テレビではサッカーヨーロッパ選手権『死のグループ』因縁のオランダ対チェコが熱戦を映し出す。
相変わらず相性の悪いチェコに二点のリードを奪いながらひっくり返され敗れたオランダのFWニステルローイの放心状態の顔が心に焼きついた。この敗戦で強豪オランダのグループリーグ突破に赤信号がともった六月二十日は父の日だ。
私の父は厳格な人でいつも怒られていた。ほめられた記憶など一度もない。ことあるごとにビンタを食らい、自然と避ける存在になった。単身赴任で会わない時間も長く、父と息子の関係はどこもそうかもしれないが二人きりでいると非常に気まずい空気が流れる。正直な所、敬語で話せばいいのかタメ口でいいのかを悩むほどである。実家に電話して父が出るとどうしていいかわからず、無言で受話器を置いたことすらある。
そんな私も今年で三十路をむかえた親不孝者だが、もう一つ困るのは両親を『パパ、ママ』と呼んで育ったことだ。今でこそ母のことは『チオリさん』と呼び、母の前では父を『親父』と呼ぶが、父の前で母を『チオリさん』とも父を『親父』と呼ぶ勇気がない。その過程である『お父さん、お母さん』という単語すら本人達に発したことがないのにそれを飛び越えて『あ、親父?』と気軽には言えないのだっ!!
何度かチャンスは訪れはしたが、告白してしまったがために友達ですらいられなくなった女の子との関係の様に「何か」が崩れてしまう気がしてつい『あ、ママは?』と人殺しの顔を持つ私だが年に何回か『パパ、ママ』という言葉を発してその距離を保ってしまう…。
三十年もそんな関係を続けてきた私だが、母には誕生日、クリスマス、母の日にはプレゼントを送るものの、当然父の誕生日も父の日がいつかなんてことを忘れていた。しかし、ある日母と話していて衝撃を受けた。
仙台でライブをやるために見に来た両親。父は上機嫌で人に『息子がお笑いやってて今からライブ出るんで見に行くんですよ!』と話し、父の日が過ぎれば『たけしから何か来なかったか…?』などと淋しそうにしていたと聞かされた。厳格なはずの父の崩壊。
私はそういう話に滅法弱い。私はさっそくドンキホーテにむかいプレゼントを配送した。きっとパパは怪訝な表情で袋を広げ『何だこんなもの…』とつぶやいて部屋に戻り一人笑うのだろう。
父とはそんなものなのだ、と今にして思う。
それよりもプレゼントをもらった父からもし電話が来たら敬語で話すかタメ口か、ということで今は頭がいっぱいだ…。
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