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2008年03月20日(木曜日)付

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混迷政治―福田さん、事態は深刻だ

 日本銀行総裁のいすが空席になった。世界経済が揺れるなか、前代未聞の異常事態である。

 直接の引き金をひいたのは民主党など野党の反対だ。参院の採決で、元大蔵事務次官の田波耕治氏の起用に同意しなかった。だが、そもそもの原因は福田首相の手際の悪さにある。

 民主党の対応には首をかしげるところがあったにせよ、同意を得られる人事案を出せなかった結果責任は首相が負わねばならない。2度も失敗した見通しの甘さが自らの首を絞めてしまった。

 振り返れば、福田氏が首相になってからのこの半年、政治の停滞ぶりは目を覆わんばかりだ。

 前半の3カ月余は、インド洋での給油活動の継続・再開の問題に費やされた。後半の3カ月は、ガソリン税の暫定税率と道路特定財源をいかに死守するかにきゅうきゅうとしている。政治はほとんど前に進んでいないのではないか。

 年度内に決着させるはずの道路財源の問題は、あと10日ほどしかないのに野党との修正協議はまだ始まってもいない。「国民生活は混乱させない」と言っていたのに、結局、時間切れで4月からガソリンの値段が下がる公算が大きい。衆院での与党の多数を使って、再び増税するつもりなのだろうか。

 「日銀総裁の空白は許されない」と言いながらしくじったのと、まったく同じていたらくになりそうだ。

 悪いのは参院で足を引っ張る野党の方だ、と首相は言いたいのだろう。だが、それは政権を引き継いだ時から覚悟すべき現実ではなかったか。

 参院で多数を失った以上、かつてのようにことが進まないのは当然だ。ある戦線では大胆に兵を引き、別の戦線では徹底的に持ちこたえる。そんなメリハリの利いた戦略判断が大事なのに、この政権にはそれがほとんど感じられない。

 迷走ぶりでは民主党も負けていない。

 小沢代表が大連立に色気を見せたかと思えば、今度はあらゆる課題で政府与党との「対決」を叫び出す。日銀人事をここまでこじれさせた一因には、武藤敏郎副総裁の昇格に同意するかで揺れた党内事情もあったのではないか。

 日本の政治はなぜ、こんなことになってしまったのか。この異様な行き詰まりを打開するには衆院の解散・総選挙しかないのではないか。そんな思いを抱く国民は多いに違いない。

 福田内閣が発足した日、私たちは「1月解散のすすめ」と題した社説を掲げた。首相はできるだけ早く国民に信を問い、政権の正統性を確立しなければ、自信をもって政治の運営には当たれまい。そんな趣旨だった。

 さもないと政治の身動きがつかなくなる恐れがある、と感じたからである。

 その危惧(きぐ)が現実のものとなってきた。日本への世界の失望も深まるだろう。事態の深刻さを首相は直視すべきだ。

秋田事件判決―求められた償いの生涯

 自分の一人娘と近所の男の子。1カ月余りの間に2人の子どもを殺害した畠山鈴香被告に対し、秋田地裁の下した判決は無期懲役だった。

 被告は、ひごろ疎ましく感じていた娘を橋の欄干から突き落として死なせた。そればかりか娘の友だちの男の子を自宅に誘い込んで、首を絞めた。少年を見て、娘は死んだのに元気な姿がねたましく、とっさに殺意がわいたのだという。

 2人の子どもにしてみれば、被告は最も頼りにしていた母親であり、顔見知りの近所のおばさんだった。その信頼を裏切った犯行は許し難いものだ。

 検察は死刑を求めていた。しかし、秋田地裁は考慮すべき事情として次のような点をあげた。犯行はいずれも衝動に駆られてのことで、計画性はなかった。真剣に反省しているとはいえないが、更生する可能性はある。

 そのうえで、「死刑を選ぶほかないと断ずるには、なおためらいを覚える」と述べた。2人の子への贖罪(しょくざい)のため、全生涯をささげるよう強く求めもした。

 死刑か無期懲役か。3人の裁判官は、さぞ悩んだことだろう。私たちも判断が難しいと思う。

 この裁判では、なぜ犯行に及んだのか、動機の解明が注目された。

 被告は娘を産んだ直後から、娘の体に触れることに嫌悪感を感じていたという。離婚後も娘が5歳になるまでほとんど話しかけることもなかった。その後もどのように接していいかわからず、汚れの目立つ服を着せ続けたり、風呂に入れなかったりした。しばしばストレスのはけ口に怒鳴り散らした。娘がいるために仕事が見つからないとも感じていた。

 判決からは、子育てを重荷としか思えない未熟な親の姿が伝わってくる。

 秋田県藤里町の役場には、娘の通う小学校から、「いつもおなかをすかして、汚れた服を着ている」との連絡が届いていた。民生委員が何度か被告宅を訪ねていたが、養育放棄とは考えず、児童相談所に通報しなかった。

 被告の娘の状況については近くの住民らも知っていた。通学途中の児童が車にはねられて死傷した事故の報道を見た被告から、「あの中に娘がいればよかったのに」とのメールを受け取っていた友人もいた。

 子どもへの虐待は親からのSOSでもある。もし、こうした情報を児童相談所が知って対応に乗り出していたら、2人とも救えたのではないか。

 秋田県警が娘の水死を当初、事故とみてしまったのも悔やまれる。被告の養育放棄に気付いて捜査していれば、第2の事件はなかったかもしれない。

 昨年、警察が検挙した児童虐待事件は過去最高の300件にのぼっている。

 結局、おとな一人ひとりが小さな命を守るための目と手になるしかないのではないか。事件の地元、藤里町でも、そのための模索が始まっている。

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