バックナンバー2004年版

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父の日 2004年6月20日(日)

テレビではサッカーヨーロッパ選手権『死のグループ』因縁のオランダ対チェコが熱戦を映し出す。
相変わらず相性の悪いチェコに二点のリードを奪いながらひっくり返され敗れたオランダのFWニステルローイの放心状態の顔が心に焼きついた。この敗戦で強豪オランダのグループリーグ突破に赤信号がともった六月二十日は父の日だ。
私の父は厳格な人でいつも怒られていた。ほめられた記憶など一度もない。ことあるごとにビンタを食らい、自然と避ける存在になった。単身赴任で会わない時間も長く、父と息子の関係はどこもそうかもしれないが二人きりでいると非常に気まずい空気が流れる。正直な所、敬語で話せばいいのかタメ口でいいのかを悩むほどである。実家に電話して父が出るとどうしていいかわからず、無言で受話器を置いたことすらある。
そんな私も今年で三十路をむかえた親不孝者だが、もう一つ困るのは両親を『パパ、ママ』と呼んで育ったことだ。今でこそ母のことは『チオリさん』と呼び、母の前では父を『親父』と呼ぶが、父の前で母を『チオリさん』とも父を『親父』と呼ぶ勇気がない。その過程である『お父さん、お母さん』という単語すら本人達に発したことがないのにそれを飛び越えて『あ、親父?』と気軽には言えないのだっ!!
何度かチャンスは訪れはしたが、告白してしまったがために友達ですらいられなくなった女の子との関係の様に「何か」が崩れてしまう気がしてつい『あ、ママは?』と人殺しの顔を持つ私だが年に何回か『パパ、ママ』という言葉を発してその距離を保ってしまう…。
三十年もそんな関係を続けてきた私だが、母には誕生日、クリスマス、母の日にはプレゼントを送るものの、当然父の誕生日も父の日がいつかなんてことを忘れていた。しかし、ある日母と話していて衝撃を受けた。
仙台でライブをやるために見に来た両親。父は上機嫌で人に『息子がお笑いやってて今からライブ出るんで見に行くんですよ!』と話し、父の日が過ぎれば『たけしから何か来なかったか…?』などと淋しそうにしていたと聞かされた。厳格なはずの父の崩壊。
私はそういう話に滅法弱い。私はさっそくドンキホーテにむかいプレゼントを配送した。きっとパパは怪訝な表情で袋を広げ『何だこんなもの…』とつぶやいて部屋に戻り一人笑うのだろう。
父とはそんなものなのだ、と今にして思う。
それよりもプレゼントをもらった父からもし電話が来たら敬語で話すかタメ口か、ということで今は頭がいっぱいだ…。

 

三十路を迎えて… 2004年4月30日(金)

満員御礼のはったりライブを終え、いつものように食事をとって少し遅めの西武新宿線に乗った。
乗り換えで高田馬場のホームに立つと、隣にいた少し前の週刊誌の裏表紙などによく載っていた「幸運をよぶブレスレット」かなんかの広告で「これのおかげで今ではこんなにリッチマンです!」と両手に金を持ち、札束のフロに入っている男に似た男が話かけてきた。
「誕生日、おめでとう…!」
よく見ると相方伊達みきおだった。
時計を見ると4月30日0時、高田馬場のホームで私はついに三十路を迎えた。
うまく説明はできないが30歳になることに対して非常に嫌悪感を持っていた私は線路の上に身を投じようと反射的に体が動いたが時はすでに遅く、今死ねば「30歳無職の男性、誕生日に自殺」などと世に残る方が嫌なのでとどまった。死んだ時せめて職種がつくまでもう少し生きてやることにした。
理由は書けないがなごみ堂リーダー林氏のせいで終電がなくなった私達サンドウィッチマンは池袋から歩くはめになった。スタートした瞬間から終電が無くなるたけし、30歳。
西口公園でコンビで缶コーヒーで乾杯を済ませ歩き始めるたけし、30歳。
途中の店で相方からPS2「熱チュープロ野球2004」とラーク100Sを誕生日プレゼントとして頂き、喜ぶたけし、30歳。
ぬるめの風呂に入りそっと瞳を閉じた。今までの人生、そしてこれからの人生の事を三十路にもなれば嫌でも考えてしまう。はっきりした過去、霧の中の未来。
ゆっくりと目を開く。と、同時に私の視界に動く物が横切った。
何だ?
黒い。
速い。
平べったい。
あぁ、なんだゴキブリか…。
ん、ゴキブリ?
「ヴア゛ァ゛ーーーっ!!」
全裸で叫びながら風呂から飛び出すたけし、30歳。いや、もうこうなったらたけし、32歳だ!!
お前は、お前だけはお祝いにかけつけてくれなくてもいいのだ!!終電を逃し、歩くたけし、30歳。
泣きながら全裸でゴキブリを退治するたけし、30歳。
寝る前にこれを書いてたら朝七時を過ぎてたけし、30歳。
起きたらバイトに向かうたけし、30歳。
なにやってんだ、たけし、30歳。
お父さん、お母さん、生まれてきてごめんなさい。
たけしは今日、30歳になりました…。

