■ 2008-02-29(Fri)
■[映画] 『ミスター・ロンリー』 ハーモニー・コリン:監督
この映画については、書きたいことが山ほどあって、いろんな意味でインスパイアされた作品なのです。それこそああいうこと、こういうこと、いろいろな想起がどっと押し寄せて来て、そんな波の中に溺れてしまいそうになる、豊穣な魅力に富んだ作品です。
何から書き始めれば良いでしょうか。やはり主題歌の、Bobby Vintonの唄う「Mr. Lonely」あたりの話から。だからBobby Vintonといえばもうひとつ。それは「Blue Velvet」に他ならなくって、それはデイヴィッド・リンチの『ブルー・べルベット』の主題歌でもあって、あの映画の冒頭の、真っ青な空、庭に咲く花、芝生の緑のその色彩と、そのBobby Vintonの歌声の複合こそは映画的至福の瞬間であるわけで、それはつまりは大仰に言えば「映画には何が可能か?」という問いかけへの、その20世紀後半における最上の答でもあったわけなのですけれども、ここにもうひとつ。Bobby Vintonの大ヒット曲「Mr. Lonely」を持ってくるのであれば、ハーモニー・コリンは当然ながら、そのデイヴィッド・リンチの『ブルー・べルベット』を意識していないわけがないでしょう。
『ブルー・べルベット』の冒頭でたしか、消防車がスローモーションでゆっくりと画面を横切って行った映像があったという記憶があるのですが、その『ブルー・べルベット』に呼応するように、この『ミスター・ロンリー』の冒頭はスローモーションであって、そこでの色彩設計はきっと『ブルー・べルベット』を意識していて、つまりはこの『ミスター・ロンリー』という魅惑的な作品は、それこそ映画史の中でこそ花ひらくような、メタな構成にもなっているわけなのですが、緑の芝生の上に赤と白に塗られたタイヤが山積みになっていて、その向こうから、この作品の主役であるパチモンのマイケル・ジャクソンが疾走して来る。この色彩感覚とか、走ってくるマイケル・ジャクソンが、カーブを曲がってその姿全体を表すフェイクでチープな感覚とか、ある意味でここでこそ、この作品が「裏映画」であることを宣言しているわけです。それは、この作品の主題が、「マイナーであることの悲しみ」なのだというか、ま、簡単にいえば、マイナー宣言とも言えるのです。
この作品の含み持つ構造は、つまりはスターの模倣芸で生きて行こうとするマイナー芸人の世界が、逆に模倣するスターの孤独をさえも照らし出すような構造にもなっていることで、主人公のマイケル・ジャクソンの孤独はまさしく実際のマイケル・ジャクソンの孤独を照射し、マリリン・モンローはマリリン・モンローの満たされない愛を追い求め、チャップリンはチャップリンとして「独裁者」を演じてしまう。「三バカ大将」はやはり「バカ」を貫き通すしかない。映画の中で語られる「模倣の魂にこそより真実に近いものがある」というコメントは重たいし、最後に「マイケル・ジャクソン」をやめて髪を短くしてしまう主人公は、それでも別の「孤独」を抱えたエルヴィス・プレスリーにしか見えない。
これと並行して語られる、パナマの尼さんの奇蹟と、そのてん末の物語。この、空を駆ける身体の美しさ。そこには映像の持つ本来のパワーが感じられるのです。ハーモニー・コリンのデビュー大傑作、あの『ガンモ』の冒頭での、ハリケーンの過ぎ去った田舎町の映像のパワー、そういうのがハーモニー・コリンの魅力でもあるのですが、ここでも、ワンショット、ひとつのカメラに記録される映像の力が、CGとかに頼らずに発揮されるのです。というか、この尼さん奇蹟物語はどう考えても、この作品にうさんくさいプロモーター(?)役で出演しているレオス・カラックスの、その『汚れた血』からの反映があるとしか思えないのです。つまり、どうしてもパラシュート降下出来ないジュリエット・ビノシュの話からの反映。
そういう意味で、この作品は、映画とか、ポップミュージックとか、そういうエンターテインメント世界の裏返しを、メタに描いたユニークな作品だと思えますし、だからこそやはりハーモニー・コリンのユニークな視点に、今さらながら惚れ込んでしまうような作品に仕上がっていると思います。彼の復活を祝福しましょう。
その、舞台表現の「至福」と「どん底」が隣り合わせに存在するような、出演者みなが合唱するアーヴィング・バーリンの名曲「Cheek to Cheek」はつまりはかつてのロジャース/アステアの至福のミュージカル映画時代を思い起こさせながらも奈落を覗き込ませる。わたしはこのシーンでふと、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』のラストの「ミッキーマウス・マーチ」の合唱をこそ、思い浮かべたのでした。
あれこれとキツい事もあると思うけれど、ハーモニー・コリン、次の作品も作ってほしいものです。書きたいことはまだあるのですが、あまりに21世紀的な、すばらしい秀作だったと思います。
■ 2008-02-23(Sat)
■[Dance] the Ground-breaking 2008 神村恵カンパニー『どん底』 神村恵:構成・振付 @BankART1929 Yokohama
まずは、またチラシに載せられた文章から。署名はありませんが、これはおそらくは神村さんが書かれたのでしょう。
底辺から這い上がる。 一番スリリングな時間の始まり。 手に取れるイメージは既に死んでいて、 もう誰の身体も動かさない。 それを捨てて、身体の勘だけを頼りにただ動くこと。 そういう身体をできるだけでたらめに並べること。 そこからしか、新しいイメージは立ち上がらない、と今は思っています。
