2008年03月23日
続々・岡田斗司夫の「遺言」第四章
前回、前々回の続きです。
<1989〜91年当時のガイナックス>
○ 今まで話してきたようにゲーム班がブイブイ言わせていた一方で、アニメ班はというと、「フェンスオブディフェンス」のプロモーションビデオや「おたくのビデオ」、「炎の転校生」と、変化球的なアニメばかり作っていた。簡単に言えば、低迷期。
○ そういや「おたくのビデオ」には、「おたくの肖像」というインタビュー形式でおたくの生態を描いた実写パートがあるのだが、皆さん薄々お気づきの通り、ちゃんとシナリオがあり、セットを組んで撮影した擬似ドキュメンタリーである。
○ 一時は、今月2500万円の支払いがあるのに1500万円しかない!みたいな状況が続いていたのに、この頃になるとゲーム班の頑張りで、ついに通帳の数字が1億円の大台に乗るようになってきた。
おたくのビデオ DVD Special Edition
辻谷耕史 桜井敏治 井上喜久子
![B00005G02P](/contents/016/133/825.mime4)
![](/contents/016/133/826.mime1)
○ しかし、潤沢な予算がありながらも、それを生かせる企画がなかなか挙がってこない。前回言及した「トレスコ」も、原案者である山賀くん自ら駄目出しする始末。
○ そんな時、西崎義展から「ガイナックスで新しいヤマトを作らないか?」という話がきた。ついにきたか、と思った。漢として生まれた以上、一度は西崎義展から「ヤマトやらない?」なんて言われたいものだ。それにオタク・フォレストガンプとしても大いに興味がある。マクロスの企画が最初に立ち上がった現場にも立ち会った。スタジオぬえが1階と2階で内部分裂した時もそこにいた。庵野くんとノリノリで打ち合わせにいくことになった(そういやBSマンガ夜話でもいしかわじゅんのことを「漫画界のフォレストガンプと呼んでましたな」。
ここで休憩が入った後、雑談に。
○ 来月から大阪芸術大学の授業が始まるのだが、大変だ。気が重い。なにしろ、「初めて感動したアニメは“ひぐらしのなく頃に”です!」なんて若者がやってくる。彼らに話を聞いてもらうのは一仕事だ。
○ 一般的に言って、偏差値が高い大学ほど授業がラク。今まで僕が授業を受け持った大学の中で、最もラクだったのはMIT。深夜1時20分開始の授業なのに、学生の聞く姿勢が凄かった。
○ しかし、偏差値が低い大学ほど先生の能力は伸びる。逆境ナインみたいなもの。そういう大学では、授業が終わった後「今日は生徒が最後まで聞いてくれたよ!」と講師がガッツポーズする。
○ 大阪芸大は偏差値的には中間で、授業のし易さとやり甲斐的にも丁度良い感じ。
○ でも、永井豪やバロン吉元も講師をしているのだが、彼らのような現在「旬」を過ぎてしまった作家が講師を務める授業で、学生の聞く姿勢が極度に低下するのはどうかと思う。実は、授業の内容は現在「旬」な作家と、そう変わらない。何が違うかというと、観客の期待値が下がっているわけだ。同じぬいぐるみでも、ディズニーランドのミッキーと、よみうりランドのドン・チャックでは客のテンションが違う、みたいな(ドン・チャックは後楽園らしいです)。
<西崎・宮崎・富野伝説>
○ 西崎義展の事務所はミニスカの女性秘書が何人もいた。西崎にメモや電話を取次ぐ際、片膝をついて手渡したりする。期待通りだ!
