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理系白書’07第1部「科学と非科学」には多くの反響が寄せられた。「ニセ科学であることを実証すべきだ」といった批判や、学校教育への疑問が目立った。私たちはニセ科学とどう向き合っていくのか、「科学的」とはどういうことか。学習院大理学部の田崎晴明教授、埼玉県立本庄高校の西尾信一教諭、フリーライターの古田ゆかりさんの3氏が語り合った。(司会は吉川学・毎日新聞科学環境部副部長、文中敬称略)【まとめ・西川拓】
◇理論提唱者に立証責任--西尾氏
◇過程を理解する訓練を--古田氏
◇生き方は教えられない--田崎氏
--「ニセ科学」の広がりをどうみるか。
田崎 多くの科学者は「そんなに気にしなくていい」と構えていたと思う。しかし、「水からの伝言」が授業で使われたのがショックだった。多くの教師があの本を真に受けてしまうような科学教育を私たちはしてきたのかと。そこで昨春の日本物理学会でシンポジウムを開いた。まず科学者に知ってもらいたかった。
西尾 学級通信や授業で生徒に考えてもらい、理科教師の集まりで発表している。オカルト系の本はたくさん売られているが、批判情報は圧倒的に少ない。
古田 科学っぽい味付けをした怪しげな商品などは昔からあったが、授業に「水からの伝言」が入り込んだ時点で「いくら何でもここまでは」という段階に入ってしまった。しかし、それは科学を知っている人の感覚であり、そうでない人にとっては一線を越えたという意識はないと思う。
--「科学は絶対なのか」「追試をせずにニセと断定している」という読者の批判もあった。
田崎 科学者は「科学は絶対だ」などとは思ってない。科学とは、世界を一生懸命見て理解しようとする営みだ。今の科学は高度化しているが、もとをただせば「山の向こうには何があるのか」というような問いと答えを積み重ねてきたもので、分かったことはごく一部。ただ、物の性質については非常によく分かっている。水が言葉の影響を受けるという話は、これまでの蓄積から「間違い」と言い切っていい。
西尾 今の科学で「ほぼ確かだ」とされている事柄に矛盾することを主張する場合、主張する当人に立証責任がある。ただ、科学と非科学は、はっきりと二分されるものではなく、その間にグラデーションがある。
--ニセ科学が広がることの弊害は?
田崎 エスカレートすると命にかかわる事態になったり、どうでもいいものに大金を払ったりということになり得る。
西尾 科学的に考えられない人が増える。「スピリチュアルブーム」も同じで、何かに頼れば問題が解決するという価値観を植えつけてしまう。
古田 論理的な考え方ができない人が一定以上いることの結果の一つが、ニセ科学の広がりではないか。
--「水からの伝言」や「ゲーム脳の恐怖」が授業で使われた背景は?
西尾 内容を真実だと信じた先生もいただろうし、「よい言葉を使おう」「ゲームをやりすぎないように」という指導の実効が上がるから使った先生もいただろう。しかし、効果があっても、事実でないことを子供に教えるのは間違い。
田崎 そもそも言葉が「よい言葉」「悪い言葉」に分類できるとか、そんな価値観を水に教えてもらおうというのは、人の心への冒涜(ぼうとく)だ。
西尾 教育現場はどんどん忙しくなっている。手早く結果が出るものを求めてしまうのかもしれない。
古田 人間をどう育てるかという深い悩みを、手近な「理論のようなもの」で処理してしまおうという傾向を感じる。科学っぽい味付けが入ると、威力を持っているように受け取ってしまうのではないか。
--「発掘!あるある大事典2」問題を見ても、メディアや視聴者は分かりやすさを求める。
古田 マスコミは読者を引き付ける「見出し」を欲しがる。受け手は見出しから入り、それに沿って理解しようとする。そこが怖い。見出しや構成には細心の注意がいる。
田崎 マスコミは個別の具体的な質問に答えを求めるが、科学の姿勢とは正反対だ。ニュートンは「リンゴが落ちるのはなぜ?」と考えたのではない。「リンゴは落ちる。石も投げたら落ちる。でも月が落ちてこないのはなぜ?」と、似た現象をまとめて理解しようとしたのだろう。個別ではなく「普遍」を求めるのが科学の醍醐味(だいごみ)で、そこを伝えてほしい。
--すぐ答えを求めたがるのは教育の影響か。
古田 既に定まった理論だけを教えてきたことが罪深い。地動説でも、天動説との論争の中で新しい発見が積み重ねられ、公の知識になったのに、今の教育ではすべて「分かっているもの」として教えられ、プロセスは共有できない。科学的事実とは、元はグレーだったが徐々に白になったのだということを理解していないと、「本当? うそ?」という二分法の思考になってしまう。
