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2007-07-08 23:49:49

年金は確かに大事だが

テーマ:時事評論(政治)

ずっと休んでいたが、久々に書く。

参議院選挙がいよいよ近づいてきた。


年金が争点という事が言われているが、どうもおかしな話だ。


そもそも、与野党間に、年金問題について、そうはっきりした「争点」があるのか?


民主党が、消えた年金問題を暴き、そして、政府与党を攻めたて、必死で「争点化」しようとしているようにしかみえない。長妻議員のおけげでこの問題が世に知られたことについては評価する。


しかし、どうも議論がおかしい。

確かに、時の政府、時の権力の側に責任はあるから、政府与党も必死で、国民の将来不安を払拭しようとする。


そして、野党(特に民主党)は、ぜんぜん、そんなものではダメだと政府を攻める。しかし、これは果たして「争点」を巡っての議論なのだろうか?


先ほど、NHKの各党の政治決戦へのぞむ裏舞台を取材した番組をみたが、野党とりわけ民主党は敵の失点をついているだけにしかみえなかった。まだ、共産党と社民党は憲法について訴え、トータルでの考えを示していた。


民主党は小沢代表が、野党で過半数を取れなければ政界引退するとまで、言及した。とするなら、これは、参議院選挙であっても、政権交代を視野に入れた選挙と位置づけているということだ。


党首がそのようなに「大きな」選挙と位置づけている選挙の主たるテーマが「年金一本」というのはおかしくはないだろうか?政権交代をいうなら、憲法問題についても、今のところ、ここまではまとまっているというくらい示してほしいものだ。


前回の衆議院選挙で時の総理大臣小泉氏が、郵政改革一本だけを争点にした時(これもおかしな選挙ではあったが)民主党は、その手には乗らず「もっと大事なことがある」などいい、国民の関心と全くずれたことを言って敗北した。


 今度は、安倍内閣が、トータルで昨年秋以降の政治全体の評価と、今後の方向性を問うているのに、勝手に争点を年金一本にした。安倍政権の全否定までは出来ず、別の政権構想もないからだろう。


前の衆議院選挙は政権側が一本に絞って来たところに、「もっと大事なこと」を並べ立てて敗北したので、今度は、自ら一本にしたのだろうか?


民主党こそ、政権構想も、根本的な国の未来像も、行く末も示さない、目先の国民の「怒り」だけに乗った、ポピュリズム政党に思えるが、どうだろうか?厳しすぎるだろうか?

2007-06-02 10:44:18

無題

テーマ:日記(出来事)

昨日は、朝、八幡先生と、本の打ち合わせ。

昨日、世襲議員の本の初校が小学館から来る。

こまかい部分に間違いがないか探して、照合していく作業がある。

7月頃に本屋に出る予定だ。

 

午後は、知人の紹介で、京都大学の中西輝政先生の授業に出る。

アヘン戦争の頃の、中国や各列強の動きについての本を読んでいく。


せっかく、中西先生に会うのだからと思い、久しぶりに過去(7年前)に読んだ中西先生の『なぜ、国家は衰亡するのか』を読み返してみたが、9年前に出た本と思えないほど、今でも通用する内容で驚く。


中西先生がこの本を書かれた後に、小泉政権の5年間があったのだが、日本全体を取り巻く雰囲気の悪さと軽薄さはあまり変わってないように思う。結局、小泉氏は、松平定信ほどの、抜本的な改革者ではなかったという事か、と思う。小泉氏は良いことも確かにしたが、今の日本の雰囲気、若者の状況を見る限り、これから良くなるとも思えない、雰囲気を残してやめたので、やはり、10年以上前から続く日本の混迷を、よい方向にしたとも言い切れない。一人の責任には出来ないが。