○ せっかくアニメ界で仕事をする以上、こういう「いかにも」とか「噂通り」な場面になんとしても出くわしたかった。例えば、宮崎駿の時もそうだった。噂通り椅子に胡坐をかき、こちらを指差して「どうせオマエは自民党に投票するんだろう!(大声)」と言ってくる。
○ もう嬉しくて嬉しくて、なんとかこの会話を途切れさせないようにしたく、「え〜、ダメなんですか〜?中曽根さんカッコイイじゃないですか〜」とわざと挑発するようなことを言ったら、「若い奴は、共産党に投票するんだ!!!」
○ 更に悪ノリして、「え?宮崎さんは共産党に投票するんですか?」「そんなこと言えるかー!!!」(もう場内大爆笑でした)
○ もう一つの例として、富野由悠季のことを挙げたい。僕はずっと昔から、富野さんに対しておネェ疑惑を持っている。時折マッチョなことを言う。クネクネしながらおネェ言葉を使う。そして何より、出会うと必ず「岡田ちゃーん(笑)」とか言いながら、必ず僕のお腹かお尻を触ってくる!そんなに親しい間柄でもないのに「岡田ちゃんのお・な・か(笑)」とか言いながらボディタッチしてくるのはあの人くらいなもの。
○ だいたい富野由悠季は人によって印象が大幅に異なる。「反逆者」「寂しがり屋」「大人」「子供」「サディスト」「マゾヒスト」誰に聞いても印象がバラバラ。赤井くんに言わせると「あの人はAB型ですね」。世をスネてる面と、人恋しい面との、二面性がある。
○ Gyaoの「ひとり夜話」でも少し言及したが、「オタク学入門」のオマケにつける富野さんとの対談が凄かった。中央線が遅れたせいで遅刻したのだが、対談場所に着くと入口で編集者が青い顔してうなだれている。部屋に入ると富野さんが腕組みしていて、「遅い!もう終わった!!」で、いざ対談を始めると「何故ガンダムの話をしたくないか」について延々と語る。なんて二面性!
<富野由悠季との対談>
○ とにかく富野さんは語りに語る。その昔、富野さんの語る内容は「最近のアニメはこれで良いのか?」だった。それが最近のアニメファンはこれで良いのか?」になり、「最近の日本はこれで良いのか?」にスライドし、遂には「最近の地球はこれで良いのか?」にまでエスカレートした。
○ うまく富野さんをけしかけると、「ガンダムのビームサーベルはスター・ウォーズのライトセーバーより発想が早かった」なんて話が飛び出した。
○ 「ビームサーベルは秘密兵器だから、使う時だけ刃が出る」とも。どういうことかというと、以下のような演出をしたかったらしい。ガンダム初回では、その世界の歴史上初めてのMSというかロボット同士の戦闘が行われる。この時、ビームサーベルが光っていては駄目だ。100 m離れていても警戒されてしまう。ガンダムが変な棒みたいなものを持っている。ザクが何も知らずに突っ込んでくる。そこを一閃!ビームサーベルはMSのボディに当たる瞬間だけ光る。この時、ビーム刃は作画の限界まで細く描写する。
○ それは格好良い!「なんでそうしなかったんですか?」と、愚かにも質問してしまった。「アニメを作る人はバカなの!(声色)」もう止まらない。「プロデューサーもバカ、作画監督もバカ、デザイナーもバカ、み〜んなバカ、バカ、バカ〜!(声色)」(ここいら辺、富野由悠季の台詞を声色で演じていて、岡田流オタク落語の真骨頂という感じ)
○ やっぱり富野さんはガンダム好きなんだ!と思った。でも、ここまで来ると僕も学習したので直接口には出さない。
○ 対談は盛り上がった。でも今回、あんなに大好きな「おまんこ」は言わなかったな。「乞食」「キチガイ」は言ったか。でも、富野さんがゲラチェックで切ったら載らないかも。なにしろ何時間も対談したので、あれをノーカットで掲載したら文庫本全部が対談で埋まってしまう。
○ 富野由悠季には「マゾ」と「マッチョ」が同居している。二面性がある。「人間なんて死んじゃえば良いんだ!」と発言する富野の背後には、「こんなことを言う僕を止めて〜!」と悲鳴を上げているもう一人の富野がいる。