BankART 1929は古い銀行だった場所で、横浜らしく重厚な造りの建築物。直径1メートルぐらいの柱がそれほど広くない間隔で両側に並んでいて、今回の舞台はその柱が5本分含まれるように仕切られて、つまり観客席は正面から少し斜めに設定され、左(下手)に柱2本分、右(上手)に3本取り込まれるような設定。これはひょっとしたら、ダンサーの人数に合わせた舞台空間の設定ではないか?と想像します。
両側の壁ぎわにスタンド照明が並べられただけ、ただむき出しの何もない舞台で、これは今までの神村さんの舞台でと同じです。下手の窓にはシャッターが下ろされていますが、上手の窓は開け放たれて、外の街灯の光が会場内に届きます。開演時間になり、客電がおとされて、その窓の外からの街灯の明かりだけの、つまりはかなり薄暗い中でしばらくは進行します(しばらくしてから、上手の窓のシャッターも降りて来て、照明が点されますが)。音楽はずっと何もありません(終盤近くに、リズム音だけのポリリズムに発展して行くような音が鳴りましたが)。
その、舞台が始まってしばらくの、上手の窓から射し込む外の街灯の光、蛍光灯の光とかオレンジ色の光のなかで踊るダンサーのいる舞台を観ていて、先週吉祥寺で観た大橋可也さんの公演をちょっと思い出したりしました。うん、大橋さんの場合は、外の空間はまさに「社会」が舞台に忍び込んでくるように機能していたのだと思うのですが、神村さんの場合、逆に「舞台空間」というイメージを払拭し去るためにこそ、まずは外の光を侵入させていたのではないでしょうか。だとしたらそれは成功していたでしょう。(当然、チラシにある「底辺から這い上がる」ということばを、一般に読み取るように社会的な視点だと解釈すれば、ここでも大橋さんと同じように、ダンサーとして社会の中にいる自分の位置への意識を読み取れるでしょう。)
ほとんど普段着だけれどもそれなりに計算されているような衣裳の五人のダンサーが、決められた作業を遂行するように、無表情に淡々と、まるでそれが時給いくらになる仕事をやっているかのように、舞台上で動いているのです。それぞれが遂行すべきタスクであるかのようなフレーズからフレーズに移行する時にも、ダンサーたちはすたすたとごく普通に歩いて移動して作業を進めます。二人づつが組になったり、一人になったり、全員で踊ったり、途中で柱の裏に引っ込んだり、いろんな組み合わせで進行します。
途中一人が引っ込んで二人二人の対で進行する場面もあったけど、観ていて、この五人という人数はおもしろいな、などと思っていました。二人づつのペアが二組出来ると一人あまる。二人と三人のグループとか、二人と一人づつ三人、五人バラバラとか、とにかく単純な対称形とか均衡が造れないというか、いつもそういう均衡が壊れるようにはたらく人数のように思えて。
いつものように、素っ気なくもどこか奇妙なユーモア感覚*1の拡がるダンス、外のどんな既成のイメージにも頼らないで新しく発明されたかのような、ダンスのような運動、運動のようなダンスは今回も楽しかったのですが、今回は、ダンサーたちがちょっと腰を落として二人向き合って、その向き合ったままで動き回るようなシーンがなんだか知らない日本武術、たとえば合気道かなんかの乱取りというか稽古みたいにも見えて、全体に今回はそのような、ダンサーたちが作り上げたルールにしたがって繰り広げられる未知のゲームのような感覚があったのです。ま、そういうのはきっとトリシア・ブラウンとかのポストモダン・ダンスの反映/影響があるのだろうけれども、わたしはそのあたりはあまり知らない。とにかく神村さんで思うのは、「でたらめ」などと言いながらも、その背後にしっかりとしたあれこれの裏付けがあるように思えること、でもやっぱり「でたらめ」と言ってるんだから「でたらめ」なんだろうなぁ、とか思ってしまうことで、それがまた神村さんの持ち味なのでしょう。この公演の終盤に、ダンサーがそろって髪をふり乱しながらジャンプを続ける場面とかあって、「あ、髪の毛にダンスさせてる‥‥」なんて思っちゃいました。
しかし、既成のダンスのイメージにとらわれずに、独自のダンス空間を繰り広げられる神村さんのカンパニーには、これからも期待したいのです。そのような、既存のダンスだけでなく、神村恵カンパニーというイメージにもとらわれずに、今後も活動を続けて行っていただきたいものです。(2月16日観劇)
*1:去年の冬のカンパニー第一回公演が『山脈』、夏の二回目が『ビーム』、そして今回が『どん底』という公演タイトルも、なんだかおかしいのです。
■ 2008-02-20(Wed)
■[Dance] 大橋可也&ダンサーズ新作公演『明晰の鎖』 大橋可也:振付 @吉祥寺シアター
ちょっと、その舞台公演それ自体からは離れた話から始めます。
愚かな人が世の中にはいるもので、そのような人にとっては
大橋可也&ダンサーズの作品はダンスには見えないらしいのだが、
いいかいきみ、これがダンスっていうものなんだよ、
といっても分からないだろうが。
僕たちが出合いたい人、このダンスを本当に必要としている人は、
そう、生きることに不自由している人じゃないか、
この作品に出会うまで今はまだ生きていてください。
これは、今回の公演のチラシに書かれているアジ文といいますか、ま、観客(とか、批評家とか)を挑発する文章です*1。で、この公演のチケットは三種類設定されていて、そのAはチケット代20000円。「お金に余裕があるので作品に貢献したい」という人のためのチケットです。Bは5000円で、「ともかく作品を体験したい!」という人のため。Cは0円。これは、「お金はないが自分には作品を見る必要がある!」という人のためのモノだということです。で、Cのチケットを選択するには、「私は何故に大橋可也&ダンサーズの作品を無料で見る必要があるか」というレポートを提出するわけです。
