メディアは今 何を問われているか
報道・表現の自由追求にもっと緊張と迫力を
共感できる毎日の 「ニュース」 づくり
沖縄とイージス艦を覆い隠した観の 「ロス疑惑」、道路財源・暫定税率と日銀総裁人事で止まった国会。
どの新聞、テレビも、週刊誌も、スポーツの話題、タレントのゴシップ、天皇家の噂、ヒラリーかオバマかなどを騒ぎ立てるほかは、いまなにが大事な問題かを、
国民にちゃんと考えさせようとする気がないみたいだ。だが、現実の事態は、そんなことではすまないところにきているのではないか。
メディアは、こんな状況に安住、商売の勝ち負けにかまけているだけだと、手にしているはずの報道・表現の自由を使う術さえ忘れ、
いざというとき、不正や悪とたたかえないのではないか、と心配だ。
こんなとき、最近の毎日新聞がよく頑張っており、ニュースのとらえ方に新機軸を開きつつあるのが、注目される。
ニュースを一過性のままに放置せず、かつて大きく報じられた事件のその後や、後になってみえることとなった当初のニュースの真実を、
あらためてニュースにするなどのことが、試みられている。
そのなかでまず注目されるのが、ブッシュ大統領のイラク攻撃5周年を迎え、米軍占領下のバグダッドから、直接取材による報道を開始したことだ。
3年半ぶりに現地に入った小倉孝保記者は3月11・12日、米軍施設や政府機関が集まる、安全な 「グリーンゾーン」 を出、
レッドゾーンと呼ばれる危険な一般市街地に入り、町の状況、普通の人々の様子を第1報として伝え、
3月16日の朝刊に、連載企画 「戦争のつめ跡 5年後のイラク」 の第1回、「『防護壁』 が囲むバグダッド 敵意の海、浮かぶ要塞」 として掲載した。
翌17日には連載第2回が載ったほか、大型社説 「イラク開戦5年 不安定さを増した世界 米軍の早期撤退がカギに」 で、
ブッシュ大統領に戦争続行を翻意するよう促すとともに、日本にも 「出口戦略」 の検討を求めた。
バグダッド現地報告は、英インディペンデント紙のパトリック・コバーン記者の 『イラク占領 戦争と抵抗』 (緑風出版) という優れたルポがあるが、
それを裏書きするようなルポを日本人記者が、あらためて現地から送ってくることの意義は大きい。それがあるからこそ、社説も大きな説得力をもつこととなった。
毎日の頑張りはこのほか、3月6日朝刊・6面の企画報道 「REPOルポ」 (外信対抗面企画) の 「ハリケーン禍2年半 ニューオーリンズ ため息の高架下
家屋修復支援制度支給待ちが9万人」 にもうかがえる。写真ともどもの現地直接取材で、アメリカ社会の歪みを、痛切に告発する。
9日朝刊は3面の企画報道 「クローズアップ2008 沖縄米兵暴行から1カ月 くすぶる地位協定 『再発防止の壁』 改定要求の声 進む再編 減らぬ負担」 が、
終わらない沖縄問題を強く印象づける。
また、同日の社会面記事 「長井さん銃撃 最期の写真4枚 米カメラマン撮影 レンズは兵士を追い続けた」 も、迫力があった。
A・ラティーフさんの撮った写真4枚を組構成で掲載、長井健司さんが、最期までカメラを相手に向けつづける姿を克明に伝え、
報道者の仕事もたたかいであることを理解させた。
さらに11日夕刊の 「特集ワイド」 は、先の市長選で落選した山口・岩国市の井原勝介前市長 のロング・インタビュー。
市長交代で一件落着どころか、在日米軍再編がますます地方・市民を苦しめるおそれがある問題点を、浮かび上がらせていた。
毎日の迫力は、重要と思われる問題へのこだわりを深めていくことから生まれている。突発的に起こった事件の見かけの大きさに振り回されるだけではすまさない。
この点、最近の朝日は、なにか迫力がない。なにが重要な問題かとする頑固なこだわりが、あらゆる面でだんだん薄れていく感じだ。
だが、さすが朝日と思わせるところも、まだまだある。
すでに一部の週刊誌が制作者側を非難する口調で騒いでいたドキュメンタリー映画、
『靖国 YASUKUNI』 問題の報道だ。この作品の監督は中国人の李纓さん。
この作品は、文化庁の指導下にある独立行政法人の芸術文化振興基金からの助成基金を受けており、靖国神社を訪れる様々な人々の姿を97年から記録する労作で、
2月のベルリン映画祭にも招待されていた。ところが、若手国会議員の勉強会 「伝統と創造の会」 の会長、稲田朋美衆院議員 (自民) は、
反日の疑いのある作品に国がカネを出すのは問題だ―実態を調べるため、自分たちに一般公開前にみせろと、試写を要求したのだ。
制作者側は文化庁とも相談、一部の議員だけにみせるのは事実上の検閲になるが、全議員参加なら応じられるとし、3月12日に試写会が開かれることとなった。
朝日はその顛末を3月9日朝刊で報じた。
さらに朝日は、13日朝刊で試写会の模様についても追跡報道を行い、大方の議員は、多面的な解釈ができる作品だった、と感想を述べているにもかかわらず、
依然として稲田議員は、「靖国神社が、侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」 と語り、
助成金にふさわしい中立的な作品であるかどうかについて疑問を呈し、その適切性について平和靖国議連との合同勉強会を開いて検討していく、
とする態度を保っていることを報じた。
また、14日夕刊で、試写会案内状に 「協力 文化庁とあるのを文科相がとがめ、映画を推薦したかのような誤解を与えたと、
文化庁を厳重注意したことも報じた。
問題は、ことが報道・表現の自由の根幹に関わる事件であるにもかかわらず、他のメディアがなにも報じなかった点だ。
辛うじて12日、TBSのニュース23が、比較的詳しく、当日の試写会の模様を報じ、映画監督の森達也さんのコメントもしっかり伝えたので、ほっとした。
稲田議員らは、国のカネが絡むから、事前試写を求めるのは、広い意味での国政調査権の行使だと、自分たちの行動を正当化していた。
国会議員が表現の問題で国政調査権を振るうなど、絶対にすべきない─―特定機関による検閲よりよほど悪質だ。
表現には表現で応ずるのが筋だと、森さんは批判した。他の事案で意見が異なるにせよ、どのメディアも報道・表現の自由を守る点では、
こうした原則的な考え方を共有することができるのではないか。それができないとしたら、おかしな話だ。
だが、読売のこの間の姿勢をみると、そのおかしな話が、当てはまってしまいそうで、危ういかなという思いに襲われる。
3月14日、戦時中の最大の言論弾圧事件、「横浜事件」 の再審上告審の最高裁判決が出た。当時適用された治安維持法などが戦後に廃絶され、失効したので、
裁判そのものが法的に成り立たないので 「免訴」 にするというのだ。酷い話だ。原告 (戦時中、訴えられ、有罪とされた被告たち) は、
当時自分たちを裁いた法律そのままの下でも誤捜査・誤審があったのであり、有罪は不当だ、と訴えてきたのだ。
再審制という裁判制度本来のあり方からしたら、それに答えを出す義務があるのに、最高裁が形式的な法律論だけで逃げたのが、今回判決だといえる。
読売はいまや中央公論社の親会社だ。「横浜事件」 で最も大きな被害を被り、有為の人材を失ったのは、改造社と並んで中央公論社だった。
その名誉回復は、自社の切実な問題のはずだ。ところが、15日、朝日、毎日の社説が今回判決を正当に批判したのに、
読売の社説は 「最高裁判決から何を学ぶか」 と題したものの、「致し方のない結論だろう」 「(裁判で) 戦時下の言論弾圧の実態が明らかにされてきた」
「二度とそうした時代にしてはならない、という教訓が残された」 「横浜事件の教訓から学ぶものは多い」 とする生ぬるいものだった。
報道・表現の自由をなんのために使うかも、問題にされなければならない。
その点にもメディア側に不一致、狂いが生じれば、虐げられた民衆や正当な権利を行使できるはずの市民の側にメディアは立てず、
権力の手先となり果ててしまうおそれがある。
いま第1に気になるのが、3月14日、チベット・ラサで生じた 「暴動」 の報道だ。
死者も出たと伝えられる大規模な騒乱がなにをきっかけに起こったのかは、いまだに不明なままだ。
さらに、新華社・中国テレビ側と、ロイター・APなど外国通信側とでは、問題がチベット人住民らの暴力行為にあるのか、
中国政府側の軍・公安警察の襲撃・暴行にあるのか、の判断に影響を及ぼす情報・映像の内容的な方向性が、かなり異なる。
こういうとき、迂闊に 「暴動」 なる言葉を用いれば、チベット人住民が暴動を繰り広げ、中国政府側は過酷であっても、秩序回復に努める側だという構図に収まってしまう。
それで果たしていいのだろうか。朝日は15日朝刊以降、中立的には騒乱の語を用い、チベット人住民の側の行動については抗議行動、抗議デモなどの言葉を使っている。
これに対して他の新聞は、連日 「暴動」 の語をためらいなく使っているが、もっと朝日の慎重さを見習うべきではないか。
読売の14日夕刊に、やっぱり出たか、と思わせる記事が載った。札幌入国管理局が、小樽に入港したロシアの貨物船に乗船、
上陸しようとしたドイツ人男性 (37歳) を 「上陸条件不適合」 として上陸不許可・入国禁止とし、14日夕方、ロシアに送り返そうとしている、とするニュースだ。
滞在日程が不明、帰りのチケットをもたないなど、拒否理由がいろいろ付けられているが、要はサミットが近くある折から、面倒起こしそうなのは追い返せ、
と判断したのが実情のようだ。読売は記事の末尾に、「男性は14日午前、報道陣に対し 『サミットへの反抗が必要とされるところへはどこへでも行く。
…より良い労働環境や社会の実現のために話し合いたい』 と語った」 と記すが、全体的には怪しい奴の排除第1号とする扱いの感じだ。
ところが、この男性について共同通信はもっと早く、マーティン・クラマーさんと氏名まで付けて報道、
彼が15日の札幌市内で開かれるサミット反対集会に出席予定であったこと、13日以後、入管難民法に基づいて入管に異議を申し立てていることも伝えている。
さらに14日の毎日・北海道版朝刊も、クラマーさんが昨年のハイリゲンダム・サミットでも会場付近の抗議活動に参加してきたこと、
日本にいる知人が、「彼はテロリストではない。表現の自由の範囲内で (反グローバリズムの) 活動をしている」 人物であり、
ロシアではそうした活動から弾圧されたこともあり、ロシアに送り返すのは問題だ、と語っていることも伝えている。
世界中どこでも、サミットがあれば必然的に、これに抗議する世界中の市民たちの集会、抗議運動が、これまで繰り広げられてきた。
また、それを報じるのも、サミット報道の役割の重要な一部と考えられてきた。日本のメディアはそれをやるのか、あるいは、世界中からくる 「怪しい奴」 を、
テロリストよろしく排除することに与し、無視することにするのか。まさにサミットを前に問われるところだ。
2008.3.18
「ロスト・ジェネレーション」というな!
