<社会の中へ>
◇何を求めるのか--実用化の壁、見えぬ用途
身長154センチ、体重58キロの「彼」は、2本足で歩き、転んでも自力で起き上がる。長い板の両端を人間と持ち合い、歩く方向を修正しながら運べる。「ビールを取ってきて」と頼めば、冷蔵庫から冷えた缶ビールを持ってきてもくれる。名前は「HRP-2」、価格は5年間のリースで4200万円。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)が民間企業と最先端技術を駆使して開発した人型(ヒューマノイド)ロボットだ。機能強化などの研究のため研究機関に13体を納めた。
HRP-2の開発に携わった産総研知能システム研究部門の比留川(ひるかわ)博久・副研究部門長(48)は「お金をもらって好きなことをできるのが研究者の特権だと思っている人が多いが、ロボットというだけで予算が下りるのはあと数年だろう」と、ロボット研究の現状に危機感を募らせる。
その気持ちが強まったのは、46億円を投入したこの開発プロジェクトが終わった03年春だ。この年の4月7日は、漫画のヒーロー「鉄腕アトム」の誕生日。その2日前、比留川さんは横浜市で開かれた次世代ロボットの博覧会「ROBODEX」で講演した。「ヒューマノイド研究のピークは今。これからは、もっと明確なビジョンを持たなければ」。会場にはHRP-2を含むさまざまなロボットが展示されたが、どの機能をとってもアトムとはほど遠い。「(アトムの誕生日に)間に合わなかった」という思いがよぎった。
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日本のロボット技術は世界のトップレベル。国際特許の出願数でも、日本発は群を抜く。しかし、社会で活躍するロボットはほぼすべてが、工場などで働く「産業用ロボット」だ。
日本ロボット工業会の統計によると、ロボットの出荷額は、90年代初めに約6000億円になった後、伸び悩んでいる。そこで、日常生活の場面で人と共存する次世代ロボットが新たな市場として期待され続けてきた。この種のロボットでヒットと呼べるのはソニーのペットロボット「AIBO」(15万体)と、米国製の掃除ロボット「ルンバ」だけだ。
そのソニーも06年3月末、ロボット事業から撤退した。03年のROBODEXで「ロボット産業を21世紀初の日本発の新産業にしたい」と力強く語っていた同社だが、「事業として採算が見込めない。選択と集中の結果」と説明する。ほぼ完成していたヒューマノイド「QRIO(キュリオ)」の開発も中止された。
「国はロボット開発を推進し、ヒューマノイド研究だけでも官民合わせて数百億円は投資されている。これだけ期待されながら実用化ができなかったら、我々ロボット研究者はオオカミ少年になってしまう」と比留川さん。エンターテインメントや教育・研究などの用途でHRP-2の100体リースを目標に、価格を1000万円に下げる研究も進める。民間企業にも「年間売り上げ10億円の市場を目指そう」と呼び掛けるが「そんなことは無理」と言下に否定されることもある。
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経済産業省が作ったロボット開発の作業工程表は、「2025年」を目標に、自分で考えながらさまざまな作業ができるロボットを社会に普及させるとしている。研究者の間では「あと20年では無理だ」という見方が強い。「30年後」「いや50年かかる」という意見もある。
「工学者が好奇心だけでロボットを作り、こんなことができる、あんなこともできると紹介してきた従来の手法を脱却する時期ではないか」。人工知能の研究者としてロボット研究に携わる松原仁・はこだて未来大教授は言う。
「少子高齢化が進めば、ロボットが家庭で介護や教育の手伝いをする時代がやってくると思う。だけど今のロボットには用途が見えない。作る前から社会と一緒に、どんなロボットなら欲しいか、作れるか、そして役に立つかを考えていく必要があると思う」【須田桃子、元村有希子】
◇市民の視点、不可欠に
人とコミュニケーションする次世代ロボットをめぐっては、利用する側のイメージも明確に定まっていないようだ。
日本科学未来館(東京都江東区)は、03年夏の企画展「ロボットGoGo!」で来場者にアンケートした。回答者約8900人の8割近くが「欲しいロボットが会場にあった」と答えたが、「ロボットに何をしてほしい」という問いには、半数以上が無回答だった。
経産省所管の産業研究所は05年、800人の女性に「ロボットに代行してほしい家事」を尋ねた。「食器洗い」や「ごみ出し」が上位を占め、次世代ロボットの活躍の場として国や研究者が想定する「介護・看護」は、「ロボット代行」と「自分で」が半々だった。
一方、次世代ロボットが人間に与える心理的影響を考えようという動きも出てきた。名古屋大で11日に開かれたシンポジウムは「ロボットを通した人の理解」がテーマ。大日方(おびなた)五郎・名大教授(制御工学)は、5歳児程度の会話や「笑い」「泣き」「怒り」などの感情表現ができる小型ロボットを、高齢者6人に自宅で約2週間使ってもらった実験結果を報告した。1人暮らしの高齢者は、実際以上にロボットと会話が成立したと思い込む傾向が見られた。大日方教授は「1人暮らしだと、ロボットに過度に依存する可能性がある」と指摘した。
シンポジウムを企画した松本光太郎・名大特任講師(環境老年学)は「介護の現場に安易にロボットを入れるのには抵抗を感じる。ロボットが暮らしに入り込む際の倫理的な問題は、先送りしたり一部の専門家に任せるべきではない。文理の研究者と市民が一緒に考えていく場が必要だ」と語る。【西川拓、須田桃子】
毎日新聞 2007年6月20日 東京朝刊