だからそれはどういうことなのか。このチケット設定はやはり現在日本の、言われるところの「格差社会」というものをチケット代金に反映させたものであるでしょうし、実際に大橋さんはこの現在の日本での、表現なり芸術なりと、社会との接点、摩擦点に対して非常に意識的な視点を持っておられるのだと思います。
格差社会とはどういうことかと言うと、簡単に言えば「富を持つものはより多くの富を得、貧しいものはさらに貧しくなる」という構図を持った社会だと言ってしまって、ここで大橋さんが問題にされているのは、「では、表現するものは、その格差社会の中でいったいどこに位置付けされてしまうのか」という問題なのだろうと思います。
個人的な話をちょっとだけしますけれど、わたしの古い友人、舞踏をやっていたEさんが、先日田舎に引っ込みました。彼はずっと長年フリーターのような(というか、まさにフリーターな)生活を続けられて、体も悪くして、結局家庭事情もあって東京から去って行かれたのですが、このあいだ電話して、今では生活保護を受けながら不自由な体で(最近足を悪くされて、思うように歩き回れないらしいのです)ギリギリの生活を送られているようです。
これは決して他人事ではなくて、ま、何と言いますか、美術の世界とかに足を突っ込んで、はたまたイヴェントの企画とかをやっていたわたしにとっても切実な問題ではあります。うん、例えばいつだったか、美術作家たちで集まって飲み食いしていた時、誰かが「みんな、国民年金とか払ってるの?」てな話になって、つまり誰一人年金なんか納めてなかったんですけれども、ふふ、わたしはね、勤め人時代もそれなりにありましたから、実はあと2年ほど払い続けることが出来ると、その年金給付の最低ライン、月に4万幾らかもらえるようになるだね。って、月に4万でどうやって生きて行けというのだろうか。ふざけてる。
わたしはこの歳になってほとんどやっぱフリーターと同じような生活していて、一時期はもうあとはホームレスしかないな、などと腹をくくったこともありますし、電気・ガス・水道のライフラインすべて止められた家で暮したこともあります。それはすべてわたし個人の甲斐性のなさ、ということも出来るのかも知れませんが、でもそんなフリーター的な生き方は、どこがどう間違っているのでしょうか。例えば本筋は美術作家としてやって行きたいと思って、それではいきなりは食っていけないから、創作活動の邪魔にならないような仕事を探す。つまりそれは例えば個展とか開くのであれば、その前には出来れば仕事なんか休んで作品の製作に打ち込みたい。で、わたしの場合ですけれども、その美術作家としての最初のうちは、自慢じゃないけれども、オブジェっぽい作品とか造ったりして、じつはそれなりに売れ始めたこともあって、「いけるかも」などという気持ちもあったのですけれども、そうやって個展とか重ねたりしていくと、どうしてもあれこれ考えて過去の作品から脱却して行って、どんどんインスタレーション的な作品になってしまって、「これは絶対に売れっこないよな」みたいな作品ばかり造るようになるわけです。だから結局、美術の世界に身を置くことの究極は「ダダカン*2」であるしかないよな、みたいになるわけです。
ましてや昨今の、「フリーター」とか「ニート」とかの呼称による、フリーター/ニート排斥論みたいな風潮もあります。そう、一時期TVの深夜番組で、一般ピープルの貧乏比べみたいな番組があったりして、その中でやっぱりもっとも貧乏チャンピオンは小劇場劇団員とかだったりして、それは先に書いた舞踏をやっていたわたしの友人のこととかとも重なるのですが、そう、一時期売れた、『下等社会』という新書でしたっけ、あの本で面白かったのはそのフィールド・サーチの規模の小ささというか、例えば現実のフリーターとかのアンケート調査を数値化してパーセンテージ表示とかするんだけれども、その調査総数が例えばほんの三十数件ぐらいのものからしか導いて来ないみたいなチンケさがあったんだけれども、そのアンケートに答えていた人の中に、舞踏をやっているという人がいて、その数値化されたモデルの中でなぜか「舞踏」というワードが浮かび上がってくるのこそが面白かったのですが。
先日、例えば日雇い労務での派遣業務というのは禁止すべきではないかとかなんとか、民主党あたりが言っていたようなニュースを読んだ記憶があるのですが、つまりそれは「山谷」の時代から、日雇い労務が異様な搾取体系のただなかにおかれていたことは確かな事実なのですが*3、単純にそういう形態を禁止したらそれで丸く納まるのか、そういうことは決してありえない。例えば週に二日だけ日雇いで働いて、そのわずかな賃金で週のあとの五日間を生きて行く人に、「お前の生き方は間違っている」と言うような世界こそが間違っている。