ひとりよがりで無神経な朝日の言葉の使い方
昨年=07年の各紙元旦号は、小泉改革の置きみやげ、「格差社会」 をテーマとして取り上げていた。とくに朝日は、元旦から3日つづけて、
「ロスト・ジェネレーション25〜35歳」 という特集企画を連載、その後も折に触れて 「ロスト・ジェネレーション=失われた世代」 なる言葉を用い、
1995年前後からの10年間に大学を出た、07年現在で25歳から35歳の青年たち―─バブル崩壊不況のまっただなか、まともな就職ができなかった若者たちのことを、
取りあげてきた。
だが、最初の正月企画のときからそうだったし、その後の記事でもそうなのだが、読めば読むほど、朝日が使う 「ロスト・ジェネレーション」 なる言葉になじめず、
紙面にこの文字をみるたびに違和感を覚え、いらいらさせられる。最近ではその短縮形、「ロスジェネ」 なる言葉も平気で使うのだから、無神経だ。
昨日=11日の朝刊に載ったコラム、「政態拝見」 の 「オバマ人気 小泉ブームと似て非なり」 は、曽我豪編集委員の筆になるもので、
いま 「変化」 のオバマを支持するアメリカの20〜30代は、05年・郵政総選挙で 「改革」 の小泉を支持した、当時の日本の20〜30代と似ているが、
オバマはいま 「統一」 を志向しており、小泉が 「分裂」 を志向していたのとは事情が異なる─―この点の相違は重要だとする、なかなか興味深い一文だった。
ところが、ここでもまた、日本のこの20〜30代を 「ロスト・ジェネレーション」 と呼んでおり、少なからずがっかりさせられた。
なにか朝日のなかでは、彼らをこう呼ぶのが決まりごとのようになっているみたいだが、それが世間全体の通念になっていると、朝日の人たちは思っているのだろうか。
少なくとも私には納得がいかない。
あらためて 「ロスト・ジェネレーション」 という言葉とその周辺の事情を調べてみた。
調べるまでもなくこの言葉を聞いて思い浮かべるのは、あの 『日はまた昇る』、『武器よさらば』 のアーネスト・ヘミングウェイ、
大作 『U.S.A.』 を著したヘンリー・ドス・パソスなどのアメリカの作家たちだ。彼らは19世紀ヨーロッパの伝統的な社会、文化を崩壊させた第 1次大戦後に青年期を迎えた。
1920年代のヨーロッパは戦後の混乱と疲弊のなかにあったが、戦禍に見舞われない戦勝国・アメリカは未曾有の好景気に沸いていた。
ヘミングウェイ、ドス・パソス、スコット・フィッツジェラルドたちはパリに遊び、アプレゲールと呼ばれた大戦後のフランス社会のなかに生まれてくる新しい文学・芸術から、
大きな刺激を受けた。パリに住む年長の女性作家、ガートルード・スタインの家は、彼らの文芸サロンの趣を呈し、彼女は彼らをまとめて 「ロスト・ジェネレーション」 と呼んだ。
この言葉は、その後日本では 「失われた世代」 と訳されたが、彼らが第 1次大戦後に遭遇した時代状況、パリの社会・文化状況を考えれば、
英語の 「lost」=フランス語の 「perdue」 (「世代」 は女性語なので語尾は e )は、どちらも 「行き当たりばったりの」 「迷子になった」 の意味を含むので、
「ロスト・ジェネレーション」 はむしろ、「迷子の世代」 「行き場がみつからない世代」 の訳のほうがふさわしいのではないか、と思える。
アメリカ文学者の西川正身さんは 「人生の方向を見失い・・・社会と政治に背を向け、・・・新しい文学の世界を切り開こうとしてさまざまな実験を試み (た)」 作家たち、
と評している (平凡社 『世界大百科事典』)。自分たちの世代が、まるごとすぽっと 「失われた」 というような、意気消沈した話ではないのだ。
伝統から断ち切られ、不安に投げ込まれはしたけれど、自力でなにかが選び取れる、大きな自由に飛び込んでいった若者たちの姿が、そこに認められる。
ここから先は私の感じ方になるが、こうした本来の 「ロスト・ジェネレーション」 には、もっと大きな歴史の混沌のなかに進んで身を投じていくエネルギーや、
そこで不正に立ち向かっていく勇気も、ふんだんにあったといえるように思う。
ヘミングウェイとドス・パソスは、ナチの支援を受けたフランコの軍事独裁に反対するスペイン人民戦争に際しては、国際義勇軍に参加、
人民政府軍の側に立ってたたかった。その戦列には、『カタルニア賛歌』、『1984年』 を書いたイギリス人ジャーナリスト、ジョージ・オーウェルも、
『希望』 を書いたフランスの作家、アンドレ・マルローもいた。第2次世界戦争の前哨戦ともいうべきこの戦争に加わったこと、
その体験を通じて希望と失意を味わったことが、ヘミングウェイ、ドス・パソスの文学に大きな世界性を与える結果となったことは、上記の作品を読めば明白であろう。
こうして彼らは、アメリカを世界の現代史のなかで、相対化する大きな役割を果たしたのだった。
彼らが世界のなかで発見したアメリカを、国内の同年代の作家、『怒りの葡萄』 のジョン・スタインベック、『響きと怒り』 のウィリアム・フォークナーも、
大恐慌の嵐に翻弄される農民・労働者の姿、退廃と崩壊に侵されていく南部を通じて、発見していた。
彼らもまた 「ロスト・ジェネレーション」 に属する人々だった。これらの作家は、1910年代の荒れ狂うアメリカの産業資本主義の悲劇、惨状を描いたセオドア・ドライサー、
アプトン・シンクレア、シンクレア・ルイスなどの到達点を、大きく前進させ、20世紀の世界に現代アメリカを注目させる役割を果たした。
フランスの女性批評家、クロード=エドモンド・マニーは第2次大戦後まもなく、『アメリカ小説の時代』 (邦題は 『小説と映画』 中村真一郎・三輪秀彦訳。講談社) で、
伝統的手法にこだわらない文学表現で時代を切り裂いてみせたドス・パソス、ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーの文学を高く評価、
戦後フランスの文学が新たな脱皮を遂げるうえで、彼らの影響を大きく受けたことを証言している。
要するに本当の 「ロスト・ジェネレーション」 という言葉には、歴史的にも、そこに属する人々の属性、仕事にしても、固有の意味があるのだ。
そういう言葉を、安直な風俗的世代論のために援用するというのは、いかにも不見識だ。マスコミ用語で 「失われた10年」 というのもある。
その期間に思春期・青春期を迎えた若者たちの就職難、派遣・請負などの非正規雇用、オタク、引きこもり、ニート、加速する格差社会のなかの差別など、
さんざん問題にされてきたことを総ざらいするために、いま 「ロスト・ジェネレーション」 という言葉に新しい意味を与えようというのは、あまりに安易だ。
パクリどころか、誤用・悪用ではないか。これを 「ロスジェネ」 などの新語にするなど、悪ノリも過ぎるというものだ。
不当な社会的処遇を受けている若者の問題を真剣に追及するというより、「ロスト・ジェネレーション」 といういい言葉を思いついたので、
これをはやらせるために若者たちを材料にしている、という観さえなきにしもあらずだ。
問題の若者たちに対する不当な処遇は、単なる差別というより、不公正な社会的排除というべきものではないか。
そして、そちらに注意を引かれているうちに、後期高齢者といわれる世代の人たちにも、恐るべき社会的排除が始まろうとしている。
もはや公平公正な社会的参加を政治に求めていくべき問題は、世代論ごときものの対応では間に合わなくなっている。
貧乏人たちのジャンヌ・ダルクというべき雨宮処凛さんは、自著 『生きさせろ! 難民化する若者たち』 (太田出版) のなかで、
自分たちのような 「不安定を強いられた人々」 は 「プレカリアート」 だ、と定義する。
イタリア語の 「Precario (不安定な)」 と 「Proletariato (プロレタリアート)」 を合わせた造語だという。
このほうが 「ロスト・ジェネレーション」 より、よっぽど実態に合った言葉、問題をしっかりとらえることができる言い方だ。安易な世代論がつけ込む隙もない。
昨日の朝日の 「政態拝見」 の筆者、曽我編集委員にも、「ロスト・ジェネレーション」 という言い方から離れた目で日本の若者をもっとよくみてもらい、
アメリカのオバマ支持の若者と、支持する相手がみつけられない日本の若者とのあいだに、どんな違いがあるのか、しっかり論じてもらいたいと思う。
2008.3.12
「阿倍定事件」 vs. 「ロス疑惑」再登場
気を取られているうちに何かが進展する
昭和11 (1936) 年は、陸軍皇道派の青年将校が2月、斉藤実・高橋是清ら政府要人を殺害して永田町一帯を占拠するクーデターを決行、
いわゆる 「2・26事件」 を起こし、軍国主義の風潮がさらに重く社会にのしかかる歴史的な転機となった。
彼らは、昭和天皇によって反乱軍とみなされ、討伐の対象とされたため、ほどなく帰順、その後、軍法会議によって首謀者らは死刑を含む処罰を受ける結果となった。
しかし、軍部内や政治家のあいだでは、彼らの国を思う純真さに共鳴するものが多く、中国での行き詰まった戦争の局面を強硬策で突破、
これを妨害する米英との対決も辞さないとする空気は、かえって強まった。