日本は相変わらず、衰亡に向かっているのか、どうか。この辺はもう少し考えたい。


今の日本は政治も混迷しているが、つくづく、政治だけが悪いのではない、と思う。

いや、政治家が、「政治には世の中を糺す役割がある」という重大な任務を忘れ、国民を指導せず、お互いの責任を擦り付けているところに原因があるなら、勿論、政治も悪いのだが、私には、政治に負けず劣らず、庶民も本当に悪い雰囲気になっていると思う。


もはや、指導者と国民を分けることが出来なくなっているのかもしれない。

この辺の事は、また今度書く。


2007-05-31 23:16:03

見苦しい泥仕合

テーマ:時事評論(政治)

消えた年金、宙に浮いた年金をめぐって与野党が罵りあっている。民主党は当然、政府(今の政府。安倍内閣)に責任があるといい、今日、安倍首相は、年金統合の制度を作った時の厚生大臣は菅直人氏(自社さ内閣当時)だったと批判、これに対して菅氏は制度を作った時は自分だが、その意思決定には橋本首相も関わったとか、実際に年金統合の作業が始まった時の厚生相は小泉氏だったと反論した。


これらのやり取りを見ていて、バカらしくなって来た。昨日までは、私はどちらかというと、国民の味方の感じを出しながら揚げ足取りばかりし、政府批判をする野党に何か嫌なものを感じ、では、民主党はどうするのか?と聞きたかった。が、安倍首相の何か、必死の責任の擦り付け合いをみて、どっちもどっちと思えてきた。もうこれは本当にどっちもどっちである。野党支持者は野党の追及を評価するのだろうが、今の政府に、過去に起こった杜撰な事務処理の責任まで負わせて、批判ばかり繰り返し、実際にどうすれば良いのかまでは言わない民主党にも何かしら嫌なものを感じる。


国民は、政府に責任があるかどうか、とか、その時の厚生相にはあまり関心はないだろう。行政は政権が変わっても継続しているから、責任は「社会保険庁」という行政組織にあると言えるが、社会保険庁の上の旧厚生省(現厚生労働省)のトップは政治家であり、大枠の政策は時の政権が決めるのだから、責任は昔の政権政党や大臣にもあるといえるし、また、今、どうするかが問われるのだから、まずは今の政府・政権政党にあるとも言える。責任とはそもそも何なのか?という、おかしな話になってくる。


要はどうすれば、本当に納めた人にはその分を給付する事が出来るか、そして(完全に防ぐ事は無理だと思うが)出来るだけ、ウソをついて、本当は未納だった時の分まで請求してくる人には払わないようにする事が出来るか、技術論だと私は思う。


本当のところどうしたら良いのか分っている人はいないと思う。ここは、もう仕方がないので、広く国民にとにかく不安な人は言って来てください、出来る限り丁寧に調べます、という事にして、誠心誠意やる体制を作るしかない。今でも申請主義を採っているのだから、いずれにせよ、給付される方からの申請がなければ年金は勝手にはもらえないのだから、もう、申請した人のいう事を全部聞いて、その人の立場で、全期間払った前提で給付しします、くらいの対応をするしかないだろう。


そうすると、本当は未納だった、今、生活に困っている、モラルの破綻した老人がウソをつくかもしれないが、もうこれは仕方がない。嫌な話だが記録をなくした政府側(何政権とかいう事でなく、役所に記録がないこの厳然たる事実)が悪いとしか言いようが無い。政府の作る第三者機関が充分な対応が出来るかは疑問だ。人員も時間もとにかく増やすしかないように思う。


一連の流れをみて、本当に今の日本で本当にこんな事が起こったのかと不思議になる。それぐらい杜撰だ。社会保険庁の役人は本当にどうしてこういう事をしたのかと思う。国民の殆んどが、まずまあ、納得出来るかたちで決着がつくかのか見守って行きたい。

2007-05-31 11:42:02

物事の軽重

テーマ:時事評論(社会・一般)

