ニュース: 国際 RSS feed
【正論】チベット騒乱 中国軍事専門家・平松茂雄
■「明日の台湾問題」に影響も
中国のチベット自治区でまた暴動が起き、鎮圧された。多数の死傷者がでたばかりか、チベット自治区だけでなく、チベット人が居住している青海省、四川省、甘粛省にも拡大していると報じられている。
チベット人は吐蕃(とばん)と呼ばれた国家を形成した歴史があり、ラマ教という仏教とそこから生まれた独自の歴史と文化を持っている。チベット・青海高原と呼ばれる標高4000〜5000メートルの高地に居住しているところから、中国人がここを支配し「同化」することは困難だった。
地理的にもインド世界との交流が長くかつ深い。チベット人あるいはラマ教の信者は、チベット・青海高原を中心に、四川省から甘粛省、内蒙古にまで居住しており、もし「チベット独立」というような事態にでもなれば、その範囲は広大な地域に及ぶ可能性がある。
そのため歴代の中国王朝は、チベット人居住地域を分割統治してきた。現在の共産党政権も同じだ。
1949年中華民国が崩壊したとき、ダライ・ラマ14世は独立の動きを示し、欧米諸国の支持に期待した。だが50年10月中国は朝鮮戦争に参戦すると同時に、大部隊でチベットに進撃を開始した。当時中国本土とチベットを結ぶ道路はなく、部隊は獣道を踏み分けて進んだ。
翌51年5月北京で「チベットの平和解決に関する協定」が締結された。協定はチベットの政治制度、宗教、風俗、習慣およびダライ・ラマの地位・職権を保障することと交換に、中国軍の進駐を認めること、中華人民共和国の一員として地域自治を実行することを迫った。
≪僧院や文化・風俗の破壊も≫
この協定にチベットは不満だったが、進駐した中国軍を前にしては受け入れるほかなかった。
チベットを支配下に収めた中国は、チベットと中国本土を結ぶ3本の自動車道路、チベット各地に駐屯する部隊を結ぶ道路を建設した。道路沿いの深山や原野に、町や工場、農場などが出現した。
それらは中国軍部隊によって建設されたが、多くのチベット人が過酷な労働に投入され、険峻な山岳地帯、険しい渓谷地帯での道路建設では多くの犠牲者がでた。各種の改革が実施され、ラマ教の僧院が破壊され、僧侶が迫害された。
文化、生活、風俗が破壊され、これに反対し抵抗する動きは封殺された。
56年4月チベット自治区準備委員会が設立され、ダライ・ラマ14世が就任したが、実質的に何の権限もなかった。
こうした事態の進展に反発して、チベット人は59年3月「チベット協定」の廃棄と中国軍のチベットからの撤退を要求して武装蜂起したが、簡単に鎮圧された。多くの犠牲が生まれ、ダライ・ラマはインドに亡命した。「チベット動乱」だ。
このように中国は部隊の駐屯、それを支援する交通建設と食糧確保に最重点を置いて計画的に着々とチベットを支配した。先に触れた3本の道路は当初夜間や雨天には通行できなかったが、やがて全天候性の立派な道路に発展し、60年代には航空路が開設されて空軍が進駐した。
70年代には青海方面からの道路沿いにパイプラインが敷設された。
≪総統選挙の争点に浮上か≫
こうした積み重ねの上に、80年代以降の中国の「改革開放」の進展とともに中国人が大量に流入するようになった。そこから生まれた最初の大きな摩擦が89年6月の天安門事件直前の3月に起きた。この暴動を鎮圧したのが現在中国の最高指導者である胡錦濤だ。
今度の暴動の背景には、2006年に開通した鉄道による大量の人的、物的流入があるのだろう。
さて今日ここでチベット問題を取り上げたのは、チベット問題を論じるのでなく、現在チベットが直面している問題は「明日の台湾の問題」であることを指摘することにある。今月22日の台湾総統選挙の最大の焦点は、台湾が「台湾の統一」を意図する中国とどのように対するかだ。
台湾人の多くは、中国との統一を望んでいないが、あからさまな「独立」志向はマイナスとの立場から「現状維持」を望んでいるようだ。
だが中国を相手に「現状維持」を望むことは、遠からず台湾が「今日のチベット」になることだ。「もう一つのチベット」が生まれないように、台湾の人たちが賢明な選択をすることを願っている。「平和統一」のまやかしに騙されてはならない。(ひらまつ しげお)