見張りは寝てました
いまから取るボート免許 [2007-2008]―一級・二級小型船舶操縦士ガイドブック2007-2008 (KAZIムック) 価格:¥ 1,600(税込) 発売日:2007-05 |
イージス艦「あなご」の事件について、防衛省が中間報告を出してきたわけなんだが、事件の鍵を握る人物は海上保安庁が押さえているので、防衛省では事情がよく判ってないらしい。で、歯切れの悪い話なんだが、
海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、防衛省は21日、事故調査委員会の中間報告を発表し、「見張りが適切に行われず、回避措置も不十分だった可能性が高い」との見方を示した。
事故前に戦闘指揮所(CIC)にいた当直員が通常体制より少なかったほか、艦橋の外にいるはずだった見張りも、艦橋内にいたことを明らかにした。
それでも、そこに「居るべき人間が居なかった」というのが明らかになっているわけだ。で、おいらが事故当時から書いていたように、
見張りはほとんどしてなかった、というのも明らかになった。で、事件の経緯なんだが、
当直員の1人は衝突1分前の午前4時6分ごろ、右前方約500メートル先に左に進む2隻の船を視認。この当直員はこの時、当直士官が「この漁船近いなあ」と発言し、別の当直員が「近い、近い」と話すのを聞き、ほぼ同時に、右斜め前方約100メートル付近に清徳丸の左舷のものと思われる赤い灯火を発見したという。
清徳丸どころか、他の漁船についても、直前までその存在にすら気がついてなかったわけだ。清徳丸なんぞは、発見したのが100メートル近辺というんだから、仮にイージス艦が停まっていたとしても漁船が20ノットで航行していれば10秒でぶつかる。イージス艦も時速10ノットほどで航行していたようなので、清徳丸の発見から衝突までは、わずか5~6秒しかなかったわけだ。で、問題なのはここからだ。
事故前の当直のうち、7人が勤務するはずの戦闘指揮所(CIC)では、電測員長の勝手な判断で、1時間ずつそれぞれ3人、4人に分けて勤務し、レーダー2台のうち、1台はだれも見ていなかった。艦橋では事故発生当時と、その直前の当直員はいずれも、左右にあるウイングの見張り員が
雨を避けるため艦橋内で勤務していた。
現場の勝手な判断で、7人でやるべきレーダー監視を半分に減らし、野晒しのウイングでは雨も降って寒いので部屋にこもってました、というわけだ。
手抜きにも程があるというもんだが、そもそも船の見張りなんてモノは潮風に吹かれてナンボの商売であって、雨が降ったんで部屋にこもってました、って、アンタ、猫じゃないんだからw なんで屋外でなければいけないのかというと、屋内では窓ガラスが曇って、よく見えないとか、視野が狭くなるとか、そもそも「音が聞こえない」というのもある。まして、屋内はヌクヌクと暖かいし、椅子もあるだろうし、そんなところで腰を落ち着けていたら居眠りしてしまうわけだ。なので、見張りというのはあえて、椅子もない吹きっさらしの屋外でやる事になっている。
で、なんせ大量に乗員のいるイージス艦なので、規則通りに動いていればまったく問題はなかったわけだ。当直体制というのは、
艦橋、CIC(戦闘情報センター)、機関操縦室の当直は、それぞれ11人、7人、6人の計24人が基準。衝突前の当直士官は航海長、衝突時は水雷長だった。
衝突前の当直(以下、前直)は計25人、衝突時(以下、現直)は計24人だった。通常航海時の体制は、5組の当直が2時間または2時間半おきに交代する5直体制。衝突前後の当直の時間割は、午前2時~午前4時、午前4時~午前6時30分。
午前4時という時刻でも、24人が起きて、それぞれ、その場で為すべき事をやっていれば問題はなかった。で、艦長はといえば、
