<社会の中へ>
◇大学と住民、新たな連携
梅雨の晴れ間が広がった16日、大阪・兵庫県境を流れる猪名川下流・藻川の河川敷に約40人の男女が集まった。川を上りながら、地元漁協の組合員が投網を打つ。網には、4月に放流したアユが15センチほどに育ち、はねている。
漁に続いて試食会。アユは塩焼き、ハゼはから揚げ、ウナギもさばいてかば焼きにした。「おいしい」「内臓のにおいはちょっと気になるね」。楽しそうに食べる参加者を見守りながら、猪名川水系漁協連合会理事の山本康治さん(71)は表情を和らげた。「猪名川のアユを安心して食べてもらいたい」。「社学連携」を掲げる大阪大コミュニケーションデザイン・センター(大阪府吹田市)がこの春始めた、サイエンスショップ第1号の現地調査だ。
◇ ◇
大学が社会に向けて設置する「科学相談所」を、サイエンスショップと呼ぶ。住民が困りごとや課題を持ち込み、大学の専門家と一緒に解決する。起源は1970年代のオランダ。米国でも同様の市民運動が60年代からあり、欧米を中心に定着したが、日本ではほとんど知られていない。
住民は専門家の知識が得られ、大学の機器や設備が使える。協力した研究者にとっては新しい研究テーマにつながり、大学には社会貢献になる。
山本さんは昨年9月、地元の祭りで、猪名川で取ったアユの試食会をした際、住民から「これは安全?」と聞かれて答えに詰まった。「安全かどうか調べたい。でもお金がかかると思っていたとき、この取り組みを知ったのです」
山本さんが組合長を務める藻川漁協では、アユ、カワエビ、ウナギなど年間360キロの漁獲があるが、すべて組合員が食べている。安全と確認できれば魚を売れるし、釣り客からの遊漁料収入も見込める。きれいな猪名川を取り戻したいという山本さんらの熱意に、流域の自然保護NPOも賛同した。
4月以来、計画を煮詰める中で、課題が単純ではないことも分かってきた。魚の分析だけでなく、水質の調査と改善、流域の工場の排水対策の検証や広報活動も必要だ。
「子どもと一緒に水質調査をやったら環境教育になる」「多様な住民の川への思いを把握したい」という意見も出ている。
住民とのコミュニケーションを通して研究テーマを決める手法は、従来の大学にはなかった。化学、遺伝子工学、薬学、環境倫理学など、多様な領域の教員や学生、大学院生が「参加したい」と集まってきた。「哲学書を読んでいるだけでは社会は見えない」(臨床哲学の研究者)、「研究室にこもるより社会とかかわりたい」(薬学系大学院生)と、期待も大きい。
サイエンスショップの責任者である平川秀幸准教授(科学技術社会論)は「大学と社会との接点は産学連携だけ。でも企業と付き合うだけでは見えてこない課題がたくさんある。大学に市民の知恵や意見を取り込み、研究者が専門性を生かしながら一緒に解決していくことで、人間としての幅が広がり、分野を超えた新しい研究領域の開拓にもつながる」と語る。
◇ ◇
「研究者は、学問を究める面白さに引き込まれがちで、産学連携研究でさえ『本来の研究とは別』と見ていた」。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の小野晃理事は振り返る。
産総研は01年の発足時から「新しい基礎研究」を模索してきた。細分化された領域を深めるだけでなく、それらの知識を組み合わせて具体的な解決方法を探るような研究も評価する風土や制度を作ろうとしている。こうした論文を優先して掲載する独自の学術誌をつくる計画も進めている。
これまでの科学は、自然界に潜む未知の原理や法則を、一つ一つ解き明かしながら発展してきた。だが、そのやり方だけでは解決できない問題も多い。地球温暖化、原子力、食の安全といった課題が典型だ。
これらの難題を、誰がどう取り扱っていくのか。「ニュートン以来、綿々と続いてきた科学とは違う新しい科学を確立したい」と小野さん。主役は研究者だけではない。社会もまた、大切な役割と責任を担っている。【元村有希子、西川拓】(第2部おわり。次回から「私の意見」を掲載します)
==============
◇社会を変えた研究者--スパイクタイヤ粉じんを告発、山科・北大名誉教授
社会を意識した研究の重要性が強調される以前から、「行動する科学者」たちは存在した。スパイクタイヤによる粉じん公害を告発し、スパイクタイヤ禁止の法制化にこぎつけた山科俊郎・北海道大名誉教授(05年7月死去)もその一人だ。
専門は「高真空工学」。核融合に耐えられる炉の材料を探す先端研究だ。81年春、札幌市民を悩ます粉じんの正体を、研究室の高性能な分析機器で調べようと提案。当時助教授だった毛利衛さん(現在日本科学未来館長)らを動員し粉じんを採取、スパイクピンで削られたアスファルトの微粒子と、スパイクピンの破片が成分と突き止めた。
医師の協力で生体への影響を調べ、結果を市民に公開した。民間財団の研究費を得て脱スパイクタイヤ先進国を調査し、スタッドレスタイヤも性能に大差ないことを証明。科学的な見地から市民運動を支援し、90年には法律が制定された。
山科さんが残した手記は今年1月、「車粉物語」(須田製版)として出版された。その中で、専門以外の分野で社会的責任を負ったことへの戸惑いと使命感をつづっている。
長女の山科直子さんは今、日本科学未来館(東京都江東区)で、科学と社会をつなげる「科学コミュニケーション」を進める仕事をしている。実感するのが研究者自身の抵抗。「社会に語りかける暇があったら研究するのが研究者だ」と反発されることもある。
「社会活動を奨励しながら研究業績として認めない。研究者の目を社会に向けさせない雰囲気は今の方が強まっているかもしれません」と直子さんはいう。【元村有希子】
毎日新聞 2007年6月27日 東京朝刊