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2008年3月23日

◎總持寺の座禅研修 「禅の町」の復興貢献に一役

 輪島市門前町の總持寺祖院に企業の座禅研修の予約が通常の二倍も寄せられ、普段は使 わない貴賓室の一角も開放するという。例年は新人研修などで春先の座禅体験の申し込みは多いようだが、今年は能登半島地震による風評被害を予想して、年明けから積極的に展開した電話作戦の努力が実った形となった。禅の修行の場としての本来の役割を基本としながら、「わが町の寺」として、知名度を生かして来訪を促し、地震からの復興に貢献する姿勢を評価したい。

 能登半島地震では、同寺の門前に連なる総持寺通り商店街で、当時三十八店舗の七割を 超す店が全半壊した。復興に向けた五カ年計画では、各店先に旗や垂れ幕などの統一的な広告物を掲示し、独自の商品開発にも取り組む。商店街の再生には、總持寺の来訪者がカギを握るだけに、寺と町が手を携え「禅の町」としての存在感を発信してもらいたい。

 總持寺祖院では、地震で瓦や壁が落ちたり、床にひびが入るなどしたほか、山門や法堂 の扉がゆがむなどの被害が出ている。崩壊の危険が指摘された僧堂は、再建工事が始まったばかりで座禅には使えないため、今回、研修申し込みの急増に対応し、貴賓室のほか仏殿や法堂を開放することも考えているという。

 祖院は地元の雪割草まつりで朝がゆを振る舞うなどの協力をしてきたが、人が集まるこ とで町に活気をもたらしたいと、積極的に座禅参加を募ることは地元にとって歓迎だろう。

 これまで祖院を訪れる人は、駐車場が商店街と離れた位置にあることもあって、商店街 に足を運ばないまま現地を離れることが少なくなかった。地震からの再出発で、商店街が寺の門前にふさわしく落ち着いた街並みに整備が進み、昨年秋には通り沿いに「禅の里交流館」もオープンするなど、祖院と商店街一帯の回遊性を高める環境も整ってきた。交流館では館内での座禅体験も予定しているようだが、ぜひ祖院の協力も得たいものだ。

 新輪島市への合併を機に、總持寺祖院では大みそかに御陣乗太鼓が演じられる企画が始 まり、商店街では輪島の朝市の出張開店もあった。今後も、禅と漆を斬新に組み合わせるなど、合併による相乗効果もさらに活用していきたい。

◎チベット暴動の真実 調査団を受け入れねば

 チベット僧侶らの反乱について、中国政府はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十 四世の首謀によるものだと、メディアを総動員して幕にしようと躍起になっているようだが、国際社会から信じてもらうことが極めて困難だろう。

 中国には自由なメディアがないため、責任の一切をダライ・ラマ十四世や、立ち上がっ たチベットの僧侶に押しつけ、力で反乱を鎮圧し、一方的な報道を精力的に流してもそのまま受け入れがたいことに加えてインドにあるチベット亡命政府などから正反対の情報が発信されている。真実が極めて不透明なのだ。

 まして、中国政府は外国人ジャーナリストをチベットから排除したり、欧州連合(EU )の調査団派遣を拒否したりしているのだから、「頭隠して尻隠さず」に映るのだ。

 ダライ・ラマ十四世は当初、原因は中国政府による文化虐殺にあると断じて世界に向け て国際調査団の派遣を呼び掛けたが、その後「暴力が収拾のつかない状況になれば、(私は政治的ポストから)完全に引退する」とチベット人に混乱収拾を呼び掛けるなど、苦境がにじむ態度を取っている。

 こうした十四世の動きに、北陸に住む者は中世の一向一揆と蓮如さんとの関係を連想す る。すなわち、一向一揆が「南無阿弥陀仏」の旗を掲げて既成の権力である守護大名に歯向かったとき、石川・福井県境の吉崎御坊にいた蓮如さんが、門徒衆の下剋上の実力行使は自分の望むところではないとして吉崎から去ったことと重なって見えるのだ。

 蓮如さんの本心はどこにあったのか。今もって分かったとはいえず、さまざまな解釈を 許しているのだが、ダライ・ラマ十四世をめぐる理解にもそうしたことがあるようで、十四世は完全な非暴力主義なのだが、その制止を無視して突っ走るグループがあるともいわれる。

 こうした不透明なことの解明も含めて、中国政府は国連の調査団を受け入れるのが賢明 でないのか。先のミャンマーの騒動に比べて、情報がはるかに少なく、一方的であり、チベットで何が起きているのか、真実が隠されているというのが国際社会の見方だと知ってほしい。


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