少し前に、どこかでダンス批評とかを書いているらしいブタ(ふん、ブタはブタだよ。わたしの意味するところでは人間じゃない!)が、どこかのラーメン屋に行って、そこのフリーターらしき従業員がラーメンを運ぶ時に、上にのっかってる海苔を飛ばしてしまって、それでも平気な顔していたことから、それをプロ意識の欠如?とか、そういう「フリーター的世界」がど〜とかあ〜とか書いたりしていて、で、そこに演劇をやっているらしいフリーター生活してる人がかなりイヤミなコメントが書き込まれたりして、面白い展開になりそうだったのが、ブタくんが結局そのコメントを削除したりしてしまって、などというのが楽しかったりしたのですけれども、だからここから本題です。つまり、演劇をやるにせよ、美術をやるにせよ、音楽にせよダンスをやるにせよ、生活のために賃金をかせぐこと、その企業とかで働くことが人生の目標ではない人たちがいて、この今の社会は、そういう人たちを「フリーター」などと呼んで、「そういう生き方はやめろ」というバイアスに拍車がかかっている。それはそういう批評家ヅラしたブタもやはりそういうことを無自覚に(自覚などあるわけがない輩なのだけれども)「フリーター」=クズみたいに書く世界が現在。その海苔を飛ばしたフリーターが仕事の合間にダンスの鍛練をしているような人間だったとしたら、その、ブタな批評家は、いったいどんな反応をするのだろうか? そして、だからそんなブタがダンス批評やってるつもりでいられるのが今の日本のダンス界。おっと筆禍。このブログも炎上か? ま、あんなヤツを相手にしてもしょうがないのだが(彼の書いた、この『明晰の鎖』公演の感想が、また笑えるんだ!)。
舞台上で、ダンサーというか、舞台上の人物が「死んじゃえばいいのに。死んじゃえばいいのに。」とつぶやく。それはやはり自分に言っているのではなく、どこかの他者への呪詛として言っているのでしょう。いったい、だれに対して、「死んでしまえばいいのに」といっているのか。もしかしたら自分自身に言っているのかも知れない。もしかしたら観客席に座っているわたしに向けて言われているのかも知れない。
この舞台をわたしは昼公演で観たのですが、その舞台奥の「搬入口」ですか、この吉祥寺シアターは、その搬入口がすぐに外と直結しているので、この公演では搬入口まで開け放って、いきなり観客席から外の世界が見える。逆も真なりで、通行人はその搬入口から暗闇の中でうっすらと、観客がそちらを見ていることもわかるはずです。ここに通底するものは何か、おそらくはそれこそが「社会」なのでしょう。その構造は、皆がTVとか見ながら、近所の知人と四方山話をしたり、約束して落ち合ってデートする男女とかがこれから楽しい時を過ごす午後とか夜。そんな日常のひとときに、好き好んでこんな劇場に隠って、ダンスなどと称して、わけのわからない身ぶり手ぶりをくりかえす人たちがいて、そんなのを見て楽しむ人たちもいる。吉祥寺でね。そんな「社会」と、閉鎖された舞台空間との間にみごとな風穴をあけたような公演。
舞台は三部に分かれ、第一部「通行人たち」、第二部「ダウンワードスパイラル」第三部「ドッグ」合わせて2時間近い、ダンス公演としては稀な長尺。
導入部の「通行人たち」のつかみが、まずはおみごとで、その外の空間への開け放された幕開け、地明かりだけで進行されるほとんど逆光状態*4でのシルエットの行き来、突然上から落下する大きな木箱(後にスクリーンとして機能する?)。ただ行き来しながらふいに転倒するダンサー、というか舞台上の人物。
この公演の中核をなす第二部の「ダウンワードスパイラル」だけで1時間近くあるのですけれども、ここでは4人のダンサーが、グレイっぽい上下のダンスっぽい衣裳で現われ、たがいに孤立したまま、見えない何かの力に引きずり倒されたり、衣裳をずらして自分の脇腹というかヒップボーンのあたりを撫でてみて微笑んでみたり、そういう動きをそれぞれのダンサーが反復して行くのですが、ここで舩橋陽さんの音楽がミニマムな微少な音の反復からだんだんに音を積み重ねて行き、クライマックスでの彼のサックスのみごとなブロウまでの漸進的な盛り上がりこそがある意味で単調なともとれるこのシーンの持続に力を与え、稀に見る力強い舞台空間を現出させていたのだと言えるでしょう。
で、この第二部の主題は、わたしの見るところでそれこそ社会と個人のせめぎ合い、というか、いかに外側の社会が内側の個人を引きずり倒し、潰そうとして行くのか、そこで個人の身体はどのようになぎ倒され、どのように引きずり回されるのか、個人の意志がどのように無効にされていくのか、その過程こそが「ダンス」という名目で展開されて行くように思えてなりませんでした。ここの第二部の早い段階で、先に書いた「死んじゃえばいいのに」というセリフが語られるのですが。
この『明晰』シリーズの第一作、昨年のやはりこの吉祥寺シアターでの公演、『明晰さは目の前の一点に過ぎない』を観た時に、わたしはその光景を「事故現場」のようだと感じたりしていたのですが、やはり今回の公演でもそのような感想を持つことになって、しかし今回はその「事故」というものが、かなり明確に「社会」と「個人」の衝突現場なのだと思わずにはいられなくなっていて、それは例えば初期のニブロールが、オウム真理教のサリン事件以降、阪神淡路大震災以降という背景から、暴力的な舞台空間を作り上げていた頃を思い起こさせ、しかしもうブランド化してファッションになってしまった今のニブロールの舞台はわたしには内攻しているだけに見えてしまっていて、この2008年、今の時点では、そのようなインパクトはもう大橋可也&ダンサーズに道を譲ったと言うしかなく、それは考えてみればそんなサリン/大震災(いっしょにしてしまいます。それだけの理由はあるでしょう?)前夜の、あのDumb Typeの公演『S/N』の事件性に匹敵すると言ってしまってもいいようにも思えるのです。
第三部はその事件性から移行して、映像を使った「狂気」をはらんだ世界へとずれ込んで行き、その意識はかつてのかれらの傑作公演『あなたにここにいてほしい(だっけ? この辺り、かなり記憶が曖昧なんです)』で最後に大橋さんが舞台の外に駆け出して行くように、カメラが外に飛び出して行き、それは内なる個人からの「社会」への反撃の、その第一歩たる視点ではあると思え、近年稀に見る力強い舞台として、That's O.K!