そして翌12 (1937) 年7月には、廬溝橋事件が勃発、昭和6年の満州事変以来、じりじりと深みにはまり込んできた中国での戦争は、本格的な日中戦争に姿を変え、
軍国日本はこれ以降、昭和16 (1941) 年の米英および連合軍との戦争に至る、後戻りできない道に歩を進めこととなった。
この過程では、思想・言論の抑圧体制が強化されていった。昭和11年だけに限っても、大本教に解散命令 (治安維持法違反・不敬罪)、
ひとのみち教団・新興仏教青年同盟弾圧、メーデー禁止、思想犯保護観察法・不穏文書臨時取締法実施、内閣情報委員会設置 (昭和15年12月に内閣情報局へ)、
講座派大学教授一斉検挙、文部省が大学・専門学校に 「日本文化講義」 実施指示、帝国在郷軍人会令公布 (公的機関化) などの動きが生じている。
言論界では、2つの有力通信社、電通 (日本電報通信社) と聯合 (新聞聯合社) の完全合併により、
国策通信社=同盟通信社が設立された (電通の広告部門は分離、広告の株式会社電通へ)。NHKも正式に同盟からニュース提供を仰ぐことになった。
また、このころから内務省警保局が新聞の整理統合を開始、各県警察部によって地方紙の合同・合併が促されていった。
それは最終的に、全国紙3、経済紙=東日本・西日本各1、ブロック紙3のほかは 「1県1紙」 とする、太平洋戦争勃発後の新聞統合に帰結するのだ。
このような重苦しい昭和11年の5月、新聞、雑誌を活気づかせ、世間もその話題で持ちきりとなる 「阿倍定事件」 が起こった。
お定が、愛人・石田吉蔵と東京・荒川区尾久の待合に1週間もいつづけたあげく、情交中に彼を絞殺、男の急所を根もとから切り取り、
それを持ち去ったまま逃亡したのは18日だった。事件が報じられると、人々の関心はいっせいにその行方に注がれ、20日に品川駅近くの旅館でお定が捕まると、
各紙はそろって号外を発行、これを報じた。この事件報道がどう受け止められたかを、下川耿史氏の 『昭和性相史 戦前・戦中篇』 (伝統と現代社) から紹介すると、
つぎのとおりだ。
「この時、国会では二つの委員会が開かれていたが、委員長の緊急動議で会を中断、全員号外を読み耽った」 「 高橋誠一郎 (現・日本芸術院院長。
注:1978年現在) は、『猟奇事件というよりも、むしろホッとした思いで、新聞雑誌の記事を読んだ』 と記し、当時の新聞のなかには、
彼女のことを “世直し大明神” と呼んだところさえあった」 「・・・荒川の待合 『満左喜』 と・・・品川の旅館 『品川館』 は事件後、大繁盛。
『満左喜』 では事件のあった部屋に二人の写真を大きく飾り、二人が使ったドテラ・・・まで展示していた」 「『品川館』 では、
お定の泊まった部屋を・・・そのままにして保存し、・・・枕や・・・敷布、枕もとの水さしなどのそれぞれに、『お定の使用した・・・』 といった紙切れをブラ下げた。
旅館の主人はスクラップブックを片手に、熱弁をふるってその夜のお定を再現したそうである。
また、逮捕前日、お定に呼ばれて体をもんだマッサージ師は、新聞社や雑誌社の取材謝礼でマイホームを新築した」。
メディアの熱狂は翌年、日中戦争本格化後にも冷めない。昭和8 (1933) 年に文芸春秋社が創刊したゴシップ月刊誌 『話』 は、
昭和12年12月号に 「出所後の誘惑を懼れる 『お定』 ―過去の情痴を一場の夢として平凡な女に更正せんとする模範女囚」 とする記事を載せ、
懲役6年の刑で服役中の彼女の近況を、裁判長に取材したとして伝えた。「・・・吉蔵が、『絞めてくれ。・・・もうゆるめてくれるなよ。』 と言っていたというのであるから、
・・・力の限り絞めたと素直に吉蔵に対する罪を認めたのは―矢張り彼に対する心尽くしがさせたのであろう」 「・・・未決囚当時は・・・一見して妖婦と思われていたが、
最近は非常に太って来て、極く平凡な普通の女になっている。此れが帝都未曾有のグロな殺人事件の主人公お定であろうか・・・」 「彼女が、現在、
一番懼れている事は、出所後、料理屋とかカフェーでマネキンとして自分を買いに来る事なのである。
・・・そうした方面から熱心な運動が続けられ・・・一万円を投じても資本の回収は容易であると称している者さえある」
「記者は・・・出所した後の彼女 (が) ・・・何処かの裏店で、静かに余生を送る事が出来たら、それが彼女の本当の幸福だと思える・・・」
(菊池信平編 『昭和十二年の 「週刊文春」』 ・文春新書)。
およそ70年後の平成20 (2008) 年2月、日本のメディアが30年近く前、大騒ぎして日本中の関心を集めた 「ロス疑惑」 の三浦和義元社長が22日、
米自治領サイパンで、アメリカの捜査当局によって逮捕された。容疑は 「ロス疑惑」 当時と同じ殺人だ。これは日本の最高裁で無罪が確定している。
いまなぜまた逮捕なのか。ここではその是非に関する論議には関わらない。みておきたいのは、これが突然大きく報じられると、メディアが一番力を入れて報じていた、
東京湾における海自イージス艦 「あたご」 の漁船衝突問題の扱いが、すっと小さくなったことだ。
いや、それだけではない。その前に起こっていた沖縄・米兵少女暴行事件はもっとトーンダウンした。
そして29日、被害少女の告訴取り下げで米兵が釈放、米軍に引き渡されると、米軍は3月3日、「反省の期間」 を終了、沖縄、岩国、
キャンプ富士 (静岡) の海兵隊基地の軍人・家族らに対する外出禁止措置を解除した (夜間外出禁止は続行)。
岩国市長選で、厚木からの米艦載機移駐を拒否した候補が文字どおりの僅差で敗北した出来事は、はるか彼方に去った感じだ。
当選した市長が移駐受け入れを国側に告げ、政府が停止していた補助金の再給付や新しい米軍基地再編交付金の支給を決めたニュースが、さりげなく報じられた。
イージス艦の関連ニュースは、石破防衛相の責任問題が大きくなると、また新聞では大きく扱われるようになったが、その力点が変わってきている。
石破防衛相は、イージス艦事件を奇貨とし、その発生やその後の問題処理過程における不首尾は、防衛省・自衛隊の指揮・情報系統に根本原因がある、と指摘、
内局=背広組と自衛隊各幕僚監部=制服組を一元的組織に再編、統合する必要がある、とするかねてからの持論の実現を企む気配だ。
3月3日、福田首相が陣頭に立ったかたちで 「防衛省改革会議」 (座長=南直哉・東京電力顧問) 初会合が開かれたが、首相は、イージス艦事件についても、
こういうかたちで石破防衛相に責任を取らせるのだと言明、罷免は否定してきた。
石破防衛相も、自分なりの問題解決を行ったら、事件の責任は自分で取ると、「改革」 に意欲をみせている。
こうなると、事件に際して、警察権を持つ海上保安庁の頭越しにいろいろな行動を取ってきた大臣以下、
防衛省・自衛隊関係者の態度や、石破防衛相の 「軍事法廷」 が欲しいといわわんばかりの言動をみるにつけ、
いよいよ通常の司法権から独立した防衛省・自衛隊内の機密保護・警察・裁判制度ができるのか、と思わせられる。怖い憲兵、軍法会議だ。
メディアの表面での動きとして、とくにテレビのワイドショーや週刊誌の動向は、3月に入って 「ロス疑惑」 再登場にますます入れ込むものとなりつつある。
たくさんのメディアが現地での取材競争にしのぎを削っている。いまは三浦元社長がいつロスに移送されるかに大きな関心が寄せられているが、
ロスでの裁判が始まり、殺人実行犯の名などが出てきたら、もっと騒ぎは大きくなるだろう。
アメリカ本土の捜査当局は、日本メディアのそのような動き、特性も十分に心得て、そつなく日本人の関心を高めていくようすだ。
アメリカのN・チョムスキーとE・S・ハーマンが共同で著した 『マニュファクチャリング・コンセント―マスメディアの政治経済学』 (トランスビュー) という本がある。
チョムスキーとハーマンは、アメリカのマスメディアの制度機構を分析、そこには、体制的エリートが誘導する市場システムの生み出す 「プロパガンダ・モデル」 が作動、
メディアには5つのフィルターで漉されたニュースが強く出てきて世論に影響を与えることになる、とする検証の結果を披瀝している。
そのフィルターとは、「メディアの利益」 「広告への依存」 「政府・大企業情報源とこれらに強い 『専門家』 への依存」
「メディアへの集中的批判の形を取った統制」 「国家宗教と化した 『反共主義』」。
最後の 「反共主義」 を 「拉致問題最優先」 などに変えたら、
このモデル図式は、いまの日本のマスメディアの、無意識のうちにプロパガンダ・メディアと化していく動きも、かなり説得的に解明してくれそうだ。
メディアのうえで 「阿倍定事件」 と今日の 「ロス疑惑」 再登場の果たす役割が、70年もの時間距離を置きながら、
あまりにも酷似しているのに巨大な虚脱感を覚えながら、メディアよ、なんとかならないのか、しないのか、と思う。
2008.3.4
カストロ退任とコソボ独立
―─歴史の進歩の見方が問われる
2月20日の各紙朝刊はそろって、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が19日、退任表明を行ったことを伝えた。
