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【土曜訪問】刑務所の風景から社会を見据える 浜井浩一さん (元刑務所職員・犯罪学者)2007年2月17日
「日本の治安は悪化していない」−。数々の凶悪事件や少年犯罪がメディアをにぎわす中、広がる一方の社会不安にくさびを打ち込むような言説が、社会学や統計学の現場から投げ掛けられている。龍谷大法科大学院教授の浜井浩一さん(46)もその一人。精緻(せいち)な犯罪統計分析で知られるだけでなく、異色なのは「元刑務所職員」という肩書だ。そのまなざしは「刑務所の風景」から、日本社会のゆがみを凝視する。 「治安悪化を主張する人たちは統計学や疫学をきちんと勉強しているだろうか。僕はそれを“信仰”と呼んでいます。治安が悪いと信じ込んで徹底的な監視社会をつくり、競争から落ちこぼれた人たちを不審者として排除する。そして刑務所が受刑者であふれ返る。日本はそんな格差社会を選んでいるんです」。京都市内の研究室で、膨大な資料に囲まれ、浜井さんは舌鋒(ぜっぽう)を鋭くした。 名古屋、愛媛、静岡、北海道−。自衛官の父とともに転居を繰り返した。公務員志向は強かったが、安定を求めていたわけではない。むしろ関心は不安定な人間の「心」に向いていた。早稲田大教育学部で認知心理学を学んだ後、国家試験を受けて法務省へ。犯罪者の心理を分析して処遇や更生プログラムを決める「心理技官」として、少年鑑別所や少年院、保護観察所などの現場を経験。法務総合研究所などを経て二〇〇〇年四月、関東地方の刑務所勤務を命じられた。役職は「首席矯正処遇官」。入所から出所まで、受刑者の人事管理を担う幹部職員のポストだ。 一九九七年の神戸連続児童殺傷事件を頂点として、度重なる重大事件に「安全神話の崩壊」が叫ばれていた。「体感治安」は確実に悪化している。一方で、犯罪の激増が事実ならば、刑務所は凶悪犯であふれ返っていなければならない。 浜井さんの眼前に、そんな光景はなかった。確かに刑務所は過剰収容だ。ところが、所内の工場からは、作業を担う受刑者を補充してほしいという切迫した要請が絶えない。担当者に事情を聴くと、こう答えられたのだ。 「まともに作業できる受刑者はほとんどいません。みな老人か、障害者か、病気持ちで…」 あらためて見回すと、あふれるほどの受刑者は、ほとんどが何らかのハンディキャップを抱えていた。加齢や生活習慣病、視力低下や難聴、精神障害による幻聴、外国人であるがゆえの言葉の障害。軽度の知的障害によって働けず、ホームレスとなったうえ生活に困窮した初老の受刑者は、ひもじさから再犯を重ねていた。刑務所は「治安の最後の砦(とりで)」ではなく、「福祉の最後の砦」となっていた。 「現場の刑務官はプライドを持って、黙々と働いている。それは本来のあるべき姿だけれど、ここまで過剰収容が問題になるのなら、事実を伝えなくては」 三年間の刑務所勤務で記録した膨大なメモを、浜井さんは「刑務所を通した社会学」という新たな手法で示した。そして、研究者としてあらためて「塀の外」の社会を見据える。そこで浜井さんがあぶり出すのは、われわれの“信仰”を揺さぶる事実ばかりだ。 犯罪認知件数は警察の活動方針に大きく左右され、国際的な統計指標を援用すれば、殺人や暴行、窃盗など、日本のあらゆる犯罪被害は一貫して減少してきている。「古き良き時代」として懐古される昭和三十年代は、殺人や強盗で摘発された少年が戦後最も多かった。少年犯罪の「低年齢化」も、統計的には根拠がない。 では、世を覆う「体感」不安と、これらの数字との落差は何なのか。 情報化社会の発達で、メディアが一つの凶悪事件を時代の「象徴」のように扱い、不安を「あおる」構図はよく指摘される。浜井さんはさらに、ここ十数年で犯罪被害者の存在がクローズアップされ、これまで見えていなかった犯罪被害の実態が浮き彫りになったこと、そして政治家や行政が厳罰化の方向で制度的に対応したことで、社会不安が一過性の「パニック」を超えて固定化したとみる。その悪循環の果てに、社会的弱者であふれる刑務所の現実があるのだ。 犯罪被害者に対する支援を軽んじてはいけない。かつてない凶悪事件が、起きないとも限らない。そのうえで、浜井さんはこう訴える。 「刑務所に『モンスター』なんていない」 自戒と意地を込めて、記者も思う。真実を見る目を、曇らせてはいけないと。 (関口威人)
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