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2007年8月1日発行版
 
ウトロ住民 強制退去の瀬戸際
 

 「ウトロ51番地」。在日韓国・朝鮮人約60世帯200人が暮らしている。京都府宇治市伊勢田町にある。「ウトロ」住民の土地所有権をめぐる問題は98年頃から表面化し、法廷で争われてきた。2000年、最高裁は、「土地所有」問題で被告・住民側に全面敗訴を言い渡したが、土地所有者の西日本殖産は、住民に第一売買権だけは約束した。今年12月末までに12億円で一括購入するという厳しい条件だった。ようするに、この金額で住民側が買い取れというものだった。今年六月、西日本殖産は突然、土地購入希望者が現れたとし、土地購入意思を7月末まで通知してほしいと住民側に通知した。住民側に土地購入資金は、まだ確保できていない。事態の急変に住民たちは、戸惑いを隠せずにいる。(東京・崔世一、京都・韓登、ソウル・李民皓)

戦後62年。ウトロには60世帯200人が暮らしている
 
   

土地買い取り 12億円
所有者が7月末回答を要求

 ウトロ住民八人らは23日、盧武鉉大統領にウトロ住民保護の請願書と、住民数に合わせた200輪の花束を持って、外交部と国会を訪れた。
 「ただ支援金がほしいからソウルに来たわけではない。支援金以外に解法はないか、政府の意見を聞きたい。本国国民の関心は、ウトロにとって大きな力になる」
 金教一ウトロ住民会長(64)は、最後まであきらめないと話した。
 ウトロの歴史は1940年にさかのぼる。
 その年日本は、軍用の飛行場を京都に建設することを決定した。工事を請け負ったのは軍需企業の「日本国際航空工業」だった。日本国際航空工業は翌41年、京都府宇治市ウトロ51番地で飛行場建設に着工した。工事現場には朝鮮人労働者が動員された。朝鮮人労働者は最盛期で1300人に上った。この時期に労働者の簡易宿泊施設や飯場として形成されたのが、現在の「ウトロ51番地」だった。
 1945年、日本の敗戦と同時に朝鮮人労働者の多くは帰国した。船賃がなく故郷に帰れなかった人もいた。現在、ウトロに住む在日韓国・朝鮮人は、約60世帯200人。
 「ウトロ問題」は土地所有権の問題にほかならない。居住期間は60年以上にもなるが、住民たちが土地を所有したことはない。
 ウトロの土地は、何度も所有者が変わった。日本国際航空工業から日国工業、日産車体、西日本殖産へと、所有権は移った。1987年、土地所有権を取得した不動産会社の西日本殖産はその2年後、住民に対し「建造物の撤去と土地の明け渡し」を求める訴訟を起こした。西日本殖産とウトロ住民は法廷で争った。
 1999年6月、日本の最高裁判所は強制退去の判決を下した。
 以後、住民たちは、西日本殖産から土地を買い取る運動を始める。
 西日本殖産は当初、住民たちにウトロの土地を12億円で一括購入するように求めた。期限は今年12月末だった。
 住民たちは、土地の時価にあたる七億円を目標に募金活動を続けた。
 韓国市民団体の「ウトロ国際対策会議」によれば、現在までに集めた金額は、住民の個人財産2億円と、韓国内での募金6600万円相当だ。4億3400万円ほど不足している。
 ところが最近になって、事態は急展開した。
 西日本殖産がウトロ住民会に「土地購入希望者が現われた。7月末までに購入するかしないかを決めてほしい」と迫ってきたからだ。急に期限が近まったことで、住民たちは強制退去が現実のものとなってしまうのではないかと不安におびえながら生活している。


下水道のない街

 ウトロには1988年まで上水道が通っていなかった。88年までは、井戸の水を汲んで飲んでいた。下水道は今でも設置されていない。

   

