなローディング不良で2年近く倉庫入りしていたのですが・・・そろそろ修理も出来なくなるのではと思い入院と相成ったわけです。お約束ながら修理代公表「23000円也」・・・。「EDV-9000」は中古市場で60000円程度。
今後の稼働率を考えると微妙な所です。

それはさておき本日のメインイベントは絵本作家工藤ノリコさんhttp://www.buch.jp/の個展「あたらしいともだち展」です!。GPS修理中のため久々に地図を持って出かけたところ〜一昨年と同じ会場だったにもかかわらず青山墓地付近でさんざん迷ってしまいました。工藤夫妻と会うのも2年ぶりですがお二人ともお変わりなく多方面で大活躍のご様子でホント良い夫婦です。個展の方では書き下ろしの原画が販売されていましたが多くが売約すみでした。幸運な事に「大島君」と「コバンちゃん」を発見!・・購入致しました。
それから買いそびれていた「セミくんいよいよこんやです」にサインを入れてもらい購入。
結局、2時間近く居座ってしまいました。
今後の活躍が楽しみです。

 
(10/5)ハイビジョン・ハンディカムはいかほどか?

 

VX2000と比べ1まわり以上デカイ。小学三年生のB1が持つとこの通り。

今日は待ちに待ったSONYハイビジョン・ハンディカムHDR-FX1の発売日です!!!
このところ仕事も7時出社と早かったので会社帰りにマイドお馴染み東神田のフォーワンさんに取りに行きました。
・・・とホントならお店でクダを巻こうとお遊び用にバッテリーまで持っていったのですが・・19時までに浦安に戻り保育園のB2を回収する必要があります。
よって、駅まで猛ダッシュ。

幸いにして舞浜からは丁度到着した電車に乗車・・しかしココで大きなマチガイが・・舞浜>秋葉原で考えていたのですが、実は浅草橋が最短の最寄り駅。
加えて路線を調べてこなかったので東京駅乗り換え秋葉原で大幅に時間をロス。
フォーワンさんではクダを巻くどころか時間巻き巻きでつもる話もソコソコに出たのが18:10・・
馬喰町>東京が15分、東京>舞浜までが30分、新浦安まで行ってタクシーを使っても15分・・絶対間に合いません。
加えて東京駅での乗り換えに10分はかかりますからダメダメです。
しょうがないので馬喰町駅前でタクシーを拾い八丁堀へ・・八丁堀から新浦安まで20分、新浦安から再びタクシーで自宅に戻り、すかさず車に乗り換えて保育園に到着にて9分遅刻。

あわれB2は職員室で保護されておりました。

それはさておき、HDR-FX1ですがまず・・なんでVとかVXーナニガシと言う型番で無いのか?と言うのが疑問。
初代プロシリーズと言えばノーマル8の「CCD V-100」ですが以降民政機最上級機として冠していたV/VXが消えたのは残念です。まあそれはドウデモヨイ話ですが・・
第一印象は
「デカッ!」・・でしょうか。
持ってみると意外に軽いのですが質感が安っぽいモナカのエアガンのようでもあります。
画質と操作性はイカホドカ???。
明日の個展見学で試しましょう。
 
(10/11)強力台風に村尾ゴジラ邸水没

 

いや〜一昨日はすんごい台風でしたね。
それはさておき、今日はチラシで知ったオリエンタルホテルのバイキングに行ってきました。
ディナーブッフェが2900円という事で店内は家族連れで大にぎわい。ちびっ子どもがあちこち走り回っています。
メニューは洋食、スシ、カニと盛りだくさんですが食い放題と言うとなんかありがたみも味も今ひとつなのは気のせいでしょうか。

そんな最中(さなか)フト携帯を見ると留守電が1件記録されていました。
日付は昨日です。
再生してみると...村尾ゴジラ氏からで
「大変だ〜台風で床上浸水70cmだ〜コレクションも水没した〜ニッポンの皆さんさよなら〜さよ〜なら〜プツッ!!!」
(一部脚色)...と悲痛な叫びが記録されていました。
確か村尾家は住宅地ながらかつての谷間となる場所に位置しており、最も低い場所は広大な貯水池となっているはずです。
貯水池がオーバーフローすればあのエリア一帯が水没するのは明らか....すかさず電話すると道路に面した部屋が水没し会社の同僚を呼んでコレクションを引っ越し床も剥がす大作業となったとの事・・・。

いや〜私はいつも家では携帯電話を携帯しないので連絡が取れない人なのですが、今回に限っては良かったのか悪かったのか複雑です。

 
(9/22)射撃大会初参加でボロボロ

 
今日はフカピ〜氏の主催する射撃大会に行ってきました。
も〜皆さんまじめに活動されているばかりですから私のようなペーパー所持許可モノには結構キツイ成績でした。特に初回など8枚ですからどうなる事かと思いました。結局4ラウンドやっていつも通り12枚程度に落ち着きましたが皆さん腕前も銃もすごくて勉強になりました。
いや〜定期的に通いたいのは山々ですがなかなか難しいです。
 
(9/13)トランポリン導入

 

毎月プロバイダから送られてくる小冊子の通販コーナーを見ていたら・・・・・
「大特価!トランポリン送料込み5000円!」・・・と言うのを見かけました。頭に浮かんだのが爆発シーンでスタントマンがトランポリンを使って吹っ飛ばされるシーンです!・・・コレダ!!!!・・・と言うのは後付で単に飛び跳ねたくなったのですね!!!。

すかさず注文して本日到着しました。
直径2m位のを想像していたのですが現物は直径1m程・・(もっとも2mもあったら部屋に追いとけませんが・・)組み立ては簡単であらかじめ組み立てられたトランポリンに鉄パイプの足をねじ込むだけです。
弾む面は殆ど伸縮性の無い硬い化学繊維でリング状の鉄パイプにスプリングで固定されています。
本当に弾むのか????・・・と試してみると、若干コツはあるものの50cm位飛びます。愉快愉快・・と10分ほど飛び跳ねていたのですが普段使わない贅肉が刺激されるようで翌日下腹と股が筋肉痛になりました。

運動になるかは知らんけど「飛び跳ねる」というのは結構楽しいですな。

 
(9/11)ダチョウ最高

 

ここ半年ほどナゼか気になっている物がありました。
ダチョウ肉です。
ダチョウと言えばペット屋でも見かけないし動物園でしか見られないそれなりに希少な動物かと思いきや、ある日見つけてしまいました。
食用ダチョウ牧場・・曰く「その肉は牛肉より軟らかくクセが無くそして美味い!ダチョウより美味い肉があったら当社までご連絡下さい!!!味付けは塩こしょうのみ、限りなくレアでお召し上がり下さい!」・・・(・・・こんな感じだったような)そのダチョウ牧場に行けばダチョウ料理の数々を食することが出来るとのことでずっと行ってみたいと思っていましたが〜多忙につきしばらくは行けそうにありません・・・で例によってインターネット通販で注文してみました!「ダチョウ・ヒレ肉200g800円」です。


待つこと数日、クール宅急便で凍り付いた小さな段ボールが届きました。
開けると赤紫で全く脂身のないブロック肉が3個入っています。
なにやら怪しげでマニア禁断のマンモス肉か噂に聞く人肉通販か・・ともかくあまりお目にかからない外観です。
冷蔵庫で解凍し、ネット情報では塩こしょうしたレア(刺身も可)が良いとのことでその通り食してみました。
結果はと言うと子牛のように柔らかくジューシーで噛めば噛むほど味が出るナカナカのものです。
臭味やクセも無く言われなければ何の肉か分からないでしょう。
・・・ズバリ美味かったです。かつてのハラミやトントロのごとくある日突然ブレイクすると見ました!・・・とすると必ずや国内の供給量では不足するはず・・・ダチョウ業界に参入しますか!?。

それにつけても気になるのは観光牧場「ダチョウ王国」・・・いつの日か訪問したい!・・と固く誓うのでした。


ダチョウの肉塊が入ったダンボール
(中身の写真は撮りわすれた・・・)
 
(8/30)作れ!夏休み自由研究

 

8月後半のテレビアニメとしては「夏休み宿題モノ」が定番です。
カツオなんかもう35年も小学5年生をやってて繰り返し夏休みの宿題やってませんからすでに呪われてますね。
今年はサスガにマズイと思ったのか「なんと!カツオが宿題を終わらせていた!!!!!・・・と思ったら夢オチじゃなくて大半の宿題を中島飛行機君の家に忘れていて流石の波平もトホホ・・今年も徹夜じゃワイ!ブワッカモ〜ン!!!」・・と言うオチで若干バリエーションを見せていただきました。
それはさておき、波平54歳です。
原作の昭和21年当時で54歳と言うと日露戦争まで経験したもの凄い頑固爺さんですが〜今時54歳なんて現役バリバリですね。

それもさておき、我社のバブオさんもはや3年生。
一応宿題と言うのがあるのですが、自由研究1つ、絵日記1ページと言う信じられないやる気のないボリューム・・・。こんなの初日で消化できそうな分量ですが、それはそれ結局8/30を迎えてしまいました。
まさに「サザエさん」状態。
なんと宿題を手伝うため休暇を取らざるを得なくなりました。

「昆虫採集がやりたい」・・と言うバブオさんでしたが〜小僧の宿題のため昆虫の命を奪うなどもってのほか!・・・と言うことで却下
そもそも最近の標本作りとは昔のように生きた虫にナゾの色水を注入して毒殺し、ブスブスと針で突き刺す残虐極まりないモノではなくて
「死んだ虫を十分に乾燥させ、ドライヤーで暖めて形を整えた後樹脂でコーティングして展翅する」というとてつもなくメンドクサく且つ本格的なセットばかりでとてもやってられません。
・・・・で、結局粘土細工の標本にすることにしました。

何を作るのかと聞けば「せあかふたまたくわがた」「こがしらくわがた」「めんがたくわがた」「ぎらふぁのこぎりくわがた」と言う聞いたこともないクワガタばかり(・・なんでもゲームで人気だそうな・・)。

幸いにしてクワガタは造形的に見れば平坦でシルエットだけ忠実に出してやればソコソコのレベルで造形できるはず。と言うことで図鑑から写真をスキャンして1/1スケールに拡大した後プリントアウト。プラバンに張り付けてシルエットを切り抜くところまでやって「紙粘土」を盛らせました。

紙粘土は指と筆に水をつけて均す高等テク(?)を伝授。シルエットは崩れないので小学3年生レベルでもソコソコ売り物になるクオリティで完成。

脚は写真に沿って結束用のハリガネを曲げさせて写真通りに接着し、色はプラモ用の水性塗料で塗らせ・・・最後にスプレーで塗装するクリアコートのみ手伝ってやり完成しました。

ムムム・・・小学生にしてはナカナカの出来!?

コレ、キット化したら売れるかも?。

僅かなポイントを押さえれば小学生でもこの通り。
 
(8/29)これが映画だ!「北京原人の逆襲」

 

和製特撮映画では幻と言われた「北京原人の逆襲」がついに10月発売となるそうですが、発売に先駆けて村尾ゴジラ氏より中国版を借りて見ました。
幻と言えばかつてブルガザリ(北朝鮮製特撮は東宝・・そして怪獣ブルガザリ役はかのゴジラ俳優薩摩険八郎氏)なんてのもありました。コチラは北朝鮮製怪獣映画という高いヘンテコ度でLD時代早々にリリースされていたのですが「北京原人の逆襲」に至ってはその当時ですら忘れられたヘンテコ映画(?)と言えましょう。

製作が1978年の香港映画ですからヘンテコ度はバツグンでストーリーはキングコングの完全(?)パクリながら奇妙なストーリー展開とムンムンの熱気で本家を完全に凌駕しています。具体的なヘンテコシーンは写真入りの解説ページが幾つかあるので検索して頂くとして、個人的に興味深いのは・・概ね秘境モノと言えば=「無知で正体不明な原住民の村で文明人がヒドイ目に遭う」話がお約束ですが、「北京原人」が棲んでいるところがインドの山奥なのですね。つまり香港の人から見るとインドってそんな位置づけなわけです。

も〜アジア象の大群に村がおそわれて踏み殺されたりトラに襲われて脚を食いちぎられたり演出のしつこさにはインド人もビックリです。そんな思いつきや妙な思いこみが決してウケ狙いではなく真面目に撮られているあたりがカルトたる所以でしょう。
オススメです

 
(8/28)コレハイイ!山頂ホテル

 

国宝松本城

国宝松本城に大量の古式銃コレクションがあるとは知らなんだ

美ヶ原までの道・・前後左右全く見えなくなっておっかなかった

本日は渋温泉を出て松本へ移動。
国宝松本城を見学した後、美ヶ原は標高2000mに立つ
「王ケ頭ホテル」へやって来ました。巨大台風接近中とのことでいかがなモノかと思ったのですが・・天気の良かった松本城とは異なり途中から雲に突入・・5m先が全く見えない状況で何とか「美ヶ原駐車場」へ到着・・とはいえ全く視界が効かない白一色の世界なので駐車場の柵に沿って1週しレストハウスを見つけたほどです。
ここからは自然保護のため自家用車は乗り入れできずホテルのバスを待ちます。(14時から20分おき位で巡回している)バスに乗りしばらく急な坂を上ると突如として巨大なSFチックなアンテナ群が現れます。
NHKや長野放送などのアンテナで正に電波銀座・・。その隣、山の稜線ガケっぷちに建つのが「王ケ頭ホテル」です。

案の定コチラも完全に雲の中、白一色の世界・・。
ところがチェックインして部屋で荷物を広げていると雲が晴れパッと視界が開けました。
ス・バ・ラ・シ・イ・!・・スバラシイ!眺めです。「油屋」つながりで言うなればラピュタの空中庭園かハイジのアルムの山のごとく広大な平原上を雲が流れていきます。
いつのまにか青空も見え山の天気が変わりやすいのを実感しました。

さて、コチラの風呂は標高2000mですから正に「展望風呂」
湯船につかると水面と雲海が繋がって見えます。古いホテルにありがちな施設の老朽化やそれを問題と思わない経営者が進行させてしまう「廃墟化」が無く「上々のホテル」でした。また、施設以外にスライド上映、夜景や星、ブロッケン現象を見る会、高山植物を見る会など無料イベントが多く、ホテル全体に活気が感じられました。
良いホテルです!

冬は雪上車での送迎もあると言うことです。(くどいですが・・)標高2000mの冬山にシロウトが行くなど全く不可能ですのでこれは是非参加してみたいモノです。

風呂からの眺めはこんな感じ。正に「天空の風呂」ダ!
 
(8/27)「油屋」?へお出かけ

 

金具屋外観木造4階建にして登録有形文化財

迷路のような内部はコロコロ様式が代わり独特な雰囲気

どうして日本人は温泉が好きなのか?。
小さい頃に連れて行かれた楽しい家族旅行の思い出かそれとも無意識に求める日本文化への回帰なのか??。
ともあれ日本情緒あふれる温泉宿を求めて温泉マニアは国内を放浪するのでした。
そんな温泉マニアの夢が具現化したのが「千と千尋の神隠し」に登場した「油屋」ではないでしょうか?。悪魔的にそびえる古びた木造多層構造・・破廉恥に騒ぐ大人たち、そして暗闇では怪しくグロテスクな配管から湯気が立ち上る・・そんなイメージが全て網羅されておりました。
そんなわけで「油屋」によく似た(??)渋温泉は「金具屋」さんへ行ってきました。

こちらの斉月楼と呼ばれる建築は昨年7月に有形文化財に指定された昭和11年竣工木造4階建てでウンチクによると「数寄屋造りですが、伽藍建築や遊郭様式など、日本の伝統建築のさまざまな要素がもりこまれています」・・・だそうです。


昨年も「油屋」を求めて伊豆の築百年某有名老舗旅館に出かけたのですが・・当時の雰囲気や建築は満喫できたものの作りが古いですから暖房は効かないなど今時の運用にはつらいモノがありました。しかしこちらは当時の建物を使いつつも仕様は現在のレベルで居住性は良く、古さと新しい技術を巧く取り入れています。
注目の建築もナカナカのもので狙いすぎ?な部分はあれど場所により突然変わる様式(突然タイル貼りで急勾配な階段が出現したり・・)や迷路のような細く曲がりくねった廊下に加え見た目
木造4階なのに8階があったりと4次元的なレイアウト・・等々「油屋」度は満点です。

温泉がまた個性的で3箇所の大浴場に加えこれまた個性豊かな貸し切り風呂が5箇所・・加えて外湯が9箇所と・・とても全部回れません。
館内探検と館内温泉巡りで4箇所回って一杯一杯でした。
詳しくは
「金具屋」さん公式ホームページをご覧下さい。


夕食が済んだら渋温泉を探検に出かけます。もちろん射的は外せません。
射的屋さんのコルク球空気銃はまっすぐ飛ばないのが当然と思っていましたが・・・
ナント17発中15発がヒット!危うく満射か?!と我ながら驚きました。
毎日99式歩兵銃でイメージトレーニングを積んだ成果です???。

 
(8/2)ボーイング747シミュレーター見学

 

今日は縁合って某所にあるボーイング747-400のシミュレーターを取材に行ってきました。
あまり旅客機についてつっこんで調べたことがなかったのですが昨今の飛行機は機械式の計器は緊急用のみで殆どの主要な計器はすべてモニターに複合的に表示されると言う「SFメカ」と化していたのですね。

計器マニアなので旧日本軍の航空計器はゴロゴロしているのですが・・・最新型はとんと守備範囲外なのでオドロキました。
とはいえメジャーバージョンアップとなる747-400のシステムも10年以上前のモノ・・ただオドロキです。
747の初飛行した1969年当時これほどの輸送力はオーバースペックだったと言うのも今は昔のお話です。
モニター画面で構成されたコクピットをグラスコクピットと言うそうですが、飛行中使用する画面は殆どPFDと呼ばれるモニター一画面に速度、高度、姿勢、旋回計から各種誘導装置の表示、フラップのタイミングや失速、オーバースピードまで収まりよく表示されています。
隣のNDと呼ばれる航法画面には車のGPSと同じく飛行コース、目的地や無線局までの位置から雲などレーダー画面が表示されています。
エンジン関係は中央に配されたEICASと呼ばれるモニターにグラフで表示されています。

-400・・と言うと主翼に飾りのようなカッコつけの羽がピン!とついたイメージを持っていたのですが〜これだけで空気抵抗を3%減。成田>ワシントン間では燃料5tを節約(!)さらに新型のエンジンは6%燃費が向上で燃料10tを節約・・そして自動化により2名編成が可能となり人件費4億円/年節約・・となるそうな。


知らないところで世の中進んでいくのだなぁ!!・・と感嘆する1日でした。


左がナビゲーションディスプレイ、右がプライマリーフライトディスプレイ
 
(8/2)またもメールを無くした〜!!!

