権力者としての消費者
昨日、紹介した「フェアトレードの冒険」はなかなか刺激的な本です。
フェアトレードって、綺麗事だけじゃないんだぜ、
というのは昨日、紹介しましたが、他にも、
あの「ブランドなんかいらない」の著者ナオミ・クラインに対して、
「あんたの考え方にはついていけません。ってか、間違っとる」
と、バッサリ斬って捨てたりしています。
#ここでビックリしたり、ニヤリとする人は、フェアトレード通かも?
その中で、僕が読んでて一番ドキッとした言葉はこれです。
「消費者の権力」
一般的に、近代国家には「司法」「立法」「行政」の三つの権力があり、これに加えて、マスコミが「第四の権力」と考えられているのはご存じの通り。
ところが、国家も成長して、高度消費社会に突入すると、第五の権力とも言える「消費者」という権力者が現れてきます。
高度消費社会の政治なんてのも、極論すれば、「生産者」と「消費者」の利害対立の調整につきる、とも言えます。
この、新たな権力者の力を活かして、世の中を良くしていこうよというのが、たとえば「レッド・キャンペーン」ですし、攻撃的な使用法としては、ナイキなどに対する不買運動があります。
雪印食品なんかも、これで会社が無くなってしまいましたね。
こういうことは、すでに多くの人が理解していることですが、実際には、その潜在的パワーを活かし切っているとは思えません。
フェアトレードとかエコ消費に関心があって、そういう消費行動を志向している人は、欧米も日本も、まだ20%くらいしかいない、という推測もあります。
それを、「消費者の意識が低い」と言ってしまえば、まあ、それはそうなんですけど、問題は、どうして意識が高くならないの?ってことですね。
その一つの理由が、「消費者の権力」ということが、十分にアナウンスされてないからではないか? そう思うわけです。
不買運動なんて左巻きの特殊な人たちの行動だ、自分達の日々の生活が世の中を変える力を持ってるなんて考えたこともない。そう思っている生活者に対しては、権利意識を高めるためのアナウンスがもっと必用です。
ストレートに、消費者は権力者なんですよ、というアナウンスです。
たとえば、アフリカや中南米の搾取されている農民たちの現状を訴えても、そこに反応するのは、もともと問題意識を持っていた人で、それはそれで大事ですが、まずは問題意識を喚起せねばなりません。で、問題意識と権利意識は関係が深いのですが、その権利意識が社会的パワーを持つと確信させるには、あなた(消費者)は弱者じゃなくて、すでに強者、つまり権力の側にいるんですよ、と。
まあ、そんなアナウンスがもっとあっても良いと思うわけです。
ちなみに、「消費者の権力」でググってみたら、ヒットしたのは65,600件。「メイド喫茶」が115万件ですから、いかに語られてないか、分かります。
もっと語りましょう。(竹井)
リンク: Amazon.co.jp: フェアトレードの冒険 草の根グローバリズムが世界を変える: ニコ・ローツェン/フランツ・ヴァン・デル・ホフ,永田 千奈: 本.
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