HOME 必読日替わりメモ 調査研究コーナーコーナー目次to
調査研究コーナー特集記事 | 編集開始07/05/13 |
二式大艇の保存について
東京都A3601及び鹿児島県A8701から転記
1945/08/15 | 香川県詫間海軍航空隊に3機の二式大艇が現存した |
1945/*/* | 占領軍指令により、うち1機を保存機とし、2機を破壊処分した |
1945/*/* | 海軍第801航空隊司令日辻常雄少佐に保存機を横浜へフェリーするよう命令が出る |
1945/*/* | 呉の海軍第11航空廠の7人の整備員により弾痕の修復など飛行可能状態に整備 |
1945/11/10 | 米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注1) |
1945/11/12 | 米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注2) |
1945/11/11 | 日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注1) |
1945/11/13 | 日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注2) |
1945/*/* | 船で米国へ搬送 |
1945/12/* | ノーフォーク海軍航空基地へ陸揚げ オーバーホール後再組立 |
1946/05/23 | テスト飛行(これが最後の飛行となった) |
1946/08/22 | 水上滑走テスト開始 |
1947/01/30 | エンジン故障のためテスト打ち切り 米国での運航時間12.6時間 |
1947/02以降 | 外翼を取り外し、機体をゴム被膜で包んでモスボール化 |
1979/04/23 | 現地で日本への返還式挙行 |
1979/06/19 | コンテナ船にゅーじゃーじー丸へ積み込み 日本へ搬送 (注3) |
1979/07/13 | 大井コンテナ埠頭からはしけで船の科学館へ搬送 陸揚げ (注3) |
1979/07/20 | 東京都船の科学館で式典 日辻元少佐も列席 |
1980/02/20 | 修復保存工事開始 (注3) |
1982/03/27 | 修復保存工事終了 一般公開開始 (注3) |
200*/*/* | 火星エンジン2基を小牧市三菱重工名古屋誘導システム製作所名誘ギャラリーへ貸与 |
2003/12 | 日本財団から防衛庁へ譲渡 |
2004/03 | 東京港から鹿児島県鹿屋航空基地へ移送 |
2004/05 | 鹿屋航空基地史料館屋外で公開 |
出典 注1 海上自衛隊安全月報 日辻常雄元海将補記「大空への追想」 注2 航空ジャーナル1982年3月号 蘇れ2式大艇 Part3 ロバート C ミケシュ記事 注3 2000年オフイスHANS発行 未来につなぐ人類の技 @航空機の保存と修復 |
11 二式大艇返還に関わった者として感想
2007/05/13 鈴木紳吾
|
撮影2005/10/27 出展:永野修一 (方向舵を固定 台風対策) |
|
|
|
|
|
撮影2004/05/03 出展:G7 8 | |
|
|
|
|
撮影2004/03/16 出展:ゼロナナ
|
|
2004/01/07 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者 佐伯邦昭 |
撮影2003/04/23 出展:にがうり 5 | |
|
|
|
|
撮影2003/12/21 出展:佐伯邦昭 | |
|
撮影日不明 出展:阿施光南
|
|
撮影1981/12/8 出展:にがうり 4 | |
|
|
|
|
撮影1980 出展:Ota
右胴体の米軍マークを消して、展示場所の基礎工事を待っている段階と思われる
|
撮影1980/02/11 出展:にがうり3
|
アメリカから返還の直後 撮影1979 出展:阿施光南
アメリカから返還の直後 出展:鈴木紳吾 2 コクーン(保護皮膜)をはずした時のもの
到着直後の操縦席
|