バックナンバー2002年版

バックナンバー/2002 2003 2004

雪の思い出 2002年12月10日(火)

東京に雪が降った。薄汚れた都会を覆い隠すかのごとく舞い降りた白い天使達。聞けば15年ぶりの大雪だという。
しかし新潟に三年住み、のちに仙台から上京した私にとってこれが大雪とはチャンチャラおかしい話だ。へそで茶が沸く、風呂が沸く。 東北に住む人間の生活にとって車は欠かせない。成人した四人家族なら一人に一台持っている。ビデオデッキも真っ青だ。上京前は我が家もそうだった。ビデオが青かったのではなく、家には免許の数だけ車があった。しかしその反面 、事故に会う確立も当然高くなる。かくいう私も凍結した道路でスリップ、そしてスリップストリーム。前から来た車とほぼ正面 衝突でコルサを地獄へとおいやった。
相方伊達みきおなどは会社員時代に高速道路での居眠り運転でスリップ、そのままリップスライム。ガードレールに激突し、血まみれのカリブは爆破炎上突破熱唱、カレーまみれの腕に50針の怪我を負う事故を含め、軽く二ケタの車をあの世送りにしている猛者だ。
私の場合無傷だったが精神的な後遺症は残り、レースゲームのドリフトの滑る感覚が事故の記憶を思い出す為しばらくできなくなるほどだった。それからは雪の日の運転が非常に怖くなり少しでも雪が降るとバスでバイトへむかっていた。人間嫌いの私はバスや電車が大嫌いだが仕方あるまい。ある雪の日バイトを終え、足元の悪いバス停で時刻表を見ていると背中に悪寒が走った。
『グア゛ァ゜ーッ!!』
完全に背中に雪が入っている!誰か知人のイタズラだ!とっさにそう決めつけた私はそいつを絞殺しようと『テメー!!』と両手をあげてふりむくとそこには知人の顏はなく、仕事帰りの人たちの長蛇の列が何事かという顏で全員こちらを見ていた。
パニックだ!誰が背中に雪を!?頭上を見上げた瞬間に謎は解けた。ちょうど頭上に電線があり、そこにたまった雪がスポリと綺麗に私のスカジャンの襟の中へ落ちたのだ。謎は解けた。しかし問題はこの上げっぱなしの両手だ!どうすればこの場を切り抜けられるのか?とっさに私の口から出た言葉は『ユ、ユキハフッテマスカァ?』 間違えていた。並んでいた全員に無視された私は何もなかったかのように前を向きコソコソと背中の雪を取り出した。
きっと顏は赤より紅く、白い雪との『紅白の美』は完成していたに違いない。雪が降るとその思い出と正解の言い訳を考えずにはいられない…。

 

祝辞 2002年12月9日(月)

母校『仙台商業高等学校闘球部』の先輩(我々は「将軍」と呼んでいる)がご結婚なされた。
我々サンドよりひとまわりガタイが大きく、我々より数段威圧感とオーラを放っておられ、前から歩いてくる姿は「黒王にまたがったラオウ」にも見える。歩いているだけで馬に乗ってるように見えるのはあの方か力也さんくらいしか私は知らない。 その先輩(我々は総帥と呼んでいる)が結婚。不思議な感じだ。高校時代の我々は先輩(我々は閣下と呼んでいる)にモルモット同然の扱いを受け、その分困れば頼りにもしていたしケツはふいてくれた。ビーバップハイスクールの様な高校で恐怖の先輩方ともうまくやっていけたのも先輩(我々は組長と呼んでいる)のおかげであろう。後輩の中で式から呼ばれたのは我々サンド二人のみ、あとは二次会からだ。なんと名誉なことか!しかし、チャペルや式の最中の先輩(我々は校長と呼んでいる)は照れまくり、終始ニコニコとかつて見たこともない笑顔で祝福をうけていた。結婚とは人をここまで変えるのだろうか。高校時代はワタリ80はある「統制」と刺繍された仕立ドカンをはき、一時はプロレスラーを目指した(小橋健太、菊池毅、ヤクルト八重樫先輩からも祝電が来た)あの先輩(我々は機長と呼んでいた)が奥さんには弱いという。恐るべし『結婚』! しかし我々にとっては何十年経とうが、どんな社会的地位を築こうが、同じ釜の飯を食い、共に楕円形のボールを追って闘ったあの頃の先輩後輩の仲なのだ。あまり丸くなる先輩(我々は天皇と呼んでいる)は見たくないが、きっと生まれてくる子供が血を受け継ぐのであろう。そして我々の様な手下が生まれ…いや、待てよ、我々がその子の手下になるのは決まったも同然だ…女のコが生まれてくるのを期待しよう。ランバ‐ラルか俺達は?まあいい。先輩(我々はやっぱり先輩と呼んでいた)とにかくおめでとうございました!あの笑顔を高校時代に見たかったっス…。

舎弟富澤

 

釣り 2002年11月7日(木)

同級生の結婚式があり、帰郷ついでに相方と夜釣りに行くことになった。そういえば私はもう何年も釣りに行ってないし、なにせ『海』を見ていない。だからだろうか、ついパチンコ屋に『海』を見に行ってしまうのは…。仙台、宮城と言えば塩釜や松島などとにかく海には困らない。

