「日本新聞」編集長イワン・コワレンコ氏が7月27日死去

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050810-00000149-jij-intより、
対日強硬派コワレンコ氏死去=ソ連抑留者を洗脳教育
 【モスクワ10日時事】第二次大戦後シベリアに抑留された旧日本軍将兵の洗脳教育を行い、ソ連共産党で長年対日政策を指揮したイワン・コワレンコ元共産党国際部日本課長が7月27日、モスクワの病院で死去したことが10日明らかになった。87歳だった。親族によれば、壊疽(えそ)を患っていた。 
(時事通信) - 8月10日21時3分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050810-00000245-kyodo-intより、
イワン・コワレンコ氏死去 シベリア抑留に深く関与
 【モスクワ10日共同】旧ソ連共産党の対日政策の責任者を務め、シベリア抑留などに深く関与した元同党国際部副部長イワン・コワレンコ氏が7月に死去していたことが10日、分かった。87歳だった。
 ハバロフスクの極東ソ連軍総司令官ワシレフスキーの秘書となり、戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜向けの「日本新聞」の編集長を務めた。その後も国際部副部長として対日政策の立案の中心だった。
(共同通信) - 8月10日22時23分更新

http://www.sankei.co.jp/news/050810/kok106.htmより、
コワレンコ氏が死去 シベリア抑留に関与
 旧ソ連共産党で戦後長年にわたり対日政策の責任者を務め、シベリアに抑留された旧日本兵の親ソ化工作など日ソ裏面史の生き証人と言われたイワン・コワレンコ氏が、7月27日に糖尿病などのためにモスクワの自宅で死去していたことが10日、関係者の証言で分かった。87歳だった。
 第二次大戦後、旧日本軍将兵がソ連各地で強制労働などに従事したシベリア抑留で、抑留者を共産主義者に変え、ソ連への協力者に仕立てる思想教育「民主化運動」を主導した。日本帰国後の情報提供者の育成を任務とし、抑留者が読む日本語新聞「日本新聞」の編集長を務めた。
 1951年に除隊。党関連機関で対日関係などを担当した後、63年から共産党中央委員会国際部に勤務。日本課長、国際部副部長として、1990年まで在籍。対日強硬政策を主導し、たびたび来日して日本の政財界とも太いパイプを持っていた。
 心臓発作で引退後は91年からロシア科学アカデミー東洋学研究所顧問だった。著書には、シベリア抑留や戦後の日ソ関係に関する回想録「対日工作の回想」などがある。(共同)(08/10 23:19)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050810AT2M1002910082005.htmlより、
コワレンコ元ソ連共産党国際部副部長が死去
 【モスクワ=栢俊彦】第二次大戦後シベリアに抑留された日本人将兵を洗脳教育したイワン・コワレンコ元ソ連共産党国際部日本課長が7月27日、死亡していたことが10日、明らかになった。87歳だった。日本の与野党政治家と幅広く交流し、ソ日協会副会長も務め「対日政策のドン」とも呼ばれた。
 極東大学の日本語科で日本語を習得。通訳として1945年8月の日ソ停戦交渉に立ち会った。ハバロフスクでシベリア抑留者向け「日本新聞」の編集長を務め、抑留将兵に思想教育するいわゆる「民主運動」の責任者となった。抑留者が最も恐れたソ連人としても知られる。 (00:54)
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