 

プロ野球開幕 2004年4月3日(土)

ついにプロ野球が開幕した。パ・リーグが始まっていたのは知らなかったがセ・リーグ開幕となる4月2日、当然私は神宮球場にいた。
昔、「セ・リーグはセントラルリーグの略、ではパ・リーグはなんの略だ?」と聞いたら「パントラルリーグ!!」と元気よく答えたバカがいたがあいつは今ごろ何をしているんだろう…なんて毎年開幕の季節になると思い出す。ちなみに何が面 白いかわからないあなたにはパ・リーグはパシフィックリーグの略だということを伝えておこう。
我がヤクルトスワローズの開幕戦の相手は「帰ってきた大魔神」率いる横浜ベイスターズ。
守護神高津を失い、石井、五十嵐の若い新守護神が未知数なヤクルトだけに接戦にもちこまれる試合展開になると不安が残るが…。などと考えつつも久々の野球観戦にテンションが上がった私はヤクルトグッズが欲しくなり売店の前にいた。私が野球を好きになったきっかけの選手、池山はもう引退してしまいグッズがないので絶対グッズを買う!という気持ちと、とはいえ誰のグッズを買ったらいいものか、という二つの気持ちが私を軽くパニックに陥れた。
「ユニホーム買っちゃえって!」
今はヤクルトのコーチで母校、仙台商業高校の先輩でもある八重樫の様な男が隣から話かけてきた。
よく見ると相方だった。
先の事故で少年に38000円の自転車を弁償しなければならない私に対し、5000円以上もするレプリカユニホームを買えとこの男は言い放った。もちろんそこに『36 IKEYAMA』と書かれたユニホームがあれば私は拳銃の引き金を何のためらいもなく引くゴルゴ13のように財布の紐をゆるめたであろう。だが今は池山ほどのマイフェイバリットプレイヤーはいない。
古田?ラミレス?岩村?確かに好きだがユニホームを着るにはミーハーな感じがする。宮本?地味すぎる。五十嵐?うーんピッチャーより野手がいい。
あ、マスコットのつば九郎の人形は!?いや、違う!だめだ。
こうなった時私は自分の意思で動けなくなるのを自分でも知っている。数分後、私は背中に『16 TAKAI』と書かれたユニホームに袖を通 していた。
相方という悪魔のささやきによって我を見失った私は言われるがまま高井のユニホームを買っていた。くしくもその日の昼間、ダルビッシュ率いる仙台の東北高校が2アウトまで取りながら明らかに采配ミスによってサヨナラホームランを浴び甲子園を去ることになったがその東北高校卒のピッチャー高井のユニホームだ。
まぁいい、今日投げてくれることを願おう。
球場に入ると既に試合は始まっていた。とにかく席を確認すると私は空腹を満たす為に売店へ向かった。
以外と言っては失礼だが、神宮の食事はうまい。牛丼を買って席に戻るとヤクルトに二点入っていた…。
何とピッチャーのベバリンの先制ソロホームラン、続いて日本代表ではキャプテンを勤めた宮本がソロホームランを放ったというのだ。
見ることはできなかったにしろ幸先いいすべりだしはしたのだ、まあいいだろう。遅れて来た青木サンシャインにチケットを渡す為に入り口に戻り、天ぷらそばとカレーを買った青木と席に着くと横浜に一点入っていた。
見てはいないがマズイ展開だ。このままいくと新守護神、五十嵐か石井を出すことになる。もし開幕から救援失敗なんてことになればメンタル的にも後々響く可能性もあるだけにヤクルトに追加点がほしい…。
横浜ファンの青木が「僕もユニホームほしいです」と言うので場内を見回ってみたがさすがにここは神宮、敵チームのユニホームまでは置いてない。
仕方なくラーメンを買った青木と席に着くとヤクルトに一点、追加点が入っている。
オープン戦で三冠、打撃好調の和製大砲、岩村にソロホームランが飛び出したのだ!
見てねーけど!
そしてそのまま3対1で試合は終了した…。
最後は私の不安をよそに本日150キロをきることのないストレートを武器に五十嵐が三振ショーで幕を閉じたのだ。
何やってたんだ俺。ほとんど見てねーよ。バカか?バカなのか俺よ!?高井も出てこねーし…。
人に聞いたのと変わらないような試合観戦だったが、帰りの通路で解説者になった池山に遭遇!あまり感じはよくなかったが私の中の野球の神と握手できたのは何よりの収穫だった。
そして選手名鑑に書いてあるように本当にグロリアに乗っていた八重樫先輩を見れて感動した一日だった。
東京に住んでいて野球や他のスポーツを見に行かないのは罪だ。
仙台にいた頃は年に何回もプロ野球は来てくれないし、来たとしても好きな球団の試合とは限らない。
日本人に生まれながら寿司が食えないのと同じぐらい罪なのだ。きっと。だから私はできる限り球場に足を運び、これ以上罪を犯さないよう心がけたいと一人誓った。
そして、高井が二軍に落ちてるのを知ったのは家に帰ってからだった…。

 

 

遺書 2004年3月3日(水)

