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現在位置:asahi.com>社説 社説2008年03月19日(水曜日)付 日銀総裁人事―政治の迷走を憂う難航していた日本銀行総裁人事がようやく決着するかと思いきや、まだまだ迷走が続きそうである。 福井俊彦総裁の任期切れの前日に、政府は次の総裁に田波耕治・国際協力銀行総裁をあてる人事案を国会に示した。 福田首相は、参院で不同意となった武藤敏郎副総裁の起用になおこだわる姿勢を見せていた。結局、野党の反対は崩せないと見て断念し、新たな人選に踏み切った。急激な円高・株安の経済不安が広まる中で、日銀総裁の空白だけはふせぎたいということだろう。 だが、驚かされたのは首相が白羽の矢を立てた田波氏が、武藤氏と同じ大蔵事務次官経験者だったことだ。民主党は「財政と金融の分離」という見地から財政当局の次官をつとめた武藤氏の登用に反対した。同じ経歴の人物で、果たして同意をとりつけられるものなのか。 案の定、民主党は同意しない方針を決めた。きょうの参院本会議で不同意となれば、首相の人事案は2連敗、いよいよ日銀総裁の不在が現実となる。首相の責任は重大である。 なぜここまで事態がこじれたのか。 首相は任期切れまで10日あまりのタイミングで、民主党に反対意見の強い武藤氏の昇格案を提示した。副総裁としての実績を含め、豊富な経験とバランス感覚を買いたいというのは、任命権者としてのひとつの判断だ。 それにあえて異を唱えるほど、武藤氏の資質に問題があるとは思えない。私たちはそう考え、民主党に大局的な判断を求めてきた。 不同意は残念なことではあったが、その後の首相の対応も解せないものだった。福井総裁の再任か、武藤氏の副総裁続投か、あるいは財界出身者の新総裁のもとでの武藤氏続投を、与党幹部が民主党に打診したという。 武藤氏を評価してのことなのだろう。だが、こだわり過ぎではなかったか。 そのあげくに出てきたのが、同じ大蔵次官出身の田波氏だ。首相がこだわったのは武藤氏という人物でなく、旧大蔵省という出自ではないのか。これでは、そんな批判が野党から出てくるのも仕方あるまい。 他の意中の人に断られたあげくの窮余の策かもしれない。だが「財金分離」の原則に疑問を抱かれるようでは、日銀の信認にもかかわる。 それにしても、民主党は2度までも政府の提案を拒否して、日銀のトップ不在という前代未聞の事態に直接の引き金をひくことになるのだろうか。 世界経済が混迷を深めている時期に、それで国民多数の理解を得られるかどうか、こちらもリスクを伴う選択である。 首相も民主党も、このまま総裁不在への坂道をともに転げ落ちるのではあまりに策がない。政治に託された責任を投げ出すのも同然ではないか。現実的な出口を探る努力を最後まで続けるべきだ。
チベット騒乱―中国は対話を拒むな多くの人たちが死傷した中国チベット自治区ラサの騒乱は治安部隊に鎮圧され、街は厳重な監視下に置かれた。一方で、僧侶や住民の抗議行動は四川省など周辺に広がり、死者が出たとの情報もある。北京の大学でも抗議行動があった。 インドに亡命しているチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は中国当局を非難し、国際機関による調査を呼びかけた。だが、中国当局はダライ・ラマと全面対決の構えである。流血の事態がさらに続くのではないかと心配だ。 この間、北京で開かれていた国会にあたる全国人民代表大会は、国家や政府、軍の新たな指導者や予算を決めて閉幕した。胡錦濤国家主席、温家宝首相は続投し、2人を補佐する国家副主席と副首相に、次世代のリーダーと目される習近平氏と李克強氏があてられた。 中国当局は、新体制でチベット騒乱に臨む。閉幕後の記者会見で、温首相は「ダライ・ラマ一派が北京五輪の破壊を狙ったものだ」と述べた。さらに「独立を求めず、平和的対話を求めている、というダライ一派の言葉が偽りであることを示すものだ」と語り、対話を拒む姿勢を示した。 だが、今回の騒乱の背景には、チベットの信仰の自由と少数民族の自治、漢民族との経済的な格差などの複雑な問題がある。対話を拒んで力だけで押さえ込もうとしても、それは不可能だろう。 今回の事件を聞いて、世界の人々の頭をよぎったのは、89年の天安門事件と80年のモスクワ五輪だろう。天安門事件では学生らの民主化運動を武力で鎮圧し、国際社会の非難を受けた。モスクワ五輪は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して多くの国がボイコットした。 中国がさらに手荒な方法を取れば、北京五輪をボイコットしようという国が出てくるかもしれない。それは中国にとっても、世界にとっても不幸なことだ。 いま必要なのは、平和的な解決に向けて事件の真相解明と真剣な対話をすることである。 犠牲者数だけをとっても、中国当局とチベット亡命政府の主張に大きな差がある。騒乱後、外国人が閉め出されたため、現地の状況はわからない。ほぼ平常に戻っていると言うのならば、国際的な調査団を受け入れてはどうか。 双方による対話は02年から水面下で続けられてきたが、行き詰まっている。ダライ・ラマ側が「高度な自治」を求めているのに対し、中国当局は「ダライ・ラマは中国からの独立を捨てていない」と疑っているからだ。 だが、相手を疑っているだけでは対話は進みようがない。少なくとも、自治権をこれまで以上に拡大することなしには、チベット民族の不満を解消することはできまい。 いかに対話にはずみをつけるか。難しい問題だからこそ、新しい指導者たちに柔らかな発想を求めたい。 PR情報 |
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