「三浦和義事件」の今
文庫用のこの後書きを書いている今は、二十一世紀も明けた二○○二年の七月だが、一九九七年にこの本が一次出版されてのちの「ロス疑惑」裁判の行方、および日本の推移について、簡単に報告しておこうと思う。 「殴打事件」は予想通り最高裁において確定した。しかし「銃撃事件」控訴審の方は、大方の予想に反して逆転無罪判決となり、日本中を仰天させた。再就職先を見つけておいての、職を捨てた裁判長の英断であった。判決後、裁判官は当然ながら辞職し、善良な国民は、事態の犯罪性に疑問を持つことはなかった。このような田舎びた道徳慣習は、一刻も早くやめたいものである。本当のことが言えなくて、何の裁判であろう。 いわゆる「ロス疑惑」は、森村誠一氏の七三一部隊告発で日本中が揺れ、右翼の宣伝カーが森村氏邸に赤ペンキをかけていた八四年、竜巻のごとく現れて日本中を迷走した。道徳の権化たる日本軍の、中国人に対する酸鼻な生体実験、そして虐殺の罪を跡形もなく吹き飛ばして、この罪の質を考える機会を奪った。暴風は日本人を犯罪者から警官にと一気に昇格させ、その喜びのあまり、新たな犠牲者を無数に生みながら進行したが、昭和天皇の崩御とともに、さしもの強風もやんだ。 そして新世紀が明けた二○○二年、「ロス疑惑」など忘却の彼方となったわが民は、八年越しになる世界に例のないデフレ不況にあえぎ、失業者は増大し、毎日八十人ずつの国民が自殺し続けるという、これもまたなかなか世界に例がない地獄が続いている。 六月、日本の国債が二段階格下げられた。アフリカの中流国家程度の評価に転落し、いったい何をもってこのような非常識評価を下すのかと、日本人を驚愕させ、憤慨させた。日本人は、誰にも後ろ指さされぬ強固な道徳人としての自己の問題点に、まだかけらも気づけていない。 現在、国会に「人権擁護法案」と「個人情報保護法案」がかけられ、審議されている。施行されれば国民は、大きな報道被害や人権侵害に遭った際、法務省人権擁護局の外局として置かれた「人権委員会」に訴え出、審査を受ける権利を持つことになる。その結果によっては国家が、マスコミや当該団体と被害者との間に仲裁に入り、調停や勧告を行い、場合によっては事態の公表や、後者は罰則を行使することがあり得るとしている。 アメリカ軍は今年、「FORCE XXI OPERATIONS」ということを言い出し、軍の上意下達の命令体制を、近くいっさいやめると宣言した。最前線の兵士は命令を待つ必要はなく、自身の判断でミサイル発射の権限までを持つ。では上官の仕事は何かというと、各兵士のPC端末に徹底的に情報をチャージし、敵に対する優位性を保つ態勢作りにある。 三浦事件とは、旧軍型教育を敷衍して日本に肥大した、この種の勤務道、平等主義という道徳怪物が、三浦和義という平等を逸脱した不行儀者を成敗した事件であった。当時日本のもの作りは赫々たる戦果をあげつつあったのだから、この判断は正当至極と見えた。しかし追いつけ追い越せの素朴なキャッチアップの時代が去り、製造製品が高度化し、グローバル化の波が国内を洗いはじめると、途端に日本人が軽蔑していた軟弱体質の海外人が勝利を始めた。一方わが国内では、堰を切ったように完璧平等の嘘、徹底行儀がぬくぬくと育てた上位者型巨悪、道徳虚言の日常的な犯罪性が、次々に露呈を始めた。 問答無用のわが儒教道徳は、偉い政治家の巨大な利権特権を生み出し、幅の広い道徳観念を巧みに操れば、これを問答無用のアンタッチャブル・ゾーンとできていたことを、さすがに国民も知るようになった。これを壊し、組織の風通しを良くして無駄金を節約しようとするわが首相の構造改革は、当然ながら常識的、道徳的な抵抗勢力によって遅々として進まない。 二○○二年七月二十七日 島田荘司 |
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