最近の世の中のを雰囲気をみていて、うまく、はっきりとは書けないが、何となく、物事の軽重という事がおろそかになって来ている気がする。


簡単に言えば、重要な事と重要でない事が一緒くたにされている。何が重要で、何はそれほど重要ではないか、という事があまり考えられない世の中になって来ているのではないだろうか。


この所、世の中はあらゆる事について、厳罰化の流れにある。私は、厳罰化の流れそのものに反対という事はない。例えば、少年法をきつくする事は今の日本を見る限り賛成だ。(今の日本をと言うところが大事で、いつの時代でも少年法をきつくする事が良いとは思ってない。)飲酒運転についての厳罰化も今の日本を見る限り、賛成だ。また、セクハラなどについて、これまで許されてきた事が許されなくなって来ている、という事も良い風潮だと個人的に思う。つまり、悪い事は悪い、という世の中になり、そして、悪い事は一回でも悪い事であり、それはその人の地位や実績や日ごろの人格に関係なく悪い事なのだ、という感じになって来ている。この事、そのものは良いことだという感じはしている。


が、それはそれとして、しかし、世の中がとても清潔で不正を許さない、良い感じになって来たという感じかというと、そうでもない。うまく書けなくてもどかしいが、表面的、建前的にとても厳しい世の中になって来ているだけで、実質的に日本人や日本の世の中が道徳的になって来たり、民心がとても成熟して来た結果、世の中が不正を許さなくなって来たのではない感じがする。この私の覚える違和感はなんなのだろうか?


極論すれば、人を追い落とすために、つまり、これまで真面目にやってきて地位を築いて来た人でも、一回の「間違い」で、社会から葬られるという雰囲気になって来ているのではないかという事を感じる。勿論、私は飲酒運転もセクハラも絶対に許されないと思っているし、犯罪行為や迷惑行為について、世の中が厳しくなる事は良いことだとの基本的な考えをもってはいる。


しかし、その事とは別に、物事には、全体的に総合的に判断しなければならない事が多いのに、そういう事が考えられなくなって来ているのではないかという気する。飲酒運転やセクハラなど、誰がどうみても憎むべき事を例に出したので、この文章に説得力がなくなっているのだが、私が言いたいのは、大きな仕事をしている人が小さな事で、一瞬で失脚させられる世の中になって来ている事への疑問だ。


小泉前首相は、国債発行高が公約の範囲を超えたときに、野党に攻められ、「この程度の公約が守られない事は対した事ではない」と開き直った。世間は批判したが、私は、実は、なかなか良いことを言うと思った。小泉政治の是非はひとまず、ここではおくとして、小泉氏がしようと思っていた事の「大きさ」に対して、今、なされている批判がより「小さい」ものだと小泉氏は判断したからだろう。これが、あらゆる公約は絶対に、守られるべきであって、どんな事でも一つでも守れなくなれば、首相は即退陣、と法律で決まっていたら、首相は、より「大きな」事に取り組むことが出来なくなる。


今回の松岡前農相の自殺を聞いて、私は、松岡氏に同情した。自殺されるくらいなら辞任された方が良かったのにと残念だ。事務所の光熱費問題は、確かにどうでも良い問題、ではないだろう。政治とカネは重要な問題だ。しかし、そこまで「大きな」問題だったのだろうか?これは分らないが、私は、そこまでとは思わなかった。しかも過去の事である。


松岡氏が本来国会や国民に問われるべきは、事務所の高熱水費の問題よりも、農林水産大臣として、どれだけ国に尽くしているか、農政を発展させているかであったと思う。そっちの方が大事だ。勿論、周辺にカネや女性で疑惑がある人は、どれほど、本業で能力があり、国家・国民に尽くしている人でも、そもそも公職や重職には就くべきではないという意見もあるだろう。