それより前、17日には旧ユーゴ南部のコソボ自治州がセルビアから独立、単一の主権国家になることを内外に宣言、このニュースも各紙は18日、大きく報じた。
両者に共通するのは、20世紀の後半を通じてつづいた米ソ対立の冷戦構造の下、
アメリカ主導の国際資本主義に対する社会主義陣営の一角を構成してきた最後の部分が、ようやく大きな転換期にさしかかった、という点である。
日本の新聞各紙も、そうした点に触れてそれぞれ論評を試みているが、キューバ、コソボに生じるであろう変化が、これからの世界全体の変革にどんな影響を及ぼし、
また問題を提起することになるかということになると、実に通俗的な見方しか示すことができていないのには、驚くというより情けなくなった。
カストロ議長の退任については、「並外れた権力者」 「カストロ氏」 は、権力を保持しつづけることによって得られる 「利益」 と殺される 「恐怖」 とをハカリにかけ、
弟に権力を譲り、「最晩年を安らかに過ごす道」 を選んだ (21日・朝日 「天声人語」)、「残ったのは・・・21世紀を生き残れそうにない硬直した経済・社会・政治だ」
「一人のカリスマの夢につなぎとめられる政治は、もうこれが最後ではないか」 (同・毎日 「余録」)、
「一切の批判を許さず、言論や体制選択の自由を国民から取り上げてきた独裁体制の置き土産は重たい」 (同・読売 「編集手帳」)、
「共産主義という十九世紀以来の妖怪・・・の呪縛を解き、(キューバは) 新たな道へ踏み出せるだろうか」 (同・日経 「春秋」) というような、
独裁者の負の遺産、社会主義の敗北、暗い将来を心配するというより、やはりこういうことになったではないかと、見下した視線を感じさせる、どれも似たような論調だ。
毎日と読売は同日、社説も掲げたが、毎日 「米国は制裁見直しに動くべきだ」 は、キューバの慢性的な経済不振の根元的な原因は、
カストロ政権ができてから今日まで、アメリカが厳しい経済封鎖を続行してきたことだと、正当に指摘し、その敵視政策の見直しを提唱した。
これが読売となると、「ソ連崩壊で色あせた革命の栄光」 と、ソ連あってのキューバ革命だったが、ソ連が崩壊してからは当然、
やっていけなくなった─―これからキューバがアメリカとの関係を改善すれば、日本ともうまくやっていける─―経済発展も可能となる、というもの。
アメリカ・キューバの関係改善は、アメリカのやり方が変わるか否か問題なのに、おかしな話だ。
朝日は社説はないが、24日朝刊の投書欄下、「世界の論調」 欄に英ガーディアンの18日付社説 「コソボ独立は欧州の試練」 と、
米ニューヨーク・タイムズ20日付の社説 「米政権は 『カストロ後』 に備えよ」 の要約を、並べて掲載した。
前者は、コソボの性急な独立は背後の欧州の動揺が関係しており、独立がもたらす問題の解決に欧州は責任を負っている、と説く。
後者は、上記の毎日社説の視点をもっと具体的な政策に結びつけ、ブッシュ政権に、キューバの政治家、国民に対して直接対話を始めよ、と提言する。
どちらも当然の話だ。残念なのは、朝日がこういう社説を紹介するだけでなく、なんで自分で書かないのか、ということだ。
キューバの窮状、旧ユーゴの混乱、どちらにも日本はほとんど責任がない。
その気になれば、もっと自由で公明正大な立場から、転換期のキューバ、旧ユーゴを世界がどう受け止めていくべきかの議論がリードできるのに、と思う。
コソボの独立については、セルビア政権がコソボのアルバニア系住民に非人道的な民族浄化の虐殺、抑圧を繰り返してきたことが原因であり、
コソボのセルビアからの離脱・独立はやむを得ない、とする論調がほとんどだ。
そのうえで、これが世界各地での民族紛争激化の引き金になってはいけないという問題意識から、「コソボ独立 安定への第一歩にしたい」 (19日・朝日社説)、
「民族衝突を防ぐ慎重な行動を」 (同・毎日社説)、「バルカンの混乱をどう避ける」 (同・読売社説)、「バルカンの悲劇に幕を」 (同・日経社説)など、
当たり障りのない議論を試みているだけだ。
気になるのは、1991年のスロベニア、クロアチアの旧ユーゴからの分離、独立の宣言以後、旧ユーゴで生じた紛争のすべてにわたって西欧とアメリカは、
ひと言でいえば、セルビアが悪い、ですませてきた観がある点だ。
そして日本の政府と大方のメディアも、その見方にならってきた。
また、その背景には、ソ連崩壊、冷戦構造消失のなかでユーゴが解体されるのも当然だ─―それに対していつも悪あがきするのがセルビアだ、
とする実に安易な冷戦史観が、いまにいたるもずっと横たわっていることも、指摘せざるを得ない。
ナチス・ドイツの侵攻を、連合軍の世話にならず、自力で追い出し、第2次大戦後、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、
2つの文字」 をもつ1つの国家として成立したユーゴスラビア連邦は、社会主義を標榜したが、スターリンの支配を受け入れず、国際的には非同盟の路線を追求した。
また、一元的な国家社会主義的な経済体制を取らず、地域・工場を単位とする自主管理による社会主義の発展を追求した。
こうしたユーゴの存在は、国際政治の面ではソ連の覇権主義を警戒する中国、インドネシア、キューバなどの共感を呼び、
米ソ対決に対する第3の道の可能性を予感させた。
また、東欧の民主化をも激励した。自主管理方式は、ヨーロッパ全体の労働運動に大きな影響を与え、
フランス、スペイン、ポーランドなどでも自主管理方式が普及していった。
1民族1国家による主権国家の考え方を修正し、資本主義でもないし、社会主義でもない、混合経済体制の可能性を示唆した、
このようなユーゴのあり方は、冷戦の勝敗にこだわるだけの世界観を打破する衝撃力があった。
だが、現実には、91年のソ連崩壊にともなって、スロベニア、クロアチアの1民族1国家主義の運動が強まり、
そうした形の主権国家として大国となった英独仏など西欧の各国が両者の独立を支持すると、やがてマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの分離を経て、
今日のコソボの独立に至る、果てしのない流血を伴った分解過程が始まったのだった。
国連、NATOがコソボ紛争に介入、米欧が 「人道的介入」 を口実にベオグラードを空爆したとき、
西欧のバルカンに対する原罪というものを思わないわけにはいかなかった。
1977年、ユーゴを訪問、3泊したホテル・ユーゴスラビアは、このときの空爆で破壊された。
西欧の都市にはない、旧市街・スカダリャに漂う独特な生活文化の香り、このとき訪れたブカレスト、ブダペスト、ワルシャワとは異なり、
ドル買い・闇屋・売春婦を見かけることがなく、貧しくても明るく、誇り高い市民。それらが無視され、踏みにじられる無念を痛切に感じた。
民族自決を至上の命題とし、1民族が1国家を、明確に仕切られた国境のなかに建設する権利がある、とする近代主義的なこだわりは、
もう根本から見直されるべきではないのか。それをつづける限り、世界はいたるところで、永久に民族紛争をつづけなければならない。
国境をもたなかった先住民たちは、言語、文化を異にする他民族と共存する点で、はるかにわれわれより賢かったのではないか。
そのやり方に学び、それをもっと洗練させていくことこそ、21世紀において本当に求められるものではないのか。
前記の英ガーディアンの社説がいう 「欧州の試練」 は、そのような取り組みが必要だとする意味において、理解されるべきものではないか、と思う。
キューバが今後、投じる問題の現代的意味についても、深く考えてみる必要がある。
キューバの革命や社会主義は、ただ残骸をさらすのみ、過去の遺物とさえいえないほど役立たずのものなのか。そうではあるまい。
メキシコ・チアパスにおけるサパティスタ民族解放軍の武装蜂起 (1994年)、グアテマラの内戦終結・先住民の権利確立 (1996年)、
ベネズエラのチャベス大統領登場 (1999年。その後、アメリカ企業の利権を没収、石油事業を国有化)、ブラジルに労働組合運動出身のルラ大統領登場 (2002年)、
ボリビアに先住民出身のモラレス大統領が登場 (2005年)、南米南部共同市場 (メルコスル) にベネズエラが加盟、ペルー、チリ、
ボリビアも準加盟国となる (2006年) などの動きをみていくと、そこにはキューバ革命、キューバ社会主義の影響が静かだが、力強く浸透していることに気付かされる。
単にアメリカへの抵抗という思想面だけのことではない。
農業、医療、福祉、教育面での先進国キューバは、これら中南米の国々と実際的な利益を交換する関係のなかで絆を強め、
多くの国がキューバの社会主義からその役立つ面を学び、また、米国経済依存だったがために厳しい封鎖に悩まされてきたキューバも、
中南米諸国とのあいだで経済交流を広げることを通じて、この地域で着実に生きていく力を獲得しつつある。
結果的にこの地域はいま、かつてアメリカの裏庭といわれた、宿命的とも思われた対米従属の鎖を断ち切り、政治・経済・文化、
