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壮観 スター選手ずらり 新幹線大阪車両所

ぷらっと沿線紀行(11)

 木村拓哉演じる製鉄会社の専務・万俵鉄平が新幹線で東京から大阪へ向かう。

写真大阪モノレールの車窓から新幹線鳥飼基地を見下ろすと、白いボディーがずらっと並んでいた=大阪府摂津市で
写真風雨にさらされ、色のあせた0系。子供が車体によじ登って遊んでいた=大阪府摂津市の新幹線公園で
写真鳥飼基地の東の本線上に、新幹線貨物列車構想の名残の建造物が残る=大阪府摂津市で
地図  

 テレビドラマ「華麗なる一族」の第2話のシーンは、大阪市港区の交通科学博物館が保存する0系新幹線電車の中で撮影された。1964(昭和39)年の東海道新幹線開業を前につくられた第1号車。78年に廃車の処理をしたのが、大阪府摂津市の鳥飼基地こと大阪車両所だ。

 短辺200メートル、長辺が約2キロの敷地は面積約37万平方メートル。第1から第3まで分かれ、それぞれ2日に1回の仕業検査、半日かけて各部をチェックする交番検査、台車を解体して検査・修繕する台車検査を担う。

 車両技術者として開業前から足かけ約30年ここで働いた上島昇平さん(76)は2年前、歌集「鉄路の果てに」を出版した。

 「つらなれる車窓に夕日を映しつつ鳥飼基地に電車戻り来」

 夕刻、入庫してくる回送列車の窓の一つ一つに、太陽が反射する。癒やしの光景だった。

 西側の電留線をのぞめる場所はいま、親子連れの人気スポットだ。700系、300系など十数編成が並び、7月にデビューするN700系も。連れて行った小学1年の長男は「新幹線がいっぱい寝てる」と驚いた。

 1日の列車本数350本、平均輸送人数39万人。大動脈を支える要の施設は40年前の7月、危機に直面していた。

■大動脈の要 交錯する思い

 1967(昭和42)年7月9日。数日前から降り続いていた雨は勢いを強めていた。西日本を中心に全国で369人の死者・行方不明者を出した集中豪雨だった。

 「警戒水位を突破しました」

 午後9時半ごろ、国鉄新幹線総局運転車両部長だった斎藤雅男さん(88)は東京の総合司令所で連絡を受けた。北側を流れる安威川の水位が上昇、間もなく浸水が始まった。

 基地内には13編成の0系が止まっていた。床下のモーターなどが水につかって故障すれば、ばくだいな損害とダイヤの大混乱は避けられない。斎藤さんは営業運転が終わっていた上りの本線上に列車を退避させる指示を出した。京都・向日町から茨木付近まで本線上に並べて停車。翌日午前1時半、退避が完了した。

 明け方、13編成はいったん京都駅に入った後、下り線で始発の新大阪に向かった。斎藤さんは「準備はしていたが、始発からダイヤの乱れがなく大成功だった」と振り返る。

 基地には1日に数百本の列車が出入りする。新大阪との間を行き来する回送車に乗れるようにできないか――。地元にはそんな構想が40年以上も前からある。

   ◇

 摂津市元教育長の生田邦雄さん(72)は77〜80年の市長公室長時代、何度か国鉄本社に足を運んだ。「5億円出してもらえればできる、と言われたが、国鉄が出すもんだ、として市は断った」。84年には、市議会が回送新幹線の有料乗車の実現を求める決議をし、市と連名で要望書を出した。生田さんは「あの時決断していれば」と悔しがる。

 JR西日本は90年、博多駅から博多総合車両所までの回送線を博多南線とし、博多南駅までの8.5キロが290円で乗れるようにした。

 これを見た前市長の森川薫さん(65)は退任直前の04年、JR東海に申し入れをした。しかし、「鳥飼の場合、本線を使うので安全管理上問題がある」と断られたという。

 基地を安全にみられる展望台設置など、新幹線を生かした街づくりのアイデアを練るのは、市民グループ「新線組」。約3年前から活動している。メンバーの山城秀雄さん(66)らは基地周辺のゴミ拾いや、0系を展示している新幹線公園の案内板の整備をしてきた。アンケートをとると、わざわざ奈良や滋賀から来た人もいた。「子供たちの夢を、くみとってあげたい」と話す。

 当のJR東海は昨年度から、工事や安全上の問題を理由に地元小学生の基地見学会を中止してしまった。

   ◇

 営業運転が終わった後の深夜0時半過ぎ、基地に行ってみた。ライトの下に、山陽新幹線の0系が金属音を立てながら現れた。車両の検査庫の前でいったん停止した後、クラクションを鳴らし、入庫する。中からはブレーキのエアが抜ける音やアナウンス、金属がすれる音が外に響いてくる。

 夜を徹して安全運行のためにがんばる人たちがいる。彼らが支える基地と、地元の人たちの思いがつながる日が来てくれないものか――。そんな思いが胸をよぎった。

鉄ちゃんの聞きかじり<新幹線貨物列車構想>

 鳥飼基地約400メートル東の本線に、つくりかけの立体交差建造物がある。幻の新幹線貨物列車構想の遺物だ。

 鉄道総合技術研究所(東京都国分寺市)に保管されている資料によると、夜間にコンテナ電車を走らせ、東京―大阪間5時間半で結ぶ構想だった。取り扱い駅は東京・静岡・名古屋・大阪の4駅。大阪は鳥飼基地北隣の現JR貨物大阪貨物ターミナル駅付近に設置する予定で、立体交差建造物は地上への引き込み線になるはずだった。

 1960年の鉄道雑誌に、当時の国鉄新幹線総局調査役が「新幹線のコンテナ貨物電車によってわが国の物資流通状態は一段と活発化されるであろう」と威勢よく記している。

 しかし、夜間に走らせれば保線の問題が発生するなど課題が多すぎたうえ、開業後は予想以上の旅客数で貨物を求める声は消えていった。

探索コース

 新幹線公園は、鳥飼基地北西側の安威川の堤防沿いを東へ約400メートル。入り口は新線組の作った看板と公園案内板が目印。公園までは約140本の桜の並木道になっている。第2、第4日曜日の午前10時〜正午、14〜16時に0系の内部を公開する。駐車場はないが、市役所に止めることができる。中央環状線沿いからは、新幹線の並ぶ車両基地内の電留線が見える。

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