 

1ヶ月前の大トラブルから小康状態を保っていたパソコンですが、昨日 突如としてメールを受信できなくなりました。メールの場合、プロバイダ、モデム、パソコン本体、初期設定など問題の切り分けがメンドウです。まずはパソコンとモデムを再起動したところ変わらず・・特定のプロバイダのみ受信できない事からアカウントの初期設定と判断。アカウントを削除し再設定したら復旧しました。
〜な〜んて事は無い。・・と楽勝を気取ったのはつかの間、重大な事に気づきました。
アカウントを削除した際、
過去のメールがぜ〜んぶ消えてしまったのです
残ったのは、サーバにあった1週間分のみ。

返信内容については全て消えてしまいました。

・・・・・またも1からの船出・・と言った気分です。

 
(8/1)恒例!河口湖自動車博物館見学!!

 

花火大会定例BBQ終了から3時間後・・・今度は「恒例!河口湖自動車博物館所蔵零戦」見学に向け浦安を出発しました。

出発間際にバブ1も行くことになり微笑ましくも(?)親子2人旅です。
しかし彼は博物館周りにいるであろう虫が目当てで「乗り物」には全く興味がないのですが・・・。
ともあれ浦安を出発して2時間後、博物館に到着しました。昨年と違い今年は知名度も上がってか何十人も並んでおりオープン時間に合わせて来たのでは遅かったようです。
並んでいると零戦計器板で有名な中村氏とお会いできました。そして同行されているもがかの有名なCGアーティストの池田氏ではないですか!(そのあとちゃっかりサインをおねだりしました)有名な研究者の皆さんにお会いできてついてました!。

さて今回の目玉は何と言っても発見当時さながらに無惨な残骸と化した零戦21型です。

展示場中央のレストアされた機体とは異なる圧倒的な存在感を持っています。
館長の原田氏の計らいで貴重なオリジナル状態の操縦席を見ることも出来、素晴らしい展示となっていました。
この機体はこの後レストアされるとのことで、このような展示が出来るのも今回が最初で最後となるそうです。
機会があればもう一度行ってみたいところです。

 
(7/31)アラマント社第2スタジオオープン&恒例!浦安花火大会定例BBQ開催!!!

 

まるで爆撃されてるようです。
結局、行徳駅前の「訳アリ物件」に決め朝一で契約に出かけました。
本日は19:30より恒例の「浦安花火大会」と言うことで近所は露店の設営や時折聞こえる試射(?)の音など、どことなく緊張感がみなぎってワクワクしてきますね〜。
さて、行徳の不動産屋で今回物件を仲介してくれたアイディールプランニングのS氏と合流し
手続きを済ませました。今回S氏が取り合ってくれなかったら当然、今回の契約は無かったわけでホントに感謝です。行徳駅前で自宅から15分、床面積42平米で月3万とはワケ有りとはいえ激安です。
帰りに現地に立ち寄ったおり下階(1-3階)のテナントの責任者の方とお会いできたのでご挨拶してきました。8月は作業場の整備で一杯でしょうが、なんとか冬の撮影に向けセット製作に入らねばなりません。
午後からは、BBQコンロのセットや掃除をして今回初参加の鳥巣監督が迷わないように「表札」を付けました。・・・そう、ホーンテッドマンション風レリーフの表札を作ろうと決めてからはや5年・・・いままで表札の無い(ポストには番地のみ表記)謎の家だったのです。不動産屋の帰りに買ってきた真鍮製のアルファベットを取り付けるのは・・・かつて南洋で無念の涙を飲んだ零戦の外板・・・恐ろしく劣化したジュラルミンの地が良い味を出しており我が家の玄関を飾るのに相応しいと言うことでチェーンを取り付けました。途中、さすがに文字の接着に差し支えるだろうと60年の汚れを取り除いたところ・・・下から鮮やかな灰色が出てきたではありませんか!!!・・・これぞモデラー垂涎の「明灰白色」・・・額装マニア的には即額入りの貴重なアイテムでしたが走り出した工作魂は止めることが出来ず、結局表札になってしまいました。
・・・15時頃になるとパラパラと人が集まりはじめ、16時過ぎにマジシャンのAleX氏とジェームズ氏が来社。18時にはほぼ全員集合となりBBQが始まりました。今回初参加の鳥巣監督はプロのキックボクサーと言う当社初参加の業種・・異業種交流的趣旨からはホント面白いお話を聞くことが出来ました。花火も終了した21時ころ秋葉のM氏も合流・・・3時まで会は続いたのでした。
 
(7/23)スチーム・ボォーイ!!!を観た!・・・の巻

 
今日も休日出勤で朝7時から会社だったんですが、米国人アニメヲタクのジェームズ氏から
「スチームボォーイ観よう!」・・とメールを貰いとっとと仕事を切り上げて観てきました。
場所は例によってイクスピアリのAMC16。テレビでは「巨匠!大友克洋」とか言ってるけれど。
一般的に知られているとも思えないのでどうもチグハグな肩書き。
タカをくくって上映切りギリギリに入場したのですが〜甘かった。土曜の午後とは言え意外にも40%程の入り・・・!!!!。(予想は多くて10名程度と踏んでいました・・)
マスコミへの露出度も低いし予告編では正直見る気がしない出来だったのでホント「意外」でした。
一般的に「巨匠」だったんですね〜。
とはいえ「第二次アニメブーム」の我等にとっては
「"アキラ・童夢"を描いた漫画家大友」は燦然と光り輝く巨匠に違いないわけで「・・・アニメはダメダメの大友」と分かっていつつも「今度こそ見せてくれるかも知れない!」と期待を秘めついつい見に行ってしまうのでした。
・・・で、結果から申しますと、もう燦然と光り輝くダメダメ映画で全く持って予想を裏切らないトホホ映画に仕上がっていました。一応、それを恐れて全く期待しないピュアな体勢で挑んだのですが〜カナリのレベルでダメダメでした。ダメ要素を簡単に言うならば・・・必然性の無いストーリーがキャラも展開も薄いモノと化し・・16年ぶりの大作だけに(?)絵的に時代遅れできつい仕上がり・・・音響の演出が悪く薄い内容をさらに貧弱で価値を貶めます・・・頼むよぉ〜面白いとこ見せてくれよ〜・・との期待もむなしく最後の最後までダメダメでした・・・。舞台がイギリスってのも感情移入が難しく説明不足で物語のツボである「スチームボール」の意味が全く価値を持たないところで全てが破綻していました。なんでだろ〜。
唯一戦いどころであるはずのメカも世界観とまるで整合性がとれず浮きまくり説得力無し・・弱い設定に流されるだけのキャラクターに感情移入できず・・・切り札であるはずの「スチーム城」も我等「第二次アニメブーム」世代にとっては「彗星帝国」や「ラピュタ」でおなじみの展開にして遠く及ばない貧弱な演出・・
うえ〜んどうしちゃったんだよ〜・・・と・・心の奥底で叫ぶ「大友ファン」の私がいました。
 
(7/17)探せ!スタジオ!

 

アラマント社といっても実働2名 がホントのところ・・・自分で言うのも何ですが
メチャメチャ時間のない今日この頃・・がはや数年って感じです。
一方あきやま君も日々徹夜休み無しで、あきやま君曰く
「仕事でノリノリに脂ののったの30代が2人集まってもダメでしょう!」てな意見には激しく同意(!)。
ともあれ2人とも
負荷のかけ方が手ぬるいと言うことで
スタジオを本気で探すことにしました・・と言うかあきやま君が探してくれてます。

ただ、不審者2人組が不審な映画を作るのに場所を借りたいだなんて100%が門前払い
それでも食い下がるあきやまくんでしたがついに話を聞いてくれるフレンドリーな不動産屋さんが登場、
先週、今週と徹夜明けのあきやまくんと錦糸町から千葉市まで通勤(?)1時間圏内を数百キロ見て回りました。
千葉の山の仲間で行けば、元工場で50坪以上あろうかという良い物件もあるのですが・・・
千葉の弱点は道が無くいつも大渋滞と言うことで通うのはかなり過酷な様相・・
諦めかけていたとき灯台もと暗し!
行徳駅前で広くて激安!駅至近!・・ただし訳あり物件を発見!

中を見てきました・・・たしかに訳あり物件・・・。

しかし何分予算合ってのものなので、ワケありは工夫で対応か???。

続報は次号を待て!・・・だ。

千葉市某所7万円
スゴク広い!工場2棟敷地も充分・・ただ遠すぎ。

習志野市某所6万円
広い工場にセキュリティも万全・・これも遠い

市川市某所
激安物件ながら難アリ物件・・
 
(7/1)ボ島ビデオ完成・・ダガシカシ!

 

仕事は忙しいはMacは呪われて調子悪いわで予期せず難航したボ島慰霊行ビデオですが何とか完成。
ミュージシャンの赤松二等兵氏にエンディングの曲を提供して頂き仕上げました。


注文のハガキもほぼ揃った感じですのであとはVHSへのダビング&DVDに焼いて発送です。
懸念していたDVへの書き出しもコマ落ちも無くあっさりと終了。
これで勝ったも同然
一件片が付く〜・・・と思ったらアマイアマイ・・。
止めちきゃイイのにiDVDをアップグレードしたとたん、起動直後のクラッシュを繰り返す始末・・・。

動画の背景を使ってるのでOS-9に戻すわけにも行かないし・・・そこで先日の「OS-X講習」で仕込んだ「違うアカウントに切り替えて何もなかったことにする作戦」を試してみました。新しいアカウントを設定して切り替えると〜グルン!!!・・・と画面が切り替わり、もう「さっきとは違うパソコン」です。試しにIDVDを立ち上げると見事、何事もなかったように立ち上がりました。
う〜んOS-X・・・なかなかヤルじゃないですか!!!。
早速、再度エンコードを開始。
ところが次々と生ディスクを吐き出しては「エラー」を連発しています。
イロイロ試すウチにディスク20枚がゴミバコ行き・・・これじゃあ激安ディスクとは言えたまりません。

そう言えば・・・Macは電源が弱いから内蔵ディスクを追加するとモロイデスヨ・・・と聞いた気が・・・確かに内蔵HDの3台目を入れた直後でもあり条件的に符合します・・しかし外付けでiDVDと言うのも確か制限があった気がするし、そもそもコストが合いません。

数日後、フト思い立って「メディアエラー」で検索したらば、とある掲示板で「激安ディスクでメディアエラーが出た云々」と言う記事を見つけました。

コレカァ〜!!!!!!!!。


確かに薄いし軽いし周囲はバリっぽいし激悪ディスクに思えてきました。
早速、TDKとかSONYとかApple純正とか買ってきて試してみれば・・・・
なんて事はない。
問題解決です。

不思議なことにアカウントを戻しても今度はクラッシュもせず焼くことができました。
一体全体どうなってる事やら???。

ともあれDVD版も完成。
やっと発送できます。

 
(6/25)驚愕中国的兵器

 

ヤフオクでいくつもアラート設定をかけておくと本来お呼びじゃない商品が大量に引っかかってきます。「14年式、38式、92式、99式、」(もちろん旧日本軍の鉄砲です)なんてのでアミを張ってたりしますが、中古車とかセーラー服とか大量に引っかかってきます。そんな中で、中国製のエアーガンM41が引っかかって来ました。

新品!ドットサイト!レーザーサイト!スリング付き!開始価格1円!入札単位10円!・・・写真で見る限りシースルーでカートリッジの見えるマガジン、ハンドガードにつけられたレーザーサイトからはそれらしくケーブルが見え、あまつさえ「レーザー光線」が手書きされているあたり、本物なのかイメージなのか分からない風情。どうも3000円以下で取引されているようなので1丁入手してみました。
落札価格は希望通り3000円。落札から3日目の本日届きました。

果たしてイカホドカ!。

ガバァ!・・と箱を開けてみれば予想通り・・昔の銀玉鉄砲を彷彿とさせるモナカな風合い・・・
なんじゃこりゃぁ!・・予想通りコッキング式で異様に堅い・・なんじゃこりゃぁ!・・・レーザーサイトはせめて麦球でもはいってんのかナ?と思いきや・・本物です。最近はゼ〜ンゼン手に入らなくなったレーザーがついてます。ドットサイトもとても使い物になる代物じゃない----どころかレンズの成形がグニャグニャで見えない----のですがちゃんとドットが投影されます。それでいて撃ってみればとんでもないところに飛んでいくわけで意味不明です。しかしながらパーツを組み上げるとなかなかのハッタリ具合です。
コレ、定価が数百円だとすると(?)プロップガンにはもってこいです。
企画倒れ・・いや準備中の「浦安詐欺事件顛末」の兵隊にバッチリじゃないですか
・・・・まぁ撮影再開は少なくとも10年後でしょうが・・。

 
(6/21)ナゾのステディカムはイカホドカ?

 

自主制作映画者としてあこがれの機材の一つが
「ステディカム」です。
ソレハナニカ?と言うとカメラ用の防震機材でスムーズな移動撮影はコイツが使われています。


例えば被写体の周りをグル〜リと回りこむような場合、バイクの後ろにステディカムを装着したカメラマンが乗り撮影しますがもちろん振動は皆無でクレーンで撮ったよなスムーズな移動撮影が出来るわけです。当然ながら高額な機材で入手困難ですがハンディカム用の小型バージンが安価に出ています・・・んが15-100万円程度。とても買えません!!!。
そんな時ヤフオクで見つけたのがコチラ。その名も「グライドカム2000PRO」(米国製)。「I」型の上にビデオカメラ、下に重り、そして上部に付いたジンバルにグリップがありそこを持てば「揺れない」と言う構造・・・・。
見るからに大きく揺れてなおかつカメラの視線が定まらない気がします...んが・・・恐れ多くも「PRO」の名を冠し値段も民生品上級三脚程度とソコソコ、写真を見れば「グライドカム2000PRO」に懐かしのVX-1を乗せ野原をビュンビュン走り回っているオッサンの姿が映っています。


・・・ソレナラバ!!!!!・・・と買ってみたのですが・・・・・


ズバリ!予想通り。
言わずもがな!?

興味のある方はコチラ 
レトロ通販http://film.club.ne.jp/index.html

 
(6/20)ハリーポッターを観た

 

今日はジェームズ氏に誘われてイクスピアリへハリポタ3を見に行ってきました。
とは言え確認したら先行公開の2回目・・直前に行ってもチケットなどとれないんじゃないの???。・・・と1時間チョイ前に行ってみるとヤハリ、ジェームズ氏が入り口でウロウロしていました。
早速チケットを購入し中で待とうと思ったら1時間前まで入れないとのこと。
15分あったので前のコーヒーショップで時間を潰すことにしたら4/10のサバイバーパンクス公演観劇の二の舞で15分遅刻となりました。

シネコンにお入るとすでに100人待ちくらいでしょうか・・。
まぁコレなら余裕です。
上映30分前に入場開始で上映の始まる頃でも50%程度、雛壇が満席になった程度でフロアの方は2-3組と言ったところでしょう。結果的にはそんなに急ぐことはありませんでした。

で、映画の方ですがパート1.2に続き世界観の描写はスゴイです。しかし子供らはデカくなっちゃいました。ハーマイオニーなんか別人ですね。スパイキッズも同じでパート3ではお姉ちゃんが別人でショックでした。
ハリポタシリーズの原作は読んでいないのですが、毎回思うのが壮大な世界観、濃いキャラ・・と圧倒的物量を誇るストーリーながら毎回
「敵がヘボイ」のが残念です。
パート1では断然スネイプ先生のキャラが強すぎて敵はヘボヘボでしたし、今回に至っては肝心の「アズカバンの囚人」ことシリウスが見てくれもキャラもヨワヨワで肝心のネズミ男や狼男がからむ謀略もイマイチ緊急性がつたわらず・・主人公たちの強いキャラはもちろん周囲の吸魂鬼やバックピークなどクリーチャーやその他設定や美術にも負けて映画的バランスはイマイチなのが残念でした。

 
(6/19)ファイナルカットはいかほどか???

 

今日は、アップルストア銀座で行われたファイナルカット(ビデオ編集ソフト)の講習会に行って来ました。
私は英語版の時代からアドビ・プレミアを使っていたのですが〜そのプレミアも時代の流れかバージョン6.5を最後にMacから撤退となり、乗り換えのやむなきに至ったのです。

ファイナルカットのチュートリアルは2回ほど挑戦したことがあったのですが作業フロー的にどうも手続きが多く、急ぎの編集作業では勝手知ったるプレミアがベストなのでした。・・しかし無くなってしまったのではしょうがありません。
他力本願で講習会に出向いたわけです。

講習は1日8時間で基本的な使い方からモーションタイトルの作成と追加、BGMの作曲(?)して映像に追加し1分間のショートムービーを完成させます。面白いのは昼休みに全員ビデオカメラを手渡され昼休み中にショートムービーの素材を撮影してくるよう課題が出され、午後は撮ってきた素材を元に作品を完成させます。(残念ながら作ったムービーは持って帰れないのですが・・)

・・・で、ファイナルカットはいかほどだったか???と言うと・・・・ズバリ!スバラシイソフトでした。
何と言っても
プレミアとは比較にならないほど高速で、タイトル、ディゾルブによる画面変換、色補正、そしてスローモーションまで通常編集で行う作業が殆どの工程がリアルタイムでプレビューできるのです。
タイムラインのスクロールも極めてスムーズですし、特殊効果のウインドウも大きくアフターエフェクトを使ってる感じです。

操作性は・・と言うと以前くじけたチュートリアル以外にもいろんな手順があるようで、基本的な動作はプレミアとさほど変わらない印象を受けました。また、モーションタイトルを作成するLIVE TYPEなどは今までいちいちアフターエフェクトで作っていたモーションアニメーションを恐ろしく簡単に(テンプレートを選び必要に応じてカスタマイズするだけ!!)作成できるためもうAE製タイトルも立場無しです。
そしてこれまた以前くじけた音楽作成ソフトも映像と同期を取りながら不思議と難なく作成・・・・イイ!!!・・コレハイイ!!!!!・・・
(・・・・・ただし最終的な「レンダリング(エンコード)には時間がかかります。)

もう乗り換え決定!