だから僕は…―ガンダムへの道
富野 由悠季
![4044101655](/contents/016/133/827.mime7)
![](/contents/016/133/826.mime1)
<プロデューサーとしての西崎義展>
○ 僕は富野さんが大好き。こんな具合に、自分とその人との関係が面白くなるのが楽しい。でも、西崎さんとは違った。自分が若かったせいもあるが、良好な人間関係を築けなかった。
○ まず、僕がビビりすぎていた。会うなり、「会いたかったよ」。後ろに「ヤマトの諸君」と続かないのが不思議な位のド迫力。
○ その代わり、「口座番号を教えてくれたまえ。明日には2000万円振り込もう」と続く。いや、明日じゃないな。「今日中に振り込もう」だったかな。
○ 大塚英志はその著書で、西崎義展を「妖怪」と評していた。表面では女と酒と車の話をしつつ、水面下で「リトル・ニモ」の権利配分について話し合っている姿を見て、そう感じたのだという。
○ 今思えば、西崎義展は昔ながらの大物プロデューサーで、虚々実々の駆け引きの中で仕事の話するのに慣れていたのだろう。しかし、その時の僕は西崎さんの冗談が分からなかった。「それは、その2000万円で新しいヤマトを作れということですか?それとも、お年玉的なお金ですか?」と聞いてしまった。「とにかくやる」と言うので、「今すぐ口座番号を確認します!」と言ったら不機嫌になった。
○ 後で知ったのだが、辻くん(辻初樹?)も同じ話を持ちかけられたという。辻くんの場合は200万円だったそうだ。「岡田さん、偉くなりましたね!僕より10年後にこの業界に入って、10倍の金額を提示されるなんて!」辻くんの時は口座番号ではなく、ポンと200万円の札束を手渡されたのだが、帰る際秘書に「ハイ」と手の平を差し出され、回収されたのだという。
○ どうも同じような話を色んな人に持ちかけていたようだ。ただ、当時の西崎義展は全盛期に比べると比較的落ち目だったのだが、全盛期の西崎義展は回収しなかったらしい。あの後脱税で捕まったわけだが、脱税も忘れるほど全盛期に儲けていたからだろう。
○ とにかく話がデカい。「本田美奈子もオレが育てた。美奈子がアイドルをやりたいというので、アイドルとしてデビューさせた。美奈子が女優になりたいというので、主演映画を用意した。ロックをやりたいというのでロックバンドを組ませた。そして、オレの元から巣立っていった……」フラれたんだね。
○ 「ヤマトはお前達の好きにして良い」という。庵野くんはニヤニヤしながら、「やりたいことがあります」と、自分の作りたい新ヤマトについて提案した。「最初のヤマトを、最初のコンテのまま、松本零士の絵そのままでやるんです!」(西崎・松本間の憎悪関係が広く世に知れ渡った現在では、大爆笑な台詞です)
○ 「うーん、それは違うんじゃないかね。自由に作って良いとは言ったけれど、歴戦の勇士である艦長がいて、言うことを聞かない戦闘班長がいて、責任感のある航海班長がいて、酒ばかり飲んでいる船医がいて……そういう風にしないと、皆が考えているヤマトにならないんじゃないのかな?」好きにして良いと言った割には、どうも作らせたい続編のあるべき形があるらしい。
○ 「最初のままやりたいんです!」と言った庵野くんも庵野くんだが、今思えば、コンテまで同じでありながら演出やキャラを微妙に変えることで新しいものを作れると思ったのだろう。エヴァンゲリオンの新劇場版みたいな。
○ ゆったりとしたロマン話の合間に、下世話なエロ話を挟んで会話を続ける西崎義展、だが、あくまでも最初のままやりたいと庵野くんが主張すると、西崎義展は次第に興奮してきた。すると、秘書が大きな茶色い瓶を持って部屋に入ってくる。「先生、お薬の時間です」その薬を飲むと、西崎義展の目がドローっとしてきた、更に話がデカくなってくる。あの薬はいったい何なんだろう?辻くんは「麻薬ですね」と言っていたが、麻薬ってあんなデカい茶色の瓶に入っているものなのか?