深夜0時、物置に眠っている釣竿を取り出す。懐かしさがこみあげる。フラッシュバックする色んな思い出。竿は二本あったが一本はリールが無く、もう一本は竿の先端が無く、リールも少し壊れていた。よく考えれば私の竿にはまともに魚がかかったことがなく、ただ私の竿と言ってもアッチの私の竿ではない。アッチの私の竿は常に魚が釣れっぱなしの投げっぱなしジャーマンだ。勘違いされてはこまる。こっちの私の竿の話に戻ろう。いや、もう少しアッチの私の竿に触れてみよう。私の竿に触れてみようと言いたかっただけなので話を戻そう。そして毎回腹を立てては竿をたたきつけ、辺りにある物を全て海に放り込み、『この海には魚なんて一匹もいねぇ…!』と捨て台詞までも海に投げつけてやったものだ…。それで竿が…。きっと『若さ』だったのだろう。だが今は違う。 釣りは魚がかかるまでの間、広大な海を眺めながら今までを振り返り、そしてこれからを考える『自分を見つめ直す時間』を与えてくれる。そこがいいのだ。それも含めて私は海が大好きだ。嘘だが…。
塩釜はこの前水死体があがったので仙台新港に行くことにした。だがその前にエサを買わなければならない。海の近くの釣具屋は大抵店が閉まっていても自販機でエサを売っている。『青イソメ』というミミズに似た生き物で針を刺すと出血し、ものすごい勢いで暴れ出し、噛み付いたりもする。そして魚に食われ、やがてその魚は人間に食われる。つくづく私は青イソメに生まれずに良かったと思う。だって針で刺されて食べられちゃうんだもんね。とにかく自販機を探そう。しばらく走ったがなかなかうまそうならーめん屋が見当たらない。あきらめかけた瞬間、思いもよらない看板が目に飛び込んできた。『半田屋』!おぉ、あれはリニューアルした『はんだや』!300円もあれば腹いっぱい食え、味も決して悪くない。わかりやすく言えばバイキング形式の激安の店だ。ここにしよう。新しくなった半田屋は『HANDAYA』などとローマ字でかかれ、 店内もファミレスの様になり女性も入りやすい内装にメタモルフォーゼされていた。私は180円のらーめんを食べた。小腹を満たした私と相方は帰路についた…。
ハッ!我々は何をしにきたのだ!?そうだ、釣りだ!15時間後にはまた東京という戦場に戻らねばならないのだ。我々には時間が無い。
青イソメを購入し、ポイントを決める。波はおだやかで潮の香りが懐かしい。イソメに針を刺す。ブシュッと吹き出す返り血で全身が紅にそまる。イソメはもがき苦しみ、必死に逃れようと身をくねらせる。無駄 無駄無駄無駄ぁーっ!!
その姿はまるで狂ったジュリアナ嬢だ。ちなみに私はイソメを素手で触れない。気持ち悪いんだもの。
ポチャンッ、と心地よい音をたて、海面に波紋を広げながらイソメが海底を目指す。 対岸では工場の煙突がたえまなく吐き出す煙。船と港をつなぐ古びたロープのきしむ音。隣には相方ではなく、『友達』としての伊達。私は釣りをしている。 ノスタルジーが闇から顔をのぞかせる。しかし寒い。なるほど、やはりここは11月の仙台の海、寒くないわけがない。
私は暖をとろうと燃えそうな物を探した。近くのごみ捨て場を見ると雑誌などが入った紙袋がある。よく見るとそれらはエロ系雑誌にビデオやDVDのケースだ。なぜ海に?こうなるとまた私の竿について触れなくてはならなくなってしまうが今はそれどころではない。この寒さを何とかしなくては。ギリシア神話の愛の神、エロスには申しわけないが私はエロ共に火を放ち暖をとった。雑誌やビデオのパッケージの中で華を咲かせる彼女達の白い肌や赤い唇が炎につつまれては灰になっていく。自分の写 真などを自分で燃やした経験は無いが、『自分が燃えゆく姿』を目にしたらさぞ不愉快だろう。ましてやポスターなどになり、学校の廊下に貼られ、髭を書かれたり目に画鋲などを刺されたあげくに『こんにちわ』などと吹き出しをつけられたりするくらいなら焼け死んだ方がマシだ。南無南無。
伊達はイソメやヒトデを炎の中に投げ込み笑っている。 そろそろ魚がかかってるのでは!と糸を上げてみる。まんまとイソメは消息不明で釣針だけが闇の中で鋭く光っている。まあこんなものだ。一投目から魚がかかるほど釣りは甘くはない。トルネード投方でさっきより遠くに針を落とす。寒さが厳しさを増す。エロスの妖精達はすっかりその姿を灰に変え、焚き火の煙は工場の煙に負けないくらいの勢いだ。集合の狼煙と勘違いしたのか、爆音を響かせ暴走族が次々と集まってきている。
そして二時間が経った…。
我々は港をあとにするところだった。
私はたばこに火をつけ、吐き出された煙の行方を見つめた。いや、正確には煙の先にある『何か』を見ていたのかもしれない。ぬ るくなったカフェ・オ・レを一気に胃に流しみ、忘れかけていた潮の香りをまた脳裏に焼きつけた。これでまたしばらく釣りをすることもないだろう。炎の中に燃え盛る二本の釣竿と青イソメが車のバックミラーに写 し出されていた。デジタル時計はAM3時20分を知らせている。煙突から吐き出された煙は空を鈍色に染めている。白と黒のツートンカラーの車とすれちがう。墮天使達の爆音の宴は今もなお続いている。釣りは魚がかかるまでの間、広大な海を眺めながら今までを振り返り、そしてこれからを考える『自分を見つめ直す時間』を与えてくれた。だが、それがどうした?「この海には魚なんて一匹もいねぇ…!」車の窓に写 っているのはいつか見た不機嫌そうな男の顔。釣りを終えた私の手元に残っているのは高速バスの『チケット』と、アッチの『私の竿』だけだ…。

 


 


 

Copyright(c).2001-3 HORAKAKU all rights reserved.