 
(6/19)キタキタキタァ!「DAY OF THE DEAD」サントラ

 


遂に出た!詳細はMovie GroovesをC'K!

ハテナ???つい最近見たようなレイアウト・・デジャブ??

またも出荷のメールから4日後「Movie Grooves」社から「DAY OF THE DEAD」サントラが到着しました。
3000枚限定で1718番目でした。7曲目以降は BONUS MUSIC AND EFFECTS TRACKSと言うことで、10曲目の「Bub's 9th」はベートーベンの第九でバブが「あうっ?!」・・となる効果音が収録されているあたりかなり思いこみの激しいコダワリが光ります。11曲目に至っては20分を超えて終盤の効果音+BGMと言う有様で「もう個人制作レベル」のエキセントリックなコダワリです!!!。
ゴブリンもイイけどジョン・ハリソンも最高!。
(ちょっと音は?ですが・・)オススメの一枚。

戯れ言ですが「DAY OF THE DEAD」って思い出すと「ゾンビ」とは違って人間を描いたスゴクイイ映画なんですが、観るとな〜んか画的にトホホホ・・・・となってしまいます。
コレは時代のせいなのか?演出なのか?・・・それとも卓越したテーマとシナリオの成せる技なのか???。

1 .The Dead Suite・・・・・・・・19:41
2 .Breakdown・・・・・・・・・・ 3:52
3 .Escape Invasion・・・・・・・・ 3:58
4 .The Dead Walk・・・・・・・・ 4:53
5 .If Tomorrow Comes・・・・・・ 3:39
6 .The World Inside Your Eyes・・・ 3:31
7 .Deadly Beginnings・・・・・・・ 7:27
8 .Diner of the Living Dead・・・・ 1:41
9 .Dead Calm・・・・・・・・・・・1:55
10.Bub's 9th・・・・・・・・・・・ 0:36
11.Dead End・・・・・・・・・・・ 21:39

15年くらい前にゾンビ研究家F・オゼキ氏にダビングしてもらっていたのですがヘニョヘニョな音で聞き過ぎの経年劣化と諦めていたらナント音源だったのですね。・・まぁ古き良き時代の品質です

 
(6/10)雅な世界を見た?!

 

今日は、知人の依頼で某有名作曲家の7回忌の撮影で帝国ホテルへ行って来ました。
立食で適当に撮影して飯も食って帰ってこようなんて思っていましたら〜
来場者は1000人規模、フルオーケストラ、乾杯はNHK会長、出席者は芸能人いっぱい取材陣もいっぱいの大規模な会でした。

一応ホテルだし念のためネクタイくらいしてくか〜・・とネクタイだけはしていったのはギリギリセーフでした・・・。


私の撮影担当分はオープニングで上演される祇園からやってきた芸妓さんたちの舞で控室からリハーサル、本番の流れだけです。
一方、義太夫はというとナント人間国宝!・・・これまた豪華絢爛です。

一般市民的には全く縁のない世界だけに京都弁だけでかなりのカルチャーショックでした・・・(笑)
演目は、義太夫「夕顔」で難易度が高く滅多に上演されないとのことで門外漢の私にはなおさら贅沢な社会見学(?)となりました。
目に保養になったなあ。

 
(6/8)Mac OS-X異常なし!!!

 

今日は、アップルストア銀座で行われたOS-Xの講習会に行って来ました。OS-Xの移行で問題となるのが互換性の問題とメンテの問題です。


互換性の問題についてはOS-X も出てから3年程たつので概ね問題なくなってきましたがメンテの問題は未だよく分からない状況でその辺を聞いてみたかった訳です。
・・・結果
「OS-XはOS9と構造が違うので基本的に不具合は起きない。起きても起動毎に修正されるので壊れない!」・・・と言う驚くべき回答でした。


ソンナバカナ!!!。
・・・確かにOSは異様に安定していてアプリケーションが落っこちても落っこちてもOS は微動だにしないしファイルコピー中だろうがレンダリング中だろうがマルチタスクでスイスイ作業を行えるのは実感していますが〜マサマ「壊れないパソコン」とは・・思ったより早く人類の夢が一つ叶えられたのでした。

・・・・そんなものかなぁ・・・。

帰宅したその夜。
マンガの様ですがファイルをコピーしようと起動ディスクにドラッグドロップしたとたん

「カキン!」

・・・・・・とOS が止まりました。
?????・・・・それが起動ディスクの最後だったのです。
大量のデータと共に逝ってしまいました。

・・・・そんなものかぁ・・・
・・・・そんなものかぁ・・・
・・・・そんなものかぁ・・・

私は薄れゆく意識の中で消えてしまったメールのやりとりやデジカメ写真を思い出すのでした・・・。


コ!コレハ!葵のご紋!じゃなくてどこかで見たような・・・


ヒョエ〜こんなのもうMacじゃないぞ〜MS-DOSが帰ってきた!
 
(5/30)「ド〜ン・オブ・ザ・デッド」を観た!!!

 

あの傑作映画「ゾンビ」がリメイクされる!?。映画館のチラシでその事を知ったのは数ヶ月前。「あの傑作に挑戦するとは、なんと無謀な挑戦であらう」・・・と思いつつ「ゾンビ」をタイトルに冠するからには旧作と同じ感動を味わえるのでは???・・・と言うわけで、ノコノコと・・たった今観てきました〜「ド〜ン・オブ・ザ・デッド」!!!! 
最終回1000円で...。

なんと言うか、映像的に質の低い仕上がりでもないので
入場料相応だと思いましたが〜
オリジナル「ゾンビ」の偉大さを改めて思い知らされる事となりました
「ドーン・・」のタイトルを外してみればやはり残るのは只の「ゾンビに追っかけられる」映画でしかないワケでそれはもう昔〜し飽きる程見たんでもうイイデス....と言うのがホントの所でしょうか。


「ゾンビを走らせる事でオリジナルと変化付けました」じゃなくて「ゾンビ」の設定を借りながらも2004年なりの選択すべきテーマがあったんじゃないの???・・・と思います。「ゾンビ」以降量産された亜流と本家の違いは単純にソコなんで、リメイクを宣言したからには表現者として「想い」を見せてほしかった。
現代なりの切り口で「ゾンビ」を表現すれば〜あるいは(前作は30年以上前のテーマなんだから)オリジナルを「凌駕」する傑作になり得たかもしれません。

単純にDVD出たらもう一回見るか??..と言うと疑問だなぁ〜・・と思ってしまうと言うことは、商業的にもマズイ映画でしょう。同じ「パニック映画」でも昨今の「災害モノ」なんかは絵的にスケールが大きくてそれなりに複数回見ることもあり得るでしょうが・・・・・ウジャウジャいる群衆ゾンビがガス爆発で吹っ飛んでくれてもね〜ずばりキビシイです・・・・。

それと、もう一つ久しぶりに「ゾンビ物」を観て自分の変化に気づいたのが、最近はCGのおかげで映像は何でもアリなんでゾンビの特殊メークや残酷シーン自体に何の驚きも得られなかったという事でしょうか。
メカでも内臓でも客観的にモノはモノなんで、やはりそれなりに個性を与えて撮ってあげないと
モノ以上にはならないのでしょう。旧作で言うならばスティーブンの首の傷なんか深くて、致命傷で、地味なキャラに演出されていたスティーブンを最後には1等ゾンビっぽく見せた重要な役者の要素でありえた訳で、これまた「演出」の腕でしょう。

今時、同じ入場料払って同じ劇場で「ロードオブザリング」とか「マトリクス」とか映画のスタンダードを変える映画も観られるわけですから画的な勝負で打って出るには死人の群じゃ弱すぎます。やはり最後は「シナリオ」と言うことでしょうか・・・。

....なんか書いてたらスゴク酷い映画に思えてきたゾ...????

話変わりますがロジャー老けましたね、ピーターに至っては分からなかった....サビニはそのまんまでした。

 
(5/28)キタキタキタァ!「ロメロ版ゾンビ」サントラ!!!

 


遂に出た!詳細はMovie GroovesをC'K!

ついに来ました!ロメロ版ゾンビのサントラです!!!!

先週Movie Groove社より5/25日出荷のメールを貰っていたので到着はまだ先かと思いきや、英国から3日で到着です。

内容は・・3月に聞いたサンプルの通りですが〜改めて聞いてみると古風で良い曲です。特に1曲目の#The Gonk"(エンディング・・スーパーマーケットの曲)・・は脱力感満点ながらゾンビ化したスティーブンが振り返るシーンが脳裏に蘇るのでした・・・ただ、残念ながらラストシーンでピーターがハッチャケル曲がありませんでした。
ホントに残念・・・。

DAWN OF〜と言えば現在リメイク版が公開中ですがまだ見に行ってません。早く行かないと終わっちゃいますね。

何の話しか全然ワカラン!!!!・・・と言う方はコチラをどうぞ
アラマント社作成「ゾンビ」ヲタクサイト

 
(5/21)スピナー大量入手で嬉しい悲鳴続出

 


1/12スピナー(左)デカイ!こんなサイズが欲しかった。

またまた村尾ゴジラ氏から幻プラモ(ガレージキット)を戴いてしまいました。
そう一式陸攻、映画「ゾンビ」についでハマってる映画「ブレードランナー」に登場する
ポリス・スピナーです。
先頃メディコム・トイ社からスピナーのオモチャが発売されましたが、ホビージャパン誌で村尾氏が作例を作り、デカール作成を手伝ったのですが一応お駄賃と言うことでメディコム製フューチャーカーと共に戴いたのが「幻・ガレージキット1/12スピナー」です。これまたヤフオクでも滅多に出ませんし高額商品なので入手は諦めておりましたが・・・
サスガは村尾ゴジラ氏太っ腹です

写真のようにメディコム製よりかなりデカく満足のサイズです。後は、コイツに電飾を仕込んでパーフェクト・スピナーに仕上げねば・・・・なんて創作意欲がわいてくるのですが・・・。

やることイッパイでなかなか順番は巡ってきそうにありません。

 
(5/16)山口氏宅訪問

 


「父・山口多聞」光人社刊

今日は午後から「父・山口多聞」の著者である山口宗敏氏の事務所におじゃましました。氏は左の著書の他、戦史研究家として様々な出版物に執筆されていますが、今回伺ったのは執筆活動に使われている新宿区のマンションで室内はさながら「山口多聞記念館」の様相で、著書にもある山口少将直筆の手紙の他、家族一人一人に宛てた遺書や深い縁のあった山本長官からの手紙など貴重な史料を見せて戴きました。

その他、映像資料も豊富でPOFの零戦が初めて来日したときの番組(1960年頃か?マロニー氏が若い!)や山本長官搭乗機里帰りプロジェクトのドキュメンタリーなどついつい長居をしてしまいました。


シリーズ「ワーイ サインもらちゃった〜」
・・・・しっかり戴きました。
 
(5/1)B2緊急入院

 


点滴が気になるB2、その後チューブを引っこ抜き血まみれになって足に取り付けられた。

1週間前から熱が上がったり下がったり、おまけに中耳炎まで併発しているB2つくし組1歳ですが、座薬を入れてないと40度を超す日が4日も続き、さすがに変だと言うことで昨日再度病院に連れて行くと肺炎と診断され即入院となってしまいました。中耳炎で与えていた抗生剤と解熱剤のせいで調子の良いときに診察を受けていたので分からなかったのです。・・・即入院の予定が大学病院のベットが満床と言うことで翌日入院となり、本日より1週間と言うことです。こちらも24時間付き添いとなりますがGW中なのが不幸中の幸いです。

やっぱイベント多いよ・・・

追加情報>結局5/4に退院できました。

 
(4/24)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その7:さらばラバウルよ

 

然るべくして本日は最終日・・・ホテル出発は12時過ぎとは言え、外を出歩けるわけでもなくパッキングと日記を書いたりしているうちに出発となりました。空港の免税店で少し買い物をして(とは言えゲートウェイホテルのPNGジャパン直営店とくらべ数倍の価格全く免税のメリット無し)PNGを発ちました。

ん〜ホトボリ冷めたら近い内にまた来よう・・なんて思うのでした。

 
(4/23)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その6:消えたイスの行方

 

本日はポートモレスビーに戻り明日はもう帰国です。
早かった・・。

トクア空港からポートモレスビーに到着すると大都会についたようです。何しろ舗装された広い道路に車がビュンビュン走ってるし信号まであるのですから・・・。
PNGの人々にとって車はとても高額なので親戚一同とか近所(部族)でお金を出し合って共同購入するのだそうです。ただし普通の車が走れるのは都市部だけなのでしょうね〜・・・。
少なくともボ島では日本でよく見かける車が走れる道は数キロも無いと思われます。

ホテルは空港近くの「ゲートウェイホテル」で、ココはもうテレビつきトイレ・バスタブ付きの日本で言う標準的ホテルで正直ホッとします(お湯も出るし)。
ポートモレスビーでは、国会議事堂、植物園と廻りましたが予定していた博物館が閉まっており電話も繋がらない事から、予定を変更して戦争博物館へ行って来ました。

元々予定にない場所だったので土曜日の午前中に個人的に訪ねる予定でしたが・・・土曜の営業は午後からだった・・・と言うことで個人的にはかなりラッキーでした。
ここにはLEVI別冊のマーチン氏著「一式陸攻」で紹介された山本長官機のイスと扉が展示されているのです。
本に掲載されている写真を見る限りイスの方は長岡の山本五十六記念館にあるものと同じようだったので現在も戦争博物館にあるのか確認したかったのと、そもそも山本長官機のモノなのか知りたかったのです。


都ポートモレスビー。規模的には浦安よりかなり田舎だが、ボ島と比べれば大都会!だって信号があるもんね。

一応「NATIONAL MUSEUM」ガラクタがゴロゴロある。写真は「ペロハチ」
 

一式陸攻の扉。長官機とは無関係との事。
   

LEVI誌には「ナショナルミュージアム」と書いてあったので上野の博物館みたいなのを想像しておりましたが・・博物館に到着するとズバリ町工場のような建物でした。
入り口の看板には「NATIONAL MUSEUM AND ART GALLERY MODERN HISTORY DEPARTMENT」とあり、その下に懐かしの
「大阪万博EXPO'70」のマークがあり、何かと思ったら「日本万博記念協会の援助で改装されました!」・・とあります。

・・・一体どのようにお金が使われたのでしょうか????・・・入ってスグ、P-38の残骸が置いて(展示されて?)あり、周りは主に米軍物の残骸がゴロゴロと転がっております。
奥にはフォード・トライモーター(?)と思われる大型機までありますが〜全て残骸です。
PNGでは入場料を取って物を見せると言ったコトが一般的で無いらしく寄付で運営を賄うため慢性的に財源が苦しく展示も良くならないといった問題があるそうです。

万博がらみなのか唐突に日本の展示があったりして、なんか中途半端で施設の怪しさを倍増させていました。
(開館時間は月〜金が9-15時、土曜は14-17時との事)

工場(こうば)風の建物に入るとレストア中と思われる戦闘機(機種不明)や主翼、錆びてボロボロになった機関銃がこれまたゴロゴロとあり奥の展示室に進むと目当ての「一式陸攻の扉」が天井から吊られていました。LEVI誌の写真では「山本五十六展示コーナー」といった感じで元帥の写真とイスが展示され、扉も壁に掛けられた状態でしたが、現在はイスも写真も無く「山本元帥」の展示では無くなっていました。

聞いたところ、やはりイスは長岡に寄付されたそうで、展示されている扉の方は「山本機」とは関係ない・・とアッサリ言われてしまいました。
・・・ソウデスカ・・・。

墜落現場で「扉が無い」事を確認したのでポートモレスビーの扉は本物と確信していたのですが・・・ソウデスカ違いましたか・・・。

夜は、商業地区のスーパーマーケット2階にある「大黒」と言う日本風ステーキ屋さんで夕食となりました。慰霊団定番の店だそうで、PNGで働く日本のJVの皆さんのたまり場でもあるようです。
ホテルに戻って戦史研究家で作家の山口氏、モテモテのT氏と戦後日本の教育政策と今後求められる日本人のアイデンティティについて(?)熱く語りつつ最後の夜は更けるのでした。


こういう店に来てみたかった!。アヤシイ日本料理屋。イマイチ修行不足の料理人にコチラがハラハラ・・・
 
(4/22)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その5:零戦墓場

 

今日は、昼の飛行機でラバウルに戻ると言うことで、そのまえにパイロットのT氏がオーストラリア人旅行者から仕込んできた「零戦が沈んでるらしい」・・との情報でクリロッジからボートで10分ほど行った海面に行って来ました。


クリロッジからボートで10分。2-3mの浅いトコロに沈んでいる99艦爆(?)。

ボートは何の目印もない海面をグルグル廻っていましたが、その内エンジンを止めるとガイドが潜って探しに行き、ポイントまで船を誘導します。
よく見ると下に白い大きなモノが沈んでいるのが見えます。
水中眼鏡を借り、顔を突っ込んでみると・・・ありました!
デカイ真っ白な飛行機が裏返しになって沈んでいます
息が続かないので10秒ごとの観察となり良く分からないのですが、引き込み脚の無い広い翼面、スラリと細長い胴体・・どうも零戦ではなさそうです。見た感じ99艦爆のようです。こんなことなら「水中用写ルンです」・・でも買ってくれば良かったのですが〜水上から撮った写真やビデオではゼンゼン形が分かりません。