あらゆる面で自主性を強めつつあるのだ。この地域のこのような発展のなかでキューバが生気を取り戻せば、それは一つの国が再建されるというに止まらず、
アメリカ主導のグローバリズムとは異なる、むしろそれを着実に掣肘する、もう一つのグローバリズムの生成を促す力になっていくと考えられる。
日本がいま陥っており、ますますおかしなことになっていく気配の対米従属のことを考えるとき、転換期のキューバとそれを取り囲むラテン・アメリカの行方に、
メディアはもっと真剣な眼差しを向け、大きな関心を払うべきではないか。
2008.2.26 (2008.2.29 一部訂正)
沖縄・米兵暴行事件と報道
―─再び同胞の苦悩を顧みないメディアを憂う
2月11日朝刊で岩国市長選の結果が報道されたあと、その日起こった沖縄の米兵による14歳の女子中学生暴行事件は、ただちにテレビで報じられたが、
新聞は、休刊明けの12日夕刊で第1報の登場となった。
テレビも一応は、沖縄全島を揺るがせた1995年の少女暴行事件―─
米兵犯罪の捜査権が日本にないも同然の日米行政協定の運用を見直すきっかけとなった事件のことも取り上げ、今度の事件についても大きく報じた。
今回は容疑者米兵が基地外で事件を起こし、日本の警察によってただちに逮捕され、身柄が確保されたため、見直し後の協定運用原則によって、
米軍側が容疑者の身柄を取り返す要求はできず、過去に起こったような紛糾は生じない。
あとは現地警察の取り調べの進展が注目されるわけで、日米両政府のあいだのお定まりの遺憾と謝罪の意の表明・交換のほかは、当分目立った動きは生じない。
すると、テレビの事件のフォローは、目にみえて貧弱となった。
こうなったら新聞の出番だ。なんで同様の事件が性懲りもなく繰り返されるのか、再発はどうしたら可能なのかなど、基地周辺住民の声、両国関係機関の対策、
在日米軍再編への影響など、報じ、論じることは山ほどある。だが、新聞のほうも、どうも反応が鈍いのだ。
もちろん現地の琉球新報、沖縄タイムスは、事件発覚と同時に号外を発行、その後も精力的に報道を繰り広げ、問題の根源は米軍基地があることに尽きる、
とする全島の認識をあらためて強く確認している。沖縄では、米軍再編交付金を当てに地域振興を考える政治家や自治体首長でさえ、
期間や程度の差はあれ、漸減的な基地の縮小・整理、兵員の削減を求める点では変わりはないのが実情だ。
ところが、本土の新聞、とくに大新聞となると、この点ががらりと変わり、沖縄の米兵暴行などの事件は、
沖縄の基地のあり方が特別だから起きる―─いってみれば沖縄問題だと眺める視点が強く、沖縄現地での問題再発をどう防止するかというような、
技術的な議論に終始する調子が蔓延している。
さらに、再発防止は、喫緊の在日米軍再編・日米軍事一体化の進展がこんなことで阻まれてはいけないから、ぜひやらねばならないものだ、
とするような議論さえ、少なからず目につく。それは、日本中に同様の事件、問題を拡散、増加させる結果に行き着くとする理解が、まるでないのには呆れるばかりだ。
そもそも読売は、12日夕刊は他紙と違い、この事件の報道は1面トップではない。トップは、「加工食品の原産地表示を全品についてやるのは困難」 とする記事。
これが休刊明け最初のトップ・ニュースか! そして翌13日朝刊は、各紙全部が事件に触れた社説を掲載したのに、読売は該当社説なし。
この事件に関しては騒ぎを大きくせず、できるだけ静かにやり過ごそうということか。
社説はようやく14日。しかしそれは、米軍に 「実効性ある再発防止策を」 求める一方、日本側に、沖縄の基地負担を和らげるためにも、早く普天間飛行場を名護に移し、
海兵隊をグアムに移すなど、米軍再編を加速する必要がある、という方向に議論をもっていくものだった。
これらの移転措置は、沖縄の基地負担を軽減するどころか、米軍の世界的戦略再編の一環として行われるものであり、
もちろん沖縄も含め、日米一体型の軍事基地の負担を、日本全土で増大させるおそれがあることには、まったく触れていない。
日経 (13日) も同様に、在日米軍再編の遅延という影響が出ることを、一番心配する。
産経 (同) も、「沖縄の県民感情」 を心配するが、本当に心配するのは、やはり米軍再編の遅れなのだ。
これらに比べれば、朝日 「沖縄の我慢も限界だ」、毎日 「凶行を二度と起こさせるな」、東京新聞 「繰り返した米兵の野卑」 の社説 (いずれも13日) は、
もっと強く危機感を募らせ、同じような犯罪が繰り返されるのを許してきた日米両政府の住民無視、有効な対策を講じてこなかった無責任に対する批判も、ずっと手厳しい。
とくに毎日は、各紙の記事が1995年の少女暴行事件以降の米軍犯罪しか概観しなかったのに対して、
55年・嘉手納での6歳女児暴行に始まり、70年 ・ 「コザ (現・沖縄市) 騒動」 の原因となった米兵の傍若無人な交通事故など、多数の事件を紹介し、
それにらによって昔から今日まで、事件の真の原因は基地そのものであることを物語らせたのは、注目に値する。
情けないのは朝日だ。11日朝刊の社説は、岩国市長選の結果に触れなかった。
そこで13日の上記社説は、この日の掲載となった 「岩国市長選 『アメとムチ』 は効いたが」 との組み合わせとなった。沖縄と岩国の組み合わせだ。
ケガの功名とはいえ、またとないチャンスだ。基地の現状とそれが直面する問題の本質に触れた、格調高く、スケールの大きい、両方の出来事に共通する問題を摘示、
解明する社説で紙面を飾ってくれればいいのに、と思ったものだ。だが、残念ながら、岩国は岩国、沖縄は沖縄という程度の社説2本が、同じ社説欄に並んだだけだった。
北海道新聞 (同じく13日) の社説、「謝罪だけでは済まない」 が一番納得がいった。
「沖縄のみならず国内の米軍基地があるまちで、同じような犯罪は後を絶たない」 「米軍基地の整理・縮小という沖縄県民の声を真摯に受け止め、
実行していく責任が日米両政府にはある」。
東京の新聞はろくに報じていないが、北海道でも米第7艦隊の旗艦、揚陸挺総指揮艦・ブルーリッジの小樽港定例利用化が、日米両政府によって策されている。
地元紙としては住民読者にこの問題について、つねに情報提供を行っている。
平和と安全の問題は、地元住民の平和と安全に結びついている、とする基本的な考え方に立っているのだ。
だからこういう社説が書ける。橋下徹大阪府知事は 「国の防衛問題に地方自治体は異議を差し挟んではいけない」 と井原前岩国市長を批判した。
これに対して北海道大学の山口二郎教授は、それならば 「面倒な基地をすべて大阪に移せばよい」 と国に提案、
橋下知事に痛烈な一発をかませた (2月11日・東京新聞朝刊 「本音のコラム」)。私もまったく同感だ。これほど説得力ある提案には滅多にお目にかかれない。
こういうことにならないと、中央の大新聞も、いつまで経ってもなにも自分の問題としては考えないのかもしれない。
2008.2.19
同胞の苦悩を顧みない大新聞
―─今なぜアメリカ一辺倒なのか
2月10日開票の山口県岩国市長選は、有効総投票数 9万2,380のおよそ半分ずつを、2人の候補が分ける接戦の結果、わずかに 1,782票 ( 1.92%) の差で、
岩国基地への米空母艦載機移駐に賛成の福田良彦候補 (前自民党衆院議員) が当選した。
移駐反対の旗を堅持する井原勝介前市長は、これまでの住民投票・市長選挙 (いずれも2006年) を通じて、幅広い市民の支持を獲得してきた。
今回の投票率は76.26%と、前回 (65.09%) を大きく上回っている。これをみれば、井原候補の支持基盤が崩壊したとは、到底いえない。
移駐賛成派による今回の投票者動員がわずかに優った、といえるのみだ。
だが、11日現在 (休日で11日夕刊と12日朝刊は休刊)、東京の新聞各紙をみる限り、
ようやくノドにささった小骨がとれた、といわんばかりのニュースの扱いで、おおむねあとは、日本全体での米軍再編が進むと観測、
それを既定事実として受け入れる風が強いのに、驚く。
臆面もなく再編を推進せよ、と主張──読売、日経、産経
観測どころか、臆面もなく、これを弾みに再編を推進せよ、と主張するのが読売、日経、産経。
社説で 「現実的な判断が下された」 (産経)、「米軍艦載機移駐を着実に進めよ」 (読売)、「・・・民意踏まえ在日米軍再編進めよ」 (日経)が、彼らの言い分だ。
産経の 「現実的な判断」 とは、北東アジアには 「冷戦構造が厳然として残る」 のだから、アメリカに頼るのは当然というもの!。
また、読売は、米軍基地拡大・強化に関して 「政府と協力すれば、様々な地域振興が可能となる」 と、岩国市に助言する。
政府は、在日米軍再編促進特措法に基づく再編交付金を、再編計画受け入れ自治体には大盤振る舞いする一方、
沖縄・名護、神奈川・座間など受け入れ拒否の自治体にはゼロとする阿漕なやり方をしている。読売はこれを当然視するわけだ。
岩国に限っていえば、もともと米軍基地はあり、96年の日米特別行動委員会 (SACO) 報告に基づく米空中給油機受け入れに応じたときの、
