三浦和義とアメリカの正義
いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義がサイパンで逮捕された。
事件発生から27年目の逮捕劇。この逮捕報道で僕が一番感慨深かったのは、この「27年」という歳月についてであります。
最初、このニュースを見たときに思ったのは、27年前の事件でよく逮捕できたなということ。
たぶん、三浦容疑者が日本にずっと住んでいたので、時効停止時期が長かったんだと思ったらそうではなかった。
アメリカには殺人事件の時効がない。
初めて知りました。(汗)
つまり、人を殺しておいて、年月が経ったからといってチャラにはしない、のうのうと時効逃れするようなことは許さないということですね。
アメリカという国は、自国の利益のためには、正義を平気でねじ曲げます。
日本人にとって最も屈辱的なアメリカの横暴といえば、第一次世界大戦後のパリ講和条約での出来事。
世界で初めて国際社会の中で、「人種差別撤廃」を求めた日本の提案を、イギリスと結託して潰したのがアメリカのウィルソン大統領でした。
こ〜ゆ〜ことを平気でやる一方で、アメリカ社会は「正義」を尊ぶ面もあるようです。
そして、正義を貫くためには、かなり冷徹に不寛容の姿勢を貫いたりします。
たとえば、大企業の不正などは、日本ではたいした罪にはなりませんが、アメリカでは経営者も平気で牢屋にぶち込んだりします。
経営者とか起業家にとっては、罰金などの経済的制裁より、何年も自由を奪われる懲役刑のほうがダメージが大きいですから、経済犯はどんどん懲役刑に処すほうがいいと思います。
このような不寛容の精神が、今回の三浦逮捕に繋がったわけですから、正義の実現には不寛容の精神も必要なのかなとも思えます。
もっとも、不寛容の精神は、世界中で終わりのない紛争を生み出す原因にもなりますから、取り扱いに注意も必要です。
しかし、日本の場合は、寛容の精神が過ぎるような気がして、それがいろいろな社会正義の実現を阻害している、つまり弊害が多いようにも感じます。
企業がCSRに真剣に取り組むような土壌を作るには、企業の社会的責任ということについて、もっともっと生活者が不寛容になる必要があるかもしれません。
今回の逮捕劇では、そんなことをあらためて考えさせられました。(竹井)
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