書き足りない気がしますけれども、長くなったので、まずはここまで。(2月10日観劇)
■ 2008-02-19(Tue)
■[Book] 『篦棒(ベラボー)な人々〜戦後サブカルチャー偉人伝〜』 竹熊健太郎:著
人はその生涯の中で、理解不能な人に出会ったりすることが、ままあるのではないかと思います。理解不能と言うのは、つまりは「なぜこんな人が存在しているんだろう」という感想、そう言っても良いと思うのですけれども、人はいつも、そういう特異な人を「奇人変人」とレッテルを貼り、「山師」であるとか、「狂人」であるとか、そういうふうにして解釈したつもりになって、理解したつもりになったりするわけです。「篦棒」という、そうか、こんな難しい漢字を書くのだということを初めて知るのですが、そういう呼び方もまた新しいレッテルのひとつではあるのでしょう。
『クイック・ジャパン』に、発刊当初から連載されたらしいインタヴュー記事からなるこの本に登場するのは、康芳夫、石原豪人、川内康範、そして糸井寛二の四人です。で、基本的に、わたしの興味のあるのは最後に出てくる糸井寛二さんただ一人です。もちろん他の三人の方々のインタヴュー記事も、極上に面白いモノではありますが、やはりその当人を探し求めるいきさつから始まる糸井寛二さんの章は、それ自体読み物としてメチャ面白くもあるわけです。
わたしが糸井寛二さんの名前を知ったのは、きっと68年から69年、もしくは70年代初頭に、美術手帖の記事を読んでのことだと記憶しているのですが、この『篦棒な人々』に紹介されている、「少年サンデー」での「変な芸術!!」という特集は、どうも記憶に残っていませんでした(当時のサンデーとマガジンは毎号かかさず読んでいたはずなのですが)。その「少年サンデー」に掲載されたという写真、あまりにすばらしいのでここに無断で掲載させていただきます。この「殺すな」というフレーズは、岡本太郎が最初なのか、それともこの糸井寛二さんが最初なのか、しかしみごとなメッセージの掲示! 新聞一面広告でもコレには太刀打ち出来ないでしょう。
もうひとつ、1972年に刊行された講談社の『現代の美術』という画集というかアートブック、これは当時話題になったのですが、その11巻、「行為に賭ける」(針生一郎:編著)という本が手元にあるのですが、ここには例えば「ゼロ次元」とか秋山裕徳太子、「the PLAY」などは写真付きで紹介されているのですけれども、この本のどこにも、その糸井寛二さんの名前も出て来ないようです。それは美術史的に名前を残す価値もないという判断なのか、その行為に理由付け出来ないというせいなのか、うん、やはりこの人の、ただ裸になって走るという行為の、それ以上削ぎ落としようのないラディカルさ、何をつけ加えることもない潔さは、どうあっても説明不能なのでしょうか。
で、実は、その「行為に賭ける」という本をぺらぺらとめくっていると、あれれ、見たことがあるようなパフォーマンスの写真が、などと思ってキャプションを見ると、それは若かリし日の「首くくり栲象」さんの写真なのでした。
思ったのですが、そのような形で現代美術史とか、つまりは表現の歴史の中であまりにもラディカルなパフォーマンスを見せながらも、そのラディカルさゆえか、「理解不能」とされたのか、黙殺されて来た人たちが、その糸井寛二さんの系譜、と言ってもいいと思うのですが、そういう人たちの系譜が確かに存在します。
別にそんな人たちが「篦棒」だなどと言うつもりもありませんし、もちろんわたしはこの「篦棒」というレッテル、呼称は好きではないのですが、ここでそのお名前を糸井寛二さんに引き続いて列挙することが失礼に当らなければ良いのですが。
例えば、「ホイト芸」という名目でパフォーマンスを継続されていらっしゃる黒田オサムさん、そして先にあげた首くくり栲象さん、それからダンスとかいう枠組みをさっぱりと飛び出して宇宙的規模のパフォーマンスを独特の芸風(?)で展開される花上直人さんなどは、そう、誰も正当なパフォーマンスの系譜の中では評価されてはいないと思うのですが、じつはここに挙げた方々の、ある意味で日本の表現史の裏面を補完されているような方々の活躍があってこそ、じつはその歴史を豊かに彩られているのではないのだろうかと思うのです。こう言ってしまってはなんですが、決して華やかな表舞台に出て来られることのないここに取り上げたお三方、偶然にも3月から4月にかけて、皆さんがどこかしらの舞台に立たれるようです。ふん、これはきっと、この2008年が、それでも尚、それなりに期待が持てそうだということに他ならないのでしょうか。
お三方のこれからのスケジュールを書いておこうと思ったら、データをどこかにやってしまいました。うろ覚えで、黒田オサムさんは3月のNIPAFに出演され、花上さんはたしか4月にdie pratzeが新しく日暮里に造られた劇場「d.倉庫」にてのソロ、栲象さんは4月の「シアター・バビロンの流れのほとりにて」でのシリーズ公演のどれかに出演されるはずです。
読んだ本の感想を書いていたつもりが、思わぬ所に脱線してしまいましたね。
■ 2008-02-15(Fri)
■[Dance] 『死の天使』 ヤン・ファーブル:構成・演出・テキスト イヴァナ・ヨセク:出演 ウィリアム・フォーサイス:映像出演 @彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
わたしはこういう狭っ苦しいスペースに詰め込まれて観るイヴェントとか大好きだし、とにかく造り込まれた舞台の完成度の高さにも感銘したりするのですけれども、でも、なんでこれが「アンディ・ウォーホル」なのか、という疑問が、わたしの頭をはなれません。
アンディ・ウォーホルが「両性具有」的だという解釈はわかりますし、ここで語られるテキストは、そういう意味でそうとうに面白かったということは言えるのですけれども、そう、ここで繰り広げられる世界はどうしてもアンディ・ウォーホルのものではないように思えてしまうのです。
「死の天使」というタイトルからも導き出されるデーモニッシュな世界と、イヴァナ・ヨセクとフォーサイスの完成されたマッチョな身体、それはどうあってみても、わたしの解釈するウォーホルのやったこととに乖離があるのです。
わたしの解釈では、ウォーホルという人は、ハイ・アートの世界を卑近な世界に引きずり下ろし、いくらでも複製可能なチープな物質に還元した人であって、この舞台に出てくるような神話的な人物ではないのです。それがこのような形で神話作用を経ながら特化された身体の語り口へと変換されるのであれば、そう、言ってしまえばやはり、ヨーロッパには未来はないのです。もちろんそのウォーホルの活躍したアメリカに未来を託すわけにもいきません。オーストラリアは捕鯨に反対するしか能がないので、残るはアジア・アフリカ・南アメリカしかありませんね。さ、日本はかろうじて「アジア」ではあるでしょう。
というか、もういちど、アンディ・ウォーホルをわたしたちがおとしめなければならないのでしょう。(2月9日観劇)
■ 2008-02-14(Thu)
■[Book] 『ボブ・ディラン自伝〜CHRONICLES volume One〜』 ボブ・ディラン:著 菅野ヘッケル:訳
仕事は忙しいし、こんなペースで書いていたらどんどん追い抜かされていくばかりだし、ちょっとスパートをかけます。