新庁舎建設補助金を受給中だったが、井原市長の下での移駐拒否で、政府はこの給付を突然中断、約束違反を犯したのが真実だ。
いくら読売でも、この点は批判すべきではないか。日経にいたっては、なにが 「民意」 かの判断がずさんに過ぎる。
最初の住民投票、市町村合併後の市長選の結果に対する評価がまったくない。僅差の賛成派市民の勝利は、万々歳というものではなかろう。
そこに潜む苦悩をどう汲み取るかの配慮が必要なはずだ。
あとは3紙そろって、これを弾みに沖縄・普天間の名護移転を早くやれと、かねてからの再編促進論のトーンをいっそう上げるだけだ。
政府の責任を明確に批判──毎日、東京、朝日
これらと比べると、毎日の報道の視点設定、論説のポイントは、岩国市民の苦悩に配慮する色合いが濃い。
賛成派候補が市長になった岩国に、政府がかねてからの補助金の再開と新たな交付金の支給の両方を行うために 「新補助金」 を考えている、と報じたニュースは、
政府のインチキさを伝えている。社説の 「国は対立解消の責任果たせ」 も、こじれの原因は政府の強硬策にあるとし、住民の意思の尊重を説く。
だが、社会面報道までみると、基地反対の建前よりも現実のカネが大事だと賛成に転ずる市民が多くなるのはしょうがないか、
とする調子から抜け出せていないのが、やはり情けない。
むしろ東京新聞の社説、「街を分断した国の責任」 のほうが、補助金中断、交付金ノーというムチの政策こそ住民分断の元凶だと、
政府の責任をより明確に批判していて、わかりやすい。
不可解なのが朝日だ。1面トップに 「米軍機容認の新顔当選 反対の前職を破る」 と大きく報じ、
毎日を除くほかの4紙が1面トップ扱いしなかったのとは際立って違った扱いをしたのはいいが、社説はなしだったのだ。
社説は、シリーズ 「希望社会への提言」 の16回目、「年金は税と保険料を合わせて」。曜日指定の決まりものかもしれないが、この日は新聞休刊日で、翌12日は朝刊なし。
2日間の空白のあとの社説になるのだとしたら、いかにも出し遅れの証文というかっこうだ。
社会面もトップ、「アメとムチ 交付金で 『兵糧攻め』」 と、政府のえげつなさを批判、井原前市長の無念を前面に出しており、
他紙が福田新市長を大きく扱ったのとは異なる。だが、社論としてこの結果をどのように受け止め、それによって生じた問題の解決をどう考えるか、
の見解が示されなかったのは腑に落ちない。
アメリカ タカ派の硬直した世界戦略にこちらからコミット
今回岩国の市長選の結果は、沖縄・普天間基地の名護移転、アジア・太平洋地域における米軍指令中枢の神奈川・座間への移転などの問題の帰趨に、
大きな影響を及ぼす可能性があった。それだけではない。北海道・小樽港の米第7艦隊旗艦、揚陸挺指揮艦・ブルーリッジの利用定例化、
横須賀の米原子力潜水艦母港化、さらにはミサイル防衛計画の日米一体による推進 (都心にも自衛隊のPAC3が配備)、
沖縄・米海兵隊のグアム移駐に伴う巨額な日本側費用負担の発生など、地域住民・国民の懸念や関心を喚起する問題の行方にも、それは大きな関わりを持っていた。
ブッシュ大統領のアフガン・イラク戦争の過ちと失敗が明白になったアメリカでは、大統領選がすでに進行過程にある。
その結果如何によっては、アメリカの世界戦略が大きく方向転換し、日本としてもアメリカの平和勢力との連帯を強めながら、日米軍事同盟を改変、
非軍事的な国際協力に重きを置く方向に舵を切り替えていける可能性も出てくる。
そうした矢先、わざわざアメリカの最右派、タカ派の硬直した世界戦略にこちらからコミットし、あえていえば、ブッシュの敷いた路線順守をあくまでもアメリカに求め、
多くのアメリカ国民が変化と平和を目指す方向に歩き出そうとするのを妨害しようとする日本は、いったいなんという国なのだ、と思えてならない。
自国の社会保障費を削減、軍事費の負担を増やしつつ、なんでそこまでやるのか。
しかも、本稿執筆中、また沖縄で米兵が14歳の日本人少女を暴行したニュースが飛び込んできた。どのぐらい同じ悲劇を繰り返せば、政府は住民の苦悩をわかるのか。
なぜ、トップニュース──元時津風親方と兄弟子3人の逮捕
投票日前の数日間でも、メディアがこれら日本各地で起こっている問題をくまなく報じ、その都度、岩国市長選の意義に注目を集める議論を展開していたら、
全国の目は岩国に注がれ、そのなかで現地有権者の問題意識も、大いに変わったはずだ。取り上げるべき問題はほかにも生じていた。
米サンフランシスコ連邦地裁の 「ジュゴン判決」 (名護・辺野古のジュゴン生息地に対する米軍基地建設の影響調査を命じた判決)、
岩国市長選・福田候補の応援で、橋下徹大阪府知事が 「地方自治体は国の防衛政策に異議を挟んではならない」 と、公正さと妥当性を欠く発言を行ったこと、
政府が、岩国市よりは協力的だと名護市には再編交付金の支給方針を決めたことなど、投票日前に報じ、論ずべき材料は、たくさん出てきていた。
しかし、全紙がそれらをいっせいに大きく報じるとか、賛否の議論を公然と取り交わすとかすることはなかった。
名護市への交付金決定のニュースは、ただその事実が伝えられただけでは、岩国市の移駐反対派市民を威嚇し、
動揺する市民に反対を諦めさせる効果しか及ぼさなかったのではないか。
代わって、投票日直前、大きなニュースになったのが元時津風親方と兄弟子3人の逮捕。
8、9、10と3日間、各紙は競って1面トップ、社会面トップをこのニュースで飾った。呆れたのはNHK、開票日=10日夜、7時のニュースのトップがまたこれだった。
勇気をもって歴史の変化に向かい合うメディアの出現を
最後に、読売、日経、産経の10日紙面をもう一度振り返ってみよう。どれも1面トップは別のニュースだった。
読売は、鎌倉時代の彫刻師・運慶作の文化財未指定の仏像が近く米に流出しそうだ、という話題。日経は、新日鉄が4月に鋼板を値上げとの予測報道、
産経は 「追跡 鳥インフルエンザ」 と題する企画報道で、「大流行迫る 『その日』」。どれもいってみればひまネタだ。
社説も見直しておこう。この日は1本が 「岩国市長選」、残る1本が、読売 「源氏物語 千年紀を迎えた世界文学の傑作」、
産経 「建国記念の日 国づくりの歴史を学ぼう」、日経 「迷惑メール規制は実効性を」。
生起しつつある国際社会の歴史的な情勢変化のなかで岩国市長選のポジションを考えると、その結果の受け止め方は、
今後、数年から10年ぐらいのあいだに日本がどのような方向で変化を求めていくべきかとする問題に、深く関わっていると考えざるを得ない。
そう思うとき、この3紙の歴史的知性の程度の低さには驚き、呆れる。彼らの思惑は、当分は明文改憲が持ち出せないので、いけるところまでは解釈改憲でいけ、
というものではないか。だがそれでは、やがて世界と時代が変わり、日本国憲法の出番がやってくるチャンスを、結局潰すだけに終わるおそれがある。
ほかの新聞はどうか。彼らに決然と対せず、適当につき合うだけでは、いずれそのポピュリズムに巻き込まれてしまいはしないか。
知的に誠実に、また勇気をもって歴史の変化に向かい合うメディアの出現を、日本と世界の市民は待っている。
2008.2.12
日本には教えられる過ちがたくさんある
―─中国製ギョーザ中毒事件に思う
1月30日、JT (日本たばこ産業。旧専売公社) の子会社が輸入した中国製の冷凍ギョーザを食べた千葉・兵庫の家族が、
激しい中毒症状に襲われていた事件が発覚すると、マスコミは連日、このニュースにたくさんの紙面と放送時間を割いてきた。
はじめは中国の食品会社の製造過程における原料の残留農薬処理に問題があるかのような報道が多かったが、時間が経つに連れ、
中国での製品包装時あるいは日本での末端販売過程における意図的な汚染とする疑惑が浮上、原因・責任の追及が混沌とした様子を呈しだしてきた。
こうなると、日本は中国の管理不行き届きや無責任さを批判し、これに対して中国は、根拠薄弱な批判は悪意ある中傷だと、日本に反感を強め、
両国の大衆がお互いに相手に悪感情を抱くことになる、不幸な連鎖反応が始動しかねない。
人間の口に入る、本来安全なるべき食物が、闇雲な生産性向上、経済成長の追求のカゲで、信用ならない危険な商品に転落してしまった問題は、
日本のほうが早くから、また実に多岐にわたって、いやというほど経験してきた。
森永ヒ素ミルク中毒事件 (1955年)、イタイイタイ病 (カドミウム。55年)、水俣病 (有機水銀。56年)、新潟水俣病 (60年) などが先駆をなし、
やがて農村に急速に浸透した農薬が多様な事故や犯罪、自殺などの発生に結びつくこととなった。
名張毒ぶどう酒殺人事件 (ニッカリンT。61年)、農業従事者の中毒事件の多発 (信濃毎日新聞社 『新しい恐怖―しのびよる農薬禍』 65年刊)、
カネミ油症事件 (PCB、ダイオキシン。68年) が思い出される。
レーチェル・カーソンの 『沈黙の春』 (64年に 『生と死の妙薬』 の題で邦訳刊行) が最初はピンとこなかった日本人も、
