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2008年2月 1日 (金)

保守本流としての社会事業

少し前になりますが、「プレジデント」2007年12.3号でも、社会起業家特集が組まれてましたね。題して、『世直しを商いへ 社会起業家の挑戦』。5ページの特集記事でしたが、介護から産棄リサイクル、医療など多岐な分野にわたる紹介は、なかなか興味深いものを感じました。まだ、正式ではありませんが、私も、というより、私と複数の仲間で構成される社会起業家チームもとある業界雑誌で、「社会事業」の連載を開始することになりそうです。「掲載を考えているので、サンプルを送っていただけませんか」との依頼が来たんです。面白い展開になりそうです。いずれ、また追ってご連絡します。

ところで、この「プレジデント」の記事でも思ったのですが、昨今の社会事業は、環境問題や格差問題など、新しい問題への取り組みとしての側面が注目されることが多いように思います。『社会事業というのは、過去には存在しなかったビジネス形態である。社会貢献はボランティアであって、本来はビジネスではなかった。それをビジネスとして取り組もうというところに目新しさがある。」ほとんどの人達の考え方というのは、これでないでしょうか。近年注目されているのは、特に環境問題の影響が大きいと。

社会事業が新しいのであれば、保守本流のビジネスとは何を指しているのでしょうか。恐らく、特定の団体や個人、株主の利益創出を目的とした事業がそれに当たるのでしょうか。メインとしての営利事業とサブとしての社会事業。そう、サブとしての社会事業。これがほとんどの企業の頭の中にあるCSRのイメージとして、未だに頑強なものを築いているのだと思います。

しかし、私は、むしろ社会事業は、本来、企業形態の保守本流であったのだと考えています。社会事業をセカンドライフ的に捉える方も多いようですし、私もそういう人達を否定するつもりは全くありません。むしろ、そのような方が増えることは喜ばしいと考えていますが、だからといって、社会事業はセカンドライフに相当するサブ事業だとは思っていません。私もそうですが、社会事業をライフワークそのものとして捉えている方々、つまりメイン事業として社会事業と取り組んでいる人達が確実に存在します。それは、「成功者」がセカンドライフ的に社会事業と向き合うものとは違い、相当なリスクと過酷さを伴う挑戦です。

しかし、日本の企業ルーツは、むしろこちらなのではと考えています。行政がシステム的破綻を露呈し始めたとき、つまり現代のような時代は過去には何度も存在しました。そして、強烈な問題意識をもって、むしろ自身で公共の事業を担っていこうとする強烈な想いを持った人間も存在しました。日本の有名企業の多くのルーツには、実はそのような社会貢献の匂いが非常に強く立ち込めているのです。今日、様々な方が社会事業と取り組んでいますが、多くは革新の代表として、社会起業家としての生き方を選んだのかもしれません。しかし、少なくとも私は、ビジネスの保守本流としての社会事業に誇りを感じています。(坂井)

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