2004年に刊行されたボブ・ディランの自伝その一。全三冊になるらしいのだけれども、三年経ってもまだ、「その二」は刊行されていません。
本書は時系列にしたがったいるわけではなく、全5章のうち1、2、5章がデビュー前、デビューまでの経緯などで、3章が、バイク事故のあとの沈黙から「新しい夜明け」レコーディングまでの話、4章が「オー・マーシー」をダニエル・ラノワとレコーディングしている時の話が中心に語られています。
デビュー前の話は、いかにしていわゆるトラッド・フォークとかマウンティン・ミュージックの世界からウッディ・ガスリーを発見するに至ったか、その他にどんな音楽をどのように聴いていたのか*1とか語れれていて興味深いです。
「新しい夜明け」レコーディングまでの半引退状態の頃の、「もう、放っといてくれよ」なんて心境は、しばらく前に観たスコセッジ監督の「No Direction Home」でのイギリス・ツアー、そのステージの上から観客の怒号に「うるさいなぁ、もう〜!」ってMCに呼応するような感じです。
結局、ここでいちばん貴重(?)なのは、「オー・マーシー」レコーディング時の、ドキュメントのような緻密な文章で、曲ごとのレコーディング時の経緯とか、実は、わたしはその「オー・マーシー」を未だにちゃんと聴いたことがないのですが、それでもそのレコーディングの時のミュージシャンの心境のドキュメントとして、ものすごく読みごたえがあります*2。
彼が最初にニューヨークに到着した時の記述で、ケルアックの『路上』についての面白い感想に出会いましたので、ちょっとコピーしてしまいます。
わたしはニューヨークに到着して数カ月で、ジャック・ケルアックが『路上』で巧みに描きだした「興奮を求める」新しい考え方への興味をなくした。それまでは、この本はわたしにとっての聖書だった。しかし、もうそうではない。ジャックの筆がもたらした息をもつかさぬ活力にあふれたバップポエトリーのことばはあい変わらず好きだが、主人公のモリアーティは目的がなく、まちがっているように思えた−−愚かでいることを奨励する人物像に見えた。モリアーティは追われるまま、あちこちにぶつかりながら人生を生きている。
では、ディランの「On The Road Again」は何だったのか、その歌詞も全く憶えていないし、猛烈にもう一度聴きたくなってしまいました。って、手元にないではありませんか。こんど買いに行こう。
■ 2008-02-07(Thu)
■[Dance] コンテンポラリー・アーツ・シリーズ バットシェバ舞踊団 『テロファーザ』<日本初演> オハッド・ナハリン:振付 @神奈川県民ホール 大ホール
例えば、ウィリアム・フォーサイスの振付の、すべての関節がギックリ腰になりそうな超絶技巧ダンスを観ても、それはそれで凄いなぁと思うのだけれども、結局わたしは技巧的なことに関しては良くわかっていなくって、それは現代音楽みたいなのを聴いて「ウン、コレ好き」とか言ってみても、「フン、わかってるのかよ?」などという、通な人たちからの声が聞こえてきたりして(実際にそんなことを言われたことがあるけれども)、ま、それにはそれでモノ申したいところもあるのですが、こういう、ホントはすっごく技術持っているであろうようなダンサーの皆さまが、例えばバレエであるとか、そういうテクニックなんたらという次元から離れた、距離をおいた舞台を繰り広げられたりされると、つまりは涙腺がゆるくなったりいたします。
何年か前に、青山劇場かどこかで初めて観たバットシェバの舞台はそれこそ衝撃的で、ダンサーそれぞれの個と、カンパニーとしての集団とがみごとにマッチングされ、その上で、大げさに言えば「生」の意味を問い直すような舞台、しかも圧倒的な迫力と楽しさ。こういう世界こそがわたしがダンスに求めていたものだったのでは? などと感慨にふけったりしたものでした。
その、オハッド・ナハリン振付の『テロファーザ(TELOPHAZA)』。とにかくダンサーの数がいっぱい。数えたら31人。これらのダンサーが、とってもゆるい(特に揃えようと意識していない)ユニゾンとか、全景中景後景とかに分離して横スクロールしてみたり、パラパラみたいな動きを見せてくれたり、舞台上のヴィデオカメラの視点からダンサーの足元のアップ、そちら側からの観客席への視線などを見せてくれたり、ものすごく複合的な舞台。
ダンサーたちが輪になって歩きながら、その中央に一人づつ入っていって短いソロを繰り広げるところなんか、往年の「SOUL TRAIN」のオープニングみたいだし、そのラスト近く、舞台に横たわって頬をすり寄せあう二人のダンサーの顔のアップの映像とかからは、やっぱ世界を肯定する「愛」という言葉を思い浮かべてしまうし、その、観客を参加させる巧みな演出も嫌味でなく楽しめました。このゆるさには、去年のニ−ドカンパニーの『イザベラの部屋』公演を思い出したりもいたしました。
結局、コンテンポラリー・ダンスなどと言ってもつまりはハイ・アートに回収されてしまうのではないかと危惧してしまったりしていた昨今でしたけれども、そう、無理してコンテンポラリー・ダンスとかってジャンル分けしなくっても、というか、そういうジャンル分けする行為自体をを無効にしてしまうような、楽しくって刺激的な舞台ではあったことよ。って、チラシの写真と衣裳とか違っていました。ど〜でもい〜っすけれど。うん、この21世紀は、そう表面的なゆるさから、いかに真摯なものを表出するかということこそ課題であるのではないでしょうか。わたし自身にも、そういう視点をだいじにしたいと思わされるステキな舞台でありました。(2月2日観劇)
butoh-art
いやあ面白い舞台だった
なんでもない動きも圧倒的なユニゾンと構成で非常に面白く見せる力。以前のハイテク部分はチラっと顔を見せる程度で、テクニック重視よりも、日常の動きやノンダンス的動き、行為などから踊りを作るということを、群舞と構成力によって見せる舞台は、ある意味で新しいと思いました
映像の使い方も巧みで、それによる観客の巻き込みも、映像が語るという「虚像」ゆえという戦略がうまかった
同時に足のアップとその向こうに見える俯瞰での跳ねるダンサー、ジェフ・ベックのギターのブルースによる輪になったダンスソロなど、見せどころも何気なく満載でした
いや面白かったということに非常に同感です
crosstalk butoh-artさまコメントありがとうございます。そうか、あのギターはジェフ・べックだったのですね。途中のライヴ音源はたしかブルース・スプリングスティーン、そういうちょっとオールドタイミーな選曲もゆるくて舞台にマッチしていました。
■ 2008-01-31(Thu)
■[映画] 『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』ティム・バートン:監督
ティム・バートンさんには、やはりどこか挿絵画家という趣を感じさせられるところがありまして、特に『シザーハンズ』以降は、それこそすてきなダーク・ファンタジーの絵本をひも解くような感覚を楽しませてもらっていて、もちろん大好きな映像作家。彼自身もオリジナルに『オイスターボーイの憂鬱』というダークな絵本を書かれていますし、やはりわたしはアーサー・ラッカム的な『スリーピー・ホロウ』という作品こそが大好きでした。あの、老木の洞から首なし騎士が飛び出してくる瞬間の高揚感といったら!