○ 結局、新作ヤマトの話は受けなった。今考えると、あの頃はアニメ班が袋小路に入り込んでいた時期なので、新作ヤマトをやっても良かったんじゃないかと思うのだが、その時はやりたいことをやらせて貰えないであろうことが嫌だった。
○ また、作品の為に実際に作業をしたり、色々とアイディアを出したりしたとしても、西崎義展の仲間や友人にえげつない方法名前や権利をとられることが後にわかった。つまり、西崎義展は自分一人の力で大プロデューサーになったわけではないので、古くからの仲間や友人に現在でも利益を配分する必要があるのだ。
○ この「えげつない方法」を教えてくれたのが、誰あろう松本零士。例えば「ヤマト」のタイトル片仮名表記とか、第三艦橋とか、何か新しいアイディアを思いついたとする。西崎義展はそれを参加者数十人の会議にかけさせる。そこで細かい駄目出しや、修正・変更を加える。この過程で、この新しいアイディアを、個人ではなく皆が考えたことにする。権利を個人からとりあげ、皆のものにするわけだ。
○ これは、「タイクーン」と呼ばれた、ハリウッド黄金時代のプロデューサーと全く同じやり方である。ヨーロッパ映画のように作家主義に陥ると、儲からなくなって映画産業が成り立たなくなる、という反省から生まれたやり方だ。そういう時代も確かにあったし、決して間違ってはいないやり方だが、時代遅れ。
明日ちょっとだけ仕事があるので今回はここまで。なんだか章を重ねるごとにまとめ記事が長くなっているような気もするが、メモはあと1/3も残っていないので、次回で終わらせるぞ!
○ 今まで話してきたようにゲーム班がブイブイ言わせていた一方で、アニメ班はというと、「フェンスオブディフェンス」のプロモーションビデオや「おたくのビデオ」、「炎の転校生」と、変化球的なアニメばかり作っていた。簡単に言えば、低迷期。
○ そういや「おたくのビデオ」には、「おたくの肖像」というインタビュー形式でおたくの生態を描いた実写パートがあるのだが、皆さん薄々お気づきの通り、ちゃんとシナリオがあり、セットを組んで撮影した擬似ドキュメンタリーである。
○ 一時は、今月2500万円の支払いがあるのに1500万円しかない!みたいな状況が続いていたのに、この頃になるとゲーム班の頑張りで、ついに通帳の数字が1億円の大台に乗るようになってきた。
おたくのビデオ DVD Special Edition
辻谷耕史 桜井敏治 井上喜久子
○ しかし、潤沢な予算がありながらも、それを生かせる企画がなかなか挙がってこない。前回言及した「トレスコ」も、原案者である山賀くん自ら駄目出しする始末。
○ そんな時、西崎義展から「ガイナックスで新しいヤマトを作らないか?」という話がきた。ついにきたか、と思った。漢として生まれた以上、一度は西崎義展から「ヤマトやらない?」なんて言われたいものだ。それにオタク・フォレストガンプとしても大いに興味がある。マクロスの企画が最初に立ち上がった現場にも立ち会った。スタジオぬえが1階と2階で内部分裂した時もそこにいた。庵野くんとノリノリで打ち合わせにいくことになった(そういやBSマンガ夜話でもいしかわじゅんのことを「漫画界のフォレストガンプと呼んでましたな」。
ここで休憩が入った後、雑談に。
