« 権力者としての消費者 | トップページ | KY、何それ? »

2008年3月 7日 (金)

万年青年らしいです

来る3月9日に、企業社会責任フォーラムという団体が主催で、「サステナビリティ/CSR検定」第一回目の試験が開催されるそうです。3月6日付けのNB Online(日経ビジネスオンライン)の「話題閑題」でも、CSR機運の高まりということで紹介されていました。同じ記事によれば、ハー・ストーリィという企業でも、「女性・生活者の視点による企業のCSR指標」というものを開発したということが紹介されています。CSR機運を高める上で、大きな役割を果たすのは、やはり女性なのかもしれないなあ、と改めて感じていたりします。

女性の視点、をあまり強く出しすぎると、かつてのマドンナ旋風に代表されるような「台所感覚」、「主婦の視点」と被ってしまい、視点の狭さのほうが強調されるきらいもないわけでもありませんが、ロハスの形成という点で、女性が大きな役割を果たすことは、やはり間違いないように思います。

家計と直接向き合っている方が多いため、企業に対する視点が相当厳しいという側面も当然評価できるのですが、とにかく女性のほうが、元気の良さが目立ってしまっているように思えます。「負け組み」の女性はやたら元気がいいのに、「負け組み」の男性は、とにかく愚痴が目立って元気が無い、という視点を指摘した方もいました。そこに注目した書籍も確か売ってますよね。

今、ある事業企画で女性二人の方が運営する会社とお付き合いさせて頂いているのですが、おこがましいのを承知で言えば、私はいろんな面でその方達と会社を評価しています。きちんとした実績を挙げている点も評価していますが、これまでの軌跡の部分に、とても共鳴を感じているんです。

営利として成り立たないと思われている側面が強いフィールドで、敢えて挑戦したその勇気、非営利に近い収入スキームからはじめて、着実に営利を出すまでにいたった忍耐力と実行力、そしてその経営手腕。結果として、会社の色とその女性二人の印象がぴったりとマッチして、この会社と一緒に事業をしたい!と思わせる何かをすでに持っています。

評論家をきどった方達にたくさんお会いしてきた自分としては、その部分に非常に共鳴してしまうのです。

社会事業というのは、目的の部分で営利と非営利を共有させているところが多いため、一般の企業家の方達、そして慈善目的で非営利事業をやっている方達、双方から批判を受けやすい立場にあります。前者は、そもそも非営利の目的で実施している事業が営利になるはずがないと決め付けている場合が多く、後者は、非営利目的の事業で「儲ける」などとは、もっての他であると思っている場合が多いようです。

しかし結局のところは、営利、非営利にかかわらず、やっぱり成功人には無批判にに甘く、挑戦者には非常にきつい社会なんだあと今更ながらに痛感しています。

そんな社会の中で、普通の人がためらいがちなニッチな市場を相手に、きちんと自分達がやれる範囲で、確固とした事業を築き上げてきた彼女達には、本当に拍手を贈りたい気分になります。

ある雑誌のコラムで、ある著名な作家の方が、「そもそも女性の方が男性的で、男性の方が女々しい。だからこそ、女性に対しては『女性っぽく』、男性に対しては『男性っぽく』と社会は要求し続けるのだ」という趣旨のことが書いてありましたが、そうなのかもしれないですね。ほうっておくと、男のほうは、ますます女々しく、卑屈になっていくのかもしれません・・・。

「女性らしさ」を否定するわけではないのですが、CSR普及という点に関しては、女性の元気さ、そして負けん気の強い部分には期待を寄せています(怖さも半分・・・)。もっとも、「地位に対する畏敬を個人に対する畏敬と勘違いしている方たち」のうち、男性諸氏がどうしても人口比率的にも多いため、対照的に「元気な女性」が目立ってしまうのだと思いますが。

「元気な女性」に対して、「元気な男性」って言い方をすると、どうしても餓鬼っぽい印象がついてしまいがちなところが痛いところ。そうでなくても、女性はリアリスト、男性はアイデアリストって印象が大きいですから。そう考えると、社会起業家というフィールドにおいては、男の方がハンデを背負っているのかもしれないですね。どうでしょうか^^;(坂井)

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224259/40403852

この記事へのトラックバック一覧です: 万年青年らしいです:

コメント

コメントを書く