そういう意味では、今回の『スウィーニー・トッド』の趣向は、ウィリアム・ホガースの描く19世紀ロンドンの姿とでも言うような趣なのですが、いえいえ、それ以上に、例えば印刷された絵本での色校正に厳密な絵本作家のように、この作品でやはりもっとも重要なのはそのタイトル・バックからあらわれる血の色。その「朱」の色にこそ、この作品のすべての趣向が込められているように思えるのです。
なんという非現実的な血の色であることでしょう! この、カラーチャートで言えばヴァーミリオンがかったというか、ほとんど「朱」、現実世界で例えれば朱鷺の色、この色彩にこそこの映像のすべてがあるように思いました。もちろんそれを支えるのが、ホガース的な19世紀ロンドンの世界の描写であることを賛美しなくてはならないのですが。
さて、訪れた客の首をかっ切る床屋*1といえば、やはり唐十郎の『愛の床屋』なのですが、この『スウィーニー・トッド』を観た夜に、「さて、どこかに置いてある唐十郎の『少女仮面』を探してみなくっちゃ」などと思っていたら、翌日、ちょうど読んでいた森達也さんの対談集の中の、小室等さんとの対談のところにまさにその『愛の床屋』が出てきました。こういう符合は人生の宝ですので、ここで著作権問題も何のその、再録いたします。
おれは長いこと床屋をしていた
新宿三丁目の伊勢丹裏で
おれのかかあは客引きだった
何不自由ない暮らしだった
雲ひとつない日曜日が来ると
きれいな身なりを着こなして
二人で招くご婦人方を
楽しく首はねしたものだった
ごらんよ ごらん かみそりが舞う
ごらんよ ごらん 首が飛ぶ
ごらんよ ごらん 愛のトラ刈り
おれは長いこと床屋をしていた
腕は確かな品川仕込み
もとはと言えば屠殺人
品川無宿の荒くれよ
豚の睾丸くりぬくように
罪なきものを罪あるように
罪あるものは断頭台
死人は火鉢の灰にする
ごらんよ ごらん かみそりが舞う
ごらんよ ごらん 首が飛ぶ
ごらんよ ごらん 愛の行きずり
(今日のイラストは、その、『スリーピー・ホロウ』をわたしに思い出させてくれた、アーサー・ラッカムのものです)
*1:「床屋」とは言わずに「理髪師」と言ってしまう背景には、一種の日本的なポリティカル・コレクトネスがはたらいているのではないかと思えるのですが! いや、これもまた、その森達也さんの対談集で学んだ事柄ではありますが。
■ 2008-01-28(Mon)
■[Dance] ニブロール10周年記念新作公演『ロミオORジュリエット』 @世田谷パブリックシアター
振付:矢内原美邦
映像:高橋啓祐
衣装:矢内原充志
音楽:スカンク
カンパニー創立10周年というのが、観客にとって目出度いことなのかどうか、すごいことなのかどうかはよくわかりません。でもまあわたしはこのカンパニーは5年ぐらいしか観ていない。何となく不穏な空気を抱え持った集団でした。それはなんだか、個が社会とぶつかってしまった事故現場のような。
でもなんだか、いつの頃からか、スタイリッシュでエグゼクティヴなブランド・カンパニーに(ブランド・カンパニーなどという呼び方はないでしょうけれども)ずれ込んでいったような印象で、こういってしまっては実も蓋もないけれども、NHK教育TVに出てくる若者達みたいになってしまった。そういう印象があります。
今回の10周年記念の新作。まずは音。スカンクの音はこれはもう素晴らしい轟音で、エレクトリック・マイルスみたいなファンキーさも垣間見せて、しかもやはりこの世田谷パブリックシアターは音響設備が整備されているというか、この音だけでも堪能いたしました。
映像も、序盤の三列にたらされた紗幕へのディジタル風景とか、中盤の床に映されるお菓子〜虫(?)の行列とか、舞台にからむ映像としてインパクトのある部分もありました。そう感じました。
しかしダンスの部分は、近年このカンパニーに感じている疑問が、これで払拭されるようなものではなかったというのが正直なところです。なんというか、閉塞感。舞台上で踊る人物も、観客であるこちらも、閉ざされた空間の中で出口が見つからない。ぶっつかるべき外壁がどこにも見つからないでいて、それでも閉じ込められている。叫んでみてもそれは神経症的に内攻するだけで、分裂症にも至らない。どこか幼児症的な成熟仕切らない感覚は、やはりあの幼稚園児の制服のような衣装のせいではないのか知らん。あれがもうちょっとデザインが違っていれば全く印象が異なるはずなのに。しかしアレこそがニブロールの狙いなのだろうか。たとえばチラシに書いてある文章の冒頭は「ねぇちょっと、みてみてよ」。ここにもやはり幼児性というか、こんな語り口で良いのだろうか。舞台上で発せられる言葉にも、同じような違和感を持ちます。
ダンスにはそれなりに、例えばヒップホップ文化などを吸収したような、対抗文化っぽい空気もあるのだけれども、そういった衣装や言葉、いやそう言ってしまえば映像なんかまでも、一種ハイ・カルチャー、ハイ・アートの世界に居残ろうとしているように。
もっともっと壊せばいいのに。音楽はそれを確実に促していると言うのに。もっと、もっと。10年も継続する必要など、どこにもありはしない。ロミオも、ジュリエットも、どこにも居やしない。
(1月20日観劇)
■ 2008-01-26(Sat)
■[今日のPlay List] 『Baby, Scratch My Back』 by Slim Harpo