まぁ、次はゼヒ水中撮影機材を持って来ましょう・・・。

昼、ホテルのバンで飛行場へ移動、12:10の飛行機でラバウルへと戻りました。

午後からはOISCA(農業開発支援等を行う日本の財団法人)の農業研修センターの見学となっていましたが、私はトベラ飛行場の旧軍機残骸の調査を行いたかった為、別行動のつもりでしたがOISCAへ行く途中トベラに寄ってくれると言うことで同行することにしました。
しかし旨く行かないもので、ドライバーが道を間違え山道に迷い込み危うく西飛行場の二の舞になるところで訪問を断念・・・・OISCAに向かう事となりました。

20分ほどかかり元の道へと戻り暫くすると・・・なんと道路わきにトベラの旧滑走路が広がっているではありませんか!!!・・・とは言え後の祭りです。

零戦計器板研究家の中村氏に残骸の山を見せてあげたかったなぁ〜と思いつつ通過しトベラから15km先のオイスカに到着しました。


校庭を見れば研修生たちが手に手に日の丸を持ち花道を作っていました。
我ら日本人・・特に戦争を知らない子供たち第二世代(?)にとって日の丸や旧占領地への対応は悩むところですが、道路で道行く人々がキラキラと目を輝かし満面の笑みを浮かべながら「ワ〜!」っと叫びながら喜ぶ様を見ると彼らの対日感情は何故にそこまで良いのか戸惑うことがあります。彼らの言い分としてはオーストラリア人はニューギニアを植民地として搾取し現在も搾取しているが・・日本人は我々に農業や技術を教えた。・・・と言うことらしく、戦時中の日本軍の対応に親日の根があるようです。
ともあれ我々の抱く日の丸の問題など彼らには理解しがたい問題かも知れません。


生徒たちによる歓迎の花道を通り教室に入ると民族楽器が並び所長の荏原氏の挨拶の後演奏が始まりました。ニューギニアではレゲエが人気ですがPNGのリズムも飽きの来ない楽しい物で民族音楽2曲と「ラバウル小唄PNGバージョン」を見事な日本語で歌ってくれました。


OISCAに到着。研修生の皆さんの出迎え。

民族楽器による演奏会
 

研修生の皆さんと。中央が荏原氏。
   


演奏会の後、家畜の飼育小屋、稲作の実験田、飼料の調合や卵の孵化設備などを見学し、施設を後にしました。ここで教育を受けた人々が出身地へ戻って経験を生かし農耕技術を広めていくのでしょう。スバラシイ事です。


意外と見学が早く終わり日没まで20分ほどあったため、トベラ飛行場の立ち寄り何枚か写真を撮ることができました。じつは野原以外にも援体壕の中に放置された機体もあるそうで、そちらも見たかったのですが・・・残念ながら時間切れです。

「どうせまた来るからイイカ!」・・とトベラを後にしたのでした。


トベラの零戦墓場・・と言うよりはゴミ捨て場??。

操縦席
 

お宝イッパイ。
   
 
(4/21)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その4:語り明かそよデッキの上で

 

朝6時起床、朝食後7時出発。今日は一昨日来た道をブカまで戻ります。
行きの豪雨やパンクのようなトラブルは無く何本もの川と景色の変わらないガタガタ道を越え5時間後、ジャングルが開けると眼下にブカ水道が広がります。行きと同じくボートに乗り換えると、ボートはブカ島のホテル「クリロッジ」横の船着き場へ到着しました。

こちらのホテルは海に張り出したバーとベランダが良い感じで、やっと南の島っぽい風光明媚な所にやって来た感じです。もっとも部屋は狭くベットが2つやっと入る程度でシャワーとトイレは2部屋兼用しかもシャワーが故障と言うことで再び冷たいシャワーを浴びる事になりましたが・・・。


再びブカ水通をボートで移動。

宿泊するクリロッジ全景。
 

テラスからソハノ島を望む。
やっと観光旅行っぽくなってきた!。
   

本日は移動のみなので近所のマーケットにサンダルを買いに行ったりテラスで海や島々を見ながら日記(コレね)を書いたりと南太平洋っぽくマッタリ過ごしました。
午後からH氏の住むソハノ島にある慰霊碑に行くと言うので(慰霊碑の近くに戦闘機が落ちていると言うし・・)出かけました。交通は、先ほどと同じボートで10分ほどで到着。
公園で見られるような桟橋すらなく浜辺に船首を乗り上げると到着です。

20mほど階段を上がると緑の丘に出て古風な木造平屋のホテルがあり、海側先端のブカ島側に慰霊碑がありました。デザインはブインと同じで合掌した手をデザインしたと言われる3角形で、周囲も良く整備されていました。


慰霊碑の近くに小型機の残骸がありました。かつては地面に転がっていたそうですが現在はフレームに固定され保存されているようです。不思議なことに写真を撮ろうとするといつも子供たちが集まってきて機体に陣取り子供つき写真になってしまいます。説明では機種は米軍機と言うことでした。

見たところ、金属製、複座、複葉、機首に機銃2丁を装備していますが機体、プロペラ、エンジンのドコにも銘板が見つからず、国籍、機種共に不明です。
(追記:「日本海軍航空隊軍装と装備」の著者佐藤氏によると機体は
「零観」だそうです。図面で確認したところ尾翼や操縦席周りの形状、そして特徴的な太い胴体と「零観」である可能性は大です。だとしたらかなりレアな機体と言えるでしょう。)


その後ホテルのロビーに展示されている旧日本軍の写真などを見てソハノ島最大の観光スポット(?)JAICAのH氏宅(ホテルのロッジ)を見学しました。
プレステはあるしやパソコンでインターネットも出来るそうですが・・・電気が使えるのは18時から23時、インターネットは電話線を引き何とか繋がるものの速度は初期のパソコン通信程度、画像のあるページは散々待たされて切れる・・・と言うハイテクな環境で、氏曰く
「緑の監獄」だそうです。


又々ブカ水通をボートで移動してソハノ島へ上陸。

島の端に建つ慰霊塔。
 

夕暮れ時。まったり過ごしてます。
   

夜になって星が出てくると(電気が無いだけに光害は皆無と言う事で)夜空はまさに壮観!天の川を初め東京では見られない無数の星が現れまるでCGの作画合成並みの「星でがギッシリ詰まった」星空となりました。そこでツアーメイトのT氏、ジャイカのH氏と「語り明かそよデッキの上で」の歌どおり海に張り出したテラスで延々くだをまいてました。
前述したモテモテのT氏は青年社長にしてパイロットライセンスをもつスンゴイ方で、ロサンゼルス国際空港で旅客機の間に割り込んで着陸したこともあるそうです。今回はお父様の長年の夢であった山本大将終焉の地を訪れると言う希望を叶えるため同行したと言うことで、我々とは別ルートでブカに到着し合流しました。英語も堪能で1号車通訳としても大活躍でした。
前述のジャイカのH氏はブカ島とブーゲンビル島の中間に位置するソハノ島で薬剤師をされており、英語に加えピジン語に長け、
マラリア、デング熱、腸チフス、熱帯性潰瘍・・と戦記でお馴染みの病気は全て経験済みというツワモノで、ワイルドさと南国特有のしたたかさそして日本人ならではの勤勉さを備えた愉快な方でした。

「JAICA」と言うと政府公報でおなじみの隊員募集CMは良く見かけますが、具体的な活動や処遇と言うのは殆ど知られていないですよね。
聞くところによると基本的にボランティアなので国からの援助は生活費のみで勤務体系や福利厚生は配属先の規定によるそうで、盆正月は無し、特別手当無し、帰国後の保証無し日本の労働基準法は適用外(?)なようです。
日本国が雇い主として送り込む訳ですから、当然一流企業の海外赴任並みの処遇が保証されていると思っていたのですが〜随分と怪しい目論見であるような気がしてきました。
私は「南洋通の怪しい日本人」・・というシュチュエーションに結構惹かれるのですが、JAICA隊員は難しそうです。(尤もそれ以前に生かせる技術もありませんが)ともあれ、満天の星空の元、南国の夜は楽しく更けていくのでした。

 
(4/20)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その3:苔むす屍

 

昨日の雨も上がり天気は上々です。6時起床7時にアラワを出発し長官機訪問の玄関口となるアクへ向かいます。これまた走行距離100km。三太郎峠を越え、革命軍のエリアを迂回して進むと言う行程自体難所です。また、襲撃が予測される日没までには必ずアラワの研修センターへ戻る必要があります。ブーゲンビル島の日没は5時40分。アク村への往復6時間、長官機探索4時間、8時出発とすると帰りは18時でギリギリです。
アラワを出て暫くたつと舗装道路は終わり、昨日と同じガタガタ道が続きます。1号車は昨日と同じく爆走を続けますが暫くすると2号車がついてこないことに気づきました。車を止め待っていると左後ろ側タイヤがパンクした状態で追いついてきました。2号車のスペアタイアは昨日使ってしまったので、1号車のスペアタイヤを使います。


10時頃ブインに到着。サイモン氏は車を降ると近くの建物にはいるとなにやら交渉しています。どうやら修理工場の様でスペアタイアを都合しているようでした。


出発前。元陸戦隊で長官機捜索に参加したN氏にインタビュー

2号車2度目のパンク。昨日は豪雨の中窓が閉まらず災難続き・・。
 

またも車の振動でファインダーが外れてしまった・・・大ピンチ!!・・ところが村民の方が長いジャングルナイフでマシ締めしてくれ復旧・・アセッタァ〜。
   

10時50分。車はジャングルの小道で停車。草が切り開かれた車2台分ほどの空き地に乗り入れるとそこが有名なアク村の入り口でした。道路標識もなくジャングルに奥まった空き地・・としか見えないのですが良く分かるものだと感心します。しかし数分もするとどこからともなく住民が現れ結局30人ほどの人ごみとなりました。
これまた不思議なのですがジャングルで車が停車してもスグに人が現れます。
彼らの情報伝達はどのような方法が採られているのか?????。それとも常時相当数のフ人間がジャングルにいるのか???。謎です。


ここで昼食となりました。またサンドイッチですが、水はジャングルで絶対に必要なので節約するように・・とサイモン氏から指示が飛びます。

13時頃空き地を出発。10分ほど歩くと15m程の川がありザブザブと渡ります。川を渡るとアク村の中心らしく見渡すと10軒ほどの家、集会所が見えます。噂に聞いた高床式の住居で中には3階建てもあります。
村を抜け獣道にそって進むと途中、住民たちの畑があり、それをすぎると深いジャングルに囲まれます。道幅は狭いところで50cm程、広いところは3mほどありますが、概ね水がたまり泥沼と化しており足を突っ込むと靴が取られてしまう有様です。ジャングルブーツならブスブスと歩いていけそうですが普通の運動靴なので泥沼をよけ、滑りやすい路肩を枝や葉の堆積した場所を選んで進みます。
足場は悪く30分ほど進むと先頭と最後尾ではかなり引き離されてしまい疲労により歩けなくなったN氏(77歳)はもう立ち上がるのも難しい状態です。後続が来るはずなので暫く待ち、到着した後続のアク村住民にN氏を託して進む事にしました。

暫く行くと1人で歩くT氏(81歳)に追いつき細く獣道のようになった道を進みます。
ふと気づくと、いつのまにか数人の子供たちが周りにいて前に後ろについています。やがて2m程の溝に小川が流れる場所に出ました。子供たちは裸足でザブザブと渡っていきますが。右側を見ると太さ30cmほどの丸太が橋のようにかかっています。先行のT氏は丸太上を渡る事にしましたが、何たる事か!渡りきる間際で手にとった枝が倒れT氏は横になった状態で1M程下にある川に
転落してしまったのです。
しかし不幸中の幸いできれいに川に落ちたので打撲も無く..ただカメラ等電子機器は壊れメガネを失いましたが...本当に不幸中の幸いでした。
あと後少しずれていたら土手に頭をぶつけて重大事故になりかねない状況です。
しかし川から上がった後は何事もなかったかの様に歩き墜落現場での慰霊祭の後、自力で戻ったのですから・・流石は元兵隊さんは筋金入りです・・・。


アク村手前の川。水はキレイで気持ちよし。

コンパスを確認。正常に動作しているが・・・。
 

まさにジャングル探検的な丸太の橋。ファイトォ〜イッパァァ〜ツ!!!。
   

1時間もするとかなり疲れてきますが重大なことに気づきました。
あれほど水を節約する様言われていたのにボトルごと落としていたのです・・・。行きは特に節約せねばとガマンしていたのが裏目に出ました。途中、一緒に歩いていた現地の青年が道沿いになっていたカカオの実をくれました。チョコレートの原料となるタネの部分はマメみたいですが、タネの周りの部分は甘く(食べるところはあまりありませんが)ちょっと助かりました。

しばらくすると村民がが誰かをおんぶして猛烈なスピードで走ってきます。
見れば出発早々ダウンしてしまったN氏では無いですか!。N氏は村民の背中でニコニコしながらジャングルの奥へ消えていきました・・・・。そのあとも海軍旗を手に元水兵さんを肩車して猛烈なスピードで駆け抜けて行く村民がいました...全く持ってPNGの人々のパワーには驚かされます。
同行する子供たちの中にはどうみても4歳くらいのチビッコもいるのですが裸足でどんどん走っていきます。その後を10歳くらいの子供が我々から数メートル距離をおいて恥ずかしそうに見ながらついてきます。そう言えば、私の世代も小学生の頃は「外人」が珍しくて、観光地なんかであったりするとヤタラハシャイでたっけ???。


オシャレをして恥ずかしそ〜についてくる女の子。

元海軍さんを肩車してモウレツなスピードで走り去るアク村の人。スゴイパワーです・・・。
 

道ばたに生えてるカカオの実。なかなかイケます。
   

そして出発から1時間40分後

村民の指さすところに翼の構造と思われる固まりが..そして左側には胴体外板と思われる2m程度のジュラルミン板が落ちています。見れば「三菱2656号」のステンシルがされていました。「三菱656号」は紛れも無く山本長官機です。さらに進むと広く泥沼と化しており足を取られながら進むとジャングルが開け、写真で良く見る潰れた胴体後部が姿を現しました。
現地にはすでにアク村村民が20人程いて機体に上ったり蔦を取り除いたりしています。


「三菱2656号」のステンシルがされた外板を発見!!!!!。
間違いなく長官機だ。

ついにジャングルに横たわる長官機に到達。もう疲れてヘロヘロ状態。
 

一式陸攻尾部で遺体の状態を語るN氏。こんな場面に出くわすとは奇跡です。
   

すかさず誰もいない尾部銃座に駆け寄ると回りこみ3mほど離れたところで・・・・我慢していたオシッコを放尿しました。
いや〜〜クツログゥ〜・・・・・と思いつつ英霊の怒りに触れチンコが腫れたりしたらどうしようなどとクダラナイ事を思いましたが〜出るもの所嫌わずです。

すると、おんぶ部隊で先に到着していたN氏が来て当時の模様を話してくれました。これはホントすごい事です。
幸いにして後続部隊が到着していなかったので胴体の進行方向前方のジャングルに入りました。こちらは道が無く地面は水で覆われていた為、倒木をつたって10mほど進みましたが木々の密度は高く視界は5m程で、結局それらしい物は発見できず引き返しました。

慰霊祭では写真家の板倉氏により、山本大将以下搭乗員を含む11名の名前と墜落経緯が説明された後、山本大将に縁の深い山口多聞少将のご子息宗敏氏が祭文を読み上げ、数十名の原住民の見守る中、拝礼が執り行われました。

終了後、大急ぎで機内の様子と周辺の部品を確認しました。胴体は後部ドアから1mほどの胴体結合部付近でちぎれており左右にエンジンが、前方に主翼の主桁と思われるパーツが落ちています。いずれも蔦に覆われ、引っ張った程度では取れない状態で歩く度にベコベコとジュラルミンの音がしていました。

機内は前から後ろに向かって床の波板がめくれ上がり、床の構造材も後ろに向かって壊れているなど墜落時の衝撃を物語っています。後部暖房扉は中央から右側にかけて大きく破損しており、投げ出された乗員が激突したのかもしれません。それに比べ後部機銃銃座は破損も少なく、特徴的なフレームを留めています。機体左側には細かな残骸が積み重ねられており、中に天蓋のフレームを見つけました。
また、「翼は還る」の写真によると機首のフレームもあるようで、墜落時に四散した以外にも意図的に分解された可能性もあります。

「山本五十六自決セリ」によれば埋められたと記されていますが根の張った地面に10mを越す機体を埋めるなど想像できません。実施したとしても相当な人手が要ると思われる為、N氏に「機体埋葬」の噂を聞いたことが無いかたずねたところ「機体を埋めた話は聞いたことが無く原住民が材料として使うのに分解したのでは?」との事で大がかりに組織だって「埋葬」されたとも思えません。
またN氏の語ったところによると、当時は盤根を持つ巨木が多くあったとの事でかなり現在とは印象が異なっていた・・との事で、なおさら木を取り除き機体を埋めるには相当の人工が必要な大工事となったはずです。
また、原住民に墜落したのが日本機であることを悟らせないようにしたとの記述も見られる事から原住民の手を借りて解体や「埋葬」をした可能性も低く思われます。だとすると「事後処理」は少数の日本兵によって行われ、尾部を残し胴体と機首部分を破壊した理由は山本大将が座っていたと思われる付近の弾痕を残したくなかった....つまり機上戦死の証拠隠滅と考えるのは映画ネタすぎるでしょうか????。


