【強い家族の結束、門限10時30分厳守】
現役女子大学院生にして、日本一の「ラブホテル研究家」。先月20日、300軒のフィールドワークの成果を記した「ラブホテル進化論」(文芸春秋)を出版した。ラブホの歴史から経営者や利用者の実態、果てはスケベ椅子に至るまでをすべて書きつづった。大学の卒論が元なので、内容はいたってマジメだ。
そもそも、ラブホを“私用”したことは一度もないという。日中は学校と、学費や研究費を捻出(ねんしゆつ)するための定食屋のアルバイトに忙殺され、28歳のいまも自宅の門限は夜10時30分厳守なんだとか。
「周りのコたちみたいに夜遊びできないのは、たしかにイヤな部分もあります。でも、うちのオカンを怒らせて家の中をグチャグチャにしてまで遊びたいとは全然思いません。結束が強いんですよ、ウチの家族」
大阪・生野育ちの在日3世。運送業を営んでいた父は、3人姉妹の長女である彼女を溺愛(できあい)した。「顔に傷がついては大変」と階段ではおんぶされ、食事もあぐらの上。だが、彼女が小学5年のある日、父は突然の心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。以来、女手ひとつで育ててくれた母への思いは人一倍。いまでも10時30分には女4人で風呂に入り、1日の出来事を話すという。
進学した地元の中学はヤンキーだらけ。そんな環境でも、母を困らせたくない一心から優等生で通し、その後進学した女子高でも生徒会長を務めた。ラブホなど、完全に「圏外」だった。
【軽く扱われるのはイヤ】
「当時の私には『ラブホテル=ヤンキー』。まったく良いイメージはなく、生理的にも受けつけませんでした。だからでしょうか。大学3年のときに見た情報誌に、ラブホテルが明るい雰囲気で取り上げられていて、自分のイメージとのギャップに驚いたんです。ヤンキー、不倫、殺人事件といった連想しかなかった私には、まさにカルチャーショックでした」
もちろん彼女自身、恋愛経験がないわけではない。大学に入学してまもなく、映画研究会の先輩と初めて付き合った。その彼は大学の近くに1人で暮らしていた。
「後輩のコは『ラブホテルはセックスする場所というより、2人きりになるための場所』と言ってましたが、私は2人きりになれる場所があったから、わざわざお金を出して怖い場所に行くなんて考えもしなかった。そんな考え方の違いも面白かったですね」
生々しい体験がなかったのが幸いしたのか、ラブホを卒論テーマにしようという大胆な発想が浮かぶ。興味本位で始めた研究だが、そのときから苦労も始まった。
「周りの男のコにね、変なウワサをされたんですよ。“そういうコト”が好きなんじゃないか、ってね。すごいショックでした。軽く扱われるのもイヤですね。ロン毛の兄ちゃんに『オススメのラブホ教えてーな』なんて言われたり。心の中でいつも震えています」
【経営者とも打ち解け】
“フィールドワーク”も大変だ。イメージが明るくなったといっても、それは利用者の感覚であって、経営者が取材を歓迎するわけではない。
「昼間にラブホテル街を撮影していると、門番みたいなおっちゃんが出てきてにらまれるんです。なので、撮影のときは浪人生みたいなやぼな格好で自転車に乗りながらコンパクトデジカメでパチッ。映研時代の経験が生きて、なかなかよく撮れてますよ」
その一方、ラブホ経営者らに直撃取材を繰り返すうち、次第に経営者らとも打ち解けてきた。父の愛が育てた天真爛漫(らんまん)さと、母のしつけで培われた礼儀正しさが信頼を勝ち取ったのだ。いまでは、受付モニターを見させてもらえるほどの仲に。
「モニター観察は面白いですね。関西の女の子はかなりの確率で割引クーポンを使います。しかもワリカン。小銭がどうとか男の人とよくモメています。男女とも敬語で話すのは、たいていが風俗がらみ。夫婦の場合は、奥さんが事前に部屋を調べていて、迷いなく先頭で入ってきます」
たしかに面白そう。でも、「研究するだけ」ってのも、つまらないんじゃないの?
「ここまで我慢したんだし、結婚したらダンナと一緒に思いっきり夜遊びしたいですね。お客さんとしてラブホテルに行くのも、すごく楽しみ。あっ、でも、関西ではほとんどのホテルで顔が割れているから、やっぱり恥ずかしいかな…」
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