土曜日の夜、東京に出てきた時はいつもたいていそうであるように、下北沢の「G」で飲むのですが、この夜のカウンターのおとなりはFさん。Fさんはほとんどわたしと同い年なのですが、いつもとってもパンクな黒のレザーおじさまです。で、Fさんはたいていその夜に下北沢でゲットされたアナログ盤のLPを持って来られて、それを控えめにこの店でかけてくれるように、そっと店の人にささやくのです。その点わたしは図々しくて、いつも買ったCDを有無を言わさず「これかけて!」と要求してひんしゅくを買っているわけですけれども。
この夜のFさんが持っていらっしゃったLPがそのSlim Harpoのもので、しかもその中にわたしの大好きな「Baby, Scratch My Back」が入っていたので、ついついこの曲がいかに楽しいか、語ってしまいましたけれど、それがちょっと店で受けまして、「どないやろ」と、ココでも書いてみることにしました。
Slim Harpoはブルースシンガーでマウスハープ奏者、おそらくは、Rolling StonesまたはKinksが、彼の「I've Got Love If You Want It」をカヴァーしたことで一般に知られていると思うのですけれども、えっと、わたしの大好きなAlex Chiltonも、彼の「Te Ni Nee Ni Nu」をやっておられます。ブルースのシンガーとしては比較的後期といいますか、50年代の後半から60年代にかけてが彼の活躍した時期で、そのイギリスの若いグループなどがそういったブルースの音源をカヴァーした時期と、このSlim Harpoの全盛期が時代的にかぶる人ですね。ま、Slim Harpoの音はブルースというよりはかなりポップで、その60年代のイギリスのバンドがやっていたような音と、あまり差異がないのも特徴ではあるのではないでしょうか。おそらくブルースシンガーとして、現役でヒットを飛ばした最後の人でもあって、この「Baby, Scratch My Back」は、1966年にBillboardのポップチャートで、なんと16位まで上がる大ヒットになるんです。だからわたしもこの曲知ってるんですけれども。
この曲は「歌」というよりはほとんど語りで、彼のブルース・ハープとブルージーなギターから始まって、これがホントにいいんだけど、で、Slim Harpoの語りで、「ン〜、かゆいぜ!」ってなのが入ってくる。つまりタイトル通り、「なぁ、背中掻いてくれよ」っていうのですけれど。この語りが最高で、わたしはずっとこれを勝手に日本語に置き換えて勝手に楽しんでおりましたけれど、ま、その曲を聴けないで歌詞だけをここで取り上げてもその楽しさはほとんど伝わらないと思うのですけれど、ちょっとその、わたしがやった「意訳」を、ここで書いてみたいのですね。えっと、だいぶ原詩と違うと思いますけれど、許して下さい。
ン〜、かゆいぜ!
手ぇ届かねえよ
おぅ、ちょっと背中掻いてくれよ
おまえ、うまいじゃん
やってくれよおぉ、そうそう、そこそこ
きっもちいい〜
おまえ、最高!
う〜ん、いいね!それよそれ、よう知っとるね
つっついとくれ
あぁ、おまえかっこいい
おれが言った通りだぜ
ははは、ばかだね。ま、ここで「つっついとくれ」っていう所、英語だとchicken scratchとかなんとかいってんだけど、良く意味わからないんですけれど、ここでギターの音が、そのニワトリがコッコッコとかないてるような音出してて、これがまたイイんですね。
Slim Harpoさんは、1970年に心臓発作でお亡くなりになってしまいました。享年46歳ですか。おそらくはブルースのシンガーの中でももっともロックのフィーリングに近いものを持っておられた方だと思いますし、少し早すぎる死だと思います。もう少し、その60年代以降のロックの時代に生きて活躍していただきたかったアーティストです。
モク 2008/03/08 22:39 crosstalkさん、こんにちは。ご無沙汰しております。
「ミスター・ロンリー」観て参りました。
仰る様に、映像の持つパワーに、そして実にユニークな視点にノックアウトされてきました。大好きな作品です。
ハーモニー・コリンって、これまでなんとなくスルーしちゃってたんですよね。(ラリー・クラークが「KIDS」を撮った際のマスコミの持ち上げ方に少々抵抗感じて…それが原因なのかなぁ。)
ともあれ「ガンモ」も借りて観なければなりません。
crosstalkさんには、この映画の事、書きたい事を思いっきり語って欲しいなぁ…と思いつつ。
crosstalk 2008/03/11 00:11 モクさんどうもです。コメントありがとうございます。そして、モクさんにもこのステキな『ミスター・ロンリー』を気に入っていただいたのが、とってもうれしいです。ものすごく観客を選ぶ映画でしょうから。たとえば、ぼのぼのさんには絶対ダメよ。って名前出しちゃった。
『ガンモ』も良かったでしょ? あれは皆ジャケットのウサギにだまされて、きっと可愛い映画だろうと思ってDVD買ってしまったりするのでしょう。もう思いきりイヤな映画でもあります。おかげで中古DVDをとっても安く買うことが出来ました。
『ミスター・ロンリー』はほんとうにもう一度見に行こうと思っていたのですが、かないませんでした。時間も取れなくって、これ以上もう書けないと思いますけれども堪忍して下さい。
ではこれからもよろしくです(そろそろ今年も「水族館劇場」の季節が近づいて来ましたよ!)。