 上水道設置には、苦い歴史もある。
 1987年3月9日、当時の土地所有者だった日産車体は、ウトロのある宇治市に水道管施設設置同意書を提出した。
 この日は自称「ウトロ自治会長」である許昌九(平山桝夫)氏が、日産車体から3億円で土地を購入する契約を結んだ日でもある。
 許氏は、土地の購入と売却を住民たちに知らせずに行った。
 ウトロ国際対策会議によると、一連の経過は次のとおりだ。
 「許昌九氏は当時、民団京都地方本部の団長だった河炳旭氏の資金援助を受けて、日産車体からウトロの土地を購入した。ところが2カ月後の1987年5月、許氏はこの土地を河氏(当時の西日本殖産代表)に4億4500万円で転売した。1988年9月、河氏は西日本殖産を日本人が経営するカナザワ土建に売った」
 これが事実なら、許氏と河炳旭氏との関係、土地取引、河氏が土地を処分した理由など、不明な点はつきない。
 河氏が民団京都本部の団長だったことから、民団に対する誤解もあるようだ。
 「河炳旭氏が関わっていたので、民団はウトロに消極的なのではないだろうか。在日韓国人の権益擁護団体といいながら、同胞の生存問題に無関心だというのは理解できない」(韓国のNGO関係者)
 ウトロ町内会の厳本明夫副会長も「(ウトロ問題に)民団は消極的だとは言えないが、積極的でもない」という。
 確かに、民団は金宰淑元団長のウトロ訪問以外、具体的な対策や動きを見せていない。
 民団京都南支部の李基安支団長は「法的問題であるため、民団として介入できないだけだ。居住する団員の権益を守るため、可能な限りの支援はやっている」と、民団に対する批判を一蹴した。
 ウトロ支援活動を展開する韓国市民団体の「徳鎬地球村同胞連帯代表は、「在日韓国人問題として、民団ももう少し積極的になれないだろうか」と、民団に対する不満をもらす。
 「代表はまた、「最悪のシナリオがますます現実味を帯びているようだ」と唇をかんだ。

 

韓国政府 「生活保護」支援に

 ウトロ問題が注目されはじめた2000年、韓国の外交部はウトロ支援に積極的だった。潘基文長官(当時)は、何度も韓国政府がウトロ問題を解決するという意向を見せた。
 2006年1月には、外交部職員たちが月給の0.5%を出して2000万ウォン以上の資金を集め、住民支援に乗り出した韓国の市民団体「ウトロ国際対策会議」に後援金を送った。
 政府は当時、土地の買い上げが最善の策であると考えていた。
 ところが今になって、政府はウトロの土地買い上げに予算を投入することができないと言いはじめた。その代替策として、経済的に貧しい生活保護受給者に対する支援、移転の際に必要な経費の一部負担などを検討している。
 外交部は今月初旬、「ウトロ地区の住民たちのうち、歴史性や公平性などを考慮して、支援が必要な住民、特に生活保護受給者の支援に重点を置いて支援方案を検討している」と明らかにした。これは宋旻淳外交部長官の「民団と社会福祉法人の連携により解決する方案を論議中」という発言と、基本的には同じである。
 外交部のウトロ支援対策は「老人ホームへの入居と引越費用の支援」に重点を置いている。強制退去を既定事実として捉えた上での対処法といっていい。
 ウトロ国際対策会議の「芝遠事務局長は「現場の声も聞かず、住民たちとの話し合いも十分に持たないで『強制退去』を前提に対策を立てることはできない。(韓国政府は)ウトロに関心があったのかも疑わしい」と批判した。


 ウトロ 元々「宇土口」(うどぐち)と漢字表記されていたが、カタカナで「ウトロ」と表記されるようになった。戦時中に軍事飛行場建設のため強制的に集められた朝鮮人労働者の元「飯場」で、現在もその家族らが暮らしている。1998年、土地の所有権をもつ不動産会社が、住民に「建物収去・土地明け渡し」請求訴訟を起こした。住民は最高裁に上告したものの敗訴した。住民の生活を守ろうと、韓国では市民団体を中心に募金や支援活動が展開されている。

韓国大統領選の行方
 親北朝鮮派で、反ハンナラ党系の各政党のことを韓国では「汎与圏」と呼んでいる。つまり、ウリ党、統合民主党、ウリ党離党議員たちのことだ。
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