2008年03月01日
いろいろなことが片付き、ほっと一息つく暇もなく
筑摩書房の新刊本は3月26日発売と決定した。
春秋社の新刊本は4月10日発売である(朝カルで出版記念講演会開催!)・・・サインもしますよ~。
昨年秋から二冊の本が同時進行し、それに加えて現代のエスプリの対談、執筆、岩崎学術出版の原稿執筆。
いずれもテーマは「加害者」である。春秋社はそうではないけど。
もともと、少年事件が起きれば、新聞では加害少年(非行少年)の周辺の取材を徹底し、少年をそう駆り立てたものは何かを明らかにしてきた。
どちらかといえば、それは更生可能性を信じた犯罪・非行の背景の明確化だったといえよう。
それが大きく舵を切ったのが、宮崎勤の事件であった(このあたりは芹沢一也さんの本に拠るところが大きい)。
さらに1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件によって、社会の総被害者化ともいうべき激震が走り、それまで打ち捨てられていた被害者救済へと注目が集まった。
また臨床心理学という学問の人気が一気に高まったのもこのころだ。被害者への注目は、いっぽうで加害者「理解」への反発を生み、いっぽうでは被害者のこころのケア(被害の心理学化)を生んだ。
過去ログでも触れたように、この流れは北朝鮮の拉致被害者への共感によって増幅し、加害者への厳罰化、死刑判決の増大、被害者感情の重視としてあらわれている。
私の本は、95年来の被害者重視(被害の心理学化)に対して一石を投じることを目的としている。
被害者は何を望んでいるのか、ということに問題は集約されるだろう。このところかまびすしい「死刑」論議にもその問題意識はつながってくる。
アダルト・チルドレンのグループカウンセリングにずっとかかわっているが、そのグループの究極の問題は、自分に被害を与えた親をどうするか、と言うテーマだ。
しばしば、被害者は報復を誓う。そうでなければ、加害者が親だった場合は日本と言う国は「親を赦せ、それが大人になる道だ」の大合唱だ。
報復か、赦しか、さもなくば記憶にふたをして忘却の彼方へと追いやるか。
私はそのいずれでもない道を探りたい。筑摩書房の新刊はそのことを訴えたかった。
2年間本の出版がなかったせいか、昨年12月の大月書店「カウンセリングで何ができるか」から怒涛の出版である。
でもあとはもう、出版を待つばかりだ。表紙も決まり、宣伝対策を練り、できるだけ多くのひとに買ってもらうようにパブリシティに頭をひねる。
書店の娘なので、やっぱり売れなくっちゃだめでしょ、と思っている。
明日は、北海道に飛び、札幌で犯罪心理学会の会員などの専門家対象の講演を行う。翌日は旭川に列車で移動、旭川で講演を行う。これは一般のひとを対象としている。
すでに申し込みが、140人とのこと。
多くのひとたちに待たれていると思うと、心底うれしい。
新刊本の宣伝をしてこなくては・・・寒いかもしれないが、おいしい地酒を飲めるかも。