祭文を読み上げる山口宗敏氏。

長官機内部。
 

機首方向のジャングルに入るが前に進めない!。
   

もう一つ長官機捜索に関する奇妙な出来事がありましオた。
長官機墜落の様子は、陸軍部隊の駐屯地であったアク村や道路工事現場から近かった事もあり多くの人々によって目撃され、概ね距離も分かっていたハズが、いざ捜索に出かけるとわずか4km先にもかかわらず何度も同じ場所に戻ったり、あげくに駐屯地に戻ってしまったりと誰も墜落当日、現場に到達できなかったのです。「山本五十六検死ノート」によると
「南緯5度で日本製のコンパスが役に立たなかった」とありましたが、(情報の出何所は昭和42年に出版された蔵原惟和著”ブーゲンビル”)百戦錬磨の陸軍部隊が目的地に到達できないなどという事があるのでしょうか?。
ラバウルなどはさらに赤道に近いわけですがニューブリテン島の戦記でコンパスが効かなかった話も聞いたことがありません。
このミステリーを検証すべく、当時販売されたのコンパスで現地調査したところ....
確かに針は南側に傾きますが「尻餅をつく」ほどではなく実用の範囲内でした。
よって、何故複数の陸海軍部隊が現場にたどり着けなかったのかはナゾです。
もし墜落当日長官機を発見し救出が成功していたら・・・おそらく歴史も変わっていたことでしょう。
「その時歴史が動いた」です。
そんな「歴史が動いた瞬間」に参加したN氏と61年後の同地nで遭遇するなどホントついてます。

慰霊祭が終わると早々に引き上げねばなりません。本当なら蔦をひっぺがして部品の部位を調べたりエンジンの焼け具合など確認したい事は沢山あったのですが...ともかく「日没までに帰る!」が重要課題ですのでモウレツに後ろ髪を引かれつつ現場を去る事になりました。

帰り道はGPSのトラッキングデータのおかげてアク村入り口までの距離が正確に分かっていたので精神的な疲労も少なく、途中の広場でアク村の方が採ってきてくれた椰子の実を飲んで休憩したりしつつも、行きと同じく1時間40分ほどでアク村に戻りました。

先に出発した先頭集団皆さんはもう余裕で村人と親交を深めており、青年社長にしてパイロットのカッコイイT氏などは村の女の子達にメチャメチャモテまくって「こんなにモテたの初めてですよ〜永住しちゃおかな〜」・・とニヤけておりました(またまたご謙遜を!)。

15分後、広場で休憩していた最後尾の集団もアク村の皆さんににサポートされ到着。
15時、村人総出と思われる観衆の中アク村を後にしました。
そして、本日のもう一つの目的であるブインでの慰霊祭(Aさんの父上の慰霊祭)を実施。バス停の近くだった事もあり100名を越えるブインの皆さん立会いのもと行われました。

16時ブインを出発。日没まで2時間を切り1号車2号車とも猛スピードでアラワへ向かいます。
途中時間があればキエタの三叉路にある零戦残骸を見たかったのですが・・・日没の18時頃キエタを猛スピードで通過。道沿いに展示してある零戦が夕闇に
キエタいや消えていきました...残念。

・・・そして丁度日没と言う頃アラワへ無事帰着しました。
夕食後、ドロドロのクツを洗い下着を洗いお湯のでない冷たいシャワーを浴びていたら24時を回ってました。

ともあれ今回の旅行は本日 数十分滞在した長官機がメインで後は往復みたいなモノですから遠いところへ来たものです。


なんとか全員が無事に帰還。元兵隊さん達はホントにタフです。

アク村の皆さんに送られて出発。
 

ブインで行われた慰霊祭。参列者は100人以上。
   
 
(4/19)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その2:爆走また爆走

 

本日は朝5:30時起床6:00ブーゲンビル島旅行用にまとめた荷物を外に出し朝食です。食堂へ行くと6:00に空港にチェックインに出ているはずの板倉氏が食堂におり、どうした事かと思ったら空港に送ってもらうためのドライバーがまだ来ないとの事です(タクシーなんてものは勿論無い)・・・何分南国時間ですので焦ってもショウガナイのですが・・・・まずい事に飛行機は先着順であるため、たとえチケットを持っていても一杯になれば乗れません!。しかも飛行機は3列×6列の18人乗のトコロ我ら総員15名です・・・
ブカへの便は隔日運行・・乗れない場合はブーゲンビル島訪問自体がキャンセルとなってしまいます
はたしてドライバーはやってくるのか???・・・早くも
慰霊団最大の危機が訪れました。
大事をとって出発を1時間早めるとの非常呼集がかかり急遽出発する事となりました。トコロが・・・ホテルのバスは全員乗れないと言う事態が発覚・・・しょうがないので私と板倉氏が残りドライバーを待つことになったのですが〜7時になって非常呼集を聞き逃した2名が集合場所に登場〜仮にバスに全員乗れたとしたら2名は危うく置いてけぼりとなるトコロでした・・・。
出発時間のタイムリミットは迫るがドライバーは現れず・・・結局ホテルのフロントに頼んだところ従業員が送ってくれることとなりました。ホテルから空港までは20分程度、ほどなく空港に到着しとりあえずはセーフです。問題の席も15名全てOKとの事で奇跡的に出発することが出来ました。(・・・乗れない場合は現地人を降ろすしかないと言う強硬案も実行されずにすみました・・・)乗ってみると乗客は我々だけでホント幸運だったようです。


 車に全員乗れず途方に暮れる我ら

 なんとか搭乗できることに・・
ブカ行きの
EMB110

高度3000mブイン街道を行く・・
おそらく60年前と同じ風景なんでしょう

飛行機は、AirlinkのEMB110P1 Bandeirante。双発18人乗りです。
ニューアイルランドを越えブカに向かう航路はかつての「ブイン街道」で長官機のたどったコースとほぼ同じです。風景もおそらく殆ど変わっていないのでしょう。「新ラバウル空港」ことトクア空港から1時間ほどでサンゴ礁に囲まれた島々を眼下に着陸パスに入ると管制塔も無い質素な滑走路へ滑り込みました。空港施設は売店が1つあるだけで田舎駅のような雰囲気です。

空港で先にブカに到着していたT親子と合流。トラックとバンに分譲しボ島の玄関口であるブカ水通で下車します。港には小舟が並び、対岸には鬱蒼としたジャングルに覆われたボ島が見えます。ブカ水通は早い流れがあるようで川の様に見えます。我々は2隻のボートに乗り換えいよいよボ島へ向かいます。


 ブカ水通を渡りボ島へ上陸

 シュノーケル付きの4駆・・
何だかイヤな予感が・・・

ガソリンスタンドではドラム缶
から直接給油。ウ〜ン・・ワイルド。

ボ島側の港(..と言って岸壁など港湾施設があるわけではなく只の海岸)に上陸すると、迎えに来たドライバーのサイモン氏(本職はミュージシャンで来日経験もあるらしい)率いる4駆3台に分乗し、ドラム缶から直接給油すると言うワイルドなガソリンスタンドで給油を済ませイヨイヨ出発です。
本日の工程はおよそ150km・・旧日本軍がジャングルを切り開いて設営したガタガタ道を踏破します。道幅は車2台がすれ違えるほどはあるものの未舗装、街頭無し、民家無しです。道中は革命軍の襲撃が予測されるため、武装したガードマン2名が先行して出発しています。

船着場の坂を上がると両側は深いジャングルで延々同じ風景が続きます。ほんの一部に舗装道路もありますが、各所で深く陥没しており、むしろ未舗装の荒地の方が安全なようです。
そんな道を渡河用のシュノーケルを付けた4駆が砂塵を巻き上げ大爆走・・・・スピードメータを見て見ると壊れて0を指したままだったのですが・・GPSを見るとなんと最高で90km/h近くを記録しています。事故が起これば完全にアウトですが陥没した路面や岩を巧みに避けスピードは落としません。しばらく行くと道が幅30m程の川に水没しています。川が増水したのか?と思いきやそうではなくこれが正常な状態・・・ドライバーは躊躇無く川に突っ込み渡河します。こりゃ画的にGOOD!とばかりに川を渡るたびに撮ってましたが・・・・あまりにも数が多くて途中で止めました。途中、川を渡りやすいように川底の整地をしているブルドーザーまでいて、「道路の管理」はされているようです。「川を渡るには橋!」と無条件に考えていましたが、こう言う手もあったのですね・・とちょっとカルチャーショックです。


 両脇は深いジャングルが延々続く

 川に橋なんか滅多に無いのだ

・・と言うかボ島では
一般的な道路らしい

午後になると天気は急激に崩れ豪雨となりました。窓から水が入るため窓を閉めると、車内の湿気で窓の曇り前が全然見えないような状態となりました。勿論、空調が効くような車ではありません。加えて閉めたはずの窓からポタポタと雨水が進入してきます。しかしサイモン氏はスピードは緩めません。フロントガラスを拭きつつ巧みに車を操ります。
フト、座席下に置いたビデオカメラを見ると、ナント!ファインダーがありません!。振動でビスが脱落してファイダーが外れ床に転がっています・・・しかも接続ケーブルでぶら下がって・・・すかさずケーブルを抜きファインダーを取り外しリュックにしまいましたがケーブルが切れていたらアウトです。全く持って迂闊でした。それ以前に強い振動でデッキの走行系に障害が出る可能性もあります。本来であればハードケースに入れて持ち歩くべき物ですが、狭い車内は人と荷物で一杯でカメラを置く場所ナドありません・・・苦労して持ってきたカメラでしたが果たして長官機の撮影は出来るのでしょうか?・・・ともあれ心配しても手遅れです。
港を出発して2時間後、大体中間地点にあるサイモン氏の家で(空き地で)20分休憩と昼食・・途中2号車がパンクして遅れるイベント(?)がありましたが出発からおよそ4時間後。
ジャングルを抜け平地に出るとかつては美しく整備された町であったろう区画が現れました。しかし、建物の多くは破壊されたまま緑の蔦に没しています。パラパラと人影を見ますがラバウルのような明るい挨拶は無く陰気な感じです。ここが宿泊地のアラワで、しばらく行くと兵舎のような監視台と全周金網で守られた建物に入りました。そこが本日から2泊する「arawa women's vocational training center」です。
長官機墜落地点の入り口であるアク村まではここから100km以上離れていますが、道中宿泊施設が無い事と治安の問題からアラワに宿を取る事となったのです。
ここは職業訓練センターの宿泊施設であるためシャワー、トイレは共同(しかもシャワーとトイレが同じ室内なので臭かった..)冷蔵庫、エアコン、TVなどありません(無くても困りませんが)。ただ、こちらの食事は旅程中最も日本人向けで久しぶりにまともな物を食べた..と言うのが正直なトコロです。
雨がやんだので監視塔の横を抜け歩き回って見ましたが廃墟か空き地になった区画があるだけで死んだような町でした。
明日の「ジャングル探検撮影」準備で外れたファインダーをドライバーで取り付けケーブルを繋ぐと幸いにして異常は無さそうでした。念の為各ネジを増し締めし、予備バッテリーとテープの確認、ワイアレスマイクの動作確認などをして明日の行程に備えました。今日は移動だけで疲れましたもう寝ます!。


途中、サイモン氏の庭で昼食。周囲にはな〜んにも無い場所。

天候は崩れドシャブリのスコールに・・前の車なんかは窓が閉まらず最悪の状態に・・・。
 

車の振動でファインダーが外れてしまった・・・
ショック・・。とりあえず機能に問題無かったのは不幸中の幸い。
   
 
(4/18)「ボーゲンビル島探検隊は行く」その1:銀翼連ねて南の前線

 

そんなわけで再びパプアニューギニア(以下PNG)へやって来ました。

22:30成田を出発した飛行機は7時間でPNGの首都ポートモレスビーに到着します。PNGと日本との時差は1時間。到着は日本時間で深夜3:30となる計算になります。タダでさえ睡眠時間を確保せねばならないところに1時間もたつと夕食が出てしまうので殆どの人が寝不足の状態で到着することになります。尤も、離陸したらまずゴハンなんて言う航空会社の風習に従う理由もなく搭乗前に食事は済ませ寝てしまうのが賢いのかもしれません。

概ねウトウトしだすと到着です。飛行機を降りるとムッとした熱気を吸い込み再びPNGにやって来た事を実感します。ポートモレスビーで降りる日本人は多いですが殆どは乗り換えてオーストラリアへと向かいます。我々「慰霊団」は若者達の列を別れ、人もまばらな入国審査へと向かうのでした。


PNG名物?「禁煙・禁ビトルナッツ」サイン

 徒歩で飛行機に向かう

 ラバウル行きフォッカーF28


前回はラバウルへの国内線乗り継ぎまで4時間以上もあったのでルーカス氏のボロ車でポートモレスビー近郊を巡り、山奥のマーケットを回るなど余裕のトランジットだったのですが今回は乗り換えの便が早く、到着から2時間後のPX-204でラバウルへ飛ぶ為むしろ時間が無いくらいです。ともあれ時間のかかる入国審査をすませ国内線に荷物を預けると一旦外に出て徒歩で国内線のターミナルへと向かいます。それでも助かったのは、今回コーディネーターを勤める写真家の板倉氏が予め全員分1人5000円分のキナ(1キナ=約34円)を両替していたおかげでかなり時間を節約できた事です(ともかく何でもかんでも遅い!)。1週間で5000円とは心細い感じですが・・団体行動するかぎりPNGではお金を使うところがあまりありません。お土産を除けば日々の飲み物代くらいです・・。国内線はバスターミナルみたいなところに飛行機が駐機されているので空港ビルを出てテクテク歩いて乗り込みます。ポートモレスビーを飛び立ったフォッカーF-28-1000は、かつて多くの飛行機乗り達を飲み込んだオーエンスタンレー山脈のを遙か眼下に順調な飛行を続け、南北に広く横たわるニューブリテン島を横断しておよそ1時間20分、遠くシンプソン湾と花吹山を望みつつ「新ラバウル空港」ことトクア空港へ着陸します。

滑走路延長線上には花吹山と雲を被った妹山が並んで見えます。早速、撮影を始めようとビデオカメラの電源を入れると、業務用カメラはあまりの温度差と湿度に「結露」が発生!動かなくなってしまいました。バックアップのハンディカムVX-2000は何も問題なし...業務用がデリケートではこれじゃあ逆です。しょうがないのでハンディカムで撮影を開始しました。トラクターが荷物を運んでくると待合室前に停車しますのでわらわらと荷物に群がり自分の荷物を探します。(一応baggage claimにはターンテーブルがありますが出番は無さそうです・・・)空港を出るとお馴染み「大滝カントリークラブ」のバスが待機していました。2年前、751空の皆さんとラバウル観光したのもこのバスでした。


 新ラバウル空港ことトクア空港

 トラクターが荷物を運んでキタ

 ラバウル旅行者は必ず乗る?
「大滝カントリークラブ号」

まずは本日の宿泊地ココポ・ビレッジリゾートへ移動。チェックインしますが部屋の準備がまだ出来ていないとの事でフロントに荷物を預け朝食を取り、「大滝カントリークラブ号」でラバウル観光ツアー出発です。

まずは大発洞窟にて大発を見学、入り口の1隻だけを見ましたが奥へ行くと全部で5隻の大発があります。
今回同行のM氏は大発に関わっていた方で、潜水艦の甲板に大発をくくりつけ浮上後エンジンを取付てガ島へ物資を運んだとの事でした。
つぎに西吹山の裏を通りココポ街道をラバウルへ向かいます。
以前は丸裸の山肌を見つつ火山灰でガタガタになった道を砂塵を巻き上げ進んだ記憶がありますが、道はすっかり整備され山は緑に覆われていました。
ラバウル市内にはいるとパラパラと通行人が見えますがサビシイ感じです。メインストリートのマラグナ通りからマンゴ通りに入りと建物は殆ど無く噴火により埋まったままです。
官邸山へ向かう道を登り平和記念碑へ向かいます。この道は噴火によるダメージで深いクレバス状に崩れたままになっており、使えなくなった道の横に作られた道路を登りますが、舗装されておらず、片側は深いクレバスですからその内崩壊するのではないかという気がします。実際、直しても火山灰でできた土壌は雨が降る度に崩れて元通りの荒れ地に戻ってしまうとの事でした。

前回訪れたときは「日本軍ラバウル上陸60周年」の式典のため平和記念碑もキレイに整備されていましたが〜今回は方々にラクガキがされ何となく荒れ果てた状況となっていました。

慰霊祭を終え東飛行場に向かうと・・・何たることか!・・・かつての滑走路は最近植樹されたようで(壊滅した叔母山の麓も植樹されていた)高さ1M程の木が等間隔に並んでいます。これでは何年もすればジャングルに覆われてしまうでしょう。
あま良くば滑走シーンの撮り直しを予定しておりましたが、もう車が走ることは出来ません。
おそらく濛々と立ち上る火山灰を防ぐためなのでしょう、が・・・60年前と殆ど変わらない風景・・滑走路から望む花吹山がもう見られないかと思うと残念です。

東飛行場の見所は、旧松島に放置されている97重爆と零戦(と言われているが機種不明)残骸ですがこちらも保存されているわけではなく荒れるがままでいずれ姿を消す事でしょう。
以前は滑走路脇からジャングルに徒歩で入るとすぐに見ることが出来た97重爆も近くまで車が乗り入れられない為、ジャングル道を大回りして向かいます。
しかし、途中倒木により進むことが出来ず、700M程徒歩となりました。滑走路からジャングルの入り口まで行けたときはせいぜい2-300M程度だったと記憶していますが・・なにぶんジャングルの中で見通しが利かないのでなかなか見つかりませんでした。位置を計測したので行かれる方は参考にしてください。緯度-4度13'31.06"/経度152度10'50.85"。

 潜水艦に大発を積みガ島へ
行った様子を語るM氏

 火山灰に埋まる97重爆
位置は緯度-4度13'31.06"
経度152度10'50.85
"

植樹された東飛行場・・・この画角で花吹山を見られるのもあと数年か?
・・残念


東飛行場の後、ヤマモトバンカーへ行き中に入りましたが、こちらも電気はつかず地下の床は10CMほど水が溜まっている状況で、あまり人が来ていない雰囲気でした。とりあえず「夜間戦闘機哨戒位置」などの図が描かれてトいる小部屋を見て前回泊まったハママスホテル(バーの天井に99式2号銃が吊ってある)で昼食を取りました。(ヤマモトバンカーの鍵はハママスホテルが持っているので見学するときは借りる必要があります)その後、ラバウル港で爆撃を受けそのまま桟橋になってしまった小牧丸(わずかに舳先の構造で船であった事が分かる)を見て景色の良い火山観測所などラバウル近郊の定番コースを回りました。

今回は時間の関係で中攻ファンには見逃せない旧西飛行場跡は通過するのみとなる予定でしたが.....、西飛行場敷地内にて「大滝カントリークラブ号」が水たまりの中にあった穴に車軸まで落っこち動かなくなると言うアクシデントが発生!
予期せずして西飛行場に降り立つことができたのですが〜そんな場合ではありません!!!。
近くから角材を拾ってきて後輪の下に挟み込みますがタイヤは滑るばかりです。
そのうち周囲の村から人々が集まり、水たまりの中に入ってバスを押し上げようとしてくれますがなかなか脱出できません。元陸戦隊のN氏も靴を脱いで水たまりに入ります。(こういうことも多いのでタオル、着替え、サンダル等は持ち歩いた方が良いです)再び大勢で押すと何とか穴から脱出に成功!!!。歓声が上がりました。
その頃やっと救助のトラックが到着しましたが付近住民の皆さんの親切にはホント驚きました。それから咄嗟に水たまりに飛び込み転倒して泥だらけになった元陸戦隊のN氏の行動力にも驚きです。また、頼んだわけでもないのに泥だらけになったN氏の為に数百メートルも離れたところから水を汲んで来てくれた奥さん方にも感激しました。
ホント、ラバウルの皆さんは良い人ばかりです。


「大滝カントリークラブ号」
最大の危機!トホホ・・

 みんなが助けに来てくれたゾ!!