田崎 空を見れば太陽が動いていると思うのが普通。しかし、今の学生を見ていると、直感に反することでも教えられるとすんなり受け入れてしまう傾向を感じる。
--人間には何かに頼りたい心理がある。
古田 「頼りたい気持ち」を科学に求めるのには違和感を感じる。
田崎 人の心や生き方について、科学は何も教えてくれない。科学は役に立つものは作れるが、それを使ってどう生きていくかは、自分で決めなくてはならない。
西尾 ニセ科学を信じるきっかけは、多くの場合、使って「効果があった」という体験だ。個人的体験には危うさもあることを理解してほしい。知識だけでなく、「科学とは何か」「科学はどういう手続きを踏むのか」も教育課程に入れるべきだ。
古田 大人になってからもプロセスを理解する訓練が必要だ。「分からないこと」に耐え、自分で常に考える態度が重要だ。
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◇第1部(6回)の要旨
連載では「水によい言葉を見せると美しい結晶ができる」と主張する写真集「水からの伝言」が学校の授業の教材に使われていた事例などを紹介し、ニセ科学の蔓延(まんえん)に警鐘を鳴らした。
また「ゲーム脳の恐怖」やマイナスイオン関連商品、血液型性格判断を否定的に取り上げ、それらがブームになった背景を検証した。最終回では、地震予知研究を例に、確立される途上の「未科学」の位置づけを考えた。
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<「科学と非科学」に寄せられた主な反響>
【波動ビジネス】
・モーツァルトの酒はおいしい。科学的に証明できないことでも実感できる。
・友人は50万円もする波動ネックレスを信じている。発熱しても「ネックレスがあるから」と言って医者にもいかない。
【教室にニセ科学】
・「水からの伝言」の内容を肯定も否定もしないが本当ならすてきだ。科学で解明できたことはわずかであり、人間はもっと謙虚にならないといけない。
・人間や動物にいい言葉をかけてほめるのと、悪い言葉でけなすのとでは、結果が違うのは明らか。「なぜ動物に伝わるのに水には伝わらないか」を証明しなければならない。
・記事を読んで、こんな先生や学校があるのかとあきれていたら、子どもの授業参観でもやっていたと妻子から聞いた。
【血液型性格判断】
・大規模アンケートをとれば、血液型による偏りが出ると信じている。そのような検証をしなければ、「根拠がない」とは言えない。
・就職活動で、ある企業から血液型を聞かれ違和感を覚えた。変えることができない血液型を判断材料にされ嫌な気持ちになった。
【マイナスイオン】
・家電メーカーの罪は指摘通りだが、真贋(しんがん)未確認なものが世間にはびこることを黙認したメディアの罪もある。いんちきでも、メディアが放置すれば世間は本物なのかと思う。
【全般】
・科学的に証明できない現象は、非科学的なのではなく、今の科学が未熟だから解明できないだけだ。
・何を信じていいかわからないところに、単純な原理で一通り説明してしまうものが現れると流れていってしまう。今の科学は特化、先端化しすぎている。分野横断的な研究や、分野の再構築が必要。
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■人物略歴
◇西尾信一氏
57年生まれ。埼玉県立本庄高校教諭。日本物理教育学会編集委員を務め、教科書執筆経験もある。
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■人物略歴
◇古田ゆかり氏
62年生まれ。フリーライター。生活や社会と、科学との関係について執筆を続ける。
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■人物略歴
◇田崎晴明氏
59年生まれ。学習院大教授。専門は統計物理学。97年、第1回久保亮五記念賞受賞。
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◇おことわり
第1部「科学と非科学」はこれで終わります。第2部は5月から始めます。
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毎日新聞 2007年3月28日 東京朝刊