郊外の我が家に隣接する田んぼや果樹園の上を、ヘリコプターが低空でホリドール、パラチオンなどの有機燐系農薬をふんだんに散布するようになって、
にわかに慌てなければならなくなった。
これらの粗暴で原始的な有毒物の放置状態は、さすがに修正を迫られたが、その後も、効率優先、経済成長主義のもとで食の安全が犠牲にされる状況は、
形を変えてつづいている。休耕制度などで小規模農家が整理される一方、大型ハウス奨励など、農業の商業化、
大規模化が促されていくのに伴い、農家は自家消費の作物と市場に出荷する作物とを分け、農薬の使用程度を変えるようになった節がある。
家禽・家畜の大量飼育でも、飼料に抗生物質・成長促進剤を混入しているとの疑惑がしばしば指摘される。
このような状況の中で、野菜などの作物についてはポスト・ハーベスト農薬の多用 (収穫後の作物に防虫・防黴などの農薬を使う) が問題とされてきたが、
根絶されたとはいいがたい。
その後、野菜・お茶などのダイオキシン汚染、水・土壌を汚染する環境ホルモン (内分泌攪乱物質) が騒がれ、
さらに雪印乳業集団中毒事件 (消費期限切れ牛乳の再利用など。2000年)、
雪印食品国産牛肉偽装事件 (狂牛病=BSE対策で国が被害を受けた国産牛肉を買い取った際、輸入牛肉を国産ものと偽り、買い取らせた。02年)、
ミートホープ牛肉ミンチ表示偽装事件 (07年) などが、今日まで起こってきた。
このような日本の好ましからざる事態の変遷を顧みるとき、今度の事件の発生原因が、工程管理のずさんさ、あるいは犯意の介在を許してしまったこと、
どちらかであり、責任は中国側にあるということになったにしても、それはまだ、私たちの過ちの歴史の初期段階にあったものと同質程度のものではないか、という気がする。
言い換えれば、こういう状態をいい加減にしたまま、中国が今後も成長一本槍で食の問題にかかわっていけば、その成長の規模、速度からいって、
食に対する不信、不安の状況は、たちまち日本が今日直面している状況どころではない、はるかに巨大で深刻なものになっていくのではないか、と危ぶまれる。
不思議なのは、JT、江崎グリコ、マルハ、加ト吉、味の素、伊藤ハム、日本ハム、日本食研など、今回の中国の食品会社と取引のある日本の食品会社は、
日本の経験豊富な一流事企業であり、そんなことはとっくに承知のはずで、自分たちの安全のためにも、中国の食品産業に日本と同じ過ちを繰り返させないよう、
普段から細かく気を配り、内面的な指導・協力をやっていたのではないかと思っていたのに、どうもそうではなかったらしい、という点だ。
中国に熱心に求めたものは、ほとんど安い人件費と日本の消費者の嗜好に適合する、過剰なほど細かな加工技術の発揮だけであって、
自分たちが犯した過ちを繰り返してはいけない―─食の安全は、幾層もの供給者と購入者の信頼関係のうえに成り立つものだ、
ということを熱く語ってきた気配が感じられないのだ。
中国で原料の農産物をつくる人たち、工場で製造加工する人たち、工程管理を行う人たちそれぞれに、
自分たちの産物・製品に自信と誇りを持とうと、仲間として語ってきた感じがない。
問題が起こった─―困ったな、とりあえず製品の回収だ、違う工場に変えなければいけないか、それとも発注先をタイやベトナムに変えるか・・・、
といったような慌ただしさばかりが、マスコミ報道から伝わってくる。
日本の農業の荒廃、自然環境の悪化、食品産業のモラルハザードも、実はこれら日本企業のやり方が原因のひとつとなって、生じたものではないか。
国内の条件が悪化したから日本ではうまくいかない―─今度は中国でそっくりやればいい、という程度で中国にいったのだとしたら、
中国の人たちからも信頼は得られないだろう。地産地消―─食べ物でいえば、その土地でつくったものをその土地の人が食べる。
このような状況を東アジアが一つになって実現しなければいけない時代に、もうなりつつあるのではないだろうか。
メディアには今、そのようなビジョンを示してもらいたいものだ。
2008.2.5
ジュゴンが恥ずかしがっている
──対米従属を脱せよ
1月25日の朝日新聞・夕刊2面の小さな記事を読んで、いろいろなことを考えさせられた。わずか30行、
「普天間移設 『ジュゴン調査を』 米政府に連邦地裁」 という見出しの記事。沖縄県名護市辺野古は、同県普天間にある米軍飛行場の移設予定地とされているが、
建設される滑走路が伸びる沖合は、天然記念物に指定されている希少生物、ジュゴンの生息地として知られている。
日米の自然保護団体が辺野古の基地建設でジュゴンの生息地が破壊されると訴えていたところ、サンフランシスコにある米連邦地方裁判所が24日、
基地移設の工事が同地の生態系にどのような影響を及ぼすか調査せよと、国防総省に命じる判決を出したのだ。
判断の根拠は、アメリカの文化財保護法 (NHPA=National Historic Preservation Act. 朝日は米国歴史保存法と訳している) で、
NHPAが国外で適用されたのは初めてとのこと。このとき、読売と信濃毎日新聞 (長野・松本。共同通信配信) も同様に報道、現地の沖縄タイムス・琉球新報2紙は、
さすがに大きく報じたが、ほかの新聞に記事はなかった。26日朝刊で毎日と静岡新聞が追随した。
共同通信が配信しているのだから、もっと多くの社が取り上げてもいいのに、と思った。
日本政府が辺野古現地で力を入れてやっている調査は、本工事着手のための事前調査ばかりで、環境アセスメント調査はおざなりの上に、
その結果も完全には公開していない。とにかく日米両政府が申し合わせた工期と日程ありきで、これに沿った強引な作業が進められつつある。
昨年5月には海中の調査用機器の設置を急ぐために、反対派住民が工事海域に入るのを威圧して阻むため、海上自衛隊を現地に投入するという、
ちょっと考えられないことまで政府は強行した。また、その後も、反対運動に参加した牧師がアクアラングを着けて海中に入ったところ、
請負工事業者の水中作業者がこれを阻止、呼吸装置を外そうとする危険な妨害行動まで取り、住民たちの怒りを買った。
反対派住民や沖縄の基地撤去運動を進める広範な人たちの意向はまったく無視、在日米軍再編促進特別措置法に基づく再編補助金給付というアメで、
当該地域自治体の歓心をそそり、再編計画を受け入れない岩国市のような自治体には既存の続行中の補助まで打ち切る、
えげつない政府は、なまなかなことでは、引き下がろうとはしない。
そういうところに、あの柔和な雰囲気を漂わせたジュゴンが、無頓着な米軍と、アメリカのいいなりになるだけで、
自国住民には強引な態度で臨むだけの日本政府に対し、真正面から一本取ったかっこうとなった。
人間ができないことをジュゴンがやってくれた。日本のことであるにもかかわらず、日本の司法がやってくれないことを、アメリカの司法がやってくれた。
これをいったいどう理解したらいいのだろうか。沖縄海域のジュゴンは、いくら米軍基地に取り囲まれているとはいえ、
国籍があるとすれば、アメリカ国籍ではなく、日本国籍だろう。
ジュゴンがものを思うなら、自国の政府や裁判所が自分を救ってくれるどころか、住むところまで潰そうとしているのを、
アメリカの裁判所が出てきて助けてくれそうなのを、どう考えるだろうか。
ありがたいと、手放しで喜ぶより、自分の国のだらしなさが、なんだか恥ずかしい、と思うのではないか。
同じ日本国籍の、こっちは人間だが、この恥ずかしさの由来をちょっと考えてみると、それが生じてくる根はたいへん深いように思えてならない。
ヒロシマ、ナガサキに原爆を落としたアメリカは酷い。沖縄の基地を占領中も占領後も抱え込み、ベトナム戦争に利用し、イラク戦争にも使い、
さらに今後の身勝手な戦略再編でも、居座りどころか、基地体制をより強化しようとしているアメリカは、とんでもない。
しかし、それが環境や文化財などの破壊に帰結するのを禁じる国内法があり、これは外国の米軍基地にも適用されるべきだということになると、
その法理をちゃんと働かせ、司法権が行政権をきちんとチェックするよさがアメリカにはある。
日本はどうか。アメリカに押しつけられた憲法はもう捨ててしまえと、声のでかい政治家やメディアがいう。
押しつけがあるあいだはしょうがないので守ってきたが、もう押しつけがなくなったから捨てよう、ということらしい。
そこにあるすばらしい法理を自前のものとして生かそうとする考えは持たなかったのか。基地もいやだけど、押しつけがあるあいだは、いいなりになろうということか。
だとすると、今度の連邦地裁の判決が生かされ、アメリカはジュゴンの住みかを守る―辺野古の大規模基地建設は止めだ、となったら、それを押しつけと受け止め、
日本の政府も基地移転はいやいやながらストップする、ということになるのか。なんだかへんだ。
日本の民主主義はいつまで経っても一人前にはならない。なんでもアメリカしだいだ。これではジュゴンは、もっと恥ずかしいと思うのではないか。
2008.1.29
新テロ特措法のなにが問題か
──ぶれる在京大手紙
昨年秋の臨時国会は、開会直後の安倍晋三首相の突然の辞任で、冒頭は事実上、福田康夫後継首相の選出・信任の段取りに時間を取られ、