 明るくて気持ちのいい連中だなぁ

予期せぬイベントに戸惑いつつも多くの村民に見送られ「大滝カントリークラブ号」はココポへと帰るのでした。その後ココポの戦争博物館にも行くことが出来、一式陸攻操縦席と感激の再会・・・今度はしっかり採寸してきました。
明日からはいよいよメインであるブーゲンビル島に渡ります。
現地では4WDの車に分乗してジャングルを踏破するため荷物は3日分の最小限とする必要があり、機材、着替え、防虫薬等医薬品を揃え就寝しました。


一式陸攻11型操縦席
さらにボロボロに・・・

 今回の目的の一つ、操縦席採寸
ノギスを持ってきたのに
トランクに忘れた・・失敗

見る人もなく朽ち果てる零戦
 
(4/15)驚愕のイス入手!!

 


驚愕のイス」の座り心地はイカガ?

突如ヤフオクに現れた謎のイス・・・コレ!一式陸攻の無線席ジャナイノ?????。
すかさず(知る限り1枚しかない)無線席周りの写真を再確認・・・四角く波板の脚部、小さな背板・・そして三菱のステンシル・・・ガクガク可能性極めて高し・・・。しかしながら大御所A氏が入札中。これは参戦するわけにもいきません。
新規参入もなく様子を見ようと思ったところで後半怒濤の如く複数参戦。結局二度と見られないのではと我社も参戦、落札しました。
後日A氏より私が参戦したので入札を控えられたとの事、真に辱(かたじけ)なし。

唯一の写真と思われる木更津空での訓練風景・・・そして丸印が無線席
 
(4/10)「日光戦隊サンバイバーりろーてっど」を観た!!

 

コーヒーハウス「邪宗門」前にてジェームズ氏と・・・タダ者の喫茶店では無い!!


火縄銃コレクション
これが「踏み絵」ダ!初めて見た。

今日は、待望のサバイバー・パンクス8th ライブ「日光戦隊サンバイバーりろーてっど」を観に行ってきました。今回は下北沢から歩いて10分程にある東演パラータと言うという劇場で浦安から1.5時間くらいなんですが・・・・実は・・・・先週の土曜日、何を間違えたのか行っちゃいまして予期せぬ事態に受付で目を白黒させたりしました。
しかしながらその甲斐あって今回は間違いなし。
入試の事前確認のように下見済みですから複雑な道のりも難なくクリア!??バッチリです・・・・・・・。

いつも一緒に行くあきやまくんは3日間徹夜作業で出動ならず、今回はジャパニメーションマニアのジェームズ氏を誘って行きました。サバイバー・パンクスの公演はいつも満席なので前列を取るべく30前には入る予定でしたが勢い余って開場10分ほど早く到着したので劇場の前にある喫茶店に入りました。・・・と!目に入ったのが大量の火縄銃!!!!さらに目をやるとチェーン・メイル(迷惑メールの事じゃなくて鎖帷子の事!)、鎖がま、万力鎖等々忍者道具の数々を展示した骨董喫茶だったのです。もう日本マニアのジェームズ氏は大喜びで目をキラキラさせて喜んでました。いや〜スゴク掘り出し物の喫茶店です。マスターが大の美空ひばりファンと言うことで「ひばり」コレクションも見せていただいたのですが〜こちらもナカナカ・・・武具の部屋の隣が「ひばり部屋」になっていて極端な指向がいい味出してました。注文したコーヒーを飲むのも忘れマスターの蘊蓄を聞いていたら開場10分前どころか開演10分前となってしまい、急いでコーヒーを一気飲みすると喫茶店を出て劇場に入りました。

今回は「日光戦隊サンバイバー」の続編・・・思い起こせば昨年4月、徹夜徹夜で「日光戦隊サンバイバー」オープニングは作ったのものの作業中に奥さんが緊急入院、結局行けなかったっけ・・・時が経つのは早い。

それはさておき続編です。相変わらず真面目とナンセンスを冴え渡るアクションで叩き込み超高速でクライマックスに突入する演出はサバイバーならでは・・・涙流して笑いました。格闘家にしてアニメオタクのジェームズ氏も大満足のご様子でヨカッタヨカッタ。次回作にも期待です。

サバイバー・パンクスさんのウェブサイトはコチラ
要チェックです。

 
(4/9)なんだか面接気分?!

 

「桜と零戦」靖国神社にて
今日は、縁合って出版、番組制作、映画制作/配給を行っている某社の社長とお食事に行ってきました。
普通であればお会いできるような方ではないのですがネットで知り合ったF氏の紹介で席を設けていただけたという、ホントに縁合って・・と言うのはありがたいことです。
F氏とて某大手CG会社の取締役ですからネットがなければ知り合う事もなかったでしょう。もう10年近く前になりますが私のいた前の部署なんかは完璧なるカースト制(!?)もしくは旧軍体制で上官に意見具申なんかしたら怒られちゃったりしたわけで、上司と私的に会うなんて関係は未だ億劫だったりするワケですが・・・ヒジョ〜にオープンな社風で番組を見ても総合プロデューサーで社長がクレジットされている具合で正に陣頭指揮、社員の士気の高さも伺えます。

氏曰く「ウチは小さな会社だが取引相手は一流だし製品も一流を作り続ける!」と言う話しなど私なんぞインチキな映像ヲタクが聞くには勿体ないお話でした。

F氏様社長様貴重な時間をありがとうございました。

話は変わって、某社所在地が九段下だったので1年ぶりに遊就館の零戦を見に行ってきました。
桜も散り初めてましたが良い感じです。
靖国神社と言うのも年に1度くらいしか来ませんがアジアの観光客が結構多いのですね。

 
(4/3)急げ!準備

 

1月末に決めたニューギニアリサーチですが早くもあと2週間後となってきました。
今回はともかく、ブーゲンビル/長官機と言うことでニューギニア戦記、ブーゲンビル戦記、山本機遭難に関する図書を集めて読んでみました。古本屋に注文した本がバラバラ来るので1日1冊読破のペースです。

訪問の目的は破損状態の確認ですが消えた胴体機首部分がどうなったのかが最大の関心事です。
長官の最後については蜷川親正著の「山本五十六検死ノート」に詳しいのですがその後の長官機についての情報はありません。「写真集ラバウル」の著者板倉氏に相談したところ「山本五十六自決セリ」の一読を勧められ読んでみると・・・
「機体は埋められた(土をかぶせた)」とあります。
本のやりとりでも「信じられない」とありますが、一式陸攻を埋めるには相当な土が必要となります。爆砕も考えられますが尾部、翼、エンジンが現存し埋めた意図を鑑みてもすっきりしませんし・・ポートモレスビーの国立博物館には長官機から取り外した(と言う)イスと昇降ドアが展示されています。
これは現場を確認し
「現存しないことを確認する」・・をしないと治まりません。

今回は雨期(4-9月までが雨期)にジャングルを歩く必要があり、ビデオ機材の防水、ハンディGPSの準備をしました。加えて・・つまらない好奇心ですが長官の遭難した日、即ち18年4月18日、墜落した長官機捜索に出かけた(当初墜落したのは米軍機と考えられていた)浜砂中尉一行は墜落を目の当たりにし、しかも僅か数キロ先に煙を確認していたにもかかわらず3度も道に迷い結果的に1日目はたどり着け無かったという怪奇な事件に遭遇しています。・・・山本大将の検視を行った蜷川軍医のメモによると、どうやら不時着した18日には生存していた可能性は高く、墜落地点はアクの駐屯地から僅か4KM・・道に迷わなければ1時間の距離であったことを考えると「その時歴史が動いた」瞬間だったと言えます。
これは、国産のコンパスを赤道近くで使ったため針路を間違えたとされていますが・・・どうも納得行かない話しです。そうだとすればソロモンに展開した陸軍部隊は全て針路を誤る事になります。
そんなわけで、国産のアンチークなコンパスと携帯用GPSを用いて浜砂中尉の足跡を検証したいと考えます。

今回のリサーチで秘密兵器となるハンディGPS。精度は意外と高く歩き回って地上絵を描くことが出来た。勿論、パソコン上の地図と連携する。

それと前回下痢で死にそうになった(?)ので下痢止め・・その名も「ゲリピタン」(!)とマラリア対策として強力な米軍使用軍用虫除けクリーム「ムシヨラン」(意訳)を入手しました。すでに遠足前夜の気分です。

ビデオ機材は池上のドッカブルをメインとしてバックアップにSONY のVX-2000を使います。なにせ1人なので機材省略のためビデオライトは最近発売されたLEDライトを購入。(VX-2000 用のバッテリー1個で数時間点灯可能)
この所カメラ関係は毎回トラブルので今回は事前にテスト撮影やバッテリー使用可能時間を実測していたところトンデモナイ欠陥を発見!。

突然ドッカブルデッキがテープを巻き込み新品のDVテープ2本を粉砕したのです・・・・・。まだ2週間というのがせめてもの救い・・・すかさずサービスセンターに送りました・・・・

・・・・・・あいかわらずイベント多いよ!!!!

 
<番外編〜フタを開けたら26000円!〜>

壊れたカメラのデッキ部(カメラは池上製、デッキはソニー製のDV−CAMを合体させている)ですがドア・TO・ドアで僅か3日で修理完了。手元に戻りました。恐るべき早業・・・・一次は「なんだ!緊急を要する業務用の世界で土日休みかよ!」と悪態をついたのですが、これならばイザと言うときも安心です。

トコロガどっこい!見積もりを見て仰天。技術料26000円!。
部品代を合わせて税込み40、688円也
ヒョエ〜痛タタタタ・・・・。
緊急を要する業務用の世界・・コレが相場か!
年中無休24時間営業即日返却なら納得行くが・・・土日休みの受付17時まではヒドイ・・。

 
(4/1)B-2 保育園入園式

 


お約束の記念写真

遂にというか然るべくしてB-2も1歳にして入園式を迎えました。これから1年生までの6年間、送迎、オムツ他備品のセット、毎週金曜日の布団交換、保育園行事の参加等々イベントが増えます。

B-1は3年生と言うことで手間がかかんなくなったトコですが・・
「振り出しに戻る」感じです。
6年後にはきっとまた「卒園ビデオ」とか作る事になりそうなので、素材的にガッチリ撮影してきました。
(すでにやる気十分か?)

・・・それはさておき6年後なんていうとVHSはそろそろ死滅してディスク世代になるのでしょうか。ハイビジョンが普及してDVすら無かったりして。
 
(3/31)パソコン不調続く・・・

 

定期的に調子の悪くなるパソコンですが、今度はハードディスクの不具合と言う最もオソロシイ現象が多発しています。今回はどれもこれも怪しいと言う途方に暮れる状態・・・現在繋がってるHDは世代もメーカーも異なる40-230GBが7台で合計800GBほど。まず最も古い40GBが不調となり(「紺碧の全データを含め最も重要なデータが入ってる)他のHDに移したところ双方に問題がありデータのバックアップが正常に行われないことが発覚。
その後、OSをXで起動しバックアップを試みたところ一部HDをマウントできない事態が発生。
「紺碧〜」資料の一部が失われてしまいました!ギャ〜!!!。次はより容量の大きいHDを購入しバックアップ体制を整えるべきでしょうがキリの無い話しです。まぁHDは消耗品ですからショウガナイとは言えホント頭のイタイ問題です。

追加情報(5/1)>結局、忙しく読みに行くと確実にトラブルを起こす40GBをハズしダマシダマシ使っていましたが、内蔵の起動ディスクを読み行くときに「カコン!」と言う異音が出る事に気づき、意を決して交換してみました。・・・・・すると・・全て問題解決。古い40GBも復帰してしまいました。マサカ起動ディスクだったとは・・・バックアップ中に失われたデータはまさに2次災害です・・・・

 
(3/27)芝居見物に行く

 

今日は、山下規介氏出演の「気まぐれ道中」を観劇に新橋演舞場に行ってきました。
今回は作・演出が巨匠ジェームズ三木氏ですから親子競演ですね。銀座に出るのも久しぶりなのでMacユーザーの「聖地」(・・らしい)銀座 アップルストアへ行ってきました。(・・と言ってもスーパーとか果物屋じゃなくてパソコン屋です。念のため)先日もドイツ人のMac&日本軍ヲタク友達のJ氏から「銀座 アップルストアへ行ったか?!」なんてメールを貰ってましたので日本より肩身の狭い(?)海外Macユーザーの注目度も高い様です。
店舗の外観と内装はメタリック&透明&内照でまさにMacなデザイン・・。そして中は「Macファンの熱気でムンムンだっ!」・・と言う様相でした。意外だったのが割と高齢のマダムが多かった事・・。
せっかくナンデ、先日買ってから「甘かった!」・・と思った「サウンドトラック」と言うソフトが「結局の所、使える音楽は作れるの???」と言う素朴且つ根本的な質問をしてみました。
・・一応デモを聞かせて貰ったのですが・・・・・・・・「甘もうございました」。プロが作ればそれなりのバランスになりますがやっぱり似たような曲になってました・・・。まぁこういった疑問をぶつけられるのがアンテナショップ(死語?)の良いところでもありますが・・こう製品が一堂に会しすると・・製品、使い方共に選択肢が少なく製品としての魅力が少ない印象を受けるのは気のせいでしょうか???。

それはさておき、15:20ごろ新橋演舞場に到着。すでに大勢の人が集まっています。とりあえず30分前の開場を待って予約してあったチケットを入手。一旦外へ出て楽屋を訪ねました。またも開演ギリギリの訪問となってしまったのですが〜ホントいい方で開演直前までバカ話しに付き合ってくれました。
続きは公演終了後と言うことで席に戻りはじまりはじまり・・。

公演後近所の飲み屋で規介氏(右)&後援会長(左)後ろで一杯のビールで赤くなっているのが私。別にテレているワケではない・・・。

ストーリーは坂本冬美さん演じる町娘「お雪」が「月姫」の政略結婚の替え玉として他藩に嫁がされそうになるが〜江守徹演ずる絵師にして実は義賊の仁斎が「すり替え大作戦」を決行。見事成功するが正体がバレどうなることかと思いきや・・・シナリオの妙、最後は全て大団円メデタシメデタシと言うもの。
周到に仕掛けられたキャラクター配置とギャグに会場は大爆笑でした。

山下氏の役ドコロは「月姫」の嫁ぎ先「高遠家」の若殿と言うか「バカ殿」。これまた志村ケンもビックリ「衝撃の”バカ殿”」役・・トコロが実は仮の姿。「月姫」すり替えを密かに察知した若殿は正体如何にと「月姫」に太刀を向ける・・このあたり「月姫」と「お雪」の対比と同様キャラクターのコントラストを極端に上げ喜劇と言えどドラマ性が盛り上がります。・・これまたシナリオの妙。あっという間の2時間半でした。

公演後、山下氏と氏の後援会長S氏と3人で飲み屋に行き刀の話しになりました。劇中、刃を向けられた月姫が「太平の世に軍略で阿呆を演じるとは哀れな」・・みたいな意味の台詞があるもですが、向けられる刀は太刀になっているそうで抜き方を変えているとの事でした。徳川時代になって戦が減り侍の刀も様式化していくわけですがそんなご時世に軍略で阿呆を演じ太刀を抜くと言う描写がセリフとして語らなくとも若殿のバックグラウンドを充分に伝えています。「月姫」私も幼稚ながら「モノは語る」と常々感じておりますが興味深い話しでした。
 
(3/26)定例バラマク会は惨敗!!!!

 

小雨の降るなか深ピー氏と定例「鉛をバラマク会」(・・と言っても今回2人だ)に行ってきました。定例と言いつつ深ピー氏とは同じ職場なので忙しいのも一緒と言うことで2カ月ぶりです。
しかも天気はグズり気味・・。ともあれ8時出発で射撃場到着は9時ちょいすぎ。天気も悪いし貸し切りか?・・と思ったら先着2名が1ラウンド目を射撃中でした。いつも弾を残したくないので、射撃場で買っているのですが今回は4ラウンド(1ラウンドで25枚のクレーを撃つ)で125発!・・と決めていったのですが〜〜〜〜1ラウンド目、マサカの(?)5発連続失点にて10発バラ撒いてしましました。
まさに会の趣旨通り・・。
結局どういうワケかスコアは9,11,12と辛うじて一桁は脱したモノの3ラウンドで弾は底をつき散々な成績です。

結局3ラウンド撃って残弾1発!・・消費量的には良かったのですが・・。
(実弾を持ち帰るのってナンカ不安なので出来るだけ撃ち尽くすようにしてます)

深ピー氏もメガネを忘れて・・・轟沈でした。

午後からは仕事の打ち上げがあり、浦安のホテルで深ピー氏と再会。
〜〜〜〜また次回ガンバりましょうね〜と固く誓う2人なのでした・・・。

 
(3/25)日本沈没15〜25話最終話を観た!!!!