しかし、松岡氏を批判した国民やマスコミが一体どのくらい、松岡氏の本業での、つまり農林水産大臣としての実績や仕事ぶりもみた上で、総合的に批判しただろうか?要するに、少しでも悪いヤツは全部悪いという単純な思考で松岡氏を批判したように思う。こういう風潮がこれ以上続くと、物事の軽重という事が全然考えられない、軽薄かつ恐ろしい世の中が来ると思う。


松岡氏がもっと倣岸不遜な政治家か、小泉氏のような性格の人なら「もう、終わった事ですよ。この程度の事は大した事ではないんですよ。確かに悪い部分は悪かったです。そこは済みません。しかし、私の農相としての方の仕事もみてくださいよ。私が農相を辞める事は、日本の農政にとって損失だという自負心があるから、職にとどまっているのです」くらい言ったかも知れない。しかし、生真面目な方だったのと、そんな力がなかったからか、さらし者にされ、命を絶たれた。やはり現実に抗する力がなかったのが大きいかったのかと同情する。命まで絶たれるなら、本当に辞任されたら良かったと重ねて思う。


昔の日本は、というか、ほんの少し前までの日本は物事をまだ重層的、複眼的にみる感じがあった。そして、物事には軽重があるという事が分っていた人がいた。人の評価にしても、政策論議にしても、まだいろんな要素から考えられた。要素には「角度」というモノをみる方向と共に「軽重」という深さ、浅さというものがある。だから、全部悪い人や全部良い人などというのはいなくて、また、一回の失敗でその人が全部否定される事もそうはなかったように思う。そもそも見識というのは、何が重くて、何が軽いかの判断する力だ。


今は、世の中が煮詰まって、みな余裕がなく、せせこましくなって、自分が生きることが先決になっているせいか、物事の軽重まで考えが至らず、悪い事のレベルが高いか低いかが問題にされくなっている。私は善にも悪にも高低があり、また、物事には軽重があると思う。今の風潮はずっと続くのかもしれない。しかし、軽重がおろそかにされる社会は国民も政治家も見識の低い社会のように思う。



2007-05-28 07:49:38

朝起き会の練成に参加

テーマ:日記(出来事)

昨日と一昨日は実践倫理宏正会の一泊練成会に参加しました。京都市右京区京北の府立ゼミナールハウスというところに行きました。


この会の存在自体は大分前から知っていたのですが、はっきり出会ったのは最近の事です。


先の選挙の準備をしている頃に人を介して、この会を紹介されたのですが、実は伯父が山科支部の副支部長をしている事が分り、入会しました。


私は、以前から、現代の日本の荒廃、教育現場の様々な問題をみて、学校での道徳教育の必要性や社会全体が、道徳や倫理といったものをもっと大事に考えていく事が重要だという考えを個人的にもって来ましたので、学ばせて頂く事にしました。


この会は「実践」に重きをおいているのが重要なところです。これまで、多くの儒学の本を読んだりし、頭で倫理や道徳の大切さを考えて来た私ですが、「実践」が決定的に欠けていたと思い、倫理や道徳の必要性を大事に考える人間として、まだまだ全然足りないところがあると自覚したのが、学ばせて頂く事にした理由でもあります。


この会は、自然の摂理を大事にする、という事を教えていますが、私の学んだ松下政経塾の塾主松下幸之助のいう、天地宇宙の理に即してものを進めて行かなくてはならないという考えと通じるところもあり、私は個人的に、ぴったり来るところが多いと思いました。


(道徳の大事さや教育についての考え、私のもっている考えに対する、よく左翼的価値観からなされる批判、更に、そういう批判を踏まえての私の考え、更に根本的に国家や家族というものに対する保守と左翼の思想についての違い、私の立場については機会をみて徐々に書いて行きたいと思っています)


練成会では、発声練習や態度訓練というものもやり、常日頃あまり体や声を鍛えていない私にとっては非常に多くのものを得ました。様々な年齢、職種の人とも交わる事が出来て有意義な2日でした。

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