さらに不可解な 「大連立」 を探る自民・民主両党首の会談が挟まり、正規の会期中はろくな法案審議もできなかったのが実情だった。
元来が、安倍首相の辞任は、野党が過半数を制する参院ではテロ特措法の延長が否決され、インド洋上での海上自衛隊による給油継続が実現できず、
ブッシュ米大統領への約束が果たせなくなる、とする失意、あるいはビビリが原因だった。給油続行こそ、与党にとってこの国会の最大の目玉だったのだ。
すると、あとを襲った福田内閣も、現行法が失効するのなら、それに代えて新法=新テロ特措法案を参院にぶつけ、
否決されたら憲法が許す衆院の再可決条項を使ってこれを実現、給油を再開する、という手に出た。
そのために会期を延長、さらに再延長し、今年1月11日、衆院の3分の2以上を満たす自民・公明両党の賛成で、新法をでかしあげた。
なんでここまで大騒ぎしてやるのか。それでなにが国際貢献になるのか。さらには日本のトクになるのかが、まったくわからない。
水島朝穂早大教授が、「2月にもインド洋上での給油が再開されます。……税金が無駄に使われるとか、
アフガン市民を巻き添えにして殺害する米軍・有志連合軍の戦闘作戦行動に 『油を注ぐ』……だけではなく、
ブッシュ政権に過剰に肩入れする日本の姿が世界に見え……目立たなかった給油活動を非常に目立つようにして再開するわけで、
象徴的な攻撃目標にもなりかねません」 (メールマガジン 『今週の 「直言」 ニュース 』 08年1月14日) と語るが、まったく同感だ。
日本を敵とみるようになった外国の人たちが日本や日本人に、武力による攻撃を加えることが生じたら、今度はこれを 「テロリスト」 とみなし、より強力なテロ対策、
ブッシュ大統領にぴったり寄り添う対外的な対テロ戦争政策や、国内治安対策のレベルをどんどん上げていこう、ということになるのではないかと心配だ。
月刊 『世界』 07年11月号で、伊勢崎賢治東京外語大教授は、「アフガン人は誰も自衛隊のインド洋上活動について知りません。
カルザイ大統領も〇三年九月の時点まで……知らなかった……ムシャラフ大統領も、小池百合子元防衛大臣の訪パキスタンまで知らなかった」 といっている。
実際、カルザイ大統領については、民主党の中川正春衆院議員が03年5月、国会で驚きながらその点を質問、
これに対して川口順子外相がうろたえて曖昧な答弁をする一幕が、国会議事録にも残されている。
伊勢崎教授の指摘が貴重なのは、アフガニスタン、パキスタンの人々が、日本の関与する給油、侵攻軍支援の事実について無知であったため、
日本は戦闘に直接関与しない国だと 「美しい誤解」 を抱いてくれ、元反政府組織の兵士の武装解除を教授自身が日本政府の代表として主導したとき、
彼らが安心して説得を受け入れてくれたと、自分の体験を語っているところだ。そこにこそ、なにが真の国際貢献であり得るか、
日本にとってトクになることかのカギが隠されている。
だが、日本の新聞はどうだ。1月12日の社説をみると、読売 「政治の再生へどう踏み出すか」 は、国益が守れた─―このような国益が守れる政治の再生を、と述べる。
日経はもっと先をいき、「与野党は 『恒久法』 合意へ議論深めよ」 で、今回のような騒ぎにならないように 「自衛隊海外派遣恒久法」 をつくれと主張、
産経は 「国際社会と共同歩調を」 と語る。ブッシュの最後の盟友、ハワード豪首相も退陣、当の米大統領選でもイラク戦争政策の清算が検討の俎上にのぼっている。
これが 「国際社会」 の大勢ではないか。毎日 「今回は非常手段と心得よ」、東京 「努力なき再可決を憂う」 は、さすがに与党の非民主的な国会運営に批判的だ。
だが、大事なのは手続き論よりも、日本が対アフガン政策でなにをやるべきか─―なにをやるべきでないか、の議論だろう。
この点は、朝日の 「禍根を残す自衛隊再派遣」 についてもいえる。「ほかの方法」 「民生支援」 をいうなら、伊勢崎教授の体験、
アフガンで井戸を掘りつづける中村哲医師の行動に学び、もっと具体的な提案をしてほしい。
「米国主導の対テロ戦争に正当性があるのか」 (琉球新報)、
「武力行使を放棄した平和憲法……の理念を生かしたもっと日本らしい協力の仕方があるのではないか」 (徳島新聞) など、地方紙のほうがより核心を衝く批判、
広い視野の提示を試みている。
2008.1.21
グローバリズムの時代
──日本国憲法の出番
正月の新聞各紙をいくら読んでも、新しい年の展望を示してくれるようなニュースや論評にお目にかかれず、なんじゃこれはと呆れていたが、
1月9日・朝日朝刊の外信面コラム 「風」 に遭遇して、フム、ちょっといいぞ、と嬉しくなった。
各地特派員が回り番でご当地状況を解説的にリポートする欄だが、これは、岸善樹記者の 「EUの優等生 国薄れ もがく」 と題する、ブリュッセルからの便り。
EU=欧州連合の本部があるブリュッセルを首都とするベルギーは、南部=フランス語圏と北部=オランダ語圏を抱えた連邦制をとっている。
連邦政府が国として中央的な大きな力を振るっていたときは、両地域はその枠内におとなしく収まっていたが、
EUの優等生、ベルギーが統合のメリットを受けて繁栄、政治・経済に関する国の役割をEUに譲っていくのに伴い、
社会慣習、言語文化、宗教などを異にする地域の存在が大きくなり、抑えられていた対立が表面化しつつある、というのだ。
公文書の使用言語をめぐり、最近ベルギーで紛争が生じているというニュースは、日本でも報じられていたが、これでその背景がよく理解できる。
岸記者の慧眼は、そうであるならば、EUの統合が成功、域内各国の国の影が薄くなればなるほど、どこでも似たような地域対立、
さらには分離・独立騒ぎが起こるのではないか、という点に行き着く―─たとえば、「英国スコットランド、イタリア北部、スペイン・カタルーニャ自治州・・・」 と。
さらに付け加えればフランス・スペインにまたがるバスク、フランスのブルターニュ、チェコのズデーテン (分離独立かドイツ併合) なども、入ってくるはずだ。
問題は、こうした動向を歴史の進歩とみるのか、退歩あるいは逆流とみるのかだ。残念ながら、岸記者はそこまでは踏み込まない。
EUは国民主権国家の限界を統合という方法で乗り越え、北米、日本・ASEANなどの経済的な地域連合に対抗可能な経済ブロックを形成することを目指し、
今や押しも押されもしない地位を築くにいたった。だが、この歴史的進歩、地政学的な成功は、ベルギーに生じたような矛盾を伴わないではおかない、
とするまでが岸記者の見解であろう。しかし、成功裡に進展する主権国家の解体・統合過程内でなくとも、第二次大戦終結以後の植民地の解放・独立、
冷戦構造の崩壊、イラク戦の失敗=アメリカ単一軍事支配体制の終焉という現代史全体のプロセスは、
経済のネオ・リベラリズムとグローバリズムのアナーキーな渦巻きをますます巨大化し、これに巻き込まれた主権国家はあらゆるところで拠って立つ基盤を揺るがされ、
地域の抵抗や反乱に出会うことになった。
いってみれば、チェチェンとロシアの対立、コソボの独立、クルドのトルコ・イラクからの分離、、スーダンの部族間戦争、
アフガニスタン・パキスタンの宗教紛争・民族対立、中国国内の民族問題、台湾問題、南北朝鮮統一なども、ネガティブな色彩が強い状況の下とはいえ、
ベルギーの問題と同じ根をもっている。こららの方は、もともと地政学的な破綻、あるいはアノミーというべき問題として存在してきた。
対立する当事者のどちらか一方の主張を正しいとし、そちら側にのみ主権国家としての存立を許す、などの解決は到底できない。
言い換えれば、第2次大戦の戦勝国が国家連合としてつくった国連の論理では、もうとても解決できない問題なのだ。
そしてそこに、これほど悲劇的で、切迫してはいないにしても、EUやベルギーのようなところまでもが、同じ問題を抱えるようになったというのが、
今みえてくる全体の構図であろう。
現在のグローバリズムが、あらゆる主権国家および強大な主権国家たらんとする国を席巻すればするほど、
地球規模の社会的・文化的参加から排除される地域、排除されていると感じる市民が出てくる。
そこに生じる問題は、武力による国権の行使では絶対に解決できない。余計に問題をこじらせるだけだ。ましてや他国が武力干渉するならば、
問題を増幅、拡大するばかりだ。まさに日本国憲法の出番ではないか。
非戦、非武装、非核の立場を貫く日本こそ、世界が異なる地域、、民族、文化の独自性を認め合い、共存していくもう一つのグローバリズムを、
最も説得的に提唱できる国ではないか。当然、北方4島・尖閣列島・竹島をめぐる問題、アイヌ先住民問題、沖縄基地問題などの解決策も、
新しいビジョンの下で再構築していく必要がある。
各紙新年の社説・企画報道は、さすがに地球温暖化は型どおり取り上げていたものの、あとは、新テロ特措法がどうなるか、日米同盟は大事だ、
などの、せこい話ばかりが氾濫、うんざりさせるものだった。岸記者の問題指摘をフォローし、気宇壮大な未来の眺望を描き出していくことをこそ、やってもらいたいものだ。
2008.1.14
|