ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]北田暁大> 記事 書評 ラカンはこう読め! [著]スラヴォイ・ジジェク[掲載]2008年03月16日 ■難解な理論で大衆文化を分析すると フランス現代思想のスターの一人であったジャック・ラカンは、その理論の難解さによって知られる。聴衆を前に語られたセミネール(セミナー)の一部が日本語でも読めるようになってから、だいぶ理解しやすくはなった(ような気がする)が、それでも主著である『エクリ』のほうはとんでもなく難しく、歯が立たない。哲学に造詣(ぞうけい)が深くフランス語を解する人たちであってもそうだというから、筋金入りの難解さなのだろう。「ラカンはわカラン」などという駄洒落(だじゃれ)が生み出された所以(ゆえん)である。 本書の著者スラヴォイ・ジジェクは、ラカンの精神分析理論を理論的武器としながら、縦横無尽の批評活動を展開してきたスロヴェニア出身の著述家である。九〇年代半ばに『ヒッチコックによるラカン』『斜めから見る』が邦訳出版されたとき、邦訳の『エクリ』との明日の見えない戦いに明け暮れていた評者は、ラカンを大衆文化分析に援用する見事な手さばきに瞠目(どうもく)した記憶がある。本書もまたそうしたジジェクの冴(さ)えが十分に活(い)かされた書であり、他の著書と同じく、映画や文学、日常的エピソード、社会事象(ハラスメントや宗教的原理主義の隆盛など)から素材を採りつつ、ラカン理論が解説されている。 ラカン入門と銘打っているとはいえ、ラカンについての人物史的評伝が描かれているわけでも、ラカンの重要概念が一般向けに「平易に」翻案されているわけでもない。大衆文化や政治的出来事などを、「大文字の他者」「対象a」「想像界/象徴界/現実界」といったラカンの重要概念を使用しながら解釈することにより、いわば実践的にラカンの理論体系を指し示していくこと……本書でもそうしたジジェクの方法論は貫徹されている。 だがもちろん、「ラカン理論+大衆文化研究=ジジェク」というわけではない。この等式の成立を拒む過剰さがジジェクの批評言語にはある。入門書の体裁をとったこの批評書の読者は、いやが応でもその過剰さを体感することになるだろう。 ◇ 鈴木晶訳/ Slavoj Ži žek 49年生まれ。哲学者・精神分析学者。
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