さよなら、二式大艇
米国から返還され、1979年以来 「船の科学館」で屋外展示されていた二式大艇が、東京から去ることになった。自衛隊に移管され、南九州の鹿屋基地に展示されることになったのだ。
いざお別れとなると、急にいとおしくなり、2回撮影に行った。12月末に行った時は、「船の科学館」が冬期休業に入っていて、遠くからの限られた角度からの撮影しか出来なかったため、1月に再撮影に出向いた。
撮影本数は、自分でも驚いたことに、都合8本にもなった。作るあてもないのに。
長谷川の72キットは、大昔のもので(10年一昔なら)、プロポーションから細部まで問題が多い。(製品の改良をしないことで長谷川を責めている訳ではなく、修正をする気にならない自分自身に負い目を感じているのだが。)
有井の、旧LSの144キットを作るのには、細部写真がそんなに必要ということもないだろう。
それでも、被写体を前にすると、自動的にというか習い性として、飽きるほどシャッターを押してしまうのだ。僕は、そういう風に出来ている。
以前二式大艇を見た時、「あれっ、意外に平凡な暗緑色なんだな」と思った。「船の科学館」は、復元色に自信がある発言をしていたので、それを信じるなら、二式の色は、普通の暗緑色ということになる訳だ。
しかし今回見て、考えて、「果たして本当に元からこの色だったのかな」と疑問になった。
というのは、塗り直される前の写真を見ると、色調が違うからだ。米国から返還されたばかりの頃は、戦時中の色そのままで、青みがかっている。
「川西の飛行機の暗緑色は紺色っぽかった」という説は、最初に誰が言い始めたのか、僕自身どこで読んだのか、忘れてしまったが、けっこう昔から言われていたことだ。
塗り直される前、つまり1981年頃までのカラー写真を見ると、また、「船の科学館」にある(あった?)実機の小さなパネルを見ると、明らかに青みが強い色だ。当然、チョーキング(表面風化)や、退色・変色の問題を考慮しなくてはならないが、それを割り引いて考えても、けっこう青みがかっている。青色というのは、退色しやすい色だと考えるなら、なおも青みが残っている、ということは、元が青みが強かったから、ということにもなるだろう。
いうまでもなく川西は、飛行艇、つまり海洋運用機を専門としていた。となると、迷彩色を決める際に、陸上での迷彩効果よりも、海洋での非視認性(見えにくさ)を意識したに違いない。海軍が「暗緑色に塗りなさい」と指示した際、それを紺色側に振った色を調合したことは想像できる。
強風・紫電・紫電改も、二式大艇と同じ塗料で塗ったといわれる。気のせいかも知れないが、それらの機種の写真には、濃いめに見えるものがある。(まあ、白黒写真で元の色調を云々するのは問題があるのだが。)
最後に見に行った際に、記念に有井のキットを買ってきた。これを作るときは、紺色っぽく調色した暗緑色を塗ろうと思う。
(南九州の熱い太陽と鹿屋の潮風によって、二式大艇の風化・老朽化が進むことが心配だ。今の鹿屋の展示機の、機体表面の劣化を写真で見ると、心が痛む。)