艦長は18日午後6時頃に艦橋から降り、夕食後は艦長室で入港に関する通関準備などの作業をしていた。19日午前零時30分頃、艦長室で仮眠。午前4時頃、目が覚め、艦橋に上がろうかどうかと考えていた時、「漁船と衝突した」との艦内マイクが入り、事故発生後、艦橋に上がった。
これで気がつくのは、前日の午後6時から事故が起きるまで、ほぼ10時間にわたって艦長は艦橋に出てないわけだ。「艦長室で作業していた」「艦橋に上がろうかと考えていた」と、どちらも証明しようがない話であって、どうでもいい。別に萌え系アニメDVD見ていようが、爆睡していようが同じだ。大事なのは、
その間、艦長は艦橋に出てなかったという部分にある。それが何故、問題なのかというと、艦長が仕事熱心で怖い人であればあるほど、当人のいないところでは、現場が手を抜こうとするわけだ。いつもこの艦長がそういう勤務形態を取っていたとすると、
「艦長は寝ちゃったから、朝まで平気だよ」という意識が、現場の共通認識になっていたと思われる。なので、勝手に当直を半分に減らしたり、雨降りだから部屋にもぐったりするわけだ。
おいら、人が悪いというか、自分の店をまわる時には黙って突然行くわけだ。本社のスタッフにも、「予告してから行くな」と教えている。これは当然の事であって、「今から行くよ」と伝えたら、とりあえず漫画本しまって仕事してるフリをするだろう。突然行くとカレシを連れ込んでいちゃいちゃしてたり、自分の好きなCD持ち込んで聞いてたり、好き勝手やっているので、その場で注意する。現場を捕まえて叱らないと、「バレなきゃ平気」という意識がなくならない。なので、艦長としては、「艦長室に戻ったフリして突然、艦橋に現れる」とか「いやぁ、目が醒めちゃった」と予定より早い時刻にあがるとか、そういう小細工が欠かせないわけだが、どうも、規則正しく、マニュアル通りに勤務していたようだな。
で、自衛隊というのが、治外法権で船乗りとしての法律も常識もなく船を動かしているという話を書いたんだが、軍事評論家の神浦サイトで問題の報告書を入手して分析している。
この報告書によってあたごの大きなミスが明らかになった。それは清徳丸との衝突直後にあたごが「後進いっぱい」の指令を出した点である。この場合、あたごは衝突後直ちに両舷停止を指令し、プロペラ(スクリュー)を数十秒間は止めるころが絶対に必要である。そして衝突海域を完全に離れた場所で、「後進いっぱい」を指令するのが、海難救助の基本中の基本(常識)である。それは衝突で海面に投げ出された者が、プロペラの回転によって起きる海水の吸い込みに巻き込まれないためである。
この報告書では衝突直前か、衝突直後に、あたごの当直士官は「後進いっぱい」を指令している。これでは海面に浮かんだ二人はプロペラの猛烈な吸い込みから逃れることはできない。かつて横須賀港沖で、潜水艦「なだしお」が釣り船と衝突した際、海面に浮かんだ釣り船の乗客を救助しなく、だまって「なだしお」の乗員が見ていたと非難されたことがあった。海自側は、「もし潜水艦がスクリューを回せば、ものすごい海水の吸い込みが起こり、海面に浮いた乗客を吸い込むので潜水艦は動けなかった」と説明した。今回はそれとは逆の行動をとったことになる。
これも、二級の小型船舶免許で習うレベルの話であって、事の推移を再現すると、衝突のわずか数秒前に漁船に気がつき、あわてて「後進いっぱい」かけたというのは、つまり、
漁船を潰して、わざわざ巻き込んだという結果になっている。悪気はないんだろうが、つうか、あったら大変だが、結果としてはそういう事だ。ちなみに、こういう場合はエンジン停止して面舵いっぱいでケツを振って、キックというんだが、船尾を外に出して巻き込みを避けるというのが基本なんだけどね。まぁ、イージス艦は小型船舶ではないので、そう簡単には行かないのかも知れないが、とりあえず海自の皆さんは二級小型船舶からやりなおした方がいいと思います。
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