■二式飛行艇(日本)

二式飛行艇(Kawanishi H8K)
(Wikipediaより)
 通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。連合軍側の呼称はKawanishi H8K "Emily"。
二式大型飛行艇とも言う。二式飛行艇は従来の飛行艇にはみられない新機軸を導入し、陸上機をも凌ぐ高性能を持った世界最高のレシプロ飛行艇で、現在においても二式飛行艇を超える飛行艇は無いと言われる。
この二式大艇を設計した川西航空機は、兵庫県鳴尾に本工場があった。水上偵察機や飛行艇を主に設計しており、高い評価を得ており、紫電改とともに高い評価を得ているのが、この二式大艇である。

なんと言ってもその性能は圧倒的で、7,000kmにも及ぶ航続力、最大2トンの各種兵器を懸架可能、最大速度は450km/hを超え、20mm機銃を防御旋回機銃として採用するなど、非常に高い性能を有していた。

このような高性能を実現する為、機体の小型化、最適なエンジンの選択(三菱製 火星エンジン)、さらに新型フラップを開発し、搭載しました。

海軍は1938(昭和13)年に川西単独に開発を命じていますが、川西航空機は技師の大部分を導入して開発したので開発も早く進み1号機は1940(昭和15)年12月29日に完成、翌日初飛行をしました。4発大型機の開発としては、まれに見る早さで初飛行後わずか1年で、二式飛行艇として正式採用となりました。
1942(昭和17)年3月から実戦配備され始めた二式飛行艇はその長大な航続距離を活かし、1942(昭和17)年3月4日には2機の二式飛行艇が真珠湾を空襲しています。また、山本五十六のあとを継いで連合艦隊司令長官となった古賀峯一海軍大将が移動中に遭難し殉職した時には二式飛行艇の輸送機型晴空に乗っていた(海軍乙事件)。

二式飛行艇の面白い話としては、その強力な武装で、なんとB-17を防御機銃で撃墜しています(!)。ゼロ戦でも撃ち落すのが難しかったB-17を易々と撃破してしまったのです。

二式飛行艇は優秀でしたが、終戦までに167機しか生産されていない。そのため、終戦までには4機を除いてほとんどの機体が失われていました。そのうちの1機は東京の御台場の「船の科学館」に展示され、後に海上自衛隊鹿屋基地の資料館に移設された。
また、その優秀な血統は世界一級の飛行艇、海上自衛隊の対潜哨戒・救難飛行艇「PS-1/US-1」の中に受け継がれ、脈々と流れている。


二式飛行艇12型の性能
  乗員・10名
  略号・H8K2
  全幅・38m 全長・28.12m  全高・9.15m 翼面積・160u
  発動機・三菱「火星」22型4基  出力・1,850馬力(離昇)
  自重・16.7トン全備重量・24.5トン
  最高速度・454km/h(高度5,000m) 巡航速度・296km/h(高度4,000m)上昇時間・4,000mまで7分56秒
  実用上昇限度・8,760m  航続力・7,152km(過荷)
  機銃
  20mm旋回機銃×1(艇首・尾部) 20mm旋回機銃×2(艇舷)20mm旋回機銃×2(2連装)(艇上)
  7.7mm機銃×1(艇下)  7.7mm機銃×3(予備)
  爆弾・60s×16または250s×8、または800kg×2


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