「30歳まで生きるつもりは無ぇ…!」
中学生くらいの頃の私は既に人生に大した期待もしてなかったのでこう思っていたものだ。
14、15歳の少年から見た三十路など充分「おっさん」だ。会社に勤め、見た目もおっさんなら発する臭いもおっさん、部下からは少し尊敬されても外へ出れば学生に「どけよおっさん」などと舌打ちされる。
三歳の娘には「足が臭い」などと非難され、妻はより多くの保険をかけ始め食事はこげた部分がまわってくる。軽い遊びのつもりで関係をもった部下の女が本気になり妻との離婚をせまられてる間に妻はネットで知り合った男性と昼間の情事を楽しみ家庭をかえりみなくなり、そんな両親の事を知ってか知らずか三歳の娘は悪い友達からクスリを覚えてブチ上げてる時に逮捕。
こうして家族はバラバラになっていく。そこからは夢や希望なんて持つことも忘れて生きる、いや、「生かされているだけの人生」が始まりやがてひっそりと終焉の幕がひかれる。
これが三十路男の王道だ。
老いて誰にも必要とされなくなる人生より、線香花火の様に激しく燃えさかる最中に急に終わってしまう、そんな人生にあこがれたものだ。しかしそんな私もお笑いを始めて8年、気がつけば29歳。
「生きるつもりが無い」とした最後の年だ。正直そんなことは忘れていたのだが先日肺炎にかかった時、ふいにそんなことを思いだした。
よくこの世に名を残し、若くして死んだアーティスト達はその才能と名声を手に入れる代わりに命を捧げる「悪魔との取引き」をしたなどと言われるが、私はただ命だけを捧げることになりそうだ。
去年はバイクに乗っていたらタクシーにひかれ、肺炎にかかり、今年はさっそく自転車の少年と接触事故。30歳までに死ぬ という予言もまんざらではなさそうだ。
しかも期限は二か月をきっている。レディス4でやっていた「正しい遺書の書き方」をちゃんと見ておくべきだったと今さら後悔せざるをえない。
生き様がダメな人間なら死に様で勝負するしかない。
魚嫌いの私はよく刺身や寿司をすすめられると「そんなもん食うぐらいなら死んだ方がマシだ!」などと言い放つが、もし私が死を目前に控えた時、あなたが偶然そこに居合わせたならどうか私に「ホラこれ食べて元気出して!」と魚介類を差し出してほしい。頼む。
もしその場でまだ私の「お笑い脳」が機能していたなら、せめて私はあなたにはこう言って旅立ちたい。
「フッ…そんなもん食うぐらいなら…死んだ方が…マシだ…うっ…」と…。

 

交通事故 2004年2月29日(日)

バイクで自転車に乗った男の子をひいた。
救急車を呼び病院に行ってもらい、自転車は壊れたが幸いにも体の方はかすり傷程度のようで安心したが大変申しわけなく思う。それなりの処罰を受けることになるだろうし、当然のことだ。
私はその場でただただあやまることしかできなかった。子供の母親はあまり私を責めることはしなかったのが救いだったが、もし大怪我にでもなっていたらと思うと反省するばかりだ…。
「バイクが悪いんだよ!」
見ていたオヤジが言った。事故の瞬間、まわりは私を「悪」を見る目に変わった。
純真無垢で将来ある子供を、グラサンをかけ、くわえタバコで髪を染めたバイクに乗った態度の悪い低所得者がひいた!と…。
私が悪いのはわかっている。滅多に頭を下げない私だが、一歩間違えば命にかかわる出来事に私はおじぎマシーンのごとく頭を下げた。私も多少怪我し、気分ものらないのでバイトを休んだ。
家に帰りヘルメットをはずして見ると愕然とした。
半キャップのヘルメットのちょうど額にあたる部分に、相方がイタズラで貼った「稲川淳二悪霊退散シール」が貼ってあったのだ。これは稲川氏の怖い話の本に付録としてついていた100円ライターほどの大きさのシールで、黒いバックに驚き顔の稲川氏、そしてその横に赤い字で「悪」と書かれている。私は頭に稲川淳二と「悪」の字を頭に貼りながらあやまっていたのだ。
ふざけている。完全にふざけている。私がいくら誠意を見せようと努力したところで頭には「悪」と書かれ淳二がびっくりしてるのだ。
親子よ、そんな奴を許すな!オヤジよ、もっと私を責めろ!私が親ならそんな奴を決して許しはしない。
思えば相方は私に対して数々のイタズラをしてきた。久しぶりに着た革ジャンのジッパーにパチンコの海物語の確変絵柄の「エビ」のキーホルダーがついていたり、カバンの中にレインボー柄のジャケットが入っていたり、バイトに行く度に私のジャンパーのポケットに「神風」と書かれたハチマキが入ってたり、バイトに行く度に私のジャンパーのポケットに「日本」と書かれたハチマキが入ってたりした。
私は私のしたことの罪は償おう。
しかし、相方は相方のした、一歩間違えばとりかえしのつかないイタズラに対しての罪を死をもって償ってほしい。心からそう思う…。

 


 


 

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