 

激安で入手した日本沈没VOL.1ですが、その後VOL.2は見つからず(あっても結構高額)コノ盛り上がった「日本沈没」マイブームをどう治めようか考えていたのですが・・・待てヨ!?東宝特撮と言えばヲタク道を極めた人物を思い出しました。
そう・・プロモデラーの
村尾ゴジラ氏です。
早速問い合わせると「あるぞ!」・・との返事で早速お借りしました。持つべきモノはヲタク友達です。しかも、ナナ・ナ・ナント
「2つあるからヤル!」とばかりに幻と言われた「バンダイ・マスコミシリーズNO,123”フランス深海潜水艇ケルマデック号(ゼンマイ動力)」をタダでい戴いてしましました!
ヤフオクでは数万円すると言う「幻プラモ」なだけに感謝感激です。これで数年前これまた村尾氏より譲って貰った
「バンダイ・マスコミシリーズNO,124”深海潜水艇わだつみ号(ゼンマイ動力)」と会わせ日本沈没2大メカが揃いました。

サスガは村尾ゴジラ氏太っ腹です

ヨカッタヨカッタ。

とは言え、あまりに希少且つ高価なアイテムであると同時に見れば挫けるメロメロな造形に「作りたいけど作れない」難物プラモである事もこれまた事実です。

10年以上前、村尾ゴジラ氏と東宝スタジオへ行ったおり今は亡きミニチュア倉庫にて「わだつみ」と「ケルマデック(セイル周りが無く小野寺がカプセルで脱出した状態のまま?)」の現存を確認しましたが・・・その後どうなったのでしょう????。
もし現存するならばリサーチし直して1/12とかで作ってみたいトコロです。

それはさておき15〜25最終話ですが〜。

人間関係や組織、事件などジックリ描かれる前半とは対照的に後半は怒濤の如く毎回毎回沈んで沈んで沈みまくります!。正にご当地沈没モノ・・・。ストーリー展開が加速したため前半「日本沈没」を疑い執拗に追跡する辰野記者(田中邦衛)が姿を消し・・学者で唯一田所博士(小林佳樹)を助ける幸長教授は海外に行ったっきり・・敵対する山城教授もいなくなって対人関係を大幅に整理、そして大詰めも大詰めラスト3話にして重要なキャラが新登場!D計画解散と共に新たに設置された脱出実行委員会の国枝教授で脱出経路の確保のため無傷の東京を爆破しまくります・・・。
そして25話最終回。いつのまにか(たぶん原作では作品のテーマを語る重要キャラ??)渡老人がいつの間にか死んでいて・・前半で伏線として仕掛けてあった田所博士と実娘との涙の再会に続き正に怒濤の如く最後の15分に突入するのでした!!!。

はたして壊滅し水没しつつある東京に取り残された小野寺(村野武憲)と阿部玲子(由美かおる)の運命やイカニ!!!

もう!みんな!このドラマを見よ!見なさい!!・・・だ。

 
(3/24)イノセンスを観た!!!!

 

ついにイノセンス公開!・・と言うことで観に行ってきました。どういうワケか近所の映画館では午後の上映が無いという謎の仕打ちで会社帰りにイケマセン!。春休みなのでチビッコ達にターゲットを絞ったのか????それとも初めからコケルと確信を抱いて弱気の上映スケジュールなのか???。幸いにしてここのところ平日休みが多いので9:30の回に行ってきました。客入りは30人程度・・・平日の初回しかも浦安ですからこんなモノでしょうか???。

内容はと言うと映像的にまた新たなスタンダードを作ってしまった!・・と言えるほど良い映像です。内容的には好みもあるので分かれるでしょうが、押井監督作品は商業作品的に洗練されない偏りも確信犯的でそこがまた魅力と言う部分もあるような気がして、食い足りない部分は観客側が補完する・・せざるを得ない・・・そんな掟破りのオモシロイ作品となっています。

毎回同じジャン!・・と言う向きもあるようですが、押井監督ファンの私としては「うる星」「パトレイバー」で描きたかったであろう世界にやっと技術が追いつきはじめたと言う印象を受けました。

実写は俳優のキャラや現実世界との対比と言う制約から100%監督の思い描く画が再現できるとは出来ないと思いますが、アニメは画であると言う制約はあるモノの最も人間に刻まれたテンポやイメージに近い形を再生しうる手段と思われます。特に、技術的なことは分かりませんが仕上げの行程が大きくレベルを変えています。

ともあれ「オススメです!」

よけいなお世話ですが、上映前に流される「スチーム・ボーイ」の旧態依然とした画とどうしても比較する事となり「スチーム・ボーイ」はすでに大苦戦の様相です。〜まぁ私的には観に行く予定ですが・・。

 
(3/17)祝!ジェームズ氏帰還&米国版ゾンビサントラ発売なる!?

 

昨年9月来日したジェームズ氏(自主製作映画友達)が今月再来日したので半年ぶりに会いました。
日本で就職できると良いですね〜。我社にとっても重要な役者でありスタッフですので成功を祈ります。

本日、ゾンビ仲間のF・オゼキ氏から「ロメロ版ゾンビ」のサントラが出る!・・との情報を戴きました。これまたビックリ!(最近ゾンビづいてます)。発売は、レアなサントラを発掘し企画販売する英国のMovie Grooves社。発売は5/19とまだ先ですが〜すかさず予約しました。同社の事はゼンゼン知らなかったのですが限定で「DAY OF THE DEAD」ボーナストラック付きCD等も発売していたのですね。すでに入手不能との事でこりゃまた大失敗!です。

 

2004/5/19発売!詳細はMovie GroovesをC'K!

トラック・リスト

1 .The Gonk ・・・・・・・・・エンディング(スーパーマーケットBGM)
2 .Cosmogony Part 1・・・・・オープニング
3 .Sinestre・・・・・・・・・・神父登場
4 .'Cause I'm a Man ・・・・・州兵によるゾンビ狩り
5 .Figment's Park ・・・・・・飛行場
6 .Mask of Death・・・・・・・スーパーマーケット?
7 .Scarey 1 ・・・・・・・・・スーパーマーケット・・かな?
8 .Scarey 2・・・・・・・・・・(視聴ファイル無し)
9 .Dark Earth・・・・・・・・・ (視聴ファイル無し)
10.Mall Montage Scene (We Are The Champions), Ragtime Razzamataz, Tango Tango, Fugarock・・・モール内物色シーン
11.Barrarge・・・・・・・・・(視聴ファイル無し)
12.Desert De Glace ・・・・・・妊娠したフラン・・かな?
13.Sun High・・・・・・・・・ なんだっけ????
14.Dramaturgy ・・・・・・・(視聴ファイル無し)

 
(3/14)飛行機ジャンク市見物

 

今日は栩野師匠と成田航空博物館で開催中の「航空ジャンク市」に行ってきました。10時オープンと言うことで1時間前に浦安を出たのですが〜結局道に迷って10分ほど遅刻。ジャンク市と言う位なので、大型機が展示してある広場でフリマ見たいにやるのかと思いきや・・。着いてみると整理券アリのナント271人待ち!!!!!旅客機ファンをナめてましたスミマセン。

ジャンク市の内容はと言うと・・・計器や部材など旅客機のジャンク部品(だが結構高いと思う)に機内食の食器、スチュワーデスのエプロンなど航空会社グッズ等々・・・旅客機ファンには多分たまらない品々なのでしょう。
特に「アッ!!」・・と驚くモノもなく無駄使いせずに済みました。
残念だったのは、リニューアルしたDC-8のシミュレーターがお休みだったこと・・・私的にはコレがメインだったので〜とても残念。しかしココにはプレーンズオブフェームで撮影されたの零戦シミュレーターがありますので師匠と乗りました。外から見てるとさぞかし変なおじさん2人組だった事でしょう。
それはさておき、2Fに上がるとナント!新たな展示品として「零戦コクピット(ご自由にお乗り下さい)」がありましてチビッコに大人気でした。作りは金属製でしっかりした出来ですが、外観はそれほど実物に忠実な仕上げと言うわけでなく、そんなに拘りは無いのかな〜・・と思えば98式射爆照準器(レプリカ)が付いてたり、米国製ですが本物の計器が付いていたりと妙に手間がかかっていたりとまるで映画用のセットのようでした。・・・と言うことで早速、栩野師匠に出演依頼をしているカット・・零戦のコクピットから飛び降りるシーン・・・を試し撮りした所・・サイズ的にイイカンジでした。

グルリと展示を見て1Fに戻ってみると先程の混雑は消え「ジャンク市」会場は出入り自由となっていました。何て事は無い、最初だけだったようです。

帰りにアラマント社で時間をつぶした後、ウワサの「バクレツパイナップル」へ行きました。カスタム・ガンの世界はあまり縁が無かったのですが・・・なかなか奥が深そうです。

 
零戦に乗れるのは世界でココだけ!?零戦フォトロケ

これまた零戦に乗れるのは世界でココだけ!?零戦シミュレーター
 
(3/13)「日本海軍航空隊/軍装と装備」に感激!!!

 

日本の出版物は絵画や写真を用いて情報を伝える・・と言う手法はどうも苦手なようで主題が弱く説明の意図が伝わらない写真や、挿絵の使い方がオマケ的であまり意味を持たなかったりと問題アリアリの構成を多く見かけます。日本軍モノって客層がかなり(?)固定化しているせいか内容的にもビジュアル的にも安直な企画が多く、値段の割に内容が薄かったり資料の羅列だったりと傾向として「見てオモシロイ本」が少ない事が気になっておりました。

そんな今日この頃、スバラシイ本が出ました。
佐藤繁雄/邦彦氏の
「日本海軍航空隊・軍装と装備」です。まず、ともかく情報の密度が濃く相当なリサーチを伺わせます。そして特筆すべきは絵画的手法でボカしたり誤魔化したりする事無く丁寧に描かれた図版です。構成も美しく日本軍モノで「ページをめくるのが楽しいナ〜」・・・と言う本は有史以来初でしょう!?。例えるならば、幼き頃感動したカラー図版満載の昆虫図鑑に匹敵・・とでも申しましょうか・・・ともかく大絶賛!
お勧めです!!!

 

表紙は高荷義之画伯!スバラシイ!(有)モデルアート社モデルアート4月号臨時増刊 2300円

・・・・メカマニア的には計器がズラリと並んだ絵を見るだけでもウットリ(!)
※写真掲載に関しては著者の佐藤邦彦氏に了解を得ています。
 
(3/12)「日本沈没」マラソン上映?

 

「日本沈没」の登場人物はカナリ濃いです。第一話では結構戸惑うトコロですが・・・これに馴れると現代ドラマの演出や登場人物達が皆腑抜てヘニャヘニャに見えてくるから不思議です。

1月から始まった多忙なシーズンもそろそろ一段落。今週は久しぶりに連休なので買い置きしてあった「日本沈没」TVシリーズ1〜14話を見ました。コレ、古の中古LDボックスを3000円で買い求めたモノですが、久々見るLDのデカイ事と片面1時間と言うスペックに・・時代を感じました。

古いと言えば「日本沈没」も放送からはや30年(!)多分私が見たときは小学校の高学年だったと思うので再放送だったと思いますが、ミニチュア特撮によるスペクタクルシーンに加えアカデミックな(??)設定や当時流行った潜水艇の活躍 に感激し、国土を失った事によりあぶり出される日本人のアイデンティティと言うモノに小学生ながら頭を悩ましたモノです。加えて、劇画:さいとう・プロのマンガ版「日本沈没」全4巻もボロボロになるまで読み、挙げ句に資料性の高い場面(????)を切り取ってスクラップしてしまう程、アラマント兄弟を虜にしました。

そして、山に入っては「ダムが決壊するぞ〜」と叫んで小野寺ゴッコをした事を思い出します。・・これは第8話「怒りの濁流」・・と言う回がモトネタでした。他にも、ケルマデック号が海底洞窟で失われた古代遺跡を発見する話し(第9回「海底洞窟の謎」)などウルトラQ的要素も子供心を惹き付けました。

ともあれ、今見るとかなり強引な展開やコンピューターの描写など時代的に笑えるトコロも満載なのですが・・・・根底にある作り手の熱い気持ちが伝わり未だ名作に違いありません。
LDボックスのVOL,1は1〜14話までの収録で、ストーリー的には地方の市町村に続き遂に京都が全滅。異端者扱いされていた田所博士が徐々に認められついに首相はD1計画のD2への移行を決意・・と言った盛り上がり部分で、ますます面白くなってくるトコロで終わりです。

コレハ是非VOL,2も入手せねば・・。

 
(3/9)今年もセ〜〜フだ確定申告!!!!

 

毎年どういうワケかギリギリになってしまう確定申告ですが、今年も然り。特に今年は平日に休む事が出来ず結局、申告会へ行けたのが締め切りの前の週になってしまいました。皆さんそんな様子ですから、もうメチャコミ。内容確認と提出に2時間を要しました。とは言え終わってしまえばこっちのモノ。ゴキゲンで家路についたのでした。

しかし不思議と込んでいたのは11:00頃まで。
来年は11:00頃を狙っていこうかな???。

 
(3/6)村田ちゃんブーム到来!!!!

 

週休二日制が定着してはや何年。現在約88%の企業が各週とか月イチとか何らかの形で導入しているそうですが、私の周りではまだまだ少数派。それもそのはず完全週休二日制を実施している会社なんてのは全体の1/4程度ですからウチなんかアマッチョロイ商売だな!なんて反省しております。
んが、・・ここ数週間「単休」が続くとエラク「損」してる気になってくるから贅沢なモノです。とは言え相変わらず朝早く深夜又は朝帰ってまた会社・・と自由時間は少なく、そろそろケツに火がついてきた確定申告の準備もままなりません。こう時間が無くなって精神的にも差し迫ってくると・・・現実逃避の現れなのか?何なのか?急に部屋の模様替えをしたくなったり、妙に気になるモノが現れて急速に「ハマ」ちゃったり・・・ますます時間を逼迫する結果を招きます。
ここ1週間ほど急速に見たくなってしまったのが
「村田ちゃん」です!。

(そう聞いて「ああ!あの村田ちゃんね!」・・と思った方は・・多分人違いです
そう!かの雨宮大監督の初劇場公開作品
「ゼイラム」に登場する登場人物の一人です。
たしかゼイラムはレーザーディスク発売と同時に購入したはず!すかさず書庫へ発掘に行ったのですが・・ブラックホールと化した深部には遂に到達できず・・・・代わりにゾンビのLPを発掘してニコニコ戻ってきました。
そうなると、ますます観たくなるモノ・・。
レーザーの時代は終わった!!!!!!・・・とばかりにAMAZON.COMでDVDを注文してしまいました。
そして翌々日到着・・。
実に10年ぶりくらいで鑑賞しました。

 
映画「ゼイラム」とは・・


細部まで作り込んだマニアックな設定と特撮で日本の商業作品では特筆すべき「マニア向け」映画の先駆け。ストーリーは宇宙を荒らし回る凶悪生物兵器のゼイラムが地球に向かうとの情報に女賞金稼ぎイリアが秋葉原に潜入、ゾーンと呼ばれる住宅街をコピーした無人の異空間で戦いまくります。・・で、コノ闘いに2人の電気工事屋さんが巻き込まれ・・宇宙兵器から原チャリ、パワーショベル・・軽トラで宇宙怪人と戦いまくる・・・と言うモノ。

自主制作映画野郎にはタマリマセンナァ。


・・・で、「村田ちゃん」です。
螢雪次朗氏演じる電気工事屋さん神谷の友人という設定で登場、「馬で儲けたから今晩モモンガで・・・」と言った僅か数秒のカットで交わされる台詞で「馬繋がりの飲み友達」である事が推測されるのですが・・出で立ちがスゴイ!。「イレズミ柄のスタジャン」です。あまりの濃いキャラ設定に主役のイリアなど遙かに凌駕しています。後半、行方不明になった神谷を待って一人「バー・モモンガ」でやや緊張気味にお酒をすする設定で再登場。モモンガのママとの会話がまたスゴク良いです。
そんなわけでこの10年、謎のキャラとしてず〜っと引っかかっていたのでした。

そして21世紀・・・マサカ「村田ちゃん」本人とお知り合いになれるとは思っても見ませんでした。いやはや人生ドコでドウ繋がるか分からないモノです。


ナント!アラマントニュース掲載用に写真を送って戴けました!恐縮デス!

「村田ちゃん」を演じた栩野氏
ゼイラム公開以降、特撮イベント会場で「村田ちゃんのコスプレだ!」と言われたそうです。・・ソレ本人だって!。

驚愕の袖部分ディティール。撮影用イレズミ師でもあるご本人の作。
 
(3/5)デモニアLive in Tokyoに再感激!!!!

 

オープニングの「L'alb Dei Morti Viventi(ゾンビ)」はトリハダモノだ!。お勧めです!

