生体肝移植の手術を、十八日に受けることにした。
肝硬変が進み、腹水がたまってカエルのおなかのようにパンパン。根治には移植しかない。痛んだ私の肝臓を完全に取り外し、弟から切り取った肝臓の一部(約40%)を植え付ける。想像するだけでも大変な手術だ。
駆け出し記者だった一九八九年、「揺れるいのち」という連載記事の取材に携わった。折しも同年十一月、島根医科大(現島根大医学部)付属病院で日本初の生体肝移植が行われたばかり。手術後の一歳男児の容体に関心が集まっていた。
執刀した永末直文助教授(当時)を取材するため、私も同病院に赴いた。健康なドナーの体にメスを入れることに対し、さまざまな意見があった。だが、危険も承知した上での家族の「選択」は、何より尊重されなければならないという点で、異議を唱える人はいなかったと思う。
今や生体肝移植は通算五千件に迫ろうとしている。私が手術を受ける岡山大病院でも百八十例を超えた。二〇〇四年からは大部分の症例に健康保険が適用されている。すでに一般的な医療として認知されたといえる。
十九年前も「この選択は誰にでも訪れる可能性がある」と思い、取材に当たったつもりだった。だが、現実に自分に突きつけられるとまるで違う。「助けてくれ!」と叫びたい気持ちはもちろんある。同時に、医師や看護師不足が大きな社会問題になる中、一人の手術のために濃厚な医療を費やすことへの後ろめたさも…。「選択」の意味をかみしめながら、手術に臨みたい。
(編集委員・池本正人)