○ 来月から大阪芸術大学の授業が始まるのだが、大変だ。気が重い。なにしろ、「初めて感動したアニメは“ひぐらしのなく頃に”です!」なんて若者がやってくる。彼らに話を聞いてもらうのは一仕事だ。
○ 一般的に言って、偏差値が高い大学ほど授業がラク。今まで僕が授業を受け持った大学の中で、最もラクだったのはMIT。深夜1時20分開始の授業なのに、学生の聞く姿勢が凄かった。
○ しかし、偏差値が低い大学ほど先生の能力は伸びる。逆境ナインみたいなもの。そういう大学では、授業が終わった後「今日は生徒が最後まで聞いてくれたよ!」と講師がガッツポーズする。
○ 大阪芸大は偏差値的には中間で、授業のし易さとやり甲斐的にも丁度良い感じ。
○ でも、永井豪やバロン吉元も講師をしているのだが、彼らのような現在「旬」を過ぎてしまった作家が講師を務める授業で、学生の聞く姿勢が極度に低下するのはどうかと思う。実は、授業の内容は現在「旬」な作家と、そう変わらない。何が違うかというと、観客の期待値が下がっているわけだ。同じぬいぐるみでも、ディズニーランドのミッキーと、よみうりランドのドン・チャックでは客のテンションが違う、みたいな(ドン・チャックは後楽園らしいです)。
<西崎・宮崎・富野伝説>
○ 西崎義展の事務所はミニスカの女性秘書が何人もいた。西崎にメモや電話を取次ぐ際、片膝をついて手渡したりする。期待通りだ!
○ せっかくアニメ界で仕事をする以上、こういう「いかにも」とか「噂通り」な場面になんとしても出くわしたかった。例えば、宮崎駿の時もそうだった。噂通り椅子に胡坐をかき、こちらを指差して「どうせオマエは自民党に投票するんだろう!(大声)」と言ってくる。
○ もう嬉しくて嬉しくて、なんとかこの会話を途切れさせないようにしたく、「え〜、ダメなんですか〜?中曽根さんカッコイイじゃないですか〜」とわざと挑発するようなことを言ったら、「若い奴は、共産党に投票するんだ!!!」
○ 更に悪ノリして、「え?宮崎さんは共産党に投票するんですか?」「そんなこと言えるかー!!!」(もう場内大爆笑でした)
○ もう一つの例として、富野由悠季のことを挙げたい。僕はずっと昔から、富野さんに対しておネェ疑惑を持っている。時折マッチョなことを言う。クネクネしながらおネェ言葉を使う。そして何より、出会うと必ず「岡田ちゃーん(笑)」とか言いながら、必ず僕のお腹かお尻を触ってくる!そんなに親しい間柄でもないのに「岡田ちゃんのお・な・か(笑)」とか言いながらボディタッチしてくるのはあの人くらいなもの。
○ だいたい富野由悠季は人によって印象が大幅に異なる。「反逆者」「寂しがり屋」「大人」「子供」「サディスト」「マゾヒスト」誰に聞いても印象がバラバラ。赤井くんに言わせると「あの人はAB型ですね」。世をスネてる面と、人恋しい面との、二面性がある。
○ Gyaoの「ひとり夜話」でも少し言及したが、「オタク学入門」のオマケにつける富野さんとの対談が凄かった。中央線が遅れたせいで遅刻したのだが、対談場所に着くと入口で編集者が青い顔してうなだれている。部屋に入ると富野さんが腕組みしていて、「遅い!もう終わった!!」で、いざ対談を始めると「何故ガンダムの話をしたくないか」について延々と語る。なんて二面性!
