白装束のお遍路さんでにぎわい始めた高松市の屋島を訪ねた。同市教委が発掘している古代山城・屋島城(やしまのき)の城門の復元が決まり、最後の現地説明会をのぞいてみた。
第八十四番札所・屋島寺から遊歩道を約五百メートル歩き、少し下ると城門遺構に到着する。崩れているが、急斜面に沿って石積み城壁が築かれているのが分かる。石垣は最高六メートル、全長で約百五十メートルあるという。
城壁の北端近くの城門は、幅五・四メートル、奥行きは十メートルと全国最大級で、排水溝も備える。ほぼ同時期に築造された総社市の鬼ノ城西門よりも通路は広い。人力だけでこんな壮大な城壁を造った労力には驚かされる。
城門には簡単に入れないよう石が積まれ、はしごを掛けて出入りしたらしい。城門の内側に土塁があり侵入した敵を弓矢で撃退できる。いずれも朝鮮半島から伝わった最新技術といわれる。
屋島城は天智天皇六年(西暦六六七年)に建設されたと日本書紀にある。その四年前、朝鮮半島での勢力拡大を狙った大和朝廷は、唐・新羅(しらぎ)の連合軍に白村江の海戦で大敗した。外敵への防備のため九州や瀬戸内海を挟んだ地域に堅固な要塞(ようさい)が造成されたとみられている。
古代山城は、東アジア世界とつながる文化遺産といえよう。七年後の復元でその威容を眺められる日が待ち遠しい。