愛知県内に住んでいた十四年前、救急車を呼んだことがある。深夜、不注意で窓ガラスで右腕を切ってしまった。傷は長さ十センチほどだったが、すっぱりと皮膚が切れていて、タオルで押さえていても血がしたたり落ちた。
救急車で市内の総合病院に運ばれ、医師が傷口を消毒していたとき、急患連絡が入った。交通事故で頭にダメージを受けた負傷者が搬送されてくるという。医師は「ちょっと待っていて」と言い、カーテンの向こう側に消えた。
最近、たいした病気やけがではないのに救急車を呼んで病院へ向かう人が少なくないという。そんなケースが重なると、本当に救急車が必要な傷病者が運べなくなる。そこで東京消防庁は昨年六月から「トリアージ(選別)」を試験運用している。
このトリアージは現場で救急隊員が救急搬送する必要のない患者を選別する制度だ。隊員が「明らかに軽症(傷)」と判断し、患者が同意した場合には救急搬送せず、患者は自分で病院に行く。
だが、隊員が救急搬送は不要と判断しても患者が「念のため」などと言い張って同意せず、仕方なく救急車で運ぶことがあるという。横浜市では昨年十二月、虚偽通報には消防法や刑法の罰則を適用するとの条例が制定された。
私のけがも生死にかかわる傷病者と重なっていたら、救急搬送は後回しになっていたかもしれない。運ばれた先の病院では選別を受けた。
その交通事故の負傷者は治療中に亡くなり、医師は戻ってきて私の腕を十一針縫った。重篤なケースを目の当たりにすると、タクシー代わりに救急車を呼ぶことなど、とてもできない。 (桜井章夫)
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