<富野由悠季との対談>
○ とにかく富野さんは語りに語る。その昔、富野さんの語る内容は「最近のアニメはこれで良いのか?」だった。それが最近のアニメファンはこれで良いのか?」になり、「最近の日本はこれで良いのか?」にスライドし、遂には「最近の地球はこれで良いのか?」にまでエスカレートした。
○ うまく富野さんをけしかけると、「ガンダムのビームサーベルはスター・ウォーズのライトセーバーより発想が早かった」なんて話が飛び出した。
○ 「ビームサーベルは秘密兵器だから、使う時だけ刃が出る」とも。どういうことかというと、以下のような演出をしたかったらしい。ガンダム初回では、その世界の歴史上初めてのMSというかロボット同士の戦闘が行われる。この時、ビームサーベルが光っていては駄目だ。100 m離れていても警戒されてしまう。ガンダムが変な棒みたいなものを持っている。ザクが何も知らずに突っ込んでくる。そこを一閃!ビームサーベルはMSのボディに当たる瞬間だけ光る。この時、ビーム刃は作画の限界まで細く描写する。
○ それは格好良い!「なんでそうしなかったんですか?」と、愚かにも質問してしまった。「アニメを作る人はバカなの!(声色)」もう止まらない。「プロデューサーもバカ、作画監督もバカ、デザイナーもバカ、み〜んなバカ、バカ、バカ〜!(声色)」(ここいら辺、富野由悠季の台詞を声色で演じていて、岡田流オタク落語の真骨頂という感じ)
○ やっぱり富野さんはガンダム好きなんだ!と思った。でも、ここまで来ると僕も学習したので直接口には出さない。
○ 対談は盛り上がった。でも今回、あんなに大好きな「おまんこ」は言わなかったな。「乞食」「キチガイ」は言ったか。でも、富野さんがゲラチェックで切ったら載らないかも。なにしろ何時間も対談したので、あれをノーカットで掲載したら文庫本全部が対談で埋まってしまう。
○ 富野由悠季には「マゾ」と「マッチョ」が同居している。二面性がある。「人間なんて死んじゃえば良いんだ!」と発言する富野の背後には、「こんなことを言う僕を止めて〜!」と悲鳴を上げているもう一人の富野がいる。
だから僕は…―ガンダムへの道
富野 由悠季
<プロデューサーとしての西崎義展>
○ 僕は富野さんが大好き。こんな具合に、自分とその人との関係が面白くなるのが楽しい。でも、西崎さんとは違った。自分が若かったせいもあるが、良好な人間関係を築けなかった。
○ まず、僕がビビりすぎていた。会うなり、「会いたかったよ」。後ろに「ヤマトの諸君」と続かないのが不思議な位のド迫力。
○ その代わり、「口座番号を教えてくれたまえ。明日には2000万円振り込もう」と続く。いや、明日じゃないな。「今日中に振り込もう」だったかな。
○ 大塚英志はその著書で、西崎義展を「妖怪」と評していた。表面では女と酒と車の話をしつつ、水面下で「リトル・ニモ」の権利配分について話し合っている姿を見て、そう感じたのだという。
○ 今思えば、西崎義展は昔ながらの大物プロデューサーで、虚々実々の駆け引きの中で仕事の話するのに慣れていたのだろう。しかし、その時の僕は西崎さんの冗談が分からなかった。「それは、その2000万円で新しいヤマトを作れということですか?それとも、お年玉的なお金ですか?」と聞いてしまった。「とにかくやる」と言うので、「今すぐ口座番号を確認します!」と言ったら不機嫌になった。
○ 後で知ったのだが、辻くん(辻初樹?)も同じ話を持ちかけられたという。辻くんの場合は200万円だったそうだ。「岡田さん、偉くなりましたね!僕より10年後にこの業界に入って、10倍の金額を提示されるなんて!」辻くんの時は口座番号ではなく、ポンと200万円の札束を手渡されたのだが、帰る際秘書に「ハイ」と手の平を差し出され、回収されたのだという。
○ どうも同じような話を色んな人に持ちかけていたようだ。ただ、当時の西崎義展は全盛期に比べると比較的落ち目だったのだが、全盛期の西崎義展は回収しなかったらしい。あの後脱税で捕まったわけだが、脱税も忘れるほど全盛期に儲けていたからだろう。
○ とにかく話がデカい。「本田美奈子もオレが育てた。美奈子がアイドルをやりたいというので、アイドルとしてデビューさせた。美奈子が女優になりたいというので、主演映画を用意した。ロックをやりたいというのでロックバンドを組ませた。そして、オレの元から巣立っていった……」フラれたんだね。
○ 「ヤマトはお前達の好きにして良い」という。庵野くんはニヤニヤしながら、「やりたいことがあります」と、自分の作りたい新ヤマトについて提案した。「最初のヤマトを、最初のコンテのまま、松本零士の絵そのままでやるんです!」(西崎・松本間の憎悪関係が広く世に知れ渡った現在では、大爆笑な台詞です)
○ 「うーん、それは違うんじゃないかね。自由に作って良いとは言ったけれど、歴戦の勇士である艦長がいて、言うことを聞かない戦闘班長がいて、責任感のある航海班長がいて、酒ばかり飲んでいる船医がいて……そういう風にしないと、皆が考えているヤマトにならないんじゃないのかな?」好きにして良いと言った割には、どうも作らせたい続編のあるべき形があるらしい。
○ 「最初のままやりたいんです!」と言った庵野くんも庵野くんだが、今思えば、コンテまで同じでありながら演出やキャラを微妙に変えることで新しいものを作れると思ったのだろう。エヴァンゲリオンの新劇場版みたいな。
○ ゆったりとしたロマン話の合間に、下世話なエロ話を挟んで会話を続ける西崎義展、だが、あくまでも最初のままやりたいと庵野くんが主張すると、西崎義展は次第に興奮してきた。すると、秘書が大きな茶色い瓶を持って部屋に入ってくる。「先生、お薬の時間です」その薬を飲むと、西崎義展の目がドローっとしてきた、更に話がデカくなってくる。あの薬はいったい何なんだろう?辻くんは「麻薬ですね」と言っていたが、麻薬ってあんなデカい茶色の瓶に入っているものなのか?
○ 結局、新作ヤマトの話は受けなった。今考えると、あの頃はアニメ班が袋小路に入り込んでいた時期なので、新作ヤマトをやっても良かったんじゃないかと思うのだが、その時はやりたいことをやらせて貰えないであろうことが嫌だった。
○ また、作品の為に実際に作業をしたり、色々とアイディアを出したりしたとしても、西崎義展の仲間や友人にえげつない方法名前や権利をとられることが後にわかった。つまり、西崎義展は自分一人の力で大プロデューサーになったわけではないので、古くからの仲間や友人に現在でも利益を配分する必要があるのだ。
○ この「えげつない方法」を教えてくれたのが、誰あろう松本零士。例えば「ヤマト」のタイトル片仮名表記とか、第三艦橋とか、何か新しいアイディアを思いついたとする。西崎義展はそれを参加者数十人の会議にかけさせる。そこで細かい駄目出しや、修正・変更を加える。この過程で、この新しいアイディアを、個人ではなく皆が考えたことにする。権利を個人からとりあげ、皆のものにするわけだ。
○ これは、「タイクーン」と呼ばれた、ハリウッド黄金時代のプロデューサーと全く同じやり方である。ヨーロッパ映画のように作家主義に陥ると、儲からなくなって映画産業が成り立たなくなる、という反省から生まれたやり方だ。そういう時代も確かにあったし、決して間違ってはいないやり方だが、時代遅れ。
明日ちょっとだけ仕事があるので今回はここまで。なんだか章を重ねるごとにまとめ記事が長くなっているような気もするが、メモはあと1/3も残っていないので、次回で終わらせるぞ!
この記事へのトラックバックURL
http://app.blog.livedoor.jp/macgyer/tb.cgi/51282145
この記事へのトラックバック
(08/02/17 レコーディング・ダイエットのススメ)
3月11日(火)は「遺言4」です
岡田斗司夫の『遺言』第四章
【出演】岡田斗司夫
2008年3月11日(火??.
岡田斗司夫の『遺言』第四章 3月11日開催【「エヴァ板とガイナスレ用だよ」Blog】at 2008年03月23日 06:11