2002年10月「ゴブリン(現DEMONIA)」が渋谷と原宿で行った「ライブ・イン・東京」はファンの間では既に伝説と化していますが、当日録音された素材が一体どこから世に出るのか??・・出たとしても自主制作版かはたまた限定版か???いずれにせよ機会を逃せば入手不能のレア・ディスクとこの1年ズ〜ッと気になっていました。

ところが、ひょんなことで所在が分かりました。

何て事はない。
実は昨年8月より通常ルートで販売されており未だ入手可能でした。早速mazon.comで注文したところ2日後に入手できたのでした。

早速来てみましたが、音質も良く最高です。
また一つ時代が終わった!?。

 

ライブの様子(アラマントニュース2002/10/25号から採録)

帝王クラウディオ・シモネッティ
 
(2/29)ブタさん最後のえんそく

 

ブタさんを満載したトラック
通過する車が皆併走していた。
「レインボーブリッジだブ〜」「海底トンネルだブ〜」
「愉快だブ〜」

昨今世をにぎわしているのが米国狂牛病と国内の鳥インフルエンザですが・・な〜んかナンデ騒いでるのか論点が見えないでいます。
ただ分かってるのは「魚と豚の時代が来た!ついでにダチョウを喰ってみたい!」・・と言うことでしょうか?????。
先日、ひょんな事で県内に「ダチョウ農場」があって「旨いらしい」と言うことを知り気になる今日この頃です。

今日は徹夜明けで日本人形作家の安達さんの所へ雛飾りを見に行ったのですが、途中 首都高速でブタを満載したトラックが走っているのを見かけました。いずれ喰われる運命にあるとは言え、処刑日が早まった事に変わりなく「日米認識の相違で牛肉の輸入解禁には時間がかかりそうだブ〜」「それで処刑が早まったのかブ〜」「迷惑千万ブ〜」と悲壮な会話が聞こえてきそうでした。

それはさておき・・・お雛様です。
私は男兄弟ばかりなので必然的に雛祭りというのは縁が無く、間近で見るのは初めてだったのですが、66年前に作られたというお雛様はホント立派な物でした。これだけ大きい物(6畳間をほぼ占有)を飾るという事もそれなりのスペースが必要ですが、これを組み立てるのは相当大変だったのではないでしょうか??このスケールではもう「建設工事」です。高さ2m越えてますから安全帯とヘルメット着用です!。う〜ん組み立ててる絵が浮かばない・・・。

その他、お雛様周りに様々な貴重な人形が飾られており、趣味の造形者としてもたいへん楽しめました。またまた、イロイロおよばれしてしまい楽しい1日でした。また明日から徹夜だがんばろう。

なお、安達さんのお雛飾りについては下記(2/14分)ウェブサイトの「私のお気に入り」コーナーで見ることが出来ます。

 
(2/14)恒例、安達さん個展訪問

 

「せたがや梅まつり」の梅
今年は2/7-29まで

昨夜も徹夜で4時に帰宅、残業も1日10時間と忙しさもピークを迎えておりますが〜なんとか来週からは減少の見込みで(・・かな?)もう一踏ん張りです。少し仮眠を取り、昨日から開催されている人形作家の安達さんの個展へ行って来ました。

今年のメインは何と言っても70cmの市松人形です。
製作には1年以上費やしたとの事で表情から指先までスバラシイ出来でした。
日本人形は卓越した技術の他に素材と工法が特殊なので、便利な造形材料に馴れた私には恐ろしく高尚な技術に写ります。

帰りに近くの羽根木公園で開催されている「せたがや梅まつり」に行ってきました。
毎年2月中旬ですと開花は半分程度ですが かなり賑わっています。
これまた恒例ですが、今年も植木市でたくさん買い込んでしまいました。


安達さんのページはコチラ
個展情報はコチラ
我社に相応しい(?)植裁と言えば「カポック」2000円也
カポックの種子に生じる繊維はコルクの5-6倍の浮力を持ち、旧陸海軍の救命胴衣に使用された。完全装備の搭乗員(75kg)を約12日間浮揚させることが出来たと言う。

 
(2/8)モルモルさん狂期から目覚める

 

「サワッテ!!!」ケージを抜け出すモルモルさん

毎年恒例の「モルモルさん発情期=狂期」ですが今年は奥さんが育児休暇で家にいると言うこともあり、室温も一定で短期間の「狂期」が散発的に現れ2月にはいると安定してきました。まぁ、モルモルさんももうすぐ5歳ですからサイクルも変わってくるのかもしれません。

ともあれ、1月中旬から1ヶ月ぶりに正気に戻って撫でられるモルモル氏の勇姿でした。

 
(1/31)最初で最後のV・MAT???

 

栩野師匠からお誘いがあり東京タワー下東京アミューズメントセンターで開催中の「V・MAT2004 」へ行ってきました。ブイマット・・とはミリタリー&GUNのイベントで今年で12回目を迎えるそうですが、会場の東京タワーアミューズメントホールの閉鎖に伴い今回が最後となると言うことで私としては最初で最後のV ・MATとなりました。会場には10時に到着しましたがすでに場内は満員・・ベビーカーを押してではとても回れない状況でした。入場者の年齢層は高く平均年齢は30-40代と言ったところでしょうか???。早速、栩野氏のブースに挨拶した後、1周して日本軍モノを探したところ・・100式飛行時計が10万(相場かな?)14年式のオリジナル弾倉が約1万(オークションなら1.5-2万位?)タナカの日本軍モノ銃器が6万(オークションでは10万〜か??)・・と言った具合。

結局、ハードウェアには手を付けずスタジオワイ発行の旧軍資料の復刻版やウンチク本を何冊か購入しました。

栩野氏とB1,B2

解説する栩野氏

撃たれるV・MATスタッフ
棒状に血糊が噴出する
13:30〜は栩野氏の「弾着ショ〜」見物のためステージへ。2カメ撮影のお手伝いをさせていただきました。弾着は血糊の入った袋を遠隔操作の電気発火で破裂させると言うモノで、ナカナカの飛び散り具合でした。我社も何度か工夫して挑戦してみたモノですが電気発火や血糊袋を破るほどの発火と言うのが巧くかず苦労したことがありますので密かに感激しました・・。

その後、折角東京タワーまで来たので10年ぶりくらいに入りました。タワーの中はなんとも不思議空間で、外人向けの「日本風お土産物屋」や出来の悪さが不気味さを醸し出す「蝋人形館」、展示してる魚を売ってる「水族館」、ホログラム写真を並べただけの「不思議な散歩道」等々、他では見られない何か奇妙な施設が健在です。
最近はキャラクターの「ノッポン」(ピンクのウンコみたいなデザイン)導入等により近代化が行われたと思っておりましたが・・・大きな勘違いでした。・・日本を代表する(?)建造物の中は昭和30年代テイストが色濃く残る異次元なのです。


「弾着ショ〜」動画はコチラ
栩野師匠公式ページ>Movie>「M1ガーランド」「弾着4」にGO!!!


http://www.tochino.com/

 
<番外編〜折れたマイクは19000円!〜>

撮影当日移動中、なんとカメラのマイクが脱落!
音声無し収録となってしまいました。
構造的には挟んであるだけなので「たいして修理代はかかるまい」と思ったら大間違い。見積もりは「19000円(内、技術料15000)」だって!!

SONYのサービスってホント殿様商売ダナ!

 
(1/24)零戦計器板製作の第一人者中村氏と会う

 

「零戦パーフェクトガイド」の特別折り込みで紹介された中島製計器板。
中村氏が監修した銘板。エンボスが見事に再現されている。
残骸マニアであれば誰しも夢見るのが大戦機の修復です(?!)米国ではレストア用のジャンク屋さんや新造の大戦機を作るメーカーやレストアの専門誌があるほど一般的な趣味(???)ですが、日本では殆ど未開拓のジャンルと言って良いでしょう。
そんな中、トコトン研究して零戦計器板の完全再現を目指す「零戦パーフェクトガイド(学研 歴史群像シリーズ)」で有名な中村氏の事を知り、縁がありまして今日お会いしました。
氏は現在も零戦修復に携われており貴重なお話を聞くことが出来ました。
やはり航空機(・・工業製品全般に言えますが)が歴史的遺産の一部であると言うことが今のところ一般的でない事が将来的な保存に大きな脅威となっている・・と言う印象を受けました。文化財であれば保存科学と言うジャンルで当時の技術、保存環境、対象物の修理手法や保存方法など大系化されており、修復を専門とする業種もあるえわけですが、航空機に関しては専門家がいない・・体系化された保存手段が確立されていない・・なにより需要が無い・・と言うのが実状のようです。

今回、氏の監修された計器の銘板を譲っていただいたのですが、銘板一つ取っても、当時の技術、手法があるわけで、入念に実物を検証した後、オリジナルと同じく印字部分がエンボスとなるエッチングが再現されています。一般的には「たかが銘板まで・・」と見る向きが普通とも思われますが、文化財としてみれば銘板も貴重な史料の一部であり、氏のアプローチは評価されるべきでしょう。
しかも私財を抛ってのボランティアですから・・・氏の零戦保存に対する熱い情熱には感銘を受けました。

「零式艦上戦闘機計器板」
 
(1/28)2004年初撃ち

 

始終ゴキゲンだったB2。

写真では良く見えませんが〜この日、深ピー氏は最近購入した「水平二連散弾銃」で参加。
注目を集めていました。

今日は、仕事が振り変え休みだったので深ピー氏と奥さんとB(バブ)2の4人で成田射撃場へ行って来ました。
オリンピック・シューターの汚名返上とばかりに毎月1度は来よう!・・なんて固く誓ったワケですが・・結局は忙しくてそうもいかず、前回の「鉛をバラマク会射撃大会(?)」からはや数ヶ月経っていました。
まったくもって月日の経つのは早いモノです。
しかし、私などはマダましな方で奥さんなんかは〜もう5年ぶり位です。銃の所持許可と言うのは「撃つ」と言う目的に対して許可されるわけで、数年間使用実績がなければ許可を取り消される事もあります。
地域によっても異なるようですが5年はヤバイだろうと言うことで誘ったわけです。

とは言え今週9ヶ月になったばかりのB2を置いていくわけにも行かず・・・・射撃場では異例の「ベビーカー持ち込み射撃」となりました。
猟をする方ですと猟犬が発射音に驚かないように射撃場に犬を連れてきて音に馴らす・・と言うことをやるそうですが、やはりB2にも発射音に馴れさせておいたほうが良かろう・・・と言うことです。
結果は〜と言うとバンバン撃ってる後ろに連れて行っても全然動じず・・意外と心配する必要は無いようです。

・・・で、奥さんの5年ぶりの成果はどうだったかというと・・・・以前は私と同等(かろうじて10枚平均)だったのが・・・今回は「面白いほど当たらない」状況でした。私はB2をダッコしながらヘラヘラ後ろで見ていたのですが深ピー氏がすかさずバックアップしてくれまして2ラウンド目は若干アップ(?)致しました・・・。
私の方は思いつきで構え方を変えたところ5枚連続で撃破してしまい(私の場合連続5枚など殆ど無い)「このままでは満射か!?!?」と余計な心配をしたのですが6枚目以降は連続して外し、3ラウンドで15-13-14・・と結局はいつもの平均的枚数におさまってしまいました・・・(全くもって不思議だ)。
おまけに変なポーズを取ったため反動を逃がしきれず翌日はヒドイ筋肉痛に悩まされる結果となったのでした。
 
(1/23)平成の「撃墜王」山下規介氏と会う

 

恒例「わーいサインもらっちゃったー」も消化。

「目」の上で「チョット待ッタァ!」のポーズ(?)してるのが山下氏

今日は徹夜の現場作業の後〜芸術座で公演中の「喜劇 極楽町一丁目-嫁姑地獄篇-」を見に行ってきました!!!。
ミニシアター系の熱気ムンムンな演劇は何度か行ってますが、「芸術座」なる大劇場で観劇するのは久しぶりです(!)。
開演の30分前に到着し、誘って戴いた俳優の山下規介氏を楽屋に訪ねました。氏とは何度かメール交換した程度で初対面でしたが、大変気さくな方でナント開演10分前まで飛行機話で盛り上がってしまいました。そう、山下氏はたいへんな飛行機マニアだったのです。


芝居の方は・・頭に花が咲いちゃったような未亡人「典子」を演じる浜木綿子と常時臨戦態勢の姑役に赤城春江、坊主役に我らが「加藤茶」、バアサン役に中本工事と強力な配置。山下氏の役ドコロは典子の息子で嫁姑戦争のさなか結婚相手を連れ込み戦火を拡大させるというモノで、演出は分かりやすく手放しでガハハと笑える内容です(??)。

それに加え観客の多くを占めるマダム達の「ウケのポイント」がこれまた面白く、あっという間の3時間でした。
途中30分入る休憩では一斉に弁当をガサガサと開けてお食事タイムになると言うのもカルチャーショックでした・・・まさに古き良き「芝居見物」。
勿論、習わしに従い弁当を食べて場を満喫いたしました。

公演の後、山下氏と飲みに出かけて話している内、各機体の特性に恐ろしく精通している事に気づきました。まるで実機を乗りこなしていたかのように!。
そう。山下氏こそ嘗てネットの大空を飛び回り数々の強豪を下したシミュレーション界の
「撃墜王」だったのでした。
戦闘機マニアは多かれ少なかれ妄想の中で機体を飛ばしているモノですが(?)さすがはシミュレーション・・機体特性や物理法則と言う現実的な制約下で行われる空戦は妄想を越えた描写を生み出したのでした。
私はどうも「空戦モノ」と言うとビデオゲーム的なジャンルと思いこみ敬遠していたトコロがあったのですが・・・山下氏の熱い語りによれば、高度による性能の変化、プロペラのトルクやトリムタブの駆使、パイロットのメンタル部分が起こす状況など戦記に見る記述そのままで、妄想でも及ばない侮りがたいディープな世界である事を知りました。
・・・山下氏曰く、僅か数ドットの機影で機種が分かり練度すら見抜いてしまうのだそうです。

熟練搭乗員山下氏恐るべし!!!!!!

 
(1/12)ひこうてい見物

 

二式飛行艇前で嬉しそうな謎の3人組。木がジャマだなぁ!。


船の科学館に行ったら忘れずにGETセヨ。内部写真満載の「資料ガイド」と超レア高騰必至「二式大艇ペーパークラフト」100円

質問ページの「零戦とドコが違うの?」と言うQに驚愕。この質問さぞかし多かったんでしょうネ・・。

「船の科学館の二式飛行艇が無くなる!」遂に来るときが来たか!?。
・・と言うわけでガンエフェクトの栩野師匠、あきやま君と
「ひこうてい見物」に行ってきました。
(無くなる・・と言いましてもスクラップにされてしまうわけではなく「船の科学館から鹿屋へ移設される」と言う事ですのでご安心を・・)

ウチからお台場までは車で10分少々ですので、実は年末にも出かけたのですが、すでに年末休暇中閉まっており。駐車場からテクテクから近づこうとしたらすかさず警備員に逮捕されちゃいました!。
いや〜侮りがたい警備体制です。

それはさておき、二式飛行艇を見るのは2年ぶり位ですが、機体はピカピカで以前、白濁していたキャノピーも全て新品に変わっていたり手厚く整備されていたことが分かります。
科学館の話しでは2月から解体に入ると言うことでしたので、1月は旧軍機マニアで大混雑しているのでは???・・と言う杞憂もあったのですが〜結局は家族連れが偶に来る程度でサビシイもんです。

改めて機体を見ますと何とも迫力のあるデザインです。
前にも書きましたが次回作は二式飛行艇モノを・・・と考えていますので使えそうな画角で何カットか撮ってきました。
飛行艇の前では特別展示でT-31号機の移送から修復、設置の写真展示と一部パーツの展示が行われていました。

折角来たので話題の「不審船」(と勿論「船の科学館」)も見てきました。「不審船」はオバサン達に大人気で、方々から「アッラ〜・マァァア〜」と奇妙な声が上がってました。
今後も北朝鮮への危機感を煽る宣伝材料として地方巡業するのかと重うと哀れな末路です。
土産物屋にはいると海上保安庁からのレア映像でまとめられた「不審船」ビデオがすでに売られており、意外にもマーケティングに手抜かり無しの「海上保安庁」と「船の科学館」に驚きました。

その後、上野で横浜旧軍無線通信資料館の土居館長と合流。某所でトンデモナイ物の取材を手伝った後、館長のお供で中田商店へ行きました。初めて2階の展示室へ上がったのですが、スゴイ量の軍装品で展示物が埋まっている・・と言う他に例のない展示となっています。
館長からすでに伝説の(?)中田商店の社長さんを紹介して貰い〜お話したりと・・なんとも充実した「ひこうてい見物」となりました。
栩野様、福島様、館長様のご厚意により終日タダメシを戴きました。ゴチソウサマデシタ。

 
(1/11)「翼の凱歌」と「南海の花束」を観る

 

「翼の凱歌」は隼の試験飛行を軸に描かれる人間ドラマ。実機での空撮はピカイチ。「南海の花束」は南洋で民間航路を守る飛行艇野郎の話。97飛行艇の活躍は良いとしてドラマはイマイチ・・その上、実写と整合性の取れない特撮がさらに足を引っ張っている。

旧軍機ファンでも意外と知られていないのが実機がバンバン出て来る「戦中戦争映画」の存在です。
しかしながら数多く作られた戦意高揚映画の中でも現在DVD で観られるのは円谷英二の特撮で有名な
「ハワイ・マレー沖海戦」程度です。

以前は東宝で「日本映画傑作全集」と言うビデオシリーズがあり昭和10年代の映画が沢山販売されていたのですが・・現在は全て廃版となっています。

中でも傑作とのウワサも高い「翼の凱歌」と飛行艇ファンには見逃せない「南海の花束」を観たいとかねがね思っていたのですが、何とジオラマ写真家の巨匠田中ショウリ氏がお持ちと言う事で、ショウリ氏からお借りする事が出来ました。

当時の映画はやはり演出的にキビシく忍耐を要する作品もありますが「翼の凱歌」に限ってはなかなかのドラマ展開で映画としても楽しめました。

それもそのハズ、脚本は若き日の黒沢明なのですね!。
特撮が最小限というのも良かったです。

戦時中に制作された戦争映画と言うと一般に(?)「円谷特撮が目玉」とされていますが、実際は特撮になった途端オチープな画作りとなり、せっかくの映画が台無しになっている・・と言うのがホントの所でしょう。

面白いことに「燃ゆる大空」は公開当時の航空雑誌に「海外の航空映画に比べ特撮がヒドイ出来だ!」と尤もな評価を下されています。

 
(1/1)あけましてオメデトウゴザイマス

 

明けましてオメデトウゴザイマス
今年は珍しいことに年賀状は既に完成しておりプリントアウトも終了・・・ですが住所のリストを未だ整理していません。結局発送は例年通りになりそうな気配です。
ともあれ本年もヨロシクオネガイシマス。
 
2004