OFFICIAL SITE : www.avrillavigne.com
LABEL SITE : www.bmgjapan.com/avrillavigne
1984年9月27日、カナダのオンタリオ州にある人口5000人という小さな村、ナパニーに生まれる。2歳になるころにはその声とキャラクターで周囲の人々を驚かせるようになっていたと言う。授業中に落ち着いて座っていることができなかったというアヴリルだが、
「自分はミュージシャンになるんだってずっと思ってた。すごく小さいころからベッドの上で自分がステージで何千人の前で歌ってるのを想像して目いっぱい歌ってたわ」
という通り、強い決意と自信を持ちつづけた彼女は教会でゴスペルを歌ったり、カントリーを歌ったり、タレント・ショーに出たりと歌うチャンスのあるところでパフォーマンスを続けた。
やがてより自分のスキルを磨くためにNYへと旅立った彼女だが、そのNYでまたとないチャンスが訪れる。彼女に注目したアリスタ・レコードのスタッフが社長であるアントニオ・LA・リードにアヴリルを紹介。LA・リードの前でパフォーマンスをした彼女をLAは一発で気に入り、即アリスタと契約となった。彼女が16歳の時だった。
デビュー・アルバム制作のためNYへと移住した彼女だったが、彼女と曲を作るために用意されたソングライター/プロデューサーたちとの作業は彼女にとって非常にストレスのたまるものであったという。
「どの曲も私を表現している曲じゃなかった。さらに他の人達に曲を書いてもらおうってアイデアもあったんだけど私はどうしても自分で曲を書きたかったからあきらめなかった。」
と語る彼女は気分転換のためにLAへと移る。そこで彼女はプロデューサー/ソングライターのクリフ・マグネスと出会う。
「やっと私にぴったりの人をみつけた!って感じだったわ。彼は私のことをすごく理解してくれて、私に主導権を与えてくれたの。」
こうして完成したデビュー・アルバム『Let Go』からのファースト・シングル「Complicated」はリリースされるやいなや世界中で大ヒット。アルバムも世界各国で瞬く間にプラチナを獲得する。さらにこのアルバムからは彼女の代表曲ともなった「Sk8er Boi」や「I’m With You」「Losing Grip」と1年以上にわたり次々とヒットがうまれていった。アルバムのリリース以来アヴリルは北米はもちろん、ヨーロッパ、日本、アジアと世界中を休みなくツアー、その結果アルバムは全世界で2000万枚ものセールスを記録した。
2003年1月からはGOB、シンプル・プランとともに初のヘッドライナー・ツアーである“Try To Shut Me Up Tour”をスタート。ヨーロッパ、北米などをまわり、そのアヴリルらしいシンプルでストレートなステージにより各地でソールド・アウトを続出。
2003年5月にはついに初の来日公演が実現。東京・大阪でショーを行い、新人でいきなり武道館公演という快挙を達成した。このツアーの模様はライヴDVD『My World』に収録されている。
2004年5月にはセカンド・アルバム『Under My Skin』をリリース。リリースにあわせてプロモーション来日もはたし、シークレット・ライヴなども行った。アルバムからは「Don’t Tell Me」をはじめ「My Happy Ending」「Nobody’s Home」といったシングルがヒット、アルバムは全米アルバム・チャート初登場1位となり、日本でもオリコン総合チャートで初登場1位、2週連続1位という記録を打ちたてデビュー・アルバムに続いてミリオン・セラーとなった。
2004年8月、サマーソニック04に出演しオーディエンスにその存在感を知らしめ、さらに2005年3月にはのべ10万人以上を動員した日本ツアー、ボーンズ・ツアー2005で札幌、東京、横浜、浜松、名古屋、大阪、広島、福岡と日本を縦断する大規模ツアーを実施。
2006年12月には、大ヒットを記録した超大作お正月映画『エラゴン 遺志を継ぐ者』の主題歌「キープ・ホールディング・オン」を書き下ろし、実に2年半ぶりに新曲を発表し大きな話題となった。
2007年4月には全世界が待ち望んだサード・アルバム『ベスト・ダム・シング』をリリース。夏にはSUMMER SONIC 07にも出演。会場いっぱいのオーディエンスを大熱狂の渦に巻き込んだ。
そして2008年、世界を揺るがすロック・プリンセスとして更にスケールアップを続けるアヴリルの、初の東京ドーム公演を含